付加価値を創るパッケージコミュニケーション

ある工場を訪問した。パッケージを企画制作する会社だ。これまで手がけた作品例を拝見すると、ああこれ!と懐かしいお酒や化粧品、ブランド品の箱がずらり。売り場を華やかに彩り、高級な商品を丁寧に守ってきた高級パッケージたち。このパッケージたちは、商品を購入した後もなかなか捨てられることはなく、思い出と共に保管されたり、違う用途で生かされたりしている。

自宅に眠っている大切にしている箱の一部が、ここで生まれたと思うと、ものづくりの裏方を支える人たちの存在を改めて思い、こみあげてくるものがあった。

今は、過度な包装は求められない傾向にある。しかし、ギフトのマーケット特にプレシャスな商品には、パッケージングは不可欠で、商品の一部とも言える。

購入した、それをもらったお客様が、ワクワクしながらその包みを、箱を開くときの、この瞬間の気持ち。時代が移っても、このニーズは消えない。

パッケージは、物を物語に変え、感動を包む。

材質、カタチ、色、ロゴを含めた、そこに込められたメッセージ。

パッケージは、商品の価値を高める貴重なコミュニケーションツールである。その技術を追求、トレンドを先読みしながら提案続ける職人社長にお会いし、嬉しい世界が、今も存在していることをとても嬉しく思った。

価値ある商品は時代を越えて。どの業界でも同じだと思いたい。

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崇高なる人を目指したい

最近、その存在を知り、心から尊敬しているピアニストがいる。

メナヘム・プレスラー。90代の現役ピアニスト。ドイツ生まれのユダヤ人らしい。戦時中にはイスラエルに移り住んだ多難の若き日を過ごした方のようだ。
ヘンデルからドビュッシーまで、幅広いレパートリーを演奏するが、
私にとって、とりわけ心に染み入るのは、ショパンの名曲の数々。ポーランド人であるショパンと、ユダヤ人のピアニストのどこかに共通点があるような、どこか悲しげな憂いを帯びた美しい響きが印象的だ。
ノクターンの遺作を聴いたときは、この演奏自体もラストになってしまうのではないかと思うほどに、命が込められ、しかも言いようのないほどの崇高な気持ちが表現されており、思わず手を合わせて聞いた。

技術も申し分ないが、心で弾く姿が神々しく。音楽と自分が一体になっている感じを受けた。

ある作家は、積極的感受という言葉を使うが、まさに音の中に演奏家が存在しているような、超越的な崇高な世界を作り出している演奏家だ。

人生の年輪がそうさせているのだろうか。

技術よりも心を。人生を。表現に自分の命を吹き込むことがいかに大切かを

教えてくれる大切な存在だ。

いつかお会いしたい。お元気でいてくださるとうれしい。

ピアノそのものがその人である。●●そのものが私である。そんな存在になりたい。生きている間に、どこかで。ぜひ直接あの崇高な世界を体感したい。

そんなことを思わせてくれる表現者は、この世に何人もいない。

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「楽しんでさせてもらってますよ」

病院というのは凄い。どこもそうだろうか?わからないけれども、今回父がお世話になっている病院は、院内連携が素晴らしいのと、お医者さんも看護師さんも
リハビリの先生方も、本当に親切でありがたい方ばかりだ。
今、父はリハビリ病棟でお世話になり、理学療法から言語聴覚、そして身の回りのことができるようになるための作業療法まで、毎日、プログラムが組まれ、交代でお世話いただいている。

おかげさまで随分とその成果も出ているようであるが、脳梗塞でマヒ状態になっている身体を元通りにするには、本人の努力と辛抱、周囲の見守りが必要だ。
このたび、作業療法士の方と面談する。
笑顔でやさしく、日々年寄りとの会話も嫌な顔せず いい感じでお世話してくださっている。家族にはとても真似できない。
「いろんなことをやっていただいて、本当に申し訳ないです」
というと、
「いえいえ、それが仕事ですから大丈夫です。何もお気にされずに。
私たちも楽しんでさせてもらっていますよ」
とのお言葉。仕事は楽しく!この点は、本当に共感するが、老いた患者へのお世話が楽しいとは頭が下がる。基本的に人間愛があるから、会話や笑顔が生まれるのだろう。

