20年来、仕事も含め交流させていただいている仲間。同学年ということもあり、同い年だからともにがんばろう!といつも激励しあって、季節に一度ぐらい会食を重ねる。
その方は私とは違って、立派に組織人としてのつとめをこなしている。大企業で働くというのは大変なことだな~。と、いつも尊敬する。一方、彼は自称?コミュニケーションが得意な方ではないらしく(私の前ではそんなことは決してないが)コミュニケーションクリエイターという仕事について敬意を抱いてくれているようで、そこがうれしい。また損得勘定では人とのつきあいは成立しないという点も共有できる価値観だ。
今年になって初めての会食は気が付けば4時間。「おっと帰らなくちゃね」今回の話題で心に残ったのは、娘さんが成人式を迎えられたことで自分の人生を振り返り、また人生は20年単位が節目だとすると、次の自分の節目である60歳にどう向き合うか、そして
次代の人に恥ずかしくない背中であること、そして仕事でもいつでも、心ありきであること。1月の締めにふさわしいミーティングになった。普段酒を飲まない彼が、珍しくあれこれ美味しく飲みながらつきあってくれたことも、新年らしかった。もう2月だ。
背中と心で、3回目の成人式に向かう!
1月の「愛の元気人」オンエアは本日31日18時~です

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」1月分は、本日31日18時~よりオンエアです。
今回のにいがた元気人のゲストは、学生服専門店のバロン早川の早川直希さんと、習いごと教室の夢教室ドリームアドバンス 喜多村哲平さんです。
プチプチ感動体験談は「にいがたで出会った京都人シェフ」の話です。
どうぞお楽しみください。スマホにFMケント専用アプリをダウンロードされると、世界中でお楽しみいただけます。www.fmkento.com
麺とMEN
いろんな職業、生き方をしている方に会えることで、そのつど共感やら、ときには違和感、とにかくいろんな感情を抱く。そしてそれをもとに自分を見つめなおすことができる。そんな点から、まず人との出会いは大切にすべきだと思う。共感するのは、「ああ、いいなあ」「そうそう」「やっぱりそうだよね」という感じで、その人と自分が同じ方向に向かっているか、根っこが同じかである。一方、違和感をもつのは、何かしら目線が違う場合。自分自身ではなく、たまたま所属する組織の看板だけで生きているのが感じられた場合。口先、思いつきでの行動をみた場合。一見エラそうでも、行動が伴っていなかったり、人のことを大切にしていない、結局は自己中心ということがわかってしまうと「なんやこの人、ぺらんぺらん」かな?と思ってしまう。言葉巧みであっても存在の薄っぺらさが透けて見えてしまう。一方、人生に対して、いくつになっても燃えている人、本気で自分の能力に賭けている人、挑戦を忘れない人、自分の主張をきちんともち、言動が一致している人、勉強熱心な人、そして存在自体に、「コシ」があって、「気概、気骨」を感じさせる人、付き合うごとに、かみごたえがある人にはたまらない魅力を感じ、自分もそんな人になりたいと思う。
その人が「コシ」あるホンモノか、吹けば飛ぶような薄っぺらな存在かどうか?その見極めも、残された人生時間の中の人付き合いを考える上で大切だ。目利きがいる。そして自分も、思う人に思われるようにホンモノにならなければならない。
麺類だけではなくMENにおいても、「ぺらんぺらん」よりも「コシある、あっつあつ」がいい。
カラー・インパクトの恐怖
色彩というのはコミュニケーションにおいて、言葉や文字以上に、即伝わる伝達素材である。ビジネスにおいても、イメージカラー、テーマカラーをコンセプトにもとづき、設定することで統一イメージなり、固有のメッセージを伝えようとする。私自身も自営業開始以来、一貫して16年、同じ色をテーマカラーとして活用し、何も言わなくても気づく方からは「紫がトレードカラーですか?」「パープルがお好きなんですか?」とのお言葉をいただき、それがきっかけで会話がスムーズになることも多く、イメージももってもらいやすく、色は音楽同様、人の感性に無意識に伝えることができる有効な手段として意識している。
このようにコミュニケーションにとって、色は大変重要なのであるが、ときには反抗のアピールにも使われることがあり、最近このことについて考えさせられる。マスメディアからいやおうなく伝えられる残虐な写真。ここではオレンジ色が圧倒的に目立っている。目をそらしたいけれど、そらすことができない色、それがオレンジ色だ。もともと私が好きな色のひとつであり、時々サブカラーとして使いたい。それは太陽の色であり、まさしくフルーツオレンジをイメージさせ、元気なイメージがある。イタリアのオレンジのマフラーを以前もらったことがあるが、なんと目の覚めるようないい色だと気に入り、おもいっきりおしゃれになった気になった。しかし、この糸はその分大変目立つ色であり、アメリカなどにおいては、もっとも罪の重い囚人に着用される服の色がオレンジ色だそう。脱走させないように、万一のときもすぐ見つかるようにという意図らしいが、本当に目立ち、目に焼き付き、また目を閉じても鮮やかに脳裏によみがえる色がこのオレンジだ。店のサインや信号にも使われる赤色と、注意を喚起する黄色の両方の要素をもっているから、目立って目立って・・・。そしてパワーを人に与えてしまう。今回の利用はまさしく、負のパワーの象徴だ。
