一冊になる歓び、を改めて。

この夏、寄稿していた岐阜新聞のコラム「素描」が1冊の冊子になって、届いた。同じ期間(7・8月)の各曜日に寄稿した方たちの分と一緒に、書籍となって執筆者に新聞社から届けられる、
原稿のお礼に100冊をプレゼントされる。
早速、入院先の父や、実家の母に持参しながら、お世話になっている地元の皆様にも・・と配布をはじめる。

わずかな原稿量であり、今となれば、ひと夏の思い出であるが、日々の新聞記事で読み流されていくよりも、一冊にまとまるところが、カタチに残ることがとてもうれしい。

今回は掲載したことを喜んで、全記事を一覧にしてコピーしていただき、父の入院先に届けていただいた方もいてくださった。何度も何度も読んだ記事を父は、リハビリ代わりか暇つぶしにそのコピーを何度も眺めていたようだ。
今度は、ページをめくるというリハビリにもなる。

自分の書いた文章が一冊になるというのは、とても気持ちいい。
もちろん、このブログも大いに意味があり、だから続けているが、1冊にまとまるというのは、特別な感じがする。

ふと、先週出会った、京都の紙問屋さんの若様を思い出す。
紙のコミュニケーションをもっと伝えたい、残したい。
心から共感する。
紙と手のふれあい。心温まる交流づくり。大切にしたい。

※この「素描集」(2019年7~8月分)数に限りがありますが、ご希望の方にはさしあげます。
ご一報いただければ、お届けします。品切れの場合はご容赦ください。
info@grnr.mahsa.jp

台風の被害がより明らかになる、今日から。
被災された方へ、心を寄せて、自分にできることをしっかりやっていきたい。




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とにかく無事が一番。

台風が過ぎ去ったあと、被害が明らかになってきた。

水の恐ろしさを改めて、痛感する。
やはり、あの東日本大震災のことを思い出さずには
いられない。
あの津波の怖さを思い出させる、水の力。
すべては温暖化の影響と思うと、これから、ますます
こういった危険が高まり、有事があたりまえになって

いくのかと先が怖くなる。

毎日が無事であること。

このことは、当たり前ではなく、本当にありがたいこと。

自由に生きるためには、無事な環境が前提だ。

今回も被害を受けることなく、無事に今日を迎えることができて、

被災地の方には申し訳ないような気持ちにもなる。

無事に一生を終えたい。最近、そう思えてならない。

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じっと過ごす、反省の日。

台風がまたやってきた。今年は三連休によく重なる。

交通機関の計画運休というのも、耳慣れてきた。

早めの避難・準備は正解だ。
いろんな外出を控え、室内でゆっくり過ごすことになる。

避難しなくても良い分、恵まれている。
ニュースを見ながら、いろんなことを想定する。
停電しないことを祈りつつ、普段どおりではあるが
緊張した時間を過ごす。

この台風の被害の甚大化は、やはり温暖化が影響しているようだ。
自分たちがまいた種だ。

好き放題生活している現代人へ警鐘。

普段から地球のことを考えず、自己本位で生きてきているので

しっぺ返しがきているかもしれない。

避難する日は、反省しながら、普段通りに生活できることに

当たり前のことに、感謝をしたい。
今回の台風に脅威を感じるとともに、あの北欧の少女の訴えを
思い出す。
こんな被害がもっと続くようになる・・・。
眼の前の対応と、未来への備えと・・。
真剣に考え、行動していかねばならない。

夜明けとともに、見えてくる各地の被害が心配だ・・・。
被災された町、方たちに、心からお見舞い申し上げます。


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世間話が難しい。

あるきっかけで知り合った方より、是非一度会いたいとの声をいただき、大切な方からのご紹介でもあるし、ご縁を大事にと思い、あるカフェで待ち合わせ。さて、ほとんど初対面の方との面談。今の時代は、ネットのおかげで容易に情報が入るので、相手の方はあらかじめ私のホームページをご覧になり、その上での初面談。

こちらは相手のことを、ほとんど知らないのでどうしてもお聞きしていくことになる。どんな仕事をされてきて、どんなふうに生きてきた、どんなふうにしたい。どうしてもお会いした以上、無駄な時間にしてはならないと思う癖が身についているのか、自分のことも語り、相手のことについても、これから新たな挑戦をしたい様子だったため、あれこれお話をしてしまう。

90分ほどやりとりをしただろうか。

相手の方にすっかり、起業のアドバイスをしていたようだ。

こんな会話でいいのかと、ふと思い、たずねるとお喜びの様子。

「コンサルしてもらってすみません。」

そんな風に言われ、エールを送って別れた。

すぐお礼のメッセージが入る。「自分の思いを、すぐ見える化してみますね。」とのこと。

これまでも何度かあった。
背景も知らずにたまたまお会いする、年下の方との会話は、いつのまにかアドバイス的になってしまう。人生の先輩と思っているわけではないが、知らないうちにこうしたらいい、ああしたらいいと・・・言ってしまう。お節介おばさんだ。

どうも、世間話だけで時間を過ごすことができないようだ。

これがいいのか悪いのか?

