今年8月11日大船渡で行ったチャリティコンサートに向けて作った、私なりの東北応援歌「かもめりぃ」。「大船渡の鳥は、ウミネコだよ」と聞いてはいたが、確かに現地でカモメを見たし、その方が自分にもなじみがあるし、そしてかもめは、大船渡以外の、太平洋側の海岸でよくみかけた。そして久しぶりにテレビコマーシャル登場!でみつけ、消息がわかった元アナウンサーの斉藤さんが働く旅館の近くも、映像を見る限り、かもめは飛んでいるようだ。
あのコマーシャル後、彼とやりとりが復活。そしてついに、来年は南三陸のこの旅館でチャリティライブをやることになりそうだ。
彼から「こんな年末の連絡になってしまい、ごめんなさい。チャリティライブ、やりましょう。」留守電があった。
彼がつとめるホテルのラウンジにピアノがある、宿泊客の方や地域の方に聴いてもらえたらいい。押しかけチャリティライブ。ここでも、「かもめりぃ」を歌う。そして朗読が得意な斉藤さんには、「ひと・文様」を詠んでもらうかな。
東日本震災がきっかけで、新潟で出会った人とテレビコマーシャルがきっかけで宮城で再会し、一緒にイベントをすることになるとは。さあ、来年の活動計画をどんどん埋めていくとしよう。
したい、しよう、しなければ!と内側から湧いてくる意欲を速やかに形に。
「かもめりぃ」を、届ける日を楽しみに待つ
勝ち写真、負け写真。
コミュニケーションクリエイター的にみた選挙のこと。個人的には海江田さんが嫌いではない。何年も前に、神楽坂の食品スーパーの前で、自分で拡声器をもって話しておられ、ずいぶん腰の低い人だなと好印象をもってはいた。が、今回はあのポスターを見る限り、勝てない気がしていた。自信がなさそうというか、憂いに満ちているというか、何かに対しての力なき怒りのような、とにかくマイナスのオーラが漂っていた。
この意味のない、税金を使った政治家の就活運動のような選挙に行くものかと思っていたけれど、行かないのもの首謀者たちの目論見どおりになるのではと、気が進まないなか、無理して投票に行き・・・。
結果は、彼は落選してしまった。一番今回の選挙が恨めしいのは、この方ではないだろうかと同情もするが、でもあの写真じゃ勝てない。選挙は見た目と言葉。印象、元気。が必須だと思う。ある種のでまかせでも、湧き出るパワーがないといけない。でも、多分自分のことまで手が回らなかったのかもしれない。せめて、側近の人が「こういう写真にした方がいいですよ!」と言ってあげていたら、もっと違っていたかもしれない。一方、思い通りになったトップの方の写真。どうして国民の方を見ていないで、横を向いた写真なんだろう。といっても、そこの選挙区に掲示されているポスターは拝見していないけれど、最近のこの方の写真は、横向きのものが多い。写真を見る人と目線を合わす。これはコミュニケーションの基本だと思うのだけれど。いったい、どこを向いているんですか?と
言いたくなる。
写真ひとつで印象が変わる。ずいぶん難しい勝負の世界だ。でも、もうこんな無駄なことは断じてやめてほしい。何のためのバンザイ?日本の国を真剣に思っているのは・・・。
消去法で進んでいくこの社会に危機感をもちつつ・・・。
「日本人でよかった。」は、外に出てよくわかる
外に出る。外を見る。外から見る。日本人として生まれ、育ち、こうして生きていられることに心から感謝の念が生まれてくる。
