ヘルスパスポートで旅する日を

もう海外渡航できなくなって、1年と3か月が経つ。
その間、キャンセルも何度かした。

世界各地でまだまだ感染が広がり、変異種がみつかったりと、
ウイルスとの共生が余儀なくされるなか、個人の旅はもとより、
世界各地から民族の大移動となるオリパラは、どう考えても
ありえないと思う今日この頃。

早く終息の日を迎え、海の向こうに出たい。
外の空気を吸いたい、あの町のあそこで・・・。
本や音楽、映画、写真、映像などに五感を刺激されつつ、
毎日、そんなことを願っている。

今、EUでは、EU内を行き来できるようにと、「ヘルスパスポート」の発行を
検討しているようだ。
ワクチン接種をしていることが、そのパスポートの取得条件となる。
いいアイデアと思う。
どこの国籍かどうか?だけでなく、ちゃんとコロナ対策しているどうかの
見極めはとても重要。
でも、このヘルスパスポート、日本では?
オリパラするなら、それぐらい必要と思うが?
とにかく、
早く日本でもそれを発行できるぐらいの接種を促進してほしい。

まだまだワクチン接種ははじまったばかりで、自分の番にはまだ時間を
要する。早く、旅の準備が心配なくできる日にきてほしい。
いつになるのだろう。
その日のために、準備をしている。
と、南米のガイドブックや資料を熱心にひもとく知人のことを
思い出した。
そう、その日を、心からの楽しみとしよう。

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「観覧車式発想」を、商談で使う人、発見。

人生も仕事も、全部観覧車にたとえて、ハッピーコミュニケーションを目指して生きる。
これがグラン・ルー、およびコミュニケーション クリエイターとしての私のモットーで、公言している内容でもあり、公式サイトにも起業以来、変わらず掲載している。
La Grande roue (mahsa.jp)

先日、ある企業でのオンライン商談のロープレ研修で、架空ネタとして、「グラン・ルー」というお菓子屋さん向けの提案営業をしてもらう。というプログラムを実施した。
私がその菓子屋「グラン・ルー」の広報室長という役回りで、企業さんからの提案を受けるという役割だ。ちょっとドラマみたいで、楽しく演じさせていただいた。
何名かの営業マンが、それぞれの企画をもって商談に臨んだ。
そのなかのひとりが、プレゼン資料に観覧車の写真を使ったり、人生は観覧車のように・・の私の考え方を踏まえた、提案営業の考え方を示された。
ホームページをよく研究してくださったと思い嬉しかった。
新たな出会い、学び、実行、改善、そしてさらなる新たな挑戦・・・くるくると経験を重ね、大きな円を描き続けることが、関わる人すべてのハッピーにつながる。これは個人はもちろん、企業の在り方にも通じる。
観覧車式発想は、どの業界、どの世代の人にも、あてはまる普遍なる
考え方であり、共感を得やすいものだと改めて感じた。

自分が講演や研修のときに、必ずこの話はさせてもらうが、まさか他の人が
商談に、観覧車をモチーフに話をされるとは、びっくりした。
もっとも、菓子屋の名前を「グラン・ルー」(観覧車)と設定していたからの応用であったと思うが、それでも一人でも多くの人が、観覧車の発想をもってくれることは、本当に光栄だ。

いろんなカタチで、このグラン・ルー式のコミュニケーションの発想に出会い、
共感し、活かしてくださる方がいると、本当にうれしい。
これからも、着々と、くるくると、ハッピーコミュニケーションの観覧車を回したい。




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3.11を胸に。日常からの防災を考え、備えるきっかけに・・。防災ドラマ公開記念「携帯式ヘルメットプレゼントキャンペーン」が始まりました

すでに本ブログでもご紹介済の、東京のしなやか劇団B.LET’Sによる 防災ミニドラマ「東京(携帯式)ヘルメット物語」。
YouTubeで、公開して約1か月。おかげさまで、じわじわと多くの方に視聴いただき、感想もお寄せいただいております。
私のオリジナル曲「人生は観覧車のように」や「フランチェスコの夢」も
このドラマにマッチしているとのお声をいただき、意外な相乗効果に驚いております。

来たる3月11日は、あの東日本大震災から10年です。
それぞれが思いを寄せ、備えることの大切さを改めて自分事として、見直す機会にもしたいと思います。
この節目に合わせて、本ミニドラマをごらんいただいた方に、ドラマに登場する携帯式ヘルメットがもらえる!という企画がスタートしました。

