昼さがりの新宿同窓会。

東京といえば、新宿がもっともなじみ深い。
23年間、住民として暮らした町でもあるし、新宿にまつわる出会い、おつきあいがいろいろある。
とくに、「夜の街」などの呼称?も失礼な感じで付けられていたが、そうではなく、新宿の歌舞伎町は私にとっては、銀座以上になじみがある大人の街。
とくにゴールデン街は、興味深い場所であった。
その一角にあったスナックのママ。先代から受け継がれた、いかにもゴールデン街にふさわしいカウンターだけのお店。
人に初めて店に連れていってもらってから、あれから、30年以上の月日が経つ。
歌舞伎町に行きつけの店がある・・・なんていいながら、不思議がられながら多くのお客さんをご案内した。とにかく、いろんな思い出がある。
新宿といえば、住んでいた神楽坂と同じぐらい、歌舞伎町は思い出がいっぱい。
そのママとは、今も変わらぬ交流がある。
コロナ見舞いにと送った手紙がきっかけで、何年ぶりの再会となった。

せっかくなので、とやはり新宿となじみの深いジェントルマンもお誘いし、
三人で、新宿同窓会の開催。
その紳士は、学生時代新宿に住まい、そして夜の街もよくご利用の時代があった。
もうそれぞれ年を重ねたが、
それでも、新宿組はなぜか元気だ。

昔の飲み屋文化を懐かしみ、昭和の時代を思い出し、いつまでも変わらない新宿愛もかみしめた。

いろんな同窓会がある。
同じ時期、同じ場所で関わり、そして縁が切れないでいる関係。
久しぶりに会えばいい。久しぶりにあっても、すぐにつながる。通じる。

いろんな町の同窓会ができるのは、幸せなこと。
まずは、新宿から・・・。

すでに10年以上前に店をたたんでいても、いつまでたっても元ママを、「ママ」と呼びたくなるのも、新宿らしい。

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秋に、人生の四季を考える。

この1年間、親のことに割く時間が増えている。
ほんとうに長寿社会は何だろうと考えさせられる。
自分で決められない、予定どおりにいかないことが、
自分のことと違う点だ。
ときどき、何のためにそれをしているのか?
それがいつまで続くのだろうか?
ということを考えさせられることがある。

そんなときには、こんな考え方をしてみる。
日本には四季がある。
自然界では、今のところ、四季が繰り返される。
そして今年も秋がきた。
一方、人生にも四季がある。
でも、一度の人生のなかで、この四季は1回切り。
おそらく、私も秋にさしかかっているだろう。
親の世代は、もう冬の時代だろう・・・。
春が来ない冬の時代を生きる人たちのサポートをし、
その人生の四季がそれぞれにとって、ああよかった。
と、思えるように。いい人生だったと笑って和やかに
終わっていけるように、
そのための、ちょっとだけ自分にとっては、
意味のない時間をつきあう。
このこと自体、意味があると思いたい。

人生の四季のお手伝い。
秋という季節になると、心もおだやかに深く考えられる。





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みんなでつくる、新時代の芸術の秋。

コロナがもたらしたことは、決して悪いことばかりではない。
と、思うことが増えてきた。いや、そう思うようになってきた。
もちろん困ることも多いけれども、それを嘆いていてもつまらない、
何もはじまらない。
どうせやるなら、今できることをやる。
予定どおりできないとしても、考えて今できるカタチでやる。

障がい者アートの取り組みを数年サポートしてきている。
障がいをもつ皆さんが描かれる素敵な作品を、町のいたるところで
楽しんでいただけるように、それが彼らの仕事になるように。
そんな思いで作品展を企画、開催に向けて応援を続けてきた。
今年はパラリンピックもあり・・・ということで、作品公募を行い
その時期に東京のお店で展示する企画を考えていたが、
コロナでそれが実現難しく・・・。どうなるか?どうするか?と戸惑いの半年が
過ぎた。

しかし、そこで、やめよう。とはならなかった。
少し時期をずらしてオンラインでの開催となった。
店舗で作品を展示することは、お店が元気になり、そこに
集うお客さんも、働く人も元気になる。新たな交流が生まれる
そんな良さがある。
一方、オンラインで開催すると、お店に行かなくてもいつでも
どこでも楽しめる。世界中の人が見に来ることもできる。
それぞれの楽しみ方がある。

