「一日人生」ということにして。

人はそれぞれ、さまざまな悩みや苦しみがあって、それらと向かいながら生きている。日々、喜怒哀楽。いろんな感情を人との関わりのなかで、抱きながら、葛藤して生きている。
悩みや苦しみは、ずっと抱えていると疲弊する。
心の奥底から拭い去れないこともあるけれど、1日を終えるときに今日おこったいいこと。それを3つ挙げてみて、ああ今日という1日は良かったのだと毎日を閉じて、眠りたい。
そして、朝になったら、新しい1日という人生をはじめたい。
ずっと続くと思うとつらいこともあるときは、とくに1日1日で心の清算をしたい。
自分がしんどい以上、もっとしんどい中で生きている人もいるはずだ。
まだ1日を有意義に過ごせるだけの素材に恵まれているだけ、本当に幸せだ。
一日一日を重ねていく。そうすればきっといつか大きな山も乗り越えていたことにあとで気づけるだろう。
とにかく、人生の最小単位は1日。これを無駄にすることなかれ。
今日悔いなければ、それでよし。

さあ、今日も今日という新しい人生が始まる。

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マーケウォーキングwith スマホ

頭にあるさまざまな課題をひっさげて、町歩きをする。
企画は机の前でじっとしていても、何もうかばない。
もっとも昨今は、ネット上でリサーチできてしまうので、
以前よりはアイデアも出やすいかもしれないが、やはり
現実の売り場や建物、町、人を見ることで、その空気感も含め
新しい言葉や空気感が見えてくることもある。
たとえば、立ち並ぶビルの名前をひとつづつ見ながら歩くと
いい言葉に出会うこともあり、その言葉を今考えている仕事に
重ねてみると、ちょっといいタイトルやネーミングになったりもする。
ネット上で完結できるのが、ニューノーマルではない。
肌感覚、感性を豊かにもっていないと、表面的な冷たいアイデア
しか出てこないかもしれない。
密にならないための行動のなかで、いろんなヒントがあるものだ。
5時からの町歩きは、そんなことにも有効である。
気になった言葉をスマホのメモ帳にどんどん入れる。
浮かんだメロディはすぐ録音する。
スマホ持参で、歩きながらの仕事がはかどる。
工夫しながら、自らが動いて体感、感覚、感動を大切にしよう。
歩けること、動けることに感謝しつつ。

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朝のプチ聖地巡礼

知人に、60代でスペイン語をしっかりマスターして、夢の聖地巡礼を果たした方がいる。かの有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラというキリスト教の三大聖地だ。フランスからも、スペインからも、と多くの出発点があるようであるが、1か月ほど歩くというから、すごい距離だ。最近、この巡礼の旅は、ひそかな人気であるようだが、私にはちょっとまだそこまでの気合いはない。
国内でも、お遍路さんは人気だ。歩きながら心を整えることができるのは素晴らしい。世の中と距離をおく時間、ひとりになるひとときは重要だ。


同じ巡礼でも、私は毎朝でもできるショートコース。
私の聖地のひとつは、小学校2年か3年のころから、毎日のように岐阜から
名鉄電車に乗り、名駅から歩いて通った、ヤマハビル界隈。納谷橋の先だ。
ここが私にとっての音楽少女としての成長をさせてくれた、聖地のひとつ。
そのビルが改装こそしているが、今も存在しており、営業を続けている。
毎朝のウォーキングの中で、このビルをひとつの目標地点として定め歩く。
できる限り、子供時代に歩いた道を、わたった橋をそのまま歩き、あのころの自分のがんばりや、さまざまなことを思い出す。
名古屋の中心地、早朝、車もほとんど通らない。ビルの前の道路を見ながら
毎日父がそこに仕事が終わって、岐阜から迎えに来てくれたことを思い出す。
ああ、ここに車を止めて、レッスンが終わるのを待ってくれたのだ。
今でいう、塾帰りのお迎えの親御さんと同じだ。
その当時の父と、今施設に入って、すっかり老いた父、母のことを思い、
胸がいっぱいになる。老いの悲しさについて、あの頃は戻らないというあたり間のことについて・・・。
複雑な介護の日々であるが、この聖地の前に来ると、「ま、やさしくしなきゃ
いけないな。」といろんな怒りや憎しみが、束の間、溶けてくる。
だから、私にとってこのビルは聖地であり、そこを目指す途中は巡礼というわけだ。確かにこのところ、毎朝のウォーキング時もずっと親のことが頭にあり、この巡礼のひとときは自分との対話でもあるのだ。
朝活は、さまざまな目的、意味合いがあるが、私にとっては、ときに聖地巡礼になることもある。

