いいとこ探しを続けよう。

どんな人にも、見る角度や方向、時間、場所、相手によって
見え方が違ってくることがある。
当然だ。人はそんなもの。多面的である。
そして、受け取る側の問題もある。
相手のいいところを探そう、みつけようと接すれば、それが見える。
心の底で疑心暗鬼になり、疑って見つめていると、おのずとマイナスな
印象をもつことになってしまう。

せっかく出会い、一緒に仕事をしたり、何かを共に取り組む相手であれば
大切なパートナーだ。
だから、なるべくその人のことを多方面から、俯瞰してしっかりみつめ、
その人のいいところを探し、そこを活かすようにすればいい。

コミュニケーションは宝さがしの旅でもある。
ある知人は、毎年年賀状で「いいとこ探しの冒険」という言葉を
掲げているが、それを見るたびに背筋が伸びる。

どうせ会うならば、話すならば、本音で気持ちよく話したい。

そのためにも、いいとこ探しをしよう!
それが見つかると、その人のことが好きになる。
せっかくのご縁、大切にしたい。

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今、できること。知恵を出す。

このグローバリゼーションが、今回のウイルス感染拡大の要因のひとつになっている。感染予防のため、世界をつなぐ移動手段は、シャッタアウトされ、航空業界は壊滅的な影響を受けはじめているようだ。本当に前代未聞、こんな見えない敵に世界中が翻弄されるとは・・。
一方、このグローバリゼーションの加速に貢献しているのが、インターネット。
この情報インフラは、ウイルスのごとく、情報を瞬間に世界に広げることとなった。
今回のウイルス情報の拡散は、いい面、よくない面両方あるが、ネット社会だからこそ、今できることも多くある。

たとえば、イタリアの歌劇場からのメルマガ。この期間も、活動休止はしない。皆さんは、WEB上でオペラを楽しんでください。とその動画へのアクセス方法を伝えている。それが一日だけでなく、期間中ずっとやっているということだ。
演者にしてみれば、せっかく練習してきたので、出来る方法で観てほしいというのが一番の願いだろう。
ニューヨークでも、ミュージカルに取り組む高校生の卒業発表会がコロナで中止になったが、それをYOU TUBE上で見られるように支援する俳優がいる。という話題もあり、今、人が直接交流できないから、ネットは有効ということだ。
なんとも皮肉でもあるが、現時点での対応としては、とても素晴らしく、参考にしながら、今できることを、従来のアイデアにとらわれず、やっていくことだ。
国などに頼っていても、それを待っていても、解決にはならない。まず自分ができることは、と真剣に考えてみる。
必ず手はある。

グローバリゼーション。これは今後どうなっていくのだろう。

世界の分断の波が、こんな風に押し寄せるとは。

過剰な交流。これについても考える貴重な機会なのかもしれない。

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今こそ、想人。

ずっと療養されている知人。15年近いおつきあいになろうか。
今、その人のことをずっと思い続けている。

同じ女性として、心から尊敬できる真のキャリアウーマン。素晴らしいリーダー。素敵な女性。人生の大先輩が広報の勉強会に来てくださって、そこから10年以上かけて、公私のお付き合いに発展した。
本当に何でも相談できた。人生を勉強させていただいた。私の音楽も気に入って、応援してくださった。いつもお会いするときは、笑いが絶えず、お互いのパワーを交換した。

ある日、病気を告げられた。今も忘れられない。新潟のある駅の改札の前で・・。一瞬、うつむき、肩寄せ合って「頑張りましょう!」と励まし、涙を流した日から約10年。

持ち前のバイタリティで病気のこともよく自分で調べ、積極的に治療をされた。抗がん剤との戦いも続いた。元気になると連絡を取り合い、外出できるときはお茶したり、食事も。ただ、食事の回数、ご一緒する回数、量は次第に減ってきた。治療や療養で外に出られない時は、心ばかりのお花を送った。

