365日という時間と記憶。

軽井沢でのバスの事故と同じ日に、新潟富山県境の高速トンネルで、お世話になった方が交通事故で即死。
1月15日は一生忘れられない日となった。テレビでは軽井沢の事故のことを大きく報じていて、それと連動して
余計に強く思いだされるが、この1年間、何度思い出していたことか。

家族となれば、最愛の人となれば、大切な方を失くされての1年は、つらく重く寂しく・・
その喪失感とは他人にはわからないものだと思う。
一緒に出掛けたところ、一緒にしたことはしたくない、行きたくない、思い出すから・・。
とお聞きしたことがあるが、生活のいたるところに亡き人の面影を感じることは・・。

それでも時間は人の悲しみを癒してくれるのだろうか。
残された人は悲しくても、それを乗り越えて生きていかねばならない。

時間は毎日過ぎていく。毎日生活は繰り返す。
目覚めて、食べて、働いて、休んで・・。
最愛の人がいない状態の生活を何度続けたら、不在の生活に慣れることが
できるのだろうか?

365日は短いか、長いか。
それもわからない。

いつかそんな日々を過ごす。生きているとは出会って、かかわっていつか別れること。

その方のご家族が、悲しみを乗り越えて
お元気に過ごしておられることを心から願っている。

今日も、彼女に出会った最初の日と最後の日を思い出す。
永遠に安らかに。そしてご家族を見守り続けてくださいね。

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反応は顔つきでわかる。

お手伝いしている百貨店催事でチラシを配布しつつ、通行客に
呼び込みするという久しぶりの業務。
実は現場でのこういった仕事はマーケティング的にとても
面白いため、わくわくする。
地下街からデパート地下食品売り場に入る、まさに地下の玄関
であり、常に数多くの買い物客が出入りする。
セールが開催されていることもあり、平日でも賑わいがある。
「いらっしゃいませ~」
「本日開催2日目の道の駅のイベント、大好評です・・」
「全国の道の駅でしか買えないおいしいものを集めました」
「どうぞお立ち寄りください~」
わずか数時間であるが、ずっと声をかけ続ける。
耳を傾けたと思った瞬間にチラシを渡して、個別に誘う。
一人興味をもつと周囲の人もつられる。
「それ、ください」
チラシをわざわざもらってくださる方もおられる。
催事にフライヤーはやはり必需品だ。
声をかけた瞬間に、ふっとお客様の表情が変わったり、
目が合うと自然と笑顔になったり、
余裕がある感じの方であったり・・
そんな方の反応が良い。
余裕がありそう、興味がありそう、いつも何か求めている感じ・・
これらは表情で、顔つきでわかる。
1日におそらく1000人以上の方を見ただろう。
間違いなく、高齢化社会。
デパートに買い物にくる方は富裕だ、心のゆとりがある方だ。
この呼び込みの仕事は、やめられない。
まさにいつも講座で話すAIDMAのAがここで決まるのだ。
現場に必ず答えがある。だから、企画の仕事をするものは
現場に足を運ぶこと。が大切だ。

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ときには鍋を囲み、話題を変える。

ずっと応援している若手経営者がいる。
なかなか具体的にお手伝いすることが難しいため、せめてもと思い、
時々食事に誘い、息抜きをしてもらうようにする。
彼にはピアノを弾く姉さんがおられたが、若いときに病死されたと聞き、
そのお姉さんの代わりはできないが、それでも大丈夫かな、大丈夫かなと
弟のように心配はしている。
3カ月ぶりぐらいの面談。たまには鍋でも、と誘ってみる。
寒い冬の日は、鍋はいい。大した会話がなくても、その鍋を一緒につついて
いるだけでもほっこりするものだ。
久しぶりに会うので、世界情勢、今までしたことのない政治についてのこと
田舎の話、東京暮らしのこと・・などなど、ぼつぼつ話し、食事をとる。
雪がちらつく夜道、その社長は駅まで車に乗せてくれ、そして握手をして
別れる。「がんばってね、お姉のつもりで応援しているから」。
その2時間後、お礼のメールが入った。
わたしが仕事のことをあえて会話せず、世間話に終始していたことを
感謝してくれるメールだった。
どんなに相手を心配していても、核心に触れる話題が事態をよくする
とは限らず、鍋でもつつきながら、ゆるい話、すぐ自分にふりかかって
こない話題をするということも時には意味がある。
世間話といっても、ついつい自分の考えを述べてしまいがちではあるが
話題はいつでも豊富に。
そして冬のコミュニケーションに、鍋はやっぱりいいようだ。

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幸せや満足は向かう「過程」にあり。

ある映画の予告編で哲学教師が授業でこう話す。
「幸福がなくても、希望があれば、生きられる・・・」
誰が言った言葉か知らないが、名言だと思った。

たとえばこんな例えだろうか。
子供のころ、遠足に行くと決まって、行く前日までが
とてもうれしかった。とくに前日の夜が嬉しさのピークだった。
遠足当日、終わったらとたんにさみしくなったような・・。
大人になれば、どこか旅に行くとする。
出かけるまでの準備中のやりとりはなんとも、うきうきする。
それと同じことだろうと解釈する。