人との向かい方、自分のゆく道について考える。聖地巡礼はそれぞれの人生で自由に設定できる自分だけの心旅である。

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見方が変わる。

最近、ショパンのノクターン遺作が気に入っており、その曲が使われている映画や番組を観る。
もう20年近く前に上映された「戦場のピアニスト」。その中でも何度かこの曲が流れる。それを確認したくて映画をチェックしてみる。
ピアノの美しい音色と、戦争の惨さのこの対比が心揺さぶる。
このピアノの美しい音色こそが、戦場でのピアニストの命を救うことになる。
と、このことはもちろん感動するのであるが、今回私が映画や番組を観る時に、これまでと違うフィルターでその世界を見ていることに気づき、そのことに驚いた。
それは、「密」。この「密」が許された世界へのあこがれと、「密への恐怖感」たとえば、コンサート会場の賑わい。大勢の観客の前でのフルオーケストラの演奏。1年前までは、こういった人の集まりについて、何も思うことはなかっただろう。
なのに、今、その様子を映画で見ると、「ああ、もうこの世界はないな。」と以前、各地のコンサートホール、オペラ座に出向き、大喝采の中にいたことを別世界のように思い出す。もうこういう感動の場に出会うことはないのかもしれない・・と思えて、悲しくなるのである。
そして、戦争の悲惨な場面に接する。たとえば、ユダヤ人が集められ、残虐な行為で殺されるシーン。人間を銃でどんどん殺していく。そんなことをしなくても、密な空間を意図的に作れば、弱者はじめ人々をコロナで死においやる・・ことが可能とも思ってしまう。
「密」が凶器になること、狂気になることがありえるのだ。
と思うと、静かに今は戦争の中にいるのではないかという妄想も・・・。

ということで、これまで当たり前に見ていた過去の時代の風景を、現代に置き換えると、とても息苦しくなってしまう。
と、思うのは私だけであろうか?

アーチストとして、生の感動や元気を伝えるコミュニケーションクリエイターとしての生き方について、考えてしまう。

そう、モノの見方、考え方が大きく変わるコロナという媒体。
単にテレワークとか、オンラインとかという手法ではなく、その底辺にあることを忘れないで、どう生きるのか。

今、真剣に考えたい。そうじゃないと、私自身が生きられない。

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達成すると皆、うれしい!

コロナ禍のなかで、いろんなことが起きる。生まれる。
生活様式が変わったことで、例えば外食を控え、家で食事すること、料理をすることが増える・・・。その流れをくみ取り、少しでも皆さんの役に立てたら・・
また、飲食店で使われない野菜をうまく活用できたら・・・などの思いから
生まれたコラボのプロジェクトがある。

当初、掲げた目標は1000セット。
売れるかな~。ちょっと心配した。いや、だいぶ心配した。大がかりな宣伝をするわけでもなく、また商品自体を見てぱっとわかるものでもなく、店頭で試食販売ができるということでもなく、商品のことを伝えるのにコミュニケーションを要する商品でもあるので、そんなパッと売れるのかな・・・と。
でも、コラボとは商品がコラボではなく、関わる人がコラボするところが素晴らしい。やると決めた以上は挑戦だ。そして一種の賭けである。今回は関係者が会社を越えて、ひとつのチームとなって、協力し、切磋琢磨した。
私もその一員として、関わらせていただいた。

それぞれがもつネットワーク、お金をかけないでできる情報発信をしながら、その反応がどうかを毎日見守る。やったことのないことにも挑戦しようとしてみる。あそこに展示しては?ネット以外でも売ってみては?とにかくそれぞれが知恵を出した。広報の仕事を長年やってきたことも、今回活かすことができた。
掲げた目標が高かったのではと思うときもあったが、発売から約50日で今週、これを達成することができた。
どんな目標でも、それをクリアすること。やりきること。この経験こそが、次への糧になる。
どれだけ立派な目標を掲げても、達成しない限り、仕事のやりがいも曖昧なままだ。

