どっちか一方はない。

本当にコミュニケーションの世界は奥が深くて、難しい。
自分の生きる世界が小さければ、慣れたる範囲で、自分を知っている人の中で
生きていくこともでき、わがままもまあ、許される。

新しい世界を切り開こうとすると、知らぬ相手に出会い、うまく交流していくことが求められる。
コミュニケーションをちゃんととらないと、とれないと仕事はうまく進まなくなる。
だから、仕事において、また人生においても、コミュニケーションは最重要だ。

コミュニケーション・クリエイターと呼称する自分を時々恥ずかしく、情けなく思うことも、時にはある。
やっぱり万能ではない。いろんなつまずきや、戸惑いもある。
それらをひとつづつ乗り越えて、力が付くのだから、逃げることはしない。
そう、コミュニケーション力を伸ばすには、「逃げない」ことが大切だ。
たとえば、コミュニケーションがうまくいかず、決裂することもある。
関係を終えなければならないことも稀にある。
その原因は、決して相手側だけにあるのではなく、自分にも必ず原因の一部は
あるはずだ。相手のせいにだけするのではなく、自分のことも良く点検し、
そして、今後のためにも、うまく関係を閉じることも大切だ。
コミュニケーションはいつだって双方向。
ともすると相手を攻めがちなことがある。
なぜそうなったのか?そういわれるのか?をきちんと考えると、赦せることも気づきもあるはず。相手のせいと思っていたが自分に原因があることに気づく。

コミュニケーションはいつも双方向。

そこだけは忘れず、そして逃げずに死ぬまで、コミュニケーションというテーマに向き合っていかねばと思う。

それにしても、最近 ネット社会になってか、コミュニケーションが・・いろいろ問題だ。

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野に咲く小さな花の如く

花屋で綺麗にディスプレイされているお花、色とりどりでとても美しいし、いただけばとても嬉しいし、誰かに贈るのも楽しい。ちょっとハレの日気分になる花々。

切り花も鉢植えもいい。とても好きだけれど、花を人で例えると、、、。

自分はどんな花?どんな花になりたいのだろう。

ブーケもアレンジメントでも、高価なランの花ではない。一輪挿しに生けられた赤いバラでもない。

街の公園や道路の脇、田んぼのあぜ道、川原にひっそり咲く野の花。

これらに興味を抱く。

小さいけれど、しゃんとして、小さいけれど胸を張っているような。
小粒でも美しく、ひとたび見れば目を離せなくなる。
小さいからかわいらしくもあり・・。

「こんなところに咲いていたのだ。」
と気づいた人が驚くような。

誰にも抜きとられず、じっと自分の意志で咲き続ける。
そんなのに咲き続ける紫の小花。
そんな存在がいい。
一生懸命生きていれば、誰かの目に留まるのだ。
誰かの世話になり有名になる必要もなく。

ただ、自分は今、ここにいるのだ。
と胸を張って、自分なりの花を咲かせたい。



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好きなステージで仕事する

名古屋を拠点にして最高に良かったことのひとつは、
京都への往来が増えたことだ。

初めて1人暮らしをして学び、初めてちゃんと働いた、京のまちで、四半世紀ぶりに仕事カムバック。

どの企業へ、どの学校へ行っても、どんなハードな仕事であっても
頑張ろうと意欲が途切れない。京都で仕事できていること自体がうれしい。
電車もバスも、仲間に乗せてもらう車も、懐かしい道を通る。
仕事をしながら、かなり道中や合間の時間を楽しませていただけるのも幸せなこと。

好きな仕事を好きな街で。

こんな贅沢はないと思う。

この幸運は誰が授けてくれたものか。

を忘れず感謝して、お役に立つようにがんばろうと思う。

仕事をするステージはモチベーションを大きく左右する。

最近そんなことも思っている。

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一杯のコーヒーde親孝行

入院中の父が!初めて携帯に電話をしてきた。
何だかよく聞き取れないが、できたら来てほしいという言葉。
リハビリもがんばっているし、まさか何か緊急事態?と仕事を中断し、
電車に乗って病院に向かった。
父は比較的元気で、ちょっと拍子抜け。
何事かと思った・・すると、父はもうここを出たい。もうここは嫌なんだ。周囲がどんどん退院していくのに・・。という悲しさから、私にどうなっているんだ!と確認したく、呼んだ模様。
さすがに、自分はいつまでここにいなければならないかと思うと、心は錘になるのはよくわかる。あまりに気の毒なので、思い切って、看護師さんに許可をもらい、父を院内のカフェに連れ出した。
許可が出たので、安心。外に出たいという父の願い。とにかく病室から出たいのだ。

院内にあったのは某チェーンコーヒーのお店。
何を飲むときくと、コーヒーがいいという。ま、看護師さんがOKといったから良いか・・。
アメリカンにしてもらう。
テーブルで待つ父にコーヒーを届ける。
うれしそうに砂糖の袋を開けて、少し震える手で砂糖をコーヒーに入れる。
そして、一杯飲む。ゆっくり味わう。
なんともうれしそうにその瞬間をかみしめていた。