でも、相手がそれを求めていそうだと思うと、そうなるし、

いずれにせよ、ただ話している時間はもったいない・・と思ってしまう。

きっと貧乏性なのだ。これからも、直らない気がする。

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家と個と、女の意地と。

子どもの頃から、日本の「家」制度が理解できなかった。個よりも家を優先するのが当たり前という習わしが自分にはきつかった。長男なき姉妹の長女として生まれ、幼き頃より、女のくせに、、という一方、将来は婿をと、母親自体が無意識に言うのも不思議であり、違和感も多く、これをいかに突破するかについて、なかなかのパワーを要した。親が想定できない世界の構築はそんな背景もあって今日につながったのかもしれない。

いかに昔は家制度のもとに、個々人は自由な生き方を強いられてきたか。もちろんそれでいい人にとってはそれが一番。人が敷いたレールの上を進むのが気楽という人はそれでいい。

でも自分はそれが嫌だった。だから無理矢理、反対を押し切って家を出た10代。

そして40年の歳月を経て、世の中は想像以上に変わった。

都市化も情報化も高齢化も少子化も、日本の伝統的な社会のあり方を、崩壊へ導いた。

そんななか、80歳になる母が、父不在の実家で奮闘している。地域のお付き合いや。草取りから、、。彼女は、「家を守らないと」という使命感で頑張っている。

家。戦前生まれの母には、その地に嫁に来た彼女には、そこが生きるステージだ。

老体に鞭打って踏ん張る母に、たくましさと女の意地を感じるこの頃。

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日本人は無関心?

今、香港からの留学生が都内などで集会を行い、香港を応援してほしいと強く呼びかけているようだ。自分たちのふるさとの自由のため、頑張るので日本人にも注目し、関心を持ってほしい、国際世論を動かし、香港の自治を取り戻したいと思っている。せっせと日本語のチラシを配り、SNSを駆使して、日本人に支援を求める留学生の思いを察すると胸が痛む。

その様子を取り上げている報道によると、日本人の関心は低いと、学生たちは落胆しているようだ。

言われるまでもなく、言われればなお感じるが、確かに日本人はさまざまな事象に激しく反応しない。大人しい。無関心な人ばかりではないはずであるが、意思表示がない場合がある。これは香港問題にかかわらず、である。

島国であるゆえ、どこか自分には直接関係ないと思っている一面もあるかもしれないが、こんなに世界が緊密している中、知らないでは済まないだろう。

たとえばこの問題がより激化すれば、日本をとりまく環境も大きく変わる。自分たちの問題として受けとめると、反応も変わってくるはず。

無関心でいられない世界の動きに、もっと注視して、応援すべきは応援したい。世界の若者を応援しよう。もちろん日本の若者も!

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不自由になってわかる自由。

香港の現在の騒動を、報道で見るにつれ、胸がしめつけられるような思いになる。
自分の命の危険を顧みず、権力と戦おうとしている若者たち。
人が生きるアイデンティティのひとつが、国である。
自分は何人か。どこの国に生まれ、生きているか。これは生きる上で大変重要であり、自分が生まれ育った国に誇りを持ち続けることは、個にとっても、国にとっても意味がある。但し、最近は、国とは何かもだんだんわからなくなってきている今日ではある。
それは、個を脅かす、個の自由を奪われるとき、はじめて意識するのかもしれないが。
話を戻す。
香港の人々は、自分たちが自由に生きられなくなることへの恐怖から、今回の行動に出ている。民主的でない相手にそれがどこまで伝わるのか、世界がそれをどうフォローできるのか、本当に心配であるが、いい答えがみつかることを心より願う。不自由の危険から身を守る、これは戦いだ。

自由といえば、他者との闘いだけではない。
最近、父が入院し、自分で動くことができないという事態に接し、
人間の不自由について、つくづく考えさせられる。

ちょっと前までは、自由に自分の意志で、動けたのに。好きなものが食べられたのに・・・。今は自分の意志では動くことができない。
すべては他者の指示で、それにそって生きるしかできない。その不自由さ。
「なってみないと、わからん、人にはわからん」
と、父はつぶやく。
何を考えようが自由であるが、体が不自由であるから、生きるのがつらい。
自由であるときはそれが当たり前で、一生続くと思っていた・・・。
それがあるとき、一変するのである。

身体も、心も自由がいい。

今、少なくても今の私はどの状況だ。まさにこれ以上のステージはない。

絶対に無駄にするな。と今、しっかり心に刻む。
人間の一番の幸せは、やっぱり、「自由」なのである。自分の由とかく。
自分が自分である理由。自分らしく生きられる状態。
それが、自由。
改めて意識しよう。感謝して、自由を全うしたい。


