人が育つことに関われる喜び

毎年恒例になってきた、広報チャレンジセミナーが新潟県の燕三条で開催された。このセミナーは実際に学び、実践し、成果を出してきた企業さんの活動報告も交え行うようにと企画し、継続してきた。うんちくをエラそうに何百回語るよりも、実際にやった人が一度語る方が何倍も説得力がある。経験にまさる知恵はないのだから。
今回のパネラーは、豆腐屋さんと、塗装屋さんと、園芸用道具などをつくるメーカーさんの三者。と書くと、普通に聞こえるかもしれないが、三者ともこの業種を超える、素晴らしい挑戦をしている、まさに型破りなオトコたちだ。その挑戦をするときに「広報」という手段が
役だったようだ。このセミナーに向けて、会社にもお邪魔し、社員や家族の皆様にもお会いし、彼らをとりまく環境、仕事の現場も見せていただきながら、より理解を深めつつ、準備を進めた。皆さんの協力あって、本番はイメージどおり、いやそれ以上の「感動ステージ」に仕上がった。
受講者から喜びの声が多く寄せられ、自分もそこで発表できるぐらいになりたい!もっと教えてほしい。自分もああなりたい・・。講演後、名刺交換を待ってくださる方の列ができた。
一度のセミナーで、気づく人は気づく。そして行動を起こす人は起こす。そして続ける人は続ける。そして結果を出す人は全員ではないが、ちゃんとやり続けた人はいい結果を生み出すのだ。500社以上の企業相談を受け、実践講座で一対一で向かい合ってきた企業さんは300社を超えるが、人を育てるなんてとんでもないが、人が育つ場面に、過程に関われる仕事をしていることに、心から喜びと誇りを感じる。
さあ、これからまた次のステップが始まる。情熱と本気の人たちが成長されるそばに、ずっといたい。改めて思う、情熱セミナーであった。写真は、セミナー本番前と本番後。当日取材協力いただいた新潟日報の佐藤記者にも入っていただいた。翌朝の朝刊にさっそく載せていただいた。人が育つそばにいると、自分自身も「育っているかのような」気持ちになれる。

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目的さえ、明確にもっていれば。

日々、気が付けば、いろんなことに追われることになってしまい、焦ったり、緊張することもあるかもしれない。
あれもできていない、これもできていない、どうしようという具合に。
そんなときには、ひとつひとつ、1日1日の目的を明確にすべく、冷静に自分と向き合う時間をしばし持つようにする。
たとえば、100名が集まってくださるセミナー講師をつとめさせていただく。
その当日朝には、自分はこの仕事を何のためにするのか?について自分と対話する。そう、参加される事業者さんのお役に立つため、元気にがんばってもらうため、行動のヒントにしてもらうため・・だと自分自身で確認をする。
今日はこの人のため、今日はここのため、今日は誰かのため、これはあの人のため。そして
それを成し遂げるという、自分の達成感のために行動をする。
同じチャンスは二度とない。一期一会の出会いを、学びを、そして化学反応を創り、楽しむ。
そう思うと、緊張よりも、そのあとの結果の喜びが自然とイメージできて、わくわくしてくるのだ。
過信せず、ひとつひとつ。
目的が見えていれば、いいプロセスになるはず。やみくもに行動しても、また間違った方向に走っても意味がない。
そうこうしているうちに、本番になる。もちろん始まる直前は緊張はする。でも目的が明確だから、ブレない。
全員に喜んでもらう!良かったと感じてもらう。これが今回の目的。
セミナー途中、会場中の皆さんが、楽しみながら、真剣に勉強されているいい空気を感じた。
そして終了後、名刺交換を希望される方の行列ができた。事例発表をしてもらった企業さんにも喜んでいただけた。
ああ、皆さんに喜んでいただいたようだ。よかった、よかった。
今年後半最初のいい仕事ができた。このように、ひとつひとつ目的を明確に、丁寧に行動していこう。