「おいしい?」

父は黙って頷く。

「5か月振りのコーヒーや」

入院前日のときのことを思い出していたのだろう。

ゆっくりゆっくり薄目のコーヒーをいただく。

半分ぐらいで1、もういいといった。

「楽しかった?」父は大きく頷いた。

「忙しいのに、申し訳なかった。ありがとう」

父が乗った車いすを押して、病室に戻った。

心なしか、とても父がリラックスし、落ち着いた感じがした。
もっと早く連れていってあげたらよかった。また行こう。

カップ一杯のコーヒー。これで父が元気になる。

やっぱりコーヒーが好きなんだね。それぐらい飲ませてあげなくちゃ。

なんだかとてもいい親孝行をした気持ちになった。

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楽しく飛び出す朝

毎日、やることがたくさんあるのは、本当に幸せなこと。
生きていていいよ、と言われているようだ。

朝出るまでに、今日しなければならないことをすべて片付け、
そして出発する。早起きはとても気持ちいい。

朝は、考え、書いて、発信。

昼は人と会い、面談をして、コミュニケーションの時間。

夜はそのフォローと締め。そしてリラックス。

朝は爆発するぐらい元気がいい。

1日、時間を経てだんだん元気になることは難しいから、

朝が一番大切なのだ。

さあ、街に元気に飛び出そう!寒さも味方につける。

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自分のレベルを上げる努力

新年を迎え、仕事の仕方、仕事との向かい方を再考する。
いつまでも、同じことをやっているのでは人間進歩がない。
自分のレベルを上げる努力は常に必要だ。
なりたい自分は何か。目指す道はなにか?

そこに向け、いろんなこと、関係も整理しながら
新しい世界に向けていかねばならない。

レベルを上げるための教養、勉強。
モノを売る買うの世界を越えて、
心や感動の世界に、そして人間の関係性が良くなり
良い社会になるために自分ができることを。
単にこれまでの経験や知識を活かすだけでなく、
新たな思いをもって、そこに向けて努力する。

現状維持、何かの延長戦はつまらない。
人が歩まない道をつくることが、クリエイターの生き方。
それを恐れずやり続けることが、生き様になる。

レベルを上げよう。ここが最高ということはない。
人間は毎日、さらに一段成長することができる。

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「よーいドン」のない仕事。

小さな町にある老舗お菓子屋さんと最近、よくお話をする。
元気で、おいしいものを真面目に作って、接客もよく、地域に根差して
おられるので、出会ってすぐに大好きになった。
クリスマスのあとは、お餅・・・。ま、お餅もライスケーキというし、
お祝いには欠かせない食品であるが、とにかく12月後半は最後の最後まで休む間もなく、また新年もお年賀需要もあり、そんなに休めない。

老舗のお菓子屋さんはもともと和菓子が専門で、それに加え、代替わりと同時に近年洋菓子も扱うようになり・・・と、和洋両方の営業で大変お忙しい。
またそうでないとやっていけない。
基本、夫婦でがんばっておられるのが実態だ。

1月4日から営業。店先にお菓子がずらり並ぶ・・ということは、1月2日か3日から作り始めているだけだ。
「お店が休みといっても、実際は中ではなんやかんや動いていますよね。
もう30年以上そんな生活ですし、慣れていますわ。」
ボーっと休む時間などもったことがないと店主が言われ、妙に納得する。

本日1月6日から一斉にスタート。サラリーマンはそういう生活だ。
しっかり休める分、大変だと思う。大変だけれど、しっかり休める。
だからこの職業を選択される方が多い。
でも、今日のような始まりの日は、かなり疲れそうだ。
ゼロを100に戻すのはしんどい。

自営業者はしっかり休まず、ずっとなんやかんや仕事をし続けているから
あまり疲れないのだ。休日もゼロにしないで、常に何割かで稼働する。

これは働き方の違いというか、職業が違うから、当然変わってくる。

とにかくよーいドン!はしんどい。それよりも、1歩も2歩も先にスタートして
らくらく走りたい。

一見長いこの1週間も、気が付けばすぐ終わる。とにかく元気に走れることに
感謝し、新しい年の仕事始めとなりますように。

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もっと学びたい、知りたい。

くだらないテレビ番組は、本当に資源の無駄使い。結局グルメと健康、旅。加えてテレビショッピング。これしかないのか?もう年配の人しか見ない前提なのかもしれないが、得るものがない番組は罪づくりであるとさえ思う今日この頃。
NHKでたまに世界のドキュメンタリーなどは見るが、それは世界を知りたい、歴史を知りたい・・・という気持ちからだ。放送局しかできない番組があるはずだ。ぜひがんばっていただきたい。
有益で興味深いコンテンツは充実していないと感じる。まだまだ不足しているように感じている。そんなとき、放送大学がオンエアされているのを知り、無意識にそれをながら見するようになった。
歴史から、中東情勢から、介護から、美術作品の解説から、気象学から・・・とにかくさまざまなジャンルの講義が毎時間流れている。
講義であるため、とくに目立った、派手な作りはないが、必要に応じて映像や画像が用いられ、まさに授業である。
そこで話される先生方も、各大学や各組織で活躍されるプロが担当されており、
内容的には間違いがない。

