人生初の芝居の公演。5日間連続、初日以外は1日2回公演、9回のステージに
マチネの後の単独ミニライブ。
毎日、下北沢に通い、夜遅く戻ってくるという不思議な1週間。
役者生活をインターンのように体験させてもらったような感じ。
下北沢は、これまで気づかなかった不思議な魅力をもつ町だ。
その小さな劇場での公演。
最初は最後までできるのかな?長いかも・・・と思ったが
過ぎてみればあっという間の1週間。
芝居に生演奏なんて、なかなか珍しいコラボレーション。
役者にきいてみると、こういうケースもないわけではないが
お互いに一定の水準でなければ、成り立たないとも言われ、
そうか~。と責任も感じつつ・・。
最終日は、日ごろお世話になっている方たちも応援に駆けつけ
くださった。
普段のライブとは違った劇場コラボを楽しんでいただけて
いればうれしい。
気が付けば、役者たちと共有できたこの3週間。とくに
劇場入りして、一緒の楽屋で過ごした数日間は一生忘れない
東京での思い出になりそうだ。
作家との出会い、役者との出会い、照明さんというこれまで
接点がなかなかなかったプロとの出会い・・・。
新たな層の観客との出会い・・。
何もかもが私の血となり、肉となり・・・
次の挑戦に向けての意欲が満ちてくる・・・そんな
千秋楽。
ありがとう、素敵な仲間たち。
新たな挑戦に向かうと、必ず次の希望が見えてくるものだ。
もう、この組み合わせで演ずることはないかもしれないが、
新たなおつきあいが、はじまる。
私の中では生涯消えない、小さな挑戦劇。
めでたし、めでたし。
本公演に際し、お世話になったすべての皆様へ心より感謝申し上げます。
千秋楽の感慨。
プロは何があっても、「やり切る」!
今回、役者の仕事は本当にすごいな~と思っていた。
それは彼らの演技力もさることながら、セリフの暗記力について。
よく覚えられるな~。
台本完成も本番にほど近いタイミングであった。
その努力、才能には本当に舌を巻くといってもいいほど。
逆に、役者さんから「よく楽譜も見ずに何でも弾けますね」と言われますが
私にしてみれば、そんなことは別にたいしたことではなく、大量のセリフを
きちんとインプットし、自在にアウトプットできることの方がすごいと
思ってしまう。
とくに芝居は、一度きり。
やり直しが効かない。お客様にすべて見られている。
それは、自分のライブと同じであるため、その苦労はよくわかる。
間違えたら、飛んでしまったら、どうするか。
一人劇であれば、一人ライブであれば、それも格好悪いが
それでも何とか修復できる。
しかし、団体戦で誰かが何かを間違えたり、飛ばすとどうなるか?
は想像したくないけれども、そんなこともあるかもしれない。
それでも、
絶対に、本番では止まってはいけない、続けなければならない。
そして動揺や焦りを見せてはいけない。
今回、何がおきても最後までやり切る役者たちの姿を見ながら
自分も絶対に何があっても止まらない、続ける・・を心がけた。
どんなに練習していても、何が起きるかわからないのが本番。
それも含め、お客さんが観る。
プロは何があっても・・・やり切るのだ。
いろいろ失敗しながら、どんどんやり切り力を習得して
いくのだ。
シンバルの緊張感がわかった。
オーケストラのコンサートなどで、盛り上がったときにほんの一瞬、「ジャーン」と大きな
シンバルが鳴り響くあの場面が頭をよぎる、今回の演劇での演奏。
演奏会ならば、演奏だけをお客さんが聴く。
演劇の場合は、セリフの前に、セリフと一緒に、そしてセリフの合間、後に・・・と
いろんな演奏の場面があるが、それぞれに役割が違う。
基本的に音楽は、登場人物の「心情」を表すものなので、形が違ったセリフ。
それを理解すればするほど、実は緊張するのだ。
しかも台本を見ながら、自分の演奏する出番を待つ間には、手に汗がにじんできて
鍵盤が湿ってくる感じがする。演奏中に指が滑ったらどうしようとか思うとき
「うまくいく、うまくいく。大丈夫、大丈夫」
と念じながら、その出番を緊張しながら待つ。そして出る瞬間も間違えないように
慎重に慎重に台本を目と役者の声で確かめ、その出番に備える。
その瞬間が2時間の作品のなかに10回余り登場する。
最初もピアノから、最後もピアノで。
最初は、ちょっと難しいピアノ曲から・・・。観客に「なんだか凄いみたい?」
