24時間体制に慣れる日々。

先月からいわゆる警備会社の見守りサービスというのを利用し始めている。
親と別居している人にとって、万が一の場合に、すぐ駆けつけることができない
こともあるため、外部の方の協力を得られるのはありがたい。
もちろん、防犯対策のためのサービスが警備会社の主業務であるが、最近では
高齢者の見守りサービスも、需要が高まっているようだ。
ネットで調べ、二大サービス会社のいずれかで検討。やはり知名度は重要だ。
安心感がある。そのどちらにするか?ということで、今回は、その実際の運営を
地元の警備会社と組んでいる会社の方を選択することにした。
万が一の場合、その会社の支社などから駆けつけてもらうよりも、現場の近くに
サービス拠点がある方が良い。何しろ、15分以内に現場に駆け付けられるというのは安心のひとつだ。
まず、装置の取りつけ。慣れない緊急ボタンの付いたボードを親の寝室に設置する。
まさか、自宅にそのような装置を要する日が来るとは思っていなかったが、
今から思えば電話やネット回線を取り付けるのと同じことだ。
緊急時にボタンを押せば、すぐに駆け付け、必要な場合は救急車も手配してくれる。そして、トイレの利用が12時間ないと自動的に出動してくれるサービス。
これはトイレのドアにセンサーを設置。
まさか、12時間トイレに行かないなんてない・・だから、行かない場合は要注意
ということだ。
そんなこんなで、サービスが開始。
ひとり暮らしの母も、緊急ボタンがベッドの脇について、ちょっと緊張?。
さて、サービス開始後、2週間ほど経つが、まあいろいろあった。
機械の設定も不安定で、何もしていないのに音が鳴ったり、そのたびに母が反応して、間違ってブザーを押したり、12時間トイレが利用されていないと夜中にこちらの携帯に連絡が入り、警備員さんが出動されたり・・・。
こちらも24時間関係なく、連絡が入るので、最初の電話はさすがにドキドキしたが、だいぶ慣れてきた。だいたいかかってくるのは夜中、未明・・。
母も12時間トイレに行かないと、警備員さんが夜中に家に来るのに驚き、さすがに懲りたようで、寝る前にトイレに行くよう、生活習慣を見直しつつある。


そんなこんなで、警備会社のサービス担当の方からお電話いただく機会もあり、
その対応ぶりには頭が下がり、また感心もしている。
いろんな方にお世話になって、見守っていただいて・・・。
ありがたいことだ。
警備会社から、その会社のシールをいただいた。なぜか多めに用意されていた。
「よろしかったら、ご利用ください。貼っておくだけでも、抑止力がありますので」
なるほど、警備会社のステッカーってすごい威力だ。確かに。

と、24時間体制の見守りに関わりながら、これまで知らなかった業界のサービスを日々勉強させていただいている。

このサービスを利用しているのは、万が一のためであるが、もちろん、その日が来ない方が良い。

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定年から夢を追う!

ここのところ、会社勤めをされてきた同世代で、ちょっと年上の方々より、定年後の相談や、内輪話を聞かせていただくことが増えてきた。

定年までカウントダウンの限られた時間を残し、いかにいい置き土産を用意できるかと、定年最後の日まで、長年お世話になってきた会社に何か残しておかねばと、頑張っておられる方もおられて、その志は、本当に素晴らしいことと、頼もしく思う。会社員である以上、そうありたい。

同時に、定年後何をするか。雇用形態を変えてでも、慣れた会社に引き続きお世話になるのか、別の世界に進むのか。この高齢化社会、60代から再スタートという方もますます増えている。働かずにはいられない事情もある。

20代前半、新卒で入社し、転職をしたことが無い場合、定年後の新たな就職には勇気と覚悟が必要だ。

最近話をする人は、その状況にある方が多い。ずっと同じ会社で、役職が変わってでも、違う仕事でも・・・というよりも、違うことをしたいという方が多い。

「せっかくの人生だから、全く違うことがしたい。」そうだ。

確かに、長年慣れてきた会社で元部下である、若き人とともに、あるいはその下で働くのは、難しい一面もあるかも。相手もやりづらいかもしれない。
とお互い気を使って、関係が難しくなることもあるかもしれない。

ある人は、一年後に迎える定年後、自分本来の「夢」に向かって頑張ってみようかなと言われる。何になりたいかと尋ねると、ちょっと照れながら、学者かな。との答え。

いいじゃん。ーこれから好きな歴史や文学を勉強するなんて、かっこいい。これからですよ!

