知ることの大切さ。

先日、生まれてはじめて自衛隊の基地に入った。
ふるさと岐阜にある、航空自衛隊の基地だ。
年に一度の「航空祭」というイベントをやっているとたまたま知り、
どんなものかを足を運んだ。
なんと、大勢の観客が県内外から押し寄せ、会場は大混雑だ。
名鉄電車や岐阜周辺のホテルもこのために満員・満室。
この状況にまず驚く。
航空機が好きな人、イベント好きな人、自衛隊関係者・・・さまざま
な来場者層、男女も年代も幅広く、とくに地元の人からすれば
毎年恒例の自衛隊のお祭り!といったところか。
広大な敷地に普段まず見ることがない、大型の戦闘航空機やヘリコプター。
後者は最近は被災地で活躍する場面をよく目にするが
それ以外の航空機は、羽田や成田の空港では見ることがない。
これらの航空機が空を飛び、その技術力を見せる。
いかに国を守るために、いろんな隊員が努力しているかを知るには
いい機会だ。
そう、自衛のための自衛隊。
この機会を利用し、自衛隊入隊への勧誘も積極的だ。
かっこいいと思って興味をもつ若者も少なからずいるはずだから
絶好の広報の機会でもある。

このような大きな戦闘航空機を見て、これが間違っても戦争のために
飛ぶことがないようにと思ったら、この隊員の家族の方のことが
頭をよぎった。

国を守る。積極的防衛。
この地にきて、そのことを考えるのもいいことかもしれない。
実際に、国民のために訓練を積み、がんばっておられる方々に
敬意を表する。
絶対に、戦争には使われないように。
他の来場者の方もきっとそう思われたに違いない。%e8%88%aa%e7%a9%ba%e7%a5%ad%ef%bc%92img_4560

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プレイヤー。として生きる。

単なる批評家でなく、プレイヤーであれ。
最近、政治塾を開講された小池さんはそのような言葉を残されたようであるが、
「プレイヤー」とはいい響きだ。
人のことを批判したり、かっこいい言葉を並べることはたやすいけれど、実際に
自分が行動するということは、責任をもって生きるということと同義であり
これは大変難しいことだ。
こうしたいという夢があるならば、使命を感じるならば、自分がやるしかない。
人が感動の涙を流すのも、応援したくなるのも、みなプレイヤーに対してだ。
一生懸命やっている人のことを応援したくなる。
そして、自分も一生懸命やろうと思えてくる。

身を削ってがんばる人だから、人がついていく。
そんな人にならなければならない。

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同じ地面の上を歩いたかも。

Nプロジェクトは継続中だ。
井口という地名を、「岐阜」と命名した信長の足跡をたどる。
写真は、現在発掘中の信長の450年前の住居跡。
まさにこの週末、現場で石をひとつひとつ手作業で見分けている
作業員の方たちの姿をみかけ、現実感を味わう。
ここは千畳敷という地名になっている。
信長が濃姫とともにここに住まい、ルイスフロイスなど客人を
迎え、もてなした地がここだ。
ザビエルのを遺志を継ぎポルトガルから来日、そしてのち
壮大な日本史を編纂する西洋の客人が、ここを訪れたとは、
ここに立ち、屋敷を眺めたとは・・・。
今、自分が立っているこの地面を、歩いた可能性も大いにある。
歴史のロマンを秋空のもと、存分に味わうと、新たな発想も
じわじわと湧いてくる。
創作には、歴史を肌で感じることも大切だ。
それにしても、感動・・。
この地に生まれた誇りを取り戻す瞬間でもあった。
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「地球の果てでも行きますよ~。」

新潟でお世話になっている新潟の夫妻。もう7~8年、お互応援団として、あたたかいおつきあいを
続けていただいている。
夫婦で一緒に仕事をしようと60歳からの新たなスタートをされた直後、脳梗塞で倒れたご主人。
一時はどうなることやらと、ただただ心配するだけの日々が続いたが、リハビリに専念された結果、
夫婦でのお出かけができるようになった。
その外出のお試しとして、まずは私の新潟でのディナーショーへの参加。
車椅子での公の場への参加はかなり緊張もされた、でも楽しんでいただけた。
その翌年も新潟のディナーショーへ。どんどんお元気になっている、会話もできるようになった。
そこで、私がフランシスコザビエルの冒険の話をし、自作の曲を演奏したらなぜか感化され、
「私たちもがんばらなくっちゃ。今度は長崎のコンサートも行ってみたいと思います」と、
ご夫婦で飛行機の旅に挑戦。病後初の遠出。
結果、なんと長崎は当日雪で、この夫妻を歓迎することになったが、
雪の坂道、グラバー邸前で車椅子で立ち往生になった・・・という話も今は懐かしい
思い出となった。