と思わせるように・・と作家と相談して決めたのはわが初恋の人、ベートーベンの
ソナタよりテンペストの冒頭の部分。
マーケティングコミュニケーションの世界でいえば、AIDMAの
Aをこの曲でやる。インパクトある曲で印象付けて、作品に引き込むという意図がある。
これも、なかなか緊張だ。
その緊張を維持しながら、劇中を過ごし、そして
最大の緊張はラストシーンだ。
最後は観客も感動でいっぱいになっている。そこでピアノが失敗したら作品が台無しになる。
心臓が飛び出そうなというと大げさかもしれないが、それぐらいの気持ちでラストを待ち、
そして弾く。
セリフも終わり、舞台は暗転、ピアノの音だけが残り、ピアノだけにライトが当たり、終わる。
きたきたきた・・・という感じで、最後を迎える。
最後の音を外すな、外すな・・絶対に外すな~。心で叫びながら鍵盤をたたく。
この瞬間は、地震がきても火事がきても、集中だ。
そこで、交響曲のシンバルを思い出す。
あのシンバル。出番は少ないが、効果は絶大。でも、演奏者は他の楽器の邪魔に
ならないように、また楽器を持つとき落とさないように、よけいな音を出さないようにと
かなりの神経をつかい、とても緊張しているはずだ。
このクライマックスでのバクバクドキドキは、千秋楽まで続く。
9回の本番があっても、毎回違うお客さんが来られるのだ。
一期一会の感動をつくるには、役者の芝居と同じように演奏の質も問われている。
と、考えると、今書いていてもドキドキしてくる。
芸術とは三位一体の創造世界。
演劇の世界に、今回少し関わるなか、そういえば・・と思い出したことがある。
学生時代の卒業研究テーマである。
もう記憶もかなり薄らいでいるが、哲学者コリング・ウッドの芸術論など
かなり参考にしていた。
そのことを、今回の公演中に思い出した。
芸術とは、作家と演者と観客との三者が一緒に創りだすことで成り立つ。
そう、いくらいい作品を作っても、それを表現する人がいなければ、
そして観てくれる人がいなければ、成り立たない。
そのことを、常日頃のライブでももちろん無意識的に理解しているが
この「演劇」という様式の芸術はその究極のかたち。
役者もお客さんによって演技が変わるし、日によっても違うし・・・
極端な話、毎日同じ作品を演じるとしても、観客が変われば絶対に違う
作品になる・・。
今回のピアノ演奏はステージの上ではなく、観客席の一角で演奏を行うため
観客と同じ方向を向いている。
観客の息づかいは私なりにも、感じるし、舞台にいる役者も彼らなりに
観客の反応を五感に感じながら、表現し続けるのだ。
誰かが笑えば誰かも笑う。どこかで鼻をすする音が聞こえれば、連鎖反応・・
などなど・・・とにかくいろんなアクションが、作品の中に溶け込んで
いくのだ。
このデジタル社会になっても、演劇というアートは多くの人々に支持され
また役者を目指す若者も多いが、これはきっとこのコミュニケーション
スタイルにあるのではないか・・。
毎日、役者と一緒に過ごす時間のなかでコミュニケーションクリエイター
として、学ぶことはあまりに多く、あっという間に時間が経つ。
中ノ嶋ライト 下北沢 「劇」小劇場で12日まで公演。
詳細はマーサ公式サイトから
一緒に感動を創る初日。
いよいよ、生演奏付きの演劇「中ノ嶋ライト」の初日を迎えた。
これまで短い期間、少ない回数の中の稽古ではあったが、役者の皆さんと
いつのまにか打ち解け、チームとしての一体感が増す中の本番。
今回の公演は5日連続の開催で、しかも2日目からは昼・夜の2回公演であるため
合計9回の本番があることになる。
しかも毎日、違うお客様をお迎えするのだから、毎回会場の雰囲気も異なり
違う感じになるはずだ。
その緊張感と質の維持もなかなかハードであるが、まずは初日。
初日を越えれば役者は楽になるという。それは自分も同感だ。
初日はお客さんが多いという。そして初日の口コミで2日以降の客入りが
違うのだとも。確かに初日は観客数が定員を超えた。
演劇の町、下北沢ならではである。演劇が好きな人がいっぱいいるのだ。
とにかくまず周囲に迷惑をかけず、役者がいい芝居ができるよう、芝居が映えるように
心尽くしたい。との思いでのぞんだ。
老若男女、いろんなお客様が見守るなか、2時間の劇は無事終了し、拍手喝采と
なった。
