新潟の弟として応援している45歳の経営者がこの秋、新潟の若者の起業を応援する新会社を立ちあげた。なんでも新潟県では、起業する若者が全国でも少ないそうで、それをなんとかしよう、もっと若い人の能力を生かし、起業しやすい環境をつくり、支援しようというのが狙い。大学生や社会人を問わず、こんなビジネスをしてみたい、こんなアイデアで起業したい・・・などなどいろんな相談をもちかけられ、その内容に応じた支援をする。
ノウハウや資金調達など、各界の専門家が支援する後ろ盾もある。
起業するためには、こんなもの、コト、資金が必要で、これはこうすれば準備することができるというのは大切な支援。
そして、それを推進していくときに必要な支援・・それは心の面での支えだ。
やったことのない挑戦に向かうには緊張感も不安も半端ないはず。リスクをかける起業に向かうにはテンションの維持、モチベーションづくりが不可欠。
そこをサポートする必要性を感じていると、新会社の社長が言う。
であるならば、愛の元気人に何かできないか。
若者たちが元気に起業できる応援をメンタル面から応援する。
彼らに寄り添いながら、うまく出発できるように声をかけつづける。相談にのる。見守る・・・。そんな役割で起業人の応援ができないか。
新年に向けて、今思うことは、とにかく若い世代の役に立つことを推進していくこと。年配の方への感謝、恩返しはもちろんであるが、それだけでは次に残らない。愛の元気人として、次世代を生きる人のためにできることを2020年は具体化していくつもり。
今改めて、愛の元気人として。
若々しい国で生きたい
フィンランドでは34歳の女性首相が誕生したそうだ。
その国の各党の党首もほとんどが同世代の女性だそうだ。
若い人がその国を創る担い手になる。
これからの国、これからの時代を創るのは どう考えてもその時代に生きる人たちが担うべき仕事である。
自分たちが生きる社会だからこそ、より真剣に、自分ごととして、取り組める。
一方、自分たちの利権ばかり気にしている、未来を生きる子供たちに間違ってもお手本とは言えない、腹黒い人たちの政治家がリーダー面した社会とはなんと時代錯誤であろう。
老害の国は衰退することが、容易に想像できる。
国民性もあるだろうが、このままこんなもんだと思って生きるのは避けたいところ。
今、改めてコスモポリタン的に生きる方向を目指したいと思う。
若々しい国!みずみずしい国。とても素敵だ。
ところで、SDGsのバッヂ。欧州の活動家が胸につけるそれは、赤いセーターの上におしゃれに光っていた。
日本で身に付けられているそれは、ダークカラーのおじさんスーツとセットになっている。そんなものつけなくても、当たり前のことを黙ってやればいい。
こんな印象も含め、もっと若々しい、おじさん的でない国!がいい。
日本の若者たちは、どう感じているだろうか?元気を吸い取られてしまっているのか?
なんとか、若い人がいきいきと自己主張できる、明るい未来をつくりたい。
と、フィンランドの党首誕生を知り、新たな刺激をもらった。
ブエノスアイレスからのクリスマスプレゼント



昼間、突然、これらの写真がe-mailにて届いた。
ブエノスアイレスから。3年ほど前に、この町に眠る尊敬する歌手のお墓参りに乗せてもらったタクシードライバーのMIGUELさんからだ。
もうしばらくそのことは忘れていたため、そのメールに驚いた。
そしてこれらの写真の添付。これは私が大好きなアルゼンチンタンゴ全盛の火付け役ともいえるカルロス ガルデールの住居とそこに向かう地図看板の写真だ。
一緒に墓地巡りをしたときに、このカルロスのお墓も案内してくれたミゲルがおそらく、カルロスの住居の近くを通ったとき、私のことを思い出してくれたのだろう。わざわざ日本からアルゼンチンの歌手のお墓参りにきた女性・・。きっとそんなことが思い出されたのだろう。
これらの写真は私へのクリスマスプレゼントだという。
なんという素晴らしいギフトだろう。実は今年もブエノスアイレスに行きたかった。でも今年は叶わず。NHKのスペイン語講座を見ながらブエノスアイレスが題材になっていることに親しみを抱き、懐かしく眺めていた朝。
まさかその数時間後に、現地からこんなメールが来るとは驚きだ。
タクシードライバーが町を走る。ある場所を通過したときにある客を思い出す。
なんて素敵な物語だろう。
来年は、愛するタンゴ音楽のプレイヤーたちに逢いに、再び足を運んでみよう。
MIGUELにもお礼を言いたい。
地球の裏側から届いたクリスマスギフト。最高の贈り物だ。いい今年の締めになりそうだ。グラシアス!