何でもその幸せな時間に向かって進んでいるときが一番幸せである。
そのピーク、幸せな時間、イベントが過ぎたら、幸せももう終わる。

もちろん、次の幸せのために、また新たな欲望、希望をもって
行動を始める。
人生とは幸せな時間の「ため」の、プロセスの集合体のようなものかも
しれない。
幸せなことの多くは、このプロセスで成り立っていくのかも
しれない。

人間には生きる希望が必要だ。絶望だけはいけない。

今年も向かうプロセスを大切に、幸せをかみしめて生きていきたい。

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どの役割で生きるのかを明確にする。

「黒子」という仕事は重要だ。
世の中の見える現象や、一見主人公、主役に見えている人
は、それ自体やその人だけではそこに立ち続けることはできない。
周囲のいろんな方のお世話で、支援で、光を当てていただく
ことができるのである。

私が私が、俺が俺が・・

という役割も世界にはたまに必要だ。
その人の人を引き付ける魅力、求心力があれば
そのパフォーマンスの裏にある目的が達成しやすい。
その目的が誰のためかも要注意ではあるが・・・。
利己のための私ではなく、利他のために私が何ができるかが
大切だと思っている。

人間は社会的存在であり、いろんな場面でいろんな
役割を担当することがある。
その役割の意味・意図を理解し、主役を演じているならば
それも良いが、勘違いして自分の見え方や光の当たり方ばかり気にして
役になりきっているのは見苦しいかもしれない。

役割とは所詮、役割。そこからその人自身が透けてくる。

人のことは良い。
自分の役割は何なのか?と思う。
支援をする、応援する、支える。協力するという役割が多い。
すべて黒子である。
この役割を全うしながら、そして発信することも忘れずに。
発信するということも自分に与えられた重要な役割だと
思っている。
もちろんこの役割自体、誰かに支えられ、応援され
実行できるのだ。

それぞれおかげさまで、役割を発揮できている。
それぞれに黒子の存在がある。

周囲に感謝を忘れず、誰かの黒子でいられる
ことも楽しみ、精進していこう。

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「笑っていただく」という姿勢。

子供のころから、落語の良さもわからないうちから、「笑点」で身近な存在に
感じていた歌丸さんの体調が心配な今日この頃。
そんななか、
新人落語家へアドバイスをされている様子をテレビで拝見する。
しんどくても、熱心に後進の咄家たちに熱心に落語家としての心得を
話されていたのが印象的。
そのなかで一番勉強になったことば。
「お客さんを笑わせようと思ってはいけない、笑っていただくのだよ。」
この「笑っていただく」という目線、姿勢にこの方の芸人魂全てを感じる。

以前、ライブのときにお客様が笑い、泣けるステージにしたいと
思いながら準備、練習をすると書いたことがあったが
「笑わせたい、泣かせたい」と思っていたような気がする。

泣いていただく、笑っていただく、喜んでいただく・・それが仕事の基本だ。
より細くなられた歌丸師匠が、一生懸命に後輩たちに説かれていることを
私も一緒になって勉強させていただく。
姿勢で芸も変わるはず。

師匠のご回復を心からお祈りする。

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どうせなら、使える1枚に。

今年の年賀状、腱鞘炎ではあったが、まず第一弾をようやく出し終えた。
(ご挨拶が遅くなっている方には、ごめんなさい)
手が痛いなら、宛名シールにすればいいのにという家人のあきれ顔を横に、
やっぱり手書きでと思う。おかげで1日100枚が限界で、書き終えたあと
リハビリに通う年始。ちょっとバカみたいだけれど、痛いより書かねばが
優先される。(力が入らず、おかしな文字になっているのもある・・)

1枚づつ書きながら、その人のこと、その人とのことを思い出しているのだ。
いただく年賀状たち・・。家族の写真や、干支のデザインなどが多い年賀状。
思いをつづっている人、年間報告も中にはある。
ありがたいことにみなさんに「元気もらっています」「パワフルな1年を」
などのメッセージが多い。自分の世の中への役割を見直す瞬間でもある。
そう見えているんだ~。という感じだ。

さて、こちらからのイヤーカード。
どうせ出すなら、使えるものにしよう。
ということで、今年はカレンダーに。
さらに年賀状バージョンではないものも用意。
せっかくなので、ご希望の方にもらっていただければと・・。
新年にリニューアルしたサイトでプレゼントとアップしたら
さっそく、応募もあり、うれしい限り。
たった1枚のハガキではあるが、「ふーん」と見て終わるよりも
できれば使える1枚にした方がエコであり、情報価値も高いような?
「でも、自分の顔は入れなくていいんじゃない?」
いやいや、あった方がオリジナル感がより強調されるため、家人の意見はスルー。
ご希望の方は、ぜひお申込みください。数に限りがあります。
(公式サイトからお申込みください)マーサ公式サイトトップ

