なんちゃって雪女の学び


 またもや、新潟出張ウィークは大当たり。大雪に歓迎されてしまった。
水を出し、向かい降ってくる雪をけ蹴散らして、ぐんぐん走る上越新幹線ほど、
頼もしい存在はないと思うほどによく走る。
トンネルを越えると・・・。まさに、そこは大雪国で、かろうじて撮れた写真は、
まだ町中なので雪量は少ない。
田んぼしかない郊外に行くと、風雨を遮るモノがないため、ものすごい暴風雪だ。
除雪機が何台も出動。ああ、知り合いの気象予報士は大忙しだろうと想像する。

雪国の人は、本当にたくましい。
スタットレスタイヤは早期に装備、来る季節に供える、
車にはゴム長や、スコップなど除雪ツールは年中積んである。
降れば雪かき、積もっていれば雪払い。
車に乗る前には、
「ちょっと待ってくださいね~」
と雪除けの儀式・・・。
と、
こんなことを毎年やっているのだ。

朝一番の仕事は除雪。汗をかき、腰や肩をいためて・・・普段の
仕事に・・。
黙々と雪に向かう。冬はこの仕事から始まる。
雪が降れば降るほど、体はガタガタになるらしい。そりゃそうだろう。
渋滞しても仕方ない。急がば回れだ。

越後人のたくましさ、粘り強さは、冬にとくに感じる。
だから、モノづくりにも向いているんだろうか。

何もできないエセ雪女は、ただただ 感謝をして、車に乗せてもらって
雪国で仕事をさせていただいている。
今のこのありがたき経験を一生忘れないでいよう。

雪は美しくもあり、やっかいであり、恐ろしくもあり、でもそのおかげで
よい水がとれる。

この雪と忍耐強くつきあうこの地の人々が、ひと冬ごとに好きになっていく。

カテゴリー: Essay (Word) | なんちゃって雪女の学び はコメントを受け付けていません

あえて、テーマを与えられることへの試練と学び

本ブログは、自分がコミュニケーションを通じて生きることに
関して、日々の自分の経験や考えなどを書き綴っている。
何を書こうかということを毎日、思い浮かべ続けるのは
いい勉強である。
そこでは、思い浮かばないモノことは書かないし、書くこともできない。

それとは違い、今通っている学校では毎回、宿題をいただく。
決められた文字数の中で、慣れないラジオドラマを描くというものだが
毎回テーマが与えられる。
たとえば、愛、たとえば、喧嘩・・・。
なかなか抽象的であったり、難しいと苦しむ。

自分で決めること、相手から決められてそれに応じること。
この両者が表現には必要だ。
いずれもいい訓練、試練と思い、ぎゅっと集中する時間を
楽しんでいる。
浮かばないものをいかに浮かばせるか。
日々の仕事と同じだ。

与えられたことに対して答えを出すということと、
何もないところから、自分から課題をみつけていくこと。
両方必要なのだ。

いずれにせよ、日ごとの学びの蓄積、経験がものを言う。

カテゴリー: Essay (Word) | あえて、テーマを与えられることへの試練と学び はコメントを受け付けていません

親にとっての幸せを考える

西部さんの死は、ずっと自分の奥底で糸をひいている。
ご自身から見ての人生、そして子から見た親の人生について
ついつい、考えてしまうのだ。
正直、自分の人生は・・・についても悩みどころ満載であるが、
親が高齢になると、高齢なんだから・・とついつい、いろんなことを
言いたくなってしまう。
つい最近は、自動車運転免許の返納・・・。これは世の中に迷惑が
かかることなので、ま、よき選択だったと思うが、
他人様に迷惑をかける可能性が少ないならば、
その人が好きなようにするのが、その人にとってのいい人生だ。
だから、
いい娘ぶって、ああした方がいい、心配だから・・・などなど・・
それは親にとって苦痛で、ストレスがたまることなのかもしれない。
親にとっての、自分の人生。
ここを子供としては、よくわきまえる必要がある。
と、
今回の西部さんの死から、娘さんや息子さんのことを勝手に推察
する。

親の人生は、子から見ての親の人生ではなく、
誰々のお父さん、お母さんではなく、
その人にとっての固有の人生があるということ、
それを尊重することが一番の親孝行である
ということに気づかねばならない。

西部さんの死を悲しみつつ、ああ、もし親がそうだったら・・・と
思うのである。

それぞれの人生、自分で決めて、世間にご迷惑をかけないように
始末していく。
責任ある人生をまっとうしたい。できるかどうか・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 親にとっての幸せを考える はコメントを受け付けていません

何ファーストですか?

