パンツスーツのピアニストに共感

ライブやコンサートではもちろん衣装は大切だ。それなりに、自分のブランディングも含め、なんでもいい!ではなく、こだわって装うようにする。
お客様は目でも演奏を見ている。

ある、世界的なピアニスト・・でも、私は不勉強で今回初めて知った演奏家。
ショパンが得意なようだ。しなやかな指ののびで、つやのあるいい音を出す。
コンサートに行ったのではなく、NHKの番組でその演奏をながら聴く。
まず、その音色に感心をもち、その姿に目を向けると、そのピアニストの服装が、いわゆるドレスではない。西洋人も日本でも音楽大学を出た人の多くは、ゴージャスなドレスを身にまとって演奏をするが、この方はパンツスーツなのだ。
そのことが演奏前のインタビューでも聴かれていた。なぜ、パンツで演奏するのか?するようになったのか?

そのインタビューによると、以前は彼女もドレスを着用して演奏をしていた。が、あるとき、ある曲を弾いているときに、なんか違うと感じたそうだ。
その曲は、残酷な曲。ドレスを着て弾いていては、その曲が伝わらない・・。
と感じ、演奏をするときにドレスでは合わない曲もある・・ということで、それ以来パンツスーツにしているそうであるが、なかなかかっこいい。
また、彼女は愛する音楽で大勢の観客と交流でき、一体になれることについて大変幸せを感じるとも言ったことも印象的であった。
そして、もしうまく弾けなくても、伝えたいことがあったら、お客さんには響くとも・・。気持ちが思いが大切なのだということ。
これは、普段、私が音楽以外の仕事の場面でも痛切に感じているところでもあるがまさに音楽も同じだ。
クラシックだからこうでなければならない。ではなく、自分がその曲を通じ、何を伝えたいか・・・だ。

私もパンツで演奏することもあり、大変共感。
何を伝えたいか、でお膳立てはすべて変わる。




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情熱のチームワークで創る悦び

人は何に一番感動するのか。
それは人それぞれに違うかもしれないが、仕事、作品そのもののすばらしさもあるが、それを一生懸命表現する、やり遂げようとする、そのパフォーマー。
観客に喜んでもらうために、お客様に満足してもらうために、一心不乱に汗をかき、全身全霊でステージで歌い、舞い・・。
バレエでも、演劇でも、演奏でも最近は、演者のことが気になり、そちらについ目がいく。
シルクドソレイユは、残念ながら生で観たことはないが、朝、たまたま映像で観ることができ、オーケストラとサーカスの見事な融合美を知り、さまざまな刺激を得る。
バレリーナ―たちがステージの空中を舞う、体力の限界の限界に挑戦する。
各曲の合間、パフォーマーの入れ替え時に場を盛り上げる、ピエロの存在。各パフォーマーの緊張の演技の間のリラックスタイム。大切な場面転換だ。
そして、
ダンサーたちの踊りをしっかり支えようと、心を合わせて演奏するオーケストラの面々。
これらが一体となり、シルクドソレイユの作品が完成していく。
これを見ながら思ったこと。
どんな作品も、仕事も情熱のチームワークが感動を創る。
関わる全員が観客に感動を与えることを目的として、一生懸命に自分の役割を果たす。いい加減に、妥協して取り組んでいるメンバーがひとりでもいたら、感動は生まれない。
できるできないではなく、やるかやらないか。
今、自分が直面している課題をこのシルクドソレイユに置き換えてみる。
自分はオーケストラの一員か、指揮者か。ピエロか、パフォーマーか。
この役割は課題によって変わるだろう。
ただ、どの役割もステージを完成させるためには、不可欠な存在だ。

