人生は時々、予想もしないことがおきる。
一番予期しないことは、人とのお別れだ。
あれが最期だったとは・・。とは後で思うものだ。
そんなことがまたもやおきて、自分の心の中で整理がつかないでいる。
私はその方にちゃんとしていただろうか?不快なことはしていなかったか?
喜んでいただいていただろうか。
病死とは違い、事故死とはほんとうにある日突然、まさか・・・に起きるものだと
この1か月で2回もそんなことを思うものだとは。
信じたくない報せが続く週末。
一人静かにその方のいろんな表情、その方とのいろんな場面を思い出している。
笑顔できちんと「さよなら」。と言えないことが多いのが人生だ。
今、その方が笑顔で「せんせい、私、やっちゃった」と何度も語りかけてくる。
私に一番多く「せんせい」と呼んでくださった方。本当に一生懸命の人だった。
上越でのライブ実現が、初めての一緒の仕事、そして最後のギフトになった。
突然お別れしても悔いないよう、瞬間瞬間をこれまで以上に大切にしなければ。
信じたくないが、、、。その人にいう日が来るとは思わなかったが、、どうぞ
安らかにお眠りください。
阪神淡路での震災から、21年の朝。突然の別れをかみしめながら、、。
合掌
別れは、ある日突然に。
社長は空から見ているから、がんばろうね。
昨年クリスマスライブの直後に富士山登山中に亡くなられたある経営者のことは前にも書いた。その社長を崇拝し、二人三脚で分身としてがんばってこられた社員の方と再会する。
お互いに思いっきり元気に!と心に決めて来たように、やたらにこにこ笑いながら挨拶をする。でも同時に、お互いの目に涙がにじんでいることはお互いにわかりながら、それでもいつも以上の笑顔で元気に話す。
そして、今年の仕事をどう進めるかについて話をする。だんだん、悲しみを忘れて、いつもどおりの熱い議論になってくる。
熱心にメモをとられる。あれやりましょ、これします。これ、こうしたらどうかな・・。いつもどおり盛り上がってくる。
「社長がしてほしいことをわかっているのは、〇〇さんですから、それに向かって、周りの方にどんどん働きかけて一緒にがんばってくださいね。社長は見てくれていますよ。ほら、今もここにおられるようですね」
と話すと、彼女も「社長見てくれていますかね~」と返してくれる。
家族や上司。かけがえのない存在をある日突然なくすというのはどんなに悲しいか。時間の経過ととみにそれはいろいろ変化していくことだろう。
ご本人でなければわからない感情・・を他人はどうすることもできないけれど、少なくとも、今は最後に「頼もしい部下をもって幸せです」と言われたその部下である彼女を、精一杯応援し続けることが今できることだ。
「本当に素晴らしい社長でした。怒りたいときもあっただろうに、いつも言葉をいったんのみこんでから冷静に話しておられました」
そんなことも語ってくれた。部下はいつも、見ているんだ。
そして、今は社長が空から見ているんだ。だから、いつも相談すればいい。相談の仕方は変わるけどね。自分で答えをもっていないといけないから。でもいつも応援してくれている。
そっと彼女とある約束を笑顔で交わす。だから1年、元気にがんばろうね!