今回は公募で選定された作品たち114点が、オンラインで楽しめる
こととなった。
そして、店舗では飾れないが、せっかくの公募作品であるから、その一部を
オフィスで展示することになった。
会社にアートがあることで、社内が活気づく。
「会社が美術館みたい」「大作ぞろいで感動した」「社内で毎年やったら
いいのに」・・・いろんな声をいただく。

オンラインもリアルも。
コロナの影響で、当初の企画と全く違うスタイルでの実現となった
MOSごと美術館。
ドタバタ準備を切り抜けて、コロナに負けず実施できた喜びが湧く。
そして、今回、とてもうれしかったのは、この作品をオフィスで展示する際に
その作業に障がい者の皆さんが関わってくださったこと。
一緒に作品展示を行うことができ、かけがえのない時間をもたせて
いただいた。彼らの純粋さと作品に向かうまっすぐな仕事ぶりが、とてもうれしく、また刺激もいただいた。いい思い出になり、お互いのチャレンジとなった。
デジタルであれ、アナログであれ、アートがあることで喜びや楽しみが
生まれる。新たな交流が生まれ、みんなが元気になる。そんな芸術の秋。

コロナだからできたこと。のいい事例と思う。

MOSごと美術館2020 オンラインで10月1日より開催
新時代の芸術の秋、オンラインではあるけれど、作家のみなさんのいきいきとした感性、豊かな表現力をぜひお楽しみいただければ・・・。

MOSごと美術館特設サイト

https://www.mos.jp/cp/mosgotobijyutsu2020/

MOSごと美術館 リリース

https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_201001_1.pdf

MOSごと美術館2020


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客として出会い、つながりは永久に。

脱サラ以後、出張も増えることになり、あるきっかけで利用しはじめた、あるホテルチェーン。アメリカが本社であるが、もちろん国内にも多くのホテルブランドを有する。
昨今、ホテル業界も再編成がすすみ、そのチェーン名も変わり、傘下のホテルもずいぶん変わったが、ずっとお世話になってきた予約係の担当者がいる。
その方とのおつきあいは、もしかしたら十数年かもしれない。前任者も含めれば、20年近いおつきあいになると記憶する。
メール1本で、予約からさまざまな問い合わせやリクエストに対応いただいたり、変更、キャンセル、さまざまな無理も随分言ってきた。メール対応のため、顔こそ見えないが、どんなときも丁寧に対応してくださった。
基本はメールだけでのおつきあい。急ぎのときは電話。そんなまさにオンライン基本のおつきあいであったが、私のなかでは、そのホテルチェーンがある限り、その担当者はいるものだと思い込んでいた。自分のなかでは、そのチェーンの予約係といえば、イコールその方であった。
月日は流れた。そして、このこのたびのコロナの影響で航空業界やホテル業界の苦難を知るにつれ、大丈夫かなと気になってはいたが、おいそれといって、今、海外にも行けないし、国内出張もやっと最近再開したところ・・。
そんなところ、その方から届いた1通のメール。
なんと、退職のお知らせであった。しかも9月末日。メールが届いたのはその前日。
ついに来てしまったか・・・。残念すぎる・・・。
思わず、予約専用ダイアルに電話する。今日はその用事ではないが・・・。

メールでのお礼、ご挨拶ではなく、やはり生の声をきき、話したかった。
お礼を伝えたかった。
これまでお世話になったさまざまな思い出がよみがえり、電話口で涙声になるほど感謝の気持ちがわいてきた。NYの同時多発テロのときのホテルキャンセルやさまざまな手続きを遠隔でサポートしていただいた時代のことなど、そのホテルチェーンとの思い出が蘇る。
「たったひとりのお客としての出会いでしたが、これからもぜひおつきあいくださいね」とお伝えでき、喜びのお返事をいただく。

サービス提供者とお客。ほとんどのケースは退職やそこを利用しなくなるとそれで関係が終わるが、わが人生では、最初、客としてはじまったつきあいも、その後長きにわたり続いていることも多い。ホテルマン、エステの方、飲食業・・・。サービス業のお仕事をされている方とのきっかけは多く、またいい出会いも多数いただいてきた。人生の大切な宝である。
今回のこの方とも、これからをきっかけに、改めてつながっていたいと心から思った。

