悔し涙は、必ず「大きな糧」になる!

レスリングの金メダルラッシュのあと、主将である吉田選手のまさかの・・・。
彼女の試合後、表彰式、インタビューの様子を見て、涙が止まらなかった。
自分が金をとらなくてどうする。ここぞ、見せ場、ここぞ!という意気込みは人一倍あったはず。
感動続きのレスリング女子の最後を締めくくるのは、吉田選手の金メダル!と誰しも思い描いていただけに・・。
彼女の涙、あのくちゃくちゃな顔、あんなにメダルの色が変わるだけで、表彰台に立つ人の表情がこんなにも変わるのかということを初めて感じるほどに泣きじゃくっていた。
そしてメダリストの写真撮影のときも、金・銅をとった選手はにこやかであるが、彼女は泣いていた。
うれし涙と、くやし涙はやっぱり違う。
人生は、うれし涙も、くやし涙もある。涙が出るのは極限状態、そして泣くだけ泣いたら、次に
進める。
そして、彼女はしばらくしたら、今回の結果を客観的に冷静に分析し、次に生かすだろう。新たな選択をするだろう。
金メダルだけを考えて生きてきた、鍛えてきた・・。そんな人生だからこその涙だろう。
日本中が、世界からも彼女の功績は認めている。
メダルの色より大切なことがある。
悔し涙を見せてくれているそのこと自体が、私たちに感動を与えている。
あんなにがんばったんだもの。

あんなに悔し涙が出るほど、生きているだろうか?やることやっているだろうか?
ふと我に返る。
人のことで泣いている場合じゃない。泣ける人生に、直ちに着手!せよ!と自分に喝を入れる。

それにしても、ふるさとの応援団たちが「泣かんでいいよ、がんばったから。はよー帰っておいで」
と言われていたその言葉も涙を誘う・・。

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応援されるから、がんばれる!

オリンピックもクライマックスに近づいている。
決定後、開催直前までいろいろあって、心配されてのスタート。
始まってみれば、とくにテレビやネットで観戦する者にとっては
競技しか見えないので、「無事に」大会は運営されていると思える。
この国の大統領はどんな気持ちで、このオリンピックを見ているのか
と想像すると落ち着かないし、会場の外ではさまざまな犯罪も
発生しているかもしれない。それでも閉会式までに、テロや大きな事故さえ
なければ、いったん成功といえるだろう。
それにしても、たった2週間のイベントなのに、てんやわんや。
次の東京オリンピックが。。。。気になる。
が、この騒動を選手たちの純粋な努力、奮闘による感動が、
打ち消してくれていると思うと、
アスリートたちに感謝したい気持ちにもなる。

メダルの数よりも、とにかく勝っても負けてもがんばった世界中の
全ての選手を尊敬する。
そこに出るだけでも、非凡であり、努力なしにはあり得ない偉業である。
なぜ、彼ら彼女らは、ほんの瞬間の勝利を目指して、そこまでがんばれる
のか?
それは一重に支えてくれる人、応援してくれている人がいるから。に
尽きるのではないか?
人は見られる、見守られる、応援されることで伸びる、成長できる。
誰も関心をもってくれなければ、孤独な努力は続かないはずだ。

応援されるということが偉大だ。
応援したくなる人になるということが才能だ。
今回のオリンピック。数々の選手のインタビューを聴きながら、応援の力に
ついて改めて考えさせられた。

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痛みは拡散せず?

