会社員を自己卒業し、コミュニケーションクリエイターとして活動開始、グラン・ルーを開設。おかげさまで本日9月17日をもって、16周年を迎えることができました。
これまで出会いをいただき、関わりをもたせていただいたすべての皆様に、心より深く、厚く感謝申し上げます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
今尾昌子
敬老の日に口喧嘩もあり?
いやはや、親子関係とはなんともいえない、NOといえない?因果なものである。生まれたときからどちらかが死ぬまで、消えない「血縁関係」。ふ~。感謝もするが、すぐに腹も立つ。自分とは違う存在だとわかっていても、なんとも不思議な関係だ。そんな親も70代後半になると、さすがに老人だ。
世にいう「敬老の日」は、自分の親には関係ないと思っていたが、最近は素直に親も元気ではいるけれども、すでにどこから見ても老人、そして敬老の日はわが親も対象者だと思うようになる。では、たまには父親に敬老の気持ちを込めて電話でもしてみるか、と携帯へ。昔は家にしか電話がなかったのに、今は自宅、父、母と3通りあるので、使い分けに気も使う。さて、父親が久しぶりに電話に出る。母親とは毎朝6時のメル仲であるが、父とは1週間ぶりほどか。一言めに「元気?今日は敬老の日ですね。元気に長生きしてね」と優しく出るつもりが、懸念事項があり、一言目からついその言葉が口に出る。こちらがそれを発すると、相手にもそれが移って、たちまち言い合いになる。ああ~。昔のままだ。やっぱり老人ではない。思いっきり言い合いになり、しまいに電話を切られてしまう。こちらも負けてはいない。もう一度ダイアルする・・・。とまあ、こんな具合。
電話を切った後も、気持ちはおさまらない。だがものは考えよう。77歳になっても、全力で向かってくる父親というのは、元気なのだ。そうお元気なのだ。だから、いいじゃないか。いつか、いい思い出になる日も来るだろう。そのときはきっと違う気持ちでいることだろう。
どうやら、わが家の敬老の日はキレイごとでなく、生身の全力コミュニケーション。そろそろ、こちらが疲れてくるのだけれど・・。元気にバトルコミュニケーションが今だにできていること自体に感謝するとしよう。
どこまで便利を追求、優先したい?
コンピュータと人間の一体化がますます加速する。時計型の端末が発売ということで、にわかに盛り上がりを見せている。アメリカ人はなんでも新しいものが好きで、それを日本人も真似するのが好きで・・、という点からはアイウォッチも日本国内でも話題になることだろう。
あるニュース番組で、ニューヨーカーにこの時計型端末に対してインタビューするのを見て、興味深く思った。「なんでも新しいものに飛びつくのはどうかと思うね」「こんな小さい世界でどうやって操作しようっていうんだ」「自分の行動が全部見られてしまい、怖い」「情報管理されるようで嫌だ」「昔は人の家に行くときでも、玄関の扉をノックして開けてもらって『こんにちは』と言ってから入ったのに、最近は端末でピピピっとやれば入れてしまう。人間味がなくなってよくないわ」と、たまたまかもしれないが、取り上げられた意見はすべて最新のウェアラブル端末に対しての反対意見ばかり。それを聞いて、ちょっと安堵。アメリカでもこういったある意味、人間的にまともな考え方が残っているのだと。今、都内の地下鉄でもバスの中でもそうだ。ほとんどの人がスマホ片手、それに見入って自分の世界。あるいはイヤホンつけて自分の世界。両耳ふさぐと周りの動きが見えないよ。視覚障害者の方がバスを降りようとされているのに、スマホ見ながらゲームをし、イヤホンして音楽聴いて、その通行の邪魔をしているのに気付かない若者をみて「そこに立っているとその方が降りられないですよ」
