無心のとき、没頭の時間を。

ああしなくちゃ、こうしなくちゃ、あれもこれも。日々、いろんな欲の中で生きている。仕事の中では、駆け引きもある。今は、DEAL という言葉が、さも世の中のためになりそうな表現をされている向きもあるが、取引は、基本的に自らが利益を得るための交渉であるから、腹黒かったり、計算高くないとできないし、ビジネスの世界では生きていけない。しかし、生きていく上で、戦略や戦術ばかり求めていると、どうも卑しい人間になりそうだ。そう、戦略・戦術とも、古い男時代の遺物のようで、DEALもそのうちおっさん業界の死語になると勝手に想像しているが・・。

と、そんな世界とは無縁の世界で生きることはできないか。もちろん現代社会において経済活動はしなければ生きていけないため、まったく純粋に、ただひたすらに清い心で生きる・・というのはかなり難しそうであるが、1日1時間でも、30分でもいいから、無心になれる、あるいは何かに没頭できる時間がもてると良いと思う。

最近、35年前にピアノを教えていただいた先生と再会したが、今も先生は「音楽はお金もうけにならないのよね」と言われつつも、「でも、私はピアノが好きだから」と、にこにこされている。なんたる幸せな生き方かと、感動する。
音楽の価値とは、戦略戦術、DEALの世界とは無縁だ。もちろんこれが「音楽業界」ともなれば、別の話であるが、そこではなく、求めたいのは、無心・没頭の世界がもたらす価値。

どんなに忙しくても、どんなにハードであっても、「無心」「没頭」のひとときを大切にしたい。
純粋な気持ちで生き続けるのは難しいけれど、毎日そんなことも意識したい。

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風化しないために、出来ること

どんな大事件も大災害も、とくに自分の身に直接ふりかかっていなければ、時間の経過とともに忘れ去られていく。おそらく世の中の多くの事象がそうであろう。

でも、その被害規模に関わらずその経験が無駄にならないよう、同じ苦しい経験を繰り返さないためにも、そのことを忘れないようにすることは大切だ。全ての経験が次への教訓になるのだから。

今日であの大震災、津波から8年だ。

あの当日のことを思い出す。東京でのパニックも前代未聞であったが、日本中が世界が衝撃を受けたが、東北のみなさまのことを思うと、なんともたまらない気持ちになる。

あれから原発のことも含め、未解決の問題が山積みで、ふるさとに戻れないまま、今日を迎えておられる方も多くおられる。周りにもそんな知り合いがおられる。どんな気持ちで今日という日をお迎えかと思う・・。

オリンピックに回すお金があれば、こっちに使う方がどれだけ日本という国が良くなるかの疑問は消えないまま、時間が過ぎていく。復興が公から民に・・という報道をきくと、複雑な思いが募る。


であるが、人に何かを期待し、残念に思っていても何も変わらないので、まずは自分ができることをするしかない。
という自分も大したことは何もできない。
小さな募金活動や、ささやかな演奏活動や、現地で頑張る方への応援や・・
本当に何もしていないぐらいの恥ずかしい自分・・・。

でも、この日のことは忘れない。それぐらいはできるだろう。
家族が見つからない人のこと、ふるさとに帰りたくても帰れない人・・・
大切な人、もの・・・をなくしてしまった人・・・。

せめて、思いを寄せ、みなさんの復興を心から祈りたい。

ささやながら、今日、岐阜新聞のミニコンサートを開催。そちらでそんな思いを演奏したいと思います。

心からの復興を祈る。時間とともに厳しい現実が風化され、おきざりにならないように・・。そして。いつ我が身にもそんなことが起きるのか・・も心して、
ただただ、今日という日をしっかり生きるのに。