役者さんたちとの出会いはまだ3週間も経過していないが、もう同じユニット
という感覚。
役者の演技と、照明と、音楽と、劇場と、そしてお客さん。
すべての要素が絡み合って、なかなかの初日となった。
あと4日。8公演に向け、少し自信もついてきたかも。
油断せず、毎日初日という感覚で進んでいくとしよう。
違う世界での長い1日を経て、いざ本番。
演劇公演の本番に向けて、舞台づくり、照明、音響・・を整えるための
準備。台本で見ていた世界が見える化されるという感動の一コマ
・・といってしまえば簡単であるが、その仕込みに1日かかる。
その舞台で稽古できるのは、夜遅くなってから。
役者たちも舞台づくりや小道具、当日準備を手伝うため、
実際の稽古以外でほぼ1日が終わろうとするあたりで、やっと照明テスト
を兼ねた場当たりという作業に入る。
その稽古にもさらに1日を要し、やっとゲネプロというリハーサル。稽古の総仕上げ。
とにかく準備に時間がかかるのが、演劇だ。
ゼロからひとつの世界を作り上げる。構想する人がいて、それをスケッチする
人がいて、それを実際の舞台に作り上げる人がいて。チェックする人がいて、
演ずる人がいて・・・。
しかも、ビジネスの世界では何事も予定どおりにいかねばならない、オンタイム
を当たり前とするが、この世界はクリエイティブであるがゆえに、時間どおりに
いかないのが当たり前。
この時間感覚にもだんだんと慣れてきて、ああ、下北沢で生きる人たちには
こういったリズムがあるのだと思い、普段の自分をある意味、不思議にも
思う。
作品のなかに「・・・・こんな一日」というセリフがあるが、まさに
今、下北沢で「・・・・こんな一日」を毎日過ごしている。
1週間、違う人生を生きているかのような・・。
その1日のなかで、演劇というアートがより完成に近づいていく。
長い一日を経て、本日、いよいよ初日。今日も長い一日になる。
ひとりでも多くの方に、観ていただけるように。そして観客にも演者にも素晴らしい経験となる
ように・・。お待ちしております!

グランルー公式サイト 中ノ嶋ライト詳細
長年つきあえる人。
四半世紀前からのおつきあい。そう、私が20代半ばのころにお世話に
なった大阪の企画会社の社長さん。
今でこそ、女性の活躍について世間が良くも悪しくも騒いでいるが
それとは関係なく、大変な時代にも拘わらず30歳で起業された
方。とにかく20代の会社員の自分にとっては、(発注する側では
あったが)人生の先輩、バリバリのキャリアウーマンのその方の
背中を見て、多くを学ばせていただいた。
お互いに、仕事が多様化したが、マーケティングのプロという点
では何の変わりもなく、とくにその方は今はマーケティングの仕事
をしながら、お茶の先生、そして町おこしに熱心に取り組まれて
いる。
3年ぶりぐらいだろうか。なかなか大阪まで出向く機会がなく
お会いできないまま気になっていたら、このたび用事があって
上京。東京でお会いしたことはこれが初めてかも?とにかく
嬉しい再会となった。
何年振りであろうが、機関銃のごとくお互いの近況から考え方
から・・とにかく限られた時間のなかで話しつくす。
もちろん片方が機関銃であるときは、片方はテンポ早めの
頷き係。関西弁がとびかい、懐かしいひとときとなった。
そして、駅で別れた。
「とても、楽しい時間でした」
といただいたメールにこちらもうれしくなる。
ある方から、年をとったら名刺を整理するのよ。つきあいを
どんどん減らしていき、本当に気が合う人だけを選んで
つきあうようになるのよ。
と教えられたことがあったが、意識しないでも、長続き
する人というのは何か共通点があると思えるようになった。
人生との向かい方に共感できる人、周囲への愛がある人、
いいことはいい、悪いことは悪いとちゃんといえる人、
一生懸命生きている人、自分から挑戦をしている人・・。
そして、尊敬できる人・・、ちゃんとお礼やお詫びが
できる人・・・、会いたいと心から思える人・・
などが、私にとって長くおつきあいできる人かも
しれない。
もちろん相手にとって、へんな奴にならないように
日頃から自分がちゃんとしなくちゃ。
長くおつきあいできること・・・これは人生のパートナー
のように大事な関係であると改めて思う。
これからの新たな出会いのなかでも、もちろん
そんな出会いがみつかれば、また人生が楽しくなる。
