

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」88回目の放送は、
本日7月29日18時からです。
今回のゲストは
阿部仏壇製作所の吉田社長と、三幸の大平さんです。
楽しいトークをお楽しみください。
放送を聴いて、プレゼントにもぜひ応募ください。
愛の元気人 7月分 本日オンエアです
「大声でごめんね~」の元気が一番。
とても流行っている整形外科をみつけた。
いつも、いつも混んでいる。
足ひざ。腰が痛くなるシニア層には語らい・交流の場?
であり、若いアスリートたちが多数通う、まさに老いも若きも
頼りにしている病院だ。
とにかく混んでいる。
朝8時半から受付であるが、8時前から行列ができる。
やっと、その混雑ぶりに慣れ、いかにそれをかわしながら
うまく利用するかがわかってきた4回目の通院。
混んでいるため、待ち時間があるため、よくよく観察する。
こちらは先生の腕も良いが、リハビリの設備の充実が売りのようだ。
医療機器がかなりそろっており、しかもそれらの機器は基本、患者が
自分で操作しながら、治療する。
最初は操作を教えるが、「はい、この画面、写真撮っておいてください」
とスマホが必要なリハビリ。
セルフケアを推奨しているのか、人手不足か両方だろうと思いながら
この方法にも慣れる。もちろん理学療法士らの指導もなかなか充実している。
そんな大賑わいのリハビリ空間をさらに活気づけているのが、見た目70代の
リハビリ助手の民子さんという女性。
見た目は、私の母親と変わらないが、とにかく元気に、常連さんをはじめ
新患にも、声をかける。
うまくリハビリができているか、できていなければ手助けをしたり、
待っている人に声をかけ・・。
感動したのは、8時半の診察時間直前に、その人の発声練習が聞こえてきた。
「おはようございます。大変お待たせいたしました」
病院で、そんなことをやっている人は初めてみた。
私は民子さんをずっと注視するようになった。
「素晴らしいですね。元気いっぱいの応対で。」
と声をかけたら、民子さんは、恥ずかしがって
「大きな声でごめんね~。でも小さい声でやっててもね~」
そういいながら、私の電気治療をサポートしてくれる。
母親と同じ世代なれば、この方ご自身、腰や足も痛いかもしれないのに・・
お見事なお仕事ぶり。
負けていられないな。
きっと患者さんの多く、そしてスタッフたちもこの民子さんの存在に
いい影響を受けていることだろう。
病院を好きになる、信頼するきっかけは、こんなところから。
技術ももちろんであるが、「人」は、業界を越えて最重要ファクターである。
昔の仕事の話を聞ける、幸せ。
会社員時代の上司たちは、もう80代後半になられる。
健康状態も心配で、お会いするたびに、今度いつ会えるか
また元気に会えますようにと祈りたくなる今日この頃・・。
久しぶりに京都でもっともお世話になった元上司に
お会いする。
蕎麦をいただきながら、コーヒーをいただきながら
お互いの近況を語る。
が、どうしても元上司の口から出る話題は、近隣関係者の
消息、健康状態についてが多くなってしまう。
そんな話題から一転、昔の仕事の話を切り出してみる。
私が20代のとき担当していた、某地方銀行が発行していた
名画カレンダー。A6サイズの小さなカレンダーで2か月分で
1シート。そこに世界の名画が印刷されており、裏には解説文。
このカレンダーの見本が先日荷物整理をしていたら、出てきた。
大切にファイルに入れて保管していたのだ。コピーライターと
してやった仕事がうれしくて捨てられずにとってあったのだ。
その絵画の解説文を書いていた。
その上司は、この銀行を担当されていた時代もあったため、
その名画カレンダーについて語り始めた。
そして当時を懐かしき、いろいろ語ってくれた。