ぜひこの機会に、改めて「東京(携帯式)ヘルメット物語」をごらんいただき、
エントリーいただければと思います。

わずか1本約7分のドラマが3本。思わず笑ったり、うるっときたり、不思議な癒し系の防災ドラマです。
へんてこな名前も、我ながら~と、実は、気に入っております。

ミニドラマはこちら
東京(携帯式)ヘルメット物語 – ビーレッツ ホームページ (jimdofree.com)

プレゼントキャンペーンの詳細はこちら

プレゼントキャンペーン | A4シェルター・タフ 折りたたみヘルメット (a4t.jp)

防災ドラマの感想などはツイッターでも公開中
株式会社マキトー・コンフォート(公式)さん (@makitou_comfort) / Twitter

プレゼント応募は、3月末日が締切です。

小さなキャンペーンですが、じんわりと、しっかりと防災を考えるきっかけになれば・・・。

そして、皆さまのさりげない日常の備えにお役に立てれば、幸いです。


プレゼントキャンペーン | A4シェルター・タフ 折りたたみヘルメット (a4t.jp)

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命までとられないから。

日々、心配ばかりしている人がいるとする。
心配するぐらいなら、心配する暇があるぐらいなら、まず行動したら?
まずやってみよう。
と言いたいし、そんな人が周囲にいたら、そう伝えるようにしている。
どう行動すればよいかわからず心配する人がいれば、何をすればいいのか
ヒントを伝えるようにする。
自分で考えることをしないと、何か言われないと不安、心配になる。
だから、自分で考えるようにしたい。
自分で考え、行動することが、人生を面白くする。

ぐるぐる迷っている人がいるとしたら、道がわからないのかもしれない。
その人が歩きやすい、歩きたい、歩くべき道をいくつか示してみる。
こっちへ行きたいんじゃないの?こっちだとあっちに行けるよ・・と。
とにかく、元気に歩き始めることができるならばそれでよい。
その道を歩くことが苦手ならば、他の道を探せばよい。

トンネルの中にずっといる人がいたら、暗闇のなか、不安でいるはずだから、
あっちに行けば光が見えるよ。とこっそり教えてあげたい。

不安でいる、元気でいられない人、そんなとき・・。人生はまあ、いろいろある。
でも、それでも生きている。今日も生きている。
仕事があるだけ、家族がいるだけ、食べるものがあるだけ・・・どんなことも
幸せである。

そう思えば、不安になっている、何もせず心配している時間がもったいない。
失敗しても、大丈夫。命までとられないから。
失敗しても、成功しても生きていれば、明日が来る。
畏れず、行動したい。

と、自分自身にも毎日言い聞かせ、そして迷っている人にも、そんなことを
伝えたい。



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名前はブランド。

今、改めて夫婦別姓について、公的な場で、あれこれ議論がなされている。
もう半世紀前から、そのことは気になっていたし、
結婚って何だろう?姓って?家族って?夫婦って?と疑問がどんどん沸いてきて、なんだか日本社会が窮屈で、古臭くて、いやでいやで・・・。
そんなことからか、未婚ではなく非婚という意思でもってこれまで来た。
結婚したら、一人前みたいな考え方は、まったく受け付けなかった。
また、結婚という契約で、どちらかの氏名が変わることに抵抗がないのだろう?
名前って、自分の一部ではないのか?名前は自分のアイデンティティではないのか?海外の多くの国では、結婚しても名前を変えないで、そのまま生きていけるのに、なぜ、このような今の時代に陳腐なスタイルがいまだ、残っているのか。
との疑念もずっと消えないまま、世の中が変わっているのに、一番大切なところが変わらない。

名前はその存在のブランドをあらわす。もちろん自分では命名できないから、
いろんな思いで改名する人もなかにはいるが、ほとんどの場合は親から授けられた名前をもってひとりの人生を生きていく。
名前があってこういう人になってほしいという思いがあって、そのように育てられたという人もあるだろう。
名は体を表す。その人自身を表す。パーソナリティを表す。

しかし、日本の姓は、家をあらわす。個の前に家がある。
家の存在が、姓の問題を浮き彫りにした。
家制度が、いつまでこの国に根深く残り続けるのだろう。
時代にあった家族というカタチがあるというのに、本当に時代遅れ
な国である。