大切な人の死は残した人を強くすることができるだろうか。そうであってほしいし、自分もそうでないといけないと肝に銘じる。
「もっともっと人にやさしく 」・・に共感
年の変わり目に、いろんな方と久しぶりのメッセージ交換を行う。年賀状は形に残る一方、メールはやりとりができるというそれぞれの良さがある。
国内での新年ムードが収まったころ、海外の仲間に遅まきのお年賀メールをする。
バンコクで会社を経営する友人。気概も気骨もある方だ。長らく海外で、ひとりで身を立ててきた、心から尊敬するポジティブライフメーカー。お互いに、常に刺激を与える時代もあった。
今年は挑戦の年にします!新会社も設立するとのこと。そこまではこれまでの彼らしい、力強さを感じる発言。そのあとの言葉にもっと共感する。
「お金儲けはもういい。人にもっともっとやさしくなれることをしたいですね!」
さすが、本当の実業家だと一層敬意を表したくなる。
自分もそうだ。人にもっとやさしくなれること、できることをやっていかねばならない。
元気な観覧車だけでなく、優しさに包まれた観覧車になりたい。
強い人ほど、やさしくもある、そうであろうとする。真の強さとはやさしさなのかもしれない。
カッコよく、美しき生き方、生きざまとその表現。
デヴィット・ボウイが亡くなったと世界中のメディアが報じた。普段、著名人の死にもあまり興味を示さない家人も、「デビット・ボウイが死んだって!?」とネットのニュースを見て声をあげたほどだ。私はロックミュージックの世界には疎いが、それでも彼の華麗さは世間の人々が知るように認知しており、伝説になる人なんだろうな~とは思っていたが、やはりそのとおり、世界が誇るビッグスターであった。ニューヨークタイムスのネット版のトップページにはボウイのさまざまな姿の画像が繰り返しアップされ、いかに多面的な顔をもつアーチストであったかを報じた。
改めてその画像を見ると美しい。個人的には動画よりも、その瞬間だけをきりとった静止画の方が美しく感じる。1枚の写真は限りない想像の世界を与えてくれるからだ。
私たちの中学、高校時代のヒーローだろうか。音楽とはビジュアルでもあるということ、いくら技巧的に優れていても、それだけでは感動を与えず。とくにロックの世界は、独特のハレの世界の自己表現。本来の自分、素顔の自分をよく見ている人だけができるパフォーマンスだと思う。
ロンドンも、ベルリンも、そして亡くなったニューヨークでも・・。世界の各町でボウイの死を悼む人の数は計り知れない。
カッコよくあれ、美しくあれ。そしてやはりメッセージが必要なのだ。言葉で、ビジュアルで、音で・・・何で何を誰に伝えたいのか。
ボウイの死から改めて、クリエイターとアーチスト的な生き方について考えさせられた。
挑戦し続ける人は、カッコいい。唯一無二を目指す人は、かっこいいのだ。
突き抜ける、知の怪物はありがたきお手本。
ある方にいつもエールをいただく。「突き抜けた変人でいてくださいね」これが彼流の激励だ。変人は悪くない。むしろ興味がある。よく「普通」という言葉に対して、幼き頃から「普通って、何?」と違和感をもってきたし、今でもその「普通」
の意味がわからないところもあるし、変人とは貴重な存在な感じもして、憧れもある。しかし、常識的であろうとする大人の世界と、変人とは相いれないところもあり、変人であり続けるというのは難しくもある。また突き抜けるということは、それ以上に難しい。
先日、新潟市主催の「安吾賞」という企画で、佐藤優さんがその賞に選出され、その発表会に参加、佐藤さんのトークを再び拝聴する機会を得た。
やっぱり、この方は突き抜けている。突き抜けた人とはこういう人のことだ。と改めて思った。
本当によく勉強されている。読書量が月に300~500冊?だそうだ。1年ではない。そんなことできるの?ということをこの方はやり続け、他に類を見ない知識人としてご活躍だ。彼のなにげない一言にも厚みを感じ、また歯に衣着せぬ表現のなかにも人としての道理や愛も感じる。年始早々に、突き抜けたお手本に出会い、
まだまだあかん!と突き抜ける方向を探検、模索しはじめる。
もごもご、もんもんとしながら、いくしかない。
好きなことをやり続けると、突き抜けるのかもしれない。それだけに没頭して生きようと思える純粋さこそが必要なのに、まだそこが私には足りない・・。
ストーリーに感動?演出に感動?
