本日1月22日12時30分より、岐阜新聞本社ロビーにて、ミニコンサートを
開催します。
今回は「愛」をテーマにオリジナル曲ほか、世界・日本の名曲を演奏いたします。
入場無料 お気軽にお出かけください。
本日岐阜新聞ロビ―コンサートです
命をかけた思想家に、哀悼の意を。
西部 邁さんが亡くなったとの報道に耳を、目を疑った。
ああ、ご病気だったのか?と思った瞬間、自死だったとの
ことで、驚きながらなんとなく納得できるような、複雑な
気持ちにもなる。
お会いしたこともないのに、なぜこんなにショックに思うのか
というほどに悲しく、そして、意思を貫き通し、本当に
自分の一生を自分の考えどおりに実行したその生き様に
深い感銘も覚える。
そして、このことを無駄にしてはいけないのだと
強く思う。
西部さんは保守派の論客としてあまりに有名だ。
最近では読まなくなったS新聞のコラムの執筆者
としても馴染みがあるが、自分が若いときから
えらい筋の通ったおっちゃんだな~。一見、難しそうな
ことを言っているが、実はわかりやすいなあとも
思っていた。
そして、まさに正論を生きる人なんだな・・とは
思っていた。
その方が・・・とは・・・。
お会いしたこともないのに、いろんなことを思う。
ご家族のこと。
そう、子供さんたちの気持ち・・。
このことを予感していたのかもしれないが・・。
自分の親とほぼ同年代だと思うと、さらに考えさせ
られる。
こんなに長く強く自分の思想を持ち続け、そして語り
続け、書き続け、そして・・・人生の最後の手段も
ご自分の考えにそって・・・。(自死という
ことはそういうことだと勝手に理解する)
行動の評論家であったというにも言葉が軽すぎる。
真の思想家だったと思う。
いつも、西部さんがテレビで、雑誌で自身の
考えを述べているのをみたり、読んだりするのが
好きだった。
保守という考え方について、こちらの理解が当時
まだ至らないこともあったが、
あの姿勢、生き様にはずっと共感をもっていた。
そう、人物として興味をもち、尊敬していた。
病院死への疑問・・・。
考えさせられる。
西部さんは自分の思想に命を賭けられたのだと
思う。だから、その死を無駄にしないで、
考え、行動していくべきだと、
お会いしたこともないのに、強く思う。
実は今朝は別の素材を用意していたが、
急きょ、西部さんの訃報に接し、
このことについて書かずにはいられなく
なった。
人はこういう形で、人生を閉じることも
ある。
三島由紀夫もそうであった。
いいか悪いかではなく
そこから学び、生かすことが
残された人間の役目だと・・。
西部さんのような存在こそ、
生きたメディアとして(あえてそう書く)
生き迷う多くの人々に影響を与えてほしい、と思い、
お元気にこれからも活動を続けて欲しかった。
でも、最近は心配していた・・・。
だから、悲しい。
そんなに悲しくても、自分は生きている。
それぞれ、自分の人生を生きている。
新しい今日が始まった。
生きる以上は、一生懸命にやらねば。
自分のミッションを果たすのが
人生だよ。
と、会ったこともない西部さんが
そういっているようにも思える。
今日のミニコンサート
こんな気持ちを抱きながら、
精一杯の笑顔で私のミッションを
果たしたい。
精一杯生き、人生を終わっていく
人生の先輩に、敬意と哀悼の意を
表しつつ・・・。
多くの方から惜しまれる人生は、
素晴らしい。と思う。
ご冥福をお祈りいたします。
どこかで、誰かが自分を・・。
生きていると、突然、わけもなく寂寥感に襲われる・・・そんなことは
ないだろうか。
周囲に関わる人間がいても、孤独を感じることはある。
どこまでいっても、人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく
存在だから、基本、孤独である。
生きることとは、不安定、心配な状況のなかで、
与えられた時間、この世に存在するということだ
と思う。
不安定や孤独が怖いから、いろんな安定を求め、努力するのが
これまた人間の特性である。
だから、いろんな宗教やビジネスが生まれたりする。
私自身も、日々、これが日常という感じで孤独を味わっている。
自然に生きていれば、そうなる。
でも、孤独と思うのは、自分中心に考えるから。
自分の
生きる軸を、目線を一歩外にむけると、世界の見え方が
大きく変わってくる。
つい最近、ブエノスアイレスで活躍する日本人の
知人からメールが来た。
一昨年前、ピアソラのお墓参りに行きたいと思ったとき
サポートしてくれた人だ。
久しぶり、かつ地球の裏からのメール。
その1本で、私の中に、いい気が沸いてきた。気持ちいい風が吹いてきた。
ああ、あっちでがんばっている人がいる。
