変化に対応、いろいろあれど。

アフターなのか、ウィズなのか。コロナとの向き合い方がこれからの社会生活のひとつの課題になっている今日。
思わぬことが起きるということが今回立証されたことで、いかに変化への対応が重要かを改めて知らされることになった。
変化への対応・・・。
よくマスコミや、企業ではその言葉を多用する。
そのとおりであるし、もっともであるし、それを口にすることで背筋も伸びる。
では、具体的には?

実はここが大切だと最近思っている。

生きていく上で、変化に対応というのは、今始まったことではなく、
もう実際そのように生きてきており、これからもそうしていく・・生きるということはまさに、変化への対応なのだ。
自分の変化、そして自分の周りの変化にいかに対応していくか、向き合っていくかがまずは優先。

自分の場合、今は親の変化ということが大きな課題、ときに難問である。
老いていくというこの変化に対して、どう向かい合うのか?
悲しいかな、子供という存在は、自分や自分の親は変わらないもの、絶対的な存在・・とどこかで思っている。そうであってほしいと思っている。
だが実際、そうではない。
親も、自分も、家族も、そして友人、知人も、会社も、町も・・・。
変化のない人生というのはありえない。悲しくもある。

今、コロナへの変化といいながら、それよりプリミティブな人間の老いという変化について、自分がどう向き合うのか?について日々考えている。

いずれにせよ、日々すべて変化していく。そこだけ忘れず、ときにはあきらめも
そして、生きている以上は希望を持って。
変化に対応しづらくなる年寄り、これは変化を認めたくない、死にたくない、今のままでいたいという人生への抵抗なのかも・・・。

などなど、「変化」ということに改めて考えさせられている。

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気持ちが伝わる歓び。

コロナ見舞いを送った、お久しぶりの皆さま。とくに首都圏にお住まいの方にお送りしたが、早速 受け取りました!とさまざまお返事と近況報告をいただく。
日本国の郵便はすごい、1日もかからずに届いているのだ。かの有名なマスクは届かないけれど。(もっとも、これは受け取る気もないので、永遠に届かなくていい)

突然の見舞い郵便に、驚きとともに、気持ちが伝わって、元気になりました~との声。メールではあるが、その文面から、がんばって生きているよ!気にかけてくれてありがとう。大変だけどがんばるわ。落ち着いたら、ぜひ会いましょう。またメールをされない方からは、お電話。思いがけない便りとおまけを喜んでおられる様子が、声から伝わる。思いつきのちょっとした気持ちの行動に即、感謝の言葉が続くのが、うれしい。ちょっとのことで、幸せな気持ちになれる。
限られた時間、焦り気味に手書きで書いた文章はあまり読みやすいものではなかったはずであるが、気持ちが届いたならば、それが一番。

コミュニケーションで一番大切と思っているのは、「伝えたい」と思う気持ち。

それが伝わっていると感じられると、送ってよかった、やってよかった、言ってよかったということになる。

送った香り付きのハガキを、「マーサさんの匂いですね。癒されます。しばらくリビングに置いておきます」という方もおられ、ほんのちょっとのことで、人は元気になったりするものだということを改めて知る。