ここんところ、旅先で医者へ行くということが続いている。
(いずれも振り返れば、心配に値するほどの大した病状ではない)
不思議なもので、過去にはそんなことはなかったのに、
今年になって、長崎では春、夏とそれぞれ突発的なことがおきている。

春の結膜炎。その時、地元でお世話になった眼科医院。
看護士さんが誠に、ご親切で無事早々に完治。
いやー、もう旅先で医者の世話には・・・と思っていたら
今度は五島で腹痛でちょい苦しむ。

訪問先で、しかも僻地での腹痛は不安になる。
宿でとりあえず胃薬をもらうが、旅先、しかも島での腹痛
というのはどうも落ち着かない。

それでもなんとか船に乗り、島から長崎市へたどり着いた。
船が揺れずに、本当によかった。
そしてお盆休み中にやっている病院を教えていただき、
飛び込む。
長崎弁が飛び交う待合室で、診察を待つ。
旅先の病院体験は、なかなか貴重である。
(決しておすすめすることではないが)

問診と触診でまずは帰宅するまで2~3日の
痛み止めの薬を処方してもらい、
安心を得る。
市販の薬だけでなく、専門家の診察を受けられると
気持ち的にも安心。
旅先での疾病は無事に帰らねばならない!という
緊張もあり、よけいにそうだ。
おかげさまで、東京に戻る頃にはすっかり腹痛もおさまり、
元気がみなぎってきた。

ふと気づく。
腹痛が激しいとき、手の痛みを忘れていた。
だから、思わず重い荷物も苦痛なしに持ち上げてしまった。
痛みは散るのだと聞くが、本当か?
または、心臓に近い臓器の方が、
より痛みを感じやすいのだろうか?
先端もまた痛いとは思うのだが。
とにかく、今回、間違いなく、痛みが散ったと感じた。
腹痛が収まれば、あとは何でもいい。ぐらいの気持ちに
なったのも不思議。

おかげさまで、腹痛おさまり安心。
と思ったら、今度は手首との葛藤。
散ったと思ったが、そうではなかったのだ。
痛みがまだ残っていたことに、気づく。

情報が拡散する時代。
これらの情報は広がり、散ってなくなるのか?
破片のいくつかは残るのだろうか?

と痛みの拡散とからだ、情報の拡散と社会について
一見、飛躍したことを想像してしまった。

痛みはカラダからのシグナル。

とにかく、気を付けよう。

旅先でお世話になった医療機関や、紹介や予約手配してくださった方、
薬を与えてくださった方たちに感謝。

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素朴なものにますます、惹かれる。

根っからの庶民として育ってきたせいか、また時代が時代であったせいか、凝った料理や食べ物はあくまでも特別なものであり、そりゃ高ければ美味しいでしょう~。と思うのは、今も変わらないし、
気取った店は、自分には合わないと改めて思っている。
これだけ外食産業が発達しても、味も何もわからない素人たちのネットへの書き込みにより、店の評判が左右されているこの世の中、結局美味しい店は、好きな店は少ない・・ということになる。
お店をやる側、プロからしても、中途半端では生き残ることができず、難しい時代とも思う。
売れる、話題の店になるには、一般受けしないといけない。
情報好きなお客のためか、うんちくたっぷりの商品、説明的な長いネーミングも健在であるが、アタマで食べるものは、食べる前に疲れる。

本当に美味しいものは、シンプルである。素朴である。
複雑であればあるほど、おいしいと感じられない。
と、最近ではそのように思うようになった。

そんななか、私が大好きなものは、ポルトガル生まれの玉子をつかった焼き菓子。
その筆頭はカステラであるが、パウンドケーキもエッグタルトもシンプルで
美味しい。マンマ~おふくろの味~もそうだ。
時代が変わっても、おいしさは変わらない。

そして最近、それと同じように好きで積極的にいただくのが、障がい者のみなさんが
作ったお菓子である。
クッキー類の種類は豊富で、最近では半公共施設なカフェや売店をはじめ地域の各
施設、駅でみなさんが創ったお菓子が店頭に並んでいるため、必ず手にするようにしている
が、いずれも大変安くてびっくりする。パティシエという人たちが作るお菓子と比べる
のはもちろんおかしいが、それにしても破格的に安価なのである。
こんな安く売っていいだろうか。
と心配になる。

そしてその味は・・・どこの施設のものも、シンプルで大変おいしい。
素材もシンプル、調理法もシンプル。そして障がい者の方の一生懸命さが
そこに一緒に練り込まれている。
彼ら彼女らの仕事を応援したい、売れるという自信をもってほしい、というのも
あるが、おいしいから買ってしまう。というのが本当のところ。

