幼い頃から一人旅が好きだった。小学高学年、中学1年には、ひとりで電車を乗り継ぎ、岐阜から横浜へ、
岐阜から大阪へ出かけ、見知らぬ都会の世界を垣間見るのが大好きだった。
世界にはいろんな素敵なところがあるもんだ~と思ったあの頃。今にいたる、ジプシーライフの
出発点はこんな経験だったかもしれない。
その私の行動を経済面で助けたのは、青春18きっぷの存在。
このお得なきっぷ、どれだけお世話になったことか。学生時代はもちろん、よく思い出すと、社会人になって
出張にもこれを使って東京~京都を行き来していたことも懐かしい。
今は、「ムーンライトながら」という車名にアップグレードしているが、東京駅から大垣へ向かう各駅停車。
それも良く乗った。夜中に乗って未明に着く。リクライニングなしの椅子。そこで出会った人も何人もいた。
さて、その青春18きっぷに最近、改めて興味を持ち始めている。
そして、久しぶりに1冊買ってみた。これを使っての移動。どんなところでどのように使おうか。
昔は分厚い時刻表を見るのも好きだったが、今やスマホ片手にの乗り継ぎだ、
青春18きっぷとはいいネーミング。その当時、18歳までしか使ってはいけない、若者だけの特典きっぷ
と思っていたが、いくつになっても青春でよいのだ。
このきっぷの話を、ある中学1年の男子に教えたら、食いついた。彼も私の幼い日に共通する冒険心をもっている
かもしれない。
いくつになっても、「どこへ行こうか」わくわくプランし、ぶらり出かけ、新たな世界を発見する旅は本当に
面白い。
新幹線だけが移動手段でない。
倹約時代を思い出し、そんな旅を今おさらいするのも、とてもいい。
「青春18きっぷください」
窓口で口にするのは、ちょっと恥ずかしかったけれど・・。
ひっさしぶりの青春18きっぷで夢に乗る。
「我慢」の二文字を取り戻す夏。
気が付けば、なんでも好きなように生きてきたような気がする。
よし、これを我慢しようとか思ったことが、もう何十年もないような・・。
我慢とは、なんでも欲しがらない、待つ、次の機会を待つ。
やせ我慢という言葉もあるが、そんな言葉も今は懐かしく・・。
私もそうであるが、もしかしたら日本全体が、「我慢」するということ
を忘れてしまっているかも。
子供のころ、
「我慢しなさい」と、よく言われた気がする。
もちろん、大人になれば親や周囲にとやかく言われることなく
自分で判断して行動するのだから、
言われることはなくなった。
しかし、
本来は、自分で自分を制することも大切。
「今日は我慢しておこう、今は我慢だ」
と、そんな日も必要だ。
ふと、モノ余り時代、飽食の今、そんなことが気になる。
なんでも手を伸ばせば手に入れられる・・・これは良くないこと
かもしれない。
我慢してこそ、手に入れたときの喜びは大きいはず。
いつから、人は我慢することを、忘れてしまったのだろう。
我慢せず、わがままになっている。
我慢、我慢。その方が人生がより楽しくなるはずだ。
今は、モノへの我慢よりも、暑さへの我慢、夏という季節への我慢が
優先課題だ。
こればっかりは、たえるしかない、それでも、その中で生きるしかない。
人間は思い通りにはならない、我慢しなければならないときが
あるんだよ。
と、このどうしようもない異常気象が、我慢を忘れた人間に
大切なことを諭しているのかもしれない・・。
ザビエルが岐阜にやってきた!

展示会場の撮影ができないため、チラシの一部を拝借する。
念願のザビエルの来岐!
