真っ直ぐ心に染み入る言葉。

長崎でこのたび開催された、原爆の日の記念式典。
被爆者やご遺族のみなさんの思いを思うと、涙なしには
いられなくなる。
今回の被爆者代表の89歳の方のお話しには、言葉に
ならない感銘を受けた。たまらない気持ちになった。
現実に体験したからこそ言える、内面からあふれてくる
出てくる言葉がある。
その言葉は平和を核廃絶を訴えているのに、
暴力的でもなんでもない、静かに静かに、
伝わってくるのである。
そして、長崎市の田上市長の平和宣言。
こちらも、大変立派で、世界中に
確かに響く力強いメッセージであった。

言葉は静かで落ち着いたものであるが、それゆえに人の心に
染み入る。
平和とは訴え続けるとは、活動するとは声を荒げたり、目立とうとしたり
作った言葉で誇張することではなく、
淡々と静かに語り続けることの連鎖により、より人から人へと
伝わっていくのだと、今回改めて思った次第。

会場の外では、反政府のデモ行進をしていたようだが、
会場内にいた、その標的の人にはどう映ったか。
大声でのTPOを考えない、雑音にしかならない迷惑は
反対行動よりも、ちゃんと場をわきまえ、
切々と、冷静に語る言葉の方が痛く響いたことだろう。

長崎市の歴史について、いろんなことに心を寄せながら
応援を続けていきたいと思う。
なんで、この町に魅力を感じ続けているか・・
苦労してきたのに、優しい。華やかだったのに地道。
でも、心の奥底にあるちゃんぽん文化で、人生を世代を
豊かに乗り越えてきたのだ・・。
だから、私はこの地に永遠の敬意と憧れを抱く。

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長崎の鐘を心で鳴らして

長崎の原爆記念の日。
今年はこの時期に訪問が叶わなかったが、自宅で静かに
式典の様子を見守る。
あの長崎の鐘が、悲しく美しく猛暑の空に響く。
広島に続いたこの悲劇。72年経とうが、事実は変わらない。

あの、原爆記念館に足を運んだ数年前、声にならない叫びが
体内を巡った・・その記憶が今も消えない。
長崎の人は、歴史上、さまざまな他の地域の人々が
経験しえなかったような重い歴史を重ねてきた。
殉教、開港、繁栄と苦闘は、皮肉にもこの町の歴史の両輪である。
そして、72年前のこの原爆・・。
なんで、こんな美しく、穏やかな街に・・・と戦争を知らぬわが身では
あるが、ぶつけようのない怒りを感じる。

実際にそこに生まれ、住み、ご自身が、家族が被ばくされた人たちの
ことを思うと、外野は何もいうべきではない。
静かに静かにただ、祈るのみである。

広島出身の知人がこの「原爆記念日」という日を「わが家のお盆」
と伝えてくれたが、本当に悲しい現実だ。
戦争。
素晴らしいけれど、愚かで残虐な人間。
今も変わらないところが情けない。

台風よりも、地震よりも、この人災は、永遠にNO MOREなのだ。
被ばくされたおばあさま、その家族・・わずかな知り合いのことを
思い出し、
静かに1日を過ごす。
セミの鳴き声が、いろんな雑音を消し去ってくれるように
感じる。
被爆者の高齢化とともに、記憶が消えないよう若い世代の人達が
立ち上がっている長崎を、広島を応援しなければ。

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そろそろ人生の仕上げを意識

ある方から暑中見舞いをいただく。
今秋に、お孫さんが生まれるという内容で「まだまだ『終活』など
といってられません・・」という、手紙の向こうに笑顔が
透けて見える。

終活・・もちろん、私にも今は関係ないと思っているが
そのことよりも、
最近、何か人生の仕上げになることをしなければと
思い始めている。

目の前のことは、それなりに向かい合って生きてきては
いるが、もうこれ以上できない、これが集大成だ、
これこそわが挑戦だ!と
胸をはれるものがあるかといえば、まだまだ・・
お恥ずかしい。

