有料だから、表現者が成長する。

先に書いた、ある映画俳優のトークで印象に残った言葉を、自分なりに解釈し直してみる。

もうこの時代、映画俳優という職業はなくなりつつある。もうテレビ俳優しかいない。正直、テレビ俳優の質は低い。

なぜか、テレビは観たいときに観て、気に入らなければチャンネルを変えるだけ。そしてそれは無料。

それに比べて、映画はお金を出して、わざわざ観にきてくれるお客さんだけが相手。だから違う。

と、そんな話をされた。とても納得し、また共感する。お金を払っていただいて来ていただくという背景には演者への関心と期待、応援がある。だから、絶対にそれに応えなければならない。映画となれば、あの大スクリーンにアップで映る表情ひとつ、セリフひとつが「さあ、観てやろう」とやってきた観客に注目、凝視されるのだ。その期待に応えるために映画俳優は努力した・・とのこと。

今は一億総活躍というが、一方一億総素人か?と思ってしまうほど、それが良しとされている面もある、ぬるい時代だ。厳しい時代を生き抜いてきたその映画俳優など、ホンモノの表現者からするとどんな居心地がするのだろうか。これも時代とあきらめながらも、苦々しい気持ちでおられることだろう。

タダほど、怖いものはない。人間の成長を阻み、ときには堕落させるのだ・・。有料の芸をもっと意識し、学ばせていただこう。自分自身も成長するために。

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俳優の仕事に学ぶ

言葉の数は少なかったけれど、かみ合わないコミュニケーションもちょっぴり切ない部分はあったけれど、お会いした後にその存在感がじわじわと自分の中にしみこんできて、あのときこういうことが言いたかったのでは、ああいうことが伝えたかったのではとあれこれその俳優が語った言葉の「単語」がよみがえる。たとえば、酒を飲むということ。一般では、酒を飲むこと自体をもちろん楽しんでいるだろうが、そういう楽しみ方だけではないという話。たとえばサラリーマンの役をするかもしれない役者。だから、居酒屋に行っても周囲のサラリーマンが「どんな酒の飲み方をしているかを観察する」という。だから、飲み屋も勉強、取材の場である。そのことはよく理解できる。何かを表現、創作する仕事をしていれば、どんな場面も仕事である。20年ほど前、会社員時代に教えられた、ONとOFFの区別はないという生き方。いつもリサーチしている、いつも市場を見て、それを企画の肥やしにすること。そんな生活をずっと続けているが、俳優という仕事も同じだと知り、とても共感する。意識をもって見ることで、自分に行かせることが必ずある。

いろんな役を演じる俳優・役者という仕事を自分の仕事にも少し置き換えて浮かんだこと。たとえば酒場に行き、今日はサラリーマン風に飲んでみようとか、今日は未亡人風にとか、さっき上京したばかりのおのぼりさん風に・・・と演じながら飲んでみるのも面白いかもしれない。その人の気持ちになってみることで、新たに書いたり、表現するヒントが出てきそうだ。俳優という仕事に学ぶことは、まだまだありそうだ。今、改めて気になる俳優の演技を、どんどん作品を観てみたい。

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「合格しました」で、思い出した鬼の形相

甥っ子と、その母(妹)より4月から通う学校が決まったとメールが入る。もともとの第一志望校であったかどうかはわからないが、それでも受けたところに合格でき、念願の一人暮らしもできるようで、良かった良かったと、何も手伝ってもいないのに勝手に安堵する。受験とか試験など、「ふるいにかけられる」ことが実は好きではなく、受験生のときも、それ以後も受験に対し、全能力をかけた記憶もなく、中途半端にここまで生きてきた身ではあるが、それでもあの受験期のなんともいえないだらだらしてしまいそうな長い時間での「受験生なんだから」という縛りは、窮屈でなんとも逃げ出したいようなそんな空気で・・。だから行く先が決まった瞬間は「終わった~」とかなりの解放感に包まれた記憶がある。だから、甥っ子やその親の「合格しました~」という報告は、メールする傍から、解放されて「やったぞ!」という気持ちも伝わってきて、自分の35年前の時が濃厚に思いだされた。