今さらのことを、今まだ時間を割いて、無駄なお金をかけて話し合っている。
名前は、存在である。
と私は思っている。今尾昌子という商品が生きている。これが違う名前だったら、きっと違う内容になっていると思う。

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眼に浮かぶ、姉妹兄弟たち

みんな、元気かな。
とくに、東京周辺に住んでいる、しばらく会えていない人たち。
年賀状で元気な様子が分かった人もいれば、
お互い連絡がとれていなくて、ご無沙汰しっぱなしの人もいる。
季節が春に向かう今、ふと いろんな人たちの顔が浮かんでくる。
元気かな?仕事、やっぱりリモートかな。仕事あるかな?大丈夫かな?
お子さん、元気に育っているかな?夫婦仲良くやっているかな・・・。

一度に連絡とれないけれど、合間を見ながら、メールを送ってみる。
元気でーす。と、すぐ返事をくれる人たち。
近況を教えてくれて、コロナ落ち着いたら、会いたいです。家を建てるから来てほしいです。子どもの受験の報告します。いつも覚えてもらってありがとうございます・・・・。

などなど、いろんなメッセージをいただく。本当の兄弟姉妹のように、
その元気な様子、成長ぶりがうれしく、あたたかい気持ちになる。

こんなとき、眼に浮かぶ人がいたら、すぐ連絡をしておきたい。
コロナは、人と会うことを貴重な経験に格上げしてくれた。
人を大切にすることを教えてくれた。
会えることの楽しみを、以前より大きくしてくれた。

と、そんな見方もできるのかもしれない。

今日から3月。
年度末で出会いの前の、別れもありの1か月となる。
リモートでの別れもあるかもしれない。なんともいえない感じもするが。

仕事上での別れがきっかけで、兄弟姉妹のような関係に発展することもある。
3月。別れを前に、普段以上に人を大切にするひと月としたい。

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半世紀変わらぬ、信子さん。

信子さん。私の実家のごく近所のおばちゃんの名前だ。
私が幼稚園、小学校の頃から、ずっと 近所のおばちゃんのひとりとして
馴染んでいた。母同士が仲良しだ。同世代、母よりは少し若い。
私がピアノやエレクトーンをやり始めた頃から、ずっとだお馴染みだ。
18歳で岐阜を出て、40年。
しばらく近所のおばちゃんたちともご無沙汰であったが、
ふるさとライブや地元での演奏会には、皆さん揃って来てくださった。
おばちゃんたちにとっては、私はいくつになっても
「まさこちゃん」
である。

そのおばちゃんたちのなかで、最近、かなり接近気味の方が何名かいる。
母のことを気にかけ、いろいろしてくださる皆さん。ありがたい。
お菓子や野菜をもってきてくれたり、コトバをかけてくれたり・・。
岐阜新聞のライブまで、車に乗り合って駆けつけてくださったり・・。

とくに農家をされている方たちは、自分でつくったものを、農協の直売所に出すついで・・といっては、今日はとれすぎた・と言っては、実家に届けてくださる。
このたび、その信子さんから、新鮮な野菜のおすそ分けをいただいた。

信子さんが作ったほうれん草、ブロッコリー、カリフラワー。はじめて見た。
そうなんだ。おばちゃん、畑仕事のプロだったんだ。そういえば、子供の頃から
いつも畑にいた・・。かっぽう着や、麦藁帽や長靴をいつも履いているイメージ。いつも働いている、働き者なのだ。
学校帰りに、畑の横を通り、作業から立ち上がったおばちゃんと目が合うと、「あ、まーちゃん、今帰り?」と声をかけられたものだ。

信子さんのほうれん草。
信子さんのブロッコリー。
信子さんのカリフラワー。

実際に、いただいてみた。
どれも格別だ。やはり作る人の顔が見えると、余計においしい。

どれも味がしっかり、甘くて、野菜の味がする。感動した。

子どもの頃は、単なる近所のおばちゃんであった信子さんの半世紀が
これらの野菜を食べながら、走馬灯のように蘇った。

畑仕事をする人は、若々しい。信子さん、かっこいい。母とともに、
元気に長生きしてほしい。
近所のおばちゃん、子供の頃は、ちょっと苦手だったけれど、
今はありがたくて、愛おしい。

