「いい人」は難しい。

「あの人はいい人だね~」というのは褒め言葉ではないと思う人も多いようだ。
魅力がないとか、どうでもいいとか、とくに取り立てて言うところがないから「いい人」と言うのだろうという感じで・・。
私はそうではないと思って使う。「〇〇さんってほんとうに『いい人』ですよね。」と言うときは、具体的に○○な人と言うだけではない、何か言葉にならない素敵なところがあるときだ。
総合力というか、バランスがとれているというか、やさしくて大人で常識もあって・・などなど
それらを合わせて「いい人」なのだ。
自分のことばかり考え、俺が俺が・・という人は決してそうではない。
今回もある方に、「〇〇さんってほんとう~~に、いい方ですよね」と自然に言ったら、素直に解釈されなかったので、上記のような説明をしたが、それでもすべてを実は言い得ていなかったが、意図を理解していただいたようだった。
今書いていて気付いた、私が言う「いい人」とは、いい空気を醸し出す人だ。
そういう人とは、いい時間を共有でき、いい関係も紡ぐことができる。
また、そんな「いい人」に出会いたい。

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地方紙のフットワークと地域愛

2015.12.16東海新報 CD売上金を寄託|東京都 今尾さん2015.12.17東海新報 力強い歌声届ける|今尾さん
小さな活動にも目を向け、耳を貸し、筆を摂り、住民に伝える。今回、ほんのささいな自分の想いだけで大船渡に出向いたことがなんと二度も新聞掲載となり、地域FMにも取り上げてもらい、曲まで流していただいた。被災地である当地は、その惨くつらい経験を経て、より一層、地域が一体化され、そこに住む人たちが思いやりをもって、助け合って生きているように感じる。そして、そこで活動を続ける地元メディアは震災があったからこそ出会ったという皮肉さもあるが、地方紙のありようというものを私に教えてくれている。
そこに暮らす人、働く人、訪ねる人のことを知り、これは!と思うとすぐ取材、あるいは地域の方もこれは!と思うとすぐ「10分五にコンサートがはじまるので取材に来られる?来てね」という感じで、人々とメディアがとても近いことに感動を覚える。
地方紙の経営は厳しいとも聞く。でも中小企業や地方の人々と出会うにつれ、地方紙の存在について考えさせられ、また応援したい気持ちが募るのだ。大手ではなく、全国紙ではなく、ターゲットもミッションもより具体的であり、そこに働く人たちが愛と責任をもって働く地域のメディア。自分自身がコミュニティFMにかかわっていることもあってか、ますます地域をつなぎ、地域を発信するメディアの役割の一端を自分も担いたいと思う。
それにしても、どんなことも少額の寄付金。金額が大きく掲載されたことは、とても恥ずかしかった。でも、きっと金額の大小ではないのだ。行動・行為がニュースの素なのだ・・・と思うことにしよう。

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まだまだ続く、「今年のうちに会っておこう!」

岩手、青森を巡り、そして地元にいるときも・・。都内のほど近いところでお店をされているのに、今だ訪ねたこともなく、ゆっくりお話しをしたこともない、ライブにお出かけいただいているお客様に会いに行くことにする。「よし、今日行くぞ~」と意気込んでいく。
東京は面白い。20年以上住んでいても、まだ未開の地が無数にある。
東長崎という駅に降り立つ。東京に長崎があるんだ!という感覚。しかも長崎十字会という商店街。
本当にわが愛する西の長崎と関係があるに違いない・・。胸わくわくしながら、そのお客様のお店を初めて訪ねる。アンティークショップなるものを営んでおられる方。
ライブに来られるお客様で、口コミでおいでいただいた方とは、ライブでしかお会いせず、あとはお礼状やメールだけ・・・がほとんどであるが、印象に残る方には会っておきたい。どんな人がどんな風にみて、聴いてくださっているかもヒアリングしておきたく、またどんな方たちが、自分の世界に興味をもってくださるのかもしておきたいのだ。そして、単なる好奇心というのももちろんある。
ライブでお会いするお客様が、今度は店主となって迎えてくださる。その人の城に行けば、その人のまた違う表情や言葉に出会う。「立って歌って、かっこいいよね~」とそんなところから始まる会話。最初はおつきあい。2回目は行きたいと思って、そして「次、来年もやる?絶対行くからね」
とそんなうれしいお言葉をいただく。しっかりわがCDをお店の外に向けて流してくださる。
「ノスタルジック・ルージュ」や、「夜のグラン・ルー」のメロディがアンティークショップから流れているのはお似合いだ。気が付けば2時間ほど。お話しをし、CDとアンティークのカップ&ソーサーを物々交換して、お互いに感謝する。
ああ、わざわざ出かけてきて良かった。こうして残った時間にこうして人に会いにいくのは、今年の良き思い出をまたひとつ増やしたいという願望なのかもしれない。
応援してくださっている方たちに会いに行く。やっぱり年の瀬だ。また東京の長崎に出向くとしよう。