そう、自分の場合は、親からすれば歓迎すべき進路ではなかった。ピアノを捨てて、田舎を出ることが決まった。というか、自分で勝手に決めた・・・。娘が一人暮らしをする、大学に行くなど思ってもいないことになり、大変複雑で腹立たしい春であったはずだ。あの引っ越しの日。荷物を積んだトラックが実家を出るときの母の怒った顔を今も忘れることができない。やりやがった・・という悔しさというか、親の知らない世界に勝手に行きやがってという怒りや、ピアノを長い間させたのに裏切られた・・という腹立たしさと・・。そして、京都に着いてから母が初めてアパートに来たときのこと。怒りながら、スーパーで買い物をし、私に渡してくれた卓上醤油1本、あとは納豆だったか・・。

あれから35年。自分も親も、その周囲も変わった。そして、この春は姪っ子が念願の一人暮らしを始める。きっと彼もあとで何かの節目に、将来、この受験期を終えた瞬間のことを思いだすだろう。

苦難を乗り越え、緊張を持続するというしんどさを越えて、春を迎える人にとっては、どんなにすがすがしい気持ちか。日本中の受験生たちの、来る次のステージの始まりにエールを送り、私もまだできるで!という気持ちをもちつつ、一緒に駆け出すとしよう。

ああ、それにしても久しぶりに思いだした、鬼の形相・・。懐かしくもあり・・。

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「役者と俳優の違いは何ですか?」への名答

ある公開講座に行く。今回はある俳優の講演とのこと。年齢は80歳手前ということで、父親と同じ。石原裕次郎と大変近い距離におられた方のよう。お顔を見ればわかるという方が多いだろう、日本映画全盛期に、映画俳優として一世を風靡されてきた。実は私は顔を見て、見たことがあるかも?と思ったが、やくざ映画は見ないのと日活時代の映画というのもあまり知らないため、顔と名前は一致しなかったが、壇上に現れたその方は、まさしく見るからに、俳優というオーラを全身に漂わせておられた。今回の勉強会は「俳優から見た脚本・原作」がテーマ。いわゆる講演があって、質疑応答かと思っていたら、実はそうではなかった。最初から質疑応答方式だ。なんでも何年か前に脳梗塞をされ、その後リハビリをされ元気になられたが、講演というのはなかなかむつかしいようで、結局は会場からの質疑応答形式での講座ということになった。この手法もある意味、新鮮で聞く力を養うという点では、とてもいい勉強になると期待をしつつ、会場からいきなり質問なんか出るのかな?とも・・。

会場から質問が出始める。聞きっぱなしの講演よりも、ある意味聞き手にも積極性が求められ、ある意味新鮮ではある。ただ会場から出る質問に対し、高齢と病気のせいか、こちらが期待するようには聞いていただけなく、途中で思わぬ言葉が出たり、質問の途中で答えらしき発言が始まったり、正直、会場も少し困惑?気味。「さあ、なんでも聞いてください。なんでも答えますから」とそのサービス精神がやっぱり俳優だと思い、感心する一方、聞いた意図が理解されていない状態が続くと、どうも会場も盛り上がらず・・。また、有名な俳優さんだからといって、映画の脚本の細かい質問をどんどん突っ込んで聞く熱心が人がいても、その答えとはまったく違う、ちぐはぐな答えで突如話が終わったり・・で、これは本題よりも、コミュニケーション、取材力の勉強になると思い、興味の矛先を変えて受講し続けた。

発言内容は正直、聞くに堪えない部分もあり、時間の無駄だと席を立ってしまえばそれだけのことだが、なぜこのご高齢の俳優さんが力を振り絞って、この講座に来られているかと思うと、最後までその時間を共有せねばと思えてくる。会場からあまり質問が出ず、沈黙・・。自分も何度か手を挙げてがんばって質問した。「『役者』という職業は役を演ずる人という意味でわかりやすいですが、『俳優』という言葉の意味はよく考えたらわからないので、●●先生の俳優という定義について教えてください。」・・質問を理解していただいているか不安であったが、その方が質問強く反応したのがわかった。「それは、難しい質問だね。俳優とは、吟遊詩人かな」。この答えは質問に的確に答えられた内容で安心もし、感動もした。そうか、「吟遊詩人」。この一言があの名優から聞けただけでも価値があった。このほかにも、映画とテレビ文化、そしてそこで演ずる俳優の違い・・・などなど参考になることをいくつか学んだ。

いずれにせよ、若い時に俳優として美男子として世に出たひとりの男性が80歳になるまで、病を乗り越えて、その俳優という生き方を貫いておられるその姿自体に感動し、それでもコミュニケーションがだんだん難しくなっていく現実も垣間見えることが哀しくもあり・・。

