動かねば見えぬ。経験こそが一番の宝

日々いろいろやることがあるが、あえて、そこに「これは観ておかねば」「会っておかねば」と
思う作品鑑賞や、ライブ研究、面談は時間をとるように調整する。そして、無理して時間を作っていくことで、一生懸命それを吸収しようとするし、時間を無駄にしたくないと自分のアンテナを張り巡らせるため、いろんなインプットが進む。ときには知識、ときには感動。ときには新たなビジネスヒント。急に思い出され気になった人との久しぶりの再会というのも、また新しい感動があるものだ。ああ、連絡とってみてよかった。会わない時間が長いと、お互いそれぞれ違う世界で違う経験を積んでいるため、以前と違うパワーをお互い感じることができる。
ネットだけを見ていても、実際に物事は変えられない。簡単に得る情報だけでは、そんなに大したことはできない。常に自分しかできないことを考え続けて、いろんなモノ、ヒトに接することで、行動することで必ず道が開けるのだ。
この10月の終わりは、次への準備を確信するタイミングだと思いたい。
苦労もなんでもいい。経験こそが自分を成長させる最高の道だ。いろんなパートナーに出会え、
いろんな先輩に巡り合え、本当に幸せな秋。

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自分の星のもとで輝き、私の空で羽ばたく

アルゲリッチの愛娘が撮りつづけた映像で創った映画を観た。子供の頃からあまりにも著名なあの美人ピアニストは、今は73歳。彼女のどこが好きだったか・・・今思えば、あの強いしっかりしたピアノタッチだったのでは?そしてクラシックを弾いているのだけれど、どこかに秘めた情熱を彼女がたたく鍵盤の下から感じる・・・そんな不思議な音を出す演奏家で、ぴりっとしたところが好きで・・。そして彼女がなぜあのような演奏をするのかが最近、私なりにわかった。なんとアルゼンチン出身だったのだ。あまりの才能に当時のペロン首相から留学すべく、外交官であった父の勤務先がウィーンになったとのことであるため、少女時代にすでにヨーロッパの土を踏み、暮らすようになったけれども、もともとはインディオの地も混じっていると聞き、なるほどと納得した。さて、4歳のときからピアノを・・という点では自分のスタートとはそれほど違わないのに、人生はそのおかれた環境でこんなにも変わるのかと、またピアノだけの人生を歩んできた天才ならだからこその苦悩も尽きず、なんと波乱万丈の人生を過ごしてきたのか。日本でも活躍するアルゲリッチ。彼女の指は、世界の人を癒す・・。なんと素晴らしいことか。彼女とはまったく次元の違うわが人生。生まれた星が違うぐらいに。しかし、私には私の星、私の空があるという点では同じであり、また私なりの幸せや充実もある。時々天才の生涯に触れると、自分の凡人ぶりに落胆する瞬間もあるが、やっぱり自分の空を羽ばたくしかない。それができるだけでも幸せだ。さあ、自分の空を楽しく飛び描くとしよう。
頭がロマンチック〇〇・・・で妄想が膨らむこのごろ、彼女の演奏を聴きながら、パッションを備えたロマンチック、ラテンを備えたロマンチックはとても素敵だ。
私の空なりに、その世界を描くとしよう。

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年をとるほどに、「かわいい」を目指す

父の誕生日。ちょっとしたプレゼントを送りつつ、別にハガキも出し、ショートメールも出し、念のため電話もする。なんだかしつこいような感じもするが、それぐらいしてでも、残り少ない誕生日をよかったね!と言いたい心境。
毎年そんな気持ちになってくるが、おかげさまでこのたび、78回目はなんとかクリアしたようだ。父は人にプレゼントをするなどは、おそらくしたことがない人だ。そして人から何かしてもらうことにも、もしかしたら慣れてない人生をおくってきたのかもしれない。だからいつも「そんなことしなくていい、そんな気を遣ってもらわなくていい」と、多分心の中とはある意味反対のことを口癖のようにいう。遠慮しているのもよくわかるが、最近はそんな父に「素直に、『ありがとう』でいいんじゃない?」とつい言ってしまう。すると、「はい、はい。ありがとう、ありがとう」と照れくさそうに電話の向こうで言っている。
「くそじじい、くそばばあ」と言われるか「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれるか、或いはいくつになっても名前やニックネームで呼ばれるか・・・は、人生の締めにとても大切なことだ。愛らしい呼び方をされているのがいいに決まっている。呼び方は愛情、愛着の表れ。いくつになっても素直で、かわいい人が一番好かれるように思える。
だから年を重ねるごとに「かわいい」を目指すのがいいと思う。笑顔で、元気で、ちょっと三枚目で、好奇心いっぱいで、そしていつも感謝感謝・・・。そんな素敵なご年配の方を見たら、こちらも手をさしのべたくなるし、話もしたいと思う。そして何より、自分もそんな風に年を重ねたいと思う。「かわいい!」はもはや、若者のための言葉ではない。そういえば、70歳を越えたアルゲリッチもかわいかった。あんな風になれたら、本望。