今年はコロナをはじめ、さまざまな変化により、出会いや別れも多いかもしれない。でも、大切な人とのご縁をデジタル的には終わらせたくない。
余韻を大切に、大切につなげていきたい。

Gさん、長らく本当にありがとうございました。
ホテル業界に興味をもてた原因のひとつは、間違いなくその窓口対応の質の高さにあった。窓口は常に会社を代表するのだ。入口が良ければ全てよし。

京から10月。新たなはじまりだ。WITHコロナで深まりゆく秋をポジティブに。
コロナを越えて、つながりたい人との関係を大切に・・・。

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季節の便りが人を励ます。

細い糸でつながっているご縁がある。
長崎の被爆者ホームで出会ったある青年だ。
マンガを描きながら、介護職についているという。
実は一度しかお会いしたことがないが、その後ずっと年に何度か
便りでの交流が続いている。
とどく便りのひとつが、なんと季節のお届けもの。
長崎でとれた旬の味をおくってくださる。
今回も、レターパックに生栗が入って届いた。
毎回、こんな細い糸のご縁の者にまで申し訳ないと思いつつ
喜びが湧いてくる。
早速、長崎の栗をゆでてみる。
長崎の山々の風景が浮かぶ。どんな所にある栗の木かな。想像が膨らむ。
前回はキウイを送ってくださった。
彼とは、ほとんど便りだけのおつきあいなのに、思い出していただき
忘れずにいてくださって、ありがたい。
あるご縁で出会った何年か前のことを思い出し、そろそろ会いに行かないと・・。そして栗のお礼は何にしようかと考える。
間違っても栗きんとんではないな~と思いながら・・・。

早速、いただいた栗をゆでて、京都の仲間たちにおすそ分けをした。
みんなで秋を感じるひととき、なんともいい。

デジタルの世の中になろうとも、直に季節を感じることができるのはこの
上ない幸せだ。

秋がきて、コロナの傷が癒されている感じがする。
二波、三波がきませんように。



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「よう、考えてるな~」それが企画。

世の中全体が、コロナ対応にも、慣れてきた感じがする今日この頃。
さまざまなコトが再開、生活が仕事が普段モードに戻れるのはありがたい限り。とは言っても、完全な元通りにはならないこともわかりつつ、この新たな時代を
どう生き抜くのかがそれぞれの課題である。

そんななか、文化的、エンタメ的なものといった不要不急ではないと言われれがちな業界にも、活動再開の灯がともってきた。
映画館はまだ厳しそうだるが・・・。
そんななか、応援している大阪の寄席に久しぶりに立ち寄ってみる。
どうやら、席数を半分に減らし、十分に対策を講じての寄席再会とのこと。
客数が半分ということは、売り上げも・・・心配である。

そんななか、こんなチラシと、会場内の工夫をみつけた。
面白くて笑ってしまう。
コロナだからといって、暗い顔ではなく、笑顔になれる企画。
どうしたら明るく会場を盛り上げつつ、収入も得ていくか・・・。
正直、なるほどな~。よう、考えてあるな~とずっと感心していた。
苦肉の策かもしれないが、どうせ考えるなら楽しい企画を。
ノリのいいお客様は協力されるだろう。私もぜひ!と思っている。

がんばっている演者たちの姿を見ながら、私もこういう時期だからこそ、
愛と元気を伝える仕事をもっともっとしなければと強く思った。
笑いは、世界を救う。これは間違いない。

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ブランディングのシンボルとしての印

印といえば、篆刻の思い出がある。脱サラしたあと、台湾の篆刻家に、グラン・ルーの印刻をオーダーした。丸いものと、四角いものの2種をつくった。
確か丸いものは、商売がうまくいく、四角いものは信頼性を高めるなど、それぞれカタチにも意味があると聞いた記憶がある。それ以来22年間、それを大切に仕事の場面で使ってきた。

そして、この画像の観覧車は、グラン・ルー15周年のときに上海出身の篆刻・書家の知人がつくってくれた、篆刻。こちらも石を彫ってつくられた芸術品。もちろん印として使っている。

