複雑な気持ちを生きる。

父が新しい施設での生活に大分、慣れてきたようだ。
環境が変わると誰も不安になり、落ち着かないが、
それでも、二週間以上経過し、徐々に馴染んできた。
介護いただく皆さまにご迷惑をかけてきたが、少しは
安定する日も増えてきたようだ・・・。
それは、薬の服用が影響している。

不安な状態を安定させる・・クスリ。
これは、社会生活において必要な存在である。
しかし、一方で今気がかりなこともある。
それは、薬がよく効く反面、副作用もあるということだ。

たとえば、父を訪ねたときに、元気がない。
ちょっと表情がうつろで・・反応が遅い・・・。

興奮しているときの父は手をつけられなかったが、
元気のない、父の様子を見るのは、心が痛い。
元気で母と喧嘩していたころの父とは、まるで別人だ。
この変化を見るにつれ、
生きる上で、一番大切なことは何かと改めて考える。

できる限り、もっと頻繁に会いに行き、交流したいが
一方、コロナの影響で、そんなに頻繁に顔を出すことも
できない・・。

今、後悔しないこれからの生き方について、改めて考える。
もうすぐ父の誕生日だ。
何をしてあげたら、喜ぶのか・・・。

うつろな表情の父がずっと脳裏に焼き付いている。
なんとか、救出できないかと思う自分と、周囲に迷惑をかけては
いけないという思いと・・・。

介護とは、本当に複雑な気持ちの連続を生きる時間だ。
とにかく、今、一番大切なこと・・についてよく考え、ちゃんと
選択したい。

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墓参りのきっかけづくり

町はそろそろ、クリスマスモードだ。
例年11月になれば、ツリーやさまざまなオーナメントでお店たちが美しく彩られ、人々にも笑顔が生まれ、町も賑わう・・。
今年はどんなクリスマス、年末年始になるのか?
一足先に賑わっているのが、造花店だ。
東京に住んでいた頃ならば、浅草橋界隈にこれらを扱う店がたくさんあり、
仕事でもよく通い、ディスプレイ用品などをよく調達し、企画にも活かした。

さて、そんな店が名古屋にも何軒か存在することを最近知った。
たまたま、栄の中心にある造花店に入った。これまでは素通りしていたが、
店頭のクリスマスオーナメントが目に入ったからだ。
それがきっかけで店内に引き込まれ、その造花ワールドに驚いた。
実にさまざまな種類の造花が店内を埋め尽くしている。
造花もこのレベルまでいったら、すごい。

そりゃ生花の方が好きではあるが、でも、この再現技術は素晴らしい。
あまりのリアルチックな花に感心しながら、しばらく店内をうろうろ・・。
そこに仏花をみつける。仏花も造花か・・・。
「これ、いいね。いつも行けない人にはこういう花もありやね」
名古屋に引っ越してきてから、なかなか千葉のお墓まいりに行けず、
また遠いから、とご無沙汰していたが、この花をみつけたら
相方の行動が変わった。
「これ、持って今度行こうよ」
と背中を押しながら、故人の好きだったあじさいや、かわいらしい
小菊など あれこれ合わせながら、気が付けば真剣にコーディネイト。
どれがいいかと真剣に考え始める相方を見て、あ、これはお墓参りに
行くな~。と安堵。

造花のすばらしさに出会ったのおかげで、お墓参りに足が向く。
どんなことがきっかけで、背中を押されるかわからない。

名古屋から造花をもって、千葉のお墓参り。
その造花に線香やマッチや・・・。早速準備をしている姿に
さらに安堵した。

造花。生花の方がいいに決まっているけれど、様々な事情で造花が
活躍する場がまだまだある。
もちろん気持ちは生花を届けるのと、何も変わらない。

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「待っているよ」は元気の源泉

施設に入所する母に渡してほしいと、お世話になっているご近所の方から封書を受け取る。
その方は90歳を越えるおばあさま。親から受け継いだ自営業を担い、今も現役で電話番・金庫番といいながら、しっかり会社を見守っておられる。
その方が、仲良しの母に手紙を書かれた。

母に届けると、うれしそうに開封しようとする。こういう時に限って、糊が強くてなかなか開封できない。こちらで手伝い、中に入っているものを確認。手書きのお手紙とお見舞いが入っている。手紙は大変きれいな文字で書かれている。

母が「読んで」というので、手紙を受け取り、ゆっくりと読む。
母が入所してしまい、話し相手がいなくて寂しい。
早くまたおしゃべりしましょう。
ライブのことや(私のライブ)、そのほかの楽しい思い出のことが綴られ、
そんな日がまた来てほしい・・・と綴ってあり、
別紙に、楽しかった思い出を綴った詩文も入っており・・・。
読ませていただいて、こちらが泣けてきた。その方がどんな思いで、年下の
友人のことを思って筆をとられたかと・・・。

