自販機とサービス業

自動販売機は現代社会の産物かと思っていたら、なんと紀元前3世紀から存在していた?そして、産業革命など、コインの流通など、経済・産業史の大きな節目ごとに、発展して、今日に至っているようだ。(ネット検索によると、ではあるが・・)
今や、世界でも自販機がもっとも発達しているのは日本で、その売り上げは世界のトップクラスらしい。
確かに町のいたるところに、飲料の自販機が点在している。
タバコの自販機こそ、減ってきたが、飲料の自販機はさらにバージョンアップし、販促機能だけでなく、防災機能を備えたり、ベンダー企業のさまざまな工夫には余念がない。
そして、飲料やお菓子のみならず、最近では「出汁」の自販機を近所でもみかけたし、世界のニュースでも、ピザの本場ナポリに、ピザの自販機が登場して賛否両論という話題もあった。
このコロナ禍では、自販機もさらに変革の時代に突入?なのかもしれない。
最近、ある外食産業に携わる企業さんから、売り上げが上がらないので、自社商品を自販機でも販売しようとも考えるがどう思うか?という相談を受けた。コロナで売り上げがなかなか増えないので、24時間売れる自販機を導入しては?とのことであった。
気持はよくわかるが、自販機を活用することは、商品によっては瞬間話題にはなるが、継続性があるか?また、自らの店の脇にそれを置くことで、お店で作り立てを作って提供している商品へのマイナスの影響はないか?
サービスという手法をそっちに向けて本当に良いのか?
サービスする人材がいるのに、自販機か?他にできること、まだあるのでは?
などなどいろんなことが気になってくる。ということで、
今回、改めて自販機について考えるきっかけを得た。

確かに、小学生の頃、カップヌードルの自販機を初めて見て、使ってみたときの感動は忘れない。
でも、今、この食文化が発達した今、その自販機を見てもどうだろう?
確かに懐かしさゆえ、使ってみたいかもしれないが。

コロナ禍。お客様が来店できない、外食しづらい環境のもと、各社、本当に知恵を絞り、実行されている。
自社の強みを最大に発揮しながら、そのマーケットを良く見ながら手法を選ぶ。
そして、やるなら迅速に。
そんなことを思いながら、改めて自販機というチャネルの可能性を自分なりに
見直している。
自販機が一番似合うのは、やっぱり、駅。そんなイメージがある。
そして、地方出張から疲れて帰って、最終の地下鉄を待つ駅のホームの自販機で買ったアイスクリームの美味しかったことを、今、懐かしく、思い出す。

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町工場と職人に感謝と敬意を・・・。

父は地元の学校を卒業後、縁あって、隣町の制帽会社へ。丁稚奉公というかたちで帽子づくりをカラダで学び、定年するまでの半世紀近く、ミシンを踏んで、
数多くの帽子を作り続けた。20代の半ば、そこで母と知り合い、結婚したようだ。自宅から車で1時間半か2時間はかかる岐阜県の山あいの縫製工場にもよく出張し、パートさんたちと帽子づくりに励んだ。「今日は、金山だ。」「今日は神岡だ」と今思えば、遠いところへ週に何度も車で移動していた。いつも母がつくった弁当を鞄に入れて・・・。
高度経済成長の昭和の後半、スポーツも盛んとなり、ユニフォームとしての制帽はアパレル産業と比例し、繁栄した。大手のスポーツウェアの企業から大量注文が入っていた時代もある。時間内で仕事が終わらない分は、家で両親が内職をしていた。そう、昔住んでいた家の奥には、工業ミシンのある薄暗い仕事場があった。昼は会社で、夜は家でと、帽子づくりをせっせと続けた父。
そして、球技が好きで野球観戦はもちろん、自らも60代まではソフトボールをやっていた。若き頃は、社会人野球のような活動もしていたようだ。

昭和40年代後半から50年代。ファッションとしての帽子も流行り始め、父も若いころは、婦人帽づくりにも着手、今ではちょっと想像しづらいが、マダムがおしゃれな洋装にコーディネイトするようなハット類も作り、業界のコンテストのような場にも出品したことがあったような・・・。帽子業界花盛りの時代だ。
そんな帽子職人の父。手先は器用。でも口はかなり下手。コミュニケーション苦手が職人の道に向かわせたのか、職人を長くやっていくうちにコミュニケーションは要らないとなったのかわからないが、とにかく、営業ではなく職人向きの父であった。言葉足らずでひと言で片づける会話で、家庭内の喧嘩は絶えなかった。
それはそれとして、とにかく父はその会社で帽子職人職人として定年まで働き、がんばりぬいた。帰宅後の愚痴を吐きながらの晩酌の様子がなぜか、思い出される・・・。