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愛は法を超えられないか?

夫婦同姓が合憲だということになり、また波紋を呼びそうだ。実際のところ、これが違憲となるとはちょっと思っていなかった。
この夫婦別姓についての主張をしてきているのは、おそらくほとんどが女性だろう。男性でそれに賛同する人は女性からみればよっぽどの理解者だ。多くの男性からすればどうでもいいことというか、そういうもんだろう世の中は!という感じかもしれない。
またこれは、社会の一員としてがんばろう!と思ってきた女性にしか理解できない感覚なのかもしれない。かなり社会参加について前向き、積極的な生き方、また自分の人生について自立的に向き合っている人だと思う。
今回の結果をメディアで知ったとき、何かしらこらえきれない感情があり、それを内側で押しつぶした。
何かわからないが、今回なんとかしたいと立ち上がった人たちに対しての同情の気持ちと、自分の中で何十年も闘っている気持ちが混ざり合ったような、悔しいようななんとも言えない気持ち。
今回のことが合憲だとなったからといって、では自分は即結婚という方法をとったか?これについても複雑だ。検討はするかもしれないが、そう簡単に人生の生き方を変えたりはしない。
今回の結果を知り、男性には理解できない、男社会の家族の価値観を当たり前に持って生きてきている人には別姓なんて不必要なこと・・なのだと改めて思う・・そのことが悔しかった。
生まれてからずっと日本はしょせん島国、男尊女卑が根底にある遅れた閉じた社会だ。
女性の社会進出といいながら、何なんだろう。
女性が輝く社会とかちゃんちゃらおかしい。やっぱりそのままだ。
いずれにしても合憲とか違憲とかの議論に負けず、自分は自分の生き方をまっとうするだけだ。
まだまだ勝負は続きそうだ。
その立場になる、そのことを意識しないと、理解できない。そんなもんだ。
引かれたレールに乗るか、レールを引くか、そのレールではない違う道で生きるか。
最初の方法以外は、なかなか難しく、生きるのには厳しい選択だ。
家族の一体感が苗字で支えられる?おかしいな。なんだそれ?遅れた日本。
家族って何ですか?どこから見た単位ですか?
女性をわからない奴らに、女性が輝くとかへらへら言ってほしくはない。
愛は、憲法を超える。これを目指して、さあどこまでいけるか?
何でもわからない人たちが決めていく。国も家族も何の単位なんだ?
と、この件だけは!と怒りが込み上げる。

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先端への憧れと寂寥と

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青森。2~3年前までに仕事で何度か県内各地を巡り、今回久しぶりに寄ることにする。以前宿泊した駅前の老舗ホテルが廃屋になっていたのは大変残念であったが、駅前商店街の衰退、観光客の減少などからすると予想できたことでもあり、それが現実になっており、寂しい感じがする。
真ん中と先端・・・。岐阜生まれ、海なし県に育った私にとって、先端、端っこで周囲が海というロケーションはロマンの象徴でもある。昔は青函連絡船でみな、本州と北海道を行き来したのだ。
先端は出発であり、ゴールでもある。太宰治もこの本州の最北端に立ったことがあるそうな。

青森は、私にとっては甘酸っぱい青春の町のひとつでもある。そう、まるでりんごのような・・。そんな味の町だ。約30年ほど前青春18切符で乗り継いでやってきた記憶がある。ねぶたのはじまる少し前。夏の賑わいがこれから始まるという青森は、祭りを待つドキドキ感があった。それに比して冬にここを尋ねると次は厳しい冬に備える静かな覚悟のような張りつめた空気をも感じる。