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つぶやきに右往左往ではなく。

太平洋を隔てた隣国の、まだ人気前の人物のツィートにいちいち過剰な反応を
しているマスコミの姿勢が気になる。

ツィッターとは、もともと呟きであり、呟きは思いつきであったり
ひらめきであったり、瞬間の投げかけであり、その真意までは
理解できない短文のメッセージツールだ。
キャンペーンでは有効なこのSNSも、政治となれば、経営となれば別であろう。
騒ぐからまた広がる。
ま、騒がせたいから発信しているという狙いもあるだろうが、
呟きであり、非公式なメッセージであるはずべきものだ。と解釈する。

いちいち反応せず、黙って無視すればどうだろうか?
マスコミが
誰がこういった、ああいった。ということにいちいち反応して
無駄な騒ぎを作っていること自体に疑問をもっている。

そして、次期副大統領が諭しているように、
発信するご本人ももっと冷静に大人になって、発信するタイミングや
手法をきちんと伝えていかねば、世界中が混乱し、振り回されるばかりだ。

いずれにしても、まだ始まっていないのに、
いちいち報道ネタを得やすいSNSからもってきて、それに過剰に反応している
メディアに、ちゃんとしてくれ!と心から言いたい。

呟きは、呟きだ。
政治や経済は、そんなものだけで成り立つわけではない。
あらゆるメディアを総合的に判断し、活用し、「きちんと」
伝わるように努力すること。
トランプさんには、変化を起こすという点での期待ももちろんあるが、
目先のことだけで、揺らぐ現実社会の中では、危惧もする。

国内の政治家たちはそういうときにこそ、ちゃんと自国の企業を守ってほしい。
ポーズだけの表敬訪問をするのではなく。

とにかく、ぶれないこと。きちんと示すこと。

この混迷の時代こそ、コミュニケーションについてのしっかりした
見識と正しい行動が重要だ。
まずは、自らを正そう。

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新年イベント案内第一弾! 全国の「道の駅」が結集します!

旅好きの方には、「道の駅」の存在はたまらないはず。
かくいう私も、「道の駅」が大好きで、各地へ出かければ必ず寄りたい
スポットです。
その土地の魅力が体感でき、その土地でしか入手できない味や、文化など
に触れることができることがたまりません!
とはいえ、なかなか各地の「道の駅」を同時にめぐるということは
できないのも現状です。

今回は「道の駅」が好き、おいしいものが好き、旅が好きという方のために
全国の「道の駅」が結集した特別イベントのご案内です。

「道の駅」の情報を発信サポートする団体「一般社団法人 未知倶楽部」
が主催で、「全国道の駅大集合 ふるさとフェア」が来たる1月11日より
17日まで、横浜高島屋地下催事場で開催されます。
百貨店でのこのような道の駅イベントは、本邦初であり、20もの駅が
集合するというのも珍しい試みです。
本企画をきっかけに、全国の「道の駅」が地方創生のための元気な拠点に
なればとの願いで企画されました。

私自身も本企画を応援しており、12日、16日は会場に足を運ぶ予定ですので
その日でもその日以外でも、ご都合よい日にどうぞお出かけくださいませ。
そして、試食やお買い物も楽しんでいただき、感想もお聞かせ
いただければありがたいです。

皆様のご来場を心よりお待ちしております。

未知倶楽部公式サイト

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文字ではなく、自分の言葉で伝える力。

スピーチライターがいかに美辞麗句を連ねた原稿を書いても
テキストで見ている限りは、一見いい文章っぽく見えるけれども
人が話して伝える以上、顔で見て、耳で聞き、心で詠むため、
文字的に滑らかな作り物の言葉が、伝わるかは別の話だ。

最近マスメディアに登場する、世のお偉い人たちの
中には、自分で話すことを人に考えてもらっていることが
まるわかりで、見ていて少々滑稽で、そして恐ろしくなる。

自分で自力で絞り出した言葉には、厚みがあり、血が通っている。
だから、人々は感動するのだ、応援しようと思うのだ。
言葉の力ではなく、利権やお金の力で伝えることに慣れている
人はコトバの持つ本当の意味を軽視しているか、
理解できていないのかもしれない。

新年からぺらんぺらんの言葉を見聞きする、単語だけが
キーワードっぽく表現されて強調されるけれど、
「それ、あんたが考えたんですか?あんたの言葉ですか?
考えですか?」
と思いながら、冷ややかにスルーしている人々がいることを忘れては
いけないと思ってしまう。

黙っているのは認めているのではなく、怒っていることも
ある。無視していることもある。
美辞麗句を並べなくてもいいので、
一生懸命自力で、自分の言葉で生きようと頑張る人を
とことん応援したい。

文字を暗記して伝えるのと、自分で考えて発する言葉は
その一言一言がもつ力が違う。

自分の言葉。自分の考えがないと発することができない。
もっともっと勉強しなくては。とまず、自分から。

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