そこをゴールではなく、スタートとする。

今、2020年を目標にしている人も多い。
もちろんスポーツ選手たちはそれがゴール。それが本番。
インバウンドもそれを目指して、ひたすら観光客数の増加を目指している
向きもある。
経済も、この年に向けて、都市整備も・・・。
もちろん会場となる器づくりも・・・。

では、2020年を過ぎたら???の不安の声も一方では聞かれる。

ブエノスアイレスのプレゼンテーションで
「Under Control」
と福島は安全だと言い放ったプレゼンターの言葉を疑い、
この年までに、その前に、東京を出た方が良い。と思っていた
数年前からの決断・・・。

もうその2020年は再来年に迫っている。
今、そのことを本番に、目標にするだけでなく、
その先を考えていかねばならない時期にきていると
感じる。
そして、どうせやるなら、開催されるなら、
そのときをスタートに、きっかけに世の中がお祭り気分ではなく
日常のなかでよくなることをはじめたい。
そのときがスタートで、何かを・・。
その考えが最近、自分のなかで芽生え始めている。

大切なのは、祭りのあとだ。
そのことを今から考え、準備をする。
それは継続可能な取り組み、
継続可能な地道な取り組みだ。

そう思ったら、2020年後も生きて行けそうに
思えてくる。

保身ではなく、自分の手柄ではなく 世の中を本当に
よくしたいと思っている、まっとうな人たちとの
協力関係のもと、
世の中が元気になればと切に思う。

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さくさく・・・いかない人生は。

最近の若い人との会話のなかで、テレビでもネットでも
「さくさく」という言葉が時々聞こえてくる。
スムーズに、順調にことが進むというような意味だと
理解しているが、合っているだろうか。
簡単に情報が得られたり、面倒なことがないときに
この「さくさく」を使うのだろう。
「さくさく、いけてます。」
などというセリフは、いかにも現代的だ。

そして、SNSやネット検索や・・・といった個人的な
世界であれば、「さくさく」もいいが、
実際生きていくという場面では、さくさく・・では
いけないはずだ。

壁にぶつかり、ときには迷いながら、ときには喜怒哀楽もあり、
・・・であるから、
さくさく生きていける。
ということはまずないと思っている。

若い人にはぜひ知っておいてもらいたい。
人間関係も仕事も、さくさく・・とはいかない。
でも、「さくさく」いかないところ、そこが面白い。
それが生きるということだ
ということを・・。

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スマホと活字の違い?

ある方から、日々更新しているこのブログエッセイを人に紹介したい
が、ネット環境がない方もおられるので・・とのことであったので、
では該当ページをプリント、10枚ほどコピーして、そこにマイ
ハンコを押して、郵送させていただいた。

「今日、届きました。
活字になると、価値観が増しますね。」
と、ご連絡が入った。

確かにそうだ。
スマホで見るテキストと、活字で見る文字は見え方が違う。
前者の利便性はもちろん感じている。
いつでもどこでも、流れるような、あふれんばかりの情報、情報、情報。
手軽さは天下一。
でも、読んでいても流れていく感は否めない。

一方、活字になるということは、その紙をしっかりもったり、おいたりして
しっかり読むのだ。だから吸収しやすく、感動もひとしお。

かつて、グーテンベルクの印刷技術により、聖書が印刷され、キリスト教は
教会から外に向かって広がっていった。
これは、活字があったから。
印刷物でなく、スマホだけしかなかったら、キリスト教は
今のように、なっていないだろう。
瞬間広がっても、拡散されても、こんなに長い間維持・継続されるか
どうかはわからない。
いえることは、活字がコミュニケーションを創り、つないできたのだ。

今改めて、
活字の良さを認め合える仲間がいることがうれしい。

紙にふれ、文字を追い、ページをめくり、考えを深める。
このステップを忘れないようにしたい。

そして、何気なく毎日やっているSNSなども、時々プリントすると
その内容の価値も客観的にみることができ、良いかもしれない。

活字で読む、確認するという行為は、頭に心にしっかり刻むことと
同義。
だから、今一度、大切にしたい。

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ふたたび、ザビエルにスポット。


これらはいずれもフランシスコザビエルの記念像である。
長崎と山口で出会ったものだ。
天に向かい、神に祈りをささげる姿だけでなく、
人々と交流する姿というのも、興味深い。
人間ザビエルを感じることができる。

ザビエルは16世紀半ば、日本で初めてキリスト教を布教した。その後日本中に、アジアに、キリスト世界に
大きな影響をもたらした。
ザビエルの死後、政教分離がなされず、17世紀はまさに禁教、暗黒の時代。
抑圧されながらも、隠れて逃れて、踏み絵を踏まずに、信仰を守った人たちの
子孫が今もいる。
世界から見れば、その独特な信仰の歴史が、このたび念願の世界遺産登録を
果たした。

