Reライフで、新たな花を咲かす。

定年退職された方で、その後もお付き合いが続くのは、仕事を新たに始めて意欲的に社会との関わりを持とうとされている方、もしくはビジネスライフとは全く違う、地域やご自身の得意な領域でボランティア活動などされている方たちがほとんどだ。

定年後しばらくして年賀状も卒業と言って来られる方とは、残念ながらお会いする機会もなくなって、関係もフェイドアウトになってしまうが、それを求めておられる場合は、やむを得ないし、その気持ちもわかる。

もちろんいつまでもマックスに付き合い続けることはできないので、交流の数を絞っていくことは正しいと思うし、自分もだんだん交友関係を絞ってきている点では同じだ。

いずれにせよ、人生は生きて行く限り、自身の可能性を尽くし、充実した時間を過ごし、できれば周囲にも喜んでもらえるのがいい。

定年をいつ迎えるかは別として、ひとつの節目を終えたら、心新たに生き始めるという選択をとりたい。

定年後は、新たな人生のはじまり。会社の肩書きでなく、自分の経験を生かして、新たに勝負だ。

hいったん、ただの人になることを恐れず、創造的な肩書きを考えて、周囲もハッピー、自分もうれしいそんな生き方をしたい。
定年後、ただの人になったところから、真のおつきあいが始まる。
最近の、この世界での出会い、おつきあいが新鮮でうれしい。

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てっちゃん、ありがとう。

てっちゃんとは、四半世紀前の元部下、後輩である。

今や、もう彼も40代後半になり、立派なお父さんであり、仕事的には
組織の中間管理職。

彼が20代のとき、私は会社を退職した。
後で本人からきいたところによると、
「あのときは、お先真っ暗でした」
ということで、今から思うと、本当に申し訳なかったなあと
思うばかり。

その後も、個人的には時々、当時お世話になっていた皆様と一緒に
会う機会があり、話をすることもあったが、二人でしっかり語ることは
なかった。
先に会社を勝手にやめていった先輩を、どんな気持ちで見ているだろうと思うと
複雑な思いもあり、また残業も多い業界で、なかなか誘うこともできず、
20年の月日が流れた。

でも、年賀状はずっとやりとりして、毎年丁寧な文字で書かれている彼の
筆跡に、若いあの頃をいつも思い出していた。

2年前、彼からの仕事の相談メールがきっかけで、それ以来、仕事で
やりとりがはじまった。
正しくは、彼自身とではなく、彼が在籍する会社のみなさんとの交流
である。そんななかで、彼とも昔のように、やりとりする場面も増えてきた。

そして、このたび、本当に久しぶりに二人で話す機会をもった。生ビールと枝豆ではじまったその時間は、本当に夢のようであった。
昔は上司と部下、今もなんだか変わらないような、とても親密な、とてもありがたい関係で、忌憚のない話をし続けた。

3時間近く話しただろうか。企画をしてきた人間同士の、根本にあるのは
世の中は黒子が動かしていることが多い。黒子ってかっこいい。頼れる黒子に
なろう、俺が俺がじゃなくていいから、頼られる人になろう。
企画をする人間でなければ、理解できないような、深い会話。

さらにうれしかったのは今の仕事が好き。と断言していたこと。
私も、今の仕事が好きだ。
てっちゃんも好きだそうで、
自分の仕事が好き!と言い切った彼の表情に、とてつもない成長ぶりを感じ、20年間離れていた間にこなしてきた経験が、彼の血と肉になっているのだと改めて思い、本当にうれしく思った。

てっちゃんが「娘が、今尾さんの後輩になりましたよ」と
お子様の大学入試の結果を報告してくれたことも本当にうれしく、
改めて、変わらずにあるこの関係に感謝の念が湧いた。

てっちゃん。いい笑顔を醸し出す。
いつの間にか中年になってきたのだけれど、私にとっては
変わらない弟なのである。

これからもずっと応援していきたいし、一緒に、お互いの元上司に感謝して、
恩返しできるよう、成長し続けたい。


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出張しながら、県民性に触れる。

最近は、関東の出張に限らず、関西方面への移動も多く、気が付けば
いろんなエリアの方や企業と交わっている。
新潟の人は、真面目で、伝え下手で・・・という県民性があると
言われてもいたし、実際におつきあいして、多くの人がそうだなと
納得したり・・

東京の人といえば、地方から出てきた人も多いけれど、もともと東京の人はやはりどこかスマートで、シンプルな感じで・・・

京都の人はといえば、やはり美意識が高い、やんわりした口調ながら
しっかりと主張している・・・そんな特徴を感じている。

もちろん人が違えばみな違う。人それぞれの、企業それぞれの個性が
あるので、県民性だけでは語れないが、それでも、やっぱり寒いところ、
暑いところ、自然豊かなところ、人がたくさん集まってくるところ・・
みな、それぞれ歴史も違い、嗜好、志向も違う。

いろんなところに行き、いろんな人に出会うと、つきあうのにパワーもいるが
鍛えられて良い。
そして、自分もそのなかのひとりだ。さて、自分はどんな県民性?