今回は、ロナ禍ということもあっての挑戦であり、結果であったのかもしれない。でも、そのことが大切だ。
タイミングはマーケティング上、大変重要な要因となる。まさに、いつやるのか。今でしょ!というわけだ。

みんなで、お祝いしたい。乾杯したい気持ち。
そこを今はぐっとこらえて・・・。楽しみは次へ。今は静かに喜ぶ。この商品にご興味ある方は、8月末まで販売をしているため、ぜひお試しいただければ・・・・。

https://www.yoritoko.com/

今回のプロジェクトの売り上げの一部は、子ども食堂を運営する団体に寄付される。
コロナの暑苦しい夏を、みんなで元気に乗り越えていきたい。とにかく前進!

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東海最前線16回目分を公開しました。

東海地区の企業さんにヒントを提供する、ビジネスニュースサイト東海最前線の担当コーナーの16回目分をアップしました。

今回は当ブログでもご紹介した、岐阜の青果仲卸会社のカネ井青果さんです。
https://tokai-saizensen.jp/archives/1465

ぜひごらんください!

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盛夏は、日替わり朝活!

最近、何度か朝の過ごし方について書いているが、暑さに負けない日々の暮らし方として、朝の価値は高まるばかりだ。

健康づくりのための一万歩ウォーキングを実現するためには、2時間ほどの
時間が必要。暑くならないうちに完了させたい。でも、ひたすら歩くだけでは楽しくない。目的、経由地が必要だ。朝6時すぎにやっているところはないか?

あ、あったあった。そういえば自宅から徒歩30分ぐらいのところに、24時間スーパーがあることを思い出した。緊急事態宣言時、営業時間に前まで行ったが、混雑していたため引き返してきたが、早朝となればわけがわけが違う。
ということで、早朝の食品スーパー目指して歩き始める。
その日入荷する商品はまだ陳列されていない時間帯だ。逆に、昨日何が売れたかなどを視るのに、大変良いタイミングである。しかも来店客が数名ほどしかいないため、店内観察にも向いている。早朝出勤のスタッフが品出ししている風景も新鮮で、朝早くからのおつとめに頭が下がる。

ということで、4000歩ほど歩いて到着、涼しい店内に入って売り場をゆっくり見ながら、マーケティングリサーチをする。
これは、いい!いろんな企業のいろんな商品や価格帯を見る、パッケージを見る。時短料理の商品がこんなにあるのか、知らない加工食品が多くてびっくり。生鮮売り場の産地の表記も改めて見てみたり・・・。ゆっくり見ることができなかった売り場を丁寧に見ていく。大型量販店は郊外に多いため、これまであんまり利用してこなかったが、人がいない分新鮮だ。単に買い物ではなく、リサーチに向いているのだ。
ゆっくり見ていたら、知らない間に時間が経過。おっと、暑くなってしまう。

そろそろ戻らないと暑くなる。と帰り道を急いでいたら、卸売市場が近くにあることを思い出す。そうだ、市場は朝早いんだ。そして、業務用がメインではあるが、個人にも販売する店もある。
ということで、帰り道に、市場へ向かう。確認すると、朝4時から営業しているという。そうか、市場を目指してウォーキングも新たな企画だ。
午後の時間帯とは違い、活気がある市場。
ああ、無事にお店が営業できていて安心だ。緊急事態のときは大変だっただろう。

そんなこんなで、気が付けば出発から2時間以上経過、1万歩近く歩いたようだ。
かなり暑くなり、もう戻らねば。
朝はリサーチタイム!として大変有効。気づけてよかった。
暑さ収まらないこの日々、日替わりで、朝ウォーキングに絡めてさまざまな体験を楽しんでいる。
コロナと猛暑のおかげで、朝の価値がますます高まっている。
ただ苦しいだけでなく、楽しさをみつけなくちゃ!