被災された皆様に、心から哀悼の意を捧げます。

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最小人数で店を回す、繁盛店

最近、居酒屋でも客席に設置されたタブレットを使って、お客がメニューを見て、選んで、そのままオーダーするというしくみが定着してきている。
もう10年以上前からチェーン店では導入されており、その当時は、「せっかく外食にきたのに、ネットでオーダーするなんて味気ない」とちょっと否定的で、料理を運んできてくれるスタッフにそのままオーダーすればよいのに、「ご注文はこちらからお願いします」なんて言われて、戸惑ったことも、今は昔。
その後、カラオケなどでも、同じしくみが使われ、世の中、変わったもんだと徐々に慣れてきたものの、やっぱり人に直接オーダーする方がいいなという持論は変わっていない。
 そんななか、静岡おでんを研究したいと、初めて静岡の居酒屋にたどりつく。迷ったなか、地元の人が進める、地元のチェーン店らしきお店を選ぶ。
おでん屋さんというと、もっとひっそり、カウンターごしに、店主と会話をしながら・・という感じなのかと思ったが、ちょっと違っていた。店頭に大きな鍋をおいて、もりだくさんのおでんたちがその中でスタンバイしており、豪快かつ楽しい。そんなおでん居酒屋。大変にぎわっており、予約なしでボックス席は無理、なんとか別室のカウンター席を案内され、座る。目の前に、大きなタブレット。カウンターが狭いのに邪魔だなと思ったが、メニュー&オーダーマシンだ。
それを見て、そこからオーダーする。目の前に、スタッフがいても、マシンからオーダーしないといけない空気。
最初は、「すみませーん。」とオーダーしそうになったが、他のお客さんの様子からも、手元でオーダーするのが良さそうだ。
最初、抵抗もあったが、料理がスムーズに出来上がり、テーブルに運ばれるのを見て、何の問題もないことを知る。料理を運んできた女性は、名札を見る限り、外国人だ。元気いっぱいで真面目なスタッフ。でも、料理について質問したりすると、ちょっと不安かもしれない。何より、「てんちょう~」と彼女が店長に質問すると、店長の手をとられそうだ。このお店、カウンター10名ほど、ボックス席含め、40名ほどは収容できる店なのに、なんとこの店長と外国人スタッフの2名でホールとカウンターを回しているのだ。しかもこの外国人スタッフの名札には、青葉マークもついており、入りたてということだ。
こんな忙しいお店、しかも人手不足には、この注文パネルは大変有効なのである。オーダーはマシンで受け付けるが、料理を運んでくるのは元気なスタッフ。そして、何よりも料理がおいしい!ここが一番だ。
飲食店である以上、まず美味しくなければならない。これが前提で、次はどうサービスするか。人手を割けない以上は、このやり方は大正解なのだ。
東京だけでなく、地方都市でも、この方法は定着しつつある。
無意味な動画をSNSでアップしてしまうような、人材がいるよりも、少なく効率的に回していくほうが、効率も良く経営的にも安心だ。
初めて入ったお店ではあったが、外国人の新スタッフを指導しながら、店を切り盛りしている店長に感動。(彼の風貌はボヘミアンラブソティ風である)
帰り際に思わず、彼の胸についた名札の名前で声をかける。
「ジョンさん。今日初めてきたけど、すごいね。こんな忙しい店なのに、よく二人で回されて。感動したわ。大変と思うけど、がんばってね」
すると、若き店長は意外そうな顔をして、
「いやー、そういってもらえると・・・。ありがとうございます」
店は、店長に支えられていると改めて実感。
静岡にはおでん屋さんはあまたあるが、またこの店に行こうと思った。
人材不足のお店で、がんばっているお店に心からエールを!