最先端というのは、いかにもロマンチックで、出会いと別れ、解放感と寂寥感の両方を感じるものだ。
でも、本州最北端は、先に北海道があるので、先が見える安心感がある。
北海道に向かう海を見ながら、今年の自分の軌跡を見つめなおす。

地図どおりになっているな~と地形をそこに立ち、リアルに見ることはとても楽しい。そして、ずっと歩いて地形をみて地図を作った人は本当に偉大だと感心もする。
まもなく、ここに新幹線が開通するとのこと。
地下トンネルを高速で走っていくと見えない、先端の感覚。
この景色を目に焼き付けておこう。時々先端に立つ。自分が大地に立っていることを実感する瞬間でもあるから。

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「今年のうちに、行かなくっちゃ」

1年半ぶりに大船渡をたずねる。マイオリジナルソング「かもめりぃ」のふるさとだ。この曲がアルバムに入ったこと、そのアルバムができたので、地元でお世話になった方に報告したいとの思いでの訪問。
来年になっては意味がない、今年できたことは、今年のうちに報告し、感謝し、そして次につなげる。形になったら行こう、行かなくちゃ!とずっと思っていた。そのことがやっと実現した。
いつも大船渡に行くたびに、何から何からお世話になる方がいる。ありがたい。車に乗せていただき、市内の目的地に出向く。
地元新聞社をたずね、そちらの記者やコミュニティFM局のスタッフにもお会いし、いつの間にか取材モードになる。
そのあと、2年ぶりに大船渡の町の変化を見に行く。まだ仮設住宅が多数あり、流された住宅の跡地が広大な空き地となって残っており、いたるところで工事が進んでいる。改めて、被害を受けた、免れたの境界線はまさしく紙一重であることを知り、それがそれぞれの人生の分かれ目になっていることを知り、心が痛む。まだ復興半ば・・そのことを改めて感じながら、1年ぶりに目的の老人施設をたずねる。ここでのライブがきっかけで生まれた曲が入ったCDを届け、報告、表敬訪問のつもり・・が、中に入ったとたん、コンサートの会場にしつらえてあることを知る。入居者の方たちが椅子に、車椅子にのり、大勢が私の登場を待っていた。あれ?今日はライブに来たのだった??
思わず今日の訪問目的を確認してしまう。そう、どうせ来たならば演奏した方がいい・・・とは思っていた。だから、違和感なくにわかに演奏を始める。1年と4か月ぶりの大船渡でのミニライブ。お年寄りたちが手をたたき、喜び、泣き、ある人は音楽の効果か、どなたが大きい声で眠いと言い始める。(笑)そうそう、これでいい。
クリスマスソングからシャンソンそしてオリジナル・・・最後は完成した「かもめりぃ」で締める。わずか15分のミニライブの完成だ。多くのあたたかい拍手をいただき、急いで帰路につく。
今年のうちにいかなくちゃいけない、しなければいけないこと。その仕上げに入っている。
大船渡にきて、自分なりの課題をひとつこなした。よし、明日は次の「今年のうちに・・・」にとりかかるとしよう。

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愛される努力、愛する努力。どちらも大切。

世間はクリスマスムードが高まっている。花卉業界の方に聞くと、ポインセチアの販売はもうピークを過ぎ、来週になると残り物しか出回らないのだそうだ。
そして広告はジュエリー、シャンパンなどが目立っている。
やはり世の恋人たちは、ちょっと非日常のレストランに予約をとり、乾杯をして、プレゼント交換して愛を語り合うのだろうか。本当に今も、クリスマスってそのように過ごしているのかな?
いずれにせよ、平日の当日ではなく休日や祝日にというケースも多いだろうが、ま、そんなイベントを楽しめるのも平和な証拠。
と、実はここまでが前置き。最近、思うことがある。高齢化社会における「愛されることについて」である。健康長寿とはいうけれど、本当に人々が元気でいられるのは、「愛」のおかげと思う。
孤独な老人ほど悲しいものはない。家族にも近所にも、友人たちに親しまれ、大切にしてもらえる人は幸せな老後を送っているはずだ。たとえ病気であっても、応援してくれる、見舞ってくれる人がいる限り生きなければと力が湧いてくるはずだ。
どうせ生きるならば、いくつになっても、人に愛される人でいられたらいい。多くの人にでなくてもいい。そのためには、努力が必要だと思う。
普段から人の気持ちがわかる、わかろうとする、優しくする、見守る・・・。いろんなことが愛の努力だ。優しい人、明るい人、元気な人は人に愛される。自分勝手な人、人の話を聞かない人は愛されない。瞬間風が吹くように、人が通り過ぎていくだけだ。
最近、もし長く生きてしまうならば、「かわいく、かっこいいマーサばあ」にならなければと思う。
それは自分の母親を見て、そう思う。愛されるには愛する努力を怠ってはいけない。
要するに、人に尽くすことを忘れないということかな。孤独な老人の死がこの年末、増えませんように。