そして、母にすぐお礼の電話をするよう促し、こちらがかける。

「受け取ったわ。ありがとね~」
母がそういうと、スマホから先方の元気な声が漏れ聞こえた。
「あんた、病は気からというから、元気に戻ってこなあかんわ~」
90代の先輩に、母はそう激励されている。
「来週、自宅に戻れるので、その時寄るわ~。」
元気な自由世界と、閉ざされた介護の世界・・。
いよいよ、母は社会復帰!この手紙のおかげで、それがより現実のものと
なった。

母は幸せだ。
待っていてくれる友がいる。
まもなく、自宅へ復帰。その一歩として、ありがたいギフト。

待っていてくれる人がいる。
これは、一番の生きる力の源泉だ。
それにしても、この手紙のおばあさまには、脱帽。こんな人になりたい。



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ハリハリ・セルフコントロール

ここんところ、よく周囲からこんな風に言われる。
「今は、気が張っているからいいけど、あとでガタンと来るよ」
そう、確かに気が張っている。
そんな時間が1年以上続いているかもしれない。

気が張っている状態は、公私において、使命感に満ちているということ。
ここは絶対やらなくちゃ!と緊張感をもって突き進んでいること。
ちゃんと判断して、しっかり行動しなくてはといつも思っていること。
自分がしっかりしないと・・気がまえでいること。
もちろん、根詰め過ぎたら、そんなに一生懸命やっていたら
病気になる。血管も爆発するかもしれない。

というご心配。有難い限り。
しかし、自分ではまだまだ大丈夫という感じで、楽しみながら日々の
仕事と介護を行っている。両立なんてとても言えないし、果たして自分の
今の日常が、果たして介護をしているということなのか?も疑問である。
親のことをいろいろ考え、調整して、お願いして・・ぐるぐる動いているだけで
実際の介護はその道のプロの皆さんにお世話になっている。
介護は6割という説があるそうで、10割のパワーを出したら、もたない。
介護は10年続く・・・と業界のプロから言われたが、
そんなにがんばっていないけれど・・・と思ってしまう。

適度に楽しみをみつけ、毎日気が張る中でも、きれいな花に目を向けたり
朝の音楽に夢を膨らましたり、好きな紅茶の香りを楽しんだり・・・。
気が張っている前後には、かなり緩んだ瞬間を楽しんでいる。
自分の生活はしっかりキープし続けている。これを壊してはいけないと
思っている。
だから、介護も仕事のひとつとしてやり抜く覚悟。
そのためには、

とにかくセルフコントロールができること。
まだまだいける!と思えるには、この力が必須だ。

張って、緩んで・・・。
そうそう、お肌もハリがあった方がいい。
ゆるまないよう 楽しい気を全身に送りながら、
はりきって、
充実の一日を駆け抜けよう。
「さあ、今日もいくわよ~!」
てな感じで。

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「こういう時に限って!」こそ

オンラインミーティングは、なぜか緊張する。多くの場合はホストから指示された指定された場所に入ればよいだけなのだけれど、ちゃんとつながるかとか、映り方は大丈夫かとか、声は??とか直前にしっかり確認したつもりが、実際の時間になったら、うまくアクセスできなくなり、あれ?あれ?と言いながら、もがいていると、相手方から連絡が入る。
結局もともと予定していたZOOMのミーティング機能が使えず、急きょ違うツールを使うことになる・・・。すべては自分の操作ミスのせいかも・。冷や汗が出る。前回はうまくいったのに・・。
今日に限って、なんで?とまあ、そういうことはある。

まさに「こういう時に限って」である。
相手を待たせてしまったり、貴重な時間をそのドタバタに費やしてしまい、
本当に申し訳なかったが、
焦ると余計に、急にわからなくなることはある。顔が見えづらい状況であると尚更のこと・・。

落ち着いて、しっかり復習をし直すとしよう。
それにしても、こういう時に限って!は時々やってくる。

そんなときもある。後になれば、と笑って言えることになるが、
忙しい時に限って、まさに「今日に限って」なのである。
いいことが重なることもあるから、ま、焦らず、経験から学び前進しよう。
「こういう時に限って」は、心のゆとりをもつシグナルだ。

たまたま本原稿を書いている間に、ある企業から間違いのメルマガが届き、
その後、お詫びのメールがまた届いた。
オンライン・・・一斉に送信できる、便利である・・・その反面、間違いがおきると面倒であったり、収拾に手間取ったり、なかなかストレスフルな存在でもあるが、つきあう、つきあい慣れるに限る。