痛い涙。
先日出会ったご婦人の目は、話の途中で、赤くなり、じんわり濡れていた、ご家族の話題になったときにである。
近年、続けてご家族に先立たれ、毎日思い出す日々。お母様の夢は毎日のように見るとのこと。話しながら泣く彼女は、
「ごめんなさいね、こんな話をして。」
と、何度も言われた、初めて会った人間に涙を見せて、という恥ずかしさもあったのかも。
「いえいえ、こちらこそお聞かせいただいて、ありがとうございます。
涙は浄化作用があるので、涙を出すのはいいことかと思います。」と言うと、彼女はこう言った。
「いや、映画や音楽を見聞きして流す涙と、家族を思い出して泣く涙は違うんです。」
「泣くと目が痛いんです。痛い涙なんです。」
そういう涙は経験がなかった。そういう涙があるんだ。
悲しさから出る涙が痛いとは・・・。
この言葉の返事に詰まった。
映画や音楽で流す涙は心の浄化につながる。
泣いたあとにすっきりする。
でも、泣いても消えない哀しみは・・・
グリーフィングケアという言葉を聞いたことがあるが、
何かの経験や時間の経過から、彼女の哀しみが癒える日が来るといい。
涙が痛くならないような日が来るように・・・。
会った日から、毎日彼女のことを思い出す。今日はお元気かと、、。
思索と企画・創作にOff なし
海外に行くというと、「どこに?」「なんで?」「いいなあ」との言葉を多くいただくが、正直、その答えに困惑することが多い・・。そんなに何が気になるのかと思ってしまう・・。
日本の各地に出向くことと、そんなに動機は変わらないし、人がちょっと変わったところに行くことが、そんなに気になるのかなと不思議に思う。
日本人は、島国に生きているから、海外に出るということは、とても非日常なのかもしれないが。
商談をしたり、営業に行くするだけが仕事でもなく、いろんな世界を見ながら見識を深め、広げつつ、自分の課題に活かすことは大切な仕事だと思っているため、国内外とも直接収入につながる仕事でなくても、大切にしている。
出向くことで得られる貴重な情報や体験は、その後の企画や創作生きているし、活かすし、そしてその過程をもちろん楽しむ。
仕事は楽しいというと、遊びのように思われるが、私にとっての仕事は労働ではなく、創作であり企画であるから時間や場所は関係なく、いつでもONモード。
歩き回る、動く、頭と心を自由にする。このことはこの仕事に一番重要なこと。
仕事から解放されたいと思ったことはないし、解放されるべき存在でもなく、
もともと解放されているし、仕事と人生は一体である。
ONOFFなしの仕事をしている・・という話が通じるのは、芸術や創作活動にかかわるアーチストたち。
生きている時間で何を生み出すか、何を伝えたいか・・と何をしていても考えているため、これをONかOFFかといわれても答えに困る。
働き方改革とは、無縁のわが人生。
働き方の前に、生き方、生きざま そして働き方というよりも、働き甲斐の方が重要だ。
そんなことも踏まえ、
自由に動き、見聞を広め、見識を深めながら毎日を楽しんで生きる。
と、そんな生き方がやっぱり好きだ、
人生は創造的に生きたい。
ベートーベンも、リストもOFFという発想はなかったのでは?思いつくことを仕事にする人、仕事を創る人はいつもONなのだ。
人生と仕事はイコール。
生きることが仕事、すなわち創造であり、もしかしたらそれ自体が営業であり広報かもしれない。
すべてはつながっている。ただ、それだけのこと。
偉大な仕事人たちの生きざまに触れると、自分自身の道の振り返りにもなる。
出会いは導かれるもの
キリスト教の本場、とくにドイツでのこの季節のクリスマスマーケットは壮観である。たまたま出向いた時期がそうであったと、現地に着いてから、町や駅の賑わいを見て納得。
生きる道しるべであるイエスさまの生誕記念日となれば、新旧関係なく、信徒たちがその記念を祝うのは自然なことである。
と、そんなクリスマスマーケットが目的でこの時期の訪問を選んだのではなかったが、偶然にもその時期に遭遇でき、いろんな出会いを得ることができた。
せっかくなので、そのクリスマスマーケットで有名なニュルンベルクに行こうと電車のチケットをとろうとすると、売り切れ。では、ということで、ベートーベンの生家のあるボンに向かうことにする。運よく電車はあったものの、その電車がトラブルで遅延。途中で行先を変えられ、急きょボンの手前の駅で乗り換えをすることに。そのタイミングで偶然出会った青年。JAICAで働くベオグラードの人であった。電車が遅れたおかげで1時間以上、会話をすることができ、国ごとのコミュニケーション文化の違いや日本人やドイツ人の精神性などについて楽しく交流でき、連絡先を交換。カタコトでも1時間頑張って語り合うのはいい勉強。日本人同士であっても初対面で1時間話し続けるのはなかなかだ。