この仕事はその上司が若き日担当されたものであり。先代から
受け継がれたもの・・。
40年ほど前、名画を企業のPRに使うなんて、なんて洒落たことを
どこもあまりやっていない時代から作成していたわけだ。
著作権をうまく利用しながらの提案。今はちょっとやり方に工夫が要る
時代になったが、それでもこの名画カレンダーは、今も続いているようだ。
この名画カレンダーという仕事について、
その仕事の最初の仕掛け人について、初めて聞いた。
へえ、そんな歴史があったのか。印刷会社の歴史のなかで、
提案営業というのはもちろん昔からあったわけだ。
その仕事に自分もかかわり、今も続いていることがうれしく・・。
現役時代には聞くことがなかった会社の歴史も改めて
知ることができ、こうした話題も悪くないと実感。
改めて自分がやってきた仕事のルーツや、
歴史を知る会話はかけがえのないこと。
何より、それを語る時の上司が若々しく見えるのが
嬉しい。
次も、ぜひ、昔の仕事の話を聞かせていただこうと思っている。
人生をゆっくり見直す夏、も良し。
こんなに暑いと、がんばろう!と前を向いても
カラダが付いてこないこともある。
南国の人々が、暑すぎて、勤勉になれない・・
だから怠け者なんだ。と南国好きな知人がその昔に
笑って話していたことが、他人事ではなくなんとなく
わかるような気がする、この猛暑の連日。
こんな暑さのなか、いかに秋まで生き延びるか、
とくに親たち高齢者が生き延びてくれるかが
大切な命題であるが、世間が夏休みになるこの季節に、
今一度、自分の道について考えてみるのも良い。
そう、動きづらい季節は、立ちどまって思いを馳せたり
頭を整理して、動き出すための準備、エネルギーの備蓄を
するのも良い。
ここのところ、織田信長、フランシスコ・ザビエル、さらに
日野原重明先生、そしてフランシスコ法王、そして遠藤周作、
ゲーテ・・。
などの人物の生き様、生き方、時代背景などに触れる機会が
あり、一見、脈絡も共通点がない面々かもしれないが、私には
それぞれが参考になり、またそれぞれが私に新たな道を
示してくれているように感じる。
何をして、世の中の役に立てるか。
自分は今から何ができるのか・・。
何を発信できるのか。
夏は涼しいところで、読書をしたり、映画を観たり、音楽を
聴きながら、自分の夢をゆっくり見直すのにいい季節かも
しれない。
あまり暑いので、少しだけ前向きに・・。
言葉の意味をきちんと。
国会などをたまに見ると、日本語について考えさせられる。
同じ日本語を話していても、そこでかみ合わない空気を
感じることがある。
もっとも、国会などは会議でも議論の場でもなく、形式的な質問と
答弁であり、もともと出来上がった原稿によって基本成り立つので、
アドリブから生まれる感動などは、あまりない。
みられている、聞かれている、記録にとられていることを前提とした
不思議な「民主」的な場である。
(これは、国会に限らず、そのほかの行政での会議も同様のようだ)
その国会で、「丁寧」に行うと、約束された人の答弁。
その丁寧の実態を見ていて、ああ、日本語にはいろんな意味があるのだと
改めて日本語の深さ?を学ぶ。
丁寧に中身を話す、隠すことなく、すべてを説明するという意味ではなく
低姿勢にその答弁に丁寧に望む・・という意味だったようで、
見た目は確かに丁寧っぽい?が、中身ははぐらかしのままであった・・と
感じたのは私だけではないだろう。
いずれにせよ、ひとつの言葉でも意味がいろいろ。使いようにいかようにもなる。
期待と実態が違っても
「いや、私は丁寧に説明しました~」
ということになるだろう。
いずれにせよ、相手が求めていることに、
「丁寧に」応えようとしているか、
応えたかが大切だ。
人の言葉みて、わが言葉を見直そう。
相手にとって、どう響いているか?
この答弁の人は、AIDMAとか、AISASとか
ご存じか?
