世界を開くことができるうちに。

旅行。自由に生きたい場所に移動するなんて、なんの障害もなく、いつでもどこでも可能と思い込んできた。

この度のウイルスの影響で、旅行、移動について制限がかかり、少し不自由さを感じる。特に海外には、もうしばらく行けなさそうだ。

貯めてきたマイレージのゆくえも正直、気になる。

不自由といえば、コロナだけでなく、高齢になると、旅行は難しくなる。

心身の老いは、高齢者の移動を難しくする。加えてコロナ禍であればなおさらのこと。

最近、以前より自由に動けなくなってきた母は、好きな旅行も、半年前に行った長崎五島以降、難しくなった。今はアルバムを見ながら写真を見て、思い出の中で旅をしている。

いつかいろんな事情で行けなくなる日がやってくる。今のうちに行けるところへ、やれることを。躊躇したりあと伸ばしにしていると後悔するかも。

世界を開くことが出来るうちに。

と、旅が気になる今日。とにかく安全に自分で考えて、行動したい。

自分で自分の身を守りながら、、、。

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マイピアノに魂をふたたび。

来週、いよいよ久しぶりに、実家に放置されていた(していた)ピアノの調律を
お願いする。
その前に、ピアノ周りを少しでもきれいにと思い、実家で片付けをする。
ピアノ・・・。カバーはかかっているが、足元、ペダルのところに埃がついている。
なんだか 申し訳ない気持ちになって、せっせと拭いた。
少し拭き始めたら、どんどん気になってきて、ピアノの下の床や周囲を吹き始めた。
ピアノに触れていたら、なんだか長いこと放置していたことが、ピアノに申し訳なく思えてきて、ひとりでごめんね、ごめんね。と言いながら吹き続けた。
そして、このピアノがもうすぐ復活したら、これをどう活かそうかと再び考え始める自分がいる。
ピアノは自分にとって、一番の友達だった。自分を表現する最高のパートナーだった。そのことを忘れていたわけではないが、離れていて、今改めて思い直した。
ごめんね、ピアノ。
楽器は人間よりも長く生きることができる。もちろん手入れ次第だ。
今からでも遅くない。
自分はこれを生かさなければならない。新しい使命感が湧いてくる。

私にとって、もはやピアノは単なるモノではない。

とそんな風に、忘れていた分身の存在を取り戻す機会を大切にしたい。

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見守りのブーケ

久しぶりのライブ。
ミニコンサートということで、30分の短い企画であったが、
コンサートというのを初めて体験する!とお申込みいただいた方より
素敵なお花をいただいた。まるで私の好みをおわかりのような、アレンジに感動した。
コロナ対策で、少し緊張した会場も、このひまわりや紫の花たちの
おかげで、とても華やかに、元気になった。
ありがたいな~。さて、このお花どうするか。
自宅にもって帰るのもいいけれど、どうせなら、もっと多くの人に
見てもらって、元気を得てもらえたらといいと思い、両親がお世話になる
施設にそのまま持ち込む。
すると、まず職員さんたちが、「わあ~!きれいですね~。」とみなさん、みるみるうちに、ひまわりのような明るい笑顔に。
「癒されますね~。いいんですか」とみなさん、花の前に寄ってこられる。
花とは本当にすごい存在、人を元気にするパワーをもっている。

ということで、コンサートでいただいたお花は高齢者施設の食堂へ。
毎日、多くの人に愛でてもらい、感動をシェアしながら、またこの花を通じて、親たちにも、楽しかった日々のことを思い出してもらえたら・・・。

お花って、最高のギフト。改めてその存在に感謝したい。
枯れる日まで、やさしく、あたたかく親たちを見守ってくれていますように。
ご提供いただいたMさんへ、感謝を込めて。

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誰のために生きる?

自分は何のために生きているのだろう?
ミッションを掲げ、それに向かって生きているならば、それは一応
クリアしたことになる。

では、自分は一体、誰のために生きているのだろう?

これまで、あまりそんなに考えたことはない。
もちろん人の親になれば、子供のため。というのは当たり前かもしれないが、
私の場合、それはないため、誰のため?というのはこれまで不問であった。

が、最近、
妹のために、今、死んではいけない。という気持ちになることが多い。
もし、自分に今何かあると、親のことを妹にすべて任せることになり、
それはあまりに申し訳なく、また、彼女も冗談交じりにではあるが、
お願いだから・・と言う。