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恐るべし、デイサービス。

運転免許を返納し、体力気力と不安な日を送っていた父にデイサービスをすすめ、通い始めてもう半年ほどか。
週二回の半日の外出ではあるが、決まった日に行く場所がある、やることがある、会える人がいる。そして体を動かし、口を動かす。世間との大切な交流の場として、重宝している。
デイサービスはお年寄りの駆け込み寺のようだ。
送迎サービスから、体調管理のサポートから、そして話し相手まで・・・。
家族にとっても、本当にありがたい。

何より本人が喜んで出かけていき、みるみる元気になったことがうれしい。
免許を返納したあと、生きがいを失くしていたかに見えた、父がなんともいい感じで、若返った気がして・・・。
おまえに夫婦のコミュニケ―ションも改善?

わが家だけでなく、他の家庭でも、デイサービスのおかげで、99歳のおばあさんが、みるみる若返って元気になったというのを見聞きし、驚いた。
もう先が短いかもしれないと、もう一度会っておかねばという気持ちで会いに
出かけたら、大変若返り、お肌のツヤもよく、会話も成り立つ。
100歳近いおばあさんが、デイサービス担当の若きス男性スタッフをお気に入りで、その人に会いに行くのが楽しみで・・・なんて、話を聞くと、福祉のお仕事をされている方は、本当に大したもんだと感心、感謝だ。

一方、お年寄りがこの素晴らしい福祉制度により、どんどん元気に長生きされることはうれしい反面、長生きされる家族の負担についても考えてしまう。

人は命を与えられている間、生きなければならないのだから、どうせ生きるならば元気に楽しく。そして、できれば、自分の場合は・・・とあれこれ考える。
働ける間は、働く。動ける間は、動く。いずれにしても、楽しい人生をつくるのは自分であり、それは今からの積み重ねでしかないが、
まずは、親たちが元気に人生を終えられるように、笑顔で楽しく人生を結べるように・・・。


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花なし、雨の墓参りもよし。

もうすぐお彼岸だ。でも、その日にお墓に行けない人も多くいるだろう。

雨の平日、お墓まいりにつきあう。
お墓にいく道すがら、花屋もなかったのもあるが、
「雨だから、何もなくていいよ。線香も濡れるし、今日は何もなくていい」
へ?そんなでいいのかな?と思いながらも、ま、いいかとついていく。

これまで、お墓まいりで、天気の悪かったことは一度もなかった。

傘をさしてのお墓まいり。敷地内には自分たち以外誰もいない。
相方は車から洗車ブラシを持ち、両親の墓石に向かう。
「今日は、これだけでいい」

一年ぶりだ。

いつもながら、息子が親の墓を掃除するのを、私は助手のように後ろに立って
必要なことは手伝いながら、それ以外はじっと相方の背中を見守る。
墓石に書かれた、命日の記録を見て、ああ、もうこんなに月日が経ったのかと
在りし日のさまざまな場面を思い出し、相方に出会ったのも、親御さんが亡くなったのも、すべて平成であったことを、今さらのように、思い起こす。
気が付けば、十数年も経っているとは・・。人生はこんな風に過ぎていってしまうのだとも・・。
「〇〇さん、一年ぶりに息子さん、きましたよ。」
とひとり相方のご両親に心の中で声をかける。

墓石は、洗車ブラシでみるみるきれいに洗われ、雨が仕上げのリンスみたいになってぴかぴかになった。
「はい。」
一通り掃除を終え、一緒に手を合わせて、古くなった花をもって、退散する。

首都圏から引っ越して、お墓も遠くなったが、それでも一年に一度は訪ねる。
今回、花も線香もなかったけれど、息子が掃除しにきてくれて、きっと空の上から喜んでおられるのだと思った。

雨のお墓参り。
なんともいえない、静かな時間。
いい親孝行の後ろ姿を見ながら、
ひとつ空との1年ごしの、約束を果たしたような気がした。

また、いつか。そのうち。
相手を記憶していれば、相手は心のなかに生き続ける。
ふたりのいい笑顔がよみがえる。感謝をもって、ちょっと早い春の雨彼岸。








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ひとり余韻の反省会

ついつい、日々の課題に追われ、毎日を予定通りにこなすことが当たり前になっている。しかし、時にはひとつの取り組みについて、ひとりでゆっくり振り返り、それを成し遂げることができたことについて、そしてそのためにご協力、応援いただいた全ての方々に、静かに思いを馳せ、改めて感謝の気持ちをもつことは、とても大切なことだ。そして、それができてこそ、ひとつの活動がはじめてひと区切りということになる。「やった!よかった!」というだけでは、本当の意味で、やったことにはならない。

