最初はひとりからはじまる。

たまたま石津健介と青山の関係をとりあげた番組を見た。
昭和の東京オリンピックのユニフォームも手掛け、アイビールックで一世を風靡
したVANブランドの創設者。その石津氏が青山に拠点を構えたことから
次々とデザイナーたちがこの町に店を開き、そして今や青山は、ファッションストリートともタウンともいえる東京(日本)を代表する拠点になったということを
知り、あの通りが好きで、時々散策、リサーチどちらも兼ねて出かけていたため
改めてその歴史に感動した。
イッセイミヤケも、川久保玲も・・。それらは今もそこに存在している。
コシノジュンコが、石津氏に続いてすぐ出店したそうであるが、彼女がインタビューのなかで、「なんでも一人からはじまるんですよね。そのあとを我も我もと追いかける・・・・」石津氏がその一人であることを言っていた。

そう、何事もひとりから始まる。挑戦は誰かと一緒にというのは実はない。
一緒に行動しても、最初の発案は誰か一人から。である。
考え始める、思いつく、動き出す。きっかけをつくるのは、実は大きな会社や
組織ではなく、つねにひと、一人からである。

そういう意味で、人間はとても平等にできていると思う。

その一人になりたい。と、やっぱり妄想がはじまってしまう。

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茶碗を鳴らす紳士に涙と、余韻。

碗琴演奏を初めてみた、聞いた。
有田焼400年の記念イベントのひとつとしての、演奏であったが、
すでにこの碗琴は、内外で550回以上、演奏されていると聞き、驚く。

会場には、大きなテーブルにいろんな柄、大きさの有田焼が並んでいる。
昔は14個、今は31個の茶碗をつかうそうだ。
日本の唱歌などの音階は前者で間に合ったが、有田焼の友好都市ドイツの
マイセンなどで演奏する際、西洋音楽を演奏する際に、それでは足りぬと
31個まで増やした。
そう、茶碗は無秩序に並べてあるのではなく、これは高音のド、これは
低音のレのシャープといった具合に、音階順に並べてあり、演奏者は
マリンバや木琴のようにその茶碗を並べた鍵盤を、有田焼を布で覆ったスティックで順番にはじいていくのである。
ピアノやマリンバなどは、鍵盤が外れたりすることはないが、椀琴は
相手が机上の茶碗ということで、力の入れ方や方向によって、茶碗が
飛んでいったり割れてしまう可能性もあり、かなり緊張する。
そしてやさしくも、しっかりはじかないと、いい音色が出ないだろうから
その勘も重要である。
とにかくその演奏者の手さばきを見ながら、そこから出る音色をひとつひとつ
楽しむ。
意外と高く、品のいい音が出るのだ。

始めに茶碗を並べて演奏しようと思った人は凄いな~。またそれを受け継ぎ
十数年も修行されてきた今回の演奏家の方も素晴らしい。
先日も書いたが、器の可能性をここで再確認し、改めてその感性に感動。

スーツを着ながら、一人オーケストラのように、茶碗が割れないようにと
細心の注意を払いながら、唱歌からエリーゼのために・・まで幅広く演奏されて
いたその様子に涙があふれた。
ライブの緊張感と、茶碗の緊張感。
たまらないドキドキの30分。
この夏訪ねた有田の町がよみがえった。
焼き物ひとつから、いろんな文化の広がり、交流。
美濃焼なら、あんな音になるのかな?

有田焼を初めて焼いた人が、音まで考えたかどうかはわからないが、
芸を受け継ぎ、用途を自由に広げる。
すべて五感のなせるわざ。
400年前の九州の異国文化の交流を懐かしみ、
やっぱりザビエルのことも重なってくる。

そして翌日も、この碗琴演奏のことを思い出しながら、茶碗を
洗っていたら、手が滑って、ふたつに割れた。(買ったばかり・・)
演奏者が「有田焼は粉々にならないんですよ。ふたつかみっつにきれいに割れる」
と演奏の合間に言われていたが、こんなところで実証するとは・・。

