「アテンションプリーズが苦手なんですわ!」

情報系のお仕事をされている人との勉強会は刺激的だ。ああこういうシステムで、こういったアプリで世の中をより「便利」にされようとしているのだな~。とその着眼点からも尊敬。さらにアイデアだけでは商品にならないから、その思いを実際のサービスに具現化されていることについて感心しきりだ。しかし、その専門的技術的な世界でどっぷりつかり仕事をしていると、マーケティングの基本であるそれが求められている市場を見るとか、誰に伝えたいのかといったコミュニケーションの一歩がまだできていない場合もあるようだ。この道50年。ソフトだけでなくハードまで作ってしまうというすごい会社の社長に出会う。50年とは、パソコンがまだまったく普及していないどころか、認知されていたのはごく一部の専門世界だけであっただろう。そのときから半世紀もITに携わっておられるとはすごい!しかし、その50年間、売り込んだこともなく、自分から発信したこともない・・とのこと。だから今年は営業元年として再スタートするのだと意気込んでおられる。レクチャーのあと「私は、そのアテンションプリーズというのができないんですわ」といわれる。一言で伝える、簡単な言葉で表現する。ここは出会いを創るために必要だ。いろいろ聞きながらいくつかのワードが浮かび、それを伝えると「あ、そうか!」とひらめきの顔になる。ちゃんとした内容がある、しっかり仕事をしている人はまずこのアテンションプリーズさえ、ターゲットに伝わればあとは早いのだ。興味をもった人と出会ってしまえば、あとはしっかり口説けるだけの内容があるのだから。

またまた熱心なITビジネスマンたちに出会えて、こちらもわくわく!アプリもソフトも立派なモノづくり。決して特殊な世界ではないから、やっぱりマーケティングコミュニケーションが重要なのだ。

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文明社会と手荷物。

手のが痛みがとれないため、重い荷物をなるべく持たないように、リュックというかバックパックを多用するように心がけるようになった。荷物を背負うのは慣れないうちは抵抗があったが、慣れてくるといやはや、世界観も変わる。なるべく手に何ももたなくて良いようにするには、荷物をいかに減らすかで持ち物の選定はむつかしいが、背負ってしまえばこんなに快適かと、歩くのが楽しくもなる。また両手がフリーであるというのは、なんという解放感か。何十年もずっと手に肩にモノをもつことが当然であったが、背負うのは始めたら、やめられない。なぜ小学生がランドセルを背負って通学するのか。考えたこともなかったが、今は同じようなスタイル?でちょっとした「一年生になったら♪」の気分だ。

二宮尊徳さんスタイルで、休み休み本も読めそうな・・・。いやはや肩こりも軽減され、手にも負荷がかからず、背負うのはなかなか良い。手に持つよりもより重い物を運べてしまうのもすごい。

山登りをする人も、カメラマンや常に重い機材を運ばねばならない人たちも、まずはリュックだ。手をフリーに、いざというときの場合に。

もちろん何ももたない「手ぶら」がもっと快適ではあるが、ま、そうもいかない。人類はいつからカバンを持つようになったのか・・。興味深いことである。いずれにせよ、文明生活の進歩とともに、移動社会となり、便利な社会は多くの道具をもたらした。よって、移動が増えれば増えるほど荷物は多くなってきた。旅とともにバッグ市場が拡大したと推察できる。

現実を見渡すとみんな、重い鞄を持って移動している。モバイルツールの普及で重いパソコンを持って歩く人は少なくなったとは思うが、昔より荷物が増えていることは確かだ。だから、整形外科も整骨院も薬局も必要とされる。

いかに、手ぶらで歩くか。いかに持たないか。が健康移動の秘訣だ。

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たまには、ユーミンのように。

夜仕事をしながら、テレビをBGM変わりに流しておく。チャンネルを廻していくと、思わず手が止まる番組を発見。演歌の番組だ。しかも、あの三善英史が出ている。中学生以来のご無沙汰かもしれない。明らかに自分より年上だから、たぶん60代だろうか。わあー、とその変化に驚きながらも、でも面影は30年前と同じであることにも感激する。顔には皺・・人のことは言えぬ。それよりも演歌歌手としての矜持といおうか、スタジオで歌う姿はあの時のまま。さすがにあの「雨に~」の出だしは高音なので、無理しているかなと思いつつも、それでも30年経っても同じ歌を同じように歌える歌唱力に仕事の手を止めた。そして。なぜかあの演歌の世界に強いノスタルジーを感じた。