著名人でもない
自分を忘れず、海を越えて(?)連絡をくれる。
再会を楽しみにしてくれる・
そのことがとても、うれしい。
これまで、まいてきた種がどこかで生きている、育っているのだ
と思ったりもする。
世界中のどこかで誰かが自分を覚えていてくれていることを
そのことに触れる瞬間を大切にしたい。
人は心からつながれる。
孤独と戯れつつ、時々巡ってくるこんなひととき。
とくには、
世界地図を見ながらゆっくり味わい、感謝したい。
雪が降る町を・・・思い出す
写真はちょうど2年前の長崎市。
気象観測開始以来の雪と言われ、交通機関がマヒして、坂の町は突如として休業状態。
そんななかで、
コンサートをやったとは、
われながら、なんという運の持ち主か・・・と今は笑えるが、
どうやら、この1月も長崎に雪が舞った、積もった。
主要道路以外は、ストップし、大騒ぎとなったとのこと。
そんななか、長崎の知人が
「雪の中を歩きながら、今尾さんを思い出してましたよ。あのときも大変でしたね~」
と、長崎にこんな形で記憶に残るとは、光栄なのか何なのか・・。
遠い分だけ、ではないが、ちょっとご挨拶がおくれた。
今年も長崎 行きますからね。
いやー、あんたが来ると、台風か雪なので・・・と言われそうだ。
雪の降る町を歩く、思い出すと、特別な時間が再び蘇り
非日常な感じで、どきどきする。
雪とは、苦労とともに余韻を残す不思議な存在だ。
キャンディは一粒の涙、愛、そして新たな力。
外出から戻ったら、宅配の荷物が届いている。
通販の注文の記憶もないし、もうギフトの季節でもないが・・・。
受け取ると、東京で長年お世話になった女性からだ。
旦那さんがおととし亡くなり、とくに旦那さんとの交流が多かったため、
久しぶりの荷物だ。
何が入っているんだろう。と思いつつも、
荷物のなかに入っているものよりも、封筒に入っている手紙を先に
開ける。
新年のあいさつに続き、そのご婦人らしい近況をつづった文面が続く。
闘病されていた旦那さんを送り、お寂しくされてはいないかと
時々、気になってはお菓子など送っていたが、
だんだん落ち着いて、
時間とともに普段の生活に戻りつつあるようだ。
築地や銀座が当時の活動拠点で懐かしい。でも、今は少し離れたので
なかなか足を運べないが
家にこもっているのは健康によくないので、
足を鍛えるために、近所の駅まで歩くようになったとのこと。
そこにある食品店で、新宿のフルーツ店のキャンディーが
目に入った。
私が喉を使うことが多いので・・・と思い出してくださって
そのキャンディーを買ったので、送ります・・という内容だ。
散歩の途中に思い出していただけるとは・・・。
袋の中にはキャンディーやフルーツのチョコやらいろいろ
わくわくお菓子が入っており、うれしくなる。
なんだか福袋が届いたような気になり、
その中身以上に、その送り主の気持ちがありがたくて
涙があふれた。
娘でもない、何も義理のない間柄であるのに。
時間が経っても覚えていていただけるとは・・。
私も
町を歩いていて、何かを見て、誰かを思い出したら、
同じようなことをきっとするだろう。
として、突然届くのは、うれしいものだなと
改めて思う。
喉を気遣ってくださることがありがたく、
しみじみその袋を握りしめる。
早速、来週のミニコンサートにもって
いこう。
キャンディとは、夢があり、そして涙の粒のようで、
そして、その一粒から、すごいパワーをもらえる感じがする。
まさしく、不思議なキャンディ パワー。
誰かが覚えていてくれる、見守ってくれている。
このことが、自然と自分の背中を押してくれる。
うれしい新春ギフト。
この気持ちを大切にしよう。
今年はこの方に、会いに行こうと心に決める。
インバウンドと、京都ブランドに思うこと。
インバウンド強化、目標数値にばかりこだわる人たちの
おかげで、外国人観光客がぞろぞろと日本にやってきている。
東京でもその現象に辟易し、京都ではそれより前から
気になっていたが、今もその混雑ぶりは変わらない。
決して、はるばるやってくる観光客のみなさんには
罪はないし、歓迎の気持ちはもっているが、
それに向けての受け入れ体制、環境整備が整っていない
ことについての危惧をずっと抱いている。
京都の市バスでは、大きなスーツケースをもって乗る外国人が
多く、荷物も一緒に運ぶような状況。
一般市民が乗れないこともあるという。
実際に、久しぶりに京都の市バスに乗ってみて、
混雑の実態に違和感、不快感も抱く。
平日の午後・・・こんな時間も混むのか・・・。
市民の足がこういうことになっているのか・・。
インバウンドが市民生活を圧迫している・・・
このことを言い出しっぺの人たちはわかっているのか?