ハンコのルーツは、本来はその存在を示す大切なしるしであり、まさにブランディングの証。私はこういう者であるということを一目で伝える、まさにサインであり、重要なコミュニケーションツール。
その歴史をひもとけば、メソポタミア文明の時代から存在していたというから数千年前の長きにわたり、人々に受け継がれてきた。とくに中国においては、国という形ができた殷時代からこの文化があったそうだ。
確かに、日本のハンコ文化も もともとは中国から伝来した。その歴史も紀元後まもないようで、2000年以上の時間、脈々と受け継がれてきた。

現在、日本でのさまざまな手続きでこのハンコの使い方の手間が、問題になってきており、どうやら、このたび印鑑は廃止されていくようだ。デジタル化の波はこの業界にも及ぶ。

実印はどうなる?など、疑問はいろいろあるが、日常的な手続きはどんどんハンコレスで進んでいくことだろう。

ふと、ずっと応援してきている地方のハンコヤさんのことが思い起こされる。
知り合いの店主は、数年前より、本事業を多角化したり、譲渡したりさまざまな取り組みをされてきた。この流れを予測されていたのだろう。
そのハンコヤさんに、お世話になっているからと、ひとつハンコをプレゼントされたことがある。
今尾昌子と書いてある立派な印鑑。彼がつくってくれたとうれしく、最近よく使わせていただいている。

と、印鑑についてはいろんな思い出があり、それぞれにつくる人の顔が浮かぶ。
一律に、なくなっていく・・ということで思うことはあるが・・・。

印鑑とは、意志や存在を示す大切な印。
デジタル化で大切なものが失われないように。
何より、印鑑の文化はなくしてはならない。と思う。



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介護の世界で出会う人々。

1年前まで、介護って大変だな~。と思いつつ、正直、ちょっと他人事でいた。
問題が現実に降りかかってきてはじめて、この世界に急激に接近することになる。いやはや、この1年で、介護職に従事される皆様にお会いする機会が増え、頭が下がる日々である。
自分が今日々抱えている問題は、確かに親のことが増え、悩みも尽きないが、字実際、日々の親をお世話してくださっているのは、専門職の皆さんだ。
彼らは老人のさまざまな姿、症状、変化・・・。いろんなケースを多数見ながら、対応されてきている。その忍耐と対応力には頭が下がる。
企業とのビジネスのやりとりの苦労は、この介護にかかるパワーと比べれば大したことではないのではと思えるほど。介護職の人が伴走してくれなければ、うまく制度を利用したりすることも難しい。しくみも含め、これまで関わってきたビジネスの社会と違う構図があり、それには慣れない。
ただ、介護の現場で働く人々の大変さだけは、日を追うごとに理解でき、また頭が下がる。

身の回りのお世話をしてくださる介護士さんや、ケアマネージャーという存在。
家族にとっては、本当にありがたい相談相手であり、頼れる存在である。
日々の生活支援はもちろんのこと、ひとりひとりのお年寄りにあわせた介護プランを立案したり、施設探しも手伝ってもらえたり・・・。老人本人だけでなく、家族にとってありがたい存在だ。
やりとりが増え、コミュニケ―ションの量も増える。
複数の家族を相手にされているわけで、それぞれ事情も異なる。それも踏まえながら寄り添い一緒に考えたり、知恵を絞ったり・・。
どこまで、相手の立場にたてるか。寄り添えるか。
心の葛藤を押し殺すこともあると思うが、何食わぬ顔で対応してくださっているその姿に頭が下がる。

これまで出会ってきたことがない人たちとの出会い。
人手不足になるのも理解できるほど、大変なお仕事であるが、皆さんにお世話になりながら、今生活をしながら、仕事をしながら親のゆくえを見守り、奔走している。
介護って・・・。長寿社会は本当に大変だ。
介護される側は、感謝と謙虚を忘れてはいけないと改めて思うのと同時に
介護される立場にならないようにしなければ・・・。とも強く思う。