全国各地、さまざま年代、いろんな職業、生き方。ひとり一人に感謝して、気持ちを寄せて、今日も心新たに走りはじめたい。

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日常が戻ることへの有難みを。

日常が当たり前であったときには、非日常を求めた。ハレの時間、祭り、普段と違う刺激、消費・・・・。

しかし、今回の感染症パニックは、その「日常」がストップさせられた。
まだ日本ではぬるい、ゆるい措置であったとは個人的には思うけれども、
それでも、明らかにこれまでの日常ではない、動かない、静かな日々が続き、
経済活動も停止。先が見えないことへの不安が、日常化すること。このことが一番の恐怖となった。
今日の次は明日が来る。だから今日もがんばろう!という日常を過ごしてきたのに、明日はもっとひどくなるのか?日本はどうなるんだ?将来は??先が見えないことで、気持ちの方がまず非日常になった。これまで体験したことのない、なんともいえない状態。
しかし、人間は慣れる動物であり、適応する能力がある生き物だから、
この自粛のなかにもなんとか生き延びた。
そして、宣言解除を機に、徐々に日常が戻ってきた。
開いているはずのお店が開いて、「いらっしゃいませ!」の声が聞こえて、
これまでうるさいなと思っていた道路の音も、再び聴こえてきて、それすらも「これ、これ」と懐かしく、気のせいかおしゃれをする人も増えたような、・・・となんだか町も活気づいて見える。
マスクがやたら販売されている光景と、ほとんどの人がマスクを着用している姿は、以前と異なるが、それでも人が普通に生活していることを感じることができることが、なんだか嬉しい。


日常がある歓び。
今、別にお祭りがなくてもいい、申し訳ないけれど、オリンピックなんかいらない。
そんな無理する非日常よりも、普通に働いて、生活が回って、生活というものを回していく楽しみ、生きがいをみんなが感じられたらいいと思う。
今年はすでに貴重な非日常をみんな、生きた。ハレとケというが、まさにケのなかでじっと忍んでいた。
だから、今は普通に生きていることを、ありがたく、愛おしく思う。
コロナは終息していない。気を抜いてはいけないけれど・・・

日常生活ってありがたい。シンプルであるけれど、安心して暮らせるのがありがたい。そんなことにも、気づかされたこのたびのコロナ禍。

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気になるあの人へ、コロナ見舞いを。

日頃メールなどで頻繁にやりとりをしている人とは、このコロナ自粛期間も
行き来をしていた。とくに仕事関係は普段どおりに・・・。
一方、かなりご無沙汰していたり、いろんなわけあって長らく会えなかったり、
メルアドもわからず、アナログのみの交流であったりする人たち・・・のことが
ここのところ、大変気になって、コロナ大丈夫だろうか?どうされているだろう?と次々と顔が浮かんできた。この自粛期間中に、悲しい別れもあったせいか、相手がご年配であったり、健康状態が気になる方のことは余計に気になってくる。連絡とらなくちゃ、いや、電話も唐突だ・・・・・と思い続ける。
もしも何かあっても、連絡が入るとは限らない・・・そんな関係も増えてきている。定年して時間が経てば、だんだんそういうことにもなってくる・・・。
と、そんな風に毎日、いろんな方のことが気になって、すっきりしない。
このままではいかん!と、突然、レターセットを引っ張り出してきて、封筒に宛名を書き、それぞれに「コロナお見舞い申し上げます」と始まるお手紙を書き、そこにちょっとしたおまけを入れて、ひとつひとつ封緘する。気が付けば20通以上になっていた。やり始めたら、止まらず、結構な作業。
そして、その束を郵便局に持ち込む。
それぞれ重さもサイズも異なるややこしい封書を係の人が計量、清算してそして投函。
さて、さて届くのが楽しみだ。郵便はやはり届ける楽しみがある。
気になっている人にメッセージを出せたことで、ずいぶんと心もすっきりした。
お元気だといい。また会えるといい。
気になったら即行動。また気になる人が出てきた・・・この作業はしばらく続きそうだ。

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いのちと経済は並列ではない

5月25日発行のニューヨークタイムスでは、今回の新型コロナウイルスで感染し、亡くなった市民の一部、1000人分の名簿を一面にて掲載した。

以下はスマホから見たWEB版のスクリーンショット。すでに10万人以上が亡くなり、世界一の感染国となっているにも関わらず、経済活動を再開させている州があったり、中にはマスクをするもしないも、自分の自由だなどと主張し、社会問題になっている困った大国アメリカ・・・。
自分や家族や友人が感染したら、と思えば、考えや行動は変わるだろうに。
この名前とその人を紹介するメッセージを見ると、いかに今回のコロナが恐ろしいかを感じることができ、ミュージシャンとかその人がどんな人であったかを知るとより一層胸が痛む。
どんな人であっても、感染する可能性があるのだ。油断をしてはいけない。
大切な人を失うことがあるかもしれないのだ。まだ何も終息していない。

