環境変わっても、変わらない「本質」。

みらいさんと呼んでいるおじさま。
お友達というには、人生の先輩であるが、
心からの会話ができる人を友と呼ぶならば、この方も
そのおひとりだ。
そのみらいさんとは長崎が好き、タンゴが好き・・、印刷畑
出身・・などなど共通点が多い。
勉強家で、教えてもらえることが多くて、一緒にお蕎麦を
頂く時間は宝物。
薬味を入れず、からしでいただくとは、本当のそば通。
そう、お蕎麦はわさびでなく、からしでいただくのも
とても美味しいことを教えてくれたのは、この方だ。

そのみらいさんが1年前に病に伏され、しばらくメールも電話も
再会も叶わなかった・・・が、元気に復帰され、久しぶりに
元気なお顔を見せあった。
99歳まで現役でやりたい、との夢は今も変わらず、どんな
ことにも妥協せず、また人のことを考え、社会奉仕のごとく
仕事をされる。
「金儲けは苦手なんでね~」
といわれるのも、わかるような気がする。
1年半ほどゆっくりお会いすることがなかったが、
本当に再会を喜んでくださった。

「昨日は楽しかった~。お互い、環境変わっても、
自分という本質が変わっていないところが嬉しかったです。」
というメールをいただき、
そうだ、人生とは環境はどんどん変わるのだ。
病気で変わることもあれば、引っ越しで変わることもあれば
年齢で・・・とにかくどんどん変わるのだ。
それでも、一本貫ける自分らしさ。
変わらないのは、どう生きたいのか、何をしたいか・・の
想いがいつもあるということ。これが日々の行動に出る。
これを久しぶりに会っても、共感できるところが
何よりうれしい。

また会えますように。
なぜか、最近大切な人たちに会うたびに、
また会えますようにと念じてしまう。
何が起きるかわからない世の中だから
そう思っておいた方が悔いがないのだろう。

また会えますように。
そう思う人がいること、
そう思ってくれる人がいてくれることに
感謝して、1日を1日づつ生きたい。

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どれだけ移動?本当に前世ジプシーかも?

最近、歩くときにはアイフォンを持参するようにしている。
電話やメールが気になってのことではなく、万歩計代わり。
調子いい時は1万歩以上歩いたときだ。
これはとてもいい健康管理。

一方、毎週のように激しく移動している。
最近は名古屋という拠点も加わり、その移動距離が長くなって
いるようだ。
昨日の場合。
名古屋~長野~上越妙高~十日町。まずはここが第一活動拠点。
特急、新幹線、三セクのワンマンカーを乗り継ぐ。
仕事を終えて、十日町から長岡まで・・・のはずが、打ち合わせが伸びて
電車がなくなり、知人の車で移動。
「東京や名古屋じゃないので、こういうことは日常茶飯事。気にしないで」
と送ってくれる。
本日、明日午前の長岡での仕事を終えたら、長岡から東京~都内で用事を
済ませ、そのあと横浜、さらに新横浜から名古屋へ。
という工程で1日が終わる。

だから、毎回どんな風に動くのかをかなり真剣にイメージし、段取りする。
たぶん、私の人生が終わりを迎えるとき、
「よく動いたな~」
とつぶやくだろう。
そして、いろんな旅先を懐かしく思い出すだろう。
もし、マイル計算できるとしたら、世界一周はまだ回っていないか?
でも、かなりかなり動いているような気がする。
動けるうちに、できるうちに・・・。

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たまには、若草物語のように?