このたびのノーベル平和賞を受賞した方々の活動の背景には、平和ではない、平和とはかけ離れた厳しい現実の世界がある。その現実から逃げずに命をかけて戦っているから本当に偉いし、素晴らしい。でもその大変さを実感することはおそらく日本人の私たちにはできないのではないか。人間の尊厳ということについて、私たち日本人の感覚とは違う人が世の中には多数存在する。先日あるドキュメンタリー番組で、パキスタンには夫やその家族から硫酸やガソリンを顔にかけられ、見るも無残な姿に変わり果て嘆くしかない女性たちの存在を知った。考えられない惨いことを妻にする男がいる、意味不明である。抵抗するにも、離婚もままならない、泣き寝入りし、人生を諦め生きている人たちが多数いる・・・それって、どんな人生?どんな社会?と疑問と同時に怒りがこみあげる。
どんな美人でも硫酸やガソリンをぶっかけられたら、その瞬間に人生が終わる。美人に生まれなくてもだれにも危害を与えられないでこれまで来てよかったと真剣に思ってしまった。そんなことを平気で行う人間がこの世に存在するとは・・・。その報道を観たときはさすがに恐怖と驚きでショックで眠れなかった。
日本の一部の人たちの間では女性が輝く社会を!などと言っているけれど、実はすでに十分幸せな世の中ではないか?環境は整っているのではないか?自助努力でなんとでもなる
なんとかできる状況ではないのではないか?と私にはそう思うが、これはそれぞれの人生だから他の人と違う見え方なのかもしれない。
しかし、私はこう思う。
世の中には男と女しかいないのだから、よくコミュニケーションし共存共栄していけばいい。世界を改めて見てみると、悲惨で残酷で・・・理解できない現実があまた存在する。日本という国は、日本人という国民は大変立派である。と認めたくなる。大きくとらえる、おおきく理解する。そしてもっとよくしようと、自分ができることをまず行う。
人に甘えることなく、依存することなく、人のせいにすることなく、このありがたい環境のなかで自分ができることをもっとやるべきだ。
日本人でよかった。今回も改めてそう思う数日であった。
売れてなくてごめんね。
行き付けのブエノスアイレス市内繁華街のタンゴ専門CD店にほんのお土産のつもりで、自分のファーストアルバムを持参したら、「お~、ロマンチック~」といたく感動してくれて、委託でも良かったらと店主が言ってくれたので何枚か預けておいたのが1年前。当然売れるわけはないし、それでも何か化学反応があればいいという程度でそのままにしてあった。
今回久しぶりに店に寄り、最近のアルゼンチンタンゴの動向なども聞きつつ、フォルクローレの楽器のことなど教えてもらいながら、さりげなく1年前に預けたCDのことを聞いてみた。結果は、やっぱり売れていなかった。「コマーシャルがないから、売れなくて。ごめんね。代金払えなくて・・・」とものすごく申し訳なさそうに言われ、その顔が忘れられない。いやいや、もともとそんなつもりはないし、ただ店で流していたらお客さんの問い合わせがあったというから試してもらっただけ。またおともと店頭で売るつもりがなかった商品だし・・・。と笑顔で答え、でも何がおきるかわからないので、引き続きおいておいてもらうことに。そんななか、次のアルバム(セカンドアルバム)もアイフォンから聴いてもらったら、スタッフ一同がとても気に入ってくれたのがわかった。店主が「ユーアー ビューティフルレディ」と英語で言ってくれたが、これは見かけのことではなく、夜のグランルーやノスタルジックルージュを聴いて、気に入ってくれた表現である。「今度来たらもってきて。まず自分が買う。そして店で前のと一緒に売ろう」と店主。1枚も売れてなかったのを申し訳なく気を遣ったのかな。でも、売ってあげると言われるのもうれしいが、自らが買いたいと言ってくれるのもまたうれしい。音楽業界はそれぞれ多大な費用もかけて、プロモーションを仕掛けながら、歌手を売り込もうとしているのだし、ここは南米、アルゼンチン。日本のちっぽけなシンガーの存在などここの市民や観光客が知る由がない。もちろんこの店頭でライブでもやらせてくれたら、ブエノス最大の繁華街であるから、反響はあるかもと思うが。
