脱所有の生き方へ

今年もどれほど多くの消費をしたことか。そしてどれだけのをゴミをつくっただろう。
この情報氾濫社会、欲望社会においては、よほど自律心、倹約の意識がないとすっきり生きられない。自分もまだまだ未熟な人間だと年末になると猛省する。
いかに多くのモノ、紙を捨てていることか。デジタル社会になっても、使用する紙の量はあまり減っていない。そしてまだまだモノを買う無駄な習慣からも抜け切れていない。
クリスマスには世界的にギフト交換がされただろうが、その直後には恐ろしいゴミが出ているはずだ。ラッピングペーパーからギフトボックスから段ボールから・・・。アマゾンを注文してもいつも思う。アマゾンから出る段ボールはいかほどかと。
人の欲望を満たす=無駄が生まれる。正直、全然ECOな暮らしなんかできていない。そのことをもっと意識しなければならない。買わなきゃいいのだ、でも買っている現実。
来年こそは脱所有。いろんな所有を求めず、新たなモノを欲しがらない、巻き込まれないようにして、もっとスッキリいきたいものだ。
収納・整理は人から言われてできるものではなく、自分の意識変革が必要だ。
最近は、もしここで死んだら、ごみの整理だけでも人に迷惑がかかる・・と思い、捨て始める。そう自分のごみぐらい自分で処分しておかねば。もちろん生活するということはまったくゼロにはできないけれど、できる限り意識して無駄なものを持たない人生にしないと・・。
いやはや、それにしても恐ろしい紙の量。大変罪悪感を感じる年の瀬だ。
もたない人が素敵だ。所有から経験と内面の充足へ。目を覚ますのに年越しはちょうど良いかも。

カテゴリー: Essay (Word) | 脱所有の生き方へ はコメントを受け付けていません

年末に、命の洗濯?心身の整理を。

クリスマス、お正月と一見楽しく、何もなければ平和で幸せな催事?が続く1年の変わり目。いったい何に向かってみんな急いでいるのだろうと思うぐらい、自分にとっては静かな年末を過ごしている。そして何か「さあ!」と前に元気に押し込むような気にもならない、普段以上に淡々と過ごしている週末だ。むしろ、振り返りをしたり整理をしたり・・。そう、心身共に整理をしなければとは思っている。
最近、信じられない、人の急死を知り、いつどこでどう終わるか、自分の最期は?と明日こそわが身かも?と思うことも多く、生きることの難しさも改めて知る。
と書くと、なんと暗い年末を過ごしているのだろうと思われるかもしれないが、決してそうではない。
意識するかしないかだけのことで、生きることは難しい。だから生きがいがあるのだろう。
それにしても、楽しく新年を迎えるはずだった人たちが、そうできない。という人たちが世間にいらっしゃることを思うと、なんとも切なくもなる。
無事でいられること、平和に生きられること、したいと思うことができること、自由に動けること・・すべてのことに感謝せずにはいられない。
年末は自分にとってそんな時間だ。
さあ、今年のうちに整理をもっと進めるとしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | 年末に、命の洗濯?心身の整理を。 はコメントを受け付けていません

