毎日、「にんじん修行」。

実は、ここのところ、1か月ほどになろうか、朝か夜、とにかく1日1回、にんじんを1~2本
スライサーで、「しりしり」している。
この「しりしり」とは沖縄方面で、野菜しりしり・・と呼ぶところからきているそうで
そのスライサーも「しりしり器」と名付けられているそうであるが、
要するに、野菜の千切り用スライサーを使って、にんじんを千切りしている。という意味だ。

なぜ、この「にんじんしりしり」がはじまったかといえば、毎朝つくるおにぎりに加え、
野菜を手軽に家人に食べさせるためなのであるが、煮物では食べないのに、この「しりしり」
状態にしておけば、黙っていても野菜を食べる。そう、にんじんはこの方法で生食にすると
大変おいしいのだ。
とくに、新潟など雪国でとれる(つくる)雪室ニンジンだと、なおさら美味である。
ほんのり甘くて、しゃきっとしている。

そんなわけで、毎日10分ぐらいではあるが、にんじんと向かい合う時間をもつようになった。
私自身は、食べるよりも、にんじんを見ていてとても感動するようになった。
にんじんにはいろんな色がある。オレンジといっても、いろんなオレンジ。
最近では黄色っぽいニンジンから、紫ニンジンまで・・。
金時にんきんなどというものも先日はしりしりしてみた・・。
スライサーの上をにんじんを動かしながら、
なんて自然の色はきれいなんだろう・・とうっとりする。
腱鞘炎にはあまりよくない作業であるので、ゆっくりしりしりする。
にんじんのきれいな色に意識をとられていると、思わず指までしりしり
するので気を付けねばならない。
注意しながら、にんじんを千切りにする、いわば修行である。

どんなに多忙であっても1日1本、にんじんをしりしりする時間がもてると
心にゆとりが生まれる感じだ。

私にとっての、この「にんじん修行」は、心身にとても良くて、
ずっと続けたいと思っている。

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頑固と素直のはざまを

年を重ねると、長年生きてきた経験がいいか悪いか判断材料となって、
人の話を、とくに年下の人の話など素直に聞くことができずに、
自分の考えと違ったり、少しでも生意気に聞こえるような発言に出会うと
不機嫌になったり、「今どきの若い者は~」とか「小娘のくせに、若造のくせに・・」
と思ってしまうことはないだろうか。
私は正直、ときどきある。
「こんな若いもんに、何がわかる」とか、「やってもいないのに、何いってんの」とか。
一般的には年を取ると頑固になるといわれる。
これは、気を付けなくてはいけないと思う。
そして、自分の若い時を振り返り、年上の方々に
失礼があったのではと、気になり、反省する。

年を重ねていようが、若かろうが、何か自分に向かって言ってくれることは
関心をもってくれる証しであり、教えられることもあるのだから、
いろんな発言や指摘も、感謝して受け止めるようにしなければならない。

一方、年をとると、素直になるという向きもある。
すぐ涙ぐんだりするのもそういうことかもしれない。
感謝の言葉がすぐ出てくるのも、そういうことだろう。

頑固になるのは、まだまだ未熟だ。
いつまででも、吸収したい、学びたいと思えば、気持ちも変わる。
もちろん、相手が不快にならないように、言葉遣いなどには気を付けたいし
お互いがそうであれば、不快感や不機嫌もなくなると思う。

頑固と素直。
春だ、今の自分を再点検したい。
がんこなだけの、ばあさんには、ならないように。
何を言われても、にこにこしながら「ありがとうございます」
と言える、ゴッドマザーを目指したいところだ。

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手紙のお花見も、またよし。

桜の季節がやってきた。
この春は悲喜こもごも、いろんな別れや出会いの場面があり、
感謝の意を伝えたい季節でもある。

私も改めてお礼を伝えたい人がいて、
今回は電子メールではなく、郵便で伝えることにした。

そして、事務用の便箋と封筒でもなく、1枚のはがきでもなく、
季節感のある素敵なレターセットで・・と思い立ち、
文具屋へ足を運ぶ。
文具業界の仕事をしていたころが懐かしいが、絵葉書とか
季節のお便りセットのデザインは今も種類が豊富で
送りたい気持ちがたかぶって、気が付けば値段も気にせず
素敵な絵柄のカードセットを手にとっていたりする。