久しぶりに妹と二人で話す。
この年になって、生涯のことを、きちんと語れる家族の存在はありがたく、
私にとって、妹という存在は世界に一人しかおらず、
親と等しく、また同じ親から誕生したご縁という点では
大切な存在である。

と、そんなことも若いときはあまり考えたことがなかった。
「若いときから、離れて住んでいたからね。」
そう、ねえちゃんは18歳で家を出てしまったから・・
妹の大切な時期にそばにいなかった・・・。
そのことが、いい距離感にもなっていたのかもしれないが
とにかく、最近は親のことやそれぞれの人生のこともよく話す
ようになってきた。
私がこれから、どんな風に生きようか、という話をすると
とても興味をもち、一生懸命に耳を傾ける。
「やっぱり、人に喜ばれる仕事がいいね。なんでもいいからさ」
と言いながら、最近、喜んでもらい自分も嬉しかったことを
話すと、妹は自分のことのように頷き、喜びをともにしてくれる。
そう、有名になるとか、お金を儲けることよりも、
まずは、人が喜ぶこと。
このことをするのがいいね。
もしかしたら、このことは親たちが無意識のうちに教えてくれた
ことかもしれない。

そう、いくつになっても、喜んでもらえる仕事。

よかったよかった、あんたに会えてよかった。
あんたのおかげで、長生きできるわ。

と近所のおばあさんたちが、私の演奏や話を聞くだけで幸せだと
思ってくれていることだって、大きな誇り。

いくつになっても、謙虚で感謝を忘れず、
そして、
一人でも多くの方に喜んでもらえることに心と力を注ぎたい。

と、妹との会話で、大切なことを確認できたことが
何より。

ときには若草物語のように、姉妹の時間を楽しむのも
良いかもしれない。

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ふるさとで、ザビエルをお迎えする?

今年は織田信長が、わがふるさとを当時の井の口という名称から、「岐阜」と名付けてから
450周年。そう、信長公は岐阜命名の父。そんなこともあり、岐阜市ではさまざまな
イベントが開催されているようだ。
周年事業とはそのときだけ盛り上がるのではなく、これをきっかけにふるさとやそれに
まつわるさまざまな人物、その貢献に対し敬意が表されたり、愛情が深まり、継続的に
想いがつながっていくと良いと思う。
そんななか、私にとっての最高のイベントが開催されるときいた。
かの、フランシスコ・ザビエルの書簡がなんと岐阜に初上陸、日本での初公開となるそうだ。
という情報を知り、その時期に合わせ、岐阜でザビエルの岐阜入りを祝することが
できないかと考え・・。そして小さな試みではあるが、実現叶った、岐阜での
ミニコンサート。
信長と直接交流する機会がなかったものの、ザビエルの布教活動、
南蛮文化の伝来は、信長に多大な影響を与えたらしい。
ザビエルの後継者である、ルイスフロイスは信長と何度も会っており、岐阜も訪問している。
ということで、ザビエルなければフロイスが来日し、信長と交流するということは
なかった・・・。
と想像と妄想を織り交ぜ、今回、ザビエルのことを書いた「フランチェスコの夢」
をふるさとで演奏。
岐阜の人にどこまでザビエルと岐阜?の縁がご理解されているかどうかはわからない
が、歴史ある城下町の歴史に新しい風が少し吹いたらいいなと思う。
もちろん今回からNOBUNAGAへの想いを書いた作品も連続演奏。
とくにNOBUNAGA TANGOは盛り上がった。

ついに、今週後半、ザビエルの作品が公開される。もうそろそろ着陸しているかも・・。
ザビエルさん、岐阜へようこそ!の想いを込めて・・。
岐阜でザビエルと会えるとは、なんという・・・幸運、奇跡。

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本日お昼、岐阜新聞本社ロビーでミニコンサート初開催

本日7月10日、岐阜新聞本社ロビーでのミニコンサートを開催します。
今後、隔月1回の連続開催の予定です。

岐阜新聞マンデーロビーコンサート

マーサコンサート2017

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指を変えて弾けばよい。

右手の腱鞘炎が完治せず、それでもなんとかつきあおう
と奮闘しているなか、今度は、出張の移動中に左手が突然腫れだした。
「まさか・・」1年半前に初めて知った感覚がよみがえり、整形外科に駆けつけた
ところ、予想どおり腱鞘炎。
両手とも、腱鞘炎になるとは・・。とほほ・・である。

右手は利き手だから、大変と思っていたが、
左手は右手を支える大切な手。
とくに1年間、右手をかばって左手に無理をしいていた。
右手を使わないように、使わないように・・。
でも、その分がんばる左手が疲れてきたのだ。
「もう我慢できない」と悲鳴を上げたのだ。

