足音&足跡を残す人生に向けて

新年あけましておめでとうございます。
例年にない、静けさを求められる元旦となりました。
コロナをおさえるために、雪が降ったのでしょうか?
どこへも行くなと。じっとしていろ・・・と。
天の声なのかとも思います。
さまざまな現象をしっかり見極め、
生きる1年にしたいと改めて思います。
じっとしていても、少々の苦難があっても、いつも心にブーケを
抱いて、笑顔で乗り切ろうと思います。

年末に、中村哲さんの生き様を映像や文章で触れ、あんなふうに生きてみたいと
涙しながら、心からそう思いました。
まさか用水をつくったり、今から人の命を救うことはできないけれど、
私なりに、人の役に立つことを、もっともっと真剣にやりたい。
その人は遠くの人でなくてもいい。身近な人、出会いのある人、ご縁の人・・・。
60歳の自分がそんな風に生きていけるように、
今から道をつくるとしよう・・と決心する元旦の朝です。

行動の意志を伝える足音、こんな道を歩いたということを遺す足跡。
そろそろ、わが人生も、そんなことを意識していく段階になったように感じます。
2021年の自分のターゲットは、2024年60歳の自分。
ここにむかって、なりたい素敵な自分づくりの準備をはじめようと思います。

どうせ、長く生きてしまう人生ならば、そんな生き方をしていくのが良さそうです。そしてもちろん、眼の前のことも、同時進行です。
親をはじめ、愛する、大切な人や企業にしっかりと寄り添って
自分ができることを、とことんやりつくす。そうしようと強く思います。
生きるとは使命への責任を果たすことに尽きると思えるからです。

いつ果てる人生かもしれないですが、
その瞬間までは、しっかり世界をみつめ、前に歩み続ける。
中村哲さんのような愛と優しさと、強さとチャレンジ精神をもって
生きたいと思います。

皆さまにおかれまして、素敵なメッセージになりますように。

今年1年、どうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、早く世の病が 回復しますように。

              

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今年ラストの日に思うこと。

今日で2020年がおしまいだ。
毎年思うが、何をしていても、どんな時間を過ごしていても1年は間違いなく過ぎる。時は止まらない。
とくに今年は、世界中がコロナにはじまり、そしてコロナとともに終わる。
コロナは終息していないが・・・。
なんともすっきりしない1年であったが、それによる学びや気づきもあった。

そして、
今年は親のことで奔走する一年でもあった。
介護という世界、高齢者社会を支える現場に触れる
その入り口にお邪魔する1年であった。
個人的には、コロナよりこっちの方が、より現実的な問題の
連続で心身ともに振り回された。
そんななか、普通に仕事ができることの有難みを痛感もした。

いつか来ると思っていたときが、必ず来る。
そのことを痛感した1年。

いずれにせよ、
これら全ての現象、経験から
生について、一番大切なことについて常に考えることができたことは、
本当に良かったと思う。

一番大切なこと。
人生を無駄にしないということ。
人生の終わりは、いつやってくるかわからないし、自分では決められない。
頭ではわかっていることが、より現実的な問題として受け止めるようになった。

だから、
いつ終わっても良いように、
悔いを残さないように明日からの1年も進みたい。
だから、まずは今日という日を、しっかり結びたい。

2020年、お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。
いつも協力、応援いただけることが、生きる糧になっています。
私自身を支えていただいていると実感します。

どうぞ良い年をお迎えください。

皆さまにおかれまして、
そして全世界にとって、来たる年が穏やかで、平和でありますように。


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骨なし?筋肉質の心に鍛える。

面白いものだ。
いつの間にか、「心が折れる」という言葉が蔓延している。
最初は、そうか。と思いつつも、最近、若い人以外からも
耳にする機会が増えてきて、
この言葉は???と、時々疑問を抱き、かつ興味をもつ
ようになってきている。

折れるということは、もともと、心に骨はあるのだろうか?
ぼきっと折れるのだろうか?
あるいは、プラスチックや木材のようにパキッとか
バリっと折れてしまうものなんだろうか?
心は化学製品なのか?何でできていると、皆は思っているんだろう。

などなど大変気になってしまう。

そもそも、心って壊れやすいものだという認識があるのかもしれない。
確かに対人関係によって、さまざまな外的刺激、摩擦によって影響を
うけやすい。繊細だと思う。
でも、本来骨折するようなものではない。

心は、人間が生きる上で、肉体と同様もっとも大切な存在。
目には見えないけれど、この手で直接触れることはできないけれど、
自分次第で強く、豊かに、あるいは大きくできるもの。
形も大きさも自在に変化できるものではないか?
・・等と想像を膨らませてみる。

