「痛い」は贅沢、幸せなこと。

ここんところ、手の話題が続く。どうも、大変気になっているようだ。
手の作業8割以下におさえねば、と「いたっ」「いたっ」と日常の
作業をしながら、偶然目に飛び込んできた、ドキュメンタリー。

それは、生まれつき左の肘より先がない、7歳の少年の話。
彼は今、筋電義肢という装具を使い、食事や勉強をがんばっている。
サッカーの練習をお父さんとしているときは、その装具はしていない。
食事の時間になると、自然とそれを付けて「いただきます」。
残っている神経に電気を通し、自分の意志通りに義肢を動かせる
という画期的な義肢のようだが、まだ全国に広く普及しているとは
いえないようだ。
その筋電義肢を付けて、バイオリンを演奏する少女の映像をずっと
みつめる同じく、手が不自由な少女。
ああ、自分も自由に、あんなふうに弾きたい・・・
そんな少女も登場した。

みんな、えらいな。えらいな。
私は贅沢だ。
痛いということは、「ある証拠」であり、生きている証拠だ。
痛みを感じることは、苦痛と思いがちであるが、
見方を考えたら、幸せなことだろう。

あの純粋な、明るい少年たちの暮らしぶりを見て、
痛いぐらいで気にするな~。
と自分に叱咤激励。

生きているだけで幸せ。動けるだけで幸せ。
そのことを、改めて忘れてはいけない。

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「お手て」も夏休み。

「・・・・手のひらを太陽に透かしてみれば・・・真っ赤に流れる僕の血潮」
という歌詞で合っていただろうか・・。
子供の頃に、習った唱歌。
このポーズを日頃することは、まずないが、改めて手の存在を最近、考えることが
多い。

持つ、握る、掴む、ひねる、回す、書く、描く、打つ、投げる、挟む、つまむ、
支える、運ぶ、拾う、開ける、締める、受け取る、切る、斬る、洗う、混ぜる
叩く、混ぜる、潰す、絞る・・・

手の仕事はあまりに多い。
日々のいろんな動作のほとんどは、手に依る。
手がなければ、できないことが多い。
起きている、生きている時間、手のおかげでいろんなことができる。

手が故障して、手の存在感、手の仕事についてつくづく考えさせられる。

お医者さんが言う。
「まあ、使い過ぎだわ。」
そう、そのとおり。

手を使わない工夫をせよ。というのが目下の課題。
でも、生来の貧乏性である私は、いつもちょこちょこ動いてしまう。
頭も手も動かさずにはいられない。
しかし、最近は、手に負担がかからない工夫をしなければと
さすがに思っている。

暑い夏だ。
手も少し休ませて、ゆっくり読書でも、図書館でも・・。
と思うと、
今度は、目も疲れていることに気づく。。

本当の意味で、夏休みが必要なお年頃だ。

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忘れていた勲章のおかげで・・

時々、自分の名前をネット検索して、自分の見られ方を確認することも
大切だ。といいつつ、ほとんど熱心にはチェックしていない。
そんなに特別変わった現象があるとは、思っていない面もある。

久しぶりに自分の名前が出てくるページをざっと見てみる。
奥深いところ、言い換えればヤフーの10ページ以上先などは
見ることがほとんどない。
そんなところをちょっと見ていて、驚いた。

なんとまあ、ある楽器メーカーの音楽コンクールの
受賞者リストが出てきたのだ。
今もやっているのだ。もう50年も続いているんだ。
その歴史、存在にまず感動、そしてずっと忘れていた子供時代が
ぼんやり浮かんできた。
確か、そのコンクールの全国大会に小学校1年か2年に最年少?で出た
記憶はおぼろげにあるが、そのあとは全く忘れていた。
このネット検索で出てきた「今尾昌子」の名前は、1978年の受賞者名簿
にあった。銀賞のところに、確かに名前がある。
http://competition.kawai.jp/winner/list.html
カワイ音楽コンクール
約40年前の話・・。
そうか、全国大会で銀賞をとっていたんだ。14才の夏か。中学生か・・。
だんだん記憶が戻ってくる。
もしかして弾いた曲のひとつは、ハービーハンコックの「カメレオン」だったかも
しれないが・・もう遠い世界だ。
でも、このリストにはきちんと今も名を残している。
・・・
と、ある夜、何気なくみつけた自分の過去。
そう、幼き日の勲章だ。
確か、もう1社のコンクールでも同じように全国大会へ出場していた。
中島みゆきさんが、「時代」でデビューされた頃に重なる。