フランシスコ・ザビエル直筆の書簡原本が、信長と交流のあったルイス・フロイスの書簡本とともに、
岐阜の歴史博物館で期間限定で展示されている。
実は半年以上前から、このことを知り、実際訪ねたことがないわがふるさとにて、
まさかザビエルの手紙が展示されるとは半信半疑であったが、本当にやってきたことをこの目で確かめることができた。
正直、ルイスフロイスの手紙には、GUIFU(GIFUのポルトガル読み)やNOBUNAGAの文字が出てくるが、ザビエルの文字はキレイな文字であることはわかるが、小さい筆記体でよく判読できない。スペイン語で書かれているようではあるが。
でも、これはまさに原本、ザビエルが実際鹿児島にたどり着いたときに書き、アジア布教の拠点である、ゴアの宣教師たちに日本での布教の重要性を伝えたメッセージ。ここから、ザビエルは平戸をはじめ日本各地を訪れることになるという重要な書簡だ。印刷もなかった当時は、書簡が大変重要であり、要所要所で複写されながら、広まったらしい。
今回はこれら書簡を所蔵する、ポルトガル国立図書館から担当学芸員もこの大切な資料とともに来岐した。
作品の解説を行ったクリスティーナさんに、リスボンで誕生した「フランチェスコの夢」のCDを手渡すことができた。
自分がリスボンへ行きザビエルの曲を作り、今度はリスボンから岐阜へザビエルやフロイスが・・・。。
岐阜を命名した信長の存在のおかげで、私自身不思議な南蛮の縁を改めて実感することができた。
静かな感動の対面。ザビエルは本当に生きていたのだ・・当たり前のことであるが、心新たに、
しみじみ実感したひとときであった。
「72(なに)のA」に見守られる人生。
同じ誕生日の人が、自分の近いところに3人もいると、さすがに強いご縁、運命らしきものを
感じる。
私の周りに、知るだけでも7月2日生まれの人が、3人もいる。
一人は四半世紀お世話になってきた会社殷時代の得意先であり、その後もずっと公私ともに
応援いただいているAさん。
もう一人は、私の仕事を税務面でサポートしてくださり、また音楽活動や実家のことも
応援してくださっているAさん。
そして、わがパートナーAである。
そういえば、三人とも「A」のイニシャルだ。
困ったとき、つらいとき、うれしいとき・・・さまざまな場面で共感も多く、安心できる存在。
いろんなアドバイスもいただき、助け舟を出してくれ・・・。ときには厳しさもあるが、
それはやさしさ故であることも素直に受けとめることができる。
根っこはいつも「がんばれ、がんばれ」の応援、エール。
いつも「何やってんの?」「また何するの?」「何があったの?」と
自分に目を向けてくれる。
愛とは見守りであり、心からの応援だ。
このまさに「心族」である、「72」のAたちに見守られ、次は何をしようかと
安心しながら挑戦できる。
ありがたい人たち。
ずっとずっとお元気にいてほしいと毎日思う。
顔から火が出るとき。
いやはや、人生は失敗と反省の連続だ。
やっぱり、人間は抜けているところがある。
完璧ではない。
ということを、経験を重ねるごとに思い知らされる。
今回の恥ずかしい話。
その日のセミナーを盛り上げるために、旬の話題や
その土地にまつわる話やちょっといいエピソードなど
を話して、ちょっと緊張している場の空気をやわらげようと思い、
毎度、自分なりにいろいろネタを考える。
セミナーやライブなど当日の朝に、考える。準備の仕上げ、
最後の味付けのようなもの。
その当日朝は、慣れない初めて泊まったホテルで迎える。
暑さもあって、一歩も外に出ないで客室の中のテレビの
BS放送で世界のニュースを聴きながら、その講演の内容を
仕上げていた。
「うーん、今日は何の日?」よくそんな話題も講演の本題に
マッチするので、毎回調べる。
ネットで検索したら、その日は「もつ焼きの日」と出てくる。
7月13日だったので713が「ないぞう」と読める?ので業界では
そのような記念日にしている?とか?
「ふーん、そうか」
たまたまその前々日、あまりに暑い日にぶらり、もつ焼きやに
行き、ちょっと一杯いただいたばかりであったので
暑い日の話題には良いかなと思い、今日の最初の話題に
使おうと思い、元気に出発した。
そして、その話題も含め、そのセミナーは無事終了した。
その後、地元紙の夕刊をホテルで見て、「しまった!!」と
思った。
その日は、その街が水害に遭った13年目の日だったのだ。
「ああ、このことのお見舞いをまず、何よりもお伝えすべきだったのに・・。
もつ焼きの日よりも、こっちの方が大事なことだったのに・・・」
と、ひとりで顔から火が出る思いになった。
会場を盛り上げようとすることももちろんいいが、
何をおいても、その土地にまつわる話題を先に確認するべき
だ。
その日に限って、暑さもあってか新聞を買いに降りること、