こういうときに限って・・今日はないように。



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改めて、まなざしを見直す

マスクの着用が、まさに新常識。そのマスク姿がニューノーマルとなってしまった2020年。100年前のスペイン風邪流行時にも、やはり日本でもマスク着用が当たり前だったようで、その時代の人々も、同じように感染症から身を守るため日々努力をされていたことだろう。
これからの季節は、マスクも夏よりはきつくないけれど、それでもやっぱり
顔半分が見えないということには、コミュニケーション上、不便と不快を感じてしまう。

着用する側としても、話しづらくて不便・不快を感じるが、
マスク顔を見る側にも、不便と不安が入り混じる。
まず、初対面の方にお会いするときでも、顔半分しか見えず。おそらく後日マスクを外したときに再び会う機会をもてるならば、おそらく印象が変わることもあるだろう。口元や、あごのカタチなどで、ずいぶん見た目の印象は別物になる。

今、口紅を付けても見えないし、マスクに色が付いてしまうため、口紅を使わない人も増えていると聞く。もちろん売り上げにも大きな影響があるようだ。
一方、目元をよりぱっちり、くっきり見せるために、アイメークは好調のようだ。いかに目で勝負するか?と思う女ゴコロも理解できる。
(かくいう自分はもともと、目元のメイクはほとんどしないが・・・)

しかし、目元がしっかり、くっきりしすぎると、相手が弱い方、たとえばお年寄りや子供たち~には、ちょっと印象が強すぎるかもしれない。
目力が威圧になることもあるかもしれない。
顔全体を見ていればそうでなくても、目元しか見えないと、そんな風に見えることもあるかもしれない。
実際、介護を受けるお年寄りたちには、マスク姿のスタッフのみなさんの表情がつかめず怒っているのではないか?と不安になることもあるようだ。
目だけコミュニケーションは、本当に難しい。
やさしい、おもいやりあふれるまなざしを表現するのは、難しいが、
意識することは必要だ。

自分の目元は相手に寄り添っているだろうか?
そんな点から、マスク姿の自分を確認するのもいいことだ。

マスクが不要となる世の中が、心から顔全部出して、笑える、語れる日が
早く訪れることを心から願いつつ・・。

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今昔Myライブラリー。

京大生ではなかったが、京大界隈にはよく足を運んだ学生時代。
自転車で今出川通りを走り、鴨川を渡って、京都のカルチェラタンのような
雰囲気のエリアへ。
今では貴重な存在となった古書店が、今も立ち並ぶ百万遍。
その並びには、知人が経営していたレストランもあった。
そちらはコロナで残念ながら閉店となってしまったが、
学生時代によく通っていたカフェが、
コロナ禍でもちゃんと営業しているかな・・気になって、店を訪ねる。

ああ、初めて知った日から、30年以上もの歳月を経ているが、
その店は変わらずに確かに、営業していた。
「京大生の第二図書館」と、入り口に書かれていたのが、印象的。
以前は、そんな表記はなかった。表記があろうが、なかろうが、
京大生ではなくても、心のMy図書館であることは、今も昔も変わらない。

外観も店内も、それはそれは昭和レトロモダンといおうか。なんともいい
インテリジェンスが漂っている。店内の大きなテーブルとイスも重厚感が
あり、落ち着いて勉強や読書ができそうだ。この洋館を担当された建築家
は、パリのカフェをイメージして作られたのだろう。
昔ならば、何時間もいられた。図書館だから・・。
でも、今はコロナで2時間と制限があるようだ。
店内で大声で話す人もいない。それぞれが静かに読んだり、書いたり、
考えたり・・・。勉強に休憩に来られているような研究者風の方に出会う
のも新鮮だ。

久しぶりに、アカデミックな京都の空気を味わった。
京都はいにしえのカフェ文化がまだ残っている。

失くしてはならない。永遠のMyライブラリー。
スマホは似合わない空間というのが、最高に気に入っている。

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生きてるからこそのコトバ!

父親はもう1年以上前から、メール返信が難しくなった。
それだけに、過去のメール履歴は貴重な思い出であり、私にとって宝である。
先日、ちょっとパニックになったときに、突然、一言だけ意味不明のメールが
送信されてきたが、これはまさに、「俺は生きてるぜ~~」の訴えだったのかもと思う。
一方、母はがんばって、私のメールに応え続けている。
安否確認のために数年前から毎朝6時に送り続けたメール、最近は少し時間が不定期だが、それでも継続している。
意味不明のことば、全部ひらがな、変換ミスで解読が難しいことも多いが、
それでもその意志は読み取ろうとすれば理解できる。
いつも、母のメールを読むときは、
「何が言いたいのだろう」
とかなり想像を働かせて、読む。

まずは、きいてほしい。
が一番であり、
電話ではまず感情が出るが、メールでは少し冷静になれることもあるようだ。
母の場合は、電話とメールとでは人格が違う。こんな人、いるだろうか?

