さる1月16日に開催されました、新春ララライブ♪のレポートをアップしました。以下からごらんください。
ふるさと新春ライブのレポート公開しました!
仕事は自分を育てるもの。
何のために働くのか・・・と問いには、お金のため、生活のためという答えが一番現実的である。とくに組織で働く人や、時間で働く人にとっては、仕事=収入ということになることが多い。
もちろん生きていく上で、仕事の経済面は大切であるが、それ以上に、仕事は自分を成長させてくれるものであると、最近、改めて思う。
経営者や起業される人には、仕事に対する熱い思い、理念を持っている人がほとんどだ。
毎日、いろんな仕事に出会う。35年ほど仕事してきても、飽きることがないほどに毎回違う課題に巡り合う。
そのたびに考える、悩む。
その経験が次に活かされる。
ときには寝ても覚めても考える。それが仕事。
喜ばれるその瞬間のために、悶々とする。
その繰り返しから、自分に力がついていくように感じる。
仕事は自分を社会の中での居場所を与え、成長させてくれるものだ。
そのことを忘れずに、挑戦を恐れずに続けたい。
「運命」を大切に。
先日のふるさとライブでも公表したが、私にとって今年はベートーベン生誕250周年の特別な年だ。ことあるごとに、ベートーベンの偉業や生きざまを自分なりに受けとめ、伝えていきたいと思っている。
そのライブでベートーベンのメドレーを即興で演奏した。まずは、お馴染みの・・となるとやはり、「ジャジャジャジャーン」の主題があまりに有名な交響曲第五番「運命」。全曲は知らなくても、曲の出だしはほとんどの人が知っている。
この「運命」。ベートーベンはどんな思いでつくったのだろう。
自身の聴覚への苦痛、苦悩。これを自らに課せられた運命と感じながら創ったのではと想像する。
知人のマジシャン(正確にはマジック・アーチスト)が以前、運命と宿命は違うと話してくれたことも、今になって改めて思い出す。
命を運ぶのが運命。すでに自らにやどっている変えられない宿命・・。
運命とは、命に運ばれてくる縁のようなものだ。
いいことも、時にはそうでないこともあるが、
これを、活かして、より強く生きることもできる。
運命は、ときとして、自分の生きるバネになるのでは。
そう、自分自身で運命は変えられる・・と思うのが良い。
最近、そんなことをよく考える。
運命を受け留め、運命を越えて、人生をまっとうする。
運命に負けるな。運命を活かす。
と、前向きである方がいい。
ベートーベンのこの曲も、私には悲壮感だけでなく、底知れない力を
感じる。
自らに与えられた運命を活かし、さらに道を切り開こう。
今日もジャジャジャジャーンの朝が始まる。
想定を超える日々の連続に備え
地球が壊れてきている。このたびのオーストラリアの火災もその一例である。
あると思っていた自分たちの生活の場が、さまざまな自然との不調和により、崩壊、喪失していく。
さまざまな病気も、同じ。
まさかそんなこと?という事態が加速して、増えている。
毎日生きていると、いろんな想定をしながら準備をしていても、突然病に倒れたり、いろんな事故もあり・・
目標通り、計画どおりいかないこともある。自分の力ではどうにもならないこともある。
多分これからはもっとそんなことが増えると思う。
何があっても、どんな時も、命さえあれば。と思うことにする。
また ケサラサラの精神で。なるようになる。なるようにしかならぬ。
諦めではなく、そんな受け皿を自分の内面に持っていることで、あらゆる事態にも柔軟に対応できる。
何事にもしがみつくことなく。
運命に身をまかせる、しなやかさを身に付けたい。
気が付けば25年。忘れてはいけない
1995年1月17日早朝。
あの日からもう四半世紀が経ったとは・・・。
阪神・淡路大震災。この週末、改めて思い出す。
あの朝、それを知ったのは、出張先のホテルで観たテレビのニュース。
そのあとクアラルンプールから関空へ向け、すぐに出発、帰国する予定だった。
テレビで見た衝撃の映像。普段よく見たことのあるはずの高速道路の無残な姿。何が起きたのかとドキドキしながら、関空に降り立ち、そこから電車移動はできず、幸運にも私自身は、飛行機を乗り換え羽田へ・・・。
一緒に出張した関西のみなさんは、帰路の手段なく大変な思いをされた。
あれから、25年。
つい先日神戸を訪ねたとき、町はすっかり復興。きれいで活気ある街に
なっていたことに、月日の流れは凄いと思いながらも、知らない人にとっては
何もなかったと思えてしまうな・・とも感じていた。
1月17日が来てメディアが報じることで、あの現実を改めて思い出す。
被災された方、大切な方を亡くした方にとっては、一生忘れることのできない
朝であることも改めて身に染みる。
再び当時の記録映像を観ながら、もしわが家がそこにあったら、家族がいたら・・と思うと、とても他人事とは思えず、胸がいっぱいになる。
いつ、どこで?何が?おきても不思議ではない今日この頃。
後悔のない毎日を過ごさねばと改めて思う。
何も起きない・・無事であること。これが一番の幸せだ。
忘れてはいけない。教訓として学び、生きていかねば。
コミュニケーション重点の年!