ホテルのロビーにおりて新聞各紙をチェックすることをしなかった・・
その日に限って・・・。
その報いだ。
ああ、ネットだけに頼っては最適な情報に出会えないという
こともあらためて学んだし、なんといっても、
受講者の中に、実際に13年前被害に遭われた方がいらっしゃった
かもしれないのに、大変失礼なことをした。
九州の水害のお見舞いについては触れたが、月日が経てば忘れる・・では
いけないのだ。まだまだ配慮に欠ける自分を恥じる。
いつも相手の立場に立って、寄り添ってと思っていたはずが
全然できていない。
ああ、それにしても恥ずかしい。
と、大いなる反省。
今回の学びから、次回以降、改めて相手に寄り添う
ということについて、細心をもって取り組まねば。
暑さは言い訳にならず。心引き締めてがんばろう。
一期一会のセミナーづくり。
広報チャレンジセミナーというセミナーの講師を担当する。
もう本セミナーも6回目になるか、とにかく暑い夏の皮切りの
定番行事?業務?になりつつある。
毎年、自分が担当する勉強会や相談会を利用し、広報活動を
実践、成果を出している企業の経営者や担当者の発表をして
いただく、生声で実例が聴けるセミナーということで、
おかげさまで毎回好評。講釈だけ、理屈だけ百回話すより
も説得力がある。
受講されたみなさんに、自分にもできるかな、自社でもでき
そうだと思ってもらえるのは、ひとえに発表される企業さんから
熱い情熱と可能性が伝わるからだ。
毎回、どの企業に出てもらうかの選定から準備がスタートする。
異業種やいろんな属性が違う企業を選ぶ。
そしてそれぞれの企業と事前に打ち合わせを重ねながら
発表準備を行い、自分もそれに合わせ、前段の講義内容を
再構築する。
発表企業同士の対面は、当日、本番の2時間半前。
リハーサルで「はじめまして」と名刺交換。
お互い発表者同士で少し緊張しながら、でもリハを聴き
お互いの事業内容や活動のことを知り、まず発表者同士
刺激を交換する。
ここで一体感が生まれ、そのまま本番へ。
集まった50名の受講者に、熱のこもったトーク。
セミナーは無事終了。おかげさまで今回も手ごたえありだ。
発表された企業さんのご努力のおかげだ。
リハで会った2時間半前とかなり表情が違う、ほっとした
笑顔でのワンショット。
小千谷のお蕎麦屋さん和田さん、阿賀野の瓦やさん遠藤さん、
小千谷のプレス加工の会社につとめる沢中さん・嶋さん。
気が付けば、今回はオール男子の構成であったが
これもまたよし。素敵なイケメンカルテットによる
パネルディスカッションとなった。
セミナーをつくるのは大変であるが、面白い。
毎回、一期一会を心がけたい。
やってよかった、その一言がお互いの胸に刻まれる
仕事をこれからも・・。
(と書きつつも、反省はいろいろ尽きないが・・)
環境変わっても、変わらない「本質」。
みらいさんと呼んでいるおじさま。
お友達というには、人生の先輩であるが、
心からの会話ができる人を友と呼ぶならば、この方も
そのおひとりだ。
そのみらいさんとは長崎が好き、タンゴが好き・・、印刷畑
出身・・などなど共通点が多い。
勉強家で、教えてもらえることが多くて、一緒にお蕎麦を
頂く時間は宝物。
薬味を入れず、からしでいただくとは、本当のそば通。
そう、お蕎麦はわさびでなく、からしでいただくのも
とても美味しいことを教えてくれたのは、この方だ。
そのみらいさんが1年前に病に伏され、しばらくメールも電話も
再会も叶わなかった・・・が、元気に復帰され、久しぶりに
元気なお顔を見せあった。
99歳まで現役でやりたい、との夢は今も変わらず、どんな
ことにも妥協せず、また人のことを考え、社会奉仕のごとく
仕事をされる。
「金儲けは苦手なんでね~」
といわれるのも、わかるような気がする。
1年半ほどゆっくりお会いすることがなかったが、
本当に再会を喜んでくださった。
「昨日は楽しかった~。お互い、環境変わっても、
自分という本質が変わっていないところが嬉しかったです。」
というメールをいただき、
そうだ、人生とは環境はどんどん変わるのだ。
病気で変わることもあれば、引っ越しで変わることもあれば
年齢で・・・とにかくどんどん変わるのだ。
それでも、一本貫ける自分らしさ。
変わらないのは、どう生きたいのか、何をしたいか・・の
想いがいつもあるということ。これが日々の行動に出る。
これを久しぶりに会っても、共感できるところが
何よりうれしい。
また会えますように。
なぜか、最近大切な人たちに会うたびに、
また会えますようにと念じてしまう。
何が起きるかわからない世の中だから
そう思っておいた方が悔いがないのだろう。
また会えますように。
そう思う人がいること、
そう思ってくれる人がいてくれることに
感謝して、1日を1日づつ生きたい。
どれだけ移動?本当に前世ジプシーかも?