今回は桜の花のポップアップカード。
封筒から出すと少し立体的になったカードが
出てくるというものだ。
忙しくて、花見もままならない人には、こういった
お手紙花見も悪くない。

失敗できない一組のレターセット。
間違えないようにとペンを握る手が硬くなる。
丁寧に一文字づつ書く。
失敗できないというのは、たまにはいい。
心を落ち着けて、ゆっくり、まっすぐに書く。
そう、バタバタと書いてはいけない。

ゆっくり書く。
丁寧に書く。

これからは、そんなことももっと意識しよう。

ときにはメールをやめてみる。
とくにメールが毎日多数舞い込む人には・・。

気持ちがまっすぐ届きますように。
手紙のお花見、こちらは散らない、枯れない。

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昔の雑誌を今一度。

最近、断捨離を少しづつ実践中である。
なんで人は意識しないと、モノをためていくのだろう。
捨てられない人は、思いきりがないというか、過去にこだわるというか
潔さがないか、保管スペースがあるか・・・の理由かもしれないが、
改めてその保管しているものを見て、その当時が思い出され、
整理の手を止めてしまったり、「や、やっぱり捨てられないわ」
と思うものも少なくない。
とくに最近、本の処分をしようと普段開けない本棚の扉を開けると
20年前の雑誌類が大切に保存されている。
雑誌だから、情報の鮮度が命。だから、もう過去のものだから
迷わず捨てればよいのであるが、
その当時の世の中(たとえば20年前といえば20世紀と21世紀の
境界線にあたる時期)を物語る雑誌のバックナンバーを見ていると
デザインも良く、編集も洗練されていて、まさに保存版なのだ。
だから、捨てられないものも多い。
本当は図録や文学・思想・芸術に関するものだけを残そうとするが
ファッションや旅のテーマも捨てられない。
はやりすたりがあっても、その変化自体を見るのが楽しいのだ。

ネットではなく、紙の本。
雑誌がオンラインマガジンに変わりつつあるが、リビングに座って
コーヒーを飲みながら、ゆったり見開きの誌面を眺めるのは
大切な時間だ。

捨てるのはもう古くなったビジネス書。
そうだ、一番はやりすたりがあるのは、ビジネスのハウツーものだ。
これから買うときには、
本質が見える1冊を選びたい。

断捨離。
単にモノの処理ではなく、生き方をみつめなおすきっかけ、
よき反省のきっかけにもなっているようだ。

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ザビエルとファドと、ワインの縁。

先日書いた、ワインのネットショップの話。
そのお店が今月で長期休業に入ると知り、これもひとつの
節目と思い、店の近くまで店主に会いに出かけた。
自宅でネットショップをされており、実店舗はないようなので
最寄りの駅近くのカフェで待ち合わせ。
会ったことがない、メールだけでやりとりして何年・・・ではあるが
ホームページを見てもらい、顔も出ていますと伝えていたせいか、
すぐにわかった。
それから1時間ほど、話した。
ネットというツールがあるからこそ、知り合った。
そして店主はもともとワインが好きで、勉強してから独立し
ネットショップを開店、もう7年やってこられたというが
一人でやってこられたとは、大したものだ。

その間、ご自身がポルトガルへ出かけた際に出会ったあるワインが
気に入って、それも取り扱い始めた。
そのワインこそが、偶然にも私自身もリスボンでそれに出会い、大変気に入った
ものだった。

その1本のポルトガルワインがきっかけで、店と、その店主と
知り合い、お会いしたとき、なぜか初めて会った気がしなかった
のも不思議であった。

彼女は長年の利用のお礼といい、その出会いのワインを持参
し、プレゼントしてくれた。
あまりにその気持ちがうれしく、リスボンで創ったフランシスコ
ザビエルの曲や、ファド風の曲を入れたセカンドアルバムを
彼女に贈った。
いずれも、ポルトガルつながりだ。