まさにその人自身を見ていることが、撮りっぱなしの1回だけ上映の映画のようにも思えた。

私がお渡しした名刺を見て、「グラン・ルーか・・」と一言。吟遊詩人に少しでも響いていたら、よかった。

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「あまいもん、あげましょか」で、職人の口が開く

長崎に初出張した5年前の春。初めて食べたトルコライス。そのお店は実は、レストランとしてよりも、老舗のカステラ屋として地域に根差しているお店。現在の社長が3代目で、その息子さんたちも一緒に働く家族経営のお店だ。とてもおいしいので、いろんな方にお勧めし、紹介し・・。そして長崎の初コンサートでは店頭にチラシを貼るなど応援いただき、また参加もしていただいた。みなさん、いい人だな~という印象は変わらない。でも、他社と比べて宣伝をしているわけでもなく・・競争が激しいこの長崎でのカステラ業界で大丈夫かいな?いつも気になっているが、なかなか言い出せず・・・。

そして、雪のコンサート後、2か月ぶりに店を訪問すると、前回以上に親しく、迎え入れてくださっているのを感じる。「あの日は大変でしたね~」そう、長崎で珍しい日を共有したのだ。店内の椅子に座ると、コーヒーを淹れてくれる。カステラにとても合うのだ。前にはその日、近くの港に停泊した、クィーンエリザベス号に乗ってきた旅客かもしれない!インド系の西洋人らしきグループがお茶を飲んでおり、やっぱりここは異国だな~と雰囲気に浸っていると、これまで自分から話しかけてくることはなかった三代目社長が「あまいもん、あげましょか」と、にこにこ私に話しかけてきた。あまいもん?カステラじゃなくて?「ケーキです。私が作るんです」と言ってショーケースを案内してくれる。店主のおすすめはモンブラン。それをいただき、そうか~社長がお菓子づくりされるんだと感激しながら心でも味わう。「とってもおいしいですね」と言ったら、そこから社長が急に自身のことを話し始めた。最初は接客の合間ということで立ち話、話がカステラの製法、ご自身の若き日の修行時のこと、会社の変遷・・話題は尽きず、遂には「私も座りますわ」と言って、二人向かい合って、話を続ける。真面目と見えたその風貌の奥に、職人魂が光ってみえる。ふと、新潟で出会う職人社長たちのことを思い出しながら、こちらもうれしくなってくる。外国人客に「サンキュー」を言うのも恥ずかしいらしい、シャイな方であるが、気持ちを許した人にはとことん話される、そしてその話が面白く、それこそ取材しているような気持になる。「いいお話ですから、こういう思いをネットでも紹介したらいいですのに~」「細かいこと載せたら、みんなにわかってしまうので、ダメですわ」と、さすがにネット社会の表裏もよくご存じで。

気が付けば閉店時間まで、社長と話していた。まだ話は尽きなかったが・・。さすが歴史ある経営者、お店についての考え方がきちんとあり・・・。ああ、やっぱりいい会社だな。と改めてこの会社を好きになった。そりゃ、大浦天主堂やグラバー邸など長崎を代表する観光地に存続し続けているのであるから、ただモノではないはずだ。