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情報に飢える。

病院暮らし。これはなかなか、慣れない人にとってみれば苦痛の世界。
閉ざされた世界・・。

こうなってみて、普段の生活のありがたみが身に染みるのだと思う。
でも、普段の生活ができないから、お世話になる。それが入院だ。

そんな病院暮らしで求められるもの。
それは「情報」だ。

外で起きていることが、知りたいと余計に思うようだ。
お見舞いに来る人との会話は、とくに家族や親しい人との会話は
普段の生活に近い会話ができ、話をきくだけで想像するだけで楽しいようだ。
さらに、
各ベッドにはテレビもあるが、これはカード式で有料でもあり、
有料のわりに、いい番組も少なく、院内テレビには電波の環境も何かと
家とは勝手が違う。
だからテレビはほどほど。が良いし、情報を得るには今ひとつのようだ。

目も頭もしっかりしていれば、読書は最高だ。

そんななか、ハンディタイプの本は役に立つし、適度な文字量があるものの方が、暇つぶしにもなる。

いろんな要望を聴きながら、求めるものを持参する。

結局は本というものはこの時代にも、なかなか役に立つ。

情報に飢える。

そんなことを日頃、考えたこともなかったが、いかに普段の生活は情報を選び放題でありがたいことか。

閉ざされることでわかることがある。

さあ、今度は父にどんな情報を差し入れするか。

今からでは遅くない。暇つぶしだけでなく、少しでも心の栄養になる情報を差し入れようと思っている。結局喜ぶのは、週刊〇〇であるけれど。

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1日が短いことへの感謝

週に何度かの見舞い。
医療サービスの進化のおかげで、看護はお任せでき、本当にありがたく、
医療や介護の素人である自分ができることは、家族としての見守り、
そして今後のさまざまな準備・・。
リハビリに励む父を見舞いつつ、元気なときにこんな風に話を聞くことはなかったとしみじみ思いながら、入院というきっかけは、何かと大きな人生の転換点であることを改めて感じる

毎日きちんと提供される三度の食事。そして3種類のリハビリプログラム。週に何度かの入浴。すべて介助いただきながら、お世話になり、治療に取り組む父。
このリハビリや食事も、そんな長時間ではなく、それ以外の時間は静かに過ごすしかない。そんななか、来客、見舞い客は一番の楽しみのようだ。
今週は誰が来た、昨日は誰が・・・と話しながら、誰かが来てくれることが
暇つぶしにもなり、世界とのかかわりもでき、うれしいようだ。
病院の中だけの世界は、とても息苦しく、つまらなく、なんといっても自分が自由に動けないからそうなっている。ということを自覚する時間が多いのはつらいはずだ。
とくに、父にとって夜は長いようだ。
病院の就寝時間に寝れば、当然夜中に目が覚め、そのときいろんなことを考えるのだろう。静かな闇のなかで、よからぬことを考えてしまう・・不安も募ることと思う。
「1日が長くて、」
この一言がこたえた。
かといって、今、自分で自分のことができない、動けない身であってはどうしようもない。今はリハビリに専念するのが、彼の仕事だ

父を見舞って戻る帰り道は、いつも考えさせられ、ずしんと気持ちが重くなる。
いつ歩けるようになるのかな?これから、家族はどうなるのかな?

普段の生活が一転するということは、抱えたことのない新たな課題を抱え込むことになる。

普段の生活に、週に何度か病院に行く日を入れる。この往復でも多少の時間がかかる。でも通える距離でよかったと思いながら、

自分の現在の1日は短く、父の1日は長い。

同じ24時間なのに・・・。なんとも心苦しくてたまらない。

いつ、自分も動けなくなる日が来るかはわからない。でも、その日までに悔いないようにしておきたい。そして、そうなったときにも1日を短いと感じられる方法がないかを考えておきたい。

一日も短く、人生も短い方がいい。

単に年齢を重ねるだけの長寿社会は、どこか違う。

1日が短いといえる人生がいい。

最近、わが心情は、日々複雑だ。

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コミュニケーションが全て!

毎日、全ての場面で、コミュニケーションの重要性を改めて感じる。

これをおそろかにすることで、仕事をなくすこともある。
自分の目先のことに追われ、相手のことを忘れてしまったり
後回しにすることで、誤解も生まれ、仕事も失敗することがある。

どんなときも相手との関係を注視しながら、そこがうまくいっているか、
どうすればうまくいくか・・・を考え、そのための工夫や気遣いをしていけば
きっとうまくいく。

最近思うのは、自分のことに追われると相手が見えず、気が付けば相手を失ってしまう。コミュニケーションさえきちんをとっておけば、うまくいく。
ささいなことであるが、

何をするにもコミュニケーションであることを忘れずにいたい。

最近、そんな相談も増えている。

コミュニケーションの手段は増えているのに、コミュニケーションがとれないそんな人が増えているのだろうか。
人間は、人の間と書く。だから、コミュニケーションなしでは何もうまく
いかない。


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