最近、一緒にお仕事させていただくことになった、ある会社の社長さん。なんでも幼なじみの同じく経営者の親友とともに、99歳まで生きると決めているそうだ。100歳までは長すぎる。だからそのちょっと手前まで元気にがんばろうということで99歳だそうだ。
最近66歳の誕生日を迎えられたようで、「あと人生の三分の二、思いっきりがんばりますから、お付き合いよろしくお願いします」
と言われて、しみじみしてしまう。
もし私の人生が今三分の2まできているとしたら、75歳までは生きなくてはならない。いやー、そんな長すぎる。と思ってしまうが人生の諸先輩からすると30年はそんなに長い時間ではなく、三十年後は遠い未来ではないようだ。確かに60歳まで生きたら、先の30年は短く感じるのかもしれない。
人勢あと半分。と思うととてつも長く、あと三分の二という数字は、折り返しをすでに過ぎていて、最後の仕上げに向かうのだから、
迷いもなくまっすぐ生きられるのかもしれない。
あと何年?このゴールからの発想はとてもいい。実際、いつまで生きられるかわからないが、自分なりのゴールを描きながら日々生きることは、活き活き人生には大切なこと。
目的をもって最後の瞬間まで、元気によどみなく、走れたらいい。
おかげさまで前向きの諸先輩に囲まれて、自分の未熟さと若さを感じ、前に進める。そんなわが人生は、とてもありがたい。
「人生の三分の2を、よろしく。」
一番のギフトは・・・
アメリカの著名な数学者がタクシーで事故に遭い、同乗されていた夫人とともに亡くなったとニュースを知り、ショックを受けた。その数学者のことは不勉強ながら知らなかった。素晴らしい功績を遺した方だそうで、その人生をモデルにした映画もあったそうだ。そして夫婦助け合って病気を乗り越え、生きてこられたそうだ。これは亡くなったそのニュースで知ったこと。たったこれだけの情報だけでも、本当に映画のような人生を生きた方なんだと感動。それに加え、驚いたのたのは、夫婦で一緒に事故で亡くなったということだ。そんなところに感動して・・・と不謹慎かもしれないが、いいな~と思ったのだ。なかなかそんな風に思っていてもそうならない。という世の中なのに、なんと幸せなんだろうか・・と思ってしまったのだ。
もちろんその事故の瞬間、悲惨さ、惨さ・・を想像するとそんなことは言えないけれど、でも、高齢になるまで一緒に生きて、一緒に人生を終えられるとは、私だったらうれしいと思う。
人生、いつ終わるかわからない、どのように終わるかもわからない・・そこは人間平等にできている。そんな中でも、神様はやっぱり見ておられるのかもしれない。もしかしたら、最高のギフトをそのご夫妻はいただいたのかな?すべて想像であるが、一番欲しいものはそんなギフトなのかもしれない。
生きている間にその恵みに触れることもできないが、その恵みとは最高の人生の結び方ではないだろうか?ふと、15年前に国際会議で訪日されたアメリカ人の老夫婦のことを思い出した。確か、あのご夫妻の死も衝撃的だった。ハリケーンか何かで流され、亡くなったときいたことが今回のニュースで蘇った。仲良しカップルは一緒に死ねたら一番いいに決まっている。
横綱のまなざしと背中。