一昨年、念願の地元でのコンサートを地元のみなさまのご協力をいただき、実現。大盛況で終わることができ、その方は私がその人のためにつくった曲「想人」を演奏すると、客席で涙を流しながら、聞き入ってくれた。
「これで、思い残すことはないです。これから冬眠します」
と言われ、再び治療に・・。

それから、もう抗がん剤はやめます。と連絡いただいたのが1年ほど前。
もう苦しいのは、痛いのは嫌。もう最新の治療もいい。
自然に生き、そして最後が来ても・・・。
との選択。その決断に納得した。本当につらい日々を長く生きてこられた。
その挑戦が心痛くもあったから・・。

それから、昨年、一度だけ、お茶をご一緒した。
その後、モノとメールでのやり取りだけが続いた。

雪が降っている間は無理だから、春になったら会いましょう。
そんな約束をしていたのに・・・。

コロナの影響で、面会謝絶となったとの知らせ。
「もうお会いできないかも・・・。コロナのせいで、妹たちにも会えません・・・。本当にいろいろご心配かけました。コンサートのことなど思い出しています。どうぞ幸せに過ごしてください・・・」
と、こんなメールが届いてしまった。

「ダメですよ。もう一度お会いしますよ。想人」とすぐ返信するが・・・。

もうお会いできないとは信じたくない。

コロナの影響で、こんな人生の瀬戸際にいる方がいる・・・。

会えない代わりに・・・と願いをかけてお花を贈る。
祈っている。その人のことを今朝も想っている。
もう一度会いたい。でも、私より先に、妹さんたちに逢えることを
心から願っている。
コロナ・・・こんなところまで・・・。

歩きながら、「想人」を今日も歌う、歌いながら、歩く。

もう一度、会いたい・・・。

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夢膨らむ、世界広がる心の旅。

少し時間ができたとき、心を開放したいとき、出向く場所。

セカンドプレイス、サードプレイスという表現があるが、自分をときにリセット、時にリボーンさせてくれる場所。一人で訪れるのがいい場所だ。それは人によりさまざまであるが、私が最近気に入っているのが名古屋市内にある楽器店の楽譜売り場だ。小学生時代、毎日のように通ったレッスン場があるビル。
そこの音楽教室フロアに半世紀前に通っていた。今は、その下の楽譜売り場。
そこに行くと、子供の頃から親しんだ曲、試験に演奏しなければならなかった曲、ニューヨークや京都などのコンサートで聴いた曲・・・。ピアノ曲からオーケストラ曲まで、そして楽譜だけでなく、音楽に関する書籍もある。
銀座の店舗に比べれば、規模は大きくないけれど、散歩しながら行けるというところ、またすいているため、ゆっくり過ごせるのもいい。
本好きは人が、書店に行く、図書館に行くのが好きなように、私はそちら以上に楽譜売り場が好きだ。
気になった曲の楽譜を見ながら、いろんなことを思い出す。そして、また弾いてみるか、よし、これに挑戦するか。と決めた楽譜を選んで買う。
たくさん買っても練習が追い付かないので、今は一回につき1曲と決める。
昔は、難易度が気になっていたが、今はきれい、美しい、心にしみるかどうか。

最近は、各作曲家が作っている同じタイトルの曲を弾き比べという楽しみもみつけた。たとえば「舟歌」。主にはベネチアのゴンドラをイメージするが、
いろんな作曲家が描いた舟歌を聴き、弾き、心のイタリア旅行を楽しむ。

メンデルスゾーンの舟歌はあまりに有名、ショパンはちょっと練習が必要。今回はチャイコフスキーの舟歌の楽譜を入手することに。

名曲アルバムで聞きほれた名曲だ。

そんなこんなで、今、飛行機に乗るのはちょっとリスクがあるため、こんな風にして心の旅を楽しむ。仕事の合間をぬったわずかの時間、そして楽譜はワンコインでも買える。

ついでに、ベートーベンと世界史の本も購入して・・。
人は心の旅ができる。これはWEBの世界とも違う、私の心の奥底に広がる一人旅だ。そんな時間がとても、気に入っている。