同じ作品を観て、感想を言い合うことはとても勉強になる。一言で感動し、涙を流してもその感じる部分は、人によって違うからだ。
たとえば映画を観る。私はその舞台となった場所をより理解したい、時代を理解したいと思ってみているため、当然、その中身について感動をする。
また違う人は、同じ作品を観ていても「ストーリーはいいけど、お金がない映画なんだね。映画としての豪華さがない」という感想を聞かせてくれる。
ストーリーも、演出もすべて感動・・。もちろん作り手の意図もあり、受け手とそれが同じでない場合も多いため、完璧な感動を創りだすことは難しい。
映画を観ながら自分のライブのことをずっと考えている。
思いを構成する。演奏する。盛り上げる。圧倒的な技術力はないが、自分なりの思いで自分らしさでもってまとめたいと思う。
人はどこに感動してくれるのだろう。
プログラムも会場ももちろん演奏も・・・。まだまだ考えがまとまらないまま、時間が経っていくが、いろんな作品を観ながら、作り手、伝え手と、受け手のいい関係づくりについて、もうしばらく模索するとしよう。
牛さんは休みがないですから。
最近、応援している酪農家さん。新年早々もお会いした。
これまで新年のあいさつ、会話では「お正月はゆっくりお休みになれましたか?」
というのが通常だとある意味あたりまえとも思っていた。
だいがいの企業、個人はお休みというのが正月三が日。もっとも最近はコンビニは無休であるし、デパートやスーパーも元旦から営業ということで、正月のありようも変わってくるが、それでもおおむねお休みという理解をしている。
今回、酪農家さんとの会話。家族経営で普段から大変お忙しいのを知っているだけに
お正月ぐらいは・・と思い、「お正月は少しは休めましたか?」と声をかけたら先方さんはにやっと笑い、「いやいや、牛さんは休んでくれませんから、元旦から通常どおりですよ。」とおっしゃった。私はとても恥ずかしくなった。
そうだ。搾乳という仕事に休みはないのだ。毎朝起きる、食事をする・・・といった日々の生活と同様に、乳搾りも毎日の日課なのだ。
しかも1日1回ではなく、朝夕と2回。多いときは3回のときもあるとおききする。
今、酪農業界は大変ときく。飼料の費用が高く、また製品の性質上、日持ちがしない。売れなければ廃棄するしかない。牛乳1本買う金額に見合わない労力もお金もかかっているのがこの酪農の仕事だ。
それでも、皆さんで力を合わせてがんばっておられるその前向き、ひたむきな姿に頭が下がる。
後継者不足にも直面するこの世界。そのなかで奮闘される今回ご一緒させていただいている酪農家さんのことを、今年もより一層応援し続けたい。
人間さまも、うかうか休んではいられない。
「おかげさま」で、やる気倍増。
新年もやっと普段モードになり、落ち着いてきた。(と思っても、また三連休ではあるが)出張も再開、新潟も3週間ぶりで、その間に例年よりはあたたかいが、それでも季節の移ろいを感じつつ、寒さの中、県内各地を巡る。雪が少ないなと思いながらも手が凍りそうになりながら、白い息を吐きながら企業さんとお会いする。
年末年始に考えていたアイデアも含め、あれこれと話をする。あっという間に3時間、4時間を過ぎる。
その時間内に、やることが見えてきたり、物事が整理できたり・・・とにかくひたすら前進しなけれがならない、しかも経営と現場仕事と両方しなければならない、そんな中小企業にとっては、整理する時間はとても必要、しかもそれは新年がいい節目となる。
しゃべり疲れるほど話したあと、相手がぐんぐん前のめりになり「これ、すぐやりますね!ありがとうございます。自分が思っていたことがそれなんです。ありがとうございます。」と興奮気味に、元気に言ってくださる。そして別の企業さんからは「おかげさまで、いい感じになってきました。引き続きよろしくお願いします!!」
とメッセージをいただく。また違う方からはこちらが添削した文書について「おかげでわかりやすくなり、よくなりましたよね。反応が楽しみです」との声をいただき、安堵する。そう、仕事は相手から反応があること、そして「おかげさまで」と言われることは一番のやりがい、歓びだ。
また今年もそんな仕事がスタート。まだまだ続けたい。やっぱり、喜んでいただける仕事は気持ちがいい。
反対回りにすれば、どう?
久しぶりにアルゼンチンに出向きたいと思う。リスボンにも行きたい、ボンにも・・。作品を作りたい、作った作品を届けたい・・と日々いろんな思いが沸いてくる。よく利用してきた航空会社の料金を調べると高い!どんどん高くなっている、うーん、これでは・・。
そこで発想を変えてみる。違うルートで行けばいい。ネットは便利だ。調べてみると信じられない行き方や提供価格が出てくる。
こんな行き方があるか、そうか・・。
思えば南米に行くのには、まず東向いていくということしかこれまだ考えていなかった。東へ行き、南下する。という流れ。
それを西に行って南下する。という発想にすると、全然違う世界になる。
面白そうだ。なんでも今、中東社会の航空会社が熱い。アフリカに行くわけではなく、ましては中東を目的地にすることはなかったので、考えてもみなかったが、いやいや面白い会社がいっぱいある。もっとも中東社会では一部危険もあるため、よく用心して行かねばならないが、反対周りという発想に今回気づけたことがよかった。
地球は丸い。それをもっと実感すればいい。
決まったルートしか通らないないよりも、知らない世界に目を向けることはやっぱり興味深い。もちろんこれまで以上に気を付けて行動せねばならない。
どこまでも自己責任で!
