心と頭の「引っ越し」をする年度末。

引っ越しや、異動や、心身ともに動く春。とくに組織に属している人にとって、この年度末は変化が激しい時期。引き継ぎも大変だ。とにかく健康でなければ、元気に乗り切ることがない。世間の皆さまに敬意を表したくなるこの時期。

私はといえば、なぜかこの頃になると町中を、出先をてくてくと歩くようにつとめる。目的地が同じであっても、いろんな道を歩いて、小さな発見や気づきと向かい合う。そして歩きながら、歌いながら、自分の頭の整理と一緒に心も整頓する。クリアな頭は仕事上、とても大切だ。いい情報を入手できるように、よけいなモノや汚れはとっておかねばならない。そして心もそうだ。長年生きていると、どうしても心が曇ってしまったり、とくにネガティブになってしまうことも時にある。しかし、気持ちいい状態であれば、物事を素直に受け取ることができ、吸収力も違うはずだ。

咲き始めた桜を見ながら、人生のはかなさをまた今年も想像しながら、また今年も出会えた春の訪れに、はて自分のこの1年間はどうだったかなと反省しながら、この機会に心も整理整頓しておかねばと思う。花を見ていると、素直な気持ちになれる。

たまには、この季節に。心身そして頭のクリーニング・デトックス、そして「心や頭の引っ越し」というのも良いかもしれない。さて、どこに?と考えるだけでもなぜかわくわくしてくる。

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大人は静かに暮らしたいだけ。

神楽坂に生まれ育ち、60余年という方との時間をいただく。私は京都から上京してこの地に出会い引っ越して20余年なので、私の3倍以上もこの町の変化を体感し、その変化とともに生きてこられた方だ。20年前と比べても、この町は変わった。その方は、町の変化、時代の変化、そしてご自身の人生設計などから当地での商売を一昨年前にやめられ、今は自由にセカンドライフを過ごされているようだ。「昔は本当によかったわね。」という一言もこの町の本来の魅力を知り抜いているから出てくる言葉。新しい店がどんどんできているけれど、本当にいい店って・・。流行りはあっても、老舗がなくなっていく・・。さらに、オリンピックなんかやらなくていいのにね・・という共通の話題。そう、静かに普通に暮らしたい住民にとっては、迷惑なだけだ。税金の無駄遣い。一体、何のため?と、何かと価値観を共有できる人が神楽坂という町にいてくださるのもちょっと嬉しかったりする。静かに普通に暮らしたい。バブルなお祭りごとは、誰のため?40年以上前から、子育てしながら仕事を続けてこられているその方からすれば、最近の一億総活躍云々も、首をひねってしまうこと。なんといっても、その方のおばあさまが、「朝が来た」ではないけれど、昭和の職業婦人の先駆けであったということも、その方の人生に影響を与えていることだろう。いろんな歴史、キャリアを経た後は、ただ静かに穏やかに生きたい。本当にがんばった方だからこその重みと落ち着きを感じつつ・・・。日本はもう、大人の国になるべきなのに・・と素敵な神楽坂人との時間をいただき、思った春の午後。

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日々ネタをつくる。引き出しを増やす。

久しぶりにお会いする人との会話は1時間ではとても足りない。この人にはと思う人には、その人が興味をもってくれそうな話題について話をするが、興味をもっていただくのは私自身のちょっとした体験談だったり、出会った人のことであったり、自分の発想であったり・・。あるお店では、こちらがお金を払うお客なのに、サービスが終わったあと、そのスタッフに「楽しかったです。お話しきいていると、とても前向きになれます。私もがんばります」と言われてしまうこともあり、ちょっと複雑ではあるが、面白がってもらったり、楽しんでもらったり、考えるきっかけになっていたり・・と、ま、自分の話が何かの足しになっているならば、それもよし!だ。二人しかいないのに何時間もなぜ話すことが可能なのか時々後になって不思議に思うことがある。時々、聞いている方が「本当に話題がよくあるわね。ああ面白い」と感心される。作り話はしていない。あったこと、見たこと、感じたことを話しているだけだ。たぶん、見えるように話しているかもしれない。とにかく企画や創作という仕事をするために、いつも素材を集めたり、良質な出会いを求めたり、感動したり、あるいは思ったら行動を起こしたり・・・。そのことが話題のひとつずつになっているのかも。

いつもネタをつくり、それを頭や心の引き出しに入れているような暮らしをいつの間にかずっと続けている。あなたの話が聞きたい!と興味関心、期待をもっていただけるように、自分なりのインプットは生涯し続けたい。何よりもそれを自分自身が楽しんでいる。

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本日、愛の元気人3月分オンエアです。

愛の元気人、今月のゲストは、ハインズワークス田島さん(写真上)と、猪貝の片桐さん(写真下)です。ほのぼの元気トークをお楽ください。おかげさまで今回でまる6年を迎えました。応援ありがとうございます!