医療の現場は、体力も必要で、わがままや意味不明のコミュニケーションもあって、本当に大変であるのに、笑顔を絶やさず、しかも必要なことをきちんと患者に伝え、教えてくださっている。

この高齢化がすすむ現代社会。若い方たちが医療や福祉の現場で仕事をされる
その勇気ある選択に心から感謝をし、出来る限りの応援や協力もしていきたいと
思った次第。

父は、ある意味、今回いろんな若い方にお世話になれて、幸せなひとときを送っているかもしれない。
非日常の病院生活は、いろんな意味で気づきを与えてくれる貴重な時間である。
家族たちが普段の生活ができることが、本当にありがたい。

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ひとつずつ肩の「荷物」を下ろす。

中小企業の社長さんたちに多く出会うなか、自分の父が20余年前までお世話になっていた会社のことを思い出すようになっていた。
父が40年以上、丁稚奉公時代含め、お世話になった会社だ。
退職してもう20年以上経過するし、世の中も変わってきたが、今もその会社は?とネットで検索したら、会社は存続している様子で、安心した。


社長さんはお元気だろうか?父がお世話になっている間に、世代交代され、
息子さんの代になった。父より若い社長さんで、古参のような存在の父のことはたぶん、扱いづらかっただろう。自分が大人になり、いろんな会社のことを知り、経営者の悩みも理解できるようになるにつれ、父がお世話になっていた会社のことも気になり、また父を長く雇用いただき、お給料もいただき、そして私や妹が無事育ち・・。ありがたかった・・と感謝の気持ちが芽生えてくるようになった。
いつか、近いうちに、その会社の社長さんにお礼を言いたい。感謝の気持ちを伝えたい。と思い始めたが、さて、どうするか?いきなり電話して訪問というのもなんだかおかしいか、手紙を書いて出してみるか・・。
と、父の老いを見守りながら、そんなことをずっと考えていた矢先、父が入院し、私も病院に継続して見舞いに通うことになる。


偶然にもその会社は、入院先の病院の近所にあった。病院まで歩く道中、子どもの頃、よく父に連れられて来た町工場の場所を思い出そうとし、探してみた。
何度か病院までの道をきょろきょろしながら、歩いていたが、先日たまたま、通りがかった家の表札が、社長さんのご自宅であった。
「みつけた!」と同時に、さてどうするか?いきなり玄関のピンポンを押しても
びっくりされるだけだ。
また改めて、その道を通りながら、どうしようかと考えていたら、なんと自宅の前で花に水をやっている人をみつけた。迷ったが、声をかけた。
その方は社長夫人であった。名乗ると、大変驚かれ、またこれまでの思いやいきさつなどをお話ししたら、大変喜んでくださった。
そして、父の入院のことも話して、今度は会社へお邪魔する旨お伝えし、お別れした。ああ、やっと会えた。
その翌日だろうか。その社長さんが、父の見舞いに来てくださったとの報告があった。
退職して、20余年ぶりの再会。しかも病院での再会・・・。
お世話になった社長さんが、口やかましくて扱いづらかったであろう、元常務を訪ねてくださったのだ。
突然の社長さんの登場に、父はさぞかし驚いたことだろう。

久しぶりに話をしたそうだ。
きっと長年お世話になった会社の社長さんが見舞いに来てくださって、
嬉しかったことだろう。
「同じ釜の飯を食べた仲だからな~」と、父が一生懸命話してくれた。

なんだか、ずっと思っていたことが、叶ったような。肩に勝手にしょっていた荷物をひとつ下ろしたような、軽い気持ちになった。

人は気づいたときに荷物を持つ。それを下ろす。

それが人生のなかの仕事かなと思う。

社長さま 大変大変ありがとうございました。

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21世紀のジャンヌダルクに・・

最近の衝撃、感動のひとつは、スウェーデンの16歳の少女グレタさんの行動と発言。どこでそんな勉強をして、良識を学び、恐れを知らない行動力を身に付けているのだ、どんな教育を受け、どんな環境で育ってきたのかと思うほどに、これまでこんな少女には出会ったことがない。