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7時まで、7時から

コロナだけでなく、この暑さで、日常のさまざまな活動を
妨げられるのは、悔しい。
暑さなんかに負けたくない・・・
と、先日も出先で、20分ほど屋外を歩いたら、ちょっと不安になった。
すぐ目の前にあったコンビニに入って涼み、水分補給をする。
とにかく、名古屋も岐阜も京都も・・・暑すぎる。
気を付けないと熱中症になる。他人事ではない。


ということで、8月この時期は、昼間は屋外での滞在時間は減らしたい。
でも、動かねばならない。健康面でも今やウォーキングは必須の日課だ。
「朝、5時ごろなら涼しいよ」
とのひと声で、先日5時すぎから歩いてみた。確かに暑くなく、快適だ。
日が昇る前までが、勝負だ。
かといって、毎日5時から歩こうとすると、それまでにやることがいっぱいあってさらに睡眠不足になってしまう・・。
が、なんとかがんばって6時から歩き始める。
そして、歩くならば、何か目印、目当てがほしい。
その方が楽しくなる。
7時から始まる喫茶店。
7時からはじまる●●。
それ以前にやっているお店はコンビニ以外は、あまりないが、
早朝マーケットに目を向けてみる。
思い立ったのが、パン屋さん!早い時間からやってそうだ。

ということで、ネットでパン屋を探したら、7時から営業のお店を発見。
そこを目指して、そこの営業開始とともに店に着くように、ひたすら歩く。
そういう目標ができると、朝歩きもがぜん楽しくなる。

5時台は歩く人が少ないが、6時すぎると、結構歩いている人がいて驚く。
皆さん考えることが同じだ。
今のうちに、歩こう!ということだろう。
静かな住宅街を歩き続ける。
コンビニだけは、元気に営業中、すでに駐車場にも数台車がいて、朝の仕事前のひとときを過ごしている人もいる。
コンビニはオアシスだ。
やっぱり、朝早くても、その時間帯に活動している人がいる。
縁の下の力持ちの仕事が多いことを知り、満員電車だけが通勤ではないということを改めて知る。

7時ちょっと前にパン屋さんに到着。もう開店している!素晴らしい。
多分、自分がお客さん一号。
元気いっぱい
「いらっしゃいませ~」の声が気持ちいい。
今日も新たに始まった!という気持ちになる。
朝の挨拶は、ぴかぴか!だ。やる気がみなぎっている。
思わず、ひとつ多めに買ってしまう。
「ありがとうございました~~!」
レジだけでなく、厨房の奥からも、
元気に声が聞こえてくる。

早朝から営業するパン屋さんて、なんて健康的だ。
焼き立てのパンを買って、再び外に出る。
もう日差しが強くなってきた。あまり歩けなさそうだ。

お店は7時から。
散歩は7時まで。
この時期はどうやら、この時間がぎりぎりのラインだ。

朝歩きしなくてよい秋が恋しいが、パン屋さんは年中7時営業開始。
とにかく気持ちよい朝散歩。おすすめである。

今日もスタートするとしよう。

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八百屋の賑わいが生み出す力

八百屋という言葉が好きだ。百貨店より数字が多いせいか?八百屋さんの店頭は、カラフルだ。自然の色は凄い。同じトマトの赤でも品種により、農家により、違う。赤、緑、黄色、オレンジ、黄緑、白、紫・・・。野菜や果物の色は、見るだけで人を吸い寄せるパワーがある、まさに恵の色パレットだ。
そんな野菜や果物をずらり並べる、元気な八百屋があると、その周囲もみるみる元気になり、お客さんも吸い寄せられるように集まってくる。
大手スーパーやデパートの売り場。こちらも品揃え豊富で、見ていて楽しいが、八百屋という業態はさらに魅力的だ。
専門店という存在が貴重であることと、大手量販店のように画一的ではない点、
人の顔、人の目が伝わるという点。この人が、こだわってあの農家から仕入れてきた。というストーリーが見えやすいのも良い。
専門店の魅力はいろいろある。もちろん値段も手ごろであれば、尚良し。
この2年ほど、ずっと注目してきた八百屋さんがある。岐阜駅の構内にある期間限定の八百屋!カネ井青果という店名であるから、一見、八百屋なのである。
でも、ただの八百屋ではないということがすぐにわかる。
豊富な品揃え。決まった農家からきちんと仕入れている信頼関係がわかり、またお値段がとても安い。こんなお客にとって嬉しい八百屋は珍しいのだけれど・・・。奇をてらったディスプレイはなく、商品そのものがまさに主役であり、手書きのPOPがこれまた人肌を感じる。
何度も利用しながら、この八百屋さんは、仲卸の会社が運営していることがわかった。なるほど。抜群の仕入れ力があっての店舗運営。いいものを適正な価格で自信を持って商品を提供できるのだ。
一度買ったら、納得。お客さんはみるみるリピーターになる。
この繁盛店。このたび閉店。期間限定ではじまったのだから、無理もないか・・。と肩の力を落としかけたところ、同じ駅ビルの中のさらに目立つ場所に移転営業することがわかった。
多くの利用者が安堵したことだろう。
さて、そのお店は、移転後、営業再開した今も、順調にお客様を集め寄せている。
若い店長や女性スタッフがいきいきと働く青果売り場。社長自らも売り場に出て、丁寧に品出しをする。自信が仕入れてきた青果を見る目には、真剣かつ愛情も注がれる。お客さんとの対話が楽しそうで、八百屋ってこんな感じだったな~とその空気をも懐かしく思わせる。
八百屋が元気だと駅も、町も活気づく。コロナに負けない、勢いの店には人がさらに集まる!思わず行きたくなる八百屋。今、元気に成長を続けている。
(本記事の詳細は後日、別途公開予定)