と思わず注意したくなってしまった。いやはや、便利なものは時に人に迷惑をかけ、自分をも苦しめることがある。一見便利なもの、時代の最先端のものに目が行きがちであるが、常に物事の両面を理解し、人も自分も困らないように自己管理していくことが必要だ。モノに拘束され、結局不幸になった・・・ということにならないように。さて、そのウェアラブル端末はどこまで支持されるだろうか?ある意味興味深い。
時には「しまった!」を教訓に。
いやはや、ときには失敗をするものだ。三連日の過酷な?プログラムを無事終え、最後は講座の打ち上げも軽くして、今日こそ最終の1本前の新幹線で帰京するつもりで、新潟での予定をすべて終え、仲間とも駅の入り口で別れ、余裕をもってホームに向かおうとした。余裕で電車に乗るために改札近くのコインロッカーに大きな荷物も預けていたので、それを取り出して・・・とロッカーへ向かう途中、「あ!ない!」
そのコインロッカーの決済に使ったSUICAがないのだ。バッグの中を探し、また最後に使ったであろう売店からもう一度見直したがない!やばい!新幹線の出発まであと10分。まずはその指定券をキャンセル。仕方ない最終で帰れればいい。指定はもうないようだから、自由席で帰ればいい。さてコインロッカーの前に表示してある緊急連絡先に電話をする。もう遅い時間だから、今日は荷物出せないとか言われたらどうしよう~~。ドキドキしながらそこに電話すると、警備員?のような方が詳しく、そのロッカーの場所、番号、そして自分の名前、自宅住所を尋ねられる。「身分証明書はありますか?」へ?「15分以内に係がまいりますので、そのロッカーの前でお待ちください。」
と言われ、電話をきってからコインロッカーの前で待つ。その間に、乗るはずだった電車は発車。ああ、あまりに疲れて飲んだビールが回ったのか、早く帰りたいと思い、土産のだんごを買ったときにでも落としたのか・・。とにかくハイテンションでありながら、集中力が欠けていたようだ。SUICAでコインロッカーを使うのは便利でスムーズでとても気に入っているのに、なんたる失態。
待つ15分は長いが、やっと警備員のような方が「2028の方ですか?」そう、ロッカーの番号だ。「はい、そうです。」来てくれてよかった。これで最終電車に乗れる。身分を聞かれ、手持ちの身分証明書がなかったが、名刺で勘弁してもらい、中身を確認されながら、ロッカーは開錠、無事わがバッグに再会できた。正直、瞬間、帰れなかったらどうしようか?とも思ったので、ロッカーを開けてもらったときは無上の喜び。さっそく、最終新幹線の乗車券を買い直し、自由席の列に並ぶ。いやはや、急いで帰ろうと思うとこういうことになる。
それにしても、日本のロッカーサービスはちゃんとしている。そういう人が意外にも多いのかも?とにかく、帰りのことでよかった。今から思えば小さな失敗であるが、この「しまった!」を二度と繰り返さないように。と思いつつ、失敗することでそのサービスのしくみを知ることができ、ちょっと面白かった。というのも事実である。
想いあふれる人を応援したい
企業の相談会には、実にさまざまな業界、業種、立場、キャリアの方がおいでになる。
なんとかもっとよくしたいとの思いで相談会を利用されるので、みなさん、具体的に何とかしたいという課題があり、前向きである。
ある方は、私に会うために、話をするために、まずは聞いてもらおうということで、自己紹介に始まり、これまでの活動について、何が問題で、これからどうしたいと思っているのか・・・について熱く語られた。ああ、何かを聞きたいという前に、自分の考え方をまず聞いてほしい、これでいいものか確認されたいんだな~とその話しっぷりから推察し、途中で口を挟まず、傾聴することにする。一通りお聴きすると、いろいろ見えてくる。自分の新たな挑戦、新たなスタートだとおっしゃる。意気込みを感じる。ただ、思いがあふれて、どうしたものかが自分でわからなくなっているのかもしれない。自分の一番やりたいことは何か、それに向かって何をどう進めていくか。一度冷静に考えてみることが良いのではという話から始める。アイデアを提供するだけでなく、考えをまとめていくサポートをするのも大切な仕事。道をつくるお手伝いというと大げさかもしれないが、行きたい方向を定め、そこに行けるように見守る存在も必要だ。