最近、そのときの給与明細の束が母の荷物から出てきて、胸がいっぱいになり・・・。
この町工場の帽子職人の仕事のおかげで、私はピアノやエレクトーンをはじめることができた。帽子に食べさせてもらい、帽子で大きくなり・・。
そう、生涯、帽子には足を向けて寝ることはできない。

つい最近、父が暮らす施設を訪問した際、瞬間面会できた父の頭に、青い帽子をちょこんとかぶせた。
以前は、海外出張すると各地の球団の帽子などをみつけては買い、父へのお土産とした。そのときの、NYヤンキーズのものだ。
帽子をかぶると、父が昔に戻ったように感じた。父は少し反応したように見えた。少しは昔を思い出したのだろうか?
父と帽子と、球技。
近々、父がお世話になった会社をたずねようと思っている。
父がお世話になったおかげで、今日自分がこうしていられる。
扱いづらい職人を解雇もせず、長く雇っていただき、そして定年後も安定した暮らしができてきたのも、この会社のおかげ。

帽子を見ると、いろんなことが思い出され、胸がいっぱいになる。
町工場でものを作る職人の人生。

世界中、日本中にそんな職人さんは多くおられることだろう。
その職人ひとりひとりに、人生が、感謝のドラマが詰まっていると思う。

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バラをシェアして心つなぎ、次へ向かう。

母の命日から、ずっと紫色の花を選びお寺にお届けし、実家と自宅にも少しづつ飾っていた。気が付けば、トルコキキョウを多く飾っていた。
あわただしく時間が過ぎ、四十九日法要もおかげさまで執り行い、お世話になった方でのお礼もしながら、時の流れを改めて感じる。

ふと、いつも立ち寄る花屋で、今回はバラに目がいく。
ひとつの節目。そろそろいつもの元気と情熱の世界に心をシフトさせてみようかな。と思い、そのバラを求める。
赤色、ピンク、そして写真にはないが、薄いオレンジ。
そして、お寺と実家にはピンクとオレンジを。自宅には赤とピンクを少々。
同じ花をシェアすることで、三位一体?どこかつながっているような気がする。

赤いバラの中の一輪のピンク。情熱のなかに、ほんのり優しさがにじんでいる。
さあさあ、もうそろそろ!と自分に火をつけたい、そんな気持ちに正直に、という思い。

明日で二か月。あっという間ともいえるが、ものすごく長い時間であったとも
感じている。
今思うことは、時間の経過は、生きる上で救いにもなる。
そして、花の存在も同じだ。
やさしさとしなやかさを忘れずに、そして強く。
ここから、また心新たに生きていこう。




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ともに生きる、学ぶ「マーサの会」楽しくスタート!

障がい者アートの活動支援を続けていくなかで、また新たな出会いが生まれる。
障がい者という線引きも、なんだか違和感を持ち続けて、生きてきたせいか、
そんな区別も要らないのではとずっと思っている。

もちろん、一緒に社会で生きていく仲間として、お互い理解し、助け合うことは大切だ。でも、それは、障がいがあるから・・ではない。
どんな人間であっても、それぞれ特徴、個性があるわけで、それを理解せずして
組織であってはその力は生かせないし、本人も周囲も残念な結果になってしまう。
相互理解があることで、信頼が生まれ、その関係から仕事も、それ以外もうまく
いく、そしてお互い幸せな気持ちになれる。