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やっぱり、混在社会が自然

他の国にあるとは思えないのが、女性専用車両なるもの。東京、そして大阪ではあったかもしれない。地方都市にはきっとないだろう。
名前は聞き、存在も知ってはいたが、今回やむなく初めて3分ほど乗車することになる。駅自体混んでいて身動き取れず、乗り込んだ車両がたまたまそれだった。オンナばかりが立ち座り、乗り降りする車両。うわー、こりゃ、不思議な世界。本当に女しかいないこの小空間。
ふと考えてしまった。もし、世の中が女だけだったら?と。恐ろしい感じがした。この車両から一刻も早く出なけりゃ、息苦しいとも思った。もし、男性が走り込んで乗り、間違えてこの車両に乗ってしまったら、すごい視線に囲まれて、何も悪いことしていないのに「すみません、すみません・・・」と言いながら、隣の車両に移動されるのだろうか?とにかく、違和感大ありの空間であった。
確かにチカンも、その誤解も困るけれど、でも、この車両は本当に必要なのだろうか?と改めて思ってしまった。
そして、社会は男女両方いる方が自然で、それが社会。何か特別なことをすぐにすることで問題解決だ、改善だと言っていること自体が根本的な物事の解決からずれているように思ってしまう。それにしても、あの不思議な女子空間。その分、どこかの車両に人が詰め込まれているかと思うと、申し訳ないひとときでもあった。自然が一番。オンナでごめんなさい!の朝であった。

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「これが終わるまで、死ねへんわ」

半年前に手術をし、一時はどうなるかと思った母。しかし元気になり、普段通りに生活をしているようだ。そして、11月に開催するふるさとライブでは、スタッフとして人集めから、集金から、お土産の袋詰めから、会場の椅子の心配から、会場までのお客様のアクセスの段取りまでなんやかんやとがんばってやってくれている。手術以来、毎朝6時に送るご挨拶メールに「ライブでは、いろいろありがとう、お世話かけます。」と書くと「これが終わるまでは、何があっても死ねへんわ。元気にがんばる」という返事が来て、驚く。そうか、こんなイベントでも彼女にとっては、いきがいのひとつになっているのかなと思うと、こちらも身が引き締まる。同じ世代の方たちの死が続いている昨今、
手術後奇跡的に回復でき、そして日常生活ができ、まともに会話ができ、生きがいややりがいをもてる日々を過ごせているとは、なんと幸せな家族であろうかと思う。病気や何かハンディがあればあるほど、ひとつのことに一生懸命になれるということもあるかもしれない。
私自身も、「これが終わるまで、死ねへんわ」の意志で、山とひとつ、ひとつ真剣に越えていこうと改めて思う。
これ以上ありがたいことは、ない。

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今年越える山の数は?

夏から続いたシリーズの講座の仕事が一区切り。どうしてもこれが終わるまでは、次の課題が見えていても、それについて専念して考えるゆとりもなく、切迫感がなかった。終わったらやろうと思っていたからだ。山は同時にふたつは越えられない。ひとつづつ登るしかない。ひとつの山を無事下りたとたん、「あ!もう時間がないんだ」と、次の山がすでに目の前に迫ってきていることに気づき、落ち着いている間もなく、あわてて走り出す。
10月もおしまいに近づき、今年の終わりも見えてきた。この2か月余り、あといくつの山を越さねばならないのか。今年考えていた課題はすべてクリアしたか?いやいや、まだまだ。山を越え、下山したときの爽快感、達成感がたまらないから、ついつい、いつもいくつかの山を用意してしまう。太平洋を横断するぐらいのながーい水泳もしんどいが、アップダウンのある山越えもしんどい・・・が、後者の方が好きなのかもしれない。山登りはそのプロセスも楽しめるから。もっとも途中で噴火してしまわないように、きちんと下山しなければいけない。ということで、11月に向かって、新たな山を登り始める。9合目あたりまで行けばあとは大丈夫。予定どおり上りきったら、きっと気持ちよく年を締めくくることができるだろう。ということで、行き付く間もなく、また走り始めている・・。

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愛の元気人をスマホのアプリで 今月分25日オンエア

高野さん神田さん2
毎月最終土曜放送の、ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」10月分は25日18時よりオンエアです。
ゲストはひまわり食品の高野直史さん、神田紙器製造所の神田宗一郎さんです。お二人ともとっても素敵な笑顔&さわやかトークでした。
FMケントの番組が、全国、世界のどこでもリアルタイムでお聴きいただけるようになりました。
スマホのアプリをダウンロードください。またこちらには、ボイスメッセンジャーという機能が付加、どこからでもラジオ局に向けてメッセージを送っていただくことが可能になりました。詳しくはサイトをごらんください。
http://fmkento.com/fmkento_app/