日本ではこのたび、全国で長かった緊急事態宣言が解除となったが、ここで気を抜いてはいけない。そして、いのちと経済は、決して並列ではない。

まずは、いのち・・。そして暮らしを支える活動、経済。
これからも、うまく塩梅をはかりながら、何が一番大切かを忘れない選択をしていかねばならない。

もし、この新聞にNYの知り合いの名前が・・・と思ったら、怖くて精読できない。なぜか、911の後のときのことを思い出す。
今回は、また違う危機であるが、社会が変わる節目である点では共通している。

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目元でしっかり伝えよう。

マスクが今しばらく必要となる。
暑くなるこれからのことを思うと、本当に苦痛である。
とくに日焼け。マスクをしている部分とそうでない部分。
まだらにならないか、夏のマスク、口元に汗もができないか、蒸れないか?
それ以上に熱中症にならないか・・・。
これまでにない不安が生まれるマスクライフ。

しかし、とりあえず社会で生きる上で、今しばらくそれありきで
過ごすしかない。
ウイルスから身を守る。お互いを守る。
このマスクをすることで、日々のコミュニケーションにも注意、工夫が
必要だ。
もともと、日本人は西欧人と比べて、目元で合図、判断できる傾向があるよう
だが、今後、とくにビジネスなどの場合、それをもっと意識、強化する必要がある。たとえば、WEB会議や株主総会などモニターに映った自分を相手に見てもらう場合など、マスクをした自分の見られ方を予めチェックしておきたい。
まず、顔の半分が見えない状態。見えている部分でどう伝えるか?目元はもちろん、額や髪も大切な要素になる。
マスクをして、どんな風に自分が見えているかを予め点検しておく必要がある。
もちろん、見た目だけではない。
マスクとしたときの話の仕方も研究しておきたい。
マスクがあっても、しっかりできる限り明瞭に伝わるように。
発声練習や録音してきいてみるなど、いろいろ工夫が必要だ。
マスクコミュニケーション。
五感で、点検。
これをきっかけに、より表情豊かになれたらいい。

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利他の心を改めて。

メディアが伝えることも、どこまでがどうなのか?まったく本当のことが
見えづらい世の中になっているが、そんななかで利己の人が目立って、世の中は一体どうなってしまったのかと不安を感じることが多い。自分主義、、、それが当たり前になっているような。目立つことばかりが、優先され、コトの本質を問うことが軽んじられているような・・・。
自分のことしか考えない。自分ファースト。自国ファースト。
でも、最近、そんなことばかり声高にいい、やっている人はそのうち地獄におちるんだ~。と思うようになってきた。
また、利己の人は本当によくない顔になるんだな~。薄汚れた顔だ。

いかんいかん。

自分はといえば、どうせ大したことのない、己であるので、そこにこだわる理由がない。

それよりも、周囲が喜んでくれることの方がもっとうれしい。
利己の人は、その喜びがわからないのだから、かわいそうであるし、うすっぺらでかえって、貧しい感じがする。

とにかく、この時代だからこそ、利他の心を。
それが結局、幸せへの道ではないかな。と思えてならない。

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壁をつくる人、壊す人、越える人。

コミュニケーションにアクリルや、ビニールシート。
これも、なかなかつらいけれど、透明なので、まだ相手が見えるからいい。

相手の心が見えないコミュニケーションは、本当に難しい。
世のなかには、
どうしても、壁をつくってしまい、自分を見えなくする人もいる。
たとえば、ある言葉に反応して、その瞬間に人が関わってくることをシャットアウトして、自分の殻にこもってしまう、相手を受け入れない・・・。
壁をつくるとは、受け入れないということ。自分だけの世界に籠るという状態。
そして、
残念ながら、何を見てもけなしたり、文句を言ったり、・・・でだんだん人が寄ってこなくなり、最後は孤独になる。本当は寂しいかもしれないのに、つまらない意地が孤独を募らせてしまう・・・。