昔はこういった男女の仲とか、なんともほろ苦い人生劇場が酒場に散らばっていたし、飲み屋のママたちには、このような演歌がぴったり合うような雰囲気があった。京都祇園、新宿は歌舞伎町・・・私にとって20代から30代にかけての酒場修行は人生道場そのものだった。そして、演歌が生きていた時代だ。

ああ、あのころが懐かしい。きっとそんな日陰の存在とか、女の存在も女性の進出とともに消滅したり、情報化社会のおかげかみんなうまくやるようになり、そんな情緒もなくなったのかもしれない。影で泣いている女も男性社会が作ったイメージだろうから。でもそれでもなぜか、その時代を思い出すと胸が熱くなる。

ああ、あのころはやっぱりなんとも情緒があったな~。色があった、においがあった。

と、三善英史の歌を聞いて思った次第。ああ。あの頃に戻りたい。酒におぼれて、つぶれて・・恨み節、呑ん兵衛男の無責任さ・・、なんだか盛り場が面白かった。みんな、飲み屋でカラオケを歌い、憂さを晴らしていた・・。今はそんな場面は少なくなっている。

演歌・・・大人になって聴き直すと、やっぱりいい。ああ、あの頃にかえってみたい。

歌舞伎町のスナックやそこのママや、今は亡くなったお客さんたちのことを思いだし、

演歌もいいな。久しぶりに歌いたくなった。三善英史さん、どうぞ長くご活躍を!

あの頃に帰りたくても帰れない、わが青春時代。ユーミンの歌のようだ。

すっかり、やっぱり昭和人だ。

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できれば直接・・がいい。

熊本や大分に知り合いがいなかったか・・・と見渡しても、いない。そういえばと思いついたのが20年前お世話になっていた会社員時代の社長。確か熊本出身だと思い出す。連絡先がわからないかと探していると昔の手帳になぜか自宅の住所や電話番号。当時はすでに熊本ではなく京都にお住まいであったから、その連絡先とは京都。しかも自宅にかけるなんてことはなかったから初コールだ。なぜ、お世話になった会社の社長や上司の自宅の連絡先まで記録してあったかは謎であるが今となればそれが役に立つ。熊本出身の元社長さん、今は90歳手前ぐらいのはず。電話がつながった。元社長が出られた。お元気そうだ。「あの、私以前、●●印刷でお世話になっておりました今尾昌子です」と言うとすぐ「おっ」と思い出してくれた。そして熊本が心配で電話したことを伝えたら、おかげさまで何もないよ。大丈夫・・と答えてくれた。こんなきっかけで初電話というのもなんともいえないが・・。とにかく一安心。

他にも実家が熊本という知り合いの方には電話をした、こちらも大丈夫との返事・・。ある知人は仕事仲間が熊本にいらっしゃるそうで電話をしたらライフラインがダメで今後不安だと聞いて心配されている。またある方の元部下夫妻は被災され、避難所へ行っても満員でどうにもならず、結局家に帰ってこられていると聞き、ああ、皆さんお困りだろうなと心が痛む。その方はどこかの団体を通さず、状況を確認した上で直接その元部下さんにお見舞いを送るといわれた。そりゃそうだ。知り合いがいたり、具体的に困っている方がいたら、その人にまずと思う。直接の協力、応援が一番だ。今、自分ではツテがないから、ひとまず団体や店舗を通して少しづつではあるが協力させていただくしかないが、それでも何もしないよりはいいかと思う。直接お役に立てることがあったらぜひ!と思う。普通に生活で来ていて申し訳ない・・という気持ちがある。だからせめて自分にできること、小さくてもいいから。そろそろ「くまモン」が地元の応援のために活躍しそうだ。とにかく、熊本・大分のみなさんが安心して過ごせる時間を早く取り戻せるように。