こんな時こそ、こんな時だから。日々の楽しみ方を工夫したい。



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窓を開け、歩きながら。

新型コロナウイルスの影響が、世界中に広がり、とくにEU各国は大変なことになっており、移動制限が地球規模で行われている。まさに世界中が非常事態だ。

外出できない、じっとしていないといけない。
移動の不自由は、ほんとうにしんどい。

そんななか、イタリアの人たちは、窓を開けて、歌を歌っているとのことを知る。

しんどいときこそ、つらいときこそ、歌う。みんなで歌う。さすがラテン系、
さすがイタリア人だ。
20世紀後半の映画のようだ。
歌うことで、つらさも忘れ、明るさや元気が戻ってくる。
みんなで歌えば楽しいということだろう。
カンツオーネの国は、さすがの文化度だ。

日本では窓を開けて歌うなんてことは、なかなかなさそうだが、

私は歩きながら歌うのが好きだ。

とくに最近は人混みから逃れ、マスクを外したときに、深呼吸とともに歌を歌う。気持ちいい。但し、あまり大きな声を出すと、振り向かれるので、
時々、ボリューム調整をして・・。

歩きながら発声練習は一石二鳥であり、心もほぐれる。

桜の花を愛でながら、散歩をしながら、お歌はいかが?

聴きながら歩いている人は多いけれど、歌うともっと爽快だ。

窓を開けて歌うなんて、ロマンチック。

ソーシャルメディアでも歌ってコロナに立ち向かう人が増えている。
歌いながら、早く元通りの生活に戻れるように!

歌は、心の友達だ。




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喜怒哀楽で生きる。

新型ウイルスの影響は、社会のすみずみにまで及んでいる。
たとえば、高齢者施設。
高齢者にとって危険なウイルスであるということで、お年寄りが楽しみにしているデイサービスも休業になり、外出も禁止。
動くのが好き、それを楽しみにしているお年寄りにとっては、いきなりの監禁生活になり、かなりのストレスになる。
これは、急に学校が休業になってしまった子どもたちと同じだと思う。

施設入所者にとってのストレス・・・。
ほどほど元気な状態で、自宅でもない空間で、外気に触れることができない生活が続くのは・・・。
そんななか、ちょっとしたことをしでかす。
それを家族が知り、施設に駆けつけ、本人に対して、つい怒ってしまう。
「なんで、そんなことするの!もう絶対せんといて」
などなど、施設にいることを忘れ、自宅でやっていたような家族での言い合いが
始まる。
その様子を施設の人がじっと見ている。

この家族喧嘩?もしばらくしたら、おさまる。

そして、最後は普段通りになり、笑って帰路に着く。

あとで父から何事もなかったように
「今日はありがとう」
と、珍しく電話が入る。

ウイルスのせいで、監禁状態になり、家族の面会も控えめだったこと、
デイサービスなどの活動が休止だったこと、
外出ができないこと。

などが重なって、年寄りのストレスが倍増する。

元気な人は行動を自分で制限すればよいが、いわゆる社会的弱者は
普段以上に不自由になってしまうのだ。

コロナウイルスの影響で、親のストレスに触れ思ったこと。
喜怒哀楽がある人生が、ストレス解消になる。閉鎖的な毎日を送ると
それもなくなる。

喜怒哀楽。それが人生。怒りや哀しみは少ない方がいいけれど
それがあるからより一層、喜楽がありがたく思えてくる。

まだ、家族で喜怒哀楽の瞬間を共有できることは幸せか。
小さな人生のこのイベントをいくつもいくつも過ごしながら
いずれは終わる日を想像すると、なんともいえない気持ちになる。