いつの間にか相撲が好きになった。子供の頃、おじいさんたちが日曜の夕方になるとテレビの前で「相撲」を見ているのを見て、相撲は時代劇同様、年寄り向けの娯楽だと思い、自分には関係ないと思っていたが、大人になるにつれ、とくに40代を越えてからか、超集中力が求められるあの競技に興味を持ち、だんだんと好きになってきた。最近では相撲がはじまると、毎日観ることはできないけれどなんだかウキウキし、また千秋楽が近づくと寂しい気持ちになるようになった。日曜の夕方は取組をみないとなんだか損した感じ。○○場所の2週間は、なんだか楽しい日々なのだ。力士ががんばっている様を見て、私もがんばろうと仕事にも力が入る。相手と向かい合うこと、この上ない集中力。この2点が私にとっての相撲の魅力。そして、横綱が好きだ。自分との勝負をしている頂点の人を見ていると、とても勉強になる。刺激になる。他の者に追い付かれる、追い抜かれることがないように、人の何倍も稽古するのだろう。ある意味、勝って当たり前。負けてはいけない。このプレッシャーはいかほどのものだろうと、勝負に向かうときのあの鋭いまなざしを見て、あるいは勝負を決め、土俵を去る背中を見て、横綱という存在の重さ、孤独、強さを勝手に感じるのだ。
頂点に立つ人の努力を見て、あんな風に強く生きなければといつも思っている。何を言われようか、それも仕事と腹をくくっていなければならない。頂点に立つ人には忍耐も、強くも広い心が必要なのだ。
自分との勝負ほどしんどいものはないだろう、しかし自分との勝負だからこそのやりがいがあるはずだ。
今回、最後に優勝を逃した横綱と、弟子のために踏ん張った横綱。どちらもすごかった。まなざしも背中も。
とにかく夏場所が終わって、なんとなく寂しい月曜が過ぎた。そうこうしているうちに、早く次の場所がやってくるように。
女はつえーよ。たくましいよ。
知り合いの飲食店の社長さん、気が付けばずっと応援団になっている。出張先の親戚?のような気持ちで、気が付けば立ち寄る。
お店は決して今どきで言うかっこよさはないし、キレイなお店ということでもないが、味は絶品だ。地産地消にこだわり、店主自らがあちこち出かけて他にないものを調達している。田舎のめしや~という感じが、私にとっては心地よかったりする。
一応、客の私であるが、私がひとりで店に入ると、店主は席を案内するとともに、なぜかいつもお茶をもって自分自身が私の前に座る。
え?ひとりでごはん食べるつもりだったのに、なんで前に座るの?と思うが、いつもそんな感じだ。
そして、とくにこちらから質問していないのに、いろいろ近況を話してくる。そして最後に「最近さ、ちょっと落ち込んでいるんだわ」
と言ってきたため、心配になり、「え?大丈夫?」と聞くと「いいんだ、いいんだ。落ち込むときは落ち込む、それでいいんだ」ともいう。あ、そうか。「じゃ、また元気になるのを待とう。それが社長流ね。」と、言葉を返したら、最後に「いいね。いつも楽しそうに仕事しているね。いいね。ほんとうに女はつえーよ。たくましいよ」と言う。私のことだけを見ていっているのでなく、世の中全体のことを指しているのかとは思うが。落ち込むときは落ち込む。それはわかっているけれど、誰かにひとことそのことも言いたい。社長業は孤独だから損得関係ない人に言いたい。その気持ちもわかる。オンナはやっぱり強いのかな?そうかもしれない。でも、男だって強い。でも、繊細ないきものだ。がんばってね。とは今は言わないけれど、ずっと心の中で思っているし、また近々店をのぞいてみようと思っている。
女はつえーよ。男はつれー?よ?
いくつになっても新チャレ精神!