それぐらい余韻の残る名演奏だったのだ。

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夫婦喧嘩礼賛

わが両親はたぶん、ボケていない。と毎月、確信する。
それは、彼らの夫婦喧嘩の生中継?を見てそう思うのである。
それはそれは、本当にテレビの世界の二次元と違い、
目の前で繰り広げられると、声の大きさ、相手を罵倒する言葉、
意味不明のやりとり・・。こちらの血圧まで上がってきそうな
緊迫感が伝わる。お互い言い合っているだけで、聞く耳は
どちらももっていない。
聞くに堪えず、仲裁役はかなり難しく、いつの間にか
こちらが爆発してしまう。その爆発にびっくりして、しばし
その喧嘩がうやむやになり、中断ということもあるが。

いずれにしても、あの双方に向けての怒りはボケ防止に
役立っているはずだ。
そして、改めて「喧嘩」という文字に注目すると、
口に宣伝、口に華。
自分をしっかりPRしながら、そしてその意味のない
言葉の応酬は自分中心かもしれないが、言葉が咲き乱れる?華なのだ。
(決して客観的には、美しい花ではないが)

と思うと、ま、喧嘩できなくなったらそれはそれで心配かも
しれない。
喧嘩できるのは、仲のいい証拠かもしれず、
元気の証拠であることは間違いない。
いつか、そんな日々を思い出すこともあると思うと、
今は、
好きにさせておくがいい。

ある人が、
うちの親は喧嘩する元気もない。それに比べたらいいですね。
と言ってくれた。

そう、喧嘩できる相手、喧嘩できる時間。
それがあるということ。
幸せと健康長寿のバロメーターであることは
間違いない。

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結果を残す、プロセスを残す。

人生という道を死ぬまで進み続けたら、結局最後に何が残るのだろう。
その人が創った作品、仕事の産物、はたまた財産?
いずれも残そうと思えば残せるものであるが、私が最も興味があるのは
「作品」だ。自分の命が絶えても、見たり聞いたり読んだりしてもらえるものが
残せたら、後世の人にそれを通じて、自分のメッセージを残す
ことができそうだ。
一方、作品といった最終形だけでなく、
それに向かいジタバタとがんばっている、その「プロセス」も
残すことができる。というか、すでに残しながら生きている。
その過程、その様、その姿勢を、周囲は見ている。
それを、その人の「生きざま」と呼ぶ。
人は、その生き様からも学び、影響を受けるのだ。

だから、決してとびっきりの作品とまで至らなくても
そこに向かっていること自体に価値があることを
忘れないでいたい。

久しぶりに再会した、親しいビジネスマンとの食事
で得た会話。
いずれにしても、お互い一回きりの人生だから
楽しみながらがんばりましょう!と心から握手。

そう、毎日残しているんだ。
そう思うと、無駄に過ごしていられない。

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どんな器の人間になるか?

最近、椀琴という言葉を知った。
何でも茶碗を並べて演奏する。茶碗の琴、珍しい楽器のことだ。
有田焼でそれをやっている人がいるというので、大変興味深く、
近日拝聴してみようと思っている。
人間は、もともと生活用具を楽器として、感情を表現したり、それを奏でることで、偶然生まれる音色に感動を覚えたり・・と、音楽を生活のなかで楽しんできたようだ。

器をたたく。器をはじく。どんな音がするんだろう。

器というのは、見て楽しむ、入れて役立つ、そして時に聞いて癒されるもの。
いろんな役割があり、その時代でいろんな表現があり、興味はつきない。

そこで、その器。

人も器でたとえられる。
その人が器に合った人かという評価もよくされる。

今、著名であっても、メディアに露出していても
その器でない人が、器があるかのように、演じられている
こともあるため、
そのことをちゃんと見極めることが大切だ。
穴が開いていないか、混ざりものではないか。
偽物なのに、情報操作で本物っぽく見せようと
されてはいないか・・など。

そう、器を見る目を養わねば。

一方、ひとりひとりが器でもあるから、
器としての自分をいつも磨き続けなければ
ならない。

大きい器でなくていい。
大量生産ではない器がいい。
できれば、触れたら、はじいたら、いい音が響く
そんな器になれたらいいな。

その椀琴、コミュニケーションクリエイターとしては
興味津々。

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出張先のわが食卓

出張が続くと、外食ばかりというのも正直しんどい。
どこかで簡単に買い物をして、ホテルで仕事をしながら・・というのも
日常的な選択だ。
早くすべきことをして、早く休まねば・・。
そんなに毎回毎回、誰かと会食というのも
さすがに出張が多いと、ハレ感もなくなり、まずは普段どおりの
仕事を外出先でこなすということが優先となる。
美味しいものは、おかげさまでいろいろ食べてきたから、
と、出張先の食事もいつしか日常的な時間となってきた。