昨年12月1日、山口のサビエル記念大聖堂にて、ザビエルに寄せるオリジナル曲「フランチェスコの夢」を演奏することができた。あの美しい教会で、しかもアカペラでの演奏・・。多くの方に聴いていただき、拍手をいただいた。
信徒でもないのに、山口にゆかりがないのに、いろんな意味で「ないない尽くし」であったのに、地元出身の方はじめ、いろんな方のおかげで、その思いが叶った。
そのときは、「やった!」という興奮的な達成感であったが、時間が経つにつれ、改めてしみじみと思い出すことが多く、もう一度、ちゃんとお礼に行かなくちゃと思い立ち、再び、山口に向かった。

小雨降る3月初め、3か月ぶりの、サビエル記念大聖堂。懐かしい感じだ。
あの日は1000人以上の人が集まっていたが、今日は数名ほどの来館か。天気のせいというのもあるかもしれない。でも、この静けさこそが、教会本来の姿である。
今一度、ザビエルの歴史を展示解説している資料館を見ながら、ザビエルについて復習、そして大聖堂に上がって、美しいステンドグラスの光を受け、初めてここに来たときのこと、12月の本番前日のときのこと、本番のときのこと・・どんどん緊張が高まったことを思い出し、3か月前の自分を思い出した。

ああ、忘れてはいけない。ここに来なければ、少し薄らいだかもしれない自分の貴重な経験が改めて鮮やかによみがえった。
今回は、声を出さず、心の中で、ひとり、その曲を歌い、祈った。
いろんな方への感謝の気持ちが一層、膨らんだ。

「山口のみなさん、ありがとうございました」と心のなかで、皆さんの顔を思い浮かべた。
そして、教会の中で外で、その姿を見せているザビエルの像(作品)に向かって「ザビエルさん、またお会いしましょう。本当にありがとうございます」
と声をかけ、手を合わせる。

短い時間、雨降る、山口へはるばる、この大聖堂へのお礼まいり。(まさしく・・)
ひとり反省会でもあり、感謝の時間であり、次のステップへの充電の時間でもある。

余韻を味わいながら、雨のなか、教会から駅に向かった。だんだん、この町に親しみがわいてきた・・。きっとザビエルさんもそうだったんだろうと思いながら・・。



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エコかファッション?お国事情

買い物をして、素敵なペーパーバッグに入れてもらうととても
うれしく、とくに外国に行った際に入手したものは、自分の旅の記念の
しるしとして、コレクションとして大切に保存してきた。
引っ越しするときに、こんなに紙袋をもっていたのかと自他ともに驚くが
でも、やはりこれは私にとって大切な思い出かつ素晴らしいアートで、もう
手に入らないものもあるので、と引っ越し先にもその多くを持参した。
しかし、この紙袋、これ以上増えると困るな~と思っているのも事実で、
最近は買い物をしても、同じ袋が家にあるならば、もう増やさないと決め、
自分の手持ちのバッグに入れるようにしてきている。今ではエコバッグも必需品。

日本の売り場では、スーパーでも「袋にお入れしますか?」と尋ねられ
不要であれば、1円か2円引いてくれるようになったが、デパートではそれも価格に入っているせいか、袋は要らないと言っても値引きなしで、「紙にされますか。ービニールでよろしいですか」と選ばせてくれる店もあり、そこでは紙袋が貴重、高価といった扱い。