だから、今 逃げないで向き合う。
父も耐えてがんばっている。

生きるとは・・・試練であり、なんだろう。
まだ、やっぱりわからないままだ。

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惜しまれる死を。

超高齢化社会の現実は、深刻すぎる。知らなければ知らないで済めばいいが、
そればっかりは選択できない。
おそらく親が長生きすると、その現実と対峙しなければならなくなる。
長生きとは何か、人は何のために生きるのかについて、改めて考えさせられる
ことが多くなる。

人はなぜ長生きしたがるのだろう。
そもそも、個人的にはそれが永遠の疑問だ。
今を一生懸命生きれば、やるべきことをやりつくせば、毎日満足いくように
がんばれば、いつ終わっても悔いがないのではと思う。
なぜ、単に長生きするための消費、努力をするのだろう。
他にやることあるのではと
思うのは、自分がまだ?若いせいだろうか。

もし、長生きしてしまう場合、周囲に迷惑をかけないようにしなければ、
最後は孤独な死を迎えることになる。どうせ生きてしまうならば、
そうならないように、その努力は必要。

と、最近、周囲を見ていて、そんなことを強く思う。

生きるならば、最後まで一生懸命、出来る間は精いっぱい。

無駄に生きては、周囲の迷惑になる。

一生懸命生きれば、惜しまれる死を迎えることができる。

今から全方位的に、人生を見つめ直し、自分の向かう方向はこれで

良いのかと思ってしまう。

何のために生きるのだろう。生きるならば、誰かの何かの役に立ちたい。
死ぬことが選択できないこの世。なかなか、ままならぬ。
人間は、結局は不自由な存在か。
とにかく、いつかどうせ死んでいくならば、惜しまれて、
送られるようにしなければ。
これは決して、暗い話ではなく、前向きな生き、
幸せな一生を生きるために必要なこと。

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コロナニマケルナ作戦に挑む

うれしい報告が入った。

2月後半にお会いした企業さん。さて卒業式がんばらねば!とその活動報告を受け、もっと予約とれるようにと、いろんなアイデアを出しあって・・。と言いながら頭のなかで、すでに中国で感染が広がるウイルスのことが気になり、卒業式って大丈夫かな・・。不謹慎かと思いつつ、「卒業式まさか中止にならないと思うけど、そのことも想定しておいた方がよいかも?」それまで元気いっぱいであった社長の顔色が曇った。しまった、まずいことを言ったかも・・・。
でも、元気にがんばろうと握手をして別れ・・・その後、ウイルスは感染力を増し・・・。イベント中止という話題、報道に接するたびに卒業式のことが気になり、彼女にメールで「卒業式大丈夫ですか?もし、中止になっても、衣装着て写真とって・・という卒業写真サービスやったら?で、それはぜひプレスリリースも忘れずにやった方がやったら?」などのメッセージを入れたら、確かに予約キャンセルが続き、その対応に追われているという返事。
しかし、彼女も先月会ったとき以来、卒業式中止対策は考えていたようで、卒業写真企画は進めていた。そして私がすすめたリリース配信も、こんな時期に面倒であっただろうが、「やれることやってみます!コロナなんかに負けていられせん!」と返信があった。さすが!そのガッツが最高に頼もしい。ひたすら、なんとかうまくいくようにと毎日、イベント中止の情報を横目にこの会社のことを思い、応援し続けた。
そして、報告のメールがきた。
卒業式が中止になった人のための卒業写真サービスの企画。リリースも出したところ、早速地元紙にも掲載され、予約の電話が続いているという。
落ち込んでいた方たちが、元気になった、明るくなったと、感謝されているという。そしてその撮影会には、地元テレビ局も(NHKも含め)取材が入るという。これまでもこちらの会社には広報活動をがんばってもらい、メディアには何度も出ていただいたが、これが一番大きい反響かもしれない。
「一過性にならないように、きちんとやりますね。リリース!と背中を教えてくださって本当にありがとうございました」との言葉をいただき、こちらも久しぶりに心の中に青空が広がった。
ピンチになればなるほど、人は知恵が湧くはずだ。そして行動した人が必ず成果を出す。まずはこの撮影会。本日が1回目。無事に安全に実施されることを楽しみにしている。全国版で放映されるといいな・・。
コロナニマケルナ。