それでも、行きつけの店、応援したい店というのはいくつかあり、
そこには意識して顔を出すようにする。人もつれていき、一人でも行く。
とくに、無理のきく店はわが家のように、帰ってきたよ。という感じで
顔を出す。
黙っていても料理が出てくる。
おもてなしをしてくれる。
たわいない話もする、店主だけでなく、スタッフとも気軽に話す。
何か珍しいものや、スタッフが喜びそうなものがあれば、差し入れることも日常だ。

出先にわが家の食卓があるのは幸せなこと。
経営が気になって、応援しようと思っているうちに
気が付けば通っているような感じになったのであるが、
どこの街にも、「わが家」のような店があるのは、うれしいことだ。

無理を言いあえる、信頼だけでつながっている。
感謝しあえる、認め合える。

お客とお店の関係でも、家族のようにもなれるものだ。
やっぱり、これからのマーケティングは「関係」づくりだ。
もちろん、関係と利益はなかなか・・。
そんなところも、通う店から現実の厳しさを知る。
できる限り、応援し続けよう。
私も応援していただいている。まさに良好な関係は
お互いさまなのだ。

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何のために働くのか?の議論もたまによし。

最近、家人との時間でひとり呟く。
「こんな人生でいいのかなと思うと、不安に思えてくることがあるわ」
「何が?いいじゃん。これで十分じゃん」
「いやー、そんなことはない。仕事だってもっと燃え尽きるというか、もっとやらなくちゃと思うのだけど・・」
「今の状態で何が不満なの?」
「不満じゃなくて 、もっとやらなくちゃいけないと思う」
「別に。これで十分でしょう」
「そんなことはない。」
「何をしようとしているの」
「いや、もっと自分の才能を発揮してとか、もっと世の中の役に立つとか・・」
「仕事で、そんなこと考えたことないわ。」
・・・。こんな会話。
以前も、旧友と会ったとき、自分の仕事について考え方を少し伝えようとしたら、
「そんなこと、考えたことないわ」
と言われ、そこで会話が止まったことを思い出す。

仕事は単なる労働ではないと思っている。創造も奉仕も貢献も含め、仕事だと思う。
何のために働くのか?もちろん食べるための仕事は大前提かもしれないが、
社会の一員として役立っているということが実感できる、そんな仕事に巡り合えたら、人生は本当に幸せだと思う。
もちろん、家族との楽しい時間のための労働としての仕事も良い。
結局は、人生をどうしたいか・・で仕事への向かい方も変わってくるのかもしれない。

生きていることが仕事。と、思っているところがある。
そう思うことがいいのか、悪いのか・・。時々苦しくはある。

いずれにせよ、いい仕事は、いい人生。今日も心して・・。
まずは、それを楽しむことだ。

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自分らしい、自分にしか・・という問いかけ。

ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指そうなんて、ずっとそう思い、
そう言い、それを目指して生きたいと思っている。
この「オンリーワン」とは、「自分らしさ」 という意味であり、そして
もっと突き詰めれば「自分にしかできないことを極める」という意味であると
解釈するが、前者はなんとなくそれとなく、そうあるような感じもするが、
自分にしかできないことをわかって、やり遂げる。
ということはかなり難しい。

最近、通う学校で「自分にしか書けないこと」をという課題が出た。
悩ましいテーマだ。
他の誰もが考え付かないこと、といってももしかしたら、すでに誰かが
考えていることかもしれず・・
他の誰もがやっていないこと・・・これも、似たようなことを誰かが
やっているのかもしれない。