そんな思いを根底に持ちながら、皆さんとのコミュニケーションの場を新たに提案、実施することになった。
障がい者雇用を進めている企業は増えているが、それぞれの社員のコミュニケーション力、とくに発信力という点ではまだまだ手付かずの世界かもしれない。
(一般の社員でも然り)
そんなことで、みんなで楽しくコミュニケーション力を身につけ、自信をもってもっともっと社会参加できるようになるといい、私もそこに入って、一緒に学びたい・・・。
そんなことから、企業で働く障がい者のみなさんとはじめた、「マーサの会」。
もともとは「マーサとしゃべろう会」。
楽しく話そうよ。いろいろ一緒にやってみよう。
そこからコミュニケーションの楽しさを知る、それを暮らしに、仕事に生かすのが狙い。
今回はもちろんコロナ対策もしっかり、ゆったり空間で。初めての開催ということで、観覧車の話(ハッピーコミュニケーション)をしながら、私のことを知っていただく。次に、自分のことを伝える「名札づくり」。相手に呼んでほしい名前を書いて、名札にする。そして発表。皆さん真剣に取り組み、しかも相手の話をよく聞かれる。笑いや、拍手も。会場はあたたかい雰囲気に包まれる。マスクをしているが、皆さんの目がキラキラして、身を乗り出しているのがよくわかる。
反応が良いと、こちらもつい力が入る。
次は、前夜に徳島から届いた旬の風物「すだち」をモチーフにした話題。すだちを全員に配って、見て触って、匂いを嗅いで・・・。(送っていただいたOさんに感謝)そう、ひとりでいただくより、みんなで楽しませていただこう。と会場まで持ち込んだ。
「これ、何だ?」から始まって、「どんな食べ方がおいしい?どんな風に食べてみたい?」をテーマにみなさんから意見を出していただく。すだちとかぼすを同じと思っているような回答から、食べたことがないかも?という声から、焼き魚に絞ったら美味しいとか、お酒に合うとか、ソーメンに合うとか・・・・。それぞれの意見や体験談に、みなさん熱心に耳を傾ける。とても楽しいホットな話題のコミュニケーションだ。
この話をしている間に、それぞれ間もなく訪れる夏の訪れを予感したかもしれない。そろそろおなかもすいてきた・・・。
話題も出尽くしたところで、宿題は「すだちを使ってみる」。それぞれ今日の皆さんから出た使い方を参考に、自由に使って、実際にすだち時間を楽しんでもらう。次回、その結果を報告いただくのが宿題。
というわけで、マーサ会1回目は無事終了。
企業で働く、障がい者の皆さんの課外授業のような、クラブ活動のような・・。これまでにないカタチでの学べる交流時間。何かに触れるコミュニケーション時間。発見、気づき、感動を得て、元気に職場でも活躍してくれたらうれしい。
不定期ではあるが、次は7月に行う。企業と協力しながら、ハンディある人もそれを気にせず、元気に一緒に仕事ができる環境づくりを応援したい。

こんなマーサの会。今の時代にいいと思う。コロナ禍でもできることを、こつこつと。賛同いただき、一緒に推進してくださる企業の皆さまに、そして熱心に参加してくださる皆さんに感謝を込めて。
「楽しかった」の声をたくさんいただいて、とてもうれしい。やってよかった。
ここからはじまる。皆さんと素敵なアウトプットも・・・。



マーサの会1回目の様子(写真協力 (株)モスシャイン)
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心静かに、黒いコーヒー完成。

ここ何年か、毎年オリジナルの珈琲を焙煎してもらい、ライブやさまざまな
出会いのなかで、ご挨拶代わりに、気持ちをお伝えするときに、
お渡ししてきた。おかげさまで大変好評だ。
創業のときから応援している新潟十日町の専門家に依頼して、
毎回まさに、スペシャリティなブレンドをご提供いただいてきた。

赤いパッケージに紫のメッセージ。これが愛の元気人であるマーサコーヒー
の定番であったが、今回は初めて、黒いコーヒーに仕上げた。

ブレンド名は、Toshiko’s Harmony。敏子の響き、調和・・・。
珈琲に添えた紫色のメッセージカードに書いたのは、以下のとおり。

Toshiko’s  Harmony

 母(敏子)の旅立ちを見送り、感謝の気持ちを込めて・・・。
このオリジナルコーヒーの袋詰めが日課であった母のことを
思い出し、また一杯の味わいとともに、多くの思い出が溢れます。
Harmony(ハーモニー)は、調和であり、響き。
母の法名の一文字になぞらえ、この名前を付けました。
母のように、個性を感じていただきながらも、温かみと心地よさを
味わっていただけるブレンドとなっております。
かけがえのない愛しい存在が、永遠に心に生き続けることを
そして調和のとれた、響き合う世界の実現に願いを込めて・・・。