この情報ボーダレスの時代に、国境に壁をつくる約束を
した人がいる。
日本は島国ではないので、国境という言葉についての
理解は大陸の国々と違うのかもしれないし、
国境に壁?といっても、ピンとこないかもしれないが
個人的には、この見解には、大いに違和感を覚え、
危機感ももっている。

あの国には、
いろんな人が入ってきたから、交流が生まれ、
素晴らしい文化が生まれ、産業が発展し、
経済が成長した・・・という歴史があるのに・・・。
移民を排除し、生粋?の自国民?だけを守るという貧しい考えは
とても残念であり、これは単なるひとつの例であって、
世の中全体が自分がよければ・・の人が増えていることを
象徴しているのだ…と思うと、
決して、その人ひとりがおかしいのではなく、
そんな発想、発言が許されてしまっているこの世の中
自体に失望と危機感を抱く。

いろんな敵対関係をつくる世の中が心配だ。
都民ファーストでもなく、市民ファーストでもなく、
平和ファースト、笑顔ファーストでいたい、いきたい。

世の中は縦割りではないんだよ。
時代に逆行している、敵対関係を創り、それを強めようと
している人たちには、目を覚ましてほしい。

いいかげんに、自分が自分が・・・とやっていると
地球崩壊が早まるだけなのだ・・ということを
冷静に考え、賢い言動・行動をしてほしい。

と、人に言うだけでなく、自分も気を付けよう。
平和ファースト、健康ファースト、笑顔ファースト。
そのためにどうするか?
を考えていこう。

カテゴリー: Essay (Word) | 何ファーストですか? はコメントを受け付けていません

本日岐阜新聞ロビ―コンサートです

本日1月22日12時30分より、岐阜新聞本社ロビーにて、ミニコンサートを
開催します。
今回は「愛」をテーマにオリジナル曲ほか、世界・日本の名曲を演奏いたします。
入場無料 お気軽にお出かけください。

岐阜新聞コンサート

カテゴリー: Info | 本日岐阜新聞ロビ―コンサートです はコメントを受け付けていません

命をかけた思想家に、哀悼の意を。

西部 邁さんが亡くなったとの報道に耳を、目を疑った。
ああ、ご病気だったのか?と思った瞬間、自死だったとの
ことで、驚きながらなんとなく納得できるような、複雑な
気持ちにもなる。

お会いしたこともないのに、なぜこんなにショックに思うのか
というほどに悲しく、そして、意思を貫き通し、本当に
自分の一生を自分の考えどおりに実行したその生き様に
深い感銘も覚える。
そして、このことを無駄にしてはいけないのだと
強く思う。

西部さんは保守派の論客としてあまりに有名だ。
最近では読まなくなったS新聞のコラムの執筆者
としても馴染みがあるが、自分が若いときから
えらい筋の通ったおっちゃんだな~。一見、難しそうな
ことを言っているが、実はわかりやすいなあとも
思っていた。
そして、まさに正論を生きる人なんだな・・とは
思っていた。
その方が・・・とは・・・。
お会いしたこともないのに、いろんなことを思う。
ご家族のこと。
そう、子供さんたちの気持ち・・。
このことを予感していたのかもしれないが・・。
自分の親とほぼ同年代だと思うと、さらに考えさせ
られる。
こんなに長く強く自分の思想を持ち続け、そして語り
続け、書き続け、そして・・・人生の最後の手段も
ご自分の考えにそって・・・。(自死という
ことはそういうことだと勝手に理解する)

行動の評論家であったというにも言葉が軽すぎる。
真の思想家だったと思う。
いつも、西部さんがテレビで、雑誌で自身の
考えを述べているのをみたり、読んだりするのが
好きだった。
保守という考え方について、こちらの理解が当時
まだ至らないこともあったが、
あの姿勢、生き様にはずっと共感をもっていた。
そう、人物として興味をもち、尊敬していた。

病院死への疑問・・・。
考えさせられる。

西部さんは自分の思想に命を賭けられたのだと
思う。だから、その死を無駄にしないで、
考え、行動していくべきだと、
お会いしたこともないのに、強く思う。

実は今朝は別の素材を用意していたが、
急きょ、西部さんの訃報に接し、
このことについて書かずにはいられなく
なった。

人はこういう形で、人生を閉じることも
ある。
三島由紀夫もそうであった。
いいか悪いかではなく
そこから学び、生かすことが
残された人間の役目だと・・。

西部さんのような存在こそ、
生きたメディアとして(あえてそう書く)
生き迷う多くの人々に影響を与えてほしい、と思い、
お元気にこれからも活動を続けて欲しかった。
でも、最近は心配していた・・・。
だから、悲しい。