年末のディープマラソンミーティング

年末になると、今年ぜひ会っていかねばならない人、お世話になってきた人との
久しぶりの再会時間をとりたいと思う。個人で仕事をしていると、忘年会など組織的に飲食するよりも、大切な方と個別に時間をとり、マンツーマンで語り合うのが何かと良い。この1週間、時間が取れる限り各地へ出かけ、お会いすべき人と再会し、プレゼント交換もしながら、1年間の様々な変化を語り合い、また聞きあう。
元上司のおじさまたちとの面談も大切だ。次、いつ、実現できるかわからないから。遠くても駆けつける。自分の奇怪?奇妙な挑戦に巻き込まれ、助け船を出してくださった方とも、またいつも困ったときに聞き役に徹してもらってきた方とも・・。年に何度も会わない関係であるが、すっかりしっかりつながっている相手だとつきぬ話題から再認識をする。
気が付けば4時間以上の時間が経過。よくそんなに話題があると思うが、本当にネタが尽きず、それぞれ我ながら驚く。
またしばらく会わないでそれぞれの時間で生きる。困ったときは助け合い、心配しあう。会いたくなる、会わなきゃいけないタイミングでまた再会する。
1年を通じて、やっぱりいろんな方にそれぞれの側面で支えていただいてきたということ。自分のちっぽけな器量に対し、周囲の方々は寛容で、いつも見守ってくださる。
1人の相手と毎日4時間語り続けることができるのは、ありがたい。
話しながら、聴きながら、自分のことを振り返りつつ、心の大掃除をさせてもらっているのかもしれない。まだまだマラソン面談は終わらない。

カテゴリー: Essay (Word) | 年末のディープマラソンミーティング はコメントを受け付けていません

本日、愛の元気人12月分オンエアです。

本日12月26日18時~19時、FM KENTOでハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」12月分を放送いたします。
11月27日新潟モノリスで開催のディナーショーの様子もお伝えいたします。
ゲストは国産仏壇専門店「仏の蔵」代表の熊倉暢治郎さんです。
楽しいトークと音楽をたっぷりとお楽しみください。スマホアプリやネットからもお聴きいただけます。
FM KENTOFM KENTO

カテゴリー: Info | 本日、愛の元気人12月分オンエアです。 はコメントを受け付けていません

年末だからこそ、自分に向かい合う

ある日、突然人生を終えることもあり得る。そうならないこともあり得る。
人間とは本当はこの上なく不自由であり、そういう面では平等だと思う。
好きな場面で瞬間に命絶えるのはある意味幸せか・・についても考える。
周囲にとっては耐えられないことであっても本人にとってはどうか?
また夕食をともにしながらも、別々に隣の部屋で寝ている間に、パートナーが窒息。・・・そんなことも身近なところで・・。
自分っていったい、どんな最期を迎えるのだろうか。年末に向かい、そんなことも頭をよぎる。
徐々に弱り、いつか命終わる自分を想像しながら、生きていくのか。そのことは考えずにただ自分が目指す道をひたむきに走り続けるのか。
両方必要なことだと思う。
覚悟もしながら、でも何もしないでいるのではなく、今与えられたこと、今すべきことを精一杯にやる。仕事でもなんでもいい。
目の前のことをとことんやる。無我夢中なるほどやり尽くす。それが本当の意味で自分と向かい合うことではないかと思う。
年末、悲しい報せをいろいろ耳にしながら、自分の最期も他人事ではない現実のものとして受け留めつつ、なんやかんや苦しくても文句言いながらでも、それでも毎日目覚め、動き、食べ、眠ることを繰り返している自分。
生きている以上、こうなんだ。これしかないのだ。だから、やりたいこと、すべきことをもっとやろう!