何年か前、初めてオリジナルコーヒーをつくるとき、
赤か黒かとても
迷ったが、今回初めての黒のマーサコーヒー。

早速、お届けした方から、感想が届いている。

♪早速頂きまして、ちょっぴり苦みがあり、
       とてもコクがあって美味しかったです。
     まさに温かみと心地よさを持つ個性的なコーヒーでした~
お母様もご自身のブランドコーヒーの誕生に、さぞお喜びになっている
ことでしょう(「えっ?!私の珈琲~ちょっと照れるけどこれええな!美味しいわ!」という感じでしょうか)。
マーサさまの願いである「調和のとれた、響き合う世界の実現」、素晴らしいですね。もうすぐそうなる(できる環境になる)ように感じます。♪

うれしい描写をしていただいたと感じている。

ところで、その母はコーヒーは飲めない人だった。

喫茶店に行っても、もっぱら紅茶に砂糖を山盛りの人だった。
そう、コーヒーの袋詰めが好きで、人にそれをさしあげるのが好きだった。

珈琲は、まさに母と近所の皆さん、私の周囲の皆さんを結ぶ、コミュニケ―ションツール。
今年の珈琲は、調和のとれた、響き合う世界を思って、心静かにいただきたい。


                  



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父を励ますには

コロナのおかげ、いや、コロナのせいで、
施設で暮らす父との面会は、基本禁止となっている。そうこうして約半年だ。
その間に、年を越え、季節をまたいで、母が先に旅立ってしまった。

コロナで世界を閉ざされた人は、心身ともに変調をきたす。
老人だけではないが、自分でどうすることもできない身においては、
余計にそうなる。
人間、外に出ることができないというのは、本当に不自然で不健康だ。
おひさまの日を浴びないと、動かないと、
肉体だけでなく、時間的、社会的感覚も衰えて、
認知症が加速してしまうケースが多いことと思う。

それを実感する今日この頃。
わが父も同じ。ほとんど会うことができず、用事があっても数分の面会。
その間に、どれだけもコミュニケーションできない。
父の中に、このわずかな時間はどんな風に残るのだろうか。

変化のない暮らしのなか、脳も体も衰えていくことを、
会うたびに感じる。まだ、かろうじて会話に応答したり、なんとか
自分の名前が書けるのが、救い中の救い。
父はもともと字が上手で、私にとってもちょっと自慢で・・・。
今はちょっと変形気味であるが、それでもペンをもって一生懸命
自分の名前を書こうとがんばってくれる。
「がんばって、そうそう、もっと大きく、そうそう」
止まりそうな手を見ながら、運動会のときのように応援してしまう。

とにかく、今の私には父が望みの綱。何とか元気に・・・。
好きな食べ物をこまめに差し入れたり、手紙を託したり・・・。
母とのツーショットの写真を見せると、じっとそれをみつめている。
きっと父なりに思い出を辿っているのだろうか。

そして、今回はNYで昔、父用に入手、ずっと実家に眠っていたヤンキーズの青い帽子を、ちょこんと父の頭にかぶせる。
「お父さん、帽子好きやん。これ、かぶると元気が出るよ」
半世紀も帽子職人であった父と、その妻母には、帽子は必需品であった。

父は、久しぶりの帽子を室内だからか、少し最初は拒否反応したが、
かぶってしまえば、そのまま。以前の普段の父に少しだけ戻った。
毎日、いろんな帽子をかぶり分けていた頃を思い出してくれるといい。

父を励ます。
なかなか制約がありすぎて難しいけれど、できることは全力でやろう。
時間が無限にあるとは思えないから・・。
父をもっと励ましたい。まともな会話をもう一度したい。
喫茶店に連れていってあげたい。好きな煮魚を食べさせてあげたい・・・。

「四十九日も終わったよ。もうすぐ納骨。コロナが落ち着いたら
お墓詣り一緒にいこうね」

と別れ際にそんな言葉を書けたが、父は黙っていた。
わかっているのか、いないのか。・・・それは、父が良い方でいい。
父を励ますには・・・。試行錯誤は続くが、あきらめない。
ずっとあきらめず、できることを、する。し続ける。



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今どきオトコたちのおうち時間?