そう困ったとき、煮詰まったときは、反対周りで考えてみよう、やってみよう!
いい方法がみつかるかもしれない。道を変えたり、角度を変えたり、方法を見直したり。目的があれば、そこにたどり着くには必ずいい答えがあるということだ。
エレベータで見かけた監督の背中
昨年から絶対に長崎市でコンサートをするんだ!と心に決め、本格的に場所探しをしていた。
何度か長崎を訪問していたが、4月2日の朝だったか、新潟からわざわざ長崎訪問してこられるとある社長さんとの待ち合わせのため、長崎駅に向かうとき、宿泊先のホテルのエレベータでたまたま乗り合わせたのが、あの山田洋次監督とスタッフらしき青年。
いきなり密室でそんな著名な方とのち合わせるとはびっくり。うりふたつに見えるがご本人かな?さすがに声をかけることはせず、勝手にどきどきしていた。その二人はエレベータから降りたあと、そのままホテル前からワゴン車に乗られ、出発された。
きっと監督に違いない、長崎でロケかな・・。あまりに普通で自然体でテレビで拝見するそのままのお姿に絶対本人だと確信しながら、なんだかわくわくしながらそのまま新潟の社長さんと合流、長崎の原爆ホーム訪問、被爆者の方にお会いしたり、その後コンサート会場探しに奔走し・・・そしていつの間にか、そんな瞬間のサプライズのこともしばらく忘れていた。
そしてその後、何か月かしてから、山田監督の指揮により、終戦70年、松竹120年を記念した長崎を舞台にした、大型の作品が完成したということを知る。それが現在上映中の、「母と暮らせば」である。
あの春にお見かけしたときは、きっと監督はこの作品づくりのため、長崎に来られていたのだと思ってはいたが、この大作だったとは。
と、エレヴェータでの勝手なご縁があったもの、惨すぎる原爆をテーマにしたその作品を積極的に観る勇気もなかった・・。
しかし来る1月25日長崎でコンサートをやるにあたり、いろんな長崎を自分の中にもっとれておく必要があると思い出し、映画館に向かい、そしてその作品を観た。
約二時間。最初から涙がとまらない、映画を見てこんなに泣いたのは久しぶりだ。そうだ、長崎の原爆資料館へ行ったときもずっと泣いてしまう。言葉にならない悲しみでいっぱいになる。その感情と同じものがこみ上げてきた。戦争が巻き起こした恐ろしい現実は、さまざまな人々のかけがえのない人生を瞬時に踏みにじるだけでなく、その影響は今日にまでおよび・・・しかもそのあってはならない惨い歴史は70年という時間のなかで風化してしまう。そんなタイミングに誕生した作品なのだ。
そしてあの場所、あの角度、あの教会の屋根・・と自分にとって記憶に新しい場所がところどころに登場し、悲劇のリアリティを実感もした。
山田監督はこの作品にどんな思いを・・・?とあれこれ私なりにあれこれ考えてみる。とても簡単に言葉にできないが、この悲しい現実を忘れてはいけない。風化させてはいけないという強いメッセージを確かに受け取ったということは間違いない。
あのエレベータでお会いした日の朝、監督は何を思い、どこへロケに出かけられたのだろうか。
映画監督という仕事は大変な仕事であるが、思いを作品にする!究極の芸術であり、何よりも強いメッセージを発信できる総合的な芸術、コミュニケーションツール、メディアであることを改めて知り、作品以上にその仕事ぶりに感動する。
長崎・・・映画を観て改めて、この町をもっともっと大切にしたいと思った。
吉永小百合さん、改めて素晴らしい女優だ。昭和という時代がどんどん遠くなっていくが、監督や女優のこの素晴らしい仕事を風化させてはいけない。山田監督の背中を、今改めて思い出す。