一方、今年明治維新から150年。
維新はじまりの地として、山口市はその背景にザビエルの存在を挙げている。

今、長崎で。山口でザビエルの存在が注目されそうだ。

世界遺産登録のタイミングとあまりにぴったりなのが不思議であるが、
今再び、ザビエルの曲を演奏したいと思い始めている。

いつもの妄想かもしれないが、私の中で
ザビエルの風が吹き始めているのだ。

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そこは、あの方の指定席。

隔月ごとに実施している、岐阜新聞本社ロビーでのコンサート。
昨日もおかげさまで、多くのお客様においでいただいた。

が、前方にいつも座っておられるおばあさまとそのお仲間の姿が見えない。
きくところによると、そのお婆さんは、この週末に突然亡くなったのだそうだ。
だから、そのご近所のご一行様は今回、皆さんおいでにならなかった。
決まった席がいくつか空いた。
もちろん新しいお客さまも毎回おいでになるから、コンサートとしては
問題ないのであるが、
いつもあそこに座っていたお婆さん・・・がいないことが
そしてもう二度と来られることがない・・・ことが
信じられず、そして寂しすぎる。
歌を歌いながら、前回までのおばあさんの熱心な聞きぶりを思い起こる。
ああ、本当になくなってしまったのか・・・こみあげてくるものがある。

コンサートの後には全員と握手するようにしているから・・
前回、そのお婆さんにも声をかけていたはずだ。

いつだれがどこで帰らぬ人になるかわからない。
だから、こんなことは、驚くことでないかもしれないが、
でも、やっぱり寂しい。

レクイエムとして、オリジナル曲「紅い灯ゆらり」をうたった。

次回はお願いだから、誰も欠けないでほしい。
そういう気持ちで、今回もお客様ひとりひとりと固い握手をする。

いつもおいでいただいた、おばあちゃん。
ご冥福をお祈りします。
応援いただき、本当にありがとうございました。
笑ったかわいらしい顔が頭から離れない・・・。

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フレームに収まるだけでなく、時には創る。

決まった仕事を続けることはもちろん素晴らしい。大変だ。
決まった形におさまっていくことも大切だ。。
そうあり続けることでの苦労や忍耐もあり、また一方では安心感があるかも
しれない。
フレーム、枠組みがあることで、
いろんなことの境界線も見え、ここまでやればいい、これでいいという
判断もつきやすいのかもしれない。

ただ、同じフレームの中に納まることだけで、人生は満足だろうか?
ときには見慣れたフレームを一度解体して、新しい枠組みを作るという
ことも面白いのではないか。
決まったことを、決められた範囲でやること、
一方、それをはみ出して新たな価値を創っていこうとすること。
とくにコミュニケーションの世界では、それが必要であると感じる。

最近、私は新たなフレームを作りたいという思いに駆られることがある。
自分の中、周囲には大きな、小さな、いろんなフレームがある。

一方、世の中のアートに目を向けると
フレームが変わることで、違った魅力を醸し出す作品もある。
中身を生かすフレームづくり、これも大切な見方。

何から作り始めるか。壊し方も建設的に芸術的にいこう。

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恐るべき「をんなごころ」

ある説によると、女性のストレス解消はおしゃべりや、買い物、グルメ・・だそうだ。
自分にご褒美などと言っているのも、結局は言い方はよろしくないが、ストレスのはけ口だと思う。
男性は、ストレスがたまるとおしゃべりではなく、黙るそうだ。そしてお酒に走るのか・・。
買い物をして、ストレス発散というのは男性には当てはまらないようだ。

とすれば、世の流通業の味方は、キーマンは基本的には女性。
そして、はじまった夏のセールのターゲットも、貯金のように
ストレスをためた女性たちか。
名古屋の駅前のデパートではじまったセール。平日でも開店前から長蛇の列。しかし
新宿のお店に比べればかわいいものだろう。
とにかく、昔も今も、女性はバーゲンが好きだ。

デパートに並ぶ女性客。(ほんとうに男性が並んでいないから不思議だ)
一方は賑わい続けている駅前のデパート。
そして、もう一方はこの日で閉店をする町中のデパート。
どっちも主役は女性たち。

その昔は、町中のそのデパートを利用していたお客さんも、いつの間にか
駅前のデパートへと移っていったのかもしれない。
とにかく客足はそちらに向かって動いたのだ。

女ごころは、情報とともに、世のトレンドとともに動く。
とても動物的だ。
それは。あるときはビジネスチャンスにもなるが、
そっぽを向かれると、業績は低迷、閉店に追い込まれることもある。

今回、セールに賑わうお店の行列と、
閉店でにぎわうお店の行列を見ながら
いろんなことを考えた。
後者に並ぶお客さんにとっては、閉店ももしかしたら
ひとつのプロモーション、催事のような感覚なのかも
しれない。

女心は移りやすい。
いいときはいいが、怖い。

先日参加した株主総会でもそう思った。
女性の感性、感覚は、大変主観的であるが、
拡散しやすい世の中においては、
なかなか取り扱いづらい、モンスター的な
部分もあり・・・。