次に京都でタクシーに乗る。
「外国人の利用は増えていますか?」
「基本的に、欧米人はお金使わないですわ。
タクシーも乗らんし、バスで移動ですわ。
食事もマックとかコンビニとか
そういうので済ませているようですよ。
お金使うのは、アジア系の富裕層ぐらいですかね」
確かに街には大きな荷物をもった欧米人、そして
中東方面のグループがまとまって歩いている光景も
珍しくないし、駅前にあるコンビニのレジは行列だ。
そして、京都に住んでいた四半世紀前に、
憧れであった 歴史あるレストランに
久しぶりに足を運ぶ。
四条鴨川界隈にあるロシア料理、あるいは中華料理の
お店。いずれもその存在、 とくに年配の方には
なじみの由緒あるお店。これぞ、THE 京都!という老舗と
いうこともできる。
立派な建築物でもある中華料理店。
著名な外国人建築家が設計した。
維持が大変だと、一目見て、心配もする。
そのうち、世界遺産になるのでは?
その店内。お料理やサービス。
これはおそらく、古き良き時代のまま
のような・・・・。
ずっと京都の、一等地の・・・という
イメージに支えられてきたが、
こういったところには、海外の観光客は
来るだろうか?
また国内からの観光客にとってはどうだろうか?
一歩外に出れば、安くて美味しい店が
たくさんあるが・・・。
美味しい店は、時代とともに変化し、
しのぎを削って、お客さんに満足され続ける
店だけが生き残る。
そういう意味では、
東京は競争の数も多く激しく、変化のスピードも速い、戦う市場。
そこで生き残るのと、
長年京都ブランドで支えられ、生きていくのとは??
「京都どすえ」
と言っているだけでは、やがて終わってしまう・・。
今や、京都にもいろんな「外資」が流入してきているのだ。
今回、古き良き時代のまま・・を維持しようとしている
店たちを見て、
京都の将来が心配になった。
決して、あぐらをかいているとは思わないが、
いつまでも、古き良き京都ではないのだ。
という現実の厳しさを感じざるを得ない。
個人的には昔のままの、京都が大好きだ。
今は、違うKYOTOになっている・・。
「さよなら」を告げる代わりに・・
さる1月15日は、お世話になった方の2回忌であった。
ご自宅に小さなお花をお送りしたが、そこに記載した
メッセージは、
やはり、本人に向けてのものが良いかと、
ずっとご家族を見守ってくださいね。
今もその笑顔、忘れません。
といった内容にした。
病気などで亡くなれば、静かに人生をフェイドアウトできるが
なかなかそれを望んでも、そればかりは叶わない。
とくに事故や自然災害などで突然亡くなる場合は、
今日もかえってくるもんだ、と思っていたり、
また今度、会えるわ。
と思っているので、
挨拶せずに、お別れすることになる。
葬儀は、本人がすでにいないので・・・私にとっては、
お別れといえない感じがずっとしていて・・。。
さて、自分自身のこと。
今後、おそらく
お世話になった方にきちんと「さよなら」と
告げ、人生を閉じることは難しいだろう。
だから、
せめて、毎日毎日、今日が最後であっても
悔いなきように
「ありがとう」だけは
伝えておきたい。
ときに心からのありがとうは、
最後の挨拶になる。
今日、あの神戸での震災から23年。
まさに、さよならと言えなかった人たちのこと・・。
今も思い出し、祈り続ける人たちに
心を寄せたい。
そして、被災された方々に
哀悼の意を捧げる。
NY発 定番手帳で、新年本稼働。
前にも書いたが、手帳は毎年同じ会社の、同じデザイン
のモノを使っている。それはNYの文具店で見つけたもので
もう20年近く使い続けている。
NYに行けないときは、アメリカのアマゾンで注文するが、
日本まで送るサービスはないため、現地の友人に送ってもらう。
今年の手帳もそうであった。11月後半にNYの郵便局から
送っていただいた。
「1週間ぐらいで着くでしょう」の言葉を信じ、毎日
待ったが、今回はなかなか届かない。
年末までに届かず、新年に新しいダイアリーがないのは
困るということで、やむなく、東京で購入。
それに予定を書き入れ、新年がスタート。
さて、NYから届くはずの手帳たち。今回に限って
いろいろ使ってみようと2種類購入していた。
「いつ、届く?今届いても・・・。でもいつ届く?」
