親世代の友達急増中。

母が亡くなってから、生前親しくして頂いた方々との交流を
切らさないように心がけている。
母がいなくて寂しいと思ってくださる方、とくに家族のように
仲良くしていただいた方たちには、何かあれば声をかけたり
差し入れをしたりしている。
まるで、母がその方にしてきたことの一部を継承している
という感じだ。
「あ、おばさん、お元気?
 ちょっと長崎からカステラ送ってきたので、食べます?」
「あ、おばちゃん、今いいですか?
 弟さん日本酒飲まれる?いやー、新潟からお酒たくさん送って
きたから、飲まれるならもっていこうと思って」
と、こんな感じだ。

よく考えたら、このおばちゃんたちは、ほとんどが私の同級生の親。
親の友達とは、まさに、子育てしながら 半世紀以上のおつきあいを
してきた関係。子どもの成長とともに、子育て仲間から友人へ発展。
助け合い、支え合う関係になってきた。
そんなことで、母の旅立ち後、
同級生のお母さまに、なぜか、私が親しくさせていただいている。

母の交友関係は大切にしたい。
母の代わりに、おばちゃんたちには元気に長生きしてほしい。
「あ、よかったら、ご飯食べにいこうか」
と思わず誘われ、誰の友達?と思えてくるほど、ちょっとボケも
入っているかもしれないが、微笑ましく、ありがたい。

母の存在、思い出を媒介として、新たなお友達が増えつつある。
そして、このようなやりとりをするなかで、おばちゃんたちは
母を忘れず、そして元気にいてくださる。
「お母さんの代わりはできないけど、たまに声かけさせて
もらいますね」
そんな風にお伝えしている今日このごろ。

本当に思議なことではあるが、
母がいなくなったあと、1年前まで想像もしなかった、
こんな新たな関係が生まれつつある。

「お願いだから、お母さんの分まで元気に長生きしてね」
別れる時には、いつもそんな言葉をかけている。

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GIFTFULな人生。

日々、日常生活を送りながら、親の残したてんこもりのモノを確認、処分しはじめている。
親の人生を、モノから辿る時間にもなっている。

トラック1杯や2杯では終わらない膨大な荷物について、目を通しながら、処分するしないを即時判断し、業者の方に手伝ってもらう。
この何か月か両親の荷物に向き合っているが、母の荷物が圧倒的に多い。
最初はモノの多さにうんざりしていたが、それを通り越して、今は修行のごとく、仕分けをしている。自分がやらねば終わらない。
最初は面倒だ、嫌だと思っていたが、今は亡き母が遺したものは、彼女が遺した人生を私なりに振り返る時間になり、あっという間に時がすぎる。

私や妹の成長の記録、通知表や卒業証書、さまざまな手紙、旅のリーフレットなど印刷物、そして写真の数々・・・。そして食器・衣類に雑貨、書類、カセットテープ・・・・。
さらに、人にあげるためのお土産類、そして人様からいただいた寝装品や雑貨、キッチンウェア・・・・さまざまなギフト品、そしていただいたものの包装紙や、紙袋・・・。
とにかく旅を楽しみ、その楽しみを人にお土産でおすそ分けしながら、そして、自らもいろんな福をいただく・・・。

ギフトを贈り、いただく。

そんな人生だったのだろうと、遺品整理をしながら、思えてくる。
何十年前のギフト品は、さすがに今は使えないものばかりであるが、その当時の日本のギフト市場の様子も見えて、現在との違いもわかって、勉強にもなる。
大きな寝装品や重いキッチンウェアが喜ばれた時代。大きいことはいいことだの
時代。婚礼から葬礼ギフト・・・。
パーソナルギフトは高度経済成長後に伸びた産業で、今もそれは日常化している。
また日本人には特有のギフト文化がある。
形は違えど、今もその心は生きているかもしれない。

ギフトのGIVE&TAKEを繰り返した母の人生。
そこから、ありがたい人とのご縁も多く育まれたことだと思う。
そうそう、とれたての野菜をいつももらっていたが、これもありがたい贈り物だ。

GIFTFULな人生。母はやっぱり、幸せな人生を送ったと思う。
遺された多くの昔のギフト品は、海外の人々に利用いただけるよう業者の方にお願いしている。使っていただければ、母も喜ぶだろう。最後までギフトだ。