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さまざまな職業の人に会う歓び

会社の中、組織の中だけに長年勤めていると、とくに内勤のお仕事であると人間関係が固定化することもあるかもしれない。また家庭だけにいてもそうなるかもしれない。またお店を経営していても、農業をしていても、何をしていても、意識しないと気が付けば限られた人としか交流していないということに気付くかもしれない。それがいいという場合はもちろんそれでいいし、それに飽きたら変えればよい。私の場合は、もともと印刷会社で働いていた時代もあったおかげで、いろんな業界の組織を運営する、またはそこで働く人たちに出会うことができ、モノづくりをするためにいろんなクリエイターたちにもお世話になり、それぞれの仕事ぶり、仕事観、生き方にも触れることができた。そして価値観が共有できる方たちとは今日までおつきあいいただいている。

この1年間を振り返ってみても、実にいろんな職業の方に公私ともにお会いしている。キューバに魅せられているカメラマン、クリスチャンの活動をしながら仕事も99歳までがんばると燃えている社長、市長、宗教ジャーナリスト、建設コンサルタント、不動産屋さん、金融機関の女性店長、パン屋さん、カラーコンサルタント、教会のシスター、税理士、カステラ職人、イチゴ農家、マジシャン、酪農家、習い事教室の先生、美容師、料理人、ミュージシャン、福祉施設の方、タクシードライバー、書家、お花屋さん、休業中の方、地方公務員、画家、看護師、エステティシャン、海外に住むビジネスマン・・・・・・・。まだまだある。数えきれないほど、いろんな職業の方にお会いし、お話をしたり、いろんな交流をさせていただいた。違う世界を、道を生きてきた方との会話ほど刺激を受けることはない。自分には思いもよらない、想像もしなかった人生がそこにあるのだということを知ることはとても勉強になるし、いろんな生き方、人生があってこの社会が成り立っていることも理解できる。そして応援したくなる人がいっぱい生まれるということは幸せだ。これまで知り合い、関係が継続している人は、人生に対する価値観に共通点が必ずある。会うことで、交流することでお互いが相手のこと、そして自分のことを確認でき、生きる勇気や元気がわいてくる。最近会ったのは、メイクアップアーチスト。こりゃ、初めてだ。なんでも芸能人や政治家のメイクも担当してきたそうで・・。その政治家の名前もきいて安堵、納得。(?)表舞台に出ている人たちの裏にはいろんな仕事がある。自分は誰の役に立つか、立っているか、立ちたいか。そんなことを考えるにも、いろんな職業の方にこれからも会い続けたい。

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まだまだ貧乏なわたし

最近、来日された元ウルグアイのムヒカ大統領。前から何かの記事で知り、ほぉー、こんな偉い方がいらっしゃるのか~といたく感動しており、いつか会いにウルグアイまで行ってみたいもんだと、勝手に心の師匠として仰いでいる。その方が著書の文庫出版を機に、日本にも学びたいとのことで初来日され、各界で報じられた。その方は「貧しい人とはモノを持っていない人ではなく、モノをほしがる人のことだ」ということをおっしゃっている。おそらく多くの方の心に刺さったのでは。むろん私の心にもグサリささった。そうか、じゃ、今度この方が中国人の爆買状況をごらんになったら、どう思われるのか?と一瞬、よけいなことも思ったが、人のことはおいといてわが身のこと。

私はまだまだ貧しいな。と正直思う。若いころから比べれば少しだけ考えるようになったかもしれないが、まだまだムヒカさんに比べたら恥ずかしいほど貧しい。今回、この言葉聞いて、もっと身を引き締めねばと思った次第。

モノよりも大切なことが何かはだいぶわかってきたつもり。お金より大切なことについても同じだ。モノがなくても、楽しく生きられる、お金をかけなくても幸せに生きられることが大切だ。おかげさまで、今の自分はとても幸せだ。そのことがわかっているのだから、もっと心豊かに暮らせるはずだ。でも、現実都会にいると、誘惑が多いのも確かだ。だから、もっと根本的にわが人生を見つめなおさねばならない。

マザーテレサに感銘を受けたと同様、ムヒカさんにも同じような感動を受ける。ご苦労があってのその言葉。重みが違う。もしかしたら、つらく苦しい経験こそが、人を真の豊かに導くのかもしれない。苦労がまだまだ少ないわが身は、まだ貧乏な人だ。

もっともっと豊かな人になりたい。この正しい意味を、若い人たちもよく理解し、そうなるための道を進んでくれたら日本はもっと良くなる。経済力とか、軍備力とか・・相対的かつ、結果人々を貧しくするための生き方ではなく、一億総●●ではなく、ひとりひとりがそれぞれに笑顔になれる生き方が大切なんだよ。と、師匠は教えてくれているように思う。

ウルグアイは、わが愛するアルゼンチンの隣国だ。ブエノスアイレスと共通する音楽文化をもっており、素朴だけれど心をうつ音色が根付いていると聞く。いつか師匠にあえるように、がんばろう。まだまだ貧しいわたし。もっと覚醒せよ。といいシグナルをいただいた。

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がんばれ!くまモン!