車いすであろうが、その気があれば、周囲の応援を得てどこでも行くことができると、
夫妻はどんどん自信をつけられ、今度は、岐阜ライブまで駆けつけてくださった。
8か月ぶりにお会いしたご主人。長崎では車いすに乗っておられたが、なんと今回は杖をついて
自力で歩いておららた。新潟、長崎、岐阜・・。私のライブを追いかける旅がすっかり板に
ついた模様。
ご主人がライブの合間に言葉をかけてくださる。「地球の裏でも行きますから」
そんな冗談も言えるようになったということが、心からうれしく・・。
その後、奥さまからお礼のメール。
「もし、ポルトガルやスペインでコンサートされるんだったら、行くって言ってます。
行く気十分ですよ」
このご夫妻の元気回復のきっかけに、楽しみのひとつに・・・なっているのであれば
最高にうれしい。
ますますお元気に。ますます夫婦仲、むつまじく・・。
追っかけしていただけることに、感謝を込めて・・。

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本日、「愛の元気人」10月分オンエアです。

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ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」今月のゲストは、
新潟農家の応援団シーディングの高橋社長(左)と、がん患者さんのための相談サロンを開設されたラリエンスメディケアの小林社長(右)です。
情熱あふれるトークをどうぞお楽しみください。そのほかプチプチ感動体験談やなんでもコミュニケーション相談室もお聞き逃しなく。
10月29日(土)18時~19時
愛の元気人 FM KENTO

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またもや奇跡?ザビエルのおかげ?

一昨日前の岐阜でのふるさとライブ。ソロしかも昼・夜、しかもそれぞれ二部制。
といったハードプログラム。リハーサルも含めたら12時間を要する。
これまでもやってきているので、それ自体は問題がなく、パワーの消費配分もわかりつつあるが、
今年は腱鞘炎がなかなか治らないせいで、不安と憂鬱、集中力に欠ける準備期間となった。

しかし、不思議なもので本番が迫ってくると、自分で自分を追い込むようになる。
そして、本番当日。
昼の部、最初は右手に不安があると思い、加減していたのでその意識が演奏を邪魔した。
しかし、本番に入ってしまうと、手どころではない、いろんなことに気を配らねばならない
状況のなかで、気が付けば右手はいつもどおり、動いていた。
激痛が走ったはずの、オクターブの激しい演奏も、何ら問題なく弾けてしまい、
まったくいつもどおり、いやそれ以上に調子がいい感じで、ノリノリになっていた。
夜の部は、さらに調子を上げ、恒例のアルゼンチンタンゴのメドレーもいい感じだ。
弾いているときは、痛みがあるとかないとかも感じない。
ただ、弾けていることに驚きを感じつつ、最後まで走り続けた。

おかげさまで、無事終了できた。

スポーツ選手の怪我と試合のことを思いだし、プロ根性とは何かということも
頭をよぎる。

しかし、不思議だ。自分が痛いということも忘れると痛みがなくなる?
集中力が痛みを逃がす?
もしくは、ザビエルさんか、空の応援団が私の本番の力を与えてくれたのかも
しれない。

まる1日、かなり酷使をした右手であるが、このまま痛みがフェイドアウトして
くれたらいい。
しかし、不思議なことがおきるものだ。
「本番」とは、力を振り絞ることができる、究極の非日常時間だということを
改めて知った。

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親と花束。

地元でライブができるのは幸せなことだと、なかなかそれが実現できない
という音楽仲間からも言われ、そんなものかと思っていたが、意識して
みれば、確かに地元はありがたい。

昔から知っている人、昔お世話になった人、どこかでつながっている人・・。
そして、わざわざ地元へ追いかけてくれた新潟の人も・・・。
毎年、今年もやるのかなと思いながら、今回も無事終わる。
お客様が喜んで帰っていかれるのをお見送りするのが楽しい。

今回はとくに、
父の80歳の誕生日の前日に、ライブを実施できたのは、よかった。
その日を選んでいたというのもある。
昼の部、夜の部の小休止の時間。
皆様から頂いた花を前に、両親のツーショットをとる。
このショットが、父の誕生日記念になるのかもしれない。

元気でいてくれたら、元気でいてくれるように・・。
親に花束をもたせてあげる機会、瞬間はちょっと誇らしい気分。

親と花束。照れくささの象徴のような組み合わせなのに、
そんなに恥ずかしがっていないのが、新鮮でもあった。

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前を、上を向いて。空からの応援団にも応える、いざ本番。

出張先の新潟から、飛行機に乗り、中部国際空港を経由、岐阜へ向かう。
到着は23時すぎ。今回も飛行機はよく揺れた。
今年もやってきた、いつの間にか、毎年恒例行事になってきた、ふるさとライブ、