これからも障がい者の方の仕事をいろんな方面から応援したい。
それにしても、本当においしい。
素朴なもの、素朴な人は、一番安心である。

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初盆。お見送りは明るく、笑って。

自分のこれまでの人生で、長崎の精霊流しほど、初盆を意識する行事はなかった。
お盆は1年に一度故人が帰るといわれるこの期間、お供えをもって迎えもてなし、祈り、しずかに
送り出すという仏教行事である。そのもてなし、お供え、送り方はさまざまであり
大変に地域性豊かな行事。地域によっては、盆踊り、夏祭り、日本でもお盆の締めくくりとして
京都の「送り火」はあまりにも有名であり、死者をおくるとともに、夏をおくる・・そんな
季節のクライマックス的な風物詩になっている。

そして、長崎の「精霊流し」。初めてみたときには、さだまさしの名曲とあまりにもイメージが
違い、パワフルでちゃんぽん的な行事で驚いたが、それゆえにより一層、心に刻み込まれた。
なんといっても、爆竹とかなり高音の鐘の音が強烈だ。中華街のパレードかと思うほど。
派手に華やかに死者を送り出すという、アジア的な行事・・。その反面、その明るさに隠された
寂しさや悲しさを感じ、泣きながらでも元気に拍手で送らねば・・なんていう複雑な気持ちに
なってしまう。
彼岸へ向け、うまく旅立ちができるようにと、まさに死者の船出を見送る行事・・。
14日から、長崎各地では、この精霊船をみかけた。各家庭で、各町内で作られている。
作られた船たちは路地や公園などに置かれ、本番を待つ。西方に行けるようにと、
船には「西方丸」と必ず書かれている。
デザインもサイズもいろいろである。近年は作る家庭も減り、大きな船を流す人も減少しているが、この習慣が続いているのが素晴らしい。原爆投下された71年前のその日も、この行事は執り行われていたそうだ・・。

初盆。
この1年で自分の周りで亡くなった人たちのことを思う。
そのことと、目の前の精霊流しが重なる。
言葉にならない思いが、まだ残っているが、
この日に改めて、手を合わせ、彼や彼女が
良い旅立ちができるようにと祈る。
もちろん私のなかには、ずっと生き続けている・・・この感覚は
変わらない。

この世とあの世。
此岸と彼岸。
これを生きている人間がより意識するためには、海や川は
諦めがつきやすい境界線であるかもしれない。

今年もしめやかに、お盆行事が各地で繰り広げられるが
長崎のそれは、どこかしら陽気で明るさもあり、
根っからの人思い、の町なのかもしれない。

精霊流し

精霊流し3

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祈りの歴史と建築家の偉業により世界遺産へ。

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長崎の五島列島には50以上の教会が存在している。そのなかでも上五島という島には
海沿い、坂の上、山の中に29もの教会が建立されている。ひとつの島の中あちらこちらに
白い十字架の建物を見つけることができる、日本でも稀有なキリスト教の
歴史が現存し続けている島である。

この地には、キリスト教がザビエル来日後、早くから布教されはじめたが、弾圧時代
には長崎市の浦上から外海へ逃げた信徒たちが、さらに辺境を目指し、平戸とこの上五島に
船に乗って住みつき、さつまいもを育て、それを食料としながら隠れ生きた。

隠れキリシタンとして忍び生きた時代・・・。おそらくこの不便な島だからこそ、隠れる
ことができたのだと思う。ということが行ってみて理解できるほどに静か。。。

キリスト教が解禁された明治時代になり、この島に教会が建築され始める。
隠れることなく祈ることができる…信徒らにとっては大きな喜びの象徴が
教会だったのであろう。

この島の教会のいくつかは、このたびの世界遺産の候補にも入っている。
この島の教会は、他の地と違う西洋的ではあるけれど、どこか日本人にとってほっと
するやさしさが伝わる建造となっている。
その教会をつくったのは、この上五島出身の鉄川与助と建築家であることを最近知った。