企業相談会で、還暦から起業するという女性と面談した。「わたしね、これまでずっと勤めてきて定年でもうやめたんだけど、このままで終わりたくないから、自分の夢を果たそうと思うんです」と、元気いっぱい話を始められた。その勢いと元気はとどまるところを知らないぐらいのあっぱれ!おばちゃんである。また、夢に向かって生きておられるせいか、肌艶も大変よく、とても若々しく、私から言うのも失礼であるが、かわいらしい感じがする。あ、この人が商売やったら、うまくいきそう!という予感がした。
1時間の面談後、「よーし、勇気が湧いてきたぞ~」とニコニコ顔でお帰りになったのが、とても印象的。
60歳からの起業。しかも儲け優先ではなく、お年寄りに喜んでいただきたい、地域の人に役立ちたい・・・との思いがとても強い。
人はいつからでも挑戦できるのだ、新しいことをはじめることができるのだ。自分さえその気になれば、周囲も応援してくれる。
いやはや、やっぱりおばちゃんは強く、たくましい。男性が現役を引退する頃に、起業に向けて動きはじめるおばちゃんたち。・・・とてもほほえましくもある。
そういえば10年前、相談に来られた女性。「私、もともと専業主婦でした。50歳で起業を決意しました」とあれから10年。ずっと応援しているが、目覚ましい活躍で今さらに元気、いきいきだ。今は60歳で起業する方がおられる、10年後は70歳で?ということも出てくるかもしれない。いつでも、その人にとって決断できるときが、「はじまりのとき」だ。
いくつになっても、新チャレ精神が大切だ。もう、いまさら・・!とあきらめず、まだまだいける!と思えば、おのずと道は開ける。
爆笑ありで、記憶に残す勉強会。
ITベンダー向けの勉強会。私自身はこの業界の専門家ではないけれど、やっぱりコミュニケーションクリエイターというのはどの世界にも接近可能だ。結局はどんな仕事をしている人でも、コミュニケーション抜きには、成り立たない。
今回は、前回の講義とミニワークを経て、各社で準備をいただき、自ら立てたプランの報告から、展示や呼び込み、商品説明から、オフィシャルなプレゼンテーションまでを発表いただき、受講者・主催者とともに一緒にチェックというプログラムにした。
準備も大変だったろうが、これをやることで、展示会出展にはとても役立つはず。本番に生かせるため、みなさん全力で準備された。
IT業界のプレゼンというと、いかにも「カタカナ」!というイメージがあるが、今回は商品説明だけでなく、展示会での声がけや、初めての方に興味をもってもらう話術も実習いただいたのが良かった。「伝え手」も「聞き手」も受講生同士。それぞれの役になりきって、商談のきっかけをどう作るかを一対一で演じてもらう。やっている本人たちは大真面目なのであるが、そのやりとりが、いかにも不自然でおかしかったり、会話がかみ合ってなかったり、一方的に話してしまったり、いいお客さんになりすぎたり・・・と、そのやりとりを見ている全員が爆笑したり、感嘆の声、ときには心配そうに見守ったり・・・。私も何度も爆笑してしまった。やっぱり売るものがクラウドであっても、アプリであっても、結局、売るのは人間、買うのも人間。そこが伝わるには、人間力・素手の表現力が必要なのだと再実感。
と、真剣勝負の中にも笑いあり。みなさん汗をかきながら、奮闘し、満足した様子で、おかえりになった。
私はいつも、楽しい場を仕掛けたい。それがビジネスの場であっても。楽しいことは忘れない。楽しいことを思い出すついでに肝心なことも一緒に思い出す。日頃エンターテイメントの仕事にも少しではあるがかかわっていることで、それ以外の領域にも役立つことがあり、ありがたい。とにかくよく笑うIT男子、ますます感性を磨かれ、ターゲットに伝わるようがんばっていただきたい。とにかく大真面目にやるから、面白い!受講者の皆様の心に頭に深く刻み込まれていることを心より願って・・・。
あえて「記念写真なし」も、また好し。