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いつどこにでも、ヒントがある。

常にいくつもの課題をもって、日々動いている。
すぐしなければならないこと、少し先に必要なこと、自分にとって直接必要なこと、あの人の役に立ちそうなこと・・。
いろんな課題が無意識に頭の中に入っている。
そして、街を歩いていたり、どこかの店に入ったりすると、その目的以外のモノや人に出会うことがあり、このことはあれに活かせるのでは?あ、これはあれに
使えそうだ・・・とすぐチラシをもらったり、こっそり撮影したりする自分がいる。「何してんの?」と家人に言われ、「うん、これ、あの会社の●●に活かせるかもと思うので」などは、日常会話になっている。
目的を持ち、行動する以外に、ふらり何気なく出かけたところに、大きなヒントが眠っていることがある。
やはり、出かけること。ライブに動くこと。偶然出会うことで想像を膨らませることは大変重要だと、思う。
遊びながらのマーケティングリサーチは、ちょっとお宝さがしみたいで、面白い。

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本音、心根で話せ聞ける間柄。

おかげさまで、いい知人、友人に恵まれている。

何かあったら、すぐに話を聞いてくれる、たわごとでもきちんと聞いてくれる。そしていつも応援してくれる。そんな仲間は、とても大切。

また、冷静に聞き、そのときは耳に痛くても、後になってそうだな~と
思わせてくれる、またあとになっても、心に響く言葉をかけてくれる仲間の
存在はうれしい。こういう関係こそが、長持ちする。

今、世の中がつながりを求めているようだが、どんなに多く、広くつながっても
薄っぺらな関係、また自分本位、利己主義のつながりであれば、すぐに終わっていく。

今、改めて自分という存在をよく理解し、本音で、素直に謙虚に向き合える関係を大切に、長くつながっていけるいい関係を探していきたいと思う。
出会いがしらだけでは、なかなか心根まで合致する関係にはならない、関係を育むには時間もかかる。でも、それがホンモノの間柄になると思う。

人間は人の間。常に人との関係で、惑い、悩む。でも、一方、人のおかげで、生きていける。
おかげさまで、ありがたい毎日だ。そのことを忘れずに人を大切にしたい。


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視界は360度。ぐるっと回れば気分も一新。

毎日、同じところにいて、同じ人に会って、同じことに向かうという仕事や暮らし。

それが快適であれば、一番良いが、時として、息苦しくなったり、行き詰りそうになったら、自分の向きを変えるようにすればよい。

同じ方角を見ていると、気になることも増えてくるが、30度、45度、ときには180度向きを変えると、海が広がっていたり、上を見れば空が微笑んでいたりあるいは、足元を見ることで自分が地に立っている喜びに浸れるかもしれず、360度のどこかで救いの神が微笑んでいることもあるかもしれない。

ちょっとしんどくなったら、まずはそうしたい。

人間、見る方向が変われば随分と変わるのだ。

今のことだけ見ていれば、苦しくても、明日の方向を見れば 今の苦しみは

大したことがない。そんな風に見えてくるはず。

これしかない、この視点しかない。そんなことはない。

360度。マイワールドは全方位に広がっているのだ。

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個を大切に生きるということ。

個人。ひとりひとりを大切にすることは本当に大切だ。
自由の概念と大きく重なるが、個人を大切にしながら、自由を尊重できるという考えは、今改めて心にきちんと収めたい。

人間は社会で生きる以上、いろんな役割、係を担いながら、助けながら、補いながら生きている。ひとりでは絶対生きられない。
個人が大切だといっても、俺が俺が、私が私がと自己主張ばかりするのは、本当の意味で、個を大切にしていることにはならない。

個人主義とはそれぞれがその人らしく生きるために、自分も自らを磨き、また他人のことを思いやる、理解する、そして助け合う。ということだと思う。

今、違う意味での、個人主義が横行している。これは一歩間違うと社会の分断にもなりかねないし、孤独な社会を招いてしまう。

個とは個性。自分にしかできないこと、自分ができることをみつけ、努力し続けることで、ステージも現れてくるのだと思う。

改めて、個を大切にしたい。言い換えれば、大切な自分と同じように、周囲の人のことも大切にしたい。

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歴史をきちんと知り、理解することを忘れずに。

昨日で終わった世間のお盆休み。今年は台風に振り回された感も多いが、その
報道で、少しトーンダウンしたかに見えた終戦記念日。
私は、同世代の天皇陛下が式典に参列され、お言葉をお話しになるお姿を拝見し、そんな中、いろんなことが頭をよぎった。
亡くなった人たちのことを、生きている側が忘れずにしっかり覚えていれば、
その亡くなった人たちのことは消えない。風化しない。
けれども、メディアを含め、伝える機会が減っていけば、伝える人が減っていけば自然と消えてしまい・・被災された方たち、ご苦労された方々が本当の意味で
死んでしまうのだ。だから、記憶をなくさないために、記録は重要で、それに触れる体験が大切なのだ。
これは、広島や長崎の原爆資料館に行ったとき、そしてそれに関連するさまざまな文献や映像に触れたときにも、強く思った。本当に辛いものを、悲しいことを知るということは時に涙なしでは、いられない、あってはならないことが、この日本で、実験的にもたらさられた・・。間接的であれ、知ることで歴史に向き合うようになる。
自分が生まれた20世紀は、人類史上、もっとも罪深い世紀だったのだと、何も知らなければ思うことはなく、この平和が当たり丸と思って生きてしまう。