またいつか、できれば、早いうちにお店が再開されることを
願っている。

それにしても、たった1本のワインから生まれる出会いがある
ことに感動を覚える。

素敵な店主に会ったあと。店じまいまでに
もう一度、注文しておこうと思った。
少しでも応援したい、改めて思ったのだ。

注文した最後の商品とともに、バラの便箋に書かれた
きれいな文字の手紙が同封されていた。
先日お会いしたときの、透明感のある素敵なその店主の顔が
浮かんだ。

これも、ザビエルがくれたご縁だと思う。
再開、再会を楽しみにしている。

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役者という仕事への興味。

先日芝居の仕事に関わったおかげで、新たな人脈が広がりつつある昨今。
ビジネスマン、行政マン、農家の人たち・・・いろんな世界での交流を
育んできたつもりであるが、この役者の世界は、これまで出会った世界と
違う部分がある反面、アーチスト的な生き方も求めているため、違和感もなく
すんなりとそこに馴染めている。
そして、ビジネスの世界で学んできたことも、この芝居業界に生かせる点も
面白く、自分にとってはこの経験は大切なお宝になっている。

芝居の世界では、お互いに助け合う、というちょっと懐かしいコミュニティ世界が
ある。
関係者同士で告知し合ったり、差し入れ交換したり、お互いにお客として
見に行ったり・・。
お互いに盛り上げていかねばいけない世界なのだ。
もちろん、そこだけにとどまっていても新しい客層を取り込めないため
SNSの活用はじめ、いろんな工夫、チャレンジは必要だ。
それはそれとして、助け合いが大前提。
前回共演した役者たちから、次々と次の出演作についての案内が届く。
このように新たに出会った仲間に、役者自身が営業を行うのが
当たり前。
自分の客を自分で連れてくる。が基本。ある意味自立している。
もちろん、著名になれば別であるが・・。

そんなこんなで、最近、共演した役者たちの舞台に出かけることが
多くなった。すべては作品づくりの勉強であり、情報収集であり、
また役者という仕事を学ぶためであり・・。
いろいろ見ながら、こんな風に自分なら・・・とか、彼と今度
コラボしたいな・・などなど、自分の企画に役立てている。

そして、純粋に楽しんでもいる。
前回、電球工場で働いていた役の彼が、前科者の農家の青年
であったり、彼女に彼女がいたことにショックを受ける高校生の
役であったり・・。
違う役をどんどんこなす彼らの仕事に敬意を表している。

役者という仕事、面白い。
黒子として、新たな企画がふつふつと湧いてくる感じが
楽しくで仕方ない。

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羞恥心とメディアの質。

最近世間を騒がせているあほらしい問題。一体、国民たちの税金をどう思っているのか?
と同時に、他に議論すべき課題が山積みなのに、このことで持ち切り・・・。
そのこと自体にも怒りを感じているが、
公人や私人やとの話題から、国を代表するべき人たちのレベルの低さにも失望。
一体、何をどうしたいのか?みなさん、本当はどう思っているんですか?
と表情に出ないお偉い方々の言葉と腹の違いを勝手に想像したりもする。
自分に、自分たちにとって、
都合のいいとき、いいことになるようにすべてコントロール。権力は恐ろしい。
一方、そのそばには、何かあったら、泣いたり、「記憶にありません」「祈っております」
と、意味不明の存在。だから、女は嫌いだと思わせる特徴をいくつかお持ちだ。
ま、それはそれとして、
このなんのこっちゃの事態をマスコミが追いかけ、重箱の隅つつきをネタにしている。

マスコミも堕ちたもんだ。
ジャーナリズムというならば、真実を究明する姿勢、行動こそが必要なはず。
もっと正義感をもち、国民を代弁し、世論をつくるぐらいの気概はないのか・・。
権力にすっかり巻き込まれている、手名付けられている印象。
そんななかで、誰誰が、ツィッターでこういった、FBで反論したということ
自体をネタにして、報道していることが大変気になる。
マスコミのネタはソーシャルメディアか?
じゃ、要らない。
もっと、真実を求め、自ら情報を集め、持論で勝負せよ!と言いたくなる。