とかつての先輩の背中を押してみる。
会社員としての生き方しかない。そんなことはない。
人生、いろんな生き方ができる、その中に働き方も含まれる。
人生一度きり。悔いないように、元気なうちに、意欲があるうちにチャレンジ!
改めて定年のない自分も、もちろん、同じ。


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あの空の下に眠る、神の子。

サッカーというスポーツは貧しい国ほど盛んであると聞いたことがあった。
ボールひとつで大勢ができるから、そのほかにいろいろ道具が要らないから。
ルールもわかりやすく、見ている人も楽しめるから。
世界には、お金持ちが嗜むスポーツもいろいろあるが、サッカーが世界でも最も人気の高いスポーツになったのは、そのような背景があると思う。
だから、アルゼンチンでもサッカーが盛んなのだと聞いたことがある。

マラドーナ。
私はサッカーに詳しくないけれど、ブエノスアイレスに行くと、マラドーナのグッズが社会運動家チェ・ゲバラやエビータ妃のグッズと同じように、町なかで販売されていたし、まさにアルゼンチンのヒーローとして、会話の合言葉にもなっていた。日本でもアルゼンチンの話をするときは「マラドーナの国ですね」という会話から始まる人も多かった。

スポーツのすばらしさは、貧富に関係なく、人々に純粋に夢を与えることだと思う。そういう意味でも、アルゼンチンの人々に、マラドーナは夢を与えた。
将来ああなりたい。と思った少年は、数多いるはずだ。
経済効果が取りざたされる、オリンピックに夢は感じない。
純粋にスポーツを楽しむ。熱狂できる。ここが重要だ。

マラドーナの旅立ち。
ブエノスアイレス市内の大統領府に安置された棺に、墓地に向かう道に、大勢の市民が別れに駆けつけたという。まさに国が喪に服す3日間。
コロナで苦しむ、そして度重なる経済の悪化にあえぐこの国に、つねに夢を与えてきたのは、
この神の子といわれる、マラドーナだ。

アルゼンチンタンゴとサッカーへの熱狂。
いずれも生を、情熱を感じる。

人々に夢を与える存在になる。素晴らしいことだ。
そして、あの国から、第二のマラドーナが誕生する日を願っている。

この写真は、以前訪問した、ブエノスアイレスの郊外にある、 Jardin De Pas

というお墓の写真。美しい静かな墓地であった。わが尊敬するアストロ・ピアソラがここに眠っていると知り、足を運んだときの大切な写真。なんと、この墓地にマラドーナも埋葬されたようだ。熱狂と夢を世界に与えた、ヒーローの存在に敬意を表して・・。
いい空気・・という意味のブエノスアイレス。今日もきっと青く澄んだ素敵な空の下、あの紫の花ジャカランダが咲いて英雄の眠りを微笑み包んでいることだろう。

世界で一番遠いけれども、心ではもっとも近い、愛する国ブエノスアイレスに愛と祈りを込めて。

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世界への扉を開けてくれた上司へ

この季節は、わくわくすることも多いが、まさかの報せが舞い込む時期でもあり、内心どきどきでもある。
静かな秋の夜、1枚のはがきが届く。喪中はがきだ。
心臓がとまりそうになる瞬間である。