またジャケット1枚とっても、店売りしたいのかどうか?でまったく作り方も違う。
自分が創ったものでいろんなことを仕掛けてみる、世の中が見えてくる。
それにしても、店主フェルナンデスの顔が忘れられない。アミーゴ!がどんどん増えていく。
アーチストのザビエルとの遭遇

パートナーアーチストの開拓は楽しいものだ。そのときだから、そこにいたから会えるという一見偶然に見える出会いから友情に発展することも多い。今回、新しい作品をマーケットにて販売している青年を発見。1枚1枚がとても味わい深い、素敵な写真とバティック、タンゴをモチーフにした染物とは珍しい。かなり昔の写真かと思いきや、そうではなく、彼自身が撮った写真で8年前ぐらいからのものであるという。現存する被写体でも年代もの風に見せられるのが写真の面白さでもある。私が「ロマンチックで、ノスタルジーで愛に満ちて、音楽がある」そんな作品を集めているというと、「それは、タンゴそのものだね」とさらり応える。まだ若いのにいいこというな~。どうやら彼は依然銀行マンだったがやめて、今の仕事についているようだ。撮って、作って、売って・・・の忙しい日々だが、すがすがしい、いい顔つきだ。そして名前は、ザビエル!オーマイゴッド。現在のザビエルにこのカミニートで出会うとは。
ザビエルと読むのは実はフランス語式。Xから始まるスペルはこれだ。彼はスペイン系だから、ザビエルのことは「ハピエル」と呼ぶ、Jからはじまる。ハピエルとは、「幸福を得る」意味のようで音もいい。つい、うれしくなって「私、フランシスコ・ザビエルの曲を創ったんですよ~」と言うと、「それは誰?きいたことがないけど」。そうだよな~。フランシスコザビエルは北半球でのキリスト教伝道師であり、この南米の若者が習うこともなかったはずだ。フランシスコ・ザビエルがローカル的存在とは?でも、なぜかこのアーチストのザビエルに会えて幸せな気持ちになった。自分で創って、表現して、自分で売る。このことを彼も実践している。
彼が希求する道に共鳴しながら、よし私も!とクリエイティブライフをもっと極めようと心に誓う晴天の日。素敵な夏のクリスマスギフトかもしれない。
天使と巡る、青空の墓地
前のブログに記載した尊敬するタンゴ歌手 ビルへニア・ルーケに感謝と哀悼の想いを奉げたく、彼女が眠ると聞いたブエノス市内のチャカリータという墓地に行こうと急遽決定。
しかし市内といっても不便なところにあるらしく、タクシーで往復するのが良いと聞く。
ホテルから乗ったタクシードライバーに、「墓地に行って、そこで20分待って・・・」と伝えると快諾、そして、そこの墓地はエビータらが眠る高級墓地のレコレータとは違い、ひとつの街のような大きな墓地なので、中まで一緒に行き、そして車を置いても一緒についてきてくれると言う。へ?そこまでもしてくれる?外で待っていてくれたらいいのに・・・?瞬間疑問に思ったが、そのわけは現地に到着してよくわかった。本当に広大すぎる墓地なのだ。そして中に車が入ることができる。車がないと移動が難しいほど大きい。この敷地内に女優・音楽家たちが眠る専用エリアがあり、そこに彼女の墓地があると聞いていたので車でその近くまで行ってもらう。さてこの墓地はすごい。要所要所に管理人の事務所があったり、立派な墓地警察があったりするのだ。教会があるのは言うまでもない。そして、こまめに墓地の整理や清掃などもされており、墓地内で働く人が多いのにも驚く。そんななか、ルーケの墓をタクシーの運転手が一生懸命探してくれた。墓地内地図を見ながら移動、音楽家・女優の墓地管理人にやっと会えて尋ねてみる。「間違いなく、ルーケの墓はここにあるはずだが?」