一方、ドイツでは、どれだけ多くの買い物をしても、バッグに入れてこないし、要不要も聞いてこない。
必要だったら、買いなさい。売ってあげるから。という態度。エコバッグはレジ前で販売している。
しかも、プラスチックの袋への抵抗は強くなっており、
手提げのビニル袋に入れてほしいと言うと、ちょっと「え。入れるの?」とにらまれたりする。
先日入ったレストランでは、料理が多すぎて食べきれず、残りをもってかえることに。店では、慣れているようで、紙製のボックスに詰めてくれて、そのまま
「はい!」と渡され、え?これ、どうやってもってかえるの?この弁当箱を抱えて電車に乗るの?「いやー、袋は用意していないから」という対応。
とにかく、ドイツのショッピングバッグの廃止の徹底はすごい。
お隣、フランスはゆるい。まだまだお菓子を買えば、ドリンクを買えば、
ビニルの袋にも、豪華な紙袋にも入れてくれる。
ドイツの厳格さとはえらい違い。日本はその間ぐらいだろうか。

袋。包材は商品ではなく、買ったときだけ必要で、あとは捨てるもの。と思えば徹底的に減らす方法が正しい。
一方、包装紙も商品の一部で、商品を入れて歩く楽しみ、見る楽しみ、開ける楽しみを味わってほしい・・と思えば、これは商品の一部で、付加価値のあるもの。だから、捨てないでおいておきたくなるものだ。

同じ資材でも、お国柄でまったく扱いが違う点は大変面白い。
いずれにせよ、ゴミを減らさなければ、自分たちの首を絞めることは間違いない。今回、おかげでドイツでの包装紙はほとんど持ち帰ることがなかった。
消費の段階にもより、この考え方はさまざまなのかもしれない。

持ち帰り方も、自分で考えなさい!

書きながら、昔お鍋をもって豆腐を買いに行っていた時代を思い出した。いつからパッケージや包材が当たり前になったのか。

いろいろ見直すいい機会。それにしてもドイツの徹底ぶりは、こんな一面からも感心する。

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国のブランド力を考える

私から見て、今、世界でもっとも信頼できる、安定感のある、好感をもつことができる国はドイツだ。経済も政治も、人々も、商品も安定している。
ゲマインシャフトなる、真面目な精神性が今のドイツを作り上げているのだと思う。真面目さゆえに、まっすぐ故に20世紀前半の失敗もあった。ナチスがこの国に君臨したのは、狂気であり、悲劇であり、そして結果、国を分断させてしまうことになる、人類史上、もっとも悲しすぎる歴史もあるが、その厳しい経験を反省、謝罪し、現在に活かしているように思う。

リーダーが信頼できる、寛容さを感じる、間違いがない、いい加減な仕事をしない・・・。ドイツには面白いものが何もないという人がいるが、そんなことはない。もちろんパリやNYのような華やかさやおしゃれなセンスはどうかなと思うが、それを越えて、精神性豊かな先進国であり、今に残るさまざまな音楽はドイツ発祥のものが多く、思想面でも多様性かつ深淵なるものが多い。哲学者を多く生み出す国とはすばらしい。

