毎朝の母とのメールは今だ続いている。国内にいる限りは毎朝6時前後に必ず送る。ほとんど分以内に返事もきており、母にとっても習慣になってきているようだ。またボケ防止の一環になっているかもしれない。でも、あまり眠い日は布団の中で入力しているのか、意味不明のひらがなが続き、打っている間に寝てしまうようで、その様子もほほえましい。母の返信に多いワードトップ3は、「ありがとう。かんしゃかんしゃ」「きょうもげんきでしあわせ」「まためいどのみやげができました(冥土の土産ができました)」だ。そして最近の返信では「毎日同じことしか書けない、馬鹿のひとつおぼえだね。あはは」という内容。確かに、毎日同じような返事・・ではあるが、結局、長生きしていると結論はシンプルになっていくのだろう。毎日起きて、食べて、動いて、話して、笑って、疲れて、眠る。結局は人生、そんなものだろう。人生が後半になればなるほど、感謝の気持ちも強くなるのだろう。生きれば生きるほど、シンプルに、そして謙虚に。それが幸せに生きられる秘訣なのかもしれない。毎日、馬鹿の一つ覚えの返信でも、ロボットではない、血の通った家族からのメッセージほどありがたいものはない。
愛の元気人4月放送は30日18時~です
私が企画構成・ナビゲートラジオ番組、ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」はおかげさまで今回から7年目を迎えます。
4月分の放送日は4月30日(土)18時~19時です。
今回のゲストはシンワ歯研の石澤亮一(写真左)さん、ストリートアートのプロデューサー大西克己さん(右)です。プチプチ感動体験談は六日町駅での感謝のお話です。どうぞお楽しみに!http://www.fmkento.com
毎日一曲。どこまで行けるか新プロジェクト、発進。
実は、新年度から始めたことがある。1月1日から始めればよかったが、そのときは浮かばなかったけれど、あとで思いついたら、そこから始められる節目が4月である。毎日、毎朝1曲。しばらくこのワークが続く。昨年はワルツを100曲ということで、1年で100曲と決めたが、早く達成しないと気持ち悪くなって5月には達成し、そのままCDづくりに勢いで向かった。今年は、1年で100曲ではなく、毎日1曲で、まず100まで行こうという試みだ。5年目に入った毎朝エッセイブログに続き、毎朝一曲。ブエノスアイレスの楽器店で仕入れた五線紙が気に入り、それに書くがその見開きで96小節書くことができる。だから毎日とりあえず96小節の曲を書く。これも習慣。6時に母にメールするのも習慣、そして最近は父にも・・。弁当も作り、ヨガもちょっとやり・・・朝がめちゃくちゃBUSYになってきたが、全部やってラジオ体操!という感覚か。
あるテーマを設定し、それを思いながらの毎朝一曲はなかなかドラマチックというか究極のクリエイティブ感覚というか。紙とペンさえあれば、人は創造できるとはすばらしいこと。
気取っていないで、考えて躊躇ばかりしていないで、そして言い訳しないで、やるならとっととやれ!といつ災難がふりかかるかわからないこのご時世、それが来ないうちにどんどん挑戦する。前向きでいる間は痛みも感じないから、不思議だ。
誰もが経験しうる「障害時」と「障がい者」
身体のどこかに不具合がある、調子が悪いときがある。・・・仕事に支障があるときもたまにはあるだろう。そんなときは、まさに障害時である。五体満足のときと同じように行動・動作ができないのは、不便であり苦痛であり・・・。今の私はまさにそうだ。早くその苦しさから抜け出て、日常生活をおくるために、治療をしたり、リハビリをするわけだ。それで回復すれば大変ありがたいが、そうならないことも覚悟しなければならないこともある。痛いまま、歩けないまま・・・五体満足ではない状態が続くと、人はその障害をもつ人を「障がい者」として区分する。しかし、よく考えてみたら、人は誰でも障害を持ち得るし、その時間が長い場合もあるし、ずっとそのまま生きなければならないこともあるが、そういった障害を持ちながらもそれを乗り越え、がんばっている人々が、元気な人と線引きされてしまうのは、本当は違うのではないか?多少の障害は誰でももっている。区分けしたり、特別な目を向ける前に、自分の前にいる人が何か困っていないか?という目で周囲を見渡せるようになれば、健常者と障害者と分けるのではなく、目の前にいるその人が困っていれば助ければよいだけの話で、その方がかえって自然だ。乗り物でも特別な席が用意されているが、そんなものはなくても、気づき、席を譲ってあげればそれでいい。ここでも形から入ろうとする日本人の癖が出ている。いつでもだれでも障害をもつ可能性があるし、障害時を経験する。どうぞ、障害という苦痛と、社会の線引きに使うのではなく、誰でも障がい者になりうるという視点で世の中を見てほしい。無意識のうちに健常者ぶってその目線になっている・・ことがあれば、その目をもっている己こそが、正しく世の中を見ることができない障がい者かも・・。自分が痛い目にあうと、人は気づけることがある。でも、手が痛い。人はいろんな苦痛とともに生きている。