大好きな国のひとつは、ポルトガル。
歴史的にも、文化面でも、そして食べ物も・・・どれもとても
興味深いが、「サウダージ」という、ポルトガル独自の精神性
がすべてに行きわたっている。郷愁、哀愁、切なさ・・・。
人生を俯瞰、回顧するノスタルジックな感じがたまらない。
また約5世紀前に、この地から船にのってザビエルはじめ、勇敢なオトコたちが
世界に出航したのだと思うと、たまらなくわくわくもする。
そんなこんなで、ポルトガルには勝手に縁を感じ、初めて足を
踏み入れたときから、導かれている感じがした。

と、前置きが長くなったが、そのポルトガルにはさまざまな産業が
があるが、そのなかのひとつが、石鹸をはじめとするコスメ製品の製造だ。
ポルトガルのソープは、魚の缶詰と並ぶ、世界で知られる名産品である。
思い起こせば10年ほど前。リスボンの街角。香りのよいさまざまな種類の石鹸が雑貨店の軒先を飾っていた。そのパッケージの美しさも大変楽しく、やはりサウダージな世界を感じた。

さて、その石鹸を最近、国内でも入手することができ、愛用している。
最近、見ないな~と思っていたら、なんとデパートの紳士服売り場の
POP UP売り場で発見。
男性向けに石鹸をきれいにディスプレイして、コーナー展開しているのだ。
なぜ、メンズの売り場に?
売り場の責任者にたずねてみると、
このコロナで、おうち時間が長くなり、コスメに興味をもつ男性が増えてきた。そして、家時間をゆったり過ごすときに、お風呂にもゆったり入ることになって、石鹸の香りを楽しむ人が増えてきたとか???

びっくりだ。
今どきのオトコたちのおうち時間は石鹸?シャボン?
いやー、時代も変わった。
このせっけん。130年の歴史があるということでも、そのストーリー性に心惹かれるのだ。

コロナでいろんなことが変わったけれど、
男たちのおうち時間か。

リスボンの港から世界に旅立った、当時の男たちは、石鹸をまだ知らなかったかもしれないが、もしザビエルがそんな癒しの時間も知っていたら・・・と
またまた楽しい想像が膨らむ。

と、石鹸ひとつで、世界旅。オトコたちのおうち時間も心旅。

石鹸ひとつで、キレイになるだけでなく、毎日が楽しくなる。
好きな石鹸を選ぶ・・。
なんという、おうち時間のプチ贅沢。
生活の脇役が、主役になる。


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昔時間への通勤。

名古屋と岐阜の往復。地元で「名鉄」で知られる名古屋鉄道を乗り継いでの移動。名古屋駅から実家の最寄り駅まで約40分。徒歩時間も入れるとドアto ドア
で1時間強。
東京から引っ越しして、時間を経るごとに、この距離を行ったり来たりの回数が増えた。
とくにこの半年は、まるで通勤通学のごとく、連日の移動。
会社へ、学校へ行くのではなく、昔時間への移動だ。
乗る時間帯も関係するが、まったく密にならない、すいた電車と徒歩で
コロナ的には問題ない。スマホで仕事をしながら、移動できるのも
今の時代ならでは。この点は大変ありがたい。

電車を降りて、実家までの道のり。車で移動が常識の地元の人からすれば
「へえ?!そんな距離歩くの~?」と言われるが徒歩で15分ほどの、
ほどよい距離だ。車も少なく、川沿いに歩けば、楽しい散歩道でもある。
小学生の頃から歩き慣れたこの道を、せっせと歩く、きょろきょろ歩く。
今と昔の風景を心の中で見比べながら、歩く。
子どものときから立っていた古い家が今にも壊れそうだけど・・とか、
あの畑に紫の花が咲いた、ああ、もう枯れた。
あの家は確か同級生の家だけど?今はどうしているんだろう?
子どもの頃お世話になったあの自転車屋さんは、まだやっているなあ、
畑仕事をしているおばさんはだいたい何時ごろだと必ずいる・・・・。
あの家の駐車場にいつもネコがいる・・そんなことまで、なんどもなんども歩くのでわかってくる。そのネコに声をかけたり、近所のおばさんに発見され、
声をかけらたり・・・・。
風景と生活のリズム、静けさは、昭和後半の時代とさほど変わっていない。
まさに昔時間へのタイムトリップ。
ふと、母が自転車に乗って、通りそうな気がしたり、自宅の裏で帰ってくるのを待っていた姿が浮かんできたり・・・。

この昔時間への通勤は、楽しくもあり悲しくもあり、寂しくもあるが、
まだまだ通い続ける。
その場所にいくと思い出すことがある。
子どもの頃の私は、今の私を想像していなかった。
と、昔の自分と対峙するのも、悪くない、この通勤。



