イチローを見習う朝

とにかく、コツコツ努力の人として、知られるイチロー氏。
黙々と自分の夢に向かって歩んできた、みんなのヒーロー。

実は先日、彼の夢を見た。
なぜかはわからないが・・。
有名人が夢に出てくることは、あまりないが、
自分の潜在意識の中に住んでいるのかもと思ったほど。

そして、そのイチロー。
朝からカレーを食べていることで、パワフルな毎日を乗り切って
いるということも聞いたことがあり、まさか、朝からカレーか。と最初は思って
いたが、最近は違う、

時々、出張先ホテルの朝食でカレーが出ていると、怖いもの見たさのような
感じで試したことはあった。
そう、朝カレーは悪くない。自分の中でカレーのイメージが変わる。
そして、最近、新潟の駅で買った 三条カレー味のカップラーメンが
どうも気になって・・・。

夜に食べるよりは、朝の方が健康的だ!
ということで、
生まれてはじめて朝からカレーラーメンをいただく。
やっぱり、朝カレーはいい。全身のスィッチがONになる感じだ。
カロリーも思ったほか、高くない。夜までこのまま走れそう。

ということで、イチローを見習って、元気に自分にカツを入れ
元気に日々をもりきろう。

エスプレッソに飽きたら、おすすめの朝食だ。

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東京ナイトドライブ

珍しく早く相方が戻ってくる。と言っても19時半ごろである。
「今日は早いから、ドライブいってくるかな」
へ?夜のドライブ?平日の?
どうやら、私が出張しているときに、時々やっていたようだ。
ついていこうと、急いで仕事を片付ける。

そして21時すぎに、車を出す。
どこへ行くということではない、長らく住んできた東京の町を
おさらいしようという感じで、
少し走って、東京の夜景に包まれる。
そして豊洲・東雲の方に向かい、電車では、昼間では気が付かない
東京の住宅地としての大都会ぶりに驚く。
いつのまにか、高層マンションが江東区に乱立。
灯りがついて、まるで香港の夜だ。
地震がきたら、どうなるのかな。と、怖さと感動が同居する。
そして、24時間営業の大型SCへ入る。
そう、全国には24時間営業の食品スーパーがある。
夜中に買い物ができるのは、夜型の生活の人々にとって
便利でありがたいのだろう。
私にとってはコンビニの24時間営業はだいぶ慣れてきたが
大型スーパーの営業は慣れない。
外食店も含め、需要がある限り、24時間働く人がいる街だから
成り立つのだから、これもありだと納得する。
初めて入ったこのスーパーでちょっとした非日常感を味わい、
これが毎日という人もいるのだろうから、不思議。
生鮮食品が夜になると、疲れて並んでいるようにも
思ったり・・・。
いやはや、東京の夜はいろんな意味で、まだまだ知らない世界が
存在する。
できる限り、東京でしか体験できないもの、コトに迫ってみようと
思った。
良い・悪いは別として、利便性・快適のために、無限の選択肢が
あるのが都会なのだろう。

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おにぎりラストウィーク

出張で泊まりの日以外、毎日つくってきた弁当。といっても、おにぎりセットだから
大したものではない。
毎日これを作るため一合の米を洗い、未明に炊飯器のスィッチを入れて炊く。
御飯の炊ける匂いは、何ともいい。朝にぴったりだ。
炊き立てのごはんをやけどしそうになりながら、「今日の具材は~」と冷蔵庫を
見回して昨日と同じ内容にならないようにとか、野菜系と動物系がバランスよく
入るようにとか・・小さなことを考えながら、ニュースを見ながら、握って
包んで、袋に入れる。夏場はよく冷ましてから包む、そして保冷剤もつける。
野菜不足にならぬようにと、野菜ジュースも切らさないように用意する。
・・・・と、そんな生活がもう何年続いたのか・・。
食べすぎにならぬようにと、こんな簡単な弁当持参生活を実践するように
なった。
出張先から最終電車で戻るときには、
「明日はおにぎり要るの?」
とメールで確認、深夜に帰宅しても翌朝居るならば米を洗った。
どんなことも習慣になれば、苦にならない。
大したことではないが、豪華な弁当は作れないが、私がせいぜいできた
弁当づくり。
このおにぎりづくりも、いったんの一区切りとなる。
本当は、最終日も持たせたかったが、その日は泊まりのため握れず。
ふと、考える。
毎朝起きたらコーヒーが入っている、食べ物がテーブルに並んでいる。
弁当が用意されている・・。
毎朝のことだと、ついつい当たり前になるが、
いずれもやがて最後の日が来る。
そんなことを思うと、一日一日のこの小さな行動も
心を込めてやらなくちゃ と思えてくる。
そんなこんなで、今週はおにぎりを握るとき、いろんなことを
考えてしまう。
もっと形よく握ればよかったかなとか、いろいろ雑でごめんなさいとか・・。
当たり前で、毎日と思うとため息が出そうになることも、
いつか最終日と思うと、大切に行動するようになる。
人は、何か新しい変化が目前に迫ってくると、
目の前のモノ、コト、そして環境を大切に思うようになるようだ。