「自分を変人と思う人~?」
ある勉強会で、講師の話のあいさつで、「自分のこと、変人と思う人、または人から変わっているねと言われたことがある人、手を挙げてください♪」という問いかけに、50名中1割ぐらいの人が挙手。私も迷わず手を挙げる。「創造的な仕事をするのには、変人と言われるぐらいの個性がないといけません。みんなと一緒ではいけないのです。今手を挙げた人は自分を褒めてやってください」との説明。変人とは字のごとく「変わった人」。どこがどう変わっている、誰と比べてどんなところが変わっている・・・突き詰めていくと、変人の種類は数限りなくあり、また変人でない人は本当にこの世にいるのかなとさえ思えてくる。人と全く同じ人はいない。みんな、どこかが変わっている。日本人の好きな多数決の世界で、マイノリティだと変わっていると決めつけてしまいそうであるが、それぞれ違うと思えば、みな変人だ。とわかっているのについつい、日常の言葉のなかで「ちょっと私は変わっているので。。」とついつい言ってしまいそうになるが、本当の変人は自分が変人とは気づかないので、そんな風には言わないだろう。よって、私は決して、ちゃんとした変人ではない。ということになる。
いずれにせよ、個性を大切に、想像を大切に。人と違う価値観、美学を自信をもって生きていこう。
夫婦のお見合い成立?!の歓び
昨年秋の新潟でのディナーショーでは抽選会を行い、最後のプレゼントは「マーサとの食事会」という???な景品。きっと新潟のおいしいお酒やお花や食べ物をもらう方がうれしいかもしれないが、私なりのおもてなしのアイデアで、ここのところ何年か実施している。今回は以前ある講演でお世話になり、その後定年され、新たなお仕事をされている方の「奥様」!が当選された。その奥様とはディナーショーが初対面。それもあり、奥様とだけ食事にということではなく、ご夫妻をご招待することに。さらには、そのディナーショー当日に同じテーブルで隣の席に座った夫妻との出会いを喜んでいただいていたため、今回は出血大サービス?ということでダブルのご夫妻での合同お食事会を催すことにした。新潟は広い。お会いする場所は長岡駅前。1組はわざわざ新潟市から車でやってこられる。そして2組のご夫妻がそろい、そこに私といった不思議な組み合わせで会食を楽しむ。ディナーショーがなかったら、参加されなかったら、抽選で当たらなかったら、仕事で出会っていなかったら、今日のタイミングが合わなかったら・・・この約束は叶わなかった。ディナーショーから5か月にして実現できたことも、責任を果たせて安堵。さて、その2組の夫妻、いつの間にかすっかり仲よくなられ、とくに奥様同志がすっかりいいお友達。メルアドなどもしっかり交換され、「今度は二人で新潟市で食事しましょうね~」と盛り上がっておられ、婿たちも「次、連休に上越のイベント先に会いに行きますから・・」とすっかり夫婦同志が良いお友達になっておられる。夢のような時間でした、楽しかったですとの声もすぐ届き、ひとつのミッションを果たしたような気になる。夫婦でのお見合い。なかなか日常では意外な新たな出会いが生まれないこともあるかもしれない。こんなきっかけで、新たなご縁が生まれることはとても気持ちいい。とくに奥様たちが、まるで乙女のようにはしゃいでおられた様子が印象的で・・。
「次のディナーショーの案内、待っていますね。」別れ際の言葉。こんな自分のつたないイベントでも、楽しみに待ってくださっている方がいることに感謝。そして早速、帰ってすぐに奥様同志がやりとりされ、すっかりお友達になられたご様子。今回の企画は、日頃お世話になっている旦那さんたちの奥様孝行のお手伝いがほんの少しできたかな・・・との思いも。夫婦のお見合い・・・たまにいい企画かもしれない。
これからの時代、いい仲間がたくさんいたほうが幸せかも?ここで新たな観覧車がまた回り出す。
「アテンションプリーズが苦手なんですわ!」
情報系のお仕事をされている人との勉強会は刺激的だ。ああこういうシステムで、こういったアプリで世の中をより「便利」にされようとしているのだな~。とその着眼点からも尊敬。さらにアイデアだけでは商品にならないから、その思いを実際のサービスに具現化されていることについて感心しきりだ。しかし、その専門的技術的な世界でどっぷりつかり仕事をしていると、マーケティングの基本であるそれが求められている市場を見るとか、誰に伝えたいのかといったコミュニケーションの一歩がまだできていない場合もあるようだ。この道50年。ソフトだけでなくハードまで作ってしまうというすごい会社の社長に出会う。50年とは、パソコンがまだまったく普及していないどころか、認知されていたのはごく一部の専門世界だけであっただろう。そのときから半世紀もITに携わっておられるとはすごい!しかし、その50年間、売り込んだこともなく、自分から発信したこともない・・とのこと。だから今年は営業元年として再スタートするのだと意気込んでおられる。レクチャーのあと「私は、そのアテンションプリーズというのができないんですわ」といわれる。一言で伝える、簡単な言葉で表現する。ここは出会いを創るために必要だ。いろいろ聞きながらいくつかのワードが浮かび、それを伝えると「あ、そうか!」とひらめきの顔になる。ちゃんとした内容がある、しっかり仕事をしている人はまずこのアテンションプリーズさえ、ターゲットに伝わればあとは早いのだ。興味をもった人と出会ってしまえば、あとはしっかり口説けるだけの内容があるのだから。