ネットも普及し、働き方改革という流れもあり、仕事をする上で、便利な条件や環境が整いつつある。と、思いがちであるが、
こんな便利な時代だからこそなのか、ここのところ、コミュニケーション研修のご依頼を同時期に何件かいただいている。
ネットで、メールでやりとりができてしまうから、顔を見てしっかり話すということを意識して機会を作らないと、一緒に働いている仲間のこともよく知らないで毎日が過ぎていき、人間関係も希薄に、あるいは誤解のまま月日が流れていってしまう、そんななか仕事でのミスも生まれてしまう。また、お得意先への対応も、かつての営業職だけでなく、技術・企画職でも、プレゼンや営業を任されることも多くなり、対外的なコミュニケーション力がますます求められるようになってきた。
家族でも、職場でも、同じ環境で過ごす仲間。また一緒に仕事させていただく大切なパートナー。である以上、信頼しあって、協力しあって、いい仕事、いい人生になるように一緒に工夫したい。
と、思ってもすれ違いや、コミュニケーション不足は否めないということも多く、小さなトラブルも少なくない。
経営者の方から、そんな現状をなんとかしたい、社員全員が同じベクトルを向いて進めるようにしたい、それぞれがコミュニケーション力を養って、対外的にも活躍できるようになってほしい、プロデュース力を身につけてほしい・・・
と、さまざまな願いから、ご依頼をいただく。
その研修内容はもちろん課題によって、違えど、目指すところは同じ。
そして、コミュニケーションは目先の日々の仕事だけでなく、社会で生きる以上、最重要課題である。
コミュニケーション研修。わくわくしながら、その責任をかみしめながら準備を進める。
おかげさまで また来年!
14か月ぶりのふるさとライブが無事終了。
おかげさまで大勢のお客様においでいただき、喜んでお帰りいただいた。
やりきった感じで、当日はさすがにくたびれた。
が、やってよかった!
小さな親孝行もできたかな?
また、写真も新しい応援団のおかげで、これまでと一味違った表現に出会えた。
行動すれば必ず新しい出会いも、気づきもある。
また来年待ってるね。と大勢の方からお声いただき、本当にありがたく・・。
やりきって、次に進む。場数を踏む、経験を積む。
これが一番の成長のカギと改めて確信する。
多数のご参加、ご支援誠にありがとうございました。
本ライブの詳細レポートは近日公式サイトにて公開予定です。

綱渡り新年ライブ、みなさまのおかげで本日開催!