まだまだ修行は続くが、発見や気づきが多く、人生に何度もできる経験ではない。そう思って、楽しみながら、疲れることにしよう。

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こつこつの再会。お幸せに。

日頃お世話になり、年賀状などいただく方へ、やっと出し始めた喪中はがき。
受け取られた方から、さまざまに声をお寄せいただく。ありがたい限り。
そんななか、父の納骨を無事済ますことができた。
一足先に旅立った母が待つ地元のお墓。お寺さんのご協力を得て、妹と一緒に
お墓の中に、父のお骨を入れる。そのとき、先に納めた母のお骨がちらり見える。
「あの白いのは、お母さんのですかなあ。まだ新しいお骨ですから。」
「お骨って、色変わってくるんですね」
「時間とともに、土に戻っていかれます」
「へえ、そんなんだ~」
そんな会話をやりとりしながら、お骨を納める。
そのあと、読経をいただき、合掌しながら両親の久しぶりの再会に、想いを寄せる。1年前までは想像もしなかった場面ではあるが。

納骨後、妹と、「さ、行こうか。どこにする?」
岐阜の風習にのっとって、地元の喫茶店に行き、モーニングコーヒーをいただく。両親とよく行ったお店だ。
「お父さん、タバコ吸ってたから、あっちの喫煙席に座っていたね」
ちょっとうるっときそうになりながら、妹と笑って思い出話をする。

喪中はがきにも書かせていただいたとおり、
幸せな旅立ちを願い、送る。
本当に両親に感謝をささげる1年となった。

やりきった感の安堵と、そしてなんともいえない余韻を珈琲とともに
味わう。
二人の葬儀の日と同じく、晴天のもと、
無事に送れてよかった、よかった。
お骨になってしまったけれど、無事再会できて、良かったね。
永遠の旅に出かけた二人は、
きっと空から私たちをずっと見守り続けてくれるだろう。

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やっと、会えるね。

今日は、父の納骨日。
四十九日がすぎ、まだ落ち着かない状態ではあるが、
母が待っているだろうと、あまり間をおかないことにした。
約半年前に旅立った母を、追いかけた父。。
本当についていったんだ。母が呼んだんだ。
「あんた、何やっとんの、はよ、こっち。こっちで待っとるで」
父の末期の眠りの日々には、きっとそんな母の言葉を夢うつつで
聞きながら、そのままその言葉に応えて、旅立ったのだろう。

いろんな場面を思い出すと、信じられないことがあるまま、
父と母の再会こそが、一番の供養であると勝手に思っている。
良かったね。また会えるね。二人で仲良くね。喧嘩もしていいよ。

寒いなか、あたたかい気持ちで、妹と一緒にこの節目の時間を
大切に見守りたい。
父へ。良かったね。やっと会えるね。
母へ。良かったね。やっと会えるね。
今日は、誕生日にいただいた花を添えて、感謝の意を込め、1日をはじめる。

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わが人生、プロセス第一。

生きていれば、いろんなことがある。
仕事でも、プライベートでも。

例えば、仕事で、自分が考えた、ひらめいたアイデアを実現させようと
努力しても、結果そうならないこともある。
自分だけの力ではどうにもならない、
そして何事も相手があってのことだから、
自分が思うように、いつも物事が進むわけではない。
とくに、間接的なコミュニケーションのなかでは、うまくいくことは難しい。
なんでも自分の耳で聴き、自分の口で伝える。
自分で考えたことは、本来はそうありたいが、そういうケースばかりでもない。

そんなこんなで、結果うまくいかないことがある場合は、瞬間くやしいが
すぐ頭を切り替えて、協力いただいた方にきちんと報告し、御礼を伝える。
結果を伝えながら、自分の力が及ばなかったと伝える。
すると、相手も「自分の力が及ばなかった」と言ってくれる。
お互い同じ気持ちであることに安堵を感じる。
一緒に同じゴールを目指したのだから、お互いに結果を共有し、また次に向かう。チャンスを一度逃しても、この経験から、新たな気づきもある。

何事も、そのときはうまくいかなくても、一生懸命にやったのであれば、
悔いはないし、その経験から得たことはたくさんあるはず。
結果よりプロセスが大切なことも多い。
そして、そのプロセスがもっと大きな愛をもたらしてくれることもある。

だから、わが人生には、失敗はない。
成功と失敗。人生はこの二軸だけではないと思っている。
その過程が大切。どこを向いて、どうやったか。何を積み上げたか。
プロセス第一で、これからもいきたい。

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コロナに負けず・・とびきり笑顔

「いまおさーん、会えてうれしい!!」画面から飛び出そうな勢いで
笑顔で挨拶をしてくださるカフェオーナー。
久しぶりの再会。もう3年ほど経っているかもしれない。
その間、コロナもあり、なかなかのご無沙汰であった。