今回の話のはじまりは「あまいもん、あげましょか」から。お菓子屋の店主からいただいたお菓子は本当に格別で、やっぱりポルトガルの風を感じた。

一生懸命、まじめにやりぬいておられる会社。もっと応援しよう!と心から思った、格別なるスィーツタイムであった。

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ミニカップ麺でシスターとのランチは、大きな宝。

さきの投稿で書いた長崎市の西端。外海。世界遺産登録がうまくいけばかなりの観光客が増えることが見込まれた。現在は、一度申請を取り下げたということになっているが、それでも観光客はさほど減っていないとのこと。修学旅行(とくにミッション系の学校)には最良のコースであろう。その中の旧出津救助院。ド・ロ神父が女性の自立を教えた住み込みの学び舎が復元されている。その功績には今でも学ぶべき点が多く、産業、歴史、文化史の良い教材だ。そこで働くシスターとわずかな時間を過ごす。立ち話ではということで、受付の椅子に一緒に腰かけ、来館者に挨拶をしながら、シスターといろいろ話をする。あまりにも普段の東京生活での会話とは違う内容で、聞き漏らしてはいけないと一生懸命聞いているうちに、お昼の時間になる。もう一人のシスターが、「お昼、どうされます?よかったら私たちも食べますから、一緒にカップ麺いかがです?」と声をかけてくださる。シスターは毎日(でもないかもしれないが)ランチにはカップ麺を召し上がっているのだ。意外だな~。と思い、この静かな祈りの地でのランチをご一緒させていただく。昔の作業所に設けられた座敷、ドロ神父の肖像画が飾ってある。そこに上がらせていただく。好きなものを選んで・・・と言われ、箱に入ったカップ麺たちを見る。いろんな銘柄があるが、いずれも通常の大きさではなく、ミニサイズだ。小腹満たしとか機内食でよくつかわれるサイズ。へえ、外海に来て、シスターとカップ麺か。なんだか楽しくなってシーフード味を選ばせていただき、お湯を注ぐ。コンビニでカップ麺を買う時、こんなにワクワクするだろうか。するともう一人のシスターがご自分のお弁当箱と八朔をもってこられた。ご自身は宿舎で用意される食べ物を詰めての、お弁当持参のようだ。「私は、カップ麺では足りないのでね」といわれ、向かい合ってそれぞれの食事をいただくことにした。ド・ロ神父は日本ではじめてパスタを作った方だから、もし現在も生きておられたらカップ麺にも興味がおありだっただろうかといろいろ想像して、とにかく美味しくいただいた。そのあと、シスターが皮をむきやすくしてくださった八朔をいただく。シンプルな食事がなんだかうれしく、ほどよくおなかも満たされ・・。かけがえのないランチ。何を食べたかはとても大切であるが、誰とどんな風にというのももっと大切だ。ド。ロ神父の肖像画が見守る部屋で、シスターといただくお昼。食べる前にもちろん祈りを捧げるシスターを見て、毎日神様とともに生きておられる姿を清らかだと思った。我が生涯で、思い出に残る、「そとめのランチ」に感謝。

 

 

 

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辺境の地で改めて考える、「もったいない」

下の写真は、長崎市の辺境の地といわれる外梅地方。江戸のキリスト禁教時代、そして開放された明治後も独自の歴史を歩み、現在にいたる町。同じ長崎市なのに、市街地からバスで約1時間半ほどもかかる、行くのにちょっと勇気が要るところ。その昔、弾圧を逃れ、浦上からここにやってきて、じゃがいもを食べて隠れ生き、そしてここから、五島列島や平戸へ移り住んだ人も大勢いた・・という何度聞いても、政治と宗教の悲しい歴史を振り返り、考えさせられる町。かの遠藤周作もこの場所を愛し、彼の作品にはここがよく登場し、文学館もここにある。また昨年公開された、山田洋二監督の映画の舞台もここだった。それだけ多くの文化人の心を離さない魅力があるのだ。文化人でない私さえも、磁石のように吸い寄せられ、ここで生まれた発想やメロディもあるぐらいだから、ここには表現せずにはいられない静かで深い魅力があるのだと思う。そこでしか出会えない人との話のため、前置きが長くなった。

さて、今回は先般の冬の長崎での雪ライブでお会いできなかった、シスターの仕事場を尋ねる。そう、強風の日や、雪がひとたび降ればバスも通れない不便な街。今回は、一転、春到来の晴天。山の上から見下ろす海のみなもがキラキラと光る。木々にも桜が咲き始めている。バスでの道中、変わりゆく風景に心躍りながら、タイムトリップも楽しむ。

明治時代になり、キリスト教が再び認められ、長崎で殉教した二十六聖人への祈りを捧げる教会として、そしてまずは在留外国人の祈りの場として設立された大浦天主堂。この設立と布教活動に尽力された、かのプチジャン神父とともに、フランスから来日、印刷所を設け聖書を印刷、布教に励んだド・ロ神父という方がこの外海地区の開拓にも多方面で貢献され、今もその師が作られた出津教会ほかさまざま宗教遺産が大切に残されている。そのド・ロ神父が目指したのは女性の自立。信仰とともに仕事をして自立をして生きる女性を育てることが大切だと、自ら職業学校を興し、地元の女子を教育された。その跡地は今整備され、見学できるようになっているが、そういった遺産を大切に守っておられるのが上述のシスターたちだ。そこにド・ロ神父が母国より取り寄せられたオルガンもあって、個人的に強い興味を抱き、シスターたちとも知り合いになった。