2020年のコミュニケーションクリエイター活動は、ふるさとから。
地元にほど近い釜めしカフェ。もう今回で11回目の開催となる。
初開催の頃から、10歳以上歳を重ねたことになる。
お客様も高齢化、毎回お会いできない方がおられることが切ない。
一方、新しい方との出会いもあり、まさにライブを通じて、我がふるさとでも小さな観覧車が回っていることを実感。
私を、ピアノの先生にさせたかった親の夢はかなり違うアウトプットになったが、それでも音楽で地域との関わりを維持できた点では良かった。
ふるさとライブは、いわばファミリーイベントでもあり、親や親族近所のみなさんのご協力、ご支援あってこんなに長い間続けることができた。音響係をお願いしてきた電気屋のおじさんも亡くなり、父も入院となり、今回も新たにお世話になる方が増えた。
申し訳なく、またありがたく。
準備もおかげさまで整った。
感謝を込めて、しっかり2020年のファーストステージを努めたい。
午前と午後の二部公演。入れ替えに1時間。さて、どうなるか?ドキドキが治らないがこの気持ちをワクワクに換えて、2020年もスタートだ。
わかりやすく、楽しくSDGs
落語はじめお笑いの世界は、コミュニケーションクリエイターとしては大いに勉強になることが多い。
一人一人の噺家さんの個性、技術やセンスはもちろんのこと、その芸に託された思いやその表現に隠された努力を想像することも、学ぶことが多い。
今回も大阪の寄席を訪ねた。時間の関係で「朝寄席」という珍しいタイミングにて数名の噺家による落語を聞けるという幸運。その中に、以前から注目している噺家さんが偶然にも今回も登場。あの人や!と、すぐにその噺家さんを思い出した。
彼は前回の演目で、伝統落語を自作のパペット人形を使って演じ、こんな創作落語があるのかとびっくりした。今回は、なんと、SDGsをテーマにした作品だ。
森が破壊されているという現実に対し、地球を守る正義の味方と。ゴミの鬼が戦うという、子どもでも分かるシンプルなストーリー。
今回もこの噺家は自作の手作り人形を使い全身で演じた。もはや落語を超えた新たなパフォーマンスだ。
みんなの大切なふるさとを守るために、ゴミを増やしてはいけない、温暖化対策のため、森を守らねばならないということをしゃべりはもちろんのこと、頭からつま先まで全身を使い、一生懸命に演じておられる姿に感動、涙があふれた。
SDGs。政治や経済の世界では、さもありなんという上から目線で、という例も多いなか、こんなわかりやすい表現であることがいかに伝わるか、人々の心に染み入るかということが再認識された。
大いにヒントを受け、私にもできる発信をせねばと思った次第。
SDGs落語に続き、SDGs ライブもいい。
すぐに実践してみよう。それにしても、上方にはおもろいチャレンジ落語家がおられるものだ。究極のコミュニケーションクリエイターだと、脱帽。
やっぱ、新聞読むわ。
新聞を読まない人が増えている。講読者の減少はとどまることがない。ネット時代の影響を最も受けた業界のひとつが、活字に関わるお仕事。
ライフスタイルの変化により、毎朝新聞を広げて、という光景はほとんどみかけなくばった。日本固有の新聞の配達も、人手不足で成り立たない店も増え、いずれにせよ経営も深刻な状況。
私は暇があれば、特に移動中や太生まれ流、仕事の合間や帰りに新聞を駅で買う。いまどき風ではなくても活字を目で追うのは、デジタルとは違う温かみや、プロの書き手が書いた想いも伝わり、好感を持っている。
今でも新聞を目覚めとともに読みたいが、今の住宅事情ではそれも叶わず、新聞購読は断念。WEBでニュースは見てはいるが、大きな新聞はとても魅力的。
そんな中、ずっとネットでニュース検索をしてそれで済んでいた家人が、急に
やっぱりYニュース見ているだけでは世の中が理解できないから、日経読むわ。と言い、コンビニで買うようになった。仕事の合間に読んでいるようであるが、やっぱり面白いね。しっかり読もうとすると1日ではよみきれないけど、みんなこの量を毎日読んでるのかな、と、不思議そう。
おかげで世界が見えてくる、知らないこともわかってくる。
ネット検索とは違う情報収集は有効である。
新聞に書いてあった・・ということから、話題も弾む。
新聞を読もう。点でなく線や面で世界を理解しよう。
ちなみに、新聞は読んだあとも、「新聞紙」として日々役立っている。