文字よりも、その写真を見るのがいやで、新聞を折り返してしまい、すぐ捨てたくなる。テレビもネットもその写真から目をそむけたくなる。悲しい写真と情熱の色が恐怖を倍増させている気がしてならない。人を釘づけにし、恐怖にさらす・・。色も言葉も文字も人が幸せになるように工夫されたい。もうこの写真が世の中に出回るのを見たくないし、このことに人々も慣れてはいけない。
色のプロパガンダ。恐るべしだ。皮肉なことにこんな現実からも広報戦略について考えさせられてしまう。
正々堂々と人を向き合う生き方を
ネット依存の人たちが増えていると聞く。とくに若者にはその傾向が顕著だということも社会問題にもなりつつある。ネットがなければ・・。30年前はなかった。そんなものがなくても人々はちゃんと不便なく生活していた。昨今のこの一見便利なこの情報インフラは、見事に人間の行動だけではなく、本性にも影響を与えているようだ。
人間とは何かがわかっていれば、何が一番大切かをわかっていれば、ツールもうまく活用もでき、また時には使わない選択もあるが、人生経験や相談相手も少なく、目先の情報だけがすべてであると思い込んでしまうぐらいの免疫しかないと、その使い方もわからず、ただ流されるように生きるようになる危険がある。
ネットは便利であることは間違いない。しかし、この反面、人間をときに狂気に導くこともあることも否定できない。
知られたい、見られたい、誇示したい。そんな人間の欲望にはぴったりのツール。
しかも匿名でも、架空でもなんでも公開できてしまうという現実。
人間は正々堂々と向き合って、顔が見えるところで対話、交渉するのが人としてのルールのはずであるが、いろんなルールが崩れていく。
人間が生んだツールが、人間社会を破壊していく。ここ最近のあれこれを見ながら、個別の事象だけにではなく、その背景にある人間という本性に悲しみを抱いてしまう。顔の見えない、迷惑メールに遭遇するだけでも、どんな人がいったい?と首をかしげたくなる。何か言いたかったら、直接どうぞ。卑怯は許せないことだ。
正々堂々と。これが一番いい。
おかげさまで自分の周りには、世代を越えて、ジャンルを越えて多くの刺激を交換できる仲間がいる。だから、自分も止まっていてはいけない、もっとがんばらねば、このままじゃダメだ!と毎日思える。
長い時間会っていなくても、目を閉じれば、その人たちがそれぞれ、自分のフィールドでがんがん挑戦しているのがくっきり浮かぶ。いずれも「やらされている」のではなく、すべて自分から仕掛けている。悩むことも、苦しむこともあるだろうが、自分で立って必死にがんばっている。そして勉強熱心で、人生をエンジョイされている。
そんなスーパーポジティブな仲間たちが同じ世界にいてくれることがうれしい。
刺激をもらうだけ、与えるだけではなく、与え合う関係、伝え合う関係、響きあう関係。
おかげさまで、わが心友たちは、そんな人が多い。人のことをどうこう言うよりも、まず自分からという姿勢が共通している。お互いが発するパワーがあることで惹きあう。生涯、そんな友たちを大切に見守り、また見守られ、互いに自己責任の上で、楽しく人生をまっとうしたい。
親の気持ちが身に沁みる・・
昨年の胃がんの手術以来、毎朝6時を目安にメールを送り続けている。あとで口喧嘩になっても、何があっても国内にいる以上は欠かさないようにしている。
先週のフリージャーナリストの母親の会見の様子を見て、胸が痛んだ。まさか、自分はそんな方面には行く予定も用事もないけれど、もし、うちの母だったら??と思ったら、泣けてきた。そして朝のメールに「人質のお母さん、かわいそうだね」と書くと、「子をもつ親の気持ちが身に染み入ります」という返事。そうだろうな~。拉致被害者の親御さんも同じだ。罪なき、善良な人間が突然にして・・・。何十年も信じ、待ち続けるとはどんな心境か。命に代えても守りたい、なんとしてでも・・という思いが感じ取られる・・。
希望をもって、信じて、必ずいい結果になるように。
お母さんのあの様子を見たら、人の子だったら、平気ではいられない。
どんな饒舌なトークよりも、真剣な、本気の、涙の行動は人を動かすはずだ。
自己責任とわかっていても、この母の勇気を思うと子はどんなだろうか。
お母様のために、何とかと祈らずにいられない日が続く。
「袋要りますか?」「袋入りますか?」
岐阜の駅にある食品スーパーでの小さな出来事。買うモノを手にもって、レジに並ぶと、前に中南米方面の顔つきの三人組が食パンや、ファミリーサイズの食事パンを買っていた。なれないコインを見ながら、間違えないようにお金を数えながら支払いをしていた。