と気になる。
「ニードのある方のお役にたつ」という生き方に脱帽。
105歳の人生に幕が下りた。もっともっと110歳まで、いやもっとお元気に
ご活躍されると勝手に思っていた、医師の日野原重明先生が、亡くなった。
その後、追悼番組やいろんな情報に改めて触れることにより、
なんとあたたかな、人間的な、そして利他の心をもって生き抜いた方かと
頭が下がる。
実際にお会いしたことはないが、影響を受けたという方も多いだろうが、
私もその一人。何となく身近に思えるというのもその人のもつ、
強いパワーだろう。
先生は、よど号ハイジャック事件の飛行機に乗り合わせ、命拾いをされたそうだ。
その後、生まれ変わったつもりで、人のため、世のために生きると決心された。
お世話になった、心配していただいた方に感謝しながら、その恩を、求める人のために
生かす、尽くすとのこと・・。
ニードがある人、必要としてくれる人の役に立つことが、お世話になった方への
恩返しになるのだ・・という考え方。
素晴らしい。
そして、それを生涯やり抜かれた。
医師という仕事も、天職だったのだろう。
がん患者さんが、最後の最後まで。先生に励まされ、その生をまっとうされた・・。
人はいつか終わるものだけれど、その最後の日まで自分らしく生きることができるように
その応援を全身全霊でされてきた。
笑顔で、やさしさをもって、ときに叱咤激励をし、そして包み込み・・。
こんな生き方、できるかな。
音楽療法の普及にも貢献された先生には、その点でも強く深く共感する。
105歳まで生きたいとは思わないが、生きる以上、こんな風に人に
喜ばれるように生きたい。
まだまだ間に合う。これからでも。
先生の訃報は多くの人が悲しんでいるだろう、でも見習おうと、決意した人も
多いのでは・・。
ニードがあるところで役に立つ。
いい話、素晴らしい。
自分には何が残せるだろう、しっかり前を向こう。
日野原先生の安らかなる眠りを心より祈る。
「痛い」は贅沢、幸せなこと。
ここんところ、手の話題が続く。どうも、大変気になっているようだ。
手の作業8割以下におさえねば、と「いたっ」「いたっ」と日常の
作業をしながら、偶然目に飛び込んできた、ドキュメンタリー。
それは、生まれつき左の肘より先がない、7歳の少年の話。
彼は今、筋電義肢という装具を使い、食事や勉強をがんばっている。
サッカーの練習をお父さんとしているときは、その装具はしていない。
食事の時間になると、自然とそれを付けて「いただきます」。
残っている神経に電気を通し、自分の意志通りに義肢を動かせる
という画期的な義肢のようだが、まだ全国に広く普及しているとは
いえないようだ。
その筋電義肢を付けて、バイオリンを演奏する少女の映像をずっと
みつめる同じく、手が不自由な少女。
ああ、自分も自由に、あんなふうに弾きたい・・・
そんな少女も登場した。
みんな、えらいな。えらいな。
私は贅沢だ。
痛いということは、「ある証拠」であり、生きている証拠だ。
痛みを感じることは、苦痛と思いがちであるが、
見方を考えたら、幸せなことだろう。
あの純粋な、明るい少年たちの暮らしぶりを見て、
痛いぐらいで気にするな~。
と自分に叱咤激励。
生きているだけで幸せ。動けるだけで幸せ。
そのことを、改めて忘れてはいけない。
「お手て」も夏休み。
「・・・・手のひらを太陽に透かしてみれば・・・真っ赤に流れる僕の血潮」
という歌詞で合っていただろうか・・。
子供の頃に、習った唱歌。
このポーズを日頃することは、まずないが、改めて手の存在を最近、考えることが
多い。
持つ、握る、掴む、ひねる、回す、書く、描く、打つ、投げる、挟む、つまむ、
支える、運ぶ、拾う、開ける、締める、受け取る、切る、斬る、洗う、混ぜる
叩く、混ぜる、潰す、絞る・・・
手の仕事はあまりに多い。
日々のいろんな動作のほとんどは、手に依る。
手がなければ、できないことが多い。
起きている、生きている時間、手のおかげでいろんなことができる。
手が故障して、手の存在感、手の仕事についてつくづく考えさせられる。