今、妹のためには、死ねないなと思う。
親のことをちゃんとやった後であれば、それも大丈夫だけれど・・。

誰のために生きる。難しいが、今は迷惑をかけないために、生きる。
何のために。誰のために。
いつまで・・という期限を自分で決められないのが、人生。

FOR、BY、WITH・・・さまざまな言葉とともに。見えない期限まで、今日もしっかりやることをやろう。


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心を密にする、ほんわかコンサート。

岐阜新聞でのロビーコンサートはもう3年以上続けている。ふるさとへのささやかな元気にお返しのつもりで、隔月開催。おかげさまでリピーターのお客様、新しい方など増えてきた。今年も!と意気込んでいたところ、コロナの影響で中断となり、4か月ほど・・・。
久しぶりの開催。主催者側である新聞社も熟慮に熟慮を重ねての決定であっただろう。7月からの再開。そして、昨日が私の出演日。
予約制になったこともあり、おかげさまで早い時期に満席になった。といっても、席数が、通常の半分以下の20名限定ということもあるが・・・。

さて、飲食店同様、客席の間隔を大きく開けての着席をお願いし、全員がマスク。演奏する側も、いろんな注意が必要だ。

まず、通常のライブのように、お客様に接近したりしないように気を付けなければ。一定距離のところで、マスクでMC。はきついと思い、自家デコレーションのアクリル持参でMCすることに。

そして、この数か月に感じたことを踏まえたプログラム。当たり前が当たり前でなくなった今だからこそ思うことを表現する曲目を選定。
ふるさと、人生、愛…それらをテーマに。そして生誕250周年のベートーベンの
メロディも少しおりまぜて、コロナや豪雨で被害に遭われた方々への思いを寄せたレクイエムも・・・。でも、湿っぽくならないよう最後は元気に締める。
初めてのウィズ・コロナコンサート。お客様がマスクをしながらも満面の笑みで
おられるのが伝わってきた。

普段と違う緊張もあったが、なんとか無事終了。あたたかい拍手をいただいた。

あんなときもあったね・・と言える日が来ると思い、今、出来ることを続けよう。また開催できますように。

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よりよく生きるとは。

このブログのコンセプトは、コミュニケーションクリエイターとして、よりよく生きたい。そのために考えたり、感じたり、行動したりしたことを綴っていく。というものであるが、この「よりよく生きる」というのが、なかなかむつかしい。
日々生きていくと、大小さまざまな困りごと、悩み、トラブルいろいろ出てくる。まさに何も凸凹のない人生とはないはずで、まあ、いろんなことが次から次へと起きるものだ。
そのことにどう向かうのか。
この向かい方が、実は、この「よりよく生きる」ということなのだ。
と、最近思うようになった。

いろんなことが起きる。このことに対して、ひとつづつ逃げずにしっかり向き合い、考えて、行動する。
もちろん自分の意のままにいかないことも多いけれど、そのたびに視点や視座を変えてうまくように考え、行動する。

そう、よりよく生きるとは、自分本位に生きる、わがままに生きるということではなく、全方位で、あるいはときに宇宙的に俯瞰して物事を見ながら、最適な行動を選び取って進んでいく。ということ。
悩むことは悪いことではない。
ただ、それをどんな風に昇華できるかだ。
人生こうありたい。という思いがあれば、解決策は必ず出てくる。

困ったときほど、よりよく生きるの意味に立ち返ってみようと思う。

さあ、今日は「よりよく生きる」ことのひとつ。久しぶりのコンサートだ。
コロナ禍のなか、どんな形でお客様にそれを伝えることができるか。
楽しみだ。

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「気」を伝え合う、アナログコミュニケーション。

久しぶりの新潟、東京。
仕事でやりとりしている人でも、実際会えると、違うものだ。
「今日は久しぶりにお会いでき、元気をもらいました。」
という言葉をいただく。
そう。元気というのは、オンラインではなかなか伝わらない。
元気とは、「気」であるゆえ、デジタルでは伝わらない。
そのことを、改めて気づく。

「気」とは、元気、安気、「気持ち」・・・。まさに自然や人とのふれあい、交流のなかで感じる空気の摩擦、交流から、伝わるもの。
とにかく、「気」がつくものは、リアルでないと伝わらない。

オンラインでは、一応、カタチにして、必要最低限のことは伝えられる。いつでも、どこでも。この利便性、スマートさは大変すばらしいが、

残念ながら、目に見えない気を伝えるには不向きである。
心の中まではなかなか見えないが、ネット上よりは、リアルで顔色を見ながら、話す方がよく伝わる。

久しぶりに再会することで、改めて、コミュニケーションとは「気のふれあい」であることを痛感する。

今こそ大切にしよう。アナログコミュニケーション。
工夫して、新しい伝え方で。あったかいもの、ぬくもりある関係をつくっていこう。
コロナはデジタル優勢のみでなく、アナログのすばらしさをも、改めて教えてくれている。

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with コロナ、どうせなら楽しく!