しかし、自分は世界でひとりしかいない。そのひとりしかいない自分が
自分らしい発想で、自分らしい行動をとっていれば、かなり個性的な
経験にはなるはずだ。

今そんなことで、私にしか書けないこと・・・について悩み続けている。

課題のためにではなく、自分を見つめなおすために。

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親孝行ビジネスへの共感とエール。

最近知り合った事業者さん。高齢のお母さま直伝・仕込みのシソ味噌を製造販売されている。
なんでもご本人が60歳になって、退職されてからの起業。定年後に、やりたかった仕事、これまでと違う仕事に就く方が増えているのは、高齢化社会のいい一面でもある。まだまだ元気、健康。もっと社会の役に立ちたい。と若い者に負けていないアクティブなシニア、なかなかパワフルだ。
その事業者さんの仕事は、80代後半のお母さまの手作りの味を、商品化し、広げるというもの。
親孝行ビジネスだ。家族で作り、助け合い、一緒に売る。
売りはお母さまの直伝の味。まさに、おふくろの味という点。
 ふと自分のことを見つめなおす。毎年のふるさとライブは、親のいい仕事になっている。何か目標があることで、ボケることもなくがんばれる。もっとそんな仕事がふやせたら一番の親孝行になるはずだ・・。
親孝行ビジネスは、ソーシャルビジネスのひとつでもあり、もしかしたら人々の幸せづくりの原点かもしれない。いろんな仕事、親のやっている仕事を引き継ぐ方も多いが、事業承継という問題だけでなく、親が喜ぶことを仕事にする。ということは本当にいいものだ。
年を重ねるごとに、最近、そのことの大切さを思う。
どんな仕事をしていても、真面目にやっていれば親孝行であることは間違いないが、一緒に何かをできたら、もっといい。
ということで、そのシニア起業家さんを心から応援したいと思っている。

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複合かつ効率的な大人時間。

リタイアした方とお会いする時間は、夜でなく、午後からというケースも
多くなってきた。
お茶を飲みながらお話しする、お酒を飲みながら会食する。
話をしっかりしたい場合は、これがいい。
しかし、ある程度、親しくなり、お互いの近況もわかっていれば
改まった話にかける時間も必要なく、一緒に楽しむ時間が持てたらよい
という発想にもなる。

ある紳士2名と同じ週にそれぞれ個別に会う約束をしていた。
ところが、その紳士同志は知り合いで、それぞれが私と会うことに
なっていたことを知ると、
「そんな同じ週に二度もお金や時間使って別々に会わなくても、一緒に
会えばマーサもいいんじゃない?」
との提案から、なぜか三人一緒に会うということに。
なるほど、一緒に会えば効率的ということか。
「どこかで軽く食事してから、久しぶりにカラオケでもいかが?」
と、次は内容の提案。
「そうですね。カラオケ歌いたいならば、そこで食事しながらという
のも良いかも。最近、そういう店も増えていますし。」
効率を求めるならば、こっちもそういった提案をする。
「なるほど!ではそうしましょう。」
いつの間にか効率的な再会を提案された方が幹事となり、
その方は熱心に調べ、食事が良さそうなカラオケ店を
予約された。
なんと、コース料理?しかも、主食は麺かごはんかを前日までに
決めないといけない?さらにネットクーポンをつかえば
その店の名物サプライズギフトもあるという。

三人はその店の近くで集合し、早速そこに向かう。
改めて、こういったカラオケ店に新鮮感を抱く。
通された部屋はアジアンテイストだ。
無機質なカラオケルームとは違う。
なんでも、そこでは会議などもできるそうで、
さまざまな需要があると知り、納得。

出てきた食事は豪華かつ、味も悪くない。
これまでのカラオケ店のできあいの食事とは
まったく違うのだ。

従来のカラオケ店は営業不振で大変と聞く。
サービスの複合化を積極的に進める当店は
人気があるようだ。

ということで、バリバリビジネスマンOBとの
再会は、やっぱり効率的かつ複合的とどこか
ビジネス的にもヒントになる部分があり、
しかも
その幹事は、この機会をフルにエンジョイされ
ていたように見えた。この場に来る前に
どこかで練習してきたのではないか?と
思えるほどの歌いっぷり。
しっかり元をとられたことだろう。

接待や懇親のスタイルが変わってきている。
何が売りであるか。そこが明確でないと
また時代の変化を先取りした独自性を
打ち出していかないと、駆逐されてしまう
可能性もある。

効率と複合。ボイストレーニングしながら
勉強させていただいた。

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