命がけの演技を大汗をかきながら、笑顔で舞うバレリーナ―に心うたれる。
笑顔で汗をかく。
ここ、参考にして進んでみよう。

一生懸命にみんなで創る仕事。自分がどの役割になれば、うまくいくのかも
想定しながら、クリエイティブもビジネスも、ぜひシルクドソレイユを目指して取り組んでみたい。



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雪解けの春。再会の喜び


半年ほどのご無沙汰か。ずっと闘病生活を続けておられる方との再会には、
思いが募る。また会えるかな、いや、絶対会う。
頑張って治療を続けておられるのだから、絶対によくなるはず。
手術や抗がん剤治療を繰り返し、何年か。
とにかく発病以来、ずっと自らの人生にまっすぐ向き合い、やれることを
やり尽くしておられる。その勇気、努力にも頭が下がる。
もし、私が彼女だったら、そこまでやるかどうか。といつも尊敬しながら
応援しながらの歳月。
 冬は雪が降るから、静かに療養。
ここ、何年も冬は冬眠の季節のごとく、
春を待ってお会いするようになっている。
今年もそうだ。
「春になったら会いましょう」なんどその言葉をかけてきたことか・。」
そして、早く雪解けの季節が来るようにと祈り、願う冬を越す。
その約束がかなって、会うことができ、お互い大笑顔で喜んだ。

2時間ほど、ブランチしながら治療のこと、仕事のこと、
家族のこと、音楽のこと、ホスピスのこと・・・話題は尽きぬ。
人として、おかげさまの気持ちを持ち続けること・・。
これが病気をされて改めて分かったことだと教えられる。

「疲れてきたので、そろそろ・・・」そうだ。元気に話していても、
無理をさせてはいけない。

何度も笑顔で「またね」と言って、別れを告げる。
絶対に、また会えますように。
天国にいくのは、もうしばらく後ですよ~。
冗談を言いながらも、こればっかりは・・・と思うが、でも言う。

また会えますように。そう思わせてくれる人との時間は大切にしたい。


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無音の時間の爽快さ

まず、目覚めたらテレビのスィッチを入れたり、音楽を流したり、「ながら」で仕事をしたり、日々の時間を過ごすことは、ごくあたりまえになっている。
なんとなく音がないと寂しい、時計代わりであっても、音ありの生活が前提で暮らしている。
ではあるが、あるとき流したいものがなく、無音にする。
しかも朝4時前といったまさに、早朝。
通行量も少なく、車の音もしない。

しーん、と静まりかえった時間。

なんだか心が落ち着いてきた。
そうだ、これは座禅をする、瞑想する。と同じことだ。
音を消すだけで、本当に世界が変わってくる。

今も、無音のなかでこれを書いている。

キーボードを入力する音だけが聞こえてくるが、普段より静かにと心すると、なんだか落ち着いてきて心が澄んでくる感じ。

時は音を立てないで、過ぎていくのだ。
このことにちょっと怖さも感じつつ・・。

1日にほんの少しの時間でいい。無音の時間をつくり、自分と向かい合うことに
しよう。

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お子様に教えられること。

お子様向けイベントを毎月2回企画・実施して、準備期間も含めるとまもなく1年になろうとしている。その一区切りの前に、お子様イベントへの取り組みについて振り返ってみる。

=お子様は素直。飽きやすい。
だから、飽きられないように創意工夫が必要。
でも、工夫すればしただけ、必ず報われる。
反応に出るのだ。

お子様の目線に沿った会話を大切にする。
お子様にはひとりひとりに声をかけ、ハイタッチをしたり、握手をしたりしてきた。ふれあうことで慣れてくれる。また会話するときは座って、目を合わせる。

手を挙げる子どものやる気を大切にする。
クイズなど行う場合、答えがすでに出ていても、まだ手を挙げ、もう出た回答をくりかえすキッズもいるが、同じことでも聴くようにする。
手を挙げて発表することを認める、ほめることが大切。
遊びの場面でも、子供のやる気を削がない努力は必要。

自分が子どもの頃に歌った曲は、今も歌い継がれている。
同じ曲を歌うことで、心が通う。年代が違ってもわかりあうことができる。
接点を探そうとし続けることはとても大切だ。