お医者さんが言う。
「まあ、使い過ぎだわ。」
そう、そのとおり。
手を使わない工夫をせよ。というのが目下の課題。
でも、生来の貧乏性である私は、いつもちょこちょこ動いてしまう。
頭も手も動かさずにはいられない。
しかし、最近は、手に負担がかからない工夫をしなければと
さすがに思っている。
暑い夏だ。
手も少し休ませて、ゆっくり読書でも、図書館でも・・。
と思うと、
今度は、目も疲れていることに気づく。。
本当の意味で、夏休みが必要なお年頃だ。
忘れていた勲章のおかげで・・
時々、自分の名前をネット検索して、自分の見られ方を確認することも
大切だ。といいつつ、ほとんど熱心にはチェックしていない。
そんなに特別変わった現象があるとは、思っていない面もある。
久しぶりに自分の名前が出てくるページをざっと見てみる。
奥深いところ、言い換えればヤフーの10ページ以上先などは
見ることがほとんどない。
そんなところをちょっと見ていて、驚いた。
なんとまあ、ある楽器メーカーの音楽コンクールの
受賞者リストが出てきたのだ。
今もやっているのだ。もう50年も続いているんだ。
その歴史、存在にまず感動、そしてずっと忘れていた子供時代が
ぼんやり浮かんできた。
確か、そのコンクールの全国大会に小学校1年か2年に最年少?で出た
記憶はおぼろげにあるが、そのあとは全く忘れていた。
このネット検索で出てきた「今尾昌子」の名前は、1978年の受賞者名簿
にあった。銀賞のところに、確かに名前がある。
http://competition.kawai.jp/winner/list.html
カワイ音楽コンクール
約40年前の話・・。
そうか、全国大会で銀賞をとっていたんだ。14才の夏か。中学生か・・。
だんだん記憶が戻ってくる。
もしかして弾いた曲のひとつは、ハービーハンコックの「カメレオン」だったかも
しれないが・・もう遠い世界だ。
でも、このリストにはきちんと今も名を残している。
・・・
と、ある夜、何気なくみつけた自分の過去。
そう、幼き日の勲章だ。
確か、もう1社のコンクールでも同じように全国大会へ出場していた。
中島みゆきさんが、「時代」でデビューされた頃に重なる。
ああ、そんな時代もあったねと・・。
思わず笑みが出る。
私もがんばっていたね。子供の頃の方ががんばっていたかもしれない。
と思いつつ、
これからの私も、もっとできるかもしれない。
と、ネット検索で偶然みつけた、幼き日のわが勲章で、ずいぶんと
モチベーションアップした。
よし、次の勲章を目指していこう。
もちろんこの勲章とは、世間が目指すそれとは意味合いを異にするけれど。
左って、こんなに大切だったんだ。
実は、ここんところ、左手の腱鞘炎が思った以上につらい。
腕時計にあたるだけでも、激痛を感じる。
右手首が痛いときは、右手の方が、利き手なので不便だと思っていた。
確かに右手が痛いときは、字を書く、髪を乾かすなど、細かい動きには
激痛が走り、困った1年。なんとか耐えてきた。
左手がその分、がんばってくれたせいか、ついに左手に痛みが移った。
悲鳴を上げたのだと思う。
そして、左手の大切さを改めて知ることになる。
箸をもつ手は右であるが、茶碗を、カップをもつのは左手で、
いつも
右手を支えるのが左手で、結局はどちらも主役、どちらもなくてはならない
存在なのだ・・。両方痛くなって、それぞれの手の存在について
いかに人間の行動に手足が大切かを痛感する。
世の中、存在するものには、すべてそれぞれ大切な役割がある。
もちろんどちらかが不便になったら、どちらかがあれば何とかできる。
そういった相互助け合いをしながら、全体バランスをとりながら
人間はある力を使って生きていくのだろう。
痛みというのは黄信号を示す五感のひとつ。
気を付けろ。少し見直せ、安め、止まれ。
このキーボードを打ちながら、結局は両手で打っていた
ことを痛みとともに感じる。左はいつも右を支えていた。
気づかないうちに、左がとっても活躍してくれていたのだ。
右と左は一体。大切にしよう。一応、ピアニストでもあることだし、、。