先日突然
「ディナーショーは今年はやらないんですか?
愛の賛歌とピアノが聴きたいです」とメールをくださってから、
それがきっかけで、ZOOMでの再会面談となった。

コロナでも、もともと人も雇っていないし、家賃も
いらない環境で店をやっているから、コロナの影響は
少なかったとのこと。
そして、開店後3年、5年と時間が経って、自信もついて
お店の経営にも「自分はコレ」と言う世界が見えてきたと
おっしゃるたくましさ。

5年の間に、旦那さまが闘病の末、亡くなり、でも悲しみを乗り越えて
営業を続けた。そしてコロナにも負けず・・・。

「死ぬまでこの仕事をします!
フライパンがもてなくなっても、コーヒーぐらい運べますよね。」

そんな日は来ないだろうと思うほどに、すこぶる元気だ。

この12月22日から、5周年の1年間。いっぱいGOGOの発想でいくという。
来年早めに、会いに行こうと思う。そしてこのGOGOに相乗りしよう。

生涯仕事をすると決めている人は、元気いっぱい。
生きている限り、それを目指したい。
彼女の名前もMASAKOさん。彼女はフライパン、私はピアノ。
とびっきりの笑顔で!今日も
「いらっしゃいませ!」の1日がはじまる。

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乙女のてくてくコミュニケーション。

久しぶりに会った友人。1時間ほどお茶を飲みながら、話したあと、
カフェの前で別れるつもりであったが、
「一緒に歩いていくわ」
と、四条烏丸から京都駅まで一緒に歩くことになった。
何年ぶりかの再会でもあり、まだ話し足りないこともあったのかも
しれない。
人と一緒に歩くということは、家族以外とはあまりしないが、
自然とそういう流れになった。

話しながら歩くということは、不思議な感覚。
足も動くが、口も耳も動く。ある意味、全身運動だ。
「歩くの、速いね」「そうかな」
言葉を返し、東京時代に鍛えられたかも。そう思いながら、てくてくと進む。
「今日は15000歩ぐらいになるかな」
「いつも、6000歩は歩いてるで~」
「ええこっちゃ。歩けるのは幸せなこと」
黙って歩くのではなく、歩きながら話す。

いくつかの信号を渡り、気が付くと京都タワーが間近になる。
「なんだか、早いな。すぐ着いてしまった」
もっと、歩けたのに・・・という感じの名残惜しさ。

「じゃ、また。元気でね。介護、おつかれさん」
友人は、そこから地下鉄と阪急に乗って、帰るといった。
わざわざ、話すため、そして運動のために、一緒に歩いてくれた
冬の夕暮れ。
いい健康コミュニケーションになった。
また彼女とのいい思い出が一つ、増えた。
顔を見て話すのも良いが、一緒に前を見て歩きながらもいい。

てくてく、ぺちゃくちゃ。
いつまでも、元気でいてほしい。
いつまでも、乙女の心の元気なおばちゃんで。

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コロナで昭和コミュニケーション?

とにかくアグレッシブな知人がいる。
ある国の大衆文化の研究家でもあり、歌手でもあり・・・メディアにも出演された時代もあり、本をかいたり、大学で講座をされたり・・・とにかく、個性的で活動的で、情熱のかたまりだ!とその生きざまを尊敬していた。
とにかく、勉強熱心な方という印象であった。
20代の頃から知っていた。当時、会社員をしていた私は彼女のように活動できなかったが、独立してからは、フリーで仕事をするという立場で共通点ができた。
ライブにお互いに行きあい、刺激を交換。
私のオリジナル曲をご自身のライブで歌いたいとおっしゃっていただけたことは、うれしかった。(楽譜を渡せていないため、まだ実現していないが)
でも、ひとまわり以上も上の先輩で、そんなに気軽に話せるとは思っていなかったコロナ前。
ちょっと遠くから応援しながら、応援されていた距離感で、しばらくご無沙汰。コロナが影響していた。
この2年の間、ライブの案内なども送られず、ネットでの情報更新もなく、最近の活動の様子がまったく見えず、心配になっていた。
お元気なんだろうか?どうされているのだろう?
なんどか思い出し、確認しないではいられなくなって、ついにその事務所に電話をしてみる。恐る恐る・・・。誰か電話に出てくれるだろうか・・・。
初めての電話。これまではずっとメールでのやりとりのみ・・・。