電車もフランスやイタリアのように半端なく遅れることもなく、安心して移動できるのも、アウトバーンで事故を見たことがないのも、真面目な気質があるかだろう。

日本の国民性に共通するところもあるが、日本が学ぶところは多い。

私はメルケルさんが大好きだ。彼女は素晴らしいリーダーだと思う。
国のブランド力を上げる努力を続けてきた人だ。と思う。

日本のブランド力って何なんだろう。観光だけでは、ブランド力は育たない。

真の意味で世界的視野で、深い考えのもと、じっくり育まれるもの、受け継いでいくものとしてのブランド力について、改めて目を向けたい。






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グーテンベルクは永遠に。

ドイツに対しての思いは、年を重ねるにつれ、深い揺るがないものになっている。思い起こせば、子供時代の音楽、学生時代の哲学、会社員時代の印刷。自分の人生においての「新世界」とくに精神的分野においてでは、ドイツのものがほとんどであった。理解しやすかった、馴染みやすかったのかもしれない。
そのなかでも、歴史の授業でルネサンスの三大発明として暗記させられた、火薬、羅針盤、印刷。この3つとも私の新世界に何等かの影響を与えているが、とくに印刷。このコミュニケーション伝達の技術が15世紀に生まれていなければ、人類はどうなっていただろうか?今日のデジタル社会も、間違いなく「多くの人に伝える」ことを最初に実践した印刷なしには、成立しなかったと思う。
3年ほど前にたまたま出向いたマインツ。そのときグーテンベルクなる人物がこの町の出身であることを初めて知った。そして、今回再びこの町をたずね、博物館に入ってみる。ドイツは、まさにコミュニケーション先進国だ。
カトリック時代は、教会こそがメディアであった。だから立派な建造物が必要であった。宗教改革により、もっと身近な普及、手段が求められた。そこで聖書の登場だ。もともと手書きで長き年月を経て、書き写されていたものが、グーテンベルクの活版印刷発明により、複製の制作が容易となり、宗教改革を成功へ導く。
どうやら、この印刷技術が最初に成功したのは「免罪符」の印刷だったそう。刷れば売れた。言い方が悪いが、神の名を借りた、宝くじのようなものか。その後、手間暇のかかる聖書の印刷へとグーテンベルクの技術発明はさらに進化・深化する。
このたび、当博物館のスタッフ マイケルさんが見学者に活版印刷のデモをしているところを体験。当時の聖書印刷をわかりやすく解説しながら、主要工程をやってみせ、見学者にも一部参加してもらうプログラムだ。実際に重いプレスを動かし、1枚1枚刷っていく大変さを伝える。
 このように発明から600年以上経過した今も、ドイツとくに、マインツの人々は誇りをもって、活版印刷の父であるグーテンベルクの人と技を伝え続けている。そのこと自体に感心し、当日は少女が印刷体験をしていることにも感心した。若いときにこそ、こういった体験は大切だ。
 聖書の存在がなければ、印刷は生まれなかった。まず、コンテンツありなのだ。
何を誰に伝えたいのか。その目的があったからこそ、この道は成功したのだ。
グーテンベルクが歩き、悩み考えたこのマインツの道を歩きながら、印刷という発明を今こそ大切にしたいと思った。
書ききれない。本件は、また改めて。

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パリは遠くにありて、思うとこ

約3年ぶりのパリ訪問になっただろうか。大変久しぶりであった。
20代の頃よりNYと同じく、パリは私の自立の芽生え、創造の目覚めの拠点であり、感性を磨くには最高のステージであり、過去の芸術家たちがパリを憧れ、世界から集まってきたことに納得し、また自分もその人生に憧れた。
そのなかでも、移動観覧車との出会いは、グラン・ルーのはじまりとなった。

しかし、今回の訪問はこれまでにない、パリの違う空気を感じ、違和感を抱くものとなった。
まず、地下鉄も人も、町が怒っているかのように、乱暴で冷たい。ゆとりがないような感じを受けたのだ。町の落書き、いたるところで舞い上がる工事から出る粉塵、車の苛立ったクラクションなどもその印象を強くした。
長年愛していた老舗食料品店が倒産したのは知っていたが、第三者が運営しているのかと期待をもって店の前に向かったが、すでに店舗の取り壊し工事がされており、赤黒のファサードが美しかった店舗は瓦礫となっており、大変ショックを受けた。言い方は悪いがパリの凋落を感じた・・。
歳月の移ろいと、過去の栄光が、あっけなくなくなっていく現実に寂しさを感じた。