管理人が「いや、ここには彼女はいない。家族だけが会える。一般には公開されていないのでは?」と意外な返事。そうか、今年亡くなったばかりでまだここにはいないのか。キリスト教のしきたりもわからないが、とにかくここにはルーケの墓はないとのこと。うーん、せっかく花を買い求め、ここまできたのに・・。タクシーの運転手はいつの間にか自分のことのように、熱心に墓を探してくれる。スペイン語で墓の管理人とやりとりしているので、よくわからないがどうやら、彼女はルーケに会うために東京からやってきたんだが・・・と言っているようだ。その気持ちがうれしくて、胸がいっぱいになる。タクシーの運転手なのにここまでしてくれるなんて・・・。そんなわけでお目当てのルーケのお墓は探せなかったが、その代わり、私が何年か前、この地に何度も訪れることになったもう一つのきっかけである、伝説のタンゴ音楽家「カルロス・ガルデル」やタンゴ音楽の巨匠たちの墓地に巡り合うことができた。みんな、ここに眠っているのだ。運転手はルーケの墓地を探せなかった私をかわいそうと思ったのか、他の音楽家たちの墓地を丁寧に案内してくれる。CDももっているよく聴く演奏家たちのモニュメントに感動する。また作家たちの墓地もあり、彼はタクシードライバーの域を越え、いつの間にか私のためにガイド役をしてくれている。そしてガルデルのお墓の前で、撮影も。「お墓なのに撮影していいのかな?」「ノー プロブレム!」。そしてわたしは彼を撮る。そしてルーケにと朝買ったブーケもここに置く。飛行機事故で不慮の死を遂げたガルデルのお墓にまさかやって来るとは。ルーケが導いてくれたのだと思った。彼女はここのどこかにいる。そしていつかモニュメントも建立されることだろう。
結局、約2時間近く二人きりで墓地めぐりツアーとなった不思議な時間。彼の名前は、マイケル エンジェル コッカ。そう、ミスター天使だ。天使が私をタンゴを生んだ偉人の墓に導いてくれた。見えないけれど、とてつもない大きなパワーを得た。フランチェスカの夢の歌詞に書いたように、「命果てても、花は咲いている」ことを痛感した。マイケル、グラシアス!ルーケ、いつの日かまた。どうぞ安らかに。
彼女が立っていたステージ
ビルへニア・ルーへ。前何度かこのブログにも書いた、アルゼンチンを代表する女優、歌手。その昔、渋谷の文化村で観たアルゼンチンタンゴのドキュメンタリー映画を観て、その歌唱力に感動し、DVDも何度も観ては涙を流し、そして遂には後に自分のCDジャケットに登場する、建物は白いけれど赤い情熱のタンゲリーア「アルマセン」のステージで歌っているのを偶然知り、全身が震えた衝撃的な出会い。彼女の歌を聴き、自分ももっとがんばろうと本気で思った。背中を教えてくれたきっかけの存在のひとりだ。高齢にも関わらず、美しく化粧をし、力強い声で十八番ともいえる「ブエノスアイレスの歌」を聴かせてくれた。長くしっかり生きてこなければ出ない声、歌えない歌であった。歌手とは年輪のようなもので若さでは出せない魅力が絶対にあるということを教えてもらった。その後、何度かこの店を尋ねても彼女に会えない年が続いた。「もう高齢だから引退しました」とは、前回、昨年のこと。あれから1年経つ。今回の訪問。勇気をもってアルマセンのスタッフに聞く。もちろん奇跡が起こって、「あれから元気に復帰して、今日来ていますよ」だったらいいな・・・と。しかし、返事は「彼女は今年、亡くなりました」そう言われるまで、あえて調べないでいたというのもある、あいまいのままにしておきたかった。希望を勝手にもっていたかったのだ。彼女が立っていたステージを目の前にこみあげてきた。世代交代した若い歌手が彼女のその十八番を歌っていた。若い高い声、美しいけれど、ルーケの太くてしゃがれつつも、凛とした歌とは別物。ひとり彼女の歌う光を思い出し、涙した。