熊本の地震が終わらない。止まらない。なんでこんなに何度も何度も揺れるんだろう。余震といっても何度も震度6規模なんて・・。しかも最初の地震は今となれば前震だったとか・・。あの地方は地震はない、少ないと思い住んできた地元のみなさんのことを思うとたまらない。怖いだろうな。本当に・・。いつまで続くんだろう・・・という状況は一番不安なはずだ。不安を抱えたり、大切な人を亡くした方へのインタビューは心が痛む、こんな時に止めておけばいいのにと思えてならない。マスコミがこういった緊急事態にネタありきではなく、正しい報道活動をし、少しでもその情報が被災地に役立つようにしてもらいたいと切に願う。そして、不眠不休で仕事されておられる皆さんに頭が下がる。この夏は、熊本城に行こうと決めていた。お城もえらいこっちゃの状態だ。熊本といえば、「くまモン」。この大人気キャラクターのおかげで内外からの観光客も増えているはずだ。みんなを元気にしてきた「くまモン」も今は出番がない。それどころじゃない。とにかく、早く余震がおさまり、被害が食い止められるように、早く復旧活動ができるように。こんなときこそ、自衛隊の皆さまにお願いしたい!!こういうときにこそ必要な存在なのだから!ずっと続く情報を見つめながら、東北の、阪神の、新潟のことを思いながら、抗えない自然の力に、どんなことをしても地震をなくすことはできない人間の非力が哀しくなる。そして、「自然には感情がないですから~」と言われた大船渡の方の言葉が思い起こされる。

改めて、何事もなく平穏無事に生きられることに感謝し、自分ができることをしたいと思う。新潟の人々も、それぞれ動き始めておられる。そして台湾からの声援も聞こえてきた。みんなの応援が聞こえていないかもしれないが、どうぞがんばってほしい!「がんばれ!くまモン!」

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大真面目な人をホグホグ

どこから見ても大真面目。硬い!と周囲から言われるような人。時々お見受けする。いわゆるガチガチの、表情が緩むことはなく、何か意見を求めると「昨年もそうだったから(前例もないことですし)、前回どおりでいいのではないでしょうか?と答えてくれる人。言葉に抑揚がなく電話で話しているとよけいに見えないので相手に誤解されてしまうこともあり、損をしているような感じを受ける人・・。でも言われたことは、きちーんとする。称賛しても、反応は薄い。きっと人前で口を開けて笑うことはないのではと思う感じ・・。と、そのようなタイプの人とチームを組んでの仕事が決定。本当に真面目でいい人だと思っているので、こちらも真面目になんでも直球で会話のボールを投げる。仕事の連絡も「ああやりましょう、こうしましょう・・、これをした方がいいと思います」とメールでボンボン投げる。かえってくる球は、事務的な返事。大丈夫かな?あんまり言うので不愉快に思っているのかな?怒ってないかな?と思えてくるが、ま、まじめな人だからおとなしいだけだろう・・と思い、後日やっとご対面。メールでやりとりしているときと変わらない。「いやー、不愛想なメールで失礼しました~」なんて打ち解けはない。静かな会話だ。相手は必ずこちらが言葉を発するまで無言で私をみつめる。・・・二人の間でなんとも言えない空気。黙っているのもおかしいので、いつもどおり元気に話しまくる。冗談のようなことを織り交ぜ、場を盛り上げようとするが、それを折り目正しくじっと聞いている。返事を丁寧にしてくれるが、議論にはならない。やっぱり議論というかもっとコミュニケーションがしたい。と、この人を崩しにかかる。「あのさ、もっとチームとして仕事したいと思うし、●●さんも思うことがあったらどんどん言ってくださいね」「はい」。また沈黙。お互い目を見ている。もう笑い出しそうだ。相手も実は目の奥で笑っているのがわかった。これで大丈夫。少なくとも嫌われてはいない感じだ。「今回の仕事、どうですか?ぶっちゃけ教えてくださいな」と切り出すと「そうですね~・・・・・」とやっと少しフランクに話してくれた。その内容に相槌をうって聞いているとなんだか表情がほぐれてきたような・・。「この仕事は私たちチームですから、助け合ってがんばりましょうね」

