最終形をイメージして生きる

正直いって、日を重ねるにつれ、高齢化社会という現実が、重荷で息苦しい。
将来に明るい光も見えない。
なぜ、こんな高齢化社会になってしまったのだろう。何のために?
昔はもっと人は短命であり、惜しまれて生涯を閉じた。

人間のあらゆる欲望を満たすための努力をした結果、一見豊かな社会が
もたらしたアウトプットのひとつが、この高齢化社会ではないだろうか。
結果として、何のために長く生きるのだろう?
本当に素朴な疑問である。

生きるならば、出来る限り意味がある生き方をしたい。
そうしなければと思う。
今、日々起こる、さまざまな出来ごとから改めて、
生きる最後の瞬間まで、できる限り、自分らしくありたいと思う。
最後の姿も今からイメージしておく必要がある。
最後は頭も、カラダも壊れていくのだろうが、出来る限り、人に迷惑を
かけないように死んでいきたい。

人生、なるようにはならない。
誰かが何とかしてくれているのであって、周囲のお世話になっているので
あって、決して、なるようにはならない。

年寄りだからといって、学ぶことをあきらめた時点で、崩壊が始まるのだと
思う。最後まで学ぼう、吸収しようという意気込みが、人生を実りあるものに
していく。

周囲の反面教師に今、学ばせていただいている。
たとえば、ひとつの最終形イメージ。ピアノを弾いているときの突然死。
それはさすがにならないか・・・。
でも、いい終わり方をイメージし続けると、そっちに行けそうな気がしている。
とにかく生きるということは、いのちを全うするということ。でないと、
もったいない。



カテゴリー: Essay (Word) | 最終形をイメージして生きる はコメントを受け付けていません

GO TO はどこへ行く?

コロナで心配なのは、国の財源だ。
と、私ごときが心配しなくていいかもしれないが、
ただいま開催中のGO TO トラベルキャンペーン・・。いつまでやり続けるのか?
実際、宿泊したホテルで受けとる書類や申請書を送って口座に入金されたり、
最近では、ホテルのフロントでその場でお金が返ってきたり・・と一見、うれしいし、利用する以上はありがたく・・ではあるが、
こんなにいっぱいお金を返してもらってよいのだろうか?

どこにそんなにお金があるのだろうか?
と、ふと心配になる。
まだまだ GO TO キャンペーンは続くけれども、それに見合う効果が・・。
はとても心配だ。
最高責任者もなんだか・・であるし。

そして、そのトラベルを担う、交通機関、飛行機や新幹線のことも大変心配している。
今年になって、思えば空港にまだ行っていない。飛行機利用ゼロ。保有しているマイレージのゆくえも気になる・・。
出張で、せいぜい利用するのは新幹線だ。
東京出張の回数はどの企業も激減。減便した新幹線も、空席が目だつ。
今回は、たまたま安い切符をと思い、ぷらっとこだまを利用したが、
なんと1車両に乗っているのは3名ほど。終点名古屋に着くときは、
私一人しか乗っていない。
タクシーが貸し切りならまだしも、新幹線が貸し切りとは・・。

これもいつまで続くのだろう。

どこへ?GO TO?
旅行やレストランではなく、この国が、世界がどこへいく?という心境だ。
目的地はどこですか?
そこに、きちんと着地しなければ。

カテゴリー: Essay (Word) | GO TO はどこへ行く? はコメントを受け付けていません

しみじみ、ふたり同窓会

テレワーク、オンライン●●、リモート●●・・・。今年生まれた多数の新たな概念。すっかり定着しつつある。
「密」にならないことについて、無意識に行動するようにもなっている。
習慣とは、意識すればたちまちに身につけることができるのだと、今回のコロナから学ぶことは多い。
そんななかの新たな動き。
同窓会や大勢で集まることはなかなか厳しいが、
個別に会うのは、悪くない。
コロナが何かのきっかけになっているかどうかは別として、このところ懐かしい人たちと個別に会い始めている。
珍しく高校時代の同級生がネットからアクセスしてきた。ブログを見て連絡してきたのだ。しみじみするメッセージに、では久しぶりに・・。となる。
また生前ご無沙汰し続け、突然死してしまった従兄弟の奥様・・・この方とも偶然の再会から、連絡を重ね、お会いすることに・・・。
四半世紀交流を重ねてきた印刷業界の仲間とも、コロナ後、初の再会、久しぶりにそばでも一緒に・・・。ということになる。
ふたり同窓会。
わいわいではなく、しみじみ語り合う。
そんな時間が今、とてもありがたい。
マーサではなく、「いまおちゃん」と呼ばれていた時代。
ちょっと恥ずかしいような時代にタイムトリップすることが、ルーツの見直しにもなったり・・。
今、自分が歩んで来た道を、その道中に出会った人との再会から、あの頃その頃に戻りつつ、今をみつめるのは懐かしいくせに新鮮だ。