新型ウイルス感染防止のため、マスク着用、ソーシャルディスタンス、三密禁止・・などなど、半年前まではこの世に存在していなかった、ルールが普通に
定着した。
これからの季節も、きついけれど、まじめな日本人は、我慢して、それに慣れながらこの夏を乗り切ることだろう。
こうしていても、それでも感染者は増える。そもそもよくわからない数字の中で
それでも身を守る必要性を感じ、日々生きている。

そんななか、コンサートも復活だ。
来たる13日のミニコンサートは5か月ぶりの開催となる。
お客様の人数もかなり制限しての、20名。

さらに、MCはしないで。もしくはマスクをしてというリクエスト。
しゃべらずもくもくと演奏するのは、私の場合は、似合わない。
かといってマスクをしてMCして、また外して演奏、また着用して・・・。
なかなか大変だ。

ということで、アクリル板を購入してきて、これを使ってMCしようと決める。
たんなるアクリル板だと面白くない、単なる感染防止で、気持ちも滅入るのでアクリル板にかわいいステッカーを貼ったり、少し装飾をして、楽しいフレームのようにしてみると、見ているだけで楽しいかも?

アートフレームやテレビの枠(今はもうないが)の間隔で、お客様に笑ってもらおう。・・・と、そんなことを思いついたら、なんだか楽しくなってきた。

どうせやるなら、少しの工夫で、楽しくなるように。
果たして、うまくいくかどうか?わからないが、手抜きはしない。
思いつくことをちゃんとやろうと思う。

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前を向いて進む仲間との再会

久しぶりに新潟を訪れることができた。
4か月以上 足を運ぶことができなかった。

新幹線に乗り、雨降る町をいくつも越え、トンネルを越えると
穏やかな新潟の町々が車窓に映った。

前来たときは、山に雪があった・・。いつの間にか季節が飛んだ。

青々と豊かに色づく田んぼを横目に、大雨の被災地のことが
別世界のように感じた。
日本は広い。ここにいると、平和を感じる。
しかし、この町も以前、大地震で苦労を重ねてきた。
今の日常は、その経験の上に成り立っている。

新潟の町に降り立ち、いろんな人たちに再会する。
本当にうれしい気持ちになった。メール、オンラインで関係は途切れていないし、仕事も進んでいるが、それでも直接の対面はちょっと感動的だ。

とくに30年以上の交流を続け、また新潟とのご縁を与えてくれた仲間に
再会できたとき、本当にありがたく、再開できたということのありがたみを改めて思った。

何があっても変わらない。
何があってもつながりつづける。
その関係が今回改めて、本当にうれしく、胸がいっぱいになった。

厳しいときこそ、今自分が生きていることをちゃんとみつめよう。
活かしてくれている、今日までの道をつくってくれた人たちのことを
思い出し、心から感謝しよう。と、そんな気持ちになる。

長く付き合える人。この人との関係はホンモノだ。
人生、いろんな出会いがあるけれど、そろそろ増やすのではなく、
厳選し、大切にしていくこと。そんなことにも気づかされた、
このコロナ禍・・。。

気が付けば、みんな前を向いて走り始めている。
そして、今回の経験でより成長しているようにも感じる。

「コロナの影響で・・」この枕言葉が、「あんなときもありましたな~」
といい思い出になるよう、そんな次世代に向かって走り出している仲間たち。
会えなかった時間のお互いの成長、変化を確認できることは、何よりの
宝物。

何があっても、途切れない心の観覧車が、新潟でも回っていることが
うれしくて・・・。


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お宝磨きで、自分も輝く。

40年近く置き去りになった、ピアノたち。
弾き主が、ほとんど鍵盤に触れることがないまま、彼ら彼女らも年をとった。
ピアノは、女性か男性か?考えたこともなかったが、今、改めて実家に
保管されているピアノに、人格を感じる。
私が幼き日に鍵盤を弾きまくった、その軌跡がそのまま残っている。
改めてみると、鍵盤に年輪を感じる。

ピアノに年齢があるのかどうかわからないが、私と一緒に過ごしてきたから
同世代ということにしよう。

そして、実家を離れて調律も優先されず、少々誇りもかぶって、かわいそうな状態になっているのを知り、これではいけないと反省、行動に出る。

そして約20余年ぶりに、調律を依頼。

こんなに放ってこられたから、元通りになるのだろうか・・。
自分が今までピアノを捨てて、好き放題生きてきたことを少し悔い、
ピアノに「ごめんね」と詫びた。

調律師にざっとピアノの調子を見てもらう。
「長年、調律していないのと調整ができていないので、それをすれば、なんとか
なりますよ。壊れているとか、故障とかではないです。いいピアノですから」
「今も価値があるピアノです」
この言葉に、命拾いをしたような気持ちになった。

今、この宝磨きをがんばろうと思う。そしてこの楽器でしっかり練習を再開しようと思う。新しい展開が生まれそうだ。

宝を磨き、自分を磨くとしよう。
私にとって、ピアノはもしかしたら、自分の鏡なのかもしれない。

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