カテゴリー: Essay (Word) | 年末だからこそ、自分に向かい合う はコメントを受け付けていません

奇跡よ起きて!のクリスマス

先日のライブではお料理でお世話になり、その前から会社のことも応援させていただき、社員さんには勉強会にも参加いただき、いつもほほえましく、頼もしい会社だと大好きで・・・。ライブ中も上司・部下ともお楽しみいただき、それぞれから温かいお言葉をいただき、とくに上司からは、「前の会場で聴いたライブよりも、迫力があり、心に染み入るものがありました。部下が今尾マジックにかかったようで、モチベーションがよりアップして、頼もしい限りです・・」と書いてあった最後に「最初に流れた八海山のDVDも感動しました。私も山に登るので、あの山の美しさがわかります・・。」と書いてあったことが印象に残り、ああ、この方は登山がお好きなんだと新たな一面を知る。そしてそのあと、届いた手書きの1枚のハガキ。丁寧なお礼状であった。そして「これからも、この地域がお世話になります。ご指導よろしくお願いいたします」と結んであり、この方は自分の会社のことだけを言っておられるのではなく、地域全体の発展を願っておられるのだと頭が下がった。
そしてそのハガキはなぜか、捨てられないでずっと机の前においてあり、毎日その文字を眺めた。そして直近の休日の夕食では、その会社のおいしい海の幸を味わい、やっぱりここの商品はおいしいなとその方や部下の顔をまた浮かべていた・・。。
翌朝、関係者から連絡が入る。富士山から滑落、心肺停止の状態で発見された・・・と。そのメールの本文とご本人からいただいたハガキの文字が同時に目に入る。
うそでしょ。嘘だよね。確かに山が好きだと先日聞いたけど、あかんよ、死んだらあかんよ。あなたは生きていないといけない人なんだから・・。あかんよ、今日はお店も忙しいイブで、これからお客様が増える年末なのに・・・。突然の報せに動転しそうになる。
まだ詳細はわかっていないと聞く。
奇跡よおきてくれ。神様、助けてください。お願いします。
捨てないで置いていたハガキのその文字。これが最後のハガキにならないで~。
信じたくない。こんなクリスマスは、切なすぎる。

カテゴリー: Essay (Word) | 奇跡よ起きて!のクリスマス はコメントを受け付けていません

「〇〇として」生きる

今年と来年は隣り合わせで、連続しているから、人間が暦を考えだしていなければ、新年という発想はない。が、実際には人間は暦に沿って、1年というサイクルを何十回も生きつづけていることになる。節目がなければ、人生はただむやみに長いだけで退屈なモノになってしまうのかもしれない。暦を考えだした人はグレゴリウスさんだったか大したものだと改めて思う。
そして、その年の瀬・・・まもなく新年を迎えるにあたり、どうせなら心身ともに新しく生きはじめたいと思う人は、来年の目標や計画を考え始めているはずだ。
私も今しばらくのばたばた時間が過ぎたあと、次への道を模索している。
そんななか、あるチェリストのインタビューを聞き、考えさせられた。
音楽を愛し、音楽と向かい合うことで、音楽家「としての」生き方がみつかる・・。
その一言は大変美しく、重い。
そう、私は何として生きるのだろう。何として生きればよいのだろう。
最終的には、「今尾昌子」として生きて、死ぬ。そのために、何かをやりながら生きていかねばならない・・・。今、自分にもっとも自然で適切でふさわしい私なりの「〇〇として」を考え続けている。答えはもうそろそろ見えてきているが・・。
新年という節目を生かすために、普段考えないことに頭を使ったり、心を動かすことは有効だ。

カテゴリー: Essay (Word) | 「〇〇として」生きる はコメントを受け付けていません

「小少軽短美」でいこう

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

企業文化を学ぶには、企業資料館を訪ねるのが良い。トヨタの資料館にも、足を運んだことがあるが、そのときは世界のTOYOTAをまるごと知ることができる有意義なミュージアムとして感動したが、それ以上に、今回訪問したSUZUKIの歴史観!には脱帽。徹底したマーケティング志向にもとづくモノづくりのあるべき姿を垣間見ることができた。
またあの85歳のお元気な経営者の背景、ルーツを知ることができ、このSUZUKIを急に好きになった。しかもあの修社長は岐阜出身でスズキ家にとっては婿さんなのだ!またまた親近感を抱く。
軽自動車は、新潟へ行くとよく見かけ、女性ドライバーの増加とともに普及してきたのだとは思っていたが、車といえば最高のぜいたく品という見方もある一方で、この軽自動車のポジショニングは対極にある。暮らしとともに、そして働く車。これが軽自動車の役割。
とにかく無駄を徹底的に省き、極限までいいモノづくりを目指す。これは全社一丸でなければできない難関だ。展示ショールームで面白い言葉をみつけた。SUZUKIのモノづくりのこだわりを表わすキーワード。
「小少軽短美」。一目でこの言葉が気に入る。
あ、私もこういう人でありたい。こういう存在になりたい。と、思わず自分とSUZUKIの車を同一視してしまった。小さくてもパワーがある。無駄がない。
ああ、いい。今年の言葉が「安」と言われているようであるが、私にとっては、はるかにこちらの方がピンとくる。よし、来年は、すべてにおいてこの5文字を実践すべく、努力していこう。