もっと勉強しなければ、しておけばよかったと、痛感。英語力はもとより、世界史も地政学も民俗学もコミュニケーションには不可欠だ。ベオグラードについての何も知らない自分を恥じ、世界に無知な自分を改めて知る。
当初の目的地ニュルンベルクに行っていたら、彼には出会えていない。
さらに帰国する便でたまたま隣の席になったひとりの女性。なんと名古屋の人であり、途中の乗り継ぎ後も隣の席であった。
予約を一緒にしたわけでも何でもないのに・・。
そのソウルからの乗り継ぎ後は、さすがにこの偶然が不思議になり、お互いなんとなく言葉をかけ始める。そのうちにお互い自分のことを語っていた。
初対面の乗り継ぎ後、わずか1時間半。彼女はこれまで人に話したことがないご自身のことを話してくれた。両親も旦那さんも病気で亡くされ、その境地についてときには涙で語ってくれた。
「こんなこと、人に話したことないんですけどね」
空港に着く頃には、彼女と親しくなっていた。彼女は、「なんだかすっきりしました。いろいろ聞いていただいてごめんなさい・・・」「こちらこそ、ありがとうございます」こちらも連絡先を交換し、笑顔と握手で別れた。
旅先で出会った人は多くいる。
一見偶然のようでもあるが、長くその関係が続くこともあり、心に残る大切な友人もいる。
一歩外に出なければ、何かひとつ違っていればこの出会いはない。
出会いは本当に偶然であるが、大切な出会いは導かれているような気がする。
今回もまさしく、そんな出会い。
両親を亡くした彼女が
「親孝行してくださいね。彼を大切にしてくださいね」
と言ってくれたその言葉。帰国後も、じーんと胸に残っている。
幼き日から観覧車に
22年前、パリのここで移動式観覧車をみつけ、思わず走りかけより、これだ!!と叫び、興奮した日が56歳の誕生日によみがえった。
あのときと同じ場所に、また今回もわが大観覧車は立っていた。20年前に見たそれよりも、真っ白で、もしかしたらホワイトクリスマスのイメージかも、そして空も冬空で、なんとも深みのある観覧車のいでたち。
迷わず乗る。すると中国人の親子連れが同じワゴンにのってきた。
本当はひとりでパリの一望を確認、撮影したかったが、この繁忙期に独り占めはできず、相席でパリ一周の小旅行が始まる。
北京からやってきた親子、お子様は4歳。騒ぐことなく、動く観覧車から、変わる車窓の風景をじっと見ていた。
彼女からすれば、景色が動くことも不思議かもしれない。
でも、いい経験をしていると思った。
私が幼き頃、気軽に乗れる観覧車・・・はなかった。
もし、幼き頃に観覧車から世界を見ていたら、世界観は変わるだろう。
人生の浮き沈み、見え方の多様性、諸行無常・・・などなど感覚的に覚えるのかもしれない。
スピードの速いエンターテイメントも確かに刺激的であるが、観覧車に乗って一緒に世界を見ることは、とてもいい教材にもなる。
子どもにとっても、大人にとってもグラン・ルーは永遠なのである。
今回も美しいパリを見ることができ、新たな挑戦への火が付いた。


もっと大切な2020



12月17日は人生の先輩としてもっとも尊敬するベートーベンの誕生日だ。誕生日が2週間のご縁とはありがたい。今年は249回目の誕生日になるとのこと、そう、来年2020年は250周年を迎える、特別な年になる。
この家の3階、屋根裏で、ベートーベンは母マリアさんから12月17日に誕生したと思うと、想像が膨らむ。誕生したばかりの赤ちゃんを見て、マリアさんはこのルードウィヒの人生をどう想像しただろうか。このマリアさんはベートーベンが17歳のときに亡くなってしまうので、作曲家として大成したご子息のことはご存知ないのであるが・・・。
来年に向けて、生家を生かしたベートーベンハウスの展示室はリニューアル中。
ここに来ると、ベートーベンが耳が聞こえず想像の世界だけで、後世に残る美しいハーモニーを書き続けたことを想像し、なんとも言えない気持ちになる。
クラシック。古典。これは古くならない。永遠に、いつも美しい。時代を越えて、陸を海を越えて普遍なのだ。
人間は死して、作品を遺す。
子どもを後継ぎを遺さなくても、250年もの間、人々に愛される作品を生めるなんて本当に素晴らしい。
来年、私にとっての関心はこちらの2020。