放送 本日3月25日18時~19時 FM KENTO

tajimakatagiri

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匿名で社会が変わる、不思議な世の中。

匿名が流行っているようだ。名前は言いたくない、言う必要がない。ちょっと古いといわれるかもしれないが、ラジオのリスナーネームなら匿名でもいいし、それは想像も膨らみ楽しい。しかし、深刻な内容を発信するときにも匿名。ご本人にとってみれば匿名だから言えたことだと思うし、それでよいだろうが、この1名の匿名投稿から、共感が広がり、抗議行動となり、社会への不満、批判が瞬く間に点から面になる・・・政府はその影響を恐れて、その事態を収めるために目先の対応に追われている。この現象は?じゃ、国会議員は要らないということにもなるのでは?誰もが直接、メッセージを発信できる世の中、とくに身元を明かさなくてもそれなりのインパクトがある内容ならば、それで世の中が動いてしまう・・とは??この現象については、正直、違和感を感じる。きちんと発信するならば、自己責任の下、匿名ではなく発するべきだと思うが、今回の一例がきっかけとなり、きっと今後も同じようなことが引き起こされ、その都度、お上はその反対勢力、批判をかわすために目先の行動をとるかもしれないと思えてくる。パーソナルメディアの匿名性は一億総発信ともいえるし、社会参加の手段といえばそれはそれであるが、無責任性と拡散威力のこわさも感じる。

一方、もともと発信のプロである人たちの発信についても疑問が沸く。本当にそれ、今伝えるべきことか?本来の存在目的からずれているようにも見えるマスコミの発信の現状・・。メディアの活用のされ方が歪んでいると思えてならないのは私だけだろうか。いずれにせよ、自分の意見を言うときは、責任をもってが大前提。感情をぶつける、暴力的な発信・・これ以上加速せず、しっかり対話、コミュニケーションし共感しながら共生できる世の中・・になればいい。いろんな意味で、言うべきことを言う、伝えるべきことをきちんと伝えることが当たり前の社会になるように、切望する。

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自分のカン覚に、従う。

時々、それまで企画、計画していたことを突如、止めよう。とストップすることがある。とくに旅においてである。もちろん人に迷惑をかけたりするようなことはせず、自分だけで完結する計画の場合に限り、稀に急にブレーキをかけることがある。たとえば、ブリュッセルでのテロ。日本でも騒いでいる。ユーロ各国はもっと深刻だ。日夜、テロとの戦いについての報道熱は高まるばかり。今、ヨーロッパ周辺にはいかない方が安全だ。では、アメリカ大陸はどうか?たぶん、大丈夫だと思い、計画を立てていた1か月前。しかしここのところ、待てよ、ヨーロッパからNYはほど近い。もちろん大西洋を渡るが、ここは近いと考えた方がよい。すでに標的になっているという情報もある。そこで現地の仲間に問い合わせると、「いや、今のNYはまったくテロの危険性はないよ。心配無用。むしろ大統領選に向けての熱い状況も見られるから、今はおすすめだ~」とのたまう。その中にいると見えるもの、聞こえるものも変わるだろう。いろんな情報を自分なりに集め、解釈しながら、自分のカン覚に従う。もちろん東京も今はとても危険である。でも旅先での危険はさらにリスクが高い。慣れない土地での危機状態はなるべく避けたいもの。いつでも、自分で正しく判断できる。人のせいにはしないということにしたい。

近年、世界中の旅人たちは、多かれ少なかれ心配しながら、以前より大きな心的リスクを抱え、でも自分は大丈夫だろうと最後はわが選択を信じて、出発しているだろう。OKのサインを感じるときはそのまま行動すればいい。少しでも違和感を感じる場合は方向を変える、タイミングを外す方が賢明だ。いずれにせよ、自らのカン覚を大切にし、行くとき、待つとき、しっかり見極めよう。

先日もトルコ経由の便を予約していたが、行かなくて良かったと思う現実が起きたばかりだ。地球が小さくなったと感じる反面、危険度も高くなったということを忘れずに。

 