ああ、そんな時代もあったねと・・。
思わず笑みが出る。
私もがんばっていたね。子供の頃の方ががんばっていたかもしれない。
と思いつつ、
これからの私も、もっとできるかもしれない。

と、ネット検索で偶然みつけた、幼き日のわが勲章で、ずいぶんと
モチベーションアップした。
よし、次の勲章を目指していこう。
もちろんこの勲章とは、世間が目指すそれとは意味合いを異にするけれど。

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左って、こんなに大切だったんだ。

実は、ここんところ、左手の腱鞘炎が思った以上につらい。
腕時計にあたるだけでも、激痛を感じる。

右手首が痛いときは、右手の方が、利き手なので不便だと思っていた。
確かに右手が痛いときは、字を書く、髪を乾かすなど、細かい動きには
激痛が走り、困った1年。なんとか耐えてきた。
左手がその分、がんばってくれたせいか、ついに左手に痛みが移った。
悲鳴を上げたのだと思う。
そして、左手の大切さを改めて知ることになる。

箸をもつ手は右であるが、茶碗を、カップをもつのは左手で、
いつも
右手を支えるのが左手で、結局はどちらも主役、どちらもなくてはならない
存在なのだ・・。両方痛くなって、それぞれの手の存在について
いかに人間の行動に手足が大切かを痛感する。

世の中、存在するものには、すべてそれぞれ大切な役割がある。

もちろんどちらかが不便になったら、どちらかがあれば何とかできる。
そういった相互助け合いをしながら、全体バランスをとりながら
人間はある力を使って生きていくのだろう。

痛みというのは黄信号を示す五感のひとつ。
気を付けろ。少し見直せ、安め、止まれ。
このキーボードを打ちながら、結局は両手で打っていた
ことを痛みとともに感じる。左はいつも右を支えていた。
気づかないうちに、左がとっても活躍してくれていたのだ。

右と左は一体。大切にしよう。一応、ピアニストでもあることだし、、。

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ひっさしぶりの青春18きっぷで夢に乗る。

幼い頃から一人旅が好きだった。小学高学年、中学1年には、ひとりで電車を乗り継ぎ、岐阜から横浜へ、
岐阜から大阪へ出かけ、見知らぬ都会の世界を垣間見るのが大好きだった。
世界にはいろんな素敵なところがあるもんだ~と思ったあの頃。今にいたる、ジプシーライフの
出発点はこんな経験だったかもしれない。
その私の行動を経済面で助けたのは、青春18きっぷの存在。
このお得なきっぷ、どれだけお世話になったことか。学生時代はもちろん、よく思い出すと、社会人になって
出張にもこれを使って東京~京都を行き来していたことも懐かしい。
今は、「ムーンライトながら」という車名にアップグレードしているが、東京駅から大垣へ向かう各駅停車。
それも良く乗った。夜中に乗って未明に着く。リクライニングなしの椅子。そこで出会った人も何人もいた。
さて、その青春18きっぷに最近、改めて興味を持ち始めている。
そして、久しぶりに1冊買ってみた。これを使っての移動。どんなところでどのように使おうか。
昔は分厚い時刻表を見るのも好きだったが、今やスマホ片手にの乗り継ぎだ、
青春18きっぷとはいいネーミング。その当時、18歳までしか使ってはいけない、若者だけの特典きっぷ
と思っていたが、いくつになっても青春でよいのだ。
このきっぷの話を、ある中学1年の男子に教えたら、食いついた。彼も私の幼い日に共通する冒険心をもっている
かもしれない。
いくつになっても、「どこへ行こうか」わくわくプランし、ぶらり出かけ、新たな世界を発見する旅は本当に
面白い。
新幹線だけが移動手段でない。
倹約時代を思い出し、そんな旅を今おさらいするのも、とてもいい。
「青春18きっぷください」
窓口で口にするのは、ちょっと恥ずかしかったけれど・・。

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「我慢」の二文字を取り戻す夏。

気が付けば、なんでも好きなように生きてきたような気がする。
よし、これを我慢しようとか思ったことが、もう何十年もないような・・。
我慢とは、なんでも欲しがらない、待つ、次の機会を待つ。
やせ我慢という言葉もあるが、そんな言葉も今は懐かしく・・。
私もそうであるが、もしかしたら日本全体が、「我慢」するということ
を忘れてしまっているかも。

子供のころ、
「我慢しなさい」と、よく言われた気がする。
もちろん、大人になれば親や周囲にとやかく言われることなく
自分で判断して行動するのだから、
言われることはなくなった。