教会の前に、街角に乞食がいる。
パリに来ると必ず訪れるマドレーヌ寺院の石段前にもひとり。素直に気の毒と思って、小銭を彼が差し出す入れ物に入れた。その乞食は、物乞いをしているときは、これ以上ないぐらい、悲しい表情で、何かしないではいられない気持ちになるのに、入れた小銭の金額が少なかったのか、その乞食の表情が変わった。
その様子にちょっと腹が立った。ここに座って物乞いする元気があるなら、どっかで働けば?!とつい思ってしまったのだ。感謝の気持ちがないことへのいら立ちだった。


歩き疲れ、どの都市にもある有名コーヒーチェーンに行った。買ったコーヒーポットの蓋がうまく機能しないので、買ったレジにもう一度並んで、そのことを尋ねたら、ものすごい目でにらまれた。「そんなこともわからんのか?いなかもん」という感じのこわさであった。ちなみに10代後半のオンナの子だ。
外国人や、わからないと尋ねるお客に寛容ではない、冷たい応対をする。繁盛店であるから、次々機械のように接客を続けているようだったので、忙しいところに面倒くさい客になってしまったのだろう・・。そんな怖い顔をするなら、ロボットの接客の方がまだいいわ・・。と思った。

 もちろん街角には優しい人にも、楽しい販売員にも出会った。そこは昔と変わらない。また訪ねたい場所は無数にある。しかし、明らかに何かが昔と違うのだ。
パリに住む人たちにとても深刻な問題は大気汚染。車が多すぎて、せき込んでしまう。自慢のエッフェル塔も光化学スモッグになる日もあるそうだ。
今回、私も何回もせき込んだ。他の町ではまずないことだ。いや、以前北京でそんなことがあって以来、北京に行くと健康を害すると思い、足が遠のいたことを思い出した。


 またパリでは、ことのほか屋外で喫煙する人が多く、すれ違うとものすごい匂いがし、煙たく、つらい。煙草を吸う人が増えているだろうか?
道で、カフェのテラスで・・。屋外ならOKということになっているのだろう。そこでは隣が禁煙愛好家であるとか、嫌煙家であるかは、関係ない。一歩外に出れば、ここは吸っていい自由の場所だ・・といった感じだ。それもちょっと節ない。煙をよけてパリを歩くのは楽しくない。

今回、あてにしていたお店、営業時間になっても店には店主もだれも来ない。
営業時間は店前に掲示してあるし、遅れるとか休みとかのメッセ―ジもなく、店頭に記載されている時間に店に行っても店の人が来ない。
何かが機能マヒのような感じなのか、おおらかなのか・・。待ちぼうけも時間がもったいなく、15分だけ待ってあきらめる。パリってこんなルーズな町だったっけ・・。

高いお金を払えば、もてなしを受けることができる。
自分の言いたいことを言う自由がある。
確かにそれがパリでもある。そこは変わらない。
だから、自分を表現する、発信するその方法として、ファッション文化・産業が栄えたのかもしれない。建築物が素晴らしいのもそういうことかもしれない。

毎週末続いている、黄色いベストのデモ騒動を心配しての、久しぶりの訪問となったが、本当に現実も怖かった。カフェに入り、隣の人にこんなに気を遣って、財布をバッグを取られないようにと気を遣わなくていけないのは、観光都市の本来の姿とは言えない。

ここまで今回のパリ数時間の滞在に感じたことを書き連ねたが、日本人はパリが好きだ。憧れをもっている。

そして、私自身もグラン・ルーの発祥、ということだけでも、好きであり続けたい。が、もしかしたら、故郷に対して、遠くで思っていた方が思いが募るように、今のパリは、少なくとも私にとっては、「パリは遠くにありて思うとこ」
なのかもしれない。
オペラ座が美しいことは、エッフェル塔がそびえたっていることは、そしてセーヌ川が流れていることは、何も変わらない。

とても残念な思いで、7時間の滞在を終え、パリを出た。フランクフルトの駅に電車が付いたとき、とても安心したのは何だろう。
パリを心のなかで思い起こす。今しばらく、心の中で抱き続けるとしよう。

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