30年前に、初の海外出張(初めての海外渡航)のチャンスを与えてくれた上司が、11月8日に亡くなられていたとの報せが届いた。
つい最近のことではないか・・・。
2年前までは、年賀状が届いており、毎回、手書きで近況やエールのメッセージが添えてあり、いつか会いに行かないと・・とずっと思っていた。
住まいを名古屋に移したあとの年賀状には、「ふるさとが近くなりましたね」
と書いてあった。

この方のおかげで、私は25歳でNYに足を踏み入れる機会をいただいた。もし
あのチャンスがなかったら、このような人生にはならなかったと思う。
マーケッターだったら、NYには行っておくべき、若いうちにいろんなものを見聞してくるべきと、当時女性の出張が稀であった時代に、背中を押して社内を説得してくれた。
今思い出せば、当時の海外出張、とくに視察が多い出張の場合は、なぜか上司たちがお餞別?までくれた・・という不思議な慣例もあり、今思い出すと懐かしいが、とにかく25歳の若き時代に、世界への目が開かれたことは、この上司のおかげである。
「あんたが行くべきだ」
あれから、30年以上、影からずっと見守ってくださっていた。
そういえば、一度、お宅にもお邪魔したことがあったと思う。

今、書きながら、当時を思い出し、しみじみ感謝の気持ちが湧き、
涙があふれてくる。

82歳。親たちと同世代だ。
このコロナ禍で、人生を終えていく人生の先輩たち。
心から感謝し、ご冥福をお祈りする。

こうやって大切な人たちが、旅立っていかれることが悲しいが、あらがうことが
できない。
だから、今できることを、ちゃんとしないと。

人生には、いろんな局面で自分を支えてくださる多くの方がいてくださることを
絶対に忘れてはいけない。
そして、遺された者が、いただいた教えや贈り物を忘れずに、しっかり元気に生き続けること。




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正面コミュニケーションのすすめ。

世の中には、いろんなカップルがいるが、そのコミュニケーションの取り方はまさに千差万別だ。
コミュニケーションのスタイルに、プッシュ(PUSH)型とプル(PULL)型があるとすると、
前者は自発的発信型であり、自分から相手に働きかけていくタイプで、
後者はどちらかというと、受動的受信型。聴く側であり、自分から発言したり、自分の意見を先に言わず、相手の顔色をかなり見ながら・・というタイプ。

カップルがプッシュ×プッシュだと、お互い言い合って喧嘩が絶えない。
そして、プル×プルだと・・・。これもなかなか難しい。
お互いに自分から言わない。思っていても言わない。顔色見て勝手に想像して
さらにプル状態になり、心の距離が広がっていき・・・疎遠になり、ある日突然パンク!ということもありえるからだ。

いろんなカップルに出会ってきて、また自分のことも棚におかず、考えてみる。
どんな組み合わせが理想か?
そこで思いつくのが、「プッシュ×プル。」
両者がプッシュ×プルならばよいのでは?一方が話したいときは、一方がよく聴く。あるときは、逆になる。
時には聞き役。ときには言う役。そして必ず聞いて反応すること。
無反応は、絶対しない。

逃げたり、あきらめたりするのは、せっかく出会ったのにもったいない。
ということで、世のカップルには「正面コミュニケーション」 を提案したい。

私が出会うカップルとは、単に男女の・・ということだけでなく、共同経営者であったり、公私ともに協力していかないといけないケースも
多いため、とくにそんなことを、あえて提案したい。
言わなくてもわかる。の過信は捨てて・・・。
プッシュ×プル。自分もこれを実践していこうと思う。

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「ずらし」、「はずし」の福。

GO TO という言葉は、ストレートだ。
行こう、行こう。行かなくちゃ!と覚えやすさもあるが、
見た目も、音もわかりやすいため、多くの人に伝わり、誘導につながる。
だから、密になってしまう。という一面もある。