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有料だから、表現者が成長する。

先に書いた、ある映画俳優のトークで印象に残った言葉を、自分なりに解釈し直してみる。

もうこの時代、映画俳優という職業はなくなりつつある。もうテレビ俳優しかいない。正直、テレビ俳優の質は低い。

なぜか、テレビは観たいときに観て、気に入らなければチャンネルを変えるだけ。そしてそれは無料。

それに比べて、映画はお金を出して、わざわざ観にきてくれるお客さんだけが相手。だから違う。

と、そんな話をされた。とても納得し、また共感する。お金を払っていただいて来ていただくという背景には演者への関心と期待、応援がある。だから、絶対にそれに応えなければならない。映画となれば、あの大スクリーンにアップで映る表情ひとつ、セリフひとつが「さあ、観てやろう」とやってきた観客に注目、凝視されるのだ。その期待に応えるために映画俳優は努力した・・とのこと。

今は一億総活躍というが、一方一億総素人か?と思ってしまうほど、それが良しとされている面もある、ぬるい時代だ。厳しい時代を生き抜いてきたその映画俳優など、ホンモノの表現者からするとどんな居心地がするのだろうか。これも時代とあきらめながらも、苦々しい気持ちでおられることだろう。

タダほど、怖いものはない。人間の成長を阻み、ときには堕落させるのだ・・。有料の芸をもっと意識し、学ばせていただこう。自分自身も成長するために。

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俳優の仕事に学ぶ

言葉の数は少なかったけれど、かみ合わないコミュニケーションもちょっぴり切ない部分はあったけれど、お会いした後にその存在感がじわじわと自分の中にしみこんできて、あのときこういうことが言いたかったのでは、ああいうことが伝えたかったのではとあれこれその俳優が語った言葉の「単語」がよみがえる。たとえば、酒を飲むということ。一般では、酒を飲むこと自体をもちろん楽しんでいるだろうが、そういう楽しみ方だけではないという話。たとえばサラリーマンの役をするかもしれない役者。だから、居酒屋に行っても周囲のサラリーマンが「どんな酒の飲み方をしているかを観察する」という。だから、飲み屋も勉強、取材の場である。そのことはよく理解できる。何かを表現、創作する仕事をしていれば、どんな場面も仕事である。20年ほど前、会社員時代に教えられた、ONとOFFの区別はないという生き方。いつもリサーチしている、いつも市場を見て、それを企画の肥やしにすること。そんな生活をずっと続けているが、俳優という仕事も同じだと知り、とても共感する。意識をもって見ることで、自分に行かせることが必ずある。

いろんな役を演じる俳優・役者という仕事を自分の仕事にも少し置き換えて浮かんだこと。たとえば酒場に行き、今日はサラリーマン風に飲んでみようとか、今日は未亡人風にとか、さっき上京したばかりのおのぼりさん風に・・・と演じながら飲んでみるのも面白いかもしれない。その人の気持ちになってみることで、新たに書いたり、表現するヒントが出てきそうだ。俳優という仕事に学ぶことは、まだまだありそうだ。今、改めて気になる俳優の演技を、どんどん作品を観てみたい。

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「合格しました」で、思い出した鬼の形相

甥っ子と、その母(妹)より4月から通う学校が決まったとメールが入る。もともとの第一志望校であったかどうかはわからないが、それでも受けたところに合格でき、念願の一人暮らしもできるようで、良かった良かったと、何も手伝ってもいないのに勝手に安堵する。受験とか試験など、「ふるいにかけられる」ことが実は好きではなく、受験生のときも、それ以後も受験に対し、全能力をかけた記憶もなく、中途半端にここまで生きてきた身ではあるが、それでもあの受験期のなんともいえないだらだらしてしまいそうな長い時間での「受験生なんだから」という縛りは、窮屈でなんとも逃げ出したいようなそんな空気で・・。だから行く先が決まった瞬間は「終わった~」とかなりの解放感に包まれた記憶がある。だから、甥っ子やその親の「合格しました~」という報告は、メールする傍から、解放されて「やったぞ!」という気持ちも伝わってきて、自分の35年前の時が濃厚に思いだされた。

そう、自分の場合は、親からすれば歓迎すべき進路ではなかった。ピアノを捨てて、田舎を出ることが決まった。というか、自分で勝手に決めた・・・。娘が一人暮らしをする、大学に行くなど思ってもいないことになり、大変複雑で腹立たしい春であったはずだ。あの引っ越しの日。荷物を積んだトラックが実家を出るときの母の怒った顔を今も忘れることができない。やりやがった・・という悔しさというか、親の知らない世界に勝手に行きやがってという怒りや、ピアノを長い間させたのに裏切られた・・という腹立たしさと・・。そして、京都に着いてから母が初めてアパートに来たときのこと。怒りながら、スーパーで買い物をし、私に渡してくれた卓上醤油1本、あとは納豆だったか・・。