というと、また真面目に「はい」。その返答ぶりにも慣れてきた。真面目な人は何かその奥底に何かお宝があるようで、興味深い。芯が強いのだとも思う。とにかく大真面目な人であり、打ち解けるまでには根気が要るが、表面的な人よりずっと好感をもつ。これから一緒に取り組む仕事で、お客様だけでなくご本人にも刺激になるよう、楽しく取り組もうと思う。彼をもっと崩すのがひそかな目標でもある。いかに彼を笑わせるか。そして一仕事終わったら、笑顔で握手しよう!

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毎年、人間関係を創り直すタフな職業

新年度がスタートして、2週間が過ぎた。前にも書いたが日本には2回新年がある。1月は個人としての新年、4月は公人としての新年度というところか。働く、学ぶ環境ががらりと変わる4月はおめでたい人もいるが、そうでない場合もある。「動かねばならない」こともあったり、勤め人であるが故に、いやといえない異動があるのも、この季節だ。この10年以上、公務員のみなさんとも仕事をさせてもらっているが、毎年この時期になると彼らを尊敬する。毎年この時期に、職場環境が多かれ少なかれ変わることに慣れているのだ。民間企業であれば、ある程度流れの中での変更、異動であるため予想もしやすかったり、組織が激しく変わることは役所に比べれば少ないと思う。上司は長年上司であるし、部下もその上司をみて育つもんだ。しかし、公務員は専門職でない限りは、大きく変わることもある、2年か3年同じ職場という条件で一緒に働くことを前提とした人間関係がはじまる。もちろんそこから長く続く良き人間関係もあるし、2年や3年の異動とともに関係が切れていく場合もある。いずれにせよ、新年度は新しいメンバーでとにかく仕事をスムーズに再開させる大切な節目である。公務員のみなさんのその対応力、引き継ぎ力は大変なものだ。自分でなくてもできるようにしておく。という準備が日ごろからされているのか、昨日までまったく違う仕事をしていたのに今日から違うステージで活動できるその年度突破力は大したものだ。10年以上そのそばで仕事をさせていただき、年度末新年度の重み、プレッシャーがこちらにも伝染するようになった。もちろん職場環境が変わったり、かかわる人が変わると気分まで変わるから、年度のこのドタバタはいろんな意味でリセットなのだ。さあ、今年度も新メンバーとも顔合わせが済んだ。この1年、全力で一緒に地域の役に立てるよう進みたい。

 

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煮詰まったときは、町をてくてく

知り合いの作家は、毎日散歩をすることを習慣化されていた。今から思えば書斎にこもって書き仕事をする身に、適度な運動は大切で、散歩が手軽な運動法であったと思うが、それ以上に企画時間として最適だったのではないかと最近になって気が付いた。

時間に追われる生活ではいかに早く目的地に着くかばかりを優先しがちであるが、今日はあそこまで歩いて往復しようと決めて、歩くことや町を眺めることを目的にするとみるみる脳みそが開いていくのを実感できる。町とは建物や道だけでなく、そこに住み、働く人があって成り立つ。そしてそれは一時も止まっていない。その変化を見つめ続けることで、予想していなかった世界を発見したり、新たなヒントがわいてくる。そして歩き疲れたらカフェで一休み。そしてカフェの中で、一人ひとりのお客を観察し、その人の人生や今日一日を自由きままに想像する。そうこうしていると、乾いていた心、空っぽになっていたかに思っていた頭が満たされて、これだ!という発想につながることもある。

気分が悪い時、テンションが上がらないとき、アイデアに困ったら町に出る。無目的に過ごす時間にこそ、お宝がある。ということで、気が付けば神楽坂から神保町、さらには日比谷までてくてく歩く自分がいる。

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