困ったのは迫るライブ。
ピアノ演奏・・。
これまで右手だけを気にしていたが、ピアノ演奏においては
右も左もどちらも主役だ。
ベートーベンのテンペストなど、出だしの左手がきつい、
指をくぐらせると激痛が走る。
困った・・。

・・・・そうだ。違う指で弾けばいい。
子供の頃、楽譜に書いてある指番号を違う指で
演奏すると、先生に
「違う!」
とよく注意されたため、指番号ありきの奏法が
当たり前と思ってきたが、
背に腹は代えられない。
ということで、慣れないインチキ指番号で
弾いてみる。
なんとか弾けそうだ。

どんなときも、「これしかない!」
はない。
今の自分にできることを、自分全体で考えればいい。
自分が今できる形でやればいい。

五体満足でない場合でも、絶好調でなくても
できるやり方で、最高のパフォーマンスを目指すのが
プロの仕事。

指を変えて弾けばいい。
よし、本番がんばろう。

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最初で最後のお取り寄せ「鴨川まどれーぬ」

デパ地下、駅地下にお菓子やさんがあふれかえっている今日。スィーツの食べ放題などの
企画は、いつの時代も女子のみならず、男子も大好き・・というが、私にとっては、子供
のときに食べた、「洋菓子はハレの日の食べ物」と、思っていた時代のお菓子の味が最高
の味。。
たとえば、カステラ。そしてマドレーヌ。
いずれもザビエルをきっかけとし、西洋文化が日本に伝来してから、普及・進化したものだ。
マドレーヌはもともと巡礼のお菓子だったという歴史も興味深いし、
その昔マドレーヌのパッケージにはエッフェル塔のデザインが入っていたりして、
この「おフランス感」が、大好きだった。
そしてこの名前の音も文字も気に入っている。
いつかもっといかにも、という芸名を付けるときには「まどれーぬ マーサ」にしたいと
本気で思うほどに・・。すでに同名の曲もつくってきた。
そして、巡礼ならず、出張時の携帯食・朝食用にはマドレーヌをよく持参してきた。
そんな大好きなマドレーヌ。あの素朴で優しい味のお菓子がだんだん少なくなってきた。
私たちの親の世代の職人さんたちが引退されることが増えてきたり、流行りの、大手のお菓子屋に
おされて・・ということもあるようだ。

数少ない、ノスタルジックなマドレーヌのひとつが鴨川のお菓子やさんで販売されていた。
3年程前にその店の存在を知り、店に入り、懐かしき焼き菓子・バタークリームのケーキが
並んでいるショーケースに感動。
一目見て、口にして「これだ!」ととびつき、それからその街を訪れるたびに、大人買い
していた。
そして先月、再び訪れた。
「東京から鴨川へ来るたびに、寄らせてもらっているんですよ。
本当にここのお菓子は最高ですよね。美味しいですね」
すると、そこの女主人が
「そうですか~。実はこの店、7月2日に閉店するんです。40年以上やってきたの
ですが、もう高齢でできないというもんですから・・・」
この発言に衝撃を受けた。ここもなくなってしまうのか・・。

ひと昔前の、京都のマドレーヌ事件も思い出しつつ、私は購入したマドレーヌを大切に大切に
味わった。もう食べられないお菓子を味わう気持ちは複雑だ。
最後の1個を食べているとき、我慢できなくなり、鴨川のお店に電話をする。
それは閉店の3日前だ。
「あのー、マドレーヌ。できる数で結構ですから、送ってもらえますか?」
最初で最後のお取り寄せだ。
閉店後に本当に最後のマドレーヌが自宅に届いた。
「大変お世話になりました。思ったより多くの方に惜しまれましたが、70代を越えては
しんどいというので、やむを得ず・・・。ありがとうございました」
ご夫婦で40年やってこられたのだな~。
鴨川は私にとっても思い出の町のひとつだ。ここを訪れる楽しみがまた一つ減る。
どんなものでもいずれなくなっていく。
受け継ぐことも大切であるが、受け継がれず終わっていくこともある。
時代がまたひとつ・・。しみじみ、最初で最後のお取り寄せを泣きそうになりながら
いただく・・。
大切にしたいものが、だんだんなくなっていく・・のは自然の習い。でもやはり
寂しい。鴨川の青い鳥さん、ありがとうございました。長年大変お疲れ様でした。