コロナ禍のふたり同窓会。なかなか、いい。

カテゴリー: Essay (Word) | しみじみ、ふたり同窓会 はコメントを受け付けていません

もっと前から来てよー。

コロナの影響は続いている。自粛、ソーシャルディスタンスからライフスタイル、消費の動向が大きく変化。食品スーパーやドラッグストアはプラスの影響、一方衣料品や外食関係にまつわる店舗、関連の業界は大変厳しい。今後は製造業その周辺にも影響が及びそうだ。特に外食店では、閉店せざるを得ない店舗も増えている。そして、知り合いの店舗も例外ではない。

ある店舗。コロナの影響による苦渋の判断。閉店が決まり、営業最終日を迎える。
気になって最終日、その店に行ってみると、お客さんが多く訪れ、にぎわっている。一見、普段通りだ。不思議なものだ。人がいると、お店は生き生きして見えるのだ。
明日になっても、また足を運んでくる人がいそうだ。

今日だけじゃなく、もっと前から来てくれたら店を閉めなくて済んだかもしれないのに。と、この最後の盛況ぶりを見て、複雑な思いになる。
お客様とは、そんなもの。
皮肉なことに営業最終日に賑わう。そんな店をこれまでもいくつも見てきた。
そのとき、いつも従業員さんの明日が頭をよぎる。明日からどうするのかな?と。

コロナがきっかけで、親しんできたお店の灯が消える。
大変寂しいことであるが、「ずっとある!」ことは当たり前ではない。
お客はそこでの思い出を大切に。
働く人はそこでの経験を糧に。
それぞれが前に、次に進む。

つくづく日頃からの積み重ねの大切さを思う。
「毎日が最終日」という思いで、とりかかっていくことが明日につながる
のかもしれない。


カテゴリー: Essay (Word) | もっと前から来てよー。 はコメントを受け付けていません

イメージを膨らませる楽しい仕事

創造は想像。
何かゼロからカタチをつくる仕事は、まるでそれが存在しているかのように、頭の中でその世界をつくることからはじまる。それは自分の過去のさまざまな日常であったり、旅の思い出であったり、昔聴いた曲であったり、ある人の言葉であったり・・。いろんな引き出しの中から、今つくりたい世界に合う素材を引っ張ってきて、それを文字にしたり、メロディにしたり・・・。
筆が進んだり、音が出てくるのは、何かにいきついたときだ。
「あ!これだ」具体的な絵に結びついたとき、めでたくアウトプットとなる。
イメージを膨らませ、さまよっているプロセスは苦しいけれど、楽しくもある。
常にイメージしやすいように、さまざまな世界に触れるようにする。
懐かしい町の風景の写真、動画、映画、音楽・・・。常にいろんな空気に触れるようにする。
見た、聞いた記憶は、自分の引き出しに自然とインプット。
創造とは、その素材と自分の想いを掛け合わせていく仕事だと思う。
真のクリエイティブは、AIにはできない仕事と、思っている。

カテゴリー: Essay (Word) | イメージを膨らませる楽しい仕事 はコメントを受け付けていません

そうとも限らんけれど。

早朝散歩をしているときに、普段見ないもの、見えないものが目に、耳に入ってくる。 とくにカラスの鳴き声は、車も人もいない時間では、より大きく鮮明。 でも、これはあまり得意ではないため、避けて歩く。
ふと、お寺の入り口の掲示板に目がいく。
今月の○○、とか今日の●●、とかありがたいお言葉がよく書いてある。
昼間はあまりそこにも目がいかないが、情報の少ない朝は、とにかくパッと目に入ってくる。