今回は、1月に雪のため雪でお会いできなかったため、こちらから出向いた。シスターたちと話していると、神学生という若者にも出会う。さすが、キリスト教が根付く町だと、普段の自分の生活圏とは違う空気も新鮮に感じる。厳しい自然のなかで、静かに暮らし、祈り、人生を過ごす人たちの暮らしと、ドタバタするのが活躍しているかのような錯覚で生きている現代人。都会の雑踏とは真逆の世界。シスターといろいろ話すが、結局、私自身が無宗教であるところでの考え方、感じ方の差があることも実感する。シスターは私の考えを聴きながら「ユニークな方ね。」といわれつつ「もったいないわね」ともいわれたことが強く印象に残る。どういう意味かと確認すると、人のため、自分のために生きるのもいいけれど、神のために生きればもっといいのに・・という意味だそうだ。そうしないことが、もったいないということらしい。そうか~。これまで家人からは、自分の生活態度を見て、「もったいない」という言葉を何百回も言われてきているので、その言葉には慣れているつもりが、ここで、そういうことで「もったいない」といわれるとは。

最近、ずっと考えていることがある。家人や、シスターがいわれる「もったいない」はそれぞれの価値観からのありがたい言葉であるが、さて、自分の人生は、本当の意味で「もったいない」生き方か?であるならば、それは根本から改善しなくてはならず。

自分では日々の細かなところでは、浪費も多くそこは反省すべきであるが、これまで「もったいない」生き方をしているとも考えたことはなかったが、、。もっと力を出し切ったり、やりきったという極限まで生きないと、結局は人生無駄な時間を過ごした~とあとで後悔するかもしれないから、やるべきこと、やりたいこと、やろうとすることを極めるのがいいと思う。時間も才能ももっているもの全てを無駄なく使い、生ききる、また、自分らしく生ききるというのが、私なりの「もったいなく生きる」ことでもある。

そのシスターが言われた、ユニーク&もったいない。この言葉を大切にしながら、我が道をもっともっと開拓せねばと思う次第。ザビエルさんのおかげで、ド・ロ神父やその教えを受け継ぐ人たち、その方たちが作る食べ物にも触れることができ、それこそ、もったいくない時間、まさに至福のときをいただいた。外海はいつの時代もマイノリティを受け入れる。人生終わるときに、「ああ、私の人生、もったいなかった~」とだけは思わないように生きること。外海は今日も穏やかに尋ねる人を静かに抱いてくれるだろう。

そとめ

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ところ変えて「これも人生、あれも人生」を知り学ぶ

東京では意図すれば、とくにビジネス面から数多くの人に簡単に出会うことができる。機会が多い。人の数も多く、それを求める人も多いからだ。異業種交流会や勉強会や、取引関係や・・。1日に何十枚も名刺交換するときもあった。その全員とつながり続けることは正直むつかしかった。結局は、そこから自分なりの選りすぐりの人たちと、細い糸でつながっていることに幸せを感じる。

一方、誰も知り合いがいない町に飛び込んで、時間をかけて知り合いを作っていく。その街に興味があるからだ。ネットに頼らず、リアルなコミュニケーションで出会いをつくり、育てる。ここ4~5年の間に、長崎でも知り合いがじんわりと増えつつある。その街が好きになり、その人たちの仕事や歴史背景を好きになると、相手も喜んでくれる、またヨソモノの目で、住んでいる人とは違う視点でその街を語ることについてとても新鮮な感触をもってくれることが面白い。「よー、知ってんな~。おれら、そんなこと知らんかった」という感じ。その街のことを勉強しているのを知ると地元の人も一気に心を開いてくれる。長崎の地元の人と一緒に食事をするという貴重な時間。せっかく来たんだからといって、魚料理を、くじらを、すすめてくれる。そして自分の田舎~五島列島~での近い将来の田舎暮らしについての楽しみを語ってくれる。お金がなくても、そこで静かに自然とともに生きていける楽しみについて笑顔で語ってくれる。お父様が原爆で亡くなったことがきっかけとなり、五島とも縁ができた人生だったよう・・。世界中には、街という生活環境の単位が無数に存在するが、そこに生まれたり、移ってきたり、すべての人々が町とともに生きている。その街ごとに歴史も自然条件も産業もすべて異なるが、人々はその街とともに生き、影響を受け、人生を過ごしていくという点では同じだ。

その街にはその街ならではの暮らしと楽しみ方がある。観光で訪れるだけではなく、もう一歩、その街に深く触れ、人々と交流することで、その街で生きている人に興味が高まる。「いつか、長崎に住んでいるかもしれんね」といわれ、そういう選択もありかもしれないと想像すること自体が楽しい。

いろんな場所に出向き、それぞれの暮らしを見聞きし、人と交流し、画一的ではない、自分に合う生き方、生き場所を求めることも、実は贅沢なことかもしれない。

地方とは、東京から地方創生と、地方で生活してもいない人たちが声高に叫んでいる以上に、現実には、もっと多様で、真の豊かさがあって・・・そのことを実感するためにも、意志をもって、いろんな町をもっと知る必要がある。

雪国には雪国の、西の島には島の、まんなかにはまんなかの・・・面白さがある。

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名で「一体」を現してほしい!