今、世の中に出ている多くの人たちのなかには、羞恥心を忘れ、
謙虚さを忘れ、自分の都合の良いように、まさに利己のために
生きている人が多くて・・情けなく、憤りも感じる。

これからますます、物事をしっかり見極める力を身につけることが
必要だ。

無関心にならないように。

それにしても、恥ずかしい。。

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本日、愛の元気人3月分オンエアです

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」3月分は本日3月25日18時~19時
オンエアです。
今回のにいがた元気人ゲストは、絵画教室ウニアトリエ代表の加藤和彦さんと、
新感覚なお蕎麦屋さん、そばDAYS店主の中山義和さんです。
新潟に新たな風を吹かせる、お二人のチャレンジをぜひお聞きください。

尚、本日の放送で、本番組はまる7年を迎えることができました。
皆様の応援、ご協力に心より感謝申し上げます。
FM KENTO 愛の元気人

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地球の裏のタクシードライバーから。


3月もあと1週間を切った・・・と、せわしない朝を過ごしていると、見慣れない名前の差出人からのメールが舞い込む。
正直、最近、不快極まる迷惑メールに手をやき、届くメール確認も慎重になっていたが、このメールは違う。
名前は、Miguel Angel Kaczka。
パッと見て、あ、これはアルゼンチンからだ、しかも聞き覚え、見覚えのある名前だと判断する。
本文を読んで、その判断が正しかったとうれしくなる。
この差出人は、添付にある、ブエノスアイレス在住のおじさま。そう、タクシードライバーのミカエルさんだ。
彼には2回会った。2回とも尊敬するタンゴ歌手のお墓に連れていってもらった。
その彼から、初めてのメールだ。確かにそのお墓に行った運転手ですと書いてあり、またこの町に来たら、いつでも案内を
させてくださいね。という文面だ。
最後に会ってから1年近いと思うが、なぜかメールが届いたことが、とってもうれしくなった。
地球の裏に住んでいるタクシードライバーが、何をきっかけに私にメールをしようと思ったのかと想像する。
その墓地を今日通ったのかな、何か帳簿のようなものを見てあ、1年だなと思い出したのか・・などなど。
今はブエノスは夏を過ぎ、秋に向かう頃だ。
全然忘れていた方からの思いがけない遠方からのメールはとてもうれしい。
すぐ写真を添えて返信をする。
決して高級車じゃなく、どちらかといえばちょっと古い車であったが、元銀行勤めをしていたミカエルは英語ができて
とても助かった。
ああ、ブエノスアイレスの空気を思い出し、懐かしくなった。

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慣れてはいけないこと。

またもや、ヨーロッパでテロ事件が起きた。
フランスも、ドイツも、ベルギーも、そして今回はイギリスも。
「テロに屈しない」と声高に叫んでも、敵はするりと包囲網を
切り抜け、各地で恐怖をまき散らしている。
テロ。
あの2001年のNY同時多発テロから、16年になるが、
ここ最近、同時ではないが、テロは確かに多発している。
いろんな要因がある。
以前より、社会がより憎悪に満ちているのだ、その表現が
このような形になってしまうのだ。と、思うと現代社会は
とても悲しいと胸がつぶれそうになる。
が、このことに慣れてはいけない。
「また、テロか」と日常的なものとして感じてはいけない。
あってはいけないことが、起きているのだ。

ひとつ事件があると、それを反復報道されることで、
テロは人々の脳裏に刷り込まれていく。
この報道を見て、とらえ方は人それぞれであることにも
注意が必要だ。
犯罪を見て恐れる人と、興味を持つ人もいる。
知れば慣れる。
知らなければ、真似はされない。

今の情報化社会では、知ることが容易で、真似も可能。
だから、あってはならぬことにさえ、人は慣れてしまう。

どうか、人間が鈍感で無神経な動物に退化しないように。

テロの報道を見ながら、心からそう願う。

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