などなど、キッズから学ぶことは多い。
気が付けば、お子様向けのライブでも、なんでも遠慮なく、堂々と対応
できるようになってきたようだ。

お子様に育てていただく。ありがたい仕事。チャンスある限り、しっかり
がんばろう。

みんな、新入学、新入園、そして進級おめでとう。どうぞ健やかに。

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どうせなら、いっぱい挑戦しよう。

ひとつ新しいことを始めるのは、なんだか重い感じだ。
ゼロから、イチというのは、どうも迷いもあったり、やれるかなと疑心暗鬼になってみたり・・。

ところが、ひとつ始めてみると、「じゃあ、もうひとつやろう!」
と、挑戦課題を追加したくなる。

周囲からすれば、
「どっちつかずになるし、ひとつずつにすればいいのに」
と言われるが、そうとも限らない。
もちろん内容によるが、
イチがはじまったら、ニに進むのは、意外とたやすい感じで、
「どっちもがんばってみよう」
となるのだ。

人はやろうと思ったら、自分が限界と思うまで、どんどんイケると思う。
そう思った方が、自分のキャパが広がる気がする。

ということで、この春は、ひとつの挑戦でなく、ふたつ(以上)の
新機軸を自分の中に作る。
そうでないと、人生の時間がもったいない。結局は、貧乏性なだけかもしれないが。。。。


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やってきた人こその泪と言葉。

地道に、ひたむきにやってきた人の言葉は響くんだ。
口先だけの人間が発する言葉とは、ひとことの重みが全く違うんだ。
このことが、今回もよくわかった。

また、努力を重ね、プレッシャーと戦い続けた人の泪は
本当に美しいということも、今回よくわかった。

イチローの引退。
日本で9年、アメリカで19年の26年間・・。
名古屋生まれの野球少年は、45歳まで現役でプロの現役をつとめ、そして
引退。
まさに平成とともに、イチローの選手生活も終わりを迎えたという、このタイミング。

私は、彼の野球はもちろん、でもそれ以上にインタビューの時の彼がずっと好きだった。
一見、クールだけれど、情熱がこもっていて・・。
いつも目が涙目でも、しっかり前を見開いて、力強く話す、イチローの表情と言葉はとても素敵だ。
彼の言葉を聞いていると、じわっときて、たまらなくなる。
そんなことも多かったが、今回もそうだ。

そして、名言をさりげなく言うのも、さすがだと思う。

「他の人よりがんばったとは絶対言えないけれど、自分なりにがんばってきた」

今回、この言葉が一番響いた。
「自分なりに」という点がとくに。

そうだ、努力は自分なりにできることを、でよい。
とにかく努力あるのみだ。

また、彼は野球を愛したからこそ、そこまで努力できたのだともいった。

好きなことに打ち込める仕事ができることは、本当に幸せだ。
これも努力あっての結果だ。

いつか引退するとはみんな思っていたし、ここまでよく頑張られたと
心から拍手を送りたい。
私は、結果もすごいけれど、彼の生きざま、がやっぱり好きだ。

やってきた人の言葉と泪。

まだまだだ。自分に言い聞かせ、イチローに心からの拍手を送ろう。

まさに平成のヒーローに!

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リーディングドラマの手ごたえ上々

自分で参加するくせに、実は、朗読劇なるものを、劇場できちんと観た経験はなかった。演劇はわかるし、朗読もテレビなどでは見たことがあるが・・
ライブでいえば、音楽ライブも、演劇も、寄席もその空気は自分なりに把握しているつもり。観客として、演者として。どちらもライブは同じ空気のなかにいるということでの緊張があることは、わかっているが、
いずれにせよ、朗読劇は初めて、朗読劇で演奏というのも初体験だ。
でも、イメージはできていた。こんな感じだろう・・と・・。


今月29日よりいよいよ、その初の朗読劇中演奏を行う。行ける練習は2回のみ。
そのうちの一回目に参加した。
役者たちがほぼ読み合わせし、流れも整い、全体がつながってきた頃に、演出としての演奏が加わる。
台本を片手に、作家と一緒に「ここはこの曲、ここはあれにしよう」と、劇中に私のオリジナル作品のパーツをはめ込んでいく。ありがたいことに、これまで作った曲から選べるということで、助かる。
作家が自分のイメージどおりの作品に仕上げるために、私の曲を選ぶ。その曲を奏で、場面のイメージに合っていることが確認できると、作家がとても嬉しそうに微笑む瞬間がたまらない。
もともとそのためにつくった曲ではなかったが、そのために用意されたかのように場面に良く似合うのは、不思議。
作家のセリフと、私の演奏がなかなか良いハーモニーを奏でる。