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行列ができる病院。

この年頃になると、体の一部に変調を感じたり、異常を
みつけたりする。
若いころ、年上の人がそういうことを口にしていたのを
聞くことは何度もあったが、正直他人事と思っていたし、
自分にはそんな日は、絶対来ないと思っていたのに、
そうではなかった。
とくに最近、お世話になることが多いのが整形外科である。
どこの先生が良いか、どこだといい治療が受けられるか・・・
かなりいろいろなところを試してみたが、
最近はお気に入りができて、無理してでもそこに通うことに
している。
その医院は神楽坂から徒歩で30分近くもかかるが、運動しながら
通院も悪くない。
そして、いつも混みあっている。
受付時間前から患者さんが並び、行列ができる。
一人の先生でそんなにたくさん診察できるのかと心配するほど
であり、いつも待ち時間が200分とか、すごい数字が
受付に点灯されるが、それでも受けに来る方が多い。
その病院はMRIや治療機器もそろっており、
検査も、そして治療もリハビリにもきちんと対応している。
先生が若くて、イケメン?なのもおばあさんたちに人気なの
かもしれない。
リハビリを行う理学療法士たちも若々しくて、
病院というと、暗い重たい雰囲気があるが、ここは活気がある。
アスリートも通っているということで、前向きな診察・治療
ができるというイメージも良い。
薬や手術といった対処療法もすすめながら、自分の力で直す
指導をしてくれるところが気にいっている。
明るい、元気がある、親切である、目を見る診察を行う、
きちんとした検査ができる、治療方法に選択の余地がある。
スポーツジムへ通う感覚で行ける医者ならば、とても
前向きになれるのだ。
「わたし、治りますか?」
ではなく、
「一緒に、治しましょう。」
先生もスタッフも、患者さんをお客様として見てくれて、
丁寧にきちんと寄り添って診てくれる姿勢が素晴らしい。
ちょっと離れても、それでも通える限り通いたいと思える
珍しい病院。
生まれてはじめて、そんな気持ちになった。
もちろん若いときはどこも痛くなかったから、必要が
なかったのであるが・・・。

医療業界も、まさしくサービス業だ。心と科学の融合を
大切に・・。

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「その気持ち、わかります。」

飛行機で移動したときの話。名古屋発新潟行。ジェットではなく、小型のプロペラ機。
旅客の座る位置により、機内の重量バランスが変わり、飛行にも影響を及ぼすという、
また天候によってはかなりの揺れも見込まれる、ちょっとドキドキの飛行機だ。
それに乗る。
とにかく新潟まで無事予定どおり着くように。まさか悪天候でどこかの空港へ
行くとか、折り返して戻ってくることはやめてくれ~と心の中で祈りながら
離陸前、シートベルトを確認する。

その飛行機は、ぐいーっと角度を空方向に変え、離陸。
よし、まずは飛んだ。
あとは無事着くように・・・と、何気なく足元を見る。
すると
さっきまでなかったはずの、大きなお財布が足元に・・。
「?なぜ?誰の?」
隣の人のものか?と思い、ちょっと訪ねるが、「いいえ。私のでは
ありません。前の人のでは?」
前の人の肩をちょんちょん、後ろから
「すみません、これ そちら様の財布ですか?」
「いいえー、違います」
そうか。もっと遠い席の人のかもしれない。離陸時に機体が傾いたときに
席の下に落としたものが後ろに転げてきたのかも・・。

早く、持ち主に渡したい。人の財布をみつけたときは、どうも気持ちが落ち着かない。
この飛行機、かなり揺れるのでキャビンアテンダントもまだ席に座っている。
早く立ち上がって、客席まで来てくれないかな・・。
わたしは持ち主のわからない財布を預かりながら、落ち着かないまま
どうすることもできず、しばらく待った。