こんな言葉がきれいな筆跡で書かれていた。

父母は常に子を念へども(おもへども)
子は父母を 念はず(おもわず)

とある。 これは、ある高名なお坊様のお言葉のようだ。 これは世の親に向けたメッセージかもしれないが、私はこれを読んで、首を傾げた。
「へ? そうかあ? そうともかぎらんと思うけど」

と思ったのだ。

ここのところ、私から見れば、逆の現象がおきているように感じている。

この高齢化社会では、親であっても、 もはや子供のことを想える状態ではない場合もある。 むしろ、子供の方が四六時中親のことを思い出し、心配している。 これが私から見た現実だ。
おそらく、このお坊さんが活躍された時代、こんな高齢化社会ではなかっただろう。 親が親としての意識があるうちに、皆さん、旅立っていかれたのではないだろうか?

なんども悲しくもある現実であるが、親がいつも思ってくれていた意識の時代が
あったことは間違いない。

どちらでもいいから、相手を思えていたらいいのでは。

思ってもらえることも幸せであるが、その時間を過ぎて、今は思える相手が
いることを喜びとしたい。 ・・・と、思うようにしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | そうとも限らんけれど。 はコメントを受け付けていません

ふるさとに包まれる瞬間に。

暑さ続く、コロナ悩ましきこの夏。
それでも、ふるさとは美しく、心強い。
今、利便性で名古屋を拠点として選んでいるけれども、自然の豊かさ、美しさからすると、わがふるさと岐阜の魅力は圧倒的だ。
心折れそうになるときほど、ふるさとの自然は自分を包み込んでくれるようだ。
この風景は、自分がもっとも好きな、岐阜城をのぞむ長良川の風景。
朝の様子と、夕方に向かう午後の様子。
いずれも、あまりにきれい、そして澄んでいる。
この長良川は、まさに清流の名にふさわしい。

山上の岐阜城から、かの信長はこの長良川を毎朝見下ろしたことだろう。
私は、今見上げる。

何か変わろうとも、自分がこの地から始まったということは変わらない。
ルーツは永遠なのだ。
ふるさとは、自分を励ます。
がんばれ、がんばれ。そう言っているようだ。
こられていた涙が、自然が相手だと、流れてしまう。

ルーツは不変。でも、明日は変えられる。
それが生きているということだ。

この景色は、「みず・つち・ひと」が生まれるきっかけのひとつでもある。
また来ようと思う。

大好きな、この景色を胸に抱き、ルーツを大切に生きよう。
と、思う。
自身を育てた原風景にふれる瞬間は、素直になれ、浄化されるとき。






カテゴリー: Essay (Word) | ふるさとに包まれる瞬間に。 はコメントを受け付けていません

カバーが変わるだけで。

実家のグランドピアノの調律が20年ぶりに終わり、音色は輝きを取り戻した。
ピアノには、汚れや衝撃から守るため、カバーがかけてあるが、これも約半世紀同じものがかけられていた。気が付けば、生地が傷み、ぽろぽろと繊維が出てくる。ピアノが汚れてしまう!ということで、カバーを新調。ピアノカバーもピンキリということも知り、なんでもランクがあるのだと驚きつつ、まんなかのランク。化学製品であっても、長く使えれば良い。機能を果たせればいいのだ。
特注品であったため、やっと届いた。
調律師さんが届けてくださって、大きなカバーなので、一緒にピアノにかぶせて
くださった。
あれ、カバーが変わることで、ピアノが若返った、新しくなった気がした。
ピアノのコートである。
きちんといろんな意味で手入れがしていなかったことに気づき、できることからやっていく。
このピアノを生かし、ここでコンサートができないか?
実家でのミニコンサート。密になるような人数ではなく、ほんとうに地域の方に
楽しんでもらう場所。
カバーが変わることで、ピアノが公的な存在になった。
身近にさまざまにある道具。使っていないものがあったら、ちょっと取り出して、メンテしてあげることで、道具が命を取り戻す。
このひとときで、自分も青春を取り戻したり、懐かしさの中から、次へのパワーを得ることができる。