毎年自主的に続けてきた成果発表・交流会。気が付けばもう7~8年目。最初から継続するつもりがなかったため、もともとは主催者が自分でなかったこともあり、回数もカウントしてこなかった。毎年今年で終わり、最後と思ってきたのになぜか終わることなく、今も続いている。企業もお役所もちょっと落ち着く五月が良いかなということで、春になるとやっぱり今年もやらねば!と思い立ち、準備を始めるのである。
毎年新しい受講生が増え、また久しぶりの方が参加されたり、と参加者層も毎回変化、マンネリにならない。参加者同士の化学反応が楽しい。どの人にとっても新鮮で、とても刺激的。そこでコラボが生まれたり、友情が生まれたり・・・その関係を見守らせていただけること自体が、なんだか心地よい。
広報の活動発表会と交流会。今回の参加者は30名ほど。一年に一度のこの勉強会で自分の取り組みを見直し、整理でき、発表できる機会というのは大切なようだ。振り返りと気づきを求める人がこの勉強会を有効活用している、単に「売り込みたい」だけの思いだけでは、人間成長しないのだと思う。
さて、この勉強会は5時間の長丁場。気づけば、ほとんどの人が写真を撮らなかった。会社の日報に報告が必要といって、いわゆる証拠写真として撮った方はおられたが、人の発表風景をパシャパシャ撮ったり、再会を祝しての、いわゆる記念撮影もなかった。この会でも全員で写真を撮ってきたことがあったが、会場の都合もあったりその場も雰囲気もあり・・そんなこんなで、今回はあえて集合写真もやめておいた。
もったいなかったかな、せっかくの機会なのにとは思ったが、写真よりも大切なものがみなさんに残ればいいし、写真はあえてなしでと、そのまま閉会にした。
なんでもかんでも写真ありきの現代。誰でもいつでも撮れる現代。(最近は、空から無人で撮ることが話題?になっているが)でも、何か画像に残すことではないことで、残したいものがある。その空気であるとか温度であるとか、言葉であるとか。もちろん写真があることで、記憶は倍増するだろうが、情報がてんこもりの現在に、ときどき、写真撮影を忘れて議論したり、交流するのもいいスタイルだと思う。出会った人がそれぞれに、いい感じに刺激を受け、成長するきっかけを得られればそれでいい。かくいう、主催者である私自身が、黒子であるために得るものは大きい。人の成長を見て、自分を振り返る。心のなかに、出会った人たちのことが深く刻まれる。また1冊 心の中にアルバムができる。これで、良い。
写真はないが、翌日寄せられる参加者からのお礼や感想メールを見ながら、ひとりほほえみ、ああ、今年もやってよかったと安どする。「また来年やってくださいね。」「次回も楽しみにしています」多くのこの声に押されて、結局はまた・・なのか。心の中に見える映像がくっきりとよみがえり、それが私の背中をまた押す。
「今、ひとつづつ」を大切に。
毎日、いろんな課題がある。同時に考え、準備をして、あれもこれもで頭のなかで整理をしながら自らを操縦していかねばならない。
そんなに毎日毎日パワー出るのかな。と、同時にいろんなことを思い、無謀な計画だったか?と思うこともあるが、心配することはない。
どうせ、ひとつづつしか行動できない。人間、絶対に2つのことを同時にはできない。頭と手が違う行動をとっても、失敗することが多い。仕事のことを考えながら、料理をしていて思わず包丁で手を切って、仕事にも食事にも支障が出る・・・・と、まあ、そんな感じだ。
だから、無理して二頭を追わないこと。まず目の前の案件をひとつづつ集中してやっていけば、その結果、気づかぬ間に山を越える。
そして、気が付けば山をいくつも超えている・・・。気が付けば、「あ、全部できた!」ということになるはずだ。
パワーを多く放出する仕事が続くときは、自己管理が大切だ。
焦らず、しっかりひとつづつ。
今日も終わった、今日も終わった。の積み重ね。
人生って終わっていくために、がんばっているのだと思う。そして終わったあとに、また次へ向かうのだ。
次々考えることはできても、ふたつのことは同時にできない。だから、焦らずひとつづつ確実にこなしていこう。
今日もそんな一日だ。
100のアイデアがあっても、一つの行動の積み重ね。これはすべての人間に平等だ。