一方、「ずらし旅」という言葉も最近気になっている。ある旅行関連の広告で見て、いいところをついていると感心していた。
多くの人が行かない、いけない日に、密を避けて、ずらして旅をしようという提案だ。休み明け、平日、閑散期・・・。この時期にゆっくり観光など楽しもうという話であるが、これもマスメディアに露出してしまうと、みんながずらし旅をするので、効果が薄らぐが、個人的には「ずらし」、「はずし」には利用者にもサービス提供者にも、社会にも効果があると思っている。
サラリーマンのカレンダーと違うカレンダーで動く。
人が休むときに働く。人が働いているときに、うまく時間を使って、自由に動く。
実際、ずらしたり、はずしたりすることで、価格面、内容面ともにラッキーな結果になることは多い。

すでに、自分の人生自体は、常に、ずらしまくり、はずしまくり。
であるが、人がやらないことを、人がやらないときにやる醍醐味はわが体内に沁み込んでいる。

これからもわが人生、「ずらし」「はずし」チョイスでいくとしよう。

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出会いを求めて、本屋へGO!

四半世紀前、マーケティングリサーチの有効なスポットとして書店は、筆頭的な存在であった。
企画をするなら、まず本屋へ行けば、いろんなアイデアが湧いてくると
よく利用したものだ。マーケティングプランナーという職種は便利で、
「ちょっと本屋行ってきます」という外出は、立派な仕事として認められた。
図書館も良いが、本屋は最新のものがあるという点で、マーケティングには大変有効であった。
書店に行くとついつい、必要そうな書籍をすぐ「購入してしまい、抱えきれないほどの買い物になったこともしばしば・・・。企画が終われば山積み・・・。
だから、本は増える一方であった。

ところが、このネット社会。
ある程度の調べものはネットで済んでしまう。
また買いたい書籍も、ネットで購入できるし、最近では電子ブックもあって
いわゆる本屋さんとの距離は遠くなった。

しかし、このコロナ禍で、書店が再び活気づいてきた。
自粛ムードのなか、開店している書店はあり、来店客も多かった。
他に行くところもなかったのもあるが、娯楽的にも本屋って面白いと思った
人も多いはずだ。私自身は、そう感じた。
確かに家にいる時間が長いと、本でも読みたくなる。
パソコンで読むのではなく、本を手にとって眺めたい、読みたい。という欲求が久しぶりに湧いてきた。
ただ、生活が日常に戻ると、再び書店へ行く回数は減った。

この三連休、久しぶりに丸善に行く。東京や京都で丸善は社会人になってから、よく利用してきたお店であるが、名古屋にも立派な本店がある。
いかにも「THE丸善」らしい品揃えで、書店らしいPOPも多く、また最近人気の付録本のディスプレイや話題の書もずらりそろって、お店の楽しさを感じた。
趣味のフロアを歩いてみると、料理本の種類の多さに驚き、また登山の書籍から、鉄道マニアの本まで・・・。
ネットでは検索しないジャンルの本に、書店では偶然出会うことができる。
「へえ、こんなにあるんだ~」「このシリーズ面白いなあ」
とネットでは味わえない楽しさがある。

本屋はやはり企画の宝庫だ。
実際、店内を歩いているうちにあれこれ浮かんでくるのだ。

知との出会いを求める空間として、ブックストアは大切にしたい。
店内に素敵なカフェがあれば、尚いい。

町に出よう。本屋に行こう。
本屋は密になりづらそうで、尚いい。

読書の秋。ぜひ紙の本を楽しみたい。

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単語・箇条書きと行動。

コロナの状況が変わるたびに、政治家やメディアが、新しい言葉を
発する。
とくに東京都の知事の発するフレーズは、すぐれたコピーライターの作品のごとく、記憶に残るケースが多い。
三密に、5つの「小」。。。「少人数」を「しょうにんずう」と言わず、「小人数・・こにんずう」と言い切ってしまっているところに、ちょっと無理やりさもあるが、まあ、わかりやすく、皆の合言葉としては、実用的だと思う。
わかりやすいと人は動きやすい。
単語にすると、箇条書きにすると記憶しやすく、自分も口ずさみやすい。
そのあたりを、こちらの知事さんは女性感覚も活かし、うまいこと表現される。