これを機に、新たなひとりプロジェクトを開始しようと決意する。
ベートーベンのおかげで、幼き日の自分の世界が広がった。
ベートーベンが生きた時代も、街はクリスマスでにぎわっただろうか。
町を散歩しているベートーベンを想像しながら、新たな発想をたどる。
パリの誇りよ、永遠に。

パリの東駅でICEを降り、メトロに乗り換えようと切符売り場に並ぶとまたたくまに、物乞いの人に声をかけられた。
後ろから、「スリにご注意」というアナウンスが多国語で流れる。日本語も含まれている。あ、パリに来たんだ。とかなり緊張しながら、持っているリュックを
背負わず抱きかかえる。四半世紀前、パリの地下鉄の改札で、ひったくりにあったことを思い出し、余計に身構える。
混雑ぶりはもとより、NYよりも切羽つまった人種のるつぼという気さえする、パリの町。
もし、日本が島国でなければ、東京はパリのように混雑していたかもしれない。
とにかく、緊張して混雑した車内に乗り込む。
昔のパリのメトロは情緒があって、駅の通路でもアーチストたちがさまざまな演奏を行っていた。思わず立ち止まり、電車に乗るのを忘れるほどに、異国情緒にあふれる演奏が多いのがパリの思い出・・・。
そんなよき時代を思い出し、混雑した地下鉄車内。早く目的地に着かないかと思っていたら、写真の紳士が乗り込んできた。
アコーディオン弾きのおじさんだ。
車内演奏は今も健在なんだ。ふと、大好きだったパリを思い出し、心がほころんだ。混んでいるので真ん前にどアップで見える。彼のアコーディオンはかなり小さい。これなら私でも持ち運びできる。でも、鍵盤が少ないな・・。など混んでいるためよく見える。すると演奏がはじまった。
電車が混んでいようが、どうであろうが、演奏は高らかに始まる。
シャンソンのような曲に続き、アルゼンチンタンゴのような・・・・。
この混雑している車内で生演奏か・・・。これがパリ。思わず混んでいる車内でこっそり財布を開き、青いケースにコインを入れたら、演奏しながらにこっと笑ってくれた。
そう人に癒しを与える演奏家には、敬意を表して、必ずチップを払うことにする。同じ音楽をするものとしての、協力であり、共感だ。
ふと、そのなんともいえない紳士の風貌から、彼が家を出るところを想像した。
「行ってくるよ」寒い木枯らしがふく午後に家を出て、パリ市内のメトロを乗り継ぎ演奏をする。そして・・・。
パリでは物語がおのずと生まれる。
持ち運べないアコーディオンに手こずっていた私。持ち運びなら、これもいいな。
危険だけれど、甘美な一面もあるパリ・・。
今回も健在であった。
作曲家の仕事、暮らしを想像する時間


19世紀に活躍したフランツ・リストが残した曲はいずれも難しい。
超越技巧などの言葉が曲名に付いている作品もある。私が10代後半、もっともピアノを練習していた頃に何曲か学んだが、いずれも確かに指だけでなく、骨の折れる難易度であった。
しかし、「ラ・カンパネラ」や「愛の夢」などの名曲は卓越した技術とともに、絶対なる美しさが表現されており、時代を越えて、世界中の愛好家に演奏され続けている。
このたび、これまで学んできた作曲家たちの内面や仕事に少しでも触れたいと
ベートーベンに続き、各作曲家のゆかりの場所を訪ね始めた。
まずはワイマールにある、リストの家に向かう。
今年設立100年を迎えたバウハウスと同じ町にある。
バウハウスより先の時代を生きたリスト。ベートーベンと交流もあったそうであるが、19世紀の芸術家の仕事や暮らしが見えてくる。
二台のピアノがある音楽室と、寝室。
リストはきっと寝ていても、メロディが湧いてきたら、起き上がってすぐに書き留めた、あるいは夜中でもピアノを弾き始めたのではないか。
今にもリストが起き上がってきそうな、簡素なベッド。
ワイマールは終の棲家にはならなかったようであるが、すでに著名になっていた時にこの静かな街に住んだのは、創作のためか・・と思いを馳せる。
誕生日を機に、あきらめかけていたこと。やりかけていたこと。
これに目を向けることを決意する。
新しいことだけでなく、眠っていた世界の目覚めも人生には大切だ。
しかし、18世紀~19世紀は、ヨーロッパでは精神世界が充実していた時代だ。
哲学も、音楽も、文学も。今の時代にも新しい、素晴らしき作品・思考が遺されている。これこそが、まさに世界遺産である。
人間には考える力、表現する力という無限の可能性があるということを改めて気づかされる。
それにしても、このベッドをみると、リストも一人の人であったのだと思えてくる。彼も1日24時間の人生を70余年生きたのだ。