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ごめんね。でも、営業力、対応力の差。

ある方がもう20年ほど前に、「売り込む方も大変だろうが、買う方(選ぶ方)はもっと難しいんだぞ」と話してくださったことが今も時々よみがえる。誰もが、売り込むときは必死になっていいけれど、買う方はそれを選ぶ責任があり、その結果もリスキーであり、確かに「買う」という行為は難しいことだと、経験を積むほどに、だんだんわかるようになった。
今もそうだ。自分の仕事のパートナーを選ぶときは、かなり悩む。
さて、今回ある仕事で、ずっとお世話になっている会社をお断りし、自分で開拓し、みつけた新しい会社にお願いすることになった。
これは1回利用して終わりという仕事ではなく、保守点検という仕事になるため、基本敵にはずっと継続する仕事になる。
この切り替えについて、半年ほど調べ、悩んだ。そして、その結果、長年出入りされている会社に「契約終了」と告げた。なんでも始めるときはノリノリで調子いいが、終わりはなかなか切るのが難しかったりするものだ。(世間では結婚より離婚がパワーがいる、難しいとか言うのが同じかもしれない)そして、嫌な役を演じるというのも、パワーが要る。
そして、その会社の機材の搬出、そして新しくお願いする会社の搬入という当日。
大雨が降っていた。搬出にやってきた「今日で終わり」という会社の人たちとは、ちょっとぎこちない感じだ。どう顔を合わせたらいいかもちょっと迷う。でも、今後もいつかお世話になるかもしれないので、いつもどおり対応しながら、最後はきちんと頭を下げ、気持ちを伝え、感謝する。彼らも「長い間、お世話になりました。」と気持ちよく挨拶してくれた。
なんだ、今日がこれまで見た態度、姿勢で一番良かったじゃない。最初からちゃんとやってくれていたら、取引が続いたかもしれないのに・・。その作業担当員たちは任務終了後、雨の中、営業車に乗り、去っていった。車を見送りながら、正直、心がちょっと痛んだ。最初から、きちんと対応してくれたら、結果違っていたかもしれないのに・・。ごめんね。という気持ち。
でも、今回はそこを選ばず、他の会社を選んだ。
お客さんが困っているときに、いかにその立場に立ち、すぐに対応するか、提案できるか。それが営業であり、それが仕事につながる。
ごめんね。と思いながら、他の会社、商品を選ぶというのは、人生のなかに多くはないかもしれないが、なるべくなら、したくない。今回、お別れした会社のあの人たち。またどこかで会う日もあるかもしれない。
少しでも、今回の経験を今後の営業に生かしてもらえたらうれしい。選ばなかった理由も、きちんと説明もしたのだから。
迅速な対応力こそが、これからの営業に求められる資質。メーカーが営業する場合、気を付けたいポイントかもしれない。

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突き抜けた変人ミーティングを楽しむ。

絵本作家の友達。というか、妹のような存在。彼女は幼少の頃、大病をして、長い間入院をし、病気と闘ってきた。もちろん家族や医師の努力のおかげでもあるが、本人にもすごいパワーがあったのではないかと思う。
一方、私は子供の頃からおかげさまで健康で、子供時代に痛い、苦しいという苦労はほとんどなかった。だから、彼女と一緒にいるときは、生きるということについて何も苦労しないで生きてきた自分を、ちょっと恥ずかしいように思うことがある。
「私はあなたに比べたら、何も苦労してきてないよね。まだまだダメダメ人間だね」というと、彼女は「そんなことないですよ。私は子供の頃は確かに病気してましたけど、今こうして元気で運がいいと思っています。マーサさんが今している努力や苦労に比べたら、私なんか甘いです。だから、同じですよね。人って結局どこかで苦労して・・だから同じだと思います。」大病を乗り越え、それでも病気のことを気にしながら自分なりに精いっぱい生きている彼女を見ていると、なんだか不思議、同じ空に浮かぶ星になったような気にもなってくる。
私たちは誕生日も近い。だから、彼女にとってもザビエルの話はとても興味深いようだ。「マーサさんとザビエルさん、なんだか物語を読んでいるみたいで、面白いですね」と普通は考えもつかないようなことを言う。そうか、絵本作家だからそんな風にも発想できるのだ。いつか、彼女がその面白がってくれる話を絵本にしてくれたら、また面白いかも、とひとり笑う。
突き抜けた変人を目指して生きていこうね!と意気投合する妹。突拍子もない夢を語り合えるように、ずっと元気に健康にいてほしい。