折れてしまうもの。と怖がると、人とのコミュニケーションも委縮する。
心は大切なものと思って、相手を思いやって接すれば、折れるどころか
優しく、広く豊かな心になれるはず。

心は骨なしで、くにゅくにゅして、ぷにゅぷにゅして、あるいは何
あっても決して折れない筋肉質なもの・・。
と、そんなイメージを持ちたい。

心が折れる・・この言葉には気を付けて、折れないように強く
鍛えていきたい。
健全な心があって、人は、コロナにも打ち勝つことができる。
しなやかで強い心があって、コロナと共存できる。

いちいち折れている場合ではない。人生は長いのだから・・・。

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無口が六口になって、ケロリ。

年老いた母との口喧嘩が絶えない日々。
おいていること、多少ぼけていることを
つい忘れて、真剣勝負してしまう・・。

人は口を開いて、何かを言おうとする。
主張しようとする。
言いたいばかりでは、通い合うことができない。

最近気づいたのは
無口になるということの大切さ。

じっとこらえて、黙っていること。
相手が言っていることを黙ってきく。
もういちいち反発もしない。

相手が無口になると、しゃべれなくなるはず。

今年は親のことでかなり労力を費やした気がする。
そこで学んだこともなければ。

無口は最高の武器になることもあるかもしれない。

目は口ほどにものをいう。

と思い、さて!と臨むのであるが、最初10分は無口でいられる。
その後、機関銃のような言葉に疑問が湧いてきて
一口、二口・・・・そしてあっと言う間に六口になる。
無口でいようと思ったのに・・・。
と後悔する間もなく、ゴングが鳴る感じだ。

親子というのは加減しないものだ。
本気でぶつかりあう。
そして、疲れて、最後は何もなかったように
普段の会話になる。

何口でもいい。元気に真正面でコミュニケーションできる今が
幸せだと思う。
聴く耳をもつ。仕事ではそれができるのに、相手によって
難しいこともある。
てんやわんやの年末だ。

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面識なくとも、惜しまれる人。。

年末になると、1年を振り返って、という番組、コンテンツも多いが、そのなかでも今年亡くなられた方の回想録もあり、それを見ながら、今年も本当に惜しい人たちが旅立たれたと残念な気持ちに包まれる。
とくに音楽界では、昭和の映画界・歌謡界、シャンソン界を支えてきた方、エンターテイメントのジャンルで活躍された方・・。ファッション業界をリードされてきた方、学者の方々・・。その名を一部挙げれば、志村けんさんや、外交官であった岡村行夫さん、ねむの木学園の宮城まりこさん・・・。山本寛斎さん、高田賢三さん・・。海外ではショーンコネリーさん、ジュリエット・グレコさん、そしてマラドーナさん・・。1年を振り返るときに、亡くなられた方たちのその一生に触れるこの瞬間。ああ、こういう人生を歩まれたのだ~。とこれまで知らなかったこともインプットされ、その唯一無二の人生に思いを馳せてみる。
なんとも寂しく、残念で悲しい気持ちになる。
とくに今年はコロナで亡くなった方もおられて、なんとも複雑な思いだ。

メディアに出る有名人の死は、人々の共通の哀しみだ。
面識がないのに、惜しまれるとは本当にすごいことだ。
それぞれ志をもち、人生に挑み、進んでこられた。
人々に勇気と夢を与えた。救われた人が多くいた。

会ったこともないのに涙が出るというのは、どういうことだろう。
直接会うことがなかったとしても、作品、仕事、メッセージを通じて、
感動をいただいたからだろう。

面識もないのに惜しまれる。そんな人生。とてもできないけれど、
せめて面識ある方からは、そう思っていただけるように、研鑽を続けなければと
思う。

と当時に、ひとつの時代が終わっていく寂しさを感じる年末だ。
皆さまのご冥福を心よりお祈りしたい。

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センスが光る、コロナ禍のたしなみ

今年、約40年ぶりの再会を果たした高校時代の同級生と今年、もう一度会っておきたいと思い、待ち合わせをした。
地元の岐阜駅ビル。新しくできた、チェックしておきたいと思ったフルーツパーラーなるお店。女子高校生の気分で、そこをチョイス。お店の前で待ち合わせして、「待った~?」「久しぶり~」とこれまた女子高生の気分再びという感じで再会を喜び、ゆったりした席をキープし、思い思いのオーダーをして、すぐさま語り合う。その店には、アクリルのパーテーションはない。おしゃべりする女子高生には注意が必要だ。
最初はマスクを着用して、話しはじめる。
ドリンクやケーキが提供され、「いただきます」。のときは当然マスクを外す。
その後、食べたり話したりの繰り返しになるが、さすがにマスク会食を心得ていても、会話もしながら、いちいちマスクを食事中に付けたり外したりは難しい。