もちろん100歳まで生きるのかもしれないが、
それにしても、
仕上げの気持ちで仕事をする、何かの取り組みを
することは大切なこと。

日々に流されるな、
自分らしい人生をつくろう、
もっと勉強、努力。

今、その仕上げが何になるのかを模索中である。

悔いない人生にだけはしたい。

きっと、このままで終わるのは嫌なのだろう。

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「ここで生まれたのか~。」の感動を得る場所

いろんな偉人の出身地。故郷がその人をどう扱い、後世に伝えるかは
とても大切だ。
ある経済界の偉人の出身地。その人の資料館をオープン!と大々的に
お金をかけたチラシを他のミュージアムでそれをみつけたので、へえ!と
喜び勇んで、そこを出かけてみると、はっきりいってそのご本人や子孫に
失礼と思うような、しょぼい扱いでびっくり。チラシとまるで違う。
市が管理する健康施設の会議室を記念館として、パネル展示だけで、その人を
紹介しているが、そこに来る人はどれだけいるのか?
わざわざ来た人はどう思う?という印象だ。
余った箱物で、無理やり作った展示室のよう・・・。
もともとその人のことは他県の展示室で知った。そこの展示はよくわかったし、
伝わった。だから期待して、出身地の展示室にも訪ねてきた。

その偉人が、ここで生まれ、偉業を成した。世界遺産になったあの工場もこの人が
作ったとのこと。どうせ展示するならば、いろんな意味で敬意を表さなければ・・。
少し残念な気持ちでそこを去る。

その後、そこから30分ほど、車で移動した近所の町。
世界的に有名な、日本で初めてパリに留学した画家の美術館があると知り、
ついでに出かける。この著名な人のふるさとが、その街の出身だったのだ。
そのことを初めて知り、でも期待せずにそこへ向かう。

この方のパリを描いた絵画は、竹橋や京都などの美術館でよく見かけた
ことがある、好きなタッチの油絵だ。
この絵を見ると、パリへのあこがれがより一層強くなる・・そんな
作品。
その美術館は、この町出身の画家の作品を、大変丁寧に展示しており、
またパリのアトリエまで再現していた。
敬意を持って、その街が生んだ芸術家のことを紹介しているのだ。
これまで知らなかった、この画家の人生に触れ、そして
こんな近くの町で生まれた人が、明治時代にパリへ向かったとは・・
感動と勇気を得た。

違う分野ではあるが、行政が地元が生んだ偉人の功績を後世に伝えている
例。全く違う印象を得た。

訪ねる人が、残念と思うか、ああ素晴らしいと思うか。
資料館や美術館と銘打って、発信拠点をわざわざ創るならば
きちんとするべきだろう。
前者の町は、とても残念で、後者の町は、ちゃんとやっている。
もちろん経済人と、芸術家では見せ方、伝え方の難易度も
違うのかもしれないが。

「ああ、この方がここで生まれたのか~」
ふと、以前わざわざ訪ねたドイツのボンにある、ベートーベンの
家の屋根裏部屋を思い出す。

後世の人が勇気と刺激を受けることで、後に続こうと
思う人が増えることが大切だ。

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夏まつり、思いは空に海に。

この週末も、全国各地で花火大会やお祭りが開催された。
今週末からは、お盆休暇に入り日本中が大移動。
その前の地元まつり。
地元で地元の人々が汗を拭きふき、交流する。
この猛暑でも、賑わいは変わらない。

神楽坂でのまつりは、ほおずきに阿波踊り。お江戸の祭りは、
ちょっと大人びて・・・。
岐阜や名古屋や安城でも、商店街・商工会あげての夏まつり。
金魚、水風船すくい・・、やたら、とりのから揚げを売っているなど
地域性が垣間見えて、ちょっとずつ違う日本各地のまつり。

新潟でも、民謡流しや花火大会。職場でも練習してみんなで踊る。
大人も子どもも、まつりはわくわく、うきうき。
日本中が日本らしい国、街に戻るひとときだ。

主催しなくても、ぶらり参加するだけでも非日常な気持ちになる
のが祭りの魅力。

一方、原爆記念日を迎え、盆が近づき、厳粛な気持ちになる。
広島出身の知人は、8月6日が我が家の盆だと言う。
そして、長崎の精霊流し。
原爆ののち、生まれた祭りではないが、
あの町であの祭り・・長崎ならではの夏祭りで、一度観たら
忘れることができない。
幻想的で、締めやかで、哀しみを爆竹の音が消し去るあの世界は
今も心にくっきり残っている・・。