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寂しい奴にならぬよう。

最近お会いした方で、気持ちいいジェントルマンがいる。もう70歳を越えておられるようであるが、今も現役。日々、営業活動もされている。売ろう売ろうとしないで、人間関係の中で、40年以上お仕事をされてきた方なのだろうと推察する。笑顔がとてもいい。人の良さはまさにその表情に出る。
「生涯、現役ですか?」「ええ、私ね。人が好きなんですわ~」とおっしゃる。人脈もかなりお持ちのようであるが、きっとこの「人が好き」がそういう結果になっているのだろう。
とにかく「俺が俺が」と言いたがる人とは正反対の、まずは聞き役、受け手に徹するのがお上手だ。
自己主張をしてわが道を切り開く生き方もあるが、とんがればとんがる分だけ、エッヂを効かせればその分だけ、孤独になってしまうこともある。また「実はね・・」とさりげなく、自分の弱い部分も自然にさらけ出すことで、共感をもたれることもある。結果、この方はどうやら、楽しい毎日をお過ごしのようだ。知り合いが多い、いろんなところから声がかかる。これで生涯現役なら幸せだ。
いろんな人にお会いする。「人生って楽しいですね」と言ってくれる人たちが自分の周りにいてくださるだけで、こちらもまた楽しくなる。さびしい奴にならぬよう。楽しい人になれるよう。と、自分自身に楽しく言い聞かせる。

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文化は「マイノリティ」から生まれる。

司馬遼太郎が、クリスチャンでもないのにザビエルに興味を抱き、その生誕の地から大航海の出発点まで足を向けた記述を知り、わが人生の取り組みテーマも、まんざらではなかったと一人で歓喜に沸いている。
司馬氏は著作で、これまた共感できることを書かれている。人が集中するところ、集まってくるところ・・・には文明が生まれる。ある場所に大勢の人が集まり、そこで生活するとなれば、確かにインフラが整う必要が出てくる。だから文明が生まれる。エジプトも中国も、メソポタミアも、インドも・・・そうだ。都市が生まれると、そこには文明が生まれる。要するに人が生きるに必要なモノ、コトが文明。
これをメジャーとすれば、文化はマイノリティから生まれると定義されている。少数派の思いやメッセージを届くように、独自の手法で表現しようとする・・・自分たちの存在をアピールするために書いたり、つくったり、歌ったり・・・。そう、マイノリティから文化が生まれる。文化とは本来そういうものだ。
今やどこも文化都市をめざし、美術館を作ったり、お祭りイベントを企画したり、すっかりそれ自体がメジャー的になっているが、本来の文化とは、どこか悲しかったり、デカダンであったり・・・するものである。
最近、聴いた障がい者アートのこと、また売れないでひたすら自分流に活動しているアーチスト(自分もその領域に属する)などのことをあれこれ思うと、そう、文化はマイノリティの生へのメッセージなのである。
商業主義とは別の、魂の叫び、嘆き、独白。
司馬氏の考え方からすれば、メジャーから本当の文化は生まれないだろうか?
久しぶりに、真の意味の文化~アート~の意味を考える機会を与えられ、心がとても調子いい。孤独であることを憂う必要はない。何かに表現すればいい。いいものは響き、伝わり、残る。売れる売れない、有名無名とは、無縁であることが心地よい。

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知性を取り戻す、古本との再会。

たまたま池袋で開催されていた古本市に目が留まり、足を向ける。古本市といえば東京ならば神保町であろうが、学生時代、京都の百万遍や河原町界隈にあった古本屋が懐かしくなる。年に一度は大きなお寺の境内で、開催されていた大きな市。なんだかわくわくした頃が急に懐かしくなる。久しぶりにその池袋のビル内での古本市。都内の古本屋さんが定期的に都内の各所を回っているようだ。
各書店ごとのブースを回る。市町村の歴史専門の古書を扱う書店、アニメ関連、美術書、歴史書、芸能関係・・それぞれの書店の取扱い品に特徴があるのが面白い。本だけでなく、古地図やポスター、ポストカードなど雑貨小物も一緒に展示されているのがいい。本だけよりも若い人たちも足を運びやすいかもしれない。しばらく古書は買わなかった。どうしても簡単に手に入る方法を優先してしまったり、必要なものを必要なときに買うだけであったり、1冊の本に思いを馳せてゆっくりページを繰るなんてしばらくしていないかもしれない。たまたま寄っただけなのに、昭和時代への良きタイムトリップに、ついつい引き寄せられてしまう。
そして昭和60年に発行された司馬遼太郎の街道をゆく「南蛮のみち」なるものをみつけ、手にとる。副題はザヴィエルを追って・・だそうだ。へえ.かの司馬さんもザビエルに興味をもたれていたのか・・。迷わず購入する。たった500円になっている。当時4000円の高級本であったようだ。しかも万年筆のようなもので扉に書かれた司馬遼太郎のサイン?これは印刷しているものか?自筆そのものか_?怪しげであり、わくわくしてしまう。
久しぶりに学生時代に購入した漱石全集や、哲学書など・・・のことを思い出し、知的探求心をもとうとしていた若き日の自分を懐かしく思い出した。現在の反知性の時代について、佐藤優さんは近著で書かれているが、世の中の流れがそっちに進もうとしたとしても、知的な楽しみを知る人、本当の豊かさを知る人がいる限り、そしてその魅力が若い人にも伝えられる限り、希望はなくならないと信じたい。
そのツールとして古本はおすすめだ。ノウハウ本よりも、考えさせてくれる教材をもっと活用すべき。
うれしい古本との再会に感謝。今度は久しぶりに神保町へ足を向けてみるか・・。