一方、いろんなことがあっても、自分のなかに入ってくる人、自分から相手の方に飛び込んでくる人。壁を壊す人だ。
この破壊は、一見、建設的である。
でも、気をつけないと攻撃的になってしまうこともあるかもしれないため、
壊すという発想は要注意だ。

この創る人と、壊す人の会話はなかなかかみ合わない。

つながっていたい人との壁はない方が良い。とくに家族の場合。

孤独な相手の心に入る時は、壁を壊すのではなく、壁を越えるという姿勢
でなければ・・・。壁を越えることで、いい関係が生まれる。この越え方には工夫が必要だ。

最近、さらにがんこになっていく親との会話は、まさにこの壁との闘いでもある。
なかなか、心が折れそうになるが、コミュニケーションの修行をさせてもらっていると思って、めげずにトライする。


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透明シート越しはいつまで?

道を歩いてるとき、マスクをしながら歌う。発声をする。近くに誰もいないときは、マスクを外して声を出すこともたまにはする。屋内での発声練習はなかなかむつかしい。
最近は一人カラオケなどというサービスも始まったそうであるが、開放的な空間で歌えるのが自然。
最近、いつ、ライブがコンサートができるのだろうかと思案する。オンラインではなく、ライブ・・・。目の前にお客様がいて、目が合って、心のふれあいを感じるまさにライブ・・・。

一方、お店のレジ、やイベント会場の入り口等、人が向かい合う各所に設けられた透明ビニールシートやアクリルのパーテーション。
当たり前になりつつあるこの存在が、最近とても気になっている。
もし、ライブハウスや演奏会場がそんなに広くない場合、今後は、もしかしたら透明シートを客席との間に貼って、アクリルの仕切りを置いて行われるような?そんな事態が来てしまうのだろうか?
透明で顔も見え、演奏も聴こえる・・・。
でも、その間に1枚のシートが・・・。
そんな絵を想像すると、とても悲しくなって、たまらなくなる。どこか痛々しいのだ。

いろんなことに、いつしか慣れていくのだろう。
きっといい方法がみつかるだろう。

と、本番の心配をする前に、今こそしっかり練習したり、創作せよ!
ともう一つの自分が言う。

透明だけれど、1枚ある。この存在は気になる。
でも、透明シートが発明されていてよかった。これがないと、何も見えないのだ。
などなど、ビニールシート1枚だけでも、考えること多し。
このコロナは、コミュニケーションにも多くの課題を投げかけてくれている。


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DICでいこう。

DICとは。印刷会社にいたから、インクのブランド名かと思われてしまうかも・・・かも?いや、そうではない。

今日伝えたいDICとは、最近、こだわりたいコミュニケーションのこと。
まずは、direct communication。直接届けるコミュニケーション。
伝言ゲームのようなことをやっていると、やっているうちに、意味が変わっていったり思いが違う方向へいってしまう。関節的にというのは、出来る限り避けたい。言いたいときは、直接言う。遠い相手であっても、直接届ける方法を考え実行する。どこか見えないところで言ったところで、解決にはならない。
直接言う。勇気もいるが、これが一番。誰かを介す場合は工夫が必要だ。

そして、Dialogue Communication 。対話である。
言いたい事だけを発信したり、言いっぱなしでなく、言葉をちゃんとキャッチボールして考えを互いに高めていく。相手が見えていることがコミュニケーションの前提だ。
対話は人間が生きていく上で不可欠だ。
これが最近、どうだろうか?何様目線かわからない、言いたい放題。対話にならない一方通行の言葉が飛び交っている。断片的に一見、通じ合っているかのような?誤解の連鎖。こんな現実も気になる。
とにかく、人間の関係づくりで大切なのは、対話だ。もっとも今は、直接対話の手法にも制約があるが、手法や制約を越えて心の対話を心がけたい。

ということで、

DIC。自分のことも相手のことも大切にしながら、真に悔いのない、良好な関係づくりを目指していこう。

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