カテゴリー: Essay (Word) | 「小少軽短美」でいこう はコメントを受け付けていません

ふるさとで知る「ドーナツの穴現象」

岐阜の町を半日歩き続ける。生まれ育ち18歳で出たわがふるさと。町の変化を現時点でとらえなおし、東京と比べて、他の地方都市と比べてあれこれ比較。長良川の向かい側から、長良橋を渡り、岐阜公園から柳ケ瀬~岐阜駅まで・・てくてく、ぶらぶら歩きながら町と人の様子を観察する。
故郷といっても、自分がかつて知っていた場所は限定的であり、こんなところもあったのか、ここは意外と面白い・・。また最近はどこでも田舎暮らしを推奨し、自治体でのサポートもさかんであるが、その支援も活用し、若者らが新たな目線で柳ケ背に人が集まる工夫をしている。40年前の賑わいはないけれど、それでもマルシェやゆるキャライベントやら、小さなイベントで町に人が行きかう姿を見て、なんとなく安堵する。地方にできた大型ショッピングモールに人々が流出し、町中から人がいなくなった・・・と言われてきているが、地方のSCもどこもここも同じになってきて、人々は飽きてきているのではとも想像する。
また町中に、元気な高齢者が集まる場も増えている。路地を歩くと、ああ昔の店がこんな風になっているんだ。若い人が昔ながらのものをリメイクしてこうしているんだ・・など新たな視点での回帰現象も発見して、楽しかったりする。岐阜はもうだめかなと思っていたころもあったが、各地を巡ったあと改めて見てみると、まだまだ可能性があるな~とうれしくなる。
子供のころ歩いたことがなかった、大人の町としてのふるさとをてくてく、歩いてみる。そうすることでいろんなアイデアや発想が沸いてくる。東京で歩きなれているせいか、岐阜の町を歩いても疲れることはない。市場調査は歩くに限る。そう、ドーナツ現象はそろそろ終わり。ドーナツの穴にチャンスがある!と感じることができ、期待と希望が膨らんだ。

カテゴリー: Essay (Word) | ふるさとで知る「ドーナツの穴現象」 はコメントを受け付けていません

「いい人」は難しい。

「あの人はいい人だね~」というのは褒め言葉ではないと思う人も多いようだ。
魅力がないとか、どうでもいいとか、とくに取り立てて言うところがないから「いい人」と言うのだろうという感じで・・。
私はそうではないと思って使う。「〇〇さんってほんとうに『いい人』ですよね。」と言うときは、具体的に○○な人と言うだけではない、何か言葉にならない素敵なところがあるときだ。
総合力というか、バランスがとれているというか、やさしくて大人で常識もあって・・などなど
それらを合わせて「いい人」なのだ。
自分のことばかり考え、俺が俺が・・という人は決してそうではない。
今回もある方に、「〇〇さんってほんとう~~に、いい方ですよね」と自然に言ったら、素直に解釈されなかったので、上記のような説明をしたが、それでもすべてを実は言い得ていなかったが、意図を理解していただいたようだった。
今書いていて気付いた、私が言う「いい人」とは、いい空気を醸し出す人だ。
そういう人とは、いい時間を共有でき、いい関係も紡ぐことができる。
また、そんな「いい人」に出会いたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 「いい人」は難しい。 はコメントを受け付けていません