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寄り添い続けることへのパワー

ある方のご家族が闘病中でがんばっておられる。いろいろ治療を続けておられ、ご本人はもちろん痛くて、しんどくて、大変だと思うが、そのご家族もまた大変だ。気になりながらも、そんなに頻繁にご様子をお尋ねするのも憚られる。でも、毎日心のどこかで、看病されている知り合いのことが頭に浮かび、どうかな~、大丈夫かな~と思いつつ、何もできないでいる。時々メールなどしながら、お声がけさせていただいたり、何か役立ちそうな本や、体によさそうな食品などお送りしてみるが、こちらの自己満足だけなのかもしれず・・とも思いながら・・。
でも、そのことを喜んでくださり、運転中などに私のCDを聴いたり、ブログを読んでくださり、元気をもらっていますよ。心の支えにしていますよ・・とその言葉をいただくと、これまたなんだか切ない感じにもなり・・。
もし、自分がその立場だったら、自分が大切な人の病気を一緒に克服しなければならない立場だったら・・・・・。いろんな不安や心配も付きまとい、また疲れもたまってくるだろう。
誰かに寄り添わねばならない人を応援することは、本当に大したことはできないけれど、間接的にできることを思いついたらし続けるのみ。
喧嘩できるのは元気な証拠、どっちかが弱ればそれもできない。だんだんできなくなる。元気でいることに感謝しなければならない。
介護、看病される人がこれから増えていくだろう。自分もそのうちに・・。自立していられるうちに、とことんできること、やりたいことをやるしかない。
今、ご主人の病と向き合い、闘っておられるこのご夫妻のこと、心から応援したい。苦しくないように、しんどくないように、少しでも気持ちも和らぎ、生きる元気が湧いてくるように・・・。寄り添い続けることにはいろんな強い気持ちと持ちこたえるパワーが必要だ。希望をもって、事態がよき方に向かうように、心から祈り続けたい。

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愛の元気人6月放送は本日27日18時~です。

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」6月放送分は、本日25日18時~19時です。
今回の「にいがた元気人」のコーナーのゲストには、障がい者アート普及活動をされるモザイクの
肥田野正明さんと、心も体もキレイを応援されるカフェオードリーの代表 瀬尾のりこさんの
エキナン仲間たちです。
コミュニケーションなんでも相談室は、新潟市内のあるデザイン会社さんにお邪魔し、お悩みの声を
いただいてきました。プチプチ感動体験談含め、聴きどころ満載です。ぜひお楽しみください。
FM KENTO

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「みんなのうた」になれるよう。

朝4時からの1日のはじまりは、一口のアイスと、コーヒーを入れる香りと、テレビから流れる「みんなのうた」から。これらの刺激が私を内側から目覚めさせ、1日を生きるエネルギーを授ける。アイスは味覚に、コーヒーは嗅覚、そして「みんなのうた」は聴覚と視覚に訴えかける。
「みんなのうた」は、私が子供のころから続いている長寿番組だ。早起き暮らしをするようになり、大人になって見聞きするようになり、改めて「いいな~」と思うようになった。子供心、純粋な気持ちを取り戻し、元気が湧いてくる、そんなメロディが多い。また聞いていて覚えやすく、元気になるレパートリーも多い。
ある方が「マーサさんの曲、『みんなのうた』で流れるといいですね」と言ってくださったことがあるが、確かにそうなる日があったらいいなといつも思っている。いつか、どこかの知らない人の心に触れることができる、それもさりげなく、風のように出会うことができるよう。。。そう、誰かにとって「あ、いいな~」と、心のともしび、小さな元気になれる・・といいな。
毎朝、「みんなのうた」を聴くことは、自分の目標を確認できる点からも、自分自身の覚醒のためにも、有効なのである。
あ、土曜の朝は、流れていないか。。

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