あれから35年。自分も親も、その周囲も変わった。そして、この春は姪っ子が念願の一人暮らしを始める。きっと彼もあとで何かの節目に、将来、この受験期を終えた瞬間のことを思いだすだろう。

苦難を乗り越え、緊張を持続するというしんどさを越えて、春を迎える人にとっては、どんなにすがすがしい気持ちか。日本中の受験生たちの、来る次のステージの始まりにエールを送り、私もまだできるで!という気持ちをもちつつ、一緒に駆け出すとしよう。

ああ、それにしても久しぶりに思いだした、鬼の形相・・。懐かしくもあり・・。

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「役者と俳優の違いは何ですか?」への名答

ある公開講座に行く。今回はある俳優の講演とのこと。年齢は80歳手前ということで、父親と同じ。石原裕次郎と大変近い距離におられた方のよう。お顔を見ればわかるという方が多いだろう、日本映画全盛期に、映画俳優として一世を風靡されてきた。実は私は顔を見て、見たことがあるかも?と思ったが、やくざ映画は見ないのと日活時代の映画というのもあまり知らないため、顔と名前は一致しなかったが、壇上に現れたその方は、まさしく見るからに、俳優というオーラを全身に漂わせておられた。今回の勉強会は「俳優から見た脚本・原作」がテーマ。いわゆる講演があって、質疑応答かと思っていたら、実はそうではなかった。最初から質疑応答方式だ。なんでも何年か前に脳梗塞をされ、その後リハビリをされ元気になられたが、講演というのはなかなかむつかしいようで、結局は会場からの質疑応答形式での講座ということになった。この手法もある意味、新鮮で聞く力を養うという点では、とてもいい勉強になると期待をしつつ、会場からいきなり質問なんか出るのかな?とも・・。

会場から質問が出始める。聞きっぱなしの講演よりも、ある意味聞き手にも積極性が求められ、ある意味新鮮ではある。ただ会場から出る質問に対し、高齢と病気のせいか、こちらが期待するようには聞いていただけなく、途中で思わぬ言葉が出たり、質問の途中で答えらしき発言が始まったり、正直、会場も少し困惑?気味。「さあ、なんでも聞いてください。なんでも答えますから」とそのサービス精神がやっぱり俳優だと思い、感心する一方、聞いた意図が理解されていない状態が続くと、どうも会場も盛り上がらず・・。また、有名な俳優さんだからといって、映画の脚本の細かい質問をどんどん突っ込んで聞く熱心が人がいても、その答えとはまったく違う、ちぐはぐな答えで突如話が終わったり・・で、これは本題よりも、コミュニケーション、取材力の勉強になると思い、興味の矛先を変えて受講し続けた。

発言内容は正直、聞くに堪えない部分もあり、時間の無駄だと席を立ってしまえばそれだけのことだが、なぜこのご高齢の俳優さんが力を振り絞って、この講座に来られているかと思うと、最後までその時間を共有せねばと思えてくる。会場からあまり質問が出ず、沈黙・・。自分も何度か手を挙げてがんばって質問した。「『役者』という職業は役を演ずる人という意味でわかりやすいですが、『俳優』という言葉の意味はよく考えたらわからないので、●●先生の俳優という定義について教えてください。」・・質問を理解していただいているか不安であったが、その方が質問強く反応したのがわかった。「それは、難しい質問だね。俳優とは、吟遊詩人かな」。この答えは質問に的確に答えられた内容で安心もし、感動もした。そうか、「吟遊詩人」。この一言があの名優から聞けただけでも価値があった。このほかにも、映画とテレビ文化、そしてそこで演ずる俳優の違い・・・などなど参考になることをいくつか学んだ。

いずれにせよ、若い時に俳優として美男子として世に出たひとりの男性が80歳になるまで、病を乗り越えて、その俳優という生き方を貫いておられるその姿自体に感動し、それでもコミュニケーションがだんだん難しくなっていく現実も垣間見えることが哀しくもあり・・。

まさにその人自身を見ていることが、撮りっぱなしの1回だけ上映の映画のようにも思えた。

私がお渡しした名刺を見て、「グラン・ルーか・・」と一言。吟遊詩人に少しでも響いていたら、よかった。

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