この方は、教会づくりに生命を賭けたといってもよいぐらいに素晴らしい作品を島内に
多數残している。
信徒たちが大切に守ってきた祈りの歴史と、地元で生まれた建築家の素晴らしき表現。
この両者の融合の力が、後世に生きる人々に勇気と誇りを持たせてくれた。

交通機関もなかった、情報もなかった時代にも、人は思いを繋ぎ、思いを形にして
してきた。

今、世界遺産登録に向け、この島も変わろうとしているが・・そのままで、今のままで
と願ってしまうほど、失くしてはならない大切なスピリットをもつ島。出会えてよかった。

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BGMは、暮らしをドラマにする。

普段の生活で、自宅で食事をとる際に、音楽を流すことはほとんどない。
たまにば、そんな日があってもいいのはわかっているが、料理ができたら
即「いただきます」。と慌ただしく食事が始まるのが、わが家流?
いつの間にか、いいか悪いか、テレビを見ながら・・という習慣になっている。
つくる、食べる、飲む、片づけるの一連の行為を「ながら」で過ごしている。
それでも平日はそんなこともできず、週末のお楽しみ時間である。

一方、外食に出かけるときは、普段しない会話をしたり、その料理を
ゆっくり楽しむことができ、外食をする意味はそれなりにある。
普段と違うコミュニケーションがとれるという点で有効だ。
そこでの食事を美味しくいただけるかどうかは、料理の味だけでなく、
店の雰囲気、盛り付け、食器、スタッフの対応にかかっている。
そして、さらには音楽の役割も大きい。

この週末、長崎の宿泊先のレストランに夜、朝と続けて通う。
スタッフは同じ。テーブルも同じ。
料理は違う。そしてそこで流れている音楽が夜と朝、変わっているのに
気づき、ついスプーンの手が止まる。

夜は弾むような、ライトなジャズ。お酒も会話もそれにあわせて盛り上がる
感じ・・。生演奏でない感じが、カジュアルなコミュニケーションの空気を
つくるのに良い。
そして朝は、ピアノのソロ。環境音楽のような静かな、風がそよぐような
そんなタッチのメロディが流れていく。
ああ、朝はクラシックやこういったピアノの優しい音色がいい。
思わず、知らない曲なのに、メロディを頭のなかでなぞり、ゆっくりゆっくり
スープをいただく。
ああ、この辺境の地に来た、もうすぐ出発だ。
旅を締めくくる朝の食事のBGMは、予想しなかった感動を与えてくれる。
たかがBGMであるが、サービス業では注意したい大切なエレメント。

おかげで、素敵なイメージを抱きながら、次の地へと出発する。
音楽は経験に余韻を、日々の時間にアクセントを与えてくれる。

主役でない、BGMとしてのピアノ。
私の心に風を送り、新たな火をつけた。

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端っこの魅力

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長崎に興味が増し、ここ何年か島多き当県を順次回っている。
昨年は平戸を目指した、島原も雲仙も・・。長崎市以外にも特徴ある、歴史的な街が
多いのが長崎県。
今回は、五島列島。福江は便利な街らしいが、今回は教会の数が多い、上五島を目指す。
少しでも混雑しない場所へ・・。
朝5時半に家を出て、羽田から長崎まで空路、そこからは船に乗り継ぎ、目的地に向かう。
長崎の港からは、造船所を抜け、ただただ海と空、時々小さな島・・という風景を見続け
到着したのは午後3時。そう、よく考えたら、9時間かけて、日本の最果てに来たことになる。

9時間か。これなら、サンフランシスコでも、ハワイでも行ける・・。
もちろんもっと遠い日本国内もまだまだあるが、私にとってはこれまで来た最も遠い日本。

この島にはフランシスコザビエルが来日してから20年もしないうちに、キリスト教が
広まったのだそうだ。そして弾圧の時代を耐え抜いた。
江戸時代には、長崎市の外海という場所から、隠れキリシタンたちが船にのってこの島に
移り住んだのだという。
超高速船で1時半40分かかるが、そんな立派な船も、電気もない時代に、もしかしたら
何日もかけてここにきたのかもしれない。