花火は空へ、
精霊船は海へ。

祭りは楽しくもあり、亡き人を忍ぶ時間。

世界中に祭りは数々あれど、今ここに生きる人の
場所(土地)と時間(歴史)と血(地縁・血縁)を
結ぶ、大切な非日常時間。

どんなに猛暑になろうとも、なくなることはないだろう。
日本の夏。

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暑い日は、おうちで「カフェORティー?」

先日、その土地でとれる旬の美味~桃をお送りいただき、その気持ちに
いたく感動。いつも、いつもその季節に、その土地のものをお届けいただき
恐縮しながら、ありがたくいただく。
そして毎回、そのお返しに悩む。
いろいろ迷った結果、自分がもっとも好きな、長年愛好しているお菓子と
コーヒー紅茶のセットという、ごく平凡なものにいきついた。
無難というか、どなたにもある程度楽しんでいただけて、そして何より
その方はご夫婦仲が良いから、一緒にお茶の時間を楽しんでいただけたらと
ちらっと思い、それを選びお送りした。

「今、高級菓子が届きました。これからは夫婦でお茶の時間をたくさん
作って楽しもうと思います」

とメールが届いた。いやー、全然高級じゃないのに。
でも、なんだか喜んでいただけてよかった。
そう、年を重ねると、何十年も一緒にいると、観光地に行かなくても
遠出ばかりしなくても、
おうちでカフェ・ティータイムを楽しめるのが良い。
それができる夫婦って、素敵だと思う。

ささやかなお礼ではあったが、こんなカフェタイムセットから
夫婦の笑顔と会話が生まれたら、こちらが幸せだ。

「コーヒー OR ティー?」
実は、この言葉はとても好きだ。
うちも、毎朝はもちろん、休日は午後カフェも恒例化している。

そんななか、今度は挽き立てのコーヒー豆とクッキーのセットが
届いた。

素敵な時間のプレゼントを贈り合う・・はとても良い。

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人の役に立つ仕事。人に夢を与える仕事。

最近、仕事、職業というものについて、その意義・価値を
考える。
政治家とか、著名な経営者とか、芸能人とか・・露出度が
高い職業は世間での共通の話題になるため、ネタになる、
という意味で存在価値があるのかもしれないが、その情報と
実態は別モノかもしれない。
「偉い人」という定義を今一度見直す必要がある。
そういう意味では、子供時代に「偉人物語シリーズ」で
読んだエジソンも野口英世も、豊田佐吉も本当にえらい人
だったと思う。

人の命を救う、痛みを軽減してくれる、救ってくれる・・。
純粋に人のために尽くす人は尊敬のほかない。

世の中には、いろんな職業がある。
たとえば社会のインフラ、ライフラインを支える仕事も重要だ。
電車やバス、電気・ガス、水・通信・・・。
今の世の中は大変便利だ。
これらはあって当たり前、動いていて当たり前ではなく、
それを支えている人たちがいてくれるから、普通の暮らしができる。
今、あらためて普通に暮らし、仕事できることがありがたい。
そのしくみを作り、動けるようにしているシステム・技術力
がなければ何も動かない・・。見えないところでいろんな人の努力があって
多くのみなさんのおかげで、私たちは生活できている。

私の仕事は、今、人の役に立てているだろうか?
そして、人に夢を与えることができているだろうか?

ふと、仕事の原点を見つめ直したいと思う次第。
勘違いしないで、つねに謙虚で、自然体で
規模は小さくても、まさしくおかれたところで咲ける花で
あればよい。
と、電車の運転席が見えるところに立ち、ずっと運転手の仕事を
背中から見ていて、改めて思った。

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おもてなしレスの夏?

最近の旅先(出張先)でのこと。
ある老舗旅館。昭和の時代には栄華を誇っていたらしく、
政府観光登録旅館であること、皇族がお泊まりであったことを
フロント前でしっかり写真とともにアピールしている・・。
そのような旅館は日本各地に時々あるだろうが、
そんな誇り高き旅館。
そこの客室の冷蔵庫。昔はビールやジュースがそこから出されたら
すぐ計算できるように、保存スペースが型抜きされており、
そのビールやジュースしか入らない。しかも1本抜いたら
戻せない・・・というシステム、昔の旅館によくあった、あの冷蔵庫。

それが今もあるのは驚かないが、なんとビールもジュースもなく、
その型抜き状態のまま、電源が入っており
「自由にお使いください」とのシール貼り。
へ?ここに何を入れろというの?何も入らないじゃない。
入れたいのは紙パックだったり、500ミリのペットボトル
なのに・・。
まったく役に立たない冷蔵庫を、放置したまま。
さらにトイレのスリッパは真っ黒で、絶対に履きたくない。
というものが平気に用意され、布団も清潔ではなく、
熟睡を妨げられた。