朗読劇は役者の演技が言葉中心になるため、音楽は必須だと改めて感じ、今回の試みに手ごたえを感じる。

初顔合わせの役者たちとも、なかなかいい感じでコミュニケーションがとれ、もう何回も一緒にやってきた仲間のようになる。
今回の役者も粒ぞろい、なかなか味があって、うまい。
そして、彼らも演奏が入ることを、大変喜んでくれた。このことがとても心強い。音楽が入ると、全然違ってくるのだそうだ。立体的になるというかそんな感じだろうか?

今回上演する劇場は、立派なホールとかではなく、下北沢らしいカフェである。しかも空が見えるカフェだ。
作品に合っている。
ぜひ、みなさんに御覧いただきたい。
不思議な空間で、今年度のせわしない時期に、三連日の上演となる。開催日により、劇の後に私のミニライブも行う予定。劇中で演奏した曲から何曲か歌う。

「真夏の雪」素敵な作品になる。
予約は、こちらよりお願いいたします。

東京公演

https://www.quartet-online.net/ticket/manathunoyuki?m=0lfeigh



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30年前の研修が生きている?

20代後半では、会社の人手不足もあってか、新入社員のマーケティング研修も担当させてもらう時期もあった。今から思えば、あんな小娘が講師で良かったのかとも思うが、私自身が、とてもいい経験をさせてもらった。市場調査から提案先の発掘、課題の発見、解決のための企画、提案書づくり、、、。プレゼン、講評。そんなことをやった。その年その年に入社してくる後輩の「新人さん」たちと研修で出会うことが、楽しかった。

そんなこともずっと忘れていたが、このたび当時研修を受講してくれた後輩たちと再会、話す機会があり、当時の研修の話になった。

こんな風に教えてもらった、こんなことをやったということを聴きながら、30年前のことを一緒に思い出し、改めて共有、長い時間が経っても覚えていていただけるとは・・・と胸が熱くなる。彼らはとても成長され、今や立派な管理職。役員や部長クラスになっている彼らが、自分たちの新人時代のことを大切に話してくれることをとても嬉しく思った。

「どんなアイデア出しても全部褒めてくれたんです。それをどんどん膨らませてくれて、、、」ある管理職は、私の研修でそのことが今も忘れられないと言う。よく覚えてくれているもんだ。

30年経っても生きている、教えが生きている。自分の部下たちに的確におおらかに教えている彼らの横顔を見ながら、研修ひとつとっても、ずっと残すことが出来る仕事、大切に取り組まねばと改めて背筋が伸びた次第。

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「お葬式に流してほしい。」

先日ある地域のお寺の檀家さんたちが集まる会でコンサートをさせていただいた。おかげさまで大変良いお客様に恵まれ、とてもよく聴いていただき、盛り上がった。CDをご購入いただいた方も多く、ああ、喜んでもらって良かったと、こちらも大変満足。その余韻は私の中でまだ残っているが、そんな中、主催者の方よりメールをいただく。

「電話で少し話せますか?」「今、いいです。」

すぐ電話がかかってきた。何事か起きたのかなと思ったら、

「この前、参加されてCD買ってくださった方が、いつも車であんたのCDを聴いておられるんだって、『それが泣けて泣けて、、』と言われて、それで、『私が死んだらお葬式で流してほしいと娘にも言うてあるんです。』と言われたので、それを伝えたくて電話しました。」

なんという・・・。私の曲をお葬式に流したいとは・・。そんなこと言われたのは、生まれて初めてだ。そんなことあるんだ・・・。とてもとても感動した。

そんなつもりで作った曲ではないけれど、そんな風に扱っていただけることはとてもうれしい。人生の最後の曲・・にと思っていただけることに改めて、驚きと喜びを感じる。

不特定多数の多くの人に派手にアピールすることよりも、こんな風にひとりひとりの心に伝わっていくこと。感動の場面を創っていける機会をいただけることに、心から感謝である。
どの曲がそんな風に思ってもらえているのか・・。今度、ぜひ聴いてみたいと思う。


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