いずれにせよ、何かを発したいということは、
どんな手段であれ、怒りの声であれ、

「わしは、生きているんだぞ~」

の叫び、主張であると思う。

コトバが出るうちが、花である。
これがあるから、コミュニケーションができるのである。
それはたとえ、言い争い、喧嘩であってもコミュニケーション。
しかも親子であれば、喧嘩でも何でもいい。

お年寄りの声に、コトバに、ひとことに耳を傾けよう。
その大切さが最近、だんだんわかってきたような・・・。

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ピンチ×ピンチでワクワク?

コロナでマスクは売れるが、他の防災商品は売れなくなった。
たとえば、そんな声をきく。
このままでは商品が売れない。
SNSを使えば、売れる?どうすればいい?
最近、これまでと変わらず、それ以上にさまざまなご相談をいただくが、
その手法の問題も大切であるが、その前に、何を誰にどうしたいのか?
を焦らずにしっかり考えたい。

目指す相手にどうしたら、伝わるかを考える。その場合手法の検討と同時に
それ以上に大切なのは、ターゲットに響く、伝わるコンテンツだ。
商品にお客様がリーチしてくださるまでのコミュニケーション。
もちろん買いやすさは必須。そういう意味で、とくにこの状況下ではネット販売は理にかなっている。
では、欲しい、検索しようと思ってもらうためのきっかけづくりをどうするか?

今、新しい発想で、新たな仕掛けをと考える。

感動を与えながら(笑いも含め)、興味をもってもらい、買い場へ・・・。
これまで別モノと考えてきたことを、組み合わせることで新しい取り組みができそうだ。

今、演劇とビジネスをうまくつなげられないかと考えている。
演劇業界も、コロナで変革を求められている。劇場での集客型の興行だけでは
この仕事は成り立たず、これまでどおりではダメだと
アクティブな作家や俳優たちは発想を変え、新たな行動に意欲的だ。
そんな仲間たちとの取り組みを思案。

年内までには、発信できるようにと計画中。
なんだか楽しくなってきた。

コロナ禍だからこそ、ピンチ×ピンチはチャンスになるかも?
ちょっとわくわくもする。今だから、「なんでもやってみよう」という気運が
高まる。
常に、柔軟に、仕掛ける側でありたい。

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やがて、悲しき鵜飼・・から1年。

松尾芭蕉が詠んだ作品の中らも、とりわけ心の底から素晴らしいと思うのが、やはり長良川の鵜飼いのクライマックスをことを詠ったもの。わがふるさとを訪ね、感動いただき、作品を後世に残していただき、感無量である。
時代は変われども、同じ対象を見て、人間は感動するのだ。ということ自体にも感動する。
真に素晴らしいものは、時代を越えて、いいものなのだ・・と。

その鵜飼い。今年も今日10月15日で本年のプログラムを終了する。
その前日に・・・と思い、今年も船にも載らず、川辺から見学。
地元の人が集まって、堤防に座ってその様子を見入っている。

鵜飼の開始時に空に咲いた花火と、漁火の静けさと幽玄さが不思議に溶け合い、感動を誘う。なぜか、漁火が揺れ、真っ赤な花火が空に咲くとたまらず涙があふれる。水面にうつる赤のインパクトは闇により映える。
芭蕉の句がわがメロディとなり、頭の中を流れ続ける。
おもしろうて、おもしろうて、やがてかなしき うかいかな・・・。
写真は連写したうちの一部だ。
面白い鵜飼のクライマックスは総絡みといわれる、6つの鵜飼い船の漁火が交わる演技。
本当に素晴らしい共創のドラマアートである。

芭蕉の句のごとく、実に人生はとても楽しいけれど、やがて悲しみの闇に包まれていく・・・。と、ちょうど1年前、まさに体験した。
この鵜飼いに感動した翌日に、父が倒れ、それから人生が一変。
まさに、やがて悲しき・・・になってしまった・・・。
鵜飼を見ると、父の元気な状態と、今の状態が交互に浮かぶ。
これから、ずっと毎年10月鵜飼をみるたびに、父のことを思い出すだろう。
そして、人生のフィナーレについて、考えさせられるだろう。

それにしても、本当に美しいわがふるさと。
信長もきっと漁火に惹かれたことだろう。いや、花火かな?
(写真の山上の白い灯は、岐阜城)

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