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ただただ、おかげさまの1年。

年度末である。企業やお役所などの組織では、年度末の締めと、新年度に向け、ラストスパートと準備。
1年を振りかえり、新たな年への準備に大忙しだ。
例年であれば、転勤の内示などもそろそろ・・・であろうが、コロナ禍のなか、
転勤者も少ない傾向かもしれない。
そんなに動かなくても仕事ができる。それに慣れてしまったから。
もしかしたら、引っ越しが少ない春になるのだろうか?
いずれにせよ、多くの人が働く企業には多忙な季節がやってきた。

それに比して、おひとり様業の私。
22回目の確定申告も無事終わり、1年を振り返る。
まずは、健康で、元気に1年を乗り切れた。
またおかげさまで仕事も、例年と変わりなく 身体的移動距離は減ったけれども
できる範囲での活動は継続でき、充実の1年を過ごさせていただいた。

自主コンサートができなかったこと、演奏活動の自粛はやむを得なかったが、
違う方法でのチャレンジをする機会になった。

日本や世界的には、いろんな意味で、膿を出す1年になったのかもしれないが、
それも、私にとってはありがたかった。
このまま、世界が日本が進んだら・・・の危機感がピークであったが、
この1年で、かなり違う環境になったと感じている。

変わらないこと、
普遍を追い求めること。
慢心しないこと。
調子に乗らないこと。

周囲の皆さまのおかげで、今、自分がこうして無事に生きて
いられるということを、片時も忘れることなく、
感謝しながら、毎日を大切にいきていきたい。

おかげさまで・・。
2021年もまもなく、2か月を終える。
この気持ちを大切に、楽しく充実した毎日を創っていきたい。

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大人になっても叱られたい

叱咤激励という言葉があるが、デジタル社会で人間関係が希薄になるなか、
この古臭いコミュニケーションはお宝かもしれない。
いろんなビジネスマンの皆さんと、日々やりとりさせていただいているが、
ときには、「そんなんでいいの?」「甘えてない?」「やるならやる、やらない理由は言い訳にすぎないよ」・・・といった言葉をかけるときもある。
一見優しい言葉は、何のためにもならず、真剣に相手のことを思うときには、
本気で叱ることも必要だと思う。
大人になると、距離感が大事で、相手の心に踏み込むこともしないで、表面的なつきあいが増えてくる。
それはそれでもいいけれど、本気で相手に向かいたいときには、表面だけのお言葉は意味がない。

厳しい言葉をメールでも、対面でも連呼せざるを得なかった相手の方より
叱ってくれる人がいないので、ありがたい存在です。ありがとうございます。

と、そんなメッセージが届いた。

大人も叱ってほしい。自信がないまま、手探りでみんな大人になってきた。
だから、迷うときには道を示し、おかしいときにはおかしい。と真剣にいってくれる人がいると安心するのかもしれない。

結局、大人も子ども。人は甘えたり、甘えられたり。

とにかく叱ってくれる人は、確かに貴重かもしれない。

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選択、決断の春に。

このコロナがきっかけでこの春を契機に、新たな道を進む人が増えている。自分の周囲でも何名かいる。

会社都合、自己都合、どちらだけでなく、このような状況であるならば、ここでチャレンジしようという選択をされている人も多い。

何かきっかけがないと、人間はなかなか変わらない。
何か節目がないと、次へ進むことが難しい。

そういう意味で、コロナという得たいの知れない存在は、人生の選択や決断の
きっかけになっている。
もちろん、そのなかには撤退、閉店という決断もあり、決して、全部がハッピーということではないが、
この時期だからこそ、同じ道にしがみつくのではなく、新たなことを始めようと
いう決断もある。

大変な時期にこそ、勇気をもって、一度整理して、新しく進むという選択を選ぶということは意義がある。

何もなく、無事に生きていくことも悪くない。
でも、何もないという人生よりも、何かある、何か新たな出会いがある、という道の方がわくわくする。

いろんな選択、決断を迫られる人たちが、3月からさらに増えるだろう。

関わる全ての人のその意志を応援し、大切な人たちの新たな道の出発を見守り、
そして環境が変わっても、素敵な関係づくりを大切にしたい。

私自身も、少し先を見据えながら、選択肢をつねに持ちながら、小さな決断を繰り返し、いろんな道を歩きながら、生きていきたい。

安定した先にたどり着ける一本道は、ないのだから・・。

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