そんなに悲しくても、自分は生きている。
それぞれ、自分の人生を生きている。

新しい今日が始まった。
生きる以上は、一生懸命にやらねば。
自分のミッションを果たすのが
人生だよ。
と、会ったこともない西部さんが
そういっているようにも思える。

今日のミニコンサート
こんな気持ちを抱きながら、
精一杯の笑顔で私のミッションを
果たしたい。

精一杯生き、人生を終わっていく
人生の先輩に、敬意と哀悼の意を
表しつつ・・・。
多くの方から惜しまれる人生は、
素晴らしい。と思う。

ご冥福をお祈りいたします。

カテゴリー: Essay (Word) | 命をかけた思想家に、哀悼の意を。 はコメントを受け付けていません

どこかで、誰かが自分を・・。

生きていると、突然、わけもなく寂寥感に襲われる・・・そんなことは
ないだろうか。
周囲に関わる人間がいても、孤独を感じることはある。

どこまでいっても、人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく
存在だから、基本、孤独である。
生きることとは、不安定、心配な状況のなかで、
与えられた時間、この世に存在するということだ
と思う。

不安定や孤独が怖いから、いろんな安定を求め、努力するのが
これまた人間の特性である。
だから、いろんな宗教やビジネスが生まれたりする。

私自身も、日々、これが日常という感じで孤独を味わっている。
自然に生きていれば、そうなる。
でも、孤独と思うのは、自分中心に考えるから。
自分の
生きる軸を、目線を一歩外にむけると、世界の見え方が
大きく変わってくる。

つい最近、ブエノスアイレスで活躍する日本人の
知人からメールが来た。

一昨年前、ピアソラのお墓参りに行きたいと思ったとき
サポートしてくれた人だ。
久しぶり、かつ地球の裏からのメール。
その1本で、私の中に、いい気が沸いてきた。気持ちいい風が吹いてきた。

ああ、あっちでがんばっている人がいる。
著名人でもない
自分を忘れず、海を越えて(?)連絡をくれる。

再会を楽しみにしてくれる・
そのことがとても、うれしい。
これまで、まいてきた種がどこかで生きている、育っているのだ
と思ったりもする。

世界中のどこかで誰かが自分を覚えていてくれていることを
そのことに触れる瞬間を大切にしたい。

人は心からつながれる。
孤独と戯れつつ、時々巡ってくるこんなひととき。
とくには、
世界地図を見ながらゆっくり味わい、感謝したい。

カテゴリー: Essay (Word) | どこかで、誰かが自分を・・。 はコメントを受け付けていません

雪が降る町を・・・思い出す

写真はちょうど2年前の長崎市。
気象観測開始以来の雪と言われ、交通機関がマヒして、坂の町は突如として休業状態。
そんななかで、
コンサートをやったとは、
われながら、なんという運の持ち主か・・・と今は笑えるが、

どうやら、この1月も長崎に雪が舞った、積もった。
主要道路以外は、ストップし、大騒ぎとなったとのこと。

そんななか、長崎の知人が
「雪の中を歩きながら、今尾さんを思い出してましたよ。あのときも大変でしたね~」
と、長崎にこんな形で記憶に残るとは、光栄なのか何なのか・・。

遠い分だけ、ではないが、ちょっとご挨拶がおくれた。
今年も長崎 行きますからね。

いやー、あんたが来ると、台風か雪なので・・・と言われそうだ。

雪の降る町を歩く、思い出すと、特別な時間が再び蘇り
非日常な感じで、どきどきする。
雪とは、苦労とともに余韻を残す不思議な存在だ。

カテゴリー: Essay (Word) | 雪が降る町を・・・思い出す はコメントを受け付けていません

キャンディは一粒の涙、愛、そして新たな力。

外出から戻ったら、宅配の荷物が届いている。
通販の注文の記憶もないし、もうギフトの季節でもないが・・・。
受け取ると、東京で長年お世話になった女性からだ。
旦那さんがおととし亡くなり、とくに旦那さんとの交流が多かったため、
久しぶりの荷物だ。
何が入っているんだろう。と思いつつも、
荷物のなかに入っているものよりも、封筒に入っている手紙を先に
開ける。

新年のあいさつに続き、そのご婦人らしい近況をつづった文面が続く。
闘病されていた旦那さんを送り、お寂しくされてはいないかと
時々、気になってはお菓子など送っていたが、
だんだん落ち着いて、
時間とともに普段の生活に戻りつつあるようだ。
築地や銀座が当時の活動拠点で懐かしい。でも、今は少し離れたので
なかなか足を運べないが
家にこもっているのは健康によくないので、
足を鍛えるために、近所の駅まで歩くようになったとのこと。