結局、この放送大学が一番まともに見えるというこの放送業界。
もっと、知識欲、向学心を満たす番組を練ってほしい。
教養を深める、心豊かになる、そのためのメディアであってほしい。
それなのに・・現実は・・・。

放送大学とNHKのドキュメンタリー、国際報道には期待したい。

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クリアランスの意味

各店舗、初売りでにぎわっている。
初買いをしたい人が、そのお祭り気分を楽しみたい人が、わんさかお店に押し寄せる。
そして、大きな紙袋や福袋のステッカーを貼った袋をたくさん持って、にこにこ町を歩く人たちに出会う。
日本人は、日本という国は、本当に一見平和で、豊かだと思う。
但し、物質的に・・という一言が入るけれど・・。

クリアランス。
ファッション業界では昔からよく使われているが、セールの代名詞でもある。
もともとの意味をたどると、まさにクリアにする。一掃する。
これは、作り手、売り手側の発想だろう。

もちろん見方によっては、
買い手にとってもこのクリアランスはストレス発散にもなり、福袋でも買って、すっきり気分になれば、まさに新年にふさわしい心のクリアランスになるのであろうが・・・。

大量に作った本シーズンの売れ残りを安くして、一気に売りさばく。
もちろんお客は安いのを歓迎するから、そこそこ売れる。
さらに残ったものは、ファミリーセールなど関係者での販売、さらに残ったものは・・海外に・・。
こんなサイクルで、大量に作ったものをお金をかけてプロモーションをして、物流費と人手をかけて売りさばく、と同時に、次のシーズンの商品を企画生産する・・。このサイクルは一体、いつまで続くのか?このサイクルを回すのにどれだけのコストが、資源が消費されるのだろう?
今、世界中が、持続可能な社会とか地球温暖化とか真剣にその対策を講じようとしているが、これらの生産と消費のサイクルは、それと無関係のように存在している・・ように見えて、とても違和感も感じる新年。
とはいいつつ、自分も目的がある売り場には足を運ぶ。
でも、もういいや。と昔ほど、消費意欲もわかなくなった。
もうモノはほどほどある。もう十分である。
どうせセールで買ったものは・・・という経験もある。

人は、いつまで消費をし続けるのだろう。無理にしているような気もする。

自分自身の生活姿勢も含め、2020年真剣に変わる気があるならば、何かを
やめる。ということを決断し、ひとつづつ行動していかなければ、結局、地球はさらに加熱し、地球全体がクリアランスされてしまうかも・・。

いいのか、こんなことで・・。楽しすぎる日本は、そのうち・・という危機感を抱ちながら、慎重に賢明に判断、行動していきたい、と思う。

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年賀状と終活

年賀状は日本郵政の大きな収益源であるのは今も変わらないようであるが、
年々、年賀状の消費量?郵送料?減少傾向。デジタルコミュニケーションの影響で、年賀状は出されなくなってきている。
欧米のクリスマスカードと同じように、年賀状は日本固有の慣習であり、お正月の楽しみは、年賀状という方も多いと思うが、それでも年々出す数も受け取る数も減っているのが現状だ。

ご無沙汰している方にせめてもご挨拶を・・という気持ちを年賀状に託す。
もう何年もお会いしていないけれども、年賀状だけはというおつきあいも多い。
切れない関係というのも貴重ではある。
私にとってありがたいのは、かつてつとめた会社の上司との年賀状のやりとり。
もう20年以上、ずっと交流させていただいていることになる。
しかし、改めて考えたら、90歳近くなる方も増えてきている。
そんな方にとって、年賀状は大仕事だ。毎年やってきたことではあっても、
その労力たるや、大変なことではないか。
ハガキを買う、印刷の手配をする、書く、切手を貼る、投函する。この一連の流れの作業。機械的ではなく、一文字一文字手書きをされる方にとっては、しんどい重荷かもしれない・・。

ある方の年賀状に、今年をもって賀状でのご挨拶を遠慮させていただきます。
永年のおつきあいありがとうございました・・。とあり、寂しく思った。それを書かれる胸中を察するとつらい。お元気じゃないのかもしれない。もしくはその方流の終活かも、、、。など考えてしまう。
出されるのが大変であっても、こちらは出せばよい。
いやいや年賀状でなく、会いに行かなくちゃ。
と思い、その旨記した返事をすぐ書く。

正月から終活か、、、。毎年そんな事例も増えていくのだろう。
ひとつづつやることを縮小していくこと、やめていくこと。
そんなことがどんどん増えていくのは寂しい。

年賀状を通じて、月日の経過と・・高齢化を改めて感じる。
正月はうれしくもあり、いろいろ思うこと多し。

まずは、目の前の、手に握る一枚を噛み締め、大切にしたい。

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