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哀しみへの畏れと・・

よくメールを送ってくださる知人より、その方のビジネス人生で
もっともお世話になった経営者が、
このたび亡くなったというメッセージをいただいた。
知人のビジネスを成功に導く、きっかけを作ってくださった方のようだ。
よきパートナーといえる関係であったようで、いつもその会社との話も
知人から聞いていた。
ふと、第三者である私にそのことを告げる知人の心中を思った。
とても、お寂しいだろうな・・と。
長年お世話になってきた人とも、いつか必ず別れのときが訪れる。
人は年を重ねると、このことを覚悟しなければならないようだ。

人は大切な人を亡くした場合、悲しみをどう乗り越えられるのだろうか。
正直、
まだ今の私には、そこまで覚悟ができていない。
だから、哀しみというものが怖くもある。

しかし、人生は喜怒哀楽という。
哀しくても、そのあとにはきっと楽しい思い出となっていくのだろう。
そうであってほしい。

年を重ねると、いろんな覚悟が必要だ。
諦め、達観・・・よくわからないが、
いろんな経験を重ねることが、乗り越える力になっていくのだろう。

出会いも、別れも突然だから、困ってしまうが・・。
日々、後悔なきように、大切な人にはしっかり
恩返しをしておきたい。

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NHKへの期待。

4月からはじまった、近所の大学でのジャーナリズムの講座。学者やメディアの業界で
キャリアを積んだ方々の貴重な話を聴くことができ、自分の仕事にも生かせる点で
楽しく毎週キャンパスに足を運ぶ。
今回はNHKで長年番組編成に関わってこられた方の講義。
番組の構成、著作権の問題などにも触れながら、NHKの番組の作り方、
視聴者との関係についても幅広く話を聴いた。
人気番組であった「プロジェクトX」の放送開始時に向けて、番組がどう作られ
そしてモニター(視聴者)の声により、どう大幅に変更され、放送されたか
という実例も見ながら、NHKが意外と、視聴者の声をきちんと聴いてきた
ということを知る。
政治とのかかわりについても、本来は国に向かうのではなく、
国民・視聴者に向かいあうべき、放送局として努力をしてきたという点も
知り、本来のあり方を知り、少し安堵もする。
国営放送ではなく、ニューディール政策の理想に基づいて、誕生した視聴者とともに
創る放送局としてのNHK。
昨今は、ちょっとどうなの?という向きについても、局で働く現場の人々も
感じながら、自分の与えられた範囲で努力しているという。

NHKは国営放送ではない。
そしてスポンサーに媚びを売って作る番組ではなく、世の中にとって
必要なことを、わかりやすく伝える番組をつくるのが使命であるし、
受信料によって成り立っている局であるのだから、視聴者はモノを
いう権利もあるのだ。
だから、いうべきことはどんどんいえばいい。
おかしいことは、おかしいと言えば、必ず検討される。

世界に売れるコンテンツを有する、NHK。そして
デジタルアーカイブの技術も先進的だ。
過去のコンテンツを自在に取り出せるだけでなく、

最近はアナログ~デジタルの移行時に、どうしても
局で記録保存できなかった番組の映像素材を
視聴者から提供してもらうべく、
「番組発掘プロジェクト」をやっているということを
知り、これはまさにNHKならではの活動だと
感心した。

報道は今だけでなく、未来に向かわねばならない。
瞬時に報じるだけでなく、その素材を生かし、
次代に残し、100年経っても
「100年前の日本はこうだった・・・」
と報じる義務があるのだ。