この世に数多く存在する経営者の中で、あふれる、熱き想いがない人も稀にいる。ただ、気が付けば思いもないまま跡継ぎになっていたというケースも稀にあり、その場合は正直残念に思うこともある。本気であること、まず、熱き思いがあるということが大切。人生の夢、仕事の夢をもっているということだけでも経営者、ビジネスマン、仕事人としての第一ハードルを越えているように思う。
その思いあふれる相談者の方は、1時間たっぷり話して、そしてしっかりこちらが言う言葉も受け留めて、元気にお帰りになった。苦労を乗り越えていこうとする、思いあふれた人を心から応援したい。他人事ではなく、自分ごとと思えることが多いから、共感できるから、応援したいと思えてくる。いろんな方にお会いするたびに、応援しなくては!と思う人が増えてくる。
やっぱり一生、忘れない日。
また9月11日という1日を迎え過ごす。13年目の記念日。あれから、世間ではそのことが忘れられるほど、世界で日本でショッキングな事件や事故が多発しているが、それでも私の中に911は永遠だ。
あの突然にして到着したアラスカの町、フェアバンクスでみた連夜のオーロラ。そして奇遇に同じ飛行機に乗り合わせた人たちとの出会い、助け合い。無事だったんだから、ニアミスなんだから大したことではないと思われるかもしれないが、自分にとってあの衝撃は今も鮮明であり、永遠だ。そしてあの事件があって出会った仲間たちにお元気ですか?の1年ぶりのメールを出す。
その日になれば、やっぱり思い出す人たちなのだ。そしてすでに天国へ行った友人にも、空に向かって呼びかけたくなる。私は今日も生きているよ、生きさせてもらっているよ、と。
忘れない日があるから、毎日を大切にしなければと思う。無事でいられること、安全でいられることは最高の幸運だと思う。311を忘れることがないように、私は911のことも忘れない。
こういう記念日は、もうなくていいのだけれど、自分には選ぶ、決める力はなく、運命の記念日としかいいようがない。それにしても、どうして人は経験から学ばないのだろうか。愚かな争いは人類が存在する以上、なくならないのは本当に情けなく悲しすぎる。
いつでも受けとめ方は、いろいろ、さまざま。
実に久しぶりに吸い込まれるように感動した映画。一度見ては再び、再びと何度も何度も観ることになる。ストーリーも音楽もセリフもすべて覚えるほどに作品と一体になりたくなる。今回、何年かぶりにそんな映画に出会った。それは「パガニーニ」。私の音楽人生に影響を与えた一人でもある。あの難しすぎるリストの「パガニーニの主題による変奏曲」。高校の卒業演奏会。体力なしに弾けないあの難しい曲の生みの親、パガニーニの半生を描いた作品。キャストも素晴らしいが、とにかく美しく、悲しく、激しく・・。自分が苦労したあの変奏曲を、いとも簡単に主役のバイオリニスト(ディビット ギャレット)が操っているのを震えながら聴き入る。そして最上の逸曲は、バイオリン協奏曲からアレンジされたアリア「愛しい人よ」。ディビッドが歌曲用にアレンジしたもの。生涯出会った楽曲で最も美しい・・・と思うほど新鮮で、自分の中に深く染み入り、何度聞いても涙し、ああ創るならこのような美しい曲だと新たな目標にもなり・・。この曲に魅せられて1か月の間に三度も劇場に足を運び作品を観続ける。3回目の鑑賞後、劇場を出たとき同じ映画を観たカップルと一緒のエレベータになり、彼らの会話を耳にする。