今日、この上五島には教会が29もあるそうだ。
さつまいもを育て、それで生活を営み、祈りを捧げる日々を過ごした先人への
思いを寄せる・・。

辺境地には、真ん中にない歴史や文化がある。

もっともっと端っこへ。
                  

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涙のスパイス、たっぷりの夏。

オリンピック観戦は、時につまされる感じがして、心痛い。
日ごろの自分のぬるさ、甘さを感じるからである。
もっとがんばらないといけないな~。まだまだだな~。と比較できる存在でも
ないのに、反省しながら観てしまう。

そして、自分が戦っているのではないのに、気が付けば、「いけっ」「よっしゃ!」
とか腹の奥から声を出して応援、近所迷惑になりそうなぐらい、本気の拍手。
気が付けば他のことを忘れ、そっちに夢中になる自分がいる。
そこまでがんばったのだから、いい結果が出てくれ~と神に祈るような気持ちも。

アスリートたちがどんなに努力し、この世界のステージに立ち、自分の夢に向かい
戦っているのか。
そこに立ち、堂々と競技に臨んでいるその雄姿。それだけでも涙がにじむ。

厳しく過酷な練習を経て、本番は瞬間。やり直しがきかない。なんたるプレッシャー。

勝負に出る以上、勝たねばならぬ。
手ぶらでは帰れない。というのがアスリートたちの意地。

念願の金メダルを手にした人、金メダルを狙っていたのに叶わなかった人。
それぞれの心中を察し、いずれの場合も泣けてくる。
うれし涙と悔し涙・・・。いずれも本気に取り組んだ人だけに流れる心の汗だ。

逃げない生き方、自らの限界への挑戦について、考えさせられるこの五輪時間。

まだまだ、ぬるい。甘い。オリンピックで自分の日々に涙のスパイスをかける。

それにしても、今年は、目頭まであつくなる夏だ。

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高齢化社会の象徴。

天皇のお気持ちの表明。映像で見てはいないが、その言葉を新聞等で拝見した。
大変な勇気をもたれての行動だったろうとお察し申し上げる。
天皇という立場、役割を背負っていきるその運命にある人にしかわからない
ご苦労を背負って生きてこられていることを改めて感じるとともに、
高齢化が天皇制にも影響を与えていることも感じた。

天皇の年齢。親と同世代だ。
いつもその献身的、慈愛に満ちた活動やお言葉を映像や記事で見るたびに、
お年なのに大変だな、えらいな。と感心しながら
そのご夫妻の姿と国民にかけられるお言葉。
その言葉数は決して多くないけれども、思いやりにみちた表現に
その存在感の重さや大きさも感じる。
直接お会いしたことはないが、お会いした方たち、お見舞いを受けた
人たちにとっては生涯忘れない思い出。
その瞬間に、深い感銘を受け、元気と勇気をいただいたことだろう。

象徴としての天皇。という生き方、お仕事。
ボケていては、体力がなければそれは継続できない仕事なのだ。
今回、一人の人間として、ごくまともなお気持ちを表明された。
ひとえに周囲に迷惑をかけないように。
の配慮であり、ご自身の意志による勇気ある行動。

定年というのがなかった天皇制。
でも、まさにひとりの人間である以上、その人生を悔いないように生き、
まさにそのクライマックスを迎えるのが一番の選択。

もう十分にお仕事されてきたので、もうお休みになり、ゆっくりと・・。
親たちが、老後を楽しむように、
気楽に過ごしていただく・・・のがいい。

天皇になった選ばれた人にしかわからない苦悩。
象徴という生き方について改めて考えさせられる。

どうぞ両陛下とも夫婦仲良く、お元気で長く生きていただきたい。

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