「マーサさんにも背番号ありますよ」
演劇の公演開始が迫ってきて、練習もあと残りわずか。いよいよというか、
もう!というか・・・
今回の取り組みは、私にとっては新たな世界を切り開くマイプロジェクトの
ひとつであるが、作家さん、役者さんとの共有時間で学ぶことが多く、
すでにこの挑戦は、自分にとってすでに成功という実感がある。
役者さんたちのすばらしいプロ意識。役作りとは、こんなに細かなところまで
こだわるもの、そして演劇とはいくつかの時間軸が交差するため、そのことを
いかに自然にわかりやすく、言い換えれば作品を肉厚なものにできるか・・
がポイントになることを知る。
そして、作品とはずっと完成しない。毎日修正をしていく。とことんこだわる。
日が変わると、また変更することも当たり前。
そこにいちいち文句を言う役者がいたら、とてもじゃないがいい作品はできないが
皆さん本当に謙虚で真面目で、ベクトルが同じだからこそのパワーも感じる。
劇団員の方が、「マーサさんも、立派なキャストですからね。10番という背番号
ついているんですよ」と言ってくれる。
そうそう、実は音楽はBGMであり、ときに違うセリフであったり、役者の心情を
表現するツールなのだ。結構、重要。どんどん心地よいプレッシャーが増す。
あと2日。今日はピアノを自宅から搬出。みんな持ち出しで、全力投球!
そこまでして、経済成長?なんのため?
IR法とかいう、違う意味を想像してしまう、法律が可決されたそうで。
日本にカジノをつくって、観光誘致して 日本にいっぱいお金がおちるようにして
日本という国を豊かにしたいそうで。
そして、それをやることでギャンブル依存症の人が増えることが想定されるので
その対策を先に講じる???
あほか。と真剣に怒りを覚える。
経済の豊かさと、病いのない健康的な豊かさと、どっちが本当の豊かなのか
わかっているのか?
と、いろんなことをもっともそうに議論?(にもなっていないが)強引マイウェイで
決めていく人々に怒りを覚える。
カジノなんかなくていい。
ギャンブル依存を心配するなら、そんなもの作らなきゃいい。
日本という国には、そんなものがなくても、すばらしいコンテンツがあるのだから
もっともっと金儲けではなく、心の豊かさのために、すべきことがあるだろうに。
本当に政治家たちはバカじゃないかと最近、真剣に怒ってしまう。
うつが増えるから、増えてきたから、ストレスチェックとかいう流れと同じ。
方法変えれば元気になる人たちを、薬漬けにして潰してしまうのと同じ。
うつ病という病気をはやらせたのと、ギャンブル依存病が増えるのと・・
何か共通点を感じ、
余計な作為的事項が一部の人を豊かにし、多くの人が不安・不健康になっていく・・
これでいいんですか。
日本はこれから、ますますおかしくなる。
と、日々、不安なことが募る中、ぶれないでいかに生きるかにこだわりたい。
関係構築が難しくなる時代
今の情報化社会の進化は、人類のそもそもの「人間=人の間」という基本的な、
人と人の関係性を退化、破たんさせる方法に向かっていると感じる今日この頃。
誰でも簡単に発信できるこの世の中は、自分自分、言いたい放題、言った者勝ち、
拡散重視・・であり、その発信が本当の意味でどう伝わり、巡り巡ってどういう
ことになるかという思考を停滞させている気がしてならない。
もっとよく考えて、世界規模でお互いに強調しながら、
そしていい意味でしのぎを削っていく・・。
そして地球がもっと良くなることが大切であるべきなのに、
今や社会は、いろんな壁の存在とボーダレス化が世の中をぐちゃぐちゃにして、
コミュニケーションのルールもマナーも機能しないままに、混乱の中にあると
いえる。少なくとも、私にはそう見える。
人間はひとりでは生きていけない。
国も自国だけでは生きていけない。
周囲があって自分が存在できる。
という観点に立てば、良好な関係、リレーションシップ、そしてパートナーシップが
築けるが、根本の発想、目的がずれていると、協議さえうまくいかない・・。
コミュニケーションの観点から今、世界を見ている。
拡散されればされるほど、黙りたくなる今日この頃だ。
言葉はときに暴力にもなる。
関係構築。世界のリーダーには、この言葉の暴力の勢いに流されず
あるべき道を示し、地道に行動し続けてほしい。
期待できるリーダーは・・・。