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悲しい順番を受け入れる覚悟

今月になって、直接にそのご本人とは面識がないけれど、友人の親御さんや、母世代の知人の訃報が続いている。今回も出張の宿泊先でいつもよくしていただいている方のお母様が今月亡くなられていたとのことを知り、昨日朝も海外に住んでいる友人のお母様が亡くなり、日本へ向かうとの報せ・・。季節的なことかもしれないが、自分たちの世代がそういう年齢になってきたということかもしれない。「人ってこうやって死ぬんだと思いました。まだ、このへんにいるかなと思うんですよね」「心の準備はできていました。二度目の喪主です。しっかりやります。でも、帰国して母の顔見たら、泣きじゃくると思います」・・・いろんな言葉が脳裏を駆け巡る。とても他人事とは思えなく、
自分の場合もいつ来るかもしれないと背筋も伸びる。人の死に順番があるのかどうかわからないが、いずれその番がくる。何がきても、そのときを受け入れ、そうすることで、人生とはこういうものかと新たな学びをいただくのだろう。親のことを乗り越えると一人前になるのかな。最近はそんな気がしている。そういう意味で、幸運なことに一人前になれないまま、50歳まで来ているのかもしれない。改めて、知人のお母様のご冥福を心よりお祈りしたい。また友人のことを、見守り続けたい。

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挑戦し続ける人の魅力

いろんな経営者にお会いするが、いくつになっても新たな挑戦を楽しく続けておられる方には惹きつけられる不思議な力がある。たとえば、新潟の山古志にお住まいの社長さん。10年前の中越地震で被災されたこの村を元気にしようと、自らが魚沼で経営する技術系の会社以外に、地元農家と東北を結び、一緒に復興!というコンセプトのもと食品事業もスタート。地元でとれた山菜と東北の海産物を活用したごはんやお酒に合う食品を開発、そして発売。その志が素晴らしく、その実直な行動ぶりも功を奏して、数々のメディアに取り上げられてきた。本業をしっかり守りながら、新規事業を地元の活性化のために・・・。その思いは365日24時間途切れることがない。そしてある日、いきなりメールが来る。「パティシエ知りませんか?できれば有名な人。ちょっと面白いものつくったので、ちょっと見てほしい」そして、いきなり私がいるであろう場所にサンプルをもって現れたりする。時としてあっけにとられる唐突に見える行動に驚くが、いやいや、いつも新しいことを考え、実行され続けているのだ。
この好奇心、探究心、行動力、面倒見の良さ・・・・。こんな元気で面白い社長さんはなかなかいないと感心する。そして自分ひとりのことではなく、地域のこと、会社のことを常に考えておられるため、人がついてくるのだ。おそらく60歳を越えておられるであろう、この社長。
挑戦を恐れず、楽しみながら生きておられる。きらきらした目が、大好きだ。地震から10年が過ぎた今、被災されても元気にがんばっておられる皆さん、前向きに挑戦を続ける方たちに心からエールを送りたい。

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コミュニケーションの悩みは尽きることなく・・

ラジオと学生向けの情報誌で、「コミュニケーションなんでも相談室」というコーナーを担当しているが、実に毎回いろんな相談をいただき、答える方が勉強になっている。ラジオでは、街角で集めてきた社会人や学生さんの悩み、情報誌は学生からのメールからの悩み。人見知りをしてしまうがどうしたらいいか?人と会話が続かないけどどうしたらいいか?目を見て話すことができないけどどうしたらいいか?お母さんがなんでも知りたがるけど、どうしたらいい??いやな上司とどう関わったらいい?同年代の異性の同僚にどこまできいて大丈夫・・・・??なんだか人と人が関わることすべてがコミュニケーションそのものだとつくづく思わされる。
コミュニケーションの悩みについて、「とくにありません」という人は少ないのではないだろうか?私自身ももちろんある。いろんなことを抱え、ときには葛藤しながら、模索しながら進んでいる。とてもじゃないけれど、コミュニケーションが上手とは言えないし、正直、コミュニケーションが上手というのも信用できない感じでもある。いろいろあっても、ぶつかりあいながら、悩みながら乗り越えていこうよというスタンスがいい。ときにはさびしい想いや、残念な気持ちや、なんで?という思いにもなることもあるかもしれないけれど、悶々としているのではなく、相談できる人がいれば聞いてもらい、行動する術があれば実行してみて、そこでまた考えても遅くはない。
死ぬまで、人と人が関係を持ち続ける限り(=生きているということだ)コミュニケーションはなくならない。セミナーでよく話す。「コミュニケーションとは『通信』。通い合って信頼を深めること」本当に通い合わなければ解決にはならない。コミュニケーションに悩む人は美しい!?

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