いやはや、毎朝4時から「世界のニュース」で
はじまる毎日を過ごすことができるのは、
NHKのおかげだ。

改めて、情報を受信する側も、きちんとした意志と
向学心、判断力をもってきちんとメディアと
向かい合う必要性を感じた。

NHKには、さらにがんばっていただきたい。
ジャーナリズムのあるべき姿を示し続けて
ほしい。
期待し、応援したい。

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ハンカチが濡れる日

演劇仲間の新作出演が続いている。
この業界は意外と地道であり、そして活発だ。
二人の役者からの案内。まったく同じ上映スケジュール。
しかも行ける日が1日しかない。
よし、この日で2か所を巡るぞ。両方観るぞ。
実は、演劇は映画以上に観るパワーが必要だ。
コンサートと演劇、映画は違う脳を使う。
特に演劇は、あくまでもライブであり、役者の生の
演技を(巨大ホールでない限り)目の当たりにするので
緊張もするし、ストーリーを追いかけるのに頭も使うので
観るには覚悟が必要なのだ。
しかも1日2本。
しかも横浜と高円寺。14時、19時 2つの会場の開演時間に
合わせて、スマホ片手に移動する。

1日2本の演劇鑑賞。
頭の中では、いろんなことを考えながら、感じながら
自分の作品のヒントをたくさん得ようと欲張っている。
頭ではそうであるが、気が付けば、声をあげて泣きだしたく
なるようなことも多く・・
鼻をすする音も、遠慮しなければならないが、我慢ならず・・。

今回横浜で見た、「螺旋とくも」は人間の性悪について、
そして幸せについて、祈りについて、神の存在について。
高円寺でみた「KUDAN」は福島原発後の被ばく牛を
飼育する牧場をとりまく、動物と人間関わり、人間の
身勝手さ・・・。
について描いた作品で、いずれも人間とは何か?
生存とは何か?について問いかける、強いメッセージ性に
あふれる力作だ。
作品自体に心揺さぶられる言葉、場面が多く、ついつい泣く。
さらに、役者の熱演ぶりに「いいぞいいぞ、がんばれ」
と思いながら、その奮闘ぶりに泣けてくる。

久しぶりに、ハンカチが濡れる1日であったが、
頭も心も豊かになり、
やっぱり、伝える人でなければ、発信する仕事でなければと
改めて思った次第。
自分が伝えたいことを伝えたいカタチで表現を
している仲間の存在を知ることで、
とても安心できるものだ。
たまには、こんな1日もおすすめだ。

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何事も期限を決める。

ある知人。彼女は18歳で実家を出て、海外に学び、そして東京で
美容に関する仕事で活躍。これからますます楽しみだと思っていたら
「実は1か月前に、新潟の実家に戻りました。家業が大変なので、立て直しに帰ってきました。
 これからは父や兄の仕事を手伝います」
とのメールが来て、びっくり仰天。そういえば、連休など繁忙期は実家に戻って
手伝っているとは聞いていたが、あんなに東京に慣れ、バリバリだったのに・・・。
と少し心配しながら、このたび新潟で再会。
前回東京でお会いしたときと変わらず、大変明るく元気で、何も変わらないという感じだ。
そして、なぜ急に戻ることになったかについて聞く。
自分も思い当たるふしがあるが、人が何か行動をするときには、タイミングというのが
あるのだ。そういうときは、気が付けば行動していたということになる。
彼女もそういうことだったようで、人生はいろんな変化、転換点により、成長できるのだと
思い直す。
でも、彼女が永久に実家にいて家業を・・と思うのは想像しがたく、
「もうずっとここで住む予定?」
ときくと、笑いながら
「そんなわけないじゃないですか。2年ですよ。2年がんばって成果を
出して、また旅立つんです。東京へ戻るか、どっか違うところで
かわからないけれど、新しい何かをやると思います。それができる
ように2年間がんばります」
と力強い意志表明。
とてもよく理解できる。
一生ここだ~と思うのではなく、自分で期限を決めればよい。
それを更新するのは良い。
だが、いつも時間制限がある方が絶対にがんばれる。
だらだら生きても仕方ない。時間がもったいないから、大切にしたいから
期限付きで進んでいこう。