気流が落ち着くと、スタッフがようやく立ち上がった。
私は高く手を挙げて、彼女を呼んだ。
「すいませーん。さっきまでなかった財布がここに落ちていました。
どなたかのだと思うので、聞いてみて下さい」
と、財布をスタッフに渡した。とても安心。

この機内の中の誰かのものなので、これで大丈夫だろう。
すると、1分もしないうちに、持ち主がみつかった。
その方は席が離れている、前方の女性。
キャビンアテンダントが財布を私から預かったのを
すぐみつけて
「それ、わたしのです」と、名乗られたのだ。
スタッフが
「持ち主はわかりまして、大変お喜びでした。
ありがとうございました。」
ああ、よかった。これで安心して眠れる。
と一仕事終わった気持ちでいた。

すると、今度、その持ち主がスタッフに導かれて
こちらの席まで来られた。
「財布をありがとうございます。助かりました」と
ぺこぺこ頭を下げられた。正直、恥ずかしい。
何もしていない、ただみつけた、ただ機内スタッフに
渡しただけのこと。
持ち主は、名古屋空港で買ったのか、わからないが
お土産らしきものが入った袋を私に差し出した。
「これ、お礼です」。
「いえ、いただけません。何もしていませんし、
たまたまみつけただけですので」
しばらく、そのお土産を介して
やりとりが続いたが、彼女は私にそれを
渡して席に戻られた。が、わたしはそれを
スタッフを通じてお返しした。
やっぱりお礼をいただくほどのことは何も
していないのだから。
押し問答がしばし続き、ちょっと恥ずかしい
ひとときであったが、無事持ち主に戻って
よかったな・・。

財布は最近、昔よりもより一層、重要な
失くしては困る存在だ。
お金以外の大切なものも入っているはずだ。
私が同じ目にあったら、パニックになると
思うから、無事持ち主のところへ戻って
良かった。
財布をなくすと、1日の生活が、当面予定が
狂うことになるのだから・・。

急上昇する飛行機ならではのアクシデント。
おかげでそうこうしているうちに
飛行機は無事予定どおり新潟空港へ、
そして持ち主は空港に着いても
私の顔を見て
「ほんとうにありがとうございました」
と声をかけてくださった。
いやー、わかるわかる。
財布拾ってくれた人は、恩人みたいな
ものだから・・。

いやー、財布、見つかってよかった良かった。
その気持ち、わかります。

ふと、自分が財布を飛行機に置き忘れていないか
どきどきしながら、バッグのなかを探り、
空港から次へ向かった。

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生きていれば、次から次へと。

ああ、またもや・・。
まさか、両手が腱鞘炎になるとは思ってもいなかった。
1年以上前から、右手での発症からかばいつづけ、なんとか利き手を
と思い、右手以外の部位を知らぬ間に酷使していたようだ。
最近の出張時、重いカバンをぐいっと持ち上げてから、
左手が腫れ、激痛が走り・・・。あの1年前の右手のショックが
再現された。
ああ、左手も疲れていた。左手に無理をしいていたのだと
反省しつつも、悔しさが痛みとともにこみ上げる。
両手の腱鞘炎とは、想定外。
でも、なるものだ。
生きていれば、これ以上もう何もない・・ということはなく、
次から次からいろんなことが出てくる。
計画にないこと、予定していないことが出てくる。
それが人生だ。
いい意味で、諦めをもち、とにかくこの状況ですべきことを
いかに、うまく乗り切るか、やりきるか。
意外にも、利き手が痛いのもどうにもならないが、
左手が痛いのは、思ったより、困るものだ。
かといって何もしないわけにいかず、じっとしているのも
ありえず・・。

ま、大事に、無理せず、ぼちぼちいってくださいな。
カラダの次なるサインに素直に向かい合いたい。

日々いろいろ起きる、それが人生。
誰かが言っていた、「死ぬわけじゃなし」。
これぐらいで、まけへんで~。
ピアノへの緊張感がさらに高まる。

と、ここまで書きながら、

そんな私の小さな次から次より、
九州の大雨が気になる。
次から次から・・。
早く雨があがりますように。
被害が少ないように祈るのみ。

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