女心をうまくとらえ、うまくかかわっていくことが
これからのビジネスには不可欠だ。

なんだか、男の方が楽だという気持ちにもなって
しまうのは、なんだろうか・・。

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愛の元気人6月分 本日オンエアです

本日99回目の放送となります。
今回の新潟元気人のゲストは、新潟を食で元気にしよう!とにいがた食文化の普及啓蒙に取り組むピースキッチンの久保田健司さん、
空気が美味しい美容室を地元の建築会社と作り上げた、ヘアサロン&リラクゼーション結の諸橋孝明さんです。
18時~19時まで。FM KENTOでお楽しみください。(WEBからもお聴きいただけます)FM KENTO 愛の元気人

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本日、最後の営業日。


本日6月30日で営業を終える名古屋の老舗百貨店。戦時中(昭和18年)に地元の百貨店が合併して
名古屋の栄が繁栄するようにと名付けられて誕生した。(そのルーツをたどればその歴史は江戸時代に遡る)

実は、私にとっては子供のころの憧れのお店のひとつ。
名古屋といえば、40年前は、松坂屋か丸栄であった。
そして栄が名古屋の中心であった。
その栄のランドマークであった丸栄が、残念ながらこのたび営業終了となる。

このお店の歴史を綴る写真展を開催していると知り、懐かしさもあいまって、
久しぶりにお店に行ってみる。
このデパートには、おそらく子供のころの方が足を運んでいた。
同世代の人だと、そんな人が多いのではないか。
大人になってからは、ほとんど来ていない。
だんだん、栄の他のデパートに、そして名古屋駅にと動線が移っていった。

でも、まさか。なくなるとは思っていなかった。が、
昨年、久しぶりに訪ねてみたときに、これはまずいかも・・・と気になってはいた。
こんな昭和時代のままのレトロ感漂うお店、あったらうれしいけれど、
経営は大変だろう・・・と想像した。
そして、残念ながら、その予想があたってしまった。

閉店が決まり、閉店日が近づくにつれ、売り尽くしセールでお客の数が増える。
こんなに忙しいことはなかったというぐらいに、お店のスタッフが忙しそうだ。
さぞかし、うらめしいことだろう。
「もっと前からきてくれていたら、閉店することなかったかも‥」
と思いながら、レジを打ち込んでいるかもしれない・・・と行列の片隅からそう思ってみていた。
イベント会場は、このデパートの歴史をまとめた企画展。
テレビ局の取材も入っており、インタビューに答えているお客さんの姿もあった。
写真はその企画展の写真も一部だ。
今回は撮影しても良いとのこと。
昔の制服、カタログ、当時の写真、包装紙・・・いろんな展示物をみながら、胸がいっぱいになった。
地域密着のデパ―トの生存のむつかしさを痛感する。
お客さんの寄せ書きには寂しさと感謝の気持ちが書かれていた。「青春をありがとう」という言葉が
なんともいえない・・。

時代の流れに乗り切れなかった・・とばかりは言えない。
百貨店という業態も大きく変化している。
立地も客層も求められるサービスも大きく変わっている。
何を提案するお店であるのか・・。先取の勢いがない店はいずれ衰退する。
郊外の大型店舗の影響も大きいだろう。

とにかく残念だ。
この存在を忘れないようにと、思わず、買い物をした。
初めて、買い物らしい買い物をした。
この店があった記念に・・・である。
これは、あそこで、あのとき買ったね~。
一生忘れないようにするために。

営業最終日、おそらく近年最高の来店客数になることだろう。
そして涙の閉店になるだろう。想像するだけでこちらも泣けてくる。
社員さんの心中を察する。

丸栄。名古屋を代表してきた栄のデパート。ありがとう、そして、お疲れ様でした。

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「らしさ」は価値につながる。

最近、自分が担当する勉強会でも、また参加した企業のイベントでも、
「自分らしさ」「自社らしさ」の大切さを改めて感じている。

広報活動をするときに、自分に魅力、価値がないと伝えられない。
だから、他社の真似ではない自社らしさの追求は大切だといつもいつも伝えるようにしている。

組織が大きくなると、その「らしさ」を全体、全員で共有しながら実践し続けることは
難しくなるが、それを乗り越え、どこをとってもその会社らしさが出せれば、
ステークホルダーがより企業を理解し、その価値は高まる。

大切なことであるが、それを軽くみていると、行動に綻びが出て驕りとなって
お客様はじめステークホルダーを失望させることになってしまうこともある。
大切なことは、「らしさ」をいつも確認すること。
そこに戻るということ。
原点回帰だ。
そして、そこから行動や言動を考える。

CIという言葉は最近聞かないけれど、この「らしさ」の追求はブランディングであり、
会社の生存を決定するものである。

他人事ではない。私自身小さな存在であるが、自分も気を付けていかねばならない。
と、ある企業の株主総会に参加しながら、
改めて感じた次第。

企業も生命体だ。ぜひそれぞれの強みを自社らしく発揮してほしい。

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