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地域に生涯を捧げた、報道人への思い。

東日本大震災から9年。忘れてはいけないこの日。東北の知人たちにエールのメッセージを送る。コロナ騒動で、こちらのことがあまり取り上げられなくて、しかも記念イベントも自粛で、、、。せっかく復旧したと思ったらコロナのせいでキャンセル続きで・・。との返事などをいただく。
そして、以前、被災地でのチャリティコンサートや寄付の件などでお世話になった地方紙にもメールを送った。
しばらくすると、その新聞社から返事が来た。交流いただいた社長さんご本人からの返信かと思ったら、当時、コンサートの取材をしていただいた記者の方からであった。お久しぶりである。
3月11日のメッセージに感謝されたあと、実はこの1月に社長が亡くなったとのこと。
へ?うそ?まさか?
そろそろ会いに行かなくちゃと思い、以前いただいたお手紙の文字を懐かしく拝見したところであったのに・・。
昨年までは年賀状も来ていた・・・。ああ、そうなんだ~。
なんだか、悲しみが一気に押し寄せてきた。
お聞きするところによると、震災が起きる前に、会社を高台に引っ越ししておられ、会社自体は壮絶な津波が町を襲ったときも被災を免れ、甚大な被害を被った地元に向け、必要な情報を毎日流し続けたという。思い起こせば、お会いしたのは二度しかなかったが、「マーサさん」と呼んでくださって、コンサートのことも、ささやかな寄付のことも面倒な顔ひとつされずに、いろいろ面倒見てくださった。
最後にいただいたお手紙は、お母さまが亡くなられて寂しい・・と書いてあったものであった。そうか・・・。
被災した地元に心を寄せておられたこの方、どんな気持ちで生涯を終えられたのだろう。
メールをくださった方によると、まもなく娘さんが後を継がれるそうだ。

震災があって出会った方。いつでも会えると思っていた自分を悔いる。
地域に根差すメディア。この存在こそが、大切であることを教えていただいた。心からご冥福をお祈りし、地域にとことん根差した勇気と愛に満ちた、報道人として、その生きざまを、心から敬意を表したい。



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毎日同じことの繰り返し。

コロナウイルスの影響で、各種イベントが中止・延期になっているこの1か月。
とくに仕事もなく、時間にゆとりがある元気な年寄りにとっては、小さなイベントが日々の楽しみだ。それがないと、毎日医者へ行くぐらいの用事しかなく、母親いわく「毎日、同じことの繰り返しだ」という。
ま、学校もなく、仕事もなければ、結局は毎日の暮らしはそんなに日々変わり映えしないのかもしれない。


そこでふと、先日のライブで歌ったロシア民謡の「一週間」を思い出す。
あの曲は月曜日に市場に出かけ・・・ではじまる、懐かしい曲であるが、
1日ごとにそんな大したことはしていないのだ。
友達がやってきた、翌日、かえった・・・。
人生、ゆっくりでいいの?そんな人生あるの?と歌ったときは思ったが、
もしかしたら、いろんなイベントがなくなると、
人生はシンプルなのかもしれない。
だから、小さなことをみつけ、1つ1つやればいい。そして「一週間」の替え歌を作ってみたら楽しくなるかも。
月曜日に掃除機かけて、火曜日に生ごみ出して、水曜日に新聞整理、木曜に古本整理、金曜にお風呂を洗い、土曜日にアイロンかける・・ま、こんなゆったりも実際はできないけれど、そんな風に、今日のイベントを自分で決めて、それを改めて楽しめばいい。
俯瞰でみれば、人生は同じことの繰り返し。でも、どうそれを工夫するかで人生の輝きは変わってくると思う。
しょせん、人は生まれて、生きて、死ぬ。その間をいかに過ごすか。
工夫次第で、毎日はもっともっと楽しくなる・・はず。

何よりも、生きていること自体を楽しめたら、いい。

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