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怒りを鎮める力。

父が脳梗塞で倒れてから、もうすぐ一年になる。自宅で普通に暮らして、80歳を過ぎても元気だと自他共に健康だと言っていたのに、あの日から、父の生活も周囲も一変した。入院後、容態が落ち着いた頃、病院に出向き見舞うたびに泣いて、我が身の不自由さを嘆いていた。おかしな話であるが、その頃も決していい状態ではなかったのに、今となっては、まともに会話ができていたあの頃をまだ懐かしいと思うことがあるほどに、時間の経過とともに、その後も父は変化している。今となっては、父が運転して迎えにきてくれたことは、もうずっとずっと昔の物語になってしまい、その父と同一人物であると思うと胸が苦しくなるほどだ。

脳梗塞を患った方の中には、後遺症として怒りやすくなり、周囲に暴力を振るう人もおられるとのこと。記憶が薄らいでいくことは老化現象からもあり得ることで、そのこと自体はやむないと諦めもつくが、怒りの症状は、周囲にも迷惑もかかるし、本人にとっても不幸である。

父はもともと怒りやすい気性でもあったが、それがさらにひどくなっている。ちょっと何かきっかけがあると怒りが発症、爆発する。
そんな場に居合わせると、こちらにもその矛先が向かう。
そのときの父は別人のようで、ある意味不思議な感覚に襲われる。
生活が病気によって一変してしまったことへのストレスもあるのだろう。

そんな父をいつも穏やかにさせてくれるのが、ぬりえの存在だ。たった一枚の輪郭だけの絵。
とにかく何も行事がない日は、施設の大部屋で、自室で、もくもくとぬりえをしている。色を選んで考え、着色していくのが楽しいようで、一日何時間もやっているようだ。そのときの父はおとなしい。
機嫌がいいときは、自分の作品ファイル(自分がやったぬりえを入れたファイル)を見せ、「こんなうまいのを描けるのは、他にはおらん」と自慢する。
そんなときは、「そうやね~。」と、こちらも幸せだ。

今、ぬりえもいろいろある。つい最近までは、ぬりえなんて、子供の遊びと
思っていたのに、今は違う。書店で探したり、ネットでみつけてプリントしたり。大人のための、介護のためのツールとしてぬりえは定番アイテムである。どうやら、父は風景のぬりえが好きなようだ。人物ではなく風景が好きというのも何か理由があるのかもしれない。
1枚の絵に向かっているとき、何を思っているのか?あるいは無心か。

もろもろ職人であった父である。ぬりえに没頭するのは理解できる。
せめて、この楽しみが長く続くよう、楽しめるように応援したい。

人生は喜怒哀楽というが、怒りも哀しみも、この四文字のごとく、喜びと楽しさに挟んで、感じないようにできないだろうか。

父の幸せ・・・今になって、そんなことを言っているのも手遅れかもしれないが
できることを考えたい、と同時に周囲に迷惑をかけないように・・・。
そんななか、今できることは、ぬりえを通じたコミュニケーション。
なんともいえない。これが現実。自分自身が怒りも哀しみも、喜楽で挟んで包んで、乗り越えたい。

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