そんなときに、その同級生の彼女、おもむろにバッグから何か小物を出した。
なんだろう?袋に入った小物。彼女は袋からそれを取り出す。
!!扇子が出てきた。小ぶりのちょっとエレガントな感じのものだ。
おかしいな、この部屋そんなに暑くないし、ケーキやアイスを食べているのに
暑いのかな?もしかしたら、久しぶりの再会、炸裂トークで興奮で暑い?まさか?と思っていたら、彼女はマスクの代わりに、その扇子を使い始めた。
話すときに、扇子で口元を隠すのだ。
私は瞬時に、感動を覚えた。なるほど。そう出たか~。
この1年間、このようなコロナ対策をする人は初めて見たのだ。
素晴らしい!
扇子は食事中、マスク代わりになる。確かになる。
見た目もおしゃれで、本人にも、相手にもいい感じ。
アクリルや、ビニールとか、そんな無機質なもので距離をとるケースをずっと見けてきたが、扇子を使うとは、なんとコミュニケーションの「センス」があることか。
洋行帰りの(今は無理であるが)貴婦人のごとく、はたまたベルサイユのばらのマリーアントワネットのような優雅さをも感じる。・・とそんな印象だった。

さすが、彼女はバイオリニスト。品格ある世界で生きているから、このような
たしなみが日常なのだ。男社会のビジネスの世界では、こういうスタイルは皆無・・・。

マスク会食、あるいは商談でも何でもいい。季節問わず扇子をバッグに入れておく。早速やってみようと思った。
2時間におよぶ会話も、おかげさまで快適で、楽しい時間をいただいた。
改めて、彼女、なかなかセンスがある。
違う世界で生きる人と時々会うことは、互いに何かと刺激になる。
「また会おうね~」マーサではなく、「いまおちゃん」と呼ばれていたあの時代がまぶしく蘇るひととき。やっぱり、宝物だ。

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明暗を乗り越え、光に向かいて

クリスマス。たまたま出張していた都内で。
丸の内の夕方は、大変にぎわっていた。
何が昨年と違うのかといえば、どの人もマスクをしているぐらい。
この光景に慣れてしまったけれども、昨年まではまったくなかった世界。

また、ケーキ店の行列は、例年より多いような・・。
チキンを買って行く人も大変多い。
普段店内でチキンを売っているファーストフード店では、サンタの
帽子をかぶったスタッフたちが、店頭でチキンを元気に販売。
「私、二本ください」
そんな声が聞こえる。一人暮らしかな?そんな想像が膨らむ。

コロナでもクリスマスなんだ。
しかも 自宅で過ごすクリスマス。
今年は、家で家族で、ひとりでゆっくりしよう。
クリスマスから、この年末年始に向けて、
元気が良い、フードサービスや食品業界。

一方、ディナーショー、クリスマスパーティーや忘年会・新年会。
いわゆる外食産業や宿泊業、遠距離の交通機関にとって、今年は史上初、
かつて経験のない大変で過酷な1年を閉じることになってしまい、
本当にお気の毒だ。
自分たちでできる努力をどんなにしても・・お客さんが来られないのだから
どうしようもない。

そして医療業界。
うかれる若者、緊張感をなくした人々の賑わいとうらはらに、医療業界では
救える命が救えなくなると、これまでなかった緊迫感が漂っている。
クリスマスどころではない、深刻な状況が続いている。
せめて、静かに過ごして、少しでも感染がおさまるようにせねばならない。

今、思っていること。
コロナで今年は全世界が揺れた。もうあの日常は戻ってこないのかと
絶望も生まれた。
それでも、それなりに生きている。生きていかねばならない。
そして、今、生きている。
状況がどんどん変わっている。動いている。
ずっと同じ状況ではない。

今ある明暗も、時間とともに変化するだろう。
いつ逆転するかもしれない。
知恵と工夫と、主体性。
ある人によると、時代は風の時代に入ったとのこと。
風向きをしっかり感じながら、光に向かって吹かれていこう。
町のイルミネーションに包まれながら、2021年への光を探し始める。

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勇気あるリーダー。

時期アメリカ大統領になるバイデン氏。アメリカ史上、最高齢での着任になるという。高齢化社会でもあるため、それはそれで珍しいと思わないし、日本も他の国もかなりの高齢者が今だにその座にしがみついている例も少ない職業のなか、
バイデン氏の挑戦は、好感をもってみている。
アメリカがまともに、普通に、あるべき国に戻ろうとしている。
そのことに対して拍手を送りたいと思っている。
平和になんとか交代してもらいたいものだ。
そのためには、なんとかバイデン氏には元気にいてもらわないと。
コロナにもかからないように・・・。
そんななか、ワクチンを自ら率先して接種される様子が世界中に流れた。
正直、勇気があると思った。

その前に、歴代の大統領たちも接種されると聞き、いいことだと思っていた。
リーダー自ら、良いと思っている者に対しては、自らが体験しなければならない。
日本の場合は、どうなるだろう?