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捨てられないお宝 発見。

今、妹と時間があるときに、実家の荷物整理をすすめている。
山積みの段ボール、各家具に収納されているものを引っ張り出して
仕分けしながら、処分するもの、とりあえずとっておくもの・・・
と作業を続けている。
最初は苦痛と思える量であったが、段ボールの山がだんだんなくなってくると
少しづつ寂しい気持ちにもなり、また、その中身を見るごとに、父や母の
元気な日のことを思い出し、一緒にいるようなそんな気持ちにもなったり、
二人の人生を違う角度で追いかける時間を愛おしむようにもなっていることに
気づく。
こういう人だったんだ。そういう生き方だったんだ・・・。
直接会っていた時とは違う理解がすすむ。
これは、別れたあとに わかる・・というところが何ともいえないところ。
そんな荷物の山のなかに。最近みつけた、ぶあつい茶封筒。
なんだろ?
中を見ると、なんと昭和時代の、父の給料明細の束。
昭和50年代の日付があるため、私の小中高生時代のときのものだ。
思わず作業の手が止まる。
毎月とってある。この時代はまだ振り込みではなく、明細とともに
現金でいただいていた。
父が毎月、おそらく25日にこの封筒を持ち帰り、そのまま母に渡し、
母はこれを受け取り、これで1か月やらなあかん。自分もがんばって
パートしよう。とかいろんな思いがあったはずだ。
やりくりをしていた様子、節約をしていた様子・・が当時の食卓とともに
浮かんでくる。
よくこの金額で、ピアノやエレクトーンのレッスンに通わせ、ピアノを購入して・・・。「うちは車がピアノに化けた」と、母がいつも他の人に言っていたのを思い出す。
そう、この給料で私や妹を育て、とくに私には音楽で多大な費用を使ってくれた・・。
この給料明細、見たことがなかった。大人になった今、それを見ることで、親の苦労が沁みてきて・・・・。
もっとこうしてあげたらよかったとか、も正直思えてくる。
社会人になってからは、自分なりにはできることはやってきたつもりであるが、
まだ足りなかったかもと・・と思えてくる。
給料明細とは、親の努力を示す、最高のエビデンスかもしれない。

今は、残された父にせめて、できることをいっぱいしなくては、と強く思える。
好きな魚のおかずを、施設にもっていこう・・・とか、手紙をもっと書こうとか、頻繁に足を運んで、ドア越しでも会えるようにしようとか・・。
本当に些細なことしかできないけれど・・・。
この給料明細は、捨てないでしばらく両親の写真の横においておこうと思う。

いやはや、捨てられないお宝に出会ってしまった・・・。


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出発、終着。駅の回想。

物心ついてから私が岐阜から外に出るときには、必ずJR岐阜駅を利用してきた。
近場であれば、名鉄電車もあるが、地元を離れ、遠くに行くときには、「国鉄」岐阜駅を利用した。思えば、青春18きっぷを使って東京、横浜への初遠征も懐かしい。その後、岐阜の家を出て、ひとり暮らしをするため京都に行くときも、岐阜駅から乗り継いで行った。帰省するときも同じだ。
社会人になって、東京転勤してからも、名古屋で新幹線を降りて、岐阜駅まで乗り継ぐ。
よく親が迎えにきてくれたものだ。
「何時に、岐阜駅着くわ」
事前に電話入れておくと、いつも早めに岐阜駅の中央改札で、仁王立ちになって
母は待っていた。
そう、いつも岐阜駅まで父がアッシー君となって迎えに来てくれた。

そして駅ビルにいろんなテナントが入るようになって、回転寿司を一緒に食べた。
駅で待ち合わせして、寿司を食べる。父は昼から生ビールを飲む。
親にとって岐阜駅へのお出かけは、ちょっとしたハレの日で、家族サービスのひととき。
実家に帰る時間がとれないときは、駅で食事をして、お土産やときにはお小遣いを渡したりして、ときにつまらない喧嘩もして、そして別れた。

昔よく観た映画「ひまわり」での駅の場面、主題曲が流れると泣き続けたことがある。駅というのは、クライマックス感満載だ。出会いと別れ。出発と到着。
人生の縮図である。

だから駅が好きでもあるが、今となっては、一番馴染み深い岐阜駅には、思い出がありすぎて、、、たまらない。

コロナでがらんとしている岐阜駅の出口に立ち、母がいつも待っていたときの
ことを思い出したら、涙が奥から湧いてきた。
しばらく、駅ではこんな感情になるのだろう。
仕方ない。それだけ通った、それだけ多くの思い出が詰まった場所だ。
思い起こせば、駅と親。さまざまな葛藤とゆるしのドラマがあった。

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