今観た映画の感想を話し合っている。自分の感覚とまったく違うことに驚く。「なんかさー、ロックスターの映画みたいだよね」「あのマネージャーみたいな怪しいおっさんへこういう世界にありがちだよね」「あの瞬間、主役がジョンレノンに似てたよね」と軽い感じでげらげら笑って評している。へ?この映画をそう観るんだ。泣かないんだ。その人たち自体がロックミュージシャンのようだった。確かにこの主役のバイオリニストはロック風に演奏する人でもあるからわからなくもないが、でもそこをみるか?と不思議に思えるが、人それぞれだ。そう映画でも絵画でも、いろんな受け留め方があるから面白いのかもしれない。どこを見る、どこが気になるかは人それぞれ。そして、作り手の想像を超えた受け留め方をされることもあるだろう。どんな風に観ようが、感じようが受け手の自由。芸術はだから、面白い。
心に染み入る、細胞に染み入る。
先日のライブで初めて演奏を聴いていただいた方から、「心に沁みました~。泣くのをこらえていました」「細胞になんか入ってくる感じがしました」などの声を直接いただいた。「いやー、そうですか。泣くのをこらえなくても良かったですよ」。そう泣きたければ泣いてもらったら、笑いたかったら笑ってもらえたら、その人がしたいように感情を自由に放出してもらえたら、こちらも幸せだ。
自分もいい作品を観たり、聴いたりすると、生きるエネルギーのようなものが(目には見えないが)細胞に沁みてくるような感じになることがある。五感を豊かに活性化させることは、元気に生きる糧になる。これからもじんわり、ひたひた、しみじみと伝わる表現を試みてみたい。お客様の生の声の反応はとてもうれしい。顔の表情にもその反応が出ているから。良きものをたくさん見聞きし、自分を研ぎ澄ませ、本当に美しいメッセージを送ることができればうれしい。そのために、自分自身がもっともっと心に染み入る 心豊かな経験を積み重ねることを忘れず続けたい。
新曲 「みんな う・ふ・ふ で」の歌詞と曲を公開
9月6日のライブトークショーで初演奏した新作「みんな う・ふ・ふ で」の歌詞とライブ初演の録音源を公式サイトにアップしました。 本作品は、今年10周年を迎えられたみどりデザイン研究所(ごんだいら あやこさん代表) へのお祝いと今後のご活躍を祈願し、創作したもので、同日開催の10周年記念イベント「人もみどりも豊かに育て」のテーマに即して作詞作曲しました。
注)本録音は、ライブ会場での記録用の簡易録音であり、レコーディングなどでの正式な録音ではありませんので、ご了承ください。 Poem & Songsのページへ
顔が違う!声が違う?今後、何面相を目指すか?
先日お手伝いしたイベントでは、講演会とライブと2本立てで出演させていただいた。当日の司会を担当されたフリーアナウンサーの方より翌日メールをいただき「今尾先生として講演されているときと、マーサさんとしてライブされているときの顔と声がまったく違って、驚きました。でもどちらも今尾さんなんですね。」というメッセージを拝見し、へえ、そんなに違うのか。前者のときはどんな感じ?後者はどんな感じ?ある方からは講演しているときの「前のめりな感じが印象的」と言われたが、なんだかいけいけの、おしゃべりおばさん?なのかな?
別人のようと言われるとこちらも楽しくなる。演じているのか、それが自分なのかわからないが、いずれも自分の姿、表現である。一人で何面相までできるのだろうか。器用ではないため、そんなにたくさんの顔をもてないが、やっているということだけでなく、そのことを通じ、もう一人の自分が表現でき、講演では表現できないことを演奏で、演奏だけでは伝えきれないことを講演でもお伝えできれば、尚うれしい。まるごと自分を出し切って、まるごと知ってもらうことで、何かいい影響があれば、それ以上にうれしいことはない。