最初、スタッフらしき人が出たあと、電話口にご本人が出た。
その瞬間、ほっとした。よかった。
それから、彼女は話し出した。最初はゆっくりとした口調であった。
もしかしたら、コロナで誰かと話すという機会が減っているのかもしれない。
と察知した。
その後、いかにコロナのなか、演奏活動を積極的にできず、自粛し続けてきたか。今も新幹線は乗らないと決めているとのことなど・・。
そして、この間、仕事に求められることも変わってきて、元に戻れない、
時代が変わってきたということを痛感した。
リモート対応ということも、なかなかむつかしい・・・。
などなど、とにかく久しぶりにお話をお聞きした。
最初は、口数が少なかったが、そのうちいつものライブのトークのごとく、
元気にいっぱい話を続けられた。ときに笑い、ときにしんみりしながら・・。
契約しているお店でのライブでは、お客様が感染してはいけない。と気にしながらやっておられるようで、おそらく普段どおりのパワーも出せないまま・・の複雑な状態なのだろう。
でも、電話だと遠慮なしに話せる。
ということで、コロナでリモートではなく、なんと1時間の長電話になった。
オンライン世代でなければ、電話コミュニケーションは確かに有効だ。
こんな長電話。もしかしたら、中学生以来かも?もちろん時に仕事でどうしても
の長電話は稀にあるが、それでも、こんなに長く話した、聞いた記憶はない。

お互いの連絡先を再確認して、元気に電話を切る。
「また、いつか安心してお会いできる日に、会いに行きますね!」
そう、そんな日が来るために、今もまだ我慢、自粛しなければならないのだ。
と、そう思っている人は少なくなっているかも?
彼女は、医療崩壊を目の当たりにしながら、深刻な状況を理解しながら、
静かに忍び、生きているおひとりだ。
本当に、コロナを甘く見てはいけないと、その生活ぶりから、真面目な様子が
伝わり、背筋が伸びる。

昭和なコミュニケーションはときにいい。
顔を想像しながらの会話もいい。
昔は、それだけだったのに。
今は、世界中で、想像を要することが減った分、
創造も乏しくなっているかも。
決して良いことではない。

電話をきって、すっかり距離が縮まった。
お元気で、ほんとうに良かった。

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第三の音の存在で。

静かな未明。マンションの窓をあけると、階下の道路から、信号の歩道者向けの音声が聞こえてくる。ピポッ、ピポッ。
また、しばらくすると、貨物列車のガタゴトという音が遠くに聞こえてくる。
世の中は、眠ることなく、いつも動いているのだ。ということを感じる瞬間だ。

先日、父が亡くなったと聞き、ちょっと動揺気味に家を飛び出し、
移動しながら、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせていたあの時を
今、思い出す。
自分の中では、超非日常の事態であるのに、それでも信号は赤信号にもなるし、
コンビニに入ると、いつも音でお出迎え。
世間は自分と無関係に平常モードだ。ということに気づかされ、落ち着く。

さらに記憶をたどる。母が亡くなった日のこと。病院から危篤の連絡が入り、急いで電車で岐阜へ向かおうとしたが、名古屋駅は、電車の遅れでホームに人が溢れ、係員が何度も状況説明をアナウンスしていた。
一瞬を争うぐらい急いでいる私にとって、それは残酷であった。でも、この雑踏の音で、もうだめだ。仕方ない。と諦めの気持ちもうまれ少し落ち着いた。
そして、どんなときも世界は自分に関係なく動いているのだとも感じた。

どんなときにも、第三の音があることで、
われにかえることができたり、日常を感じたりすることができる。
そのことは大切だ。

人が、時に海に出かけ、波の音を聞きたくなったり、自然に包まれ、鳥のさえずりに出会いたくなるのは、第三の音だから。
自分が住む同じ世界に、自分以外のいろんなものが棲み、生きている。そして、小さな自分の存在を、より自覚できることで、目の前のことがなんでもないことだと思えてくる。
世間から見れば、親の死もよくあること。誰にでもあること。だから大丈夫とも思えてくる。

第三の音に耳を済ませよう。
朝のクラシック音楽もそのひとつ。

第三の音は、
自分をみつめさせてくれる大切なコミュニケーションツールだ。


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プロと言われる仕事を。

どうせやるなら、プロと言われる仕事をしたい。
どうせやるなら、予想をはるかに超える結果が出るようにしたい。
と、
そう思い続けていると、そうなるために努力もするから、
力もついてくる。

ごまかしや、見せかけは、見る人が見たらわかる。
地に足の着いた、仕事をしたい。
それは、経験を積み、いろんな学びを経て、試行錯誤のなかから
生まれるもの。

仕事は相手があるもの。
趣味は自分の世界のもの。

プロとアマチュアの差はそこだと思う。
相手に喜んでもらうことが前提である。

「さすが、プロですね」時々、そんな言葉をいただくと、
素直にうれしい。

さらにがんばろう!と思う。

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