ビルへニア・ルーケ86歳、2014年6月3日没。お手本にしたい表現者に感謝と哀悼の意を込めて
旅は初心を思い出す、人生のハーブ
はじめて飛行機に乗り海外に行ったときの感激・・・は経験した人には、等しく生涯忘れることのない貴重な思い出になっていることだろう。パスポートの手続きから荷造り、空港での手続きにもどぎまぎし、初めての機内もきょろきょろ、食事も撮影したり(そのころはスマホも携帯もなかったが)とくに入国の手続きでは何を聞かれるかどきどきして・・。まったく余談であるが、外国への入国時によくきかれる質問「何の目的でわが国に来たのか?」の答えに「斉藤寝具店(さいとうしんぐ・・観光?サイトシング?)と覚えて準備した人の話を以前聞き、大爆笑したことを思い出した。それぐらい海外渡航とは非日常の経験であった。その頃と比べ、ネットでの情報収集が容易になり、なんでも調べられるから海外に行かなくてもいいと思う人も増えているようであるが、知っていると体験している、知識がある、肌感覚があるのは大きな違いで、やはり旅とは私にとって、自分の人生の価値を高めるために必要不可欠な経験であり続けている。(国内外を問わず)
家を所有することよりも、旅をし続けることの方、結婚して安定するよりも、常に刺激を受け続けて変化していきたい・・というおかしな価値観、生まれながらのジプシーライフ思考なのかもしれないが。
この十数年、出張の機会もありいろんな国へ移動、マイレージも活用し、ビジネスクラスへ
アップグレードということもあり、いつのまにかビジネスクラスの快適さが基準のようになっていたが、久しぶりにアップレードせず、エコノミーでアルゼンチン行きとなる。
ビジネスクラスに比すれば、椅子も食事も確かに違う。が、最初はこれで感動していたのだ。食事もよく考えたらこれで適量で、ちょうどいい。と若い頃の感覚が戻ってきて、
ああ、旅の初心を忘れないことも大切だと思い直す。はじめてのビジネスクラスは、20代後半のこと。NYで乗る空港を間違え、手元のドルもなくなって困っていたとき、そこでたまたま知り合ったその航空会社の社員が、「私についておいで」と、正しい空港までスタッフ専用のバスで送ってくれて、さらに社員特権?でこっそりアップグレードしてくれた・・・。あのサプライズギフト、感動は今も懐かしい。
慣れるとどんどん当たり前になることが多い。初めての感動を忘れないことで自分の暮らし、生き方を見つめなおすこともできる。
旅はそんなことにも役立つ、人生のハーブのような存在だ。
12月5日開催 新潟ディナーショー レポート公開
12月5日に新潟モノリスで開催したディナーショーのレポートを公式サイトにアップ
しました。アルバムも含め、当日の様子をごらんいただけます。動画公開は準備中です。
雪国~夏国への斜め移動
情熱の雪女は、赤いドレスで独自解釈のタンゴを弾く。ひき続いて、夏のタンゴのメッカに向かう。
情熱は天候気候によるものではなく、内側から湧き上るもの。
どこにいても、情熱は変わらない。
雪国でも感動されるタンゴは、もちろんアルゼンチンでも、イタリアでも同じく受容、歓迎
される。世界で情熱に触れたい、情熱を発信したいという思いがあれば、地球の裏側への
移動も苦にならない。
つねにいつも頭はクールに、行動は熱く。思考は冷静に、表現は情熱的に。この二面性がひとりの人間のバランスをよくする。
フランシスさまの故郷へ向かい、新たな挑戦に向けての仕込み。
夏のクリスマスの街は、どんな空だろうか。きっと名前のとおり、「ブエノスアイレス」
=いい空気 なんだろう。まさか夏なんだから、今週こそ雪は降らないはず。