お正月が過ぎていく。
日本で買った手帳で不便なく、郵便物が来ないのを
次第に忘れていった。
そんな中
先週大雪の新潟出張から戻ると、国際郵便が届いていた。
12月に毎日毎日待ちわびていたニューヨークからのもの。
1月13日到着。なんと、6週間かかった。
航空便なのに、船便のようだ。でも、届いた。
安堵した。
でも
手帳が3冊となった。厳密にいうと
諦めたときに大きいノートサイズのものも買って
いたので、それも含めると、合計4冊だ。
使わなくちゃもったいない。
そこで、考えた。
まず、1冊は、8年後に使う。
最近気づいたことであるが、
気に入った絵柄のカレンダーも同じであるが、
1年使って捨てるのはもったいない。
7年待てば、また同じ暦が巡るはず。
だから、8年後までとっておこう。
これは私のリユースのプチ発見。
あと3冊。
1冊はすでに使い始めていたまま、ビジネスの
スケジュール管理用に、
2冊目は日々学んだこと、新たに気づいたワードを
メモする 学びの手帳に。
大きい3冊目は、1週間終わってから書く、心象記録に。
そう、日記的に使う。
ということで、1冊ごとに目標をもって、活動開始。
手帳だけは、
半月遅れの本格スタートとなったが、これもよし。
それにしても、日本の郵便は優秀だ。
それと比較するから、いけない。
でも、届いて良かった。
ようこそ、NYの手帳たち。
これから、今年もどうぞ、よろしく。
自分が〇歳になったときに・・・への自問。
30代後半と20代最後の夫婦との会食。
年に1回ぐらいしか会えないが、心の距離は近く、
勝手に弟夫婦という感じで接している。
いろんな話題の中で、
「自分たちが40歳になったとき、50歳になったとき・・
ほんとうにこの国は・・・と、心配に思いますね」
と、こんな会話にもなる。
私自身も同様、60歳になったとき、70歳になったとき・・・
この国は大丈夫?いや、そうではなさそうだ。
このままでいけるはずはない。と思ってしまう。
若いときは、正直、さほど不安を感じることはなかった。
あまり考えていなかったのかもしれないし、
よき時代であったのかもしれない。
いろんなことを知らなかったし、知らなかったことが
良かったかもしれない。
これからは果たして、長生きして何がある?
とも考える。
長さは人生の価値でもないし、
ただ、図らずも長く生きてしまう場合、
不安な状態で生きるのだけはごめんだ。
そして、
私より若い世代の人たちが、
将来に不安を感じていることは、本当に危惧すべきことで、不幸だ。
単に教育を無料にするとか、そんなことだけで不安がなくなる
わけはない。
明日に夢を描ける人生。
これがいい。
若者たちが、将来に夢を描けるように、
この国に生きていることに誇りをもてるように、
今私にできることは、話を聞きながら、話をしながら、
私が考えることを伝えつつ、それぞれが
元気よく、走り出してもらえるように手を差し伸べること。
そんなことぐらいしかできないが、
志のある人たちとは、
せっせとコミュニケーションの機会を創ろうと
思う。
○歳のわたし。まずは55歳の私から、描いてみよう。
「また、会いたい人」でいられるよう。
人生、時間に限りがある。
日々、いろんな出会いがあるが、ご縁ある方とは太すぎず、長くつながっていたい。
最初の出会いから、長いつきあいになるかどうかはわからないが、
その1回目で、あるいは何度かの交流で、引き合う、見えない力が働くのだと
思う。
そして、常にお互いを理解し、応援し、尊重し、尊敬し、人生の価値観において
共有できる何かがあると、結果的に
長いおつきあいになるのだと思う。
人間、最初から長く付き合おうと思って 付き合えるものではなく、
1回1回対面し、会話をすることで、
また会おう!ということになるのだ。
人生、時間に限りがある。
いろんな優先順位をもつ必要がある。
そして、会いたいと思う人、大切な人とは
限られた時間のなかで、できる限り会っておきたい。
自分だけが会いたいではなく、
相手からも「また、会いたい」と思われる関係。
そこには、ほどよい距離感や、見守りや、共感や応援や・・・
いろんな要素が含まれる。
生きている限り、
「また、会いたい」と思う人との良い関係を切れないように
ほどよい距離感で、繋いでいきたい。