なんとしても、一大勢力となって、大きな塊となって戦わないとならないという意気込みは少しは理解できる。政権打倒を目指すのも、まともな政治家ならばそう思い、行動するのも理解できる。そして合流。この合流というのがどうもピシっと来ないのも正直なところ。企業の合併となれば、もっと組織的にはメリハリもあり、統率力のあるリーダーが合併する、される側を率いていくのであるが、ここで民主主義といわれると、うーん。結局はいい人の集まりか?と思え、応援する力もなえてしまう。

名前を変えると公言するのはあとでも良かった。中では議論してもらってもいいが、それよりもまずは先に何をする、何を変える、どう変える?いつ帰る?政策を明確にし、そのことを実行するのが合流する組織、だから名前をこうするのです!とすべきではなかったか。名は体を現すというが、一緒になってどんな「体」になるのかもよく見えていないところに、先に名前か。子供の誕生と命名とはちょっと違う。今回の合流には、期待したかったと思う人が多いはず・・だからWHATを先に論じ、伝えてほしいのに・・。

とその手法のあやふや感が心配。また、合流するトップたちもどこかしらパワーが・・。よし、やったるぜ!という力が伝わってこない。海を越えた大陸のトランプさんをそこに登場させたくなる。あれぐらいの気迫、インパクト、強さがほしいのに。

名前はアイディティーの証し。これで決めたというならば、腹をくくってやるしかない。

とにかく、名は「一体」を現す。という新しい名前であり、どこまでいっても一体感をもち、新たな勢力になってほしい。

コミュニケーション力が気になりすぎる・・・この世界・・・。残念。

 

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春の感謝のしるし、ホワイトデー。

わが家ではいつの間にかバレンタインもホワイトデーも消滅した。クリスマスプレゼントも、そういえばもうない。ほしいもの、あげたいものがない。という感覚か?消費促進のための、売り手のキャンペーンだと思えるからか、相手のためにと買っても結局自分で食べているとか、自分が食べたい名目で買っているとか?意味不明な状況にもなり、その結果、とにかくわが家では、決まった日の贈り物はバースデー以外はすっかり消滅だ。そういえば、クリスマスケーキの類ももうない。ケーキ屋がこんなに増えるから特別な日のケーキという存在感がなくなってしまったのかも。と勝手に人のせいにしてみる。

20年ほど前か、バレンタインやホワイトデー、クリスマスのプレゼント予算を5000円とか決めて何かしらしていた時代も懐かしいが、もう十分にやりとりしたという感じでもある。一方、対外的には、形式的ではなく、感謝を伝えたい方だけにバレンタインにお菓子を贈ることはある。仕事やそれ以外でお世話になっていることへの感謝の気持ちだ。そして、その気持ちを素直に受けとめてくださる方からは、その返信として今年もいただく。感謝の気持ちの返信というのがうれしかったりする。毎日会えるわけでもなく、でも大切に思う方たちに対し、そんな機会にお礼をするというのは悪くない。あくまでもコミュニケーションの一環として。そういえば、その昔、「ホワイトデーには白いショーツを贈りましょう」なんて、下着メーカーが積極的にプロモーションをしていたが、今は果たしてどうだろうか?人間関係が変化すると、お仕事仲間や会社の関係などにインナーを贈るのはむつかしく、また近い関係であってもダイレクトすぎる?アイテムなのかもしれないが?

日本人はキャンペーン、催事、お祭りが大好きだ。そして消費欲が旺盛だ。自分のためのバレンタインをしている人もいるならば、おひとりさまのホワイトデーもあるのかな?なんでもいいが、人間関係を豊かにするプチギフトはいい。ミニメッセージを付けて贈ってくださる、ある会社の方たちは、さすがホスピタリティマインドが浸透していると感心もする。

ところで、ホワイトデーは日本以外、どこにもない。やっぱり本は面白い、まじめな国だ。

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