焦らず、確実に邁進しよう。そう思えば、とても気が楽になる。
1年前と変わった、母娘の関係。
まさにこの日だった。昨年の5月20日。母親の胃がんの手術日。自分は企業さんの相談会で出張、立ち合いができずの1日。手術開始時間と自分の業務時間が同じで、「よーい、スタート」という感じで、いかにその業務時間、仕事だけに没頭するか、集中するか。気にすると集中力が飛びそうなため、あんなに自分の意識を力いっぱい仕事に向けたときはあまりなかった。それぐらいしんどい4時間ほど。そして業務の相談時間が終わったころ、立ち合っていた家族から「無事に終わったよ」というメールを受け取り、全身から力が抜けそうになったあの日のこと。そしてそのまま、無事出張も続けられた。
あれから1年。1年前のその日と同じように、また出張し、代役のない仕事をやっている。
母親は1年検診だ。前夜、電話をした。「明日、検査だね。大丈夫?どこもなにもない?」
「ないない、大丈夫~~」と少しおとなしめに、でもしっかりと答えてくれる。ああ、これならきっと大丈夫だろう。
あれから1年。彼女はものすごいパワーで回復した。三分の一になった胃なのに、よく食べる。食欲旺盛だ。よく動き、ボランティアも地域活動もフル回転だ。検査が終われば、今度は自分の活動発表をある大きな場でさせてもらうとか、何百人の前で話す機会が来るとは、1年前の今日、思いもしなかっただろう。
検査、無事でありますように。この1年、母に毎朝6時にメールをし続けた。そのことで、ありがとう、ありがとうと何度も言われるようになった。
手術が変えたことは、親子の関係かもしれない。
感謝しながら、この1年目、検査の無事を祈りながら、私も自分の仕事ができることに感謝し、元気に新幹線に乗り込むとしよう。
どっちを向いて仕事しているか?
時々、プレゼンテーションの場に聞く方の立場で参加することがある。会社員時代はもっぱらプレゼンする側であったので、プレゼンの大変さはよーくわかる。
プレゼンする人はクライアントに対して企画提案をするのであるが、大きな仕事になれば、社内でも普段一緒に仕事をすることがない幹部・上役さんと担当者が一緒にプレゼン参加ということもある。そういうときは、それだけプレゼンに社運とまではいかなくても、全社的にも力が入っている証拠だ。私自身も20代の時のプレゼンコンペでは、時によっては取締役が同席することもあった・・。さて、今回お目にかかったプレゼンでは、そういうケース。普段一緒に仕事をすることがない、社内的にはおそらくかなり偉い方が同席されている様子。それはそのあとにわかった。担当者がその上司を紹介するとき、その人のことを「尚、今日のプレゼンには当社の〇〇の〇〇長がわざわざ出向いてくださいました。」と言ったからだ。しかも何度もその人のことを敬語で紹介する。聴いている人に対して、公的な対外的な場面で、プレゼンの相手ではなく、身内のことを敬っている。はて、一流の会社であるはずであるが・・。どこ向いてプレゼンしているのかな~。あとで、その上役は「おれのことは、こういうときは敬語で紹介したらおかしいよ」と注意しているだろうか?だと、良いが・・。
一方、政治を生業としている方々の大切な場、国会レベルの会議でも、マスコミと話すとき、などでも、相手の目を見て話さない方もいるようで、ずっと気になっている。自分が覚えた原稿を間違えないように宙を見て、話しているような感じだ。目を見ずして、何が伝わるんだ?と思えてならない。
こちらも、どちらを向いてプレゼンしているんだろう。という疑問が沸く。
どんなに創りこまれた原稿のまま暗記でいえたとしても、目の前の人には伝わっていないのでは?
自分の言葉で相手にちゃんと伝えたい場合は、言葉も目線も相手に向かうはずだ。
一流といわれる組織、またはトップ?と言われている人ほど、そんなことに無頓着?だとすると結局は自分のための企画、自分を守るための発言でしかないのかな。とも思ってしまう。
ちょっと飛躍したかもしれないが、「どっちを向いて話すか」他人事ではなく、我の行動をまずはちゃんと見直したい。世間にはいい教材に満ち溢れている。