ただ、外来語を並べると、新しさはあり、コトバ慣れしている人には心地よいが、分からない人には、不安につながることもある。

いつもコトバ選びも謙虚で、聞き手の立場を考えて、選びとることが必要だ。
事態が変わると、それに対応する、新たなコトバが生まれる。

このコロナ時代、コミュニケーション面からも学ぶことは多い。
ただ、もう新語が必要にならないように、終息してほしいが。

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ずっと昔のような、夢の世界のBefore時代

もうすぐ12月。わがバースデー月でもあり、今年最後の月でもあり、クリスマスも年末年始もあって・・・お祭り気分の一か月。普段より、より早く時間が経つ
そんな12月。カレンダーの最終ページを飾るファイナルタイム。

写真は2019年の12月4日のドイツのボン。ベートーベンの生誕の地で撮った。
ドイツの古都であるこの町で毎年開催される、
クリスマスマーケット内のバーの様子だ。
寒いドイツの冬。人々は昼間から赤ワイン、アップルワインなど
いただきながら、あたたかい煮込み料理やソーセージをいただく。
もちろん冷たいビールを飲む人もいる。
賑わっている。次々と人が集まってくる。楽しそうだ。

と、こんな人が集まる光景。今年はない。
各地のクリスマスマーケット、クリスマスパーティー、カウントダウンイベント・・・。今年は中止だとのこと。
人が何の不安ももたずに、楽しく集い、笑顔で飲んで食べて語らい・・。
知らぬ人ともグラスを傾け、笑顔を効果する・・。
こんな楽し気な光景が今年はみられない。

今、改めて2019年以前の世界が気になり、さまざまな写真を見直してみる。
人々が集い、楽しく過ごしていることが罪のようになってしまっている
今年の冬は、寒さだけでなく、心理的にも厳しい。

Withも、Afterは、これからのこと。
今、あらためて Before コロナのことを懐かしく、愛おしく思う。
本来であれば、今年ベートーベン生誕250年を迎える12月に、この写真の
場所に足を踏み入れたかった。叶わない。

コロナBefore時代は、今やずっとずっといにしえの、そして夢の世界のような・・・。

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マイカレンダー2021の準備。

いつの間にか、毎年恒例になったマイカレンダー。
自分が撮った写真や、撮っていただいた自分の写真で、来年の12か月を構成する。
長年一緒に仕事をしていただいているデザイナーさんが、最初プレゼントして
くださってから、私ももちろん気に入ったし、さしあげた方に大好評で、その後、毎年超限定でつくり、親しい方やご希望される方にお届けしている。
有料でいいから、という方も多く、ありがたい限りだ。
一年間、仕事場や店頭、ご自宅で、私の分身?を置いてもらって過ごしていただく。病床においてもらっている方もおられた。
「いつも、癒されてるよ」「写真を見て元気もらってます」・・・との声をいただき、毎日一緒にいるような気持ちになれるツールの存在はとても意味があると、思っている。
そろそろ、2021年分の用意。今年はあいにく海外には一度も行けなかった。が、昨年末までに出かけたところで、今の思いや状況に合ったもの、そしてグラン・ルーらしいもの、自分らしい写真・・少し変化をもたせて、12枚を選ぶ。
自分である程度多めにセレクトし、あとはそのデザイナーさんに選んでいただくことにしている。第三者の目を活かしたいため。自分らしさは、実は自分だけで決めるものではなく、周囲の目が大切だ。
その方が選んでくれた案を基本に進める。
マーサとともに、12か月を過ごしていただきたいマイツールがまもなくできあがる。以下の写真は昨年、パリのサンジェルマン・デ・プレ教会で撮影したもの。平和への祈りと、そして今はコロナ終息への祈りを込め、この1枚も選定。自分だけのカレンダー。なぜかとても気持ちいい。希望される方に心を込めて、来年も寄り添い合える人に、お届けしたい・・。

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