そこにある食品店で、新宿のフルーツ店のキャンディーが
目に入った。
私が喉を使うことが多いので・・・と思い出してくださって
そのキャンディーを買ったので、送ります・・という内容だ。
散歩の途中に思い出していただけるとは・・・。

袋の中にはキャンディーやフルーツのチョコやらいろいろ
わくわくお菓子が入っており、うれしくなる。
なんだか福袋が届いたような気になり、
その中身以上に、その送り主の気持ちがありがたくて
涙があふれた。

娘でもない、何も義理のない間柄であるのに。
時間が経っても覚えていていただけるとは・・。

私も
町を歩いていて、何かを見て、誰かを思い出したら、
同じようなことをきっとするだろう。
として、突然届くのは、うれしいものだなと
改めて思う。

喉を気遣ってくださることがありがたく、
しみじみその袋を握りしめる。

早速、来週のミニコンサートにもって
いこう。

キャンディとは、夢があり、そして涙の粒のようで、
そして、その一粒から、すごいパワーをもらえる感じがする。
まさしく、不思議なキャンディ パワー。

誰かが覚えていてくれる、見守ってくれている。
このことが、自然と自分の背中を押してくれる。

うれしい新春ギフト。
この気持ちを大切にしよう。

今年はこの方に、会いに行こうと心に決める。

カテゴリー: Essay (Word) | キャンディは一粒の涙、愛、そして新たな力。 はコメントを受け付けていません

インバウンドと、京都ブランドに思うこと。

インバウンド強化、目標数値にばかりこだわる人たちの
おかげで、外国人観光客がぞろぞろと日本にやってきている。

東京でもその現象に辟易し、京都ではそれより前から
気になっていたが、今もその混雑ぶりは変わらない。
決して、はるばるやってくる観光客のみなさんには
罪はないし、歓迎の気持ちはもっているが、
それに向けての受け入れ体制、環境整備が整っていない
ことについての危惧をずっと抱いている。

京都の市バスでは、大きなスーツケースをもって乗る外国人が
多く、荷物も一緒に運ぶような状況。
一般市民が乗れないこともあるという。
実際に、久しぶりに京都の市バスに乗ってみて、
混雑の実態に違和感、不快感も抱く。
平日の午後・・・こんな時間も混むのか・・・。
市民の足がこういうことになっているのか・・。
インバウンドが市民生活を圧迫している・・・
このことを言い出しっぺの人たちはわかっているのか?

次に京都でタクシーに乗る。
「外国人の利用は増えていますか?」
「基本的に、欧米人はお金使わないですわ。
 タクシーも乗らんし、バスで移動ですわ。
 食事もマックとかコンビニとか
 そういうので済ませているようですよ。
 お金使うのは、アジア系の富裕層ぐらいですかね」
確かに街には大きな荷物をもった欧米人、そして
中東方面のグループがまとまって歩いている光景も
珍しくないし、駅前にあるコンビニのレジは行列だ。

そして、京都に住んでいた四半世紀前に、
憧れであった 歴史あるレストランに
久しぶりに足を運ぶ。

四条鴨川界隈にあるロシア料理、あるいは中華料理の
お店。いずれもその存在、 とくに年配の方には
なじみの由緒あるお店。これぞ、THE 京都!という老舗と
いうこともできる。

立派な建築物でもある中華料理店。
著名な外国人建築家が設計した。
維持が大変だと、一目見て、心配もする。
そのうち、世界遺産になるのでは?
その店内。お料理やサービス。
これはおそらく、古き良き時代のまま
のような・・・・。
ずっと京都の、一等地の・・・という
イメージに支えられてきたが、
こういったところには、海外の観光客は
来るだろうか?
また国内からの観光客にとってはどうだろうか?
一歩外に出れば、安くて美味しい店が
たくさんあるが・・・。

美味しい店は、時代とともに変化し、
しのぎを削って、お客さんに満足され続ける
店だけが生き残る。
そういう意味では、
東京は競争の数も多く激しく、変化のスピードも速い、戦う市場。
そこで生き残るのと、
長年京都ブランドで支えられ、生きていくのとは??
「京都どすえ」
と言っているだけでは、やがて終わってしまう・・。
今や、京都にもいろんな「外資」が流入してきているのだ。

今回、古き良き時代のまま・・を維持しようとしている
店たちを見て、
京都の将来が心配になった。
決して、あぐらをかいているとは思わないが、
いつまでも、古き良き京都ではないのだ。
という現実の厳しさを感じざるを得ない。

個人的には昔のままの、京都が大好きだ。
今は、違うKYOTOになっている・・。

カテゴリー: Essay (Word) | インバウンドと、京都ブランドに思うこと。 はコメントを受け付けていません