とにかく大切にせねば。私を育んでくれた大切なもの。

カテゴリー: Essay (Word) | カバーが変わるだけで。 はコメントを受け付けていません

ドクターの「ラポール」に学ぶ

最近、お医者さんの診察を横で、脇で見せていただくことが増えている。
それは、親の通院に同行するときのことであるが、幸か不幸か、様々な先生に診ていただくことが急に増え、総合病院から町の医院まで。見ていただく専門(科)もさまざまで、新しい先生の診察に同行するたび、こちらはいい勉強になっている。
まさに、現場で見るコミュニケーション学のインターン生のごとく・・だ。
そう、ドクターのコミュニケーションの取り方は、大変参考になる。
いい先生は、患者とのいい関係をすぐにつくることができる。
昔、仕事で「ラポール」という言葉に出会い、これをある冊子のタイトルにつけた。この言葉はフランス語の rapportであり、お医者さんの診察のときに使う言葉だとその当時は覚えていた。
今改めて調べてみると、やはり心療内科の先生と患者の関係を表現した言葉で、両者が和やかでいい信頼関係にある状態を言うのだそうだ。
なるほど。先生の巧みな、見事なコミュニケーション力で、患者の緊張も解けて、信頼関係が生まれる。これがないと、治療も進められない。信頼感をつくる。これが治療のための第一歩だ。
ドクターには、知識や手術の技術ももちろん重要であるが、ラポールできる力こそが大切だ。
どうせ患者である親についていかねばならないならば、その場をしっかり勉強しよう。ドクターの言葉のかけ方、同意の仕方、話ももっていきかた・・・とても参考になる。
コンサルティングの仕事も、ラポールの精神のようなものは求められる。
信頼感が生まれることで、いろんな話が聞こえてくるし、情報も入ってくる。
そんなことで、病院・医院に行くことは、いろんな刺激になる。
これまでで学んだことは、ラポール状態を築くには、とことん寄り添いの精神が必要ということ。医師だからといって、上から目線であったり、患者を見放したような対応をすると、関係はつくれない。また、いいラポール状態になるには、
まずは聞く。ということからはじまる。その投げかけの言葉も、やさしく・・がポイントだ。

と、これらの学びを生かし、親ともラポールな関係になれたらいいのだけれど、距離感がないと難しそうだ。 感情的にならないことも重要だ。
コミュニケーション実践について、介護、医療の世界から学べることは、実に多い。

カテゴリー: Essay (Word) | ドクターの「ラポール」に学ぶ はコメントを受け付けていません

リアルもオンラインも緊張する

会社訪問というのは、緊張する。
自分のつとめている会社、事務所へ行くときに緊張するかどうか?
慣れてしまえば、そんなこともなく、あまり前のように意識せず通えるはず。
しかし、ふりかえれば、新入社員のとき、また何か特別なイベントや来客があるときは緊張した。そして、お客様の方に出向いて、プレゼンをしたり、ましてやコンペの場合などは、前の日から緊張した・・・。そんなこともよくあった。
脱サラして、23年間。
それでも、慣れない環境に飛び込むときは、やはり緊張する。
とくに初対面や、初めてのことになると新入社員のときと同じだ。
仕事で緊張しないというのは、よく考えたら、あまりないのかもしれない。
対人関係が生じる場には、緊張はつきものだ。ただ、それを意識しているかは別として・・。
そして、それが対面であっても、オンラインであっても同じだ。
いや、今はオンライン環境の方がまだ慣れていないせいもあり、何かと緊張する。
ネットはうまくつながるか、最後までスムーズにやりとりできるか?
てきぱきとやりとりできるか?
正直、まだ慣れていないから、仕方ない。
「声、聞こえてますか~?」
「よろしいですか?」

表情を見ながら、説明することがオンラインであると難しいため、言葉でこまかく確認することも必要だ。
とにかく、何かと緊張が続く毎日であるが、いつでも全力投球していれば、
そのあとのリラックスがたまらなくうれしかったりする。
一杯のコーヒーや紅茶・・・。
緊張と緩和。この連続をこなし続けるのが、仕事。
もしかしたら、人生そのものも同じか。

カテゴリー: Essay (Word) | リアルもオンラインも緊張する はコメントを受け付けていません