しかし、
本来は、自分で自分を制することも大切。
「今日は我慢しておこう、今は我慢だ」
と、そんな日も必要だ。

ふと、モノ余り時代、飽食の今、そんなことが気になる。
なんでも手を伸ばせば手に入れられる・・・これは良くないこと
かもしれない。
我慢してこそ、手に入れたときの喜びは大きいはず。
いつから、人は我慢することを、忘れてしまったのだろう。
我慢せず、わがままになっている。

我慢、我慢。その方が人生がより楽しくなるはずだ。

今は、モノへの我慢よりも、暑さへの我慢、夏という季節への我慢が
優先課題だ。
こればっかりは、たえるしかない、それでも、その中で生きるしかない。

人間は思い通りにはならない、我慢しなければならないときが
あるんだよ。
と、このどうしようもない異常気象が、我慢を忘れた人間に
大切なことを諭しているのかもしれない・・。

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ザビエルが岐阜にやってきた!


展示会場の撮影ができないため、チラシの一部を拝借する。
念願のザビエルの来岐!
フランシスコ・ザビエル直筆の書簡原本が、信長と交流のあったルイス・フロイスの書簡本とともに、
岐阜の歴史博物館で期間限定で展示されている。
実は半年以上前から、このことを知り、実際訪ねたことがないわがふるさとにて、
まさかザビエルの手紙が展示されるとは半信半疑であったが、本当にやってきたことをこの目で確かめることができた。
正直、ルイスフロイスの手紙には、GUIFU(GIFUのポルトガル読み)やNOBUNAGAの文字が出てくるが、ザビエルの文字はキレイな文字であることはわかるが、小さい筆記体でよく判読できない。スペイン語で書かれているようではあるが。
でも、これはまさに原本、ザビエルが実際鹿児島にたどり着いたときに書き、アジア布教の拠点である、ゴアの宣教師たちに日本での布教の重要性を伝えたメッセージ。ここから、ザビエルは平戸をはじめ日本各地を訪れることになるという重要な書簡だ。印刷もなかった当時は、書簡が大変重要であり、要所要所で複写されながら、広まったらしい。
今回はこれら書簡を所蔵する、ポルトガル国立図書館から担当学芸員もこの大切な資料とともに来岐した。
作品の解説を行ったクリスティーナさんに、リスボンで誕生した「フランチェスコの夢」のCDを手渡すことができた。
自分がリスボンへ行きザビエルの曲を作り、今度はリスボンから岐阜へザビエルやフロイスが・・・。。
岐阜を命名した信長の存在のおかげで、私自身不思議な南蛮の縁を改めて実感することができた。
静かな感動の対面。ザビエルは本当に生きていたのだ・・当たり前のことであるが、心新たに、
しみじみ実感したひとときであった。

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「72(なに)のA」に見守られる人生。

同じ誕生日の人が、自分の近いところに3人もいると、さすがに強いご縁、運命らしきものを
感じる。
私の周りに、知るだけでも7月2日生まれの人が、3人もいる。
一人は四半世紀お世話になってきた会社殷時代の得意先であり、その後もずっと公私ともに
応援いただいているAさん。
もう一人は、私の仕事を税務面でサポートしてくださり、また音楽活動や実家のことも
応援してくださっているAさん。
そして、わがパートナーAである。
そういえば、三人とも「A」のイニシャルだ。
困ったとき、つらいとき、うれしいとき・・・さまざまな場面で共感も多く、安心できる存在。
いろんなアドバイスもいただき、助け舟を出してくれ・・・。ときには厳しさもあるが、
それはやさしさ故であることも素直に受けとめることができる。
根っこはいつも「がんばれ、がんばれ」の応援、エール。

いつも「何やってんの?」「また何するの?」「何があったの?」と
自分に目を向けてくれる。

愛とは見守りであり、心からの応援だ。
このまさに「心族」である、「72」のAたちに見守られ、次は何をしようかと
安心しながら挑戦できる。
ありがたい人たち。
ずっとずっとお元気にいてほしいと毎日思う。

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顔から火が出るとき。

いやはや、人生は失敗と反省の連続だ。
やっぱり、人間は抜けているところがある。
完璧ではない。
ということを、経験を重ねるごとに思い知らされる。

今回の恥ずかしい話。
その日のセミナーを盛り上げるために、旬の話題や
その土地にまつわる話やちょっといいエピソードなど
を話して、ちょっと緊張している場の空気をやわらげようと思い、
毎度、自分なりにいろいろネタを考える。
セミナーやライブなど当日の朝に、考える。準備の仕上げ、
最後の味付けのようなもの。