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老々医療、生涯現役。

父のことでこの1年間、必要に迫られ、病院や医院、福祉施設のことをいろいろ調べたり、訪ねたりすることが増えた。そんななか、いろんな医師にもお会いすることになり、面談したり、相談するなかでいろんな発見や学びを得ている。
尊敬できる医者とは。
人柄と親切、熱心さ・・・。知識、診察力、処方力はもちろん大前提であるが、
その先生を信じられると思わせる安心感が不可欠である。
偉そうで、冷たい、患者のことを上から目線でモノ申す医者は、こちらから願い下げである。患者やその家族は困って、藁をもつかむ思いでやってきているのだ。その思いに応えることができないドクターは・・・。
残念ながら、そういう方たちにはもう会いたくない、あそこには絶対行かないと決めている病院、医院、医師もあるが、またお世話になりたいと思える医院、医師は上記に書いたとおりの方々である。

そんななか、最近、その先生の生き方、生き様にまで興味をもってしまうような先生に出会った。
父の主治医の専門外ということで、紹介いただいた先生だ。
初めて訪ねたとき、その高齢ぶりに正直驚いた。
会社員時代の上司たちを思い出した。おそらく同年代だ。ということは父とも同年代・・。
この先生が非常勤勤務されている医院のサイトを見ると、なんと私が生まれた年に医学部を卒業されている・・・ということは??
年齢的には80歳を越えておられる・・・。やっぱり父親と同じ世代だ。
それにしても、熱心に人に話をきいて、相談しながら、判断してくれる。
まさに前ここにも書いた「ラポール(対話)」をしながら、より良き治療に向けを見出そうと懸命である。薬剤でわからないことがあれば、臆せず、すぐ調べる。その姿勢も真面目で、今ならネットで調べて分かった風の方もいるかもしれないが、アナログの姿勢も今は新鮮だ。
どんなに経験があっても、何でも知ったかぶりではなく、きちんと調べ、確認して処方されるところも素晴らしい。その謙虚さも好感をもてる。
「先生、先生はこの病院以外、どこに行けばお会いできますか?」
お聞きすると、いくつか他の勤務地を教えてくださった。地元の病院や老人施設の往診対応など、お忙しくされている。まさに生涯現役。
ふと、あの有名な日野原先生を思い出したが、ビジネスマンという感じはせず、
純粋に医師道を歩み続けておられる方だ。

若い医師も増えている。そんななか、患者の目をみながら、気さくに話しかけ、安心を届けるというコミュニケーションを大切にする医療。
「先生。先生こそ、お元気にいてくださいね。また先生にお世話になりたいと思いますので、くれぐれもお願いします」
そう、言葉をかけると、先生は笑いながら、「ありがとう、ありがとう」
と応えてくださった。
天職をまっとうする。見習わなければ。父のおかげで、新たな出会いをいろいろいただく日々。これも感謝だ。

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プラス一芸。

どこでも演奏、いつでもライブができたら、、。
バイオリンや尺八奏者の知人を見るたびに、楽器を持ち歩けるのはうらやましいと思い、小さな鍵盤楽器として、アコーディオンにも挑戦し始めたが、いざ始めてみると、持ち上げるだけでも大変な重量。昔テレビでよく見た横溝良三さんのように軽々と持ちながら弾くのはとてもじゃない・・・と半ば諦め、でもその音色がたまらなく・・・。でも、近所迷惑もあって、大きな音を出せないでいる。
アコーディオンでの一芸はまだ遠い・・・。でも、ピアノという壮大な楽器ではない、もう一芸をなんとかしたい。

と、そこでみつけたカスタネット。スペインの演奏家が フラメンコを手首で操っているのを見て、これは、、!!

これならピアノやそのほかで培った経験も生かしつつ、新たなこともできるかも。リズム感もいけそうかも。テレビで見たカスタネット奏者は、もうかなりの高齢に見えるが、大変美しく、手先の動きを鮮やかに音色に変える。フラメンコを踊るがごとく、カスタネットを操っている。ハープの演奏家とのデュオで、とてもノスタルジーな、スペイン的な情緒を掻き立てる。
カスタネットならば、どこでも弾ける。これでもう一芸ができれば・・・。
早速、実技をはじめよう。
イメージしているだけでは進まない。

もう一芸。今の課題。

このブログを書くにあたり、横溝良三の近況を・・とちょっと検索してみたら、
お亡くなりになっていたようだ・・。
子どものころのアコーディオン響く演芸番組がなつかしく・・。
心からご冥福をお祈りしたい。

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