私なりにこの1年間を振り返ると、ライブに関してはとくに胸がつまりそうな
悲しき思い出たちから、今だに離れることができない。
昨年、拍手を送ってくれたのに、もう会うことができない人たち・・。

でも、自分はこの1年もまた生きた。
楽しみに待ってくれるお客様にまた会うことができる。
だから、とびっきりの笑顔で、お迎えしたい。

そう、前を向き、上を仰いで、心を込めて愛を伝えよう。

本番当日は、なんというか、心が透明になっていく、そんな気持ちになる。
あと何回のふるさと公演。
全力で応援してくれる両親や、周囲の人たち、そして空で応援してくれる人へ
感謝を込めて、今の自分ができる、今日の自分にだけできる、
エンターテイメントをやり遂げたい。

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難民、移民、観光客。

ニューヨークが繁栄したのは、
移民の力によるものだ。
自由の国アメリカの、世界から移民が集うこの都市に、人々は次々やってきて
まさに、アメリカンドリームの実現に人生を賭けた。
これまでも、夢を語るタクシードライバーに何人出会ったことか・・。

移民とは自分の意志で、海外で生きることに挑戦する人たちのこと。
母国を離れ、頑張る人たちのパッションはすごいものだといつも
刺激を受けてきた。

最近、日本政府は、東京オリンピックに向け、海外からの観光客を
さらに増大させ、観光大国!にしたいそうだ。
最近都内では、すれ違う何人かに一人が、明らかに国籍が
違う人・・ということが珍しくなくなってきた。
ともかく、多くの海外の富裕層!に来てもらいお金を落としてもらい、
また足りない労働力も海外の方に・・・ということで、
東京周辺から、日本は変わりつつある。
日本はどこへ行く?と不安が募る今日この頃。

一方、世界では難民の受け入れで、ヨーロッパが分裂。
またアメリカ大統領選挙でも、この難民問題はひとつの
重要なテーマとなっている。

難民の人々の状況をニュースで見ると、心が痛む。
戦争、貧困で自国で生活できない人生、何も保障もない
なか、荒波を越えて越境する心境たるや・・。

難民を受け入れている各国は大変だと思う。
そのご苦労を想うと・・その気持ちもわかる。
自分の子を育てるのが精いっぱいなのに、他人の子の
ことまで面倒見切れない・・。
そして、このように受け入れが厳しくなっている昨今を想うと
難民のみなさんのことも気の毒でならない。

日本は島国だから?
あまり危機感がないのだろうか?
アフリカが近くないから、かもしれない・・。

日本とヨーロッパではまったく逆の現象が起きており
それに浮かれている?ような日本の現在が
私には恐ろしく感じる。

もし、観光客を増やすことばかりではなく、
難民をもっと受け入れるような国になったら
いいのにと思うことがある。

同じ、海を渡る人たちでも、
お金のある人、お金を落としてくれる人は
大歓迎。
そうでない人のことは・・・。
もちろん、日本だって難民問題にはお金で
援助しているということであろうが、

地球を俯瞰してみると、どうもアンバランスだ。

自らが難民にならずに、平和に暮らせていることに
まずもって感謝したい。

世の中はいつもアンバランスなのだろうか?
政府が観光大国とか時代遅れ気味な表現をするたびに
もう大国じゃなくて・・・とつい、思ってしまうのは
私だけか?

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神保町と百万遍。

散歩をしながら、久しぶりに神保町の古本屋街に出向く。
探したい本があったから。
ネットで簡単になんでも探せる時代というけれど、
実はそうとばかりともいえない、というのが本探し。
古本屋を地道にまわることで、探し物や思いがけない
潜在的な探し物、お宝に出会うこともあるのだ。
残念ながら、探している遠藤周作の本にはまだ出会っていないが、
代わりに、フランシスコザビエルの渡来450記念誌なるものを
発見。これは古本屋だからこそ、巡り合えるもの。
前回は、織田信長総合辞典なるものを発掘した。
本屋にいると、学生時代のころを思い出す。
お金もないのに、そんなに読まないのに、本を探すこと、古本屋の
何とも言えない知的な空気に触れることが好きで、自転車でよく
百万遍に行った時代。
今はもう手放した漱石の全集から、今ももっている哲学書などなど・・。
神保町の古本屋にいる時間、しばし30年以上昔の自分の知的欲求
がよみがえり、俗世にまみれず、もっと勉強しなければという
気持ちになってくる。
そう、時々は神保町、百万遍へ。
手のひらのなかで、簡単に答えを得るだけでない、奥深い知の探検を
もっと楽しみたい。

さて、そのフランシスコザビエルの記念誌は、ずっしり重い。
背筋を伸ばして読まねばならない。
次のステージでの楽しみが、またひとつ、増えた。

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