その当日朝は、慣れない初めて泊まったホテルで迎える。
暑さもあって、一歩も外に出ないで客室の中のテレビの
BS放送で世界のニュースを聴きながら、その講演の内容を
仕上げていた。
「うーん、今日は何の日?」よくそんな話題も講演の本題に
マッチするので、毎回調べる。

ネットで検索したら、その日は「もつ焼きの日」と出てくる。
7月13日だったので713が「ないぞう」と読める?ので業界では
そのような記念日にしている?とか?
「ふーん、そうか」
たまたまその前々日、あまりに暑い日にぶらり、もつ焼きやに
行き、ちょっと一杯いただいたばかりであったので
暑い日の話題には良いかなと思い、今日の最初の話題に
使おうと思い、元気に出発した。

そして、その話題も含め、そのセミナーは無事終了した。
その後、地元紙の夕刊をホテルで見て、「しまった!!」と
思った。
その日は、その街が水害に遭った13年目の日だったのだ。
「ああ、このことのお見舞いをまず、何よりもお伝えすべきだったのに・・。
もつ焼きの日よりも、こっちの方が大事なことだったのに・・・」
と、ひとりで顔から火が出る思いになった。
会場を盛り上げようとすることももちろんいいが、
何をおいても、その土地にまつわる話題を先に確認するべき
だ。
その日に限って、暑さもあってか新聞を買いに降りること、
ホテルのロビーにおりて新聞各紙をチェックすることをしなかった・・
その日に限って・・・。
その報いだ。

ああ、ネットだけに頼っては最適な情報に出会えないという
こともあらためて学んだし、なんといっても、
受講者の中に、実際に13年前被害に遭われた方がいらっしゃった
かもしれないのに、大変失礼なことをした。
九州の水害のお見舞いについては触れたが、月日が経てば忘れる・・では
いけないのだ。まだまだ配慮に欠ける自分を恥じる。

いつも相手の立場に立って、寄り添ってと思っていたはずが
全然できていない。

ああ、それにしても恥ずかしい。
と、大いなる反省。

今回の学びから、次回以降、改めて相手に寄り添う
ということについて、細心をもって取り組まねば。

暑さは言い訳にならず。心引き締めてがんばろう。

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一期一会のセミナーづくり。

広報チャレンジセミナーというセミナーの講師を担当する。
もう本セミナーも6回目になるか、とにかく暑い夏の皮切りの
定番行事?業務?になりつつある。

毎年、自分が担当する勉強会や相談会を利用し、広報活動を
実践、成果を出している企業の経営者や担当者の発表をして
いただく、生声で実例が聴けるセミナーということで、
おかげさまで毎回好評。講釈だけ、理屈だけ百回話すより
も説得力がある。
受講されたみなさんに、自分にもできるかな、自社でもでき
そうだと思ってもらえるのは、ひとえに発表される企業さんから
熱い情熱と可能性が伝わるからだ。

毎回、どの企業に出てもらうかの選定から準備がスタートする。
異業種やいろんな属性が違う企業を選ぶ。
そしてそれぞれの企業と事前に打ち合わせを重ねながら
発表準備を行い、自分もそれに合わせ、前段の講義内容を
再構築する。

発表企業同士の対面は、当日、本番の2時間半前。
リハーサルで「はじめまして」と名刺交換。
お互い発表者同士で少し緊張しながら、でもリハを聴き
お互いの事業内容や活動のことを知り、まず発表者同士
刺激を交換する。
ここで一体感が生まれ、そのまま本番へ。
集まった50名の受講者に、熱のこもったトーク。

セミナーは無事終了。おかげさまで今回も手ごたえありだ。
発表された企業さんのご努力のおかげだ。
リハで会った2時間半前とかなり表情が違う、ほっとした
笑顔でのワンショット。

小千谷のお蕎麦屋さん和田さん、阿賀野の瓦やさん遠藤さん、
小千谷のプレス加工の会社につとめる沢中さん・嶋さん。
気が付けば、今回はオール男子の構成であったが
これもまたよし。素敵なイケメンカルテットによる
パネルディスカッションとなった。

セミナーをつくるのは大変であるが、面白い。
毎回、一期一会を心がけたい。
やってよかった、その一言がお互いの胸に刻まれる
仕事をこれからも・・。
(と書きつつも、反省はいろいろ尽きないが・・)

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