とにかく、勇気をもって社会の改善に、問題解決に向かおうとするリーダーこそ、尊敬に値する。
高齢であっても現役の方は多数おられる。どうぞ、健康により一層注意されて
任務をまっとういただきたい。

勇気あるリーダー。日本にいるか?
もちろんあるべきリーダーは、嘘を重ねたりはしない。


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すべて、視覚からはじまる。

毎朝のように、早朝にクラシック番組を流しながら仕事をする習慣がある。
ピアニスト、歌手、バイオリニスト・・・。さまざまな演奏家について
知り、学ぶ。
まず、第一印象が大事だ。見た目。容姿はもってうまれたものであるが、
衣装や表情・・・これらでかなり印象は変わる。
音楽家とは、見えない世界を表現するから、その演奏者はその世界のイメージを
表現している方がより伝わる。
以前、あるピアニストが庶民の人生を描いた作品を弾くのに豪華な衣装は不釣り合いだとして、それ以来パンツスーツで演奏をするようになったという話を聞いたことがあり、大変共感したことがあった。
演奏者がそれぞれ衣装にこだわったりするのは、自分の思いの表現である。
見た目がすべてとはいえないが、視覚的アピールは演奏上、大変重要だと思っている。
醜いとせっかくの演奏が・・。見られていることを意識しながら、表現する。
演奏という仕事は、なかなかむつかしい。
その音楽は、私たちの生活に不可欠な存在だ。
心豊かに、人生を楽しく、導いてくれる。
ときに癒し、ときにエナジーを、聴くものに与えてくれる。
目に見えず、瞬間に消えていく、その芸術の力は凄い。
そこでの見た目は重要なのだ。
あまりに見続けられない場合は、目をつむって聴く。そんなこともある。

見た目という話から、音楽以外で、こんなことも浮かぶ。

料理。こちらも人が生きる上で不可欠な存在だ。
こちらも人に栄養とエナジーを与え、そして笑顔と幸せをもたらしてくれる。
この料理も、実は第一印象が大事だ。
どうやら、人が美味しいと感じるのはほとんど視覚による。
実際の味より、見た目で人は美味しさを想像し、感じる。
見た目まずそうな料理は、実際まずいということになる。

だから、料理店では、ケーキ店では・・・どの店も見た目を重視
している。

最近、音楽と料理の関係に興味があり、両者をそんな目で見始めている。
いずれも、瞬間が永遠。人を幸せにするという点では人類上、最高のギフトだと思うが、いずれも見た目が決め手になるのだ。
つねに見られているということを忘れずに、表現していかねば。

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このまま過ぎてはいけない。

久しぶりに地元の方のライブに行ってみた。自分が普段演奏している同じ場所で、他の人はどのように演じるのだろうか?興味関心と何か新しい発見を求めて・・・。
コロナ禍でのコンサートは大盛況にはなりにくいが、それはそれで静かに聴き合うという点で悪くない。
アーチストはそれぞれできることが違って、想いもあって、その人らしさが滲み出て良い。
今回拝聴したのは、ギターの弾き語りで、いわゆるフォークソング的なカテゴリー。その方も自分で作詞作曲されている。
日頃より子どもを対象にしたお仕事、活動をされていることもあり、曲も子供のことを思ってかかれたものがあり、音楽はそのヒト自身を現すものだということを改めて知る。

今回学んだこと。コロナ禍だからこそ、今こその新曲ができるということ。
コロナだから感じたこと、思ったこと、知ったこと・・いろいろある。
いろんな感情も生まれた。
それを歌にする。今を生きた証しのひとつとして。

すでに世界では、コロナをテーマにした曲で話題になっているシンガーもあると聞いているが、それをわざわざネタにしなくても良いが、今こそ生まれる作品はあるはず。
と、思うと、このまま過ぎてはいけない。と思えてくる。
今すでにあふれんばかりにある、さまざまな思い、感情を忘れないように、まとめておかねばならない。
よし、次の演奏会では新曲を。
と、久しぶりに、そんな気持ちになって、お尻に火がついた感じ。

コロナだから・・といって、創造を活動を止めてはいけない。むしろ前に。今がチャンスだ。

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