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愛の元気人クリスマスライブIN上越 レポート公開

さる12月11日(金)上越のライブハウスBiSで開催しました表記ライブの様子を
グラン・ルー公式サイトに公開いたしました。

愛の元気人クリスマスライブ IN 上越

今回も多数のご参加、誠にありがとうございました。

2015年のライブツアーはこれにて終了ですが、引き続き2016年1月25日の長崎ろまんコンサートが、本ライブツアー最終プログラムとなります。
皆様、次は長崎での初開催。多数のご参加、心よりお待ちしております!
(ただいま好評受付中。定員になり次第、受付終了です)
愛の元気人ライブツアー参加申し込み
引き続きのご支援をよろしくお願い申し上げます。

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「この人、美人?」の答えは?

ライブチラシやCDジャケットなど 自分の写真を使うことがあるが、演奏中の横顔の写真が多い。
現在開催中のライブツアーチラシもそれを使っているし、公式サイトの現在のトップもその写真だ。この写真1枚でいろんな声が聞けて本当に面白い。
「かっこいいっすね~。これよく撮れましたね~」「いえ、わざわざ撮影したのじゃなく弾いているところの写真です~」という会話から、このCDを家で聴いていて、家族がそのジャケットを見て横顔の写真=今尾昌子 と覚えられたようで、「今日、あの人と一緒なんだよね」といいながら、あの人というところで、その旦那さんも横顔のポーズをとられ、名前ではなく「横顔の人」ということになっている話まで、1枚の写真で話題が広がったりするのは面白い。
とくに今回は面白いエピソードが・・。新天地でのライブのご案内を知り合いの方がその先の知り合いの方にしてくださっているとき、このチラシを見て「この人の写真横顔だけど、美人なの?」と聞いた人もおられたとか(知り合いがどう答えたかは、怖くて聞けなかったが)、また初めてライブにおいでになったお客様に「あなたが今日の演奏者の人なの?全然チラシの写真とイメージ違うね」と言われ、思わず「どっちがいいですか?」と突っ込んだり・・。ま、この写真にすることで、写真のもつ効果をいろいろ考えるいい機会となる。
さて、その横顔の人は、弾いているとき、いろんな顔をしているようだ。
今回、初めて私の演奏場面においでいただいた方に撮っていただいたショット。
まあ、いい言い方をすれば、大変表情豊かだ。が、ま、もしこれが美人なの?と聞かれたら??
答えに困るが・・・。思いっきり、くしゃくしゃになって、歌っているのだなあ。ということで、「しわくちゃ美人」でどうか?
href=”https://www.grnr.mahsa.jp/blg/wp-content/uploads/2015/12/12339105_911806328906817_1719234868823956327_o.jpg” rel=”attachment wp-att-3059″>12339105_911806328906817_1719234868823956327_o12339338_911806442240139_327142838273833097_o

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1回ごとに慣れて、うまくなる。

今年のライブツアーも、後半戦に入り、初開催の会場がつづく。上越もおかげさまで無事に終了。初めてお会いする方たちにも、親しんでいただき、元気をもらった!との声を多くいただく。
毎朝6時のやりとりが恒例になっている母親とのメールで「ライブ終わりました」と簡単に報告すると「成功おめでとう。1回ごとに慣れて、うまくなってください」とちょっと気が利く言葉が入っていて感心する。そうだ。何事も1回づつ、その回数を重ねることで確かに上達していくものだ。場数をどれだけ踏んだか。場数を踏むといろんな状況もイメージできるので、より完成に近づくことができる。いきなり、ある日突然上達するということはない。なんでも1回ごとだ。今回のライブツアーでもそのことを毎回実感している。そう、1回ごとにもっともっと!を目指していこう。そしてその1回1回を途切れないようにしないといけない。

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