またまた熱心なITビジネスマンたちに出会えて、こちらもわくわく!アプリもソフトも立派なモノづくり。決して特殊な世界ではないから、やっぱりマーケティングコミュニケーションが重要なのだ。
文明社会と手荷物。
手のが痛みがとれないため、重い荷物をなるべく持たないように、リュックというかバックパックを多用するように心がけるようになった。荷物を背負うのは慣れないうちは抵抗があったが、慣れてくるといやはや、世界観も変わる。なるべく手に何ももたなくて良いようにするには、荷物をいかに減らすかで持ち物の選定はむつかしいが、背負ってしまえばこんなに快適かと、歩くのが楽しくもなる。また両手がフリーであるというのは、なんという解放感か。何十年もずっと手に肩にモノをもつことが当然であったが、背負うのは始めたら、やめられない。なぜ小学生がランドセルを背負って通学するのか。考えたこともなかったが、今は同じようなスタイル?でちょっとした「一年生になったら♪」の気分だ。
二宮尊徳さんスタイルで、休み休み本も読めそうな・・・。いやはや肩こりも軽減され、手にも負荷がかからず、背負うのはなかなか良い。手に持つよりもより重い物を運べてしまうのもすごい。
山登りをする人も、カメラマンや常に重い機材を運ばねばならない人たちも、まずはリュックだ。手をフリーに、いざというときの場合に。
もちろん何ももたない「手ぶら」がもっと快適ではあるが、ま、そうもいかない。人類はいつからカバンを持つようになったのか・・。興味深いことである。いずれにせよ、文明生活の進歩とともに、移動社会となり、便利な社会は多くの道具をもたらした。よって、移動が増えれば増えるほど荷物は多くなってきた。旅とともにバッグ市場が拡大したと推察できる。
現実を見渡すとみんな、重い鞄を持って移動している。モバイルツールの普及で重いパソコンを持って歩く人は少なくなったとは思うが、昔より荷物が増えていることは確かだ。だから、整形外科も整骨院も薬局も必要とされる。
いかに、手ぶらで歩くか。いかに持たないか。が健康移動の秘訣だ。
たまには、ユーミンのように。
夜仕事をしながら、テレビをBGM変わりに流しておく。チャンネルを廻していくと、思わず手が止まる番組を発見。演歌の番組だ。しかも、あの三善英史が出ている。中学生以来のご無沙汰かもしれない。明らかに自分より年上だから、たぶん60代だろうか。わあー、とその変化に驚きながらも、でも面影は30年前と同じであることにも感激する。顔には皺・・人のことは言えぬ。それよりも演歌歌手としての矜持といおうか、スタジオで歌う姿はあの時のまま。さすがにあの「雨に~」の出だしは高音なので、無理しているかなと思いつつも、それでも30年経っても同じ歌を同じように歌える歌唱力に仕事の手を止めた。そして。なぜかあの演歌の世界に強いノスタルジーを感じた。
昔はこういった男女の仲とか、なんともほろ苦い人生劇場が酒場に散らばっていたし、飲み屋のママたちには、このような演歌がぴったり合うような雰囲気があった。京都祇園、新宿は歌舞伎町・・・私にとって20代から30代にかけての酒場修行は人生道場そのものだった。そして、演歌が生きていた時代だ。
ああ、あのころが懐かしい。きっとそんな日陰の存在とか、女の存在も女性の進出とともに消滅したり、情報化社会のおかげかみんなうまくやるようになり、そんな情緒もなくなったのかもしれない。影で泣いている女も男性社会が作ったイメージだろうから。でもそれでもなぜか、その時代を思い出すと胸が熱くなる。
ああ、あのころはやっぱりなんとも情緒があったな~。色があった、においがあった。
と、三善英史の歌を聞いて思った次第。ああ。あの頃に戻りたい。酒におぼれて、つぶれて・・恨み節、呑ん兵衛男の無責任さ・・、なんだか盛り場が面白かった。みんな、飲み屋でカラオケを歌い、憂さを晴らしていた・・。今はそんな場面は少なくなっている。
演歌・・・大人になって聴き直すと、やっぱりいい。ああ、あの頃にかえってみたい。
歌舞伎町のスナックやそこのママや、今は亡くなったお客さんたちのことを思いだし、
演歌もいいな。久しぶりに歌いたくなった。三善英史さん、どうぞ長くご活躍を!
あの頃に帰りたくても帰れない、わが青春時代。ユーミンの歌のようだ。
すっかり、やっぱり昭和人だ。