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社長が心を開くとき。

ある事業者さんが、地元の金融機関からの紹介で、私が担当する広報相談会に来られることがある。
金融機関がお取引先のお客様に、「こういうのがありますよ」と、紹介し、申込も代行、そして
同席されるというケース。
金融機関も企業支援にますます積極的だ。そのおかげで、これまで出会うことがなかった事業者さんに
出会えることもあり、こちらとしても大変ありがたい。
その金融機関担当者同席のもと、1時間ほど、お話をして、そろそろおしまい。というときに
企業さんが、その金融担当者のことをこういった。
「これまで、どこの人も、私のことを「社長、社長」と呼んで、ちょっと気に入らなかったのですが
彼は『〇〇さん』と、私の名前を呼んでくれたんです。だから、『お、これはいいと信頼しようと
思って・・・」
本人の前での発言。その金融担当者はその言葉をきいて、思わず「やった」というガッツな顔になった、
そうか、金融機関の渉外担当者が、企業の社長さんに対して、名前(苗字ではなくあくまでも
名前)で呼ぶということだけで、こんなに経営者の心が開かれるのか。
だから、「この人がいうから行ってみよう」と、この相談会にも来てくれたのかもしれない。
と思うと、この渉外担当者の一言は、私にとってもありがたい。
若い青年であったが、なかなか人の心がわかる人だ。
ある健康サービス事業をやっている企業は、世の奥さまをひとりひとり、下のお名前で呼ぶ
ことで、人が集まるようになったと聞いたことがあるが、世の中、男でも、女でも、
「社長、お父さん、お母さん、先生」ではなく、
名前を覚え、呼んでくれることで、心が開くものなのだ。
人として接するということが大切なのだ。
本音で語れる、悩みを聞き、一緒に解決を目指すには、この入口は大変重要だ。

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「音楽で送ってね」への返信が難しく

母からの朝メールには前の日にあったことが、ほとんどひらがなで打たれていることが
多い。
うれしい話はいいけれど、私の同級生のお母様が急死され、その報告には胸がつまった。
同級生の親の死となると、父母からすれば同じ世代の方々の訃報。

それをどのように受け留めているのかと思うと、とても複雑な気持ちになる。
母のメールには葬儀の様子が簡単にかかれていて、息子さんが立派に挨拶されていたと
書いてあり、そのあと、自分の場合は・・・・と書き続けているのだ。
「私は音楽流して送ってね。『みのり愛』でもいいわ」など書いてある。
みのり愛とは、私がつくったふるさとの曲のひとつだ。
そんな縁起でもないことを書きつられたあと、「あははは」と、笑って結んである。

へんなメール。返事に困る。「わかりました」というには、そんなときの訪れを
認めたくないため、答えが難しい。
「ま、長生きしてください」とクールに返事するにとどめた。
同世代の人の死に接し、自分のことを想像しているのだろうかと思うと、
それ自体が・・・悲しい。
でも、そういう日が増え、また来てほしくない日もいつか来てしまうのだろう。
でも、そのことよりも、今できることを最優先したい。
つらいことも、かなしいときも、「あははは」と笑い飛ばしながら・・・。

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あなたより無駄に年を重ねてしまいました・・・

テレサテン。
彼女に会うことは叶わなかったが、憧れの歌手、そして尊敬する女性であった。
台湾での仕事の契約が更新できたときは、毎年、彼女が眠る金宝山という高台の
墓地に行き、お礼を伝えに行った。
台湾の仕事ががんばれたのは、彼女が見守ってくれているからだと勝手に
思っていた。
42才で亡くなってから、18年になる。
グラン・ルーの歴史と重なるのも不思議だ。
彼女は今、生きていたら60歳。今年は生誕60周年とのこと。
彼女は7歳上のお姉さんだ。
歌姫であり、国際人であり、自由を愛する活動家でもあった。
単なる歌手ではなく、歌に想いを、愛を込めていた。
だから、人々の心に深く伝わり、その響きは永遠なのだ。
気が付けば、私はテレサテンが亡くなった年よりも10年以上
年を重ねた。
無駄に生きてきていないだろうか。
久しぶりに彼女が歌っている映像を見て、自分の20代、30代前半が
蘇ってきた。
無駄に長生きするもんではない。
惜しまれていくぐらいがちょうどいい。
彼女が亡くなったときに、なんという宿命かと思ったが
その人生の終わりまでも尊敬していた。

テレサの歌を聞きながら、改めて、自分ができることについて
考えさせられた。
何をもって、何を伝えるのか。
それが人生において、大変重要だ。

テレサの眠る、あの町に今再び行きたくなった。

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