二度とくるか、こんな旅館、そしてこんな町・・・に
という気持ちをおさえつつ・・・。
ドアのところで
「ありがとうございました」
と丁寧に頭を下げてくれるが、それより先にやることあるよ。
という感じ・・。

次に、ある地方の空港。
最終の飛行機が20時すぎ。
早めに着いたので、ご当地の美味しいものでも
食べてから、搭乗口に入ろうか。
蕎麦にしようか、お寿司にしようか
とわくわくしながら、そのレストラン街に
いったところ、すでに閉店。
まだ、乗客がたくさんいるのに。
せめてあと30分、営業時間伸ばしたらいいのに・・。
空腹であったため、
仕方ない、売店でパンかおにぎりでも・・と
思ったら、売店もすでに早々と
シャッターが下りており、ショック。
ここは共産圏の国営空港か?と思うほど。

でも、お土産物売り場だけは明々とライトが
灯り、営業中。
本当におなかがすいていたので、
すぐに食べられるものはないかと探して、
恥ずかしいが
お土産用の1枚入りの練り物と、
食べきりサイズのおせんべいをしぶしぶ
買って、人のいない椅子を探し、そこで
食べるはめに・・。
この日の夕食はこの地元のお土産を空港のロビーで
食べるという思わぬ事態。

なんだこの空港。
なんだこの町は。
おもてなしって、気持ちよくこの町を
出てもらうことじゃないの?

おもてなし、おもてなしと世間は騒いでいるけれど
実態はこれなのだ。と
改めて思った。

販売するお土産のアイテム数をそろえるより、
旅客が不便に感じないサービス体制を
作ることが先であると思うが・・。

とにかく、その街に少し失望してしまった。
そして、この空港を利用することがあったら
次回からは、どこかで食事してから
ぎりぎりに来るとしよう。
と心に決めた。

しぶしぶいただいた練り物がやけに
ご馳走に思えたことは間違いない。
そして倹約もできた・・が何か
心貧しく、不満の残る帰路になった。

が、その後機内から夜空に舞う花火を
見下ろせたことが、せめてもの
救いとなった。

おもてなしレスの夏は、
ノーサンキューだ。
日本中はこの夏休み、
笑顔生まれる、おもてなしで
満たされますように・・。

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「私のにんじん」を明日の方角にぶら下げて・・

馬は本当に、にんじんが好きなのだろうか?きっと好きなのだろう。
私も大好きだ。にんじんの鮮やかなオレンジ色は見た目にもエナジーにあふれ、
味も触感もよく、スリスリして毎日いただくと幸せを感じる。
(ただし、スリスリすることで腱鞘炎が治りづらくなるので要注意)
と日々のニンジンの存在にも感謝しているが、

自分の本当に好きなものを、目の前にぶら下げておくと人はがんばれる!こと
を実感する。

たとえば受験もそうだ。学校に受かったら〇〇に行こう。
しんどい仕事が終わったら〇〇を食べよう。
なんでもよいが、その好物は、人によって違う。

私は今、数か月後に「私のにんじん」をセットした。
というと大げさであるが、小さなにんじんであれ、細いニンジンであれ
自分を動かす、見えない力で私の背中を押すニンジンだ。

誰にでもそんな存在があるのではないか。
それが自分へのご褒美ともいえるかもしれないが、
ご褒美はいつも与えるものではなく、
ほんとうにもったいつける方が、がんばろうという意欲が持続
できるのかもしれない。

人って意外と単純な動物だ。

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田んぼに癒され、農家に頭が下がる。

<今日の詠み人>
雲間の眼下に現れた 青き田園
収穫の日を待ち 暑さも我慢 農家にただ感謝

外は暑いのに、窓から見る田んぼの風景は涼しげに見える。
これが、もし赤い田んぼだったら、そんな印象にはならない。
青々と実る稲は、暑さに負けず、育っている。
全ては人間のために・・。

猛暑に耐える稲たちに、そしてその稲を大切に育む
農家の人たちにはただ頭が下がるのみ。
消費者というのは、ただ消費するのみで・・。
作る人、育てる人はあまりに偉大だ。

とれたての枝豆をビールとともにいただく夏。
本当に食べているだけで、飲んでいるだけで
いいのだろうか。罪悪感とともに感謝の気持ち
が芽生える。

あの美しい田んぼのお世話をされている
人々を思うと、大地の恵みを
大切にしなくちゃと思える。

それにしても、越後平野の田んぼは美しく
夏の移動は目にも優しい。

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