さて、このたび、原爆投下からわずか8年後に制作された、「ひろしま」という映画を初めて鑑賞した。テレビの録画ではあったが、息をのむ、目をそらしたくなる惨い原爆の様子がリアルに伝わる作品であり、改めて戦争の恐ろしさをさらに考える機会となった。

冷房をきかした部屋で見ているのが悪いような、ましてや飲料や冷たいものを食べながらなんて観ていられない・・・そんな映画だった。

これが原爆か。テレビから悪臭も漏れてきそうな、破片が飛んできそうな・・
そして目をつぶれば今も人々の呻き声や、あのやけどの傷が脳裏によみがえる。
モノクロであったのが、せめてもの救いかもしれない・・。原爆を実際に体験された被爆者の皆様にとっては、この映画を観ることでご自身の幼き頃の生体験が蘇り、たまらないだろう。体験していない私ごときがこんなにショックを受けているのだから、被爆された皆様にとっては、・・・。

本当に言葉が出ない。心からその苦労に対し、手を合わせたくなるし、お亡くなりになった方のご冥福を祈るばかり・・・。

と、たった1本の映画でも、観ると観ないは大違いだ。資料館の訪問も同じだ。
このたび展示が大きく変わったと何度かニュースで報じているが、これはこの大きな惨事を風化させてはいけない、伝えなければならないという思いからの
見直しであろう。今こそ伝え、そして知り、理解し、受けとめなくてはならないのだ。

人間って何なんだろう。8月はこんなことをしっかり考える時なのだと思う。
平和な時代に生まれ、ぬくぬくと育ってきた自分。
でも、頭までふやけないようにしたい。きちんとした頭と心をもって、
いい歴史になるようにつとめていきたい。

どんなに厳しくても、現実にきちんと向き合い、受けとめること。知ることは、理解することは、歴史の中を生きる者にとって避けてはいけないこと。

それにしても、あの映画は凄い。8年でよくあんな作品を作った人々の思いに
改めて頭が下がる。

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中学生の自分と勝負!

東京を離れて2年。何が一番変わったかといえば、音楽へのリベンジ欲かも
しれない。
とにかく、音楽漬け、音楽少女の時代を過ごしたふるさとに近くなればなるほど、そのときの自分の暮らしを思い出すのだ。
そして、あの日と自分を比べる。
ピアノに関してだけ言えば、「あの頃に戻りたい」私がいる。
リストを卒業演奏で弾いた高校3年生の頃が演奏力でいえばピークだった。
そして、そこに至るまでの練習時間は半端ではなかった。
「ピアニストは1日休むと、●日分力が落ちる」と、有名はピアニストが
昔言っていたが、1日どころではない20年以上休んでいたら、どうなる?
ライブ活動などを再開しはじめたおかげで、多少は弾けるようになったが、
それでも、いざバッハに向かうと、指がまるでダメだ。
ショパンやベートーベンはまだ曲によっては勢いで、ごまかせるが
バロックはごまかしがきかない。
そのことを、今、改めて痛感し、なんとかその頃の指の力を戻したいと
思うようになった。
今さらのバッハのインベンション。小学高学年か中学生に一生懸命やって
いた教本だ。今、改めてその練習をはじめた。
55歳になった自分が、中学生の自分と対峙している。
負けへんで。絶対に間違えずに弾けるようになってやる。
そんな風に新たな宿題を課し、毎日の日課を増やしているが、なんだかわくわくもする。きっと中学生の頃は指先だけであったものが、厚みあるバッハに
なるのだろう。とにかく努力、練習ありき。逃げずに続けよう。

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素敵な言葉をたくさんいただく。

読書も映画も、人生を改めて考えるには本当に良い教科書である。
最近少なくなったが、テレビ番組も歴史番組やドキュメンタリーものになると
時々役に立つ。
自分の知らない世界を知り、見聞を広げ、新たな知見をもつことはいくつになっても忘れてはいけない。

つい、最近、知って強く印象に残っている言葉を挙げてみる。

そのⅠ はたらく・・・端が楽になること。
    自分ではなく、自分の周囲の人が楽になるようになるよう努めること。
    それが働くの意味だそう。
    素晴らしい。語呂合わせかもしれないが、働き甲斐が出る言葉だと思う

その2 優という言葉。優は、優秀。そして優しい。
    そしてその優れた優しい人はどこか憂いている・・。

    この「優」という言葉の深みと厚みを感じる。
    そして、自分もそんな人になりたいと思えてくる言葉である。

いい言葉が頭に入ると、そのまま心に届く。心に響く言葉は、自分の栄養になる。そんな感じがする。

いい言葉、素敵な言葉をこれからも探し続けるとしよう。


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