芳醇とか書いてあるような食パンを選んでいたので、パン食の本場の人たちにもこれらのパンは美味しいんだ~と興味深く見ていた。が、次に心配になった。最近、食品スーパーではレジ袋を有料化しており、何も言わなければ何もくれない。彼らはおそらくそのしくみを知らないので、袋をもらえない。お金だけ払って、店員さんに「ありがとうございました」と頭を下げられている。瞬間、あれ?と思った感じではあった。はて袋をくれなかったけれど、こんな大きな袋のパン、どうするんだ?という感じだ。三人とも大きなパンを買って、商品が裸の状態だ。すると、レジ横の荷物台にあった刺身や豆腐など水漏れしそうな商品を入れるロール状の透明袋の存在に彼らは気が付いた。そしてその袋をロールから1枚きりとって、そこに食パンを入れようとする。ああ、どう見てもその袋には、食パンは入らないよ~~~。彼らの行動をずっと追いかけていた私はドキドキした。
声をかけるにはちょっと遠く、ちょっと無理だ。でも気になり、目が離せない。あの小さなビニル袋に食パンをむりやり入れようとしているぞ!三人で、「これ、入らないな~」とか言い合って困りながら、笑っている。ああ、どうするんだろう~。すると、それを諦め、三人の中の一人がたまたま持っていたショルダーバッグに無理やり三人が買ったパンを入れて、そして、去っていった。そのバッグはかなり膨らんだが・・。
彼らが小さな袋に無理やり入れなかったことで、なぜかほっとした。
買い物袋の有料化はかなり定着をしてきたとはいえ、物を買えば袋はもらえると思っている人はまだまだいる。とくに外国人の人には有料化まではわからない場合もある。そこもぜひ英語などで聞いてみてやってほしい。地方にも海外の人が多数滞在する時代だ。
あの彼らは岐阜で働いているのだろうか。わがふるさとを気に入ってくれたら、うれしい。
世界の弟、妹を思う
年上の方との交流も大変ありがたいが、年下の人たちとの交流もとてもありがたい。とくに子供がいない私としては、若者たちには何か伝えたいという気持ちが強くなっているような気がする。海外に住んでいる若者が将来の夢について相談したいので、帰国したとき会いたいと毎回連絡をくれたり、かつての会社員時代の元部下が今だに慕ってくれて、会うことを楽しみにしてくれたり・・。
つきあいが長くなれば長いほど、その相手も自分も年をとり、環境も変わってはいくけれど、それでも信頼感が消えないことが一番の宝物。
今、目を閉じれば、国内外に心の弟妹が何人かいる。出会いはたくさんあったけれど、時間とともにその数も絞られてくる。
が、数の多さではなく、信頼できる心族を。
みんながいつも、元気でそれぞれの人生を歩いて、その途中で時々、自分のことを思い出してくれたら、それだけでうれしい。
ここのところ、連日そんないとしい弟、妹との再会があり、うれしさいっぱいだ。
世界のどこにいても、時間を経ても変わらない。それがいい・。
そして、彼らの夢の応援ができたら、とてもいい。
「何があっても自分の責任ですから」の言葉と、母の勇気
日本人ジャーナリストが残したビデオレター。ニュースでその活動ぶりを知り、真のジャーナリスト魂を感じるところがあった。そしてひとりの人としても、共感するところがあった。「何があっても自分の責任ですから」そう、自分の意思で、行動するのであるから、何があっても自分で受け入れる覚悟がなければ、行動してはいけない。だから、あの人の目は座っていた、目をそらすことができないほど、腹が据わった表情であると感じた。もちろんそれどころではないだろうが、本当の意味でジャーナリストとして生きる人だと思った。
今、そこに行かなければならないのかどうかは、他人からすれば違う見解ももちろんあるだろうが、その人は行かなくっちゃと思った。だから、その人の選択だ。個人の人生の責任と国家の駆け引き。ここでは書けない思いもあるが、私は自己責任で生きる人が好きだ。でも、無事に戻らないと。待っている家族のことを思うと・・。
とそんなことを思っているときに、このジャーナリストの母親の記者会見のことを知り、胸がつまる思いがした。
世間を騒がしていることのお詫びと、救出にあたってすがるような思いと訴えと・・。
社会貢献は親孝行にもつながるだろう、でもそれが危険なことであれば、親不孝にもなりかねない。
お母様の悲痛な心からの叫びが天に届き、事態が改善されることを、心より願う。
のらりくらりと生きている人よりも、正義感ある生き方を貫く人が好きだ。でも、無事に帰ってきたら同じことはしないでほしいとも思ってしまう・・。
でも、真のジャーナリストは生涯を貫く仕事だから・・・。
改めて、自己責任とは。命引き換えでも目的をまっとうすることか、人に迷惑をかけないことか。また勇気とは何か。危険省みず行動することか、とどまることか。
とにかく、とにかくお母さまの行動が情勢を変えるきっかけになることを、水面下で動いているさまざまな人の骨折りが結果を出せることを心から祈るばかりだ。