最近、歩くときにはアイフォンを持参するようにしている。
電話やメールが気になってのことではなく、万歩計代わり。
調子いい時は1万歩以上歩いたときだ。
これはとてもいい健康管理。
一方、毎週のように激しく移動している。
最近は名古屋という拠点も加わり、その移動距離が長くなって
いるようだ。
昨日の場合。
名古屋~長野~上越妙高~十日町。まずはここが第一活動拠点。
特急、新幹線、三セクのワンマンカーを乗り継ぐ。
仕事を終えて、十日町から長岡まで・・・のはずが、打ち合わせが伸びて
電車がなくなり、知人の車で移動。
「東京や名古屋じゃないので、こういうことは日常茶飯事。気にしないで」
と送ってくれる。
本日、明日午前の長岡での仕事を終えたら、長岡から東京~都内で用事を
済ませ、そのあと横浜、さらに新横浜から名古屋へ。
という工程で1日が終わる。
だから、毎回どんな風に動くのかをかなり真剣にイメージし、段取りする。
たぶん、私の人生が終わりを迎えるとき、
「よく動いたな~」
とつぶやくだろう。
そして、いろんな旅先を懐かしく思い出すだろう。
もし、マイル計算できるとしたら、世界一周はまだ回っていないか?
でも、かなりかなり動いているような気がする。
動けるうちに、できるうちに・・・。
たまには、若草物語のように?
久しぶりに妹と二人で話す。
この年になって、生涯のことを、きちんと語れる家族の存在はありがたく、
私にとって、妹という存在は世界に一人しかおらず、
親と等しく、また同じ親から誕生したご縁という点では
大切な存在である。
と、そんなことも若いときはあまり考えたことがなかった。
「若いときから、離れて住んでいたからね。」
そう、ねえちゃんは18歳で家を出てしまったから・・
妹の大切な時期にそばにいなかった・・・。
そのことが、いい距離感にもなっていたのかもしれないが
とにかく、最近は親のことやそれぞれの人生のこともよく話す
ようになってきた。
私がこれから、どんな風に生きようか、という話をすると
とても興味をもち、一生懸命に耳を傾ける。
「やっぱり、人に喜ばれる仕事がいいね。なんでもいいからさ」
と言いながら、最近、喜んでもらい自分も嬉しかったことを
話すと、妹は自分のことのように頷き、喜びをともにしてくれる。
そう、有名になるとか、お金を儲けることよりも、
まずは、人が喜ぶこと。
このことをするのがいいね。
もしかしたら、このことは親たちが無意識のうちに教えてくれた
ことかもしれない。
そう、いくつになっても、喜んでもらえる仕事。
よかったよかった、あんたに会えてよかった。
あんたのおかげで、長生きできるわ。
と近所のおばあさんたちが、私の演奏や話を聞くだけで幸せだと
思ってくれていることだって、大きな誇り。
いくつになっても、謙虚で感謝を忘れず、
そして、
一人でも多くの方に喜んでもらえることに心と力を注ぎたい。
と、妹との会話で、大切なことを確認できたことが
何より。
ときには若草物語のように、姉妹の時間を楽しむのも
良いかもしれない。
ふるさとで、ザビエルをお迎えする?
今年は織田信長が、わがふるさとを当時の井の口という名称から、「岐阜」と名付けてから
450周年。そう、信長公は岐阜命名の父。そんなこともあり、岐阜市ではさまざまな
イベントが開催されているようだ。
周年事業とはそのときだけ盛り上がるのではなく、これをきっかけにふるさとやそれに
まつわるさまざまな人物、その貢献に対し敬意が表されたり、愛情が深まり、継続的に
想いがつながっていくと良いと思う。
そんななか、私にとっての最高のイベントが開催されるときいた。
かの、フランシスコ・ザビエルの書簡がなんと岐阜に初上陸、日本での初公開となるそうだ。
という情報を知り、その時期に合わせ、岐阜でザビエルの岐阜入りを祝することが
できないかと考え・・。そして小さな試みではあるが、実現叶った、岐阜での
ミニコンサート。
信長と直接交流する機会がなかったものの、ザビエルの布教活動、
南蛮文化の伝来は、信長に多大な影響を与えたらしい。
ザビエルの後継者である、ルイスフロイスは信長と何度も会っており、岐阜も訪問している。
ということで、ザビエルなければフロイスが来日し、信長と交流するということは
なかった・・・。
と想像と妄想を織り交ぜ、今回、ザビエルのことを書いた「フランチェスコの夢」
をふるさとで演奏。
岐阜の人にどこまでザビエルと岐阜?の縁がご理解されているかどうかはわからない
が、歴史ある城下町の歴史に新しい風が少し吹いたらいいなと思う。
もちろん今回からNOBUNAGAへの想いを書いた作品も連続演奏。
とくにNOBUNAGA TANGOは盛り上がった。
ついに、今週後半、ザビエルの作品が公開される。もうそろそろ着陸しているかも・・。
ザビエルさん、岐阜へようこそ!の想いを込めて・・。
岐阜でザビエルと会えるとは、なんという・・・幸運、奇跡。