彼女が国連でスピーチをした内容は世界中に衝撃を与えたことだろう。私もニュースでそれを見た瞬間、身動きがとれなくなり、あの真剣さに胸がいっぱいになった。
大人への怒り。いいかげんな自己本位、自分が自分が・・ばっかりのリーダーたちへの爆発。
よく聞けよ。と世界のリーダーに思いをぶつけている姿に拍手とエールを送りたくなる一方、その大人の一員として自分のことも恥ずかしくなった。
いつまでこんな生活を続けているのか?と思えてきた。

SDGsとかで盛り上がっている大人に対しても、彼女たちにしてみれば何をぬるいことをということであろう。大きなバッヂをつけて、それらしく行動している大人のことも軽蔑しているだろう。

あの彼女の目を、あの真剣な表情を見たら、このままにしておいてはいけない。本当に意味で変わらなければと、良識ある人は思うはず。

私は彼女をずっと見ていて、現代のジャンヌダルクのようだと思った。
何があっても、想いを貫く。

この彼女は今まさに地球のために戦っている。
自分たちが生きる世界の危機に真剣に向かい合っている。

世界の若者たちが影響を受け、変化しはじめている。大人はダメだ、と
改めてそう思いながら、貫く人生のあり方について考えさせられる。
すごい少女だ。何も怖いものがないのだ。ブレナイ彼女 を見習いたい。ー

権力者、金まみれの人たちのおかげで、地球は滅びる。
無責任なことをしてはいけない。

本当の意味で、自分ごとにならないと何も変わらない。

現代のジャンヌに敬意を表し、自らがすべきことを今こそ考え直そう。



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来年も、また生きる心構え。

世間ではもうおせち料理の予約も始まっているようで、日本人は催事ビジネス、恒例行事が好きだなとつくづく思い、この連続性があって日本の消費が循環しているのだと、毎年この季節になると、そう感じる。
その流れには乗らないが、この季節になると、来年のカレンダーやダイアリーは
調達をすることにしている。
毎年同じデザインのNYの手帳を愛用、最近はその用途もスマホにだいぶ移ってきたが、それでも一冊の手帳は必需品だ。
そしてカレンダーも毎年同じデザイン会社のもので、テンションがあがるものに決めているため、これがないと調子が出ない。夏ぐらいから発売日を確認しはじめる。

そして注文し、早速届いた。
2020年のカレンダーと手帳。
まだ中を開けないで、そのまま飾っておく。

ああ、もう来年のものを買ってしまった。

ということは、来年もまた生きるということだ。

カレンダーを買うということは、来年1年を覚悟するという節目でもある。
さあ、2020年。世間はにぎわいそうであるが、流されずまっすぐ自分の道を歩めるように、今からスタンバイしておこう。

ひとつツールが整うと、人間の気持ちは変わるものだ。

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人生は足し算‽引き算?

年末に向け、忙しい忙しいと世間が動き始める。

予定していなかったものが入ってくる、ドタバタ・・・仕事に追われる。
うれしい悲鳴かもしれない。

でも、追われる、追いかけられるのは、結局は相手次第になってしまう。
自分で計画を立て、それにそって動く、それに加えて、相手の動きに合わせていくという仕事の仕方。

人生も仕事も足し算・・をしていると、気が付いたら年だけとっていった~。
ということになりそうな気がする。

目標に向かっての引き算でいかないと、うまく進まない。

もっといえば、大きな引き算をしながら、日々の取り組みは足し算をする。

さらに掛け算をして、効果を狙ってみる。

いろんな計算が自在にできた方が絶対にいい。

人生は追いかけたい。追われたくない。


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来年への課題と準備。

7月から開催してきた障がい者アートの展覧会企画が終わり、撤収を行った。
その絵がお店という空間にあるということで、何が変わっただろうか?
撤収しながら、お店のスタッフとの会話からいろんなことを思った。
美術なんてわからないんですけど、こういうのがあって、毎日見せてもらいながら仕事してました。すごいですね~。
すごい色彩の作品で、びっくりした。すごいね、こんなのが書けるなんて・・。
展示しているときにごらんになったお客様はすぐスマホで撮影され、SNSにのせていいですか?と言ってくださった方もあり・・。
小さな企画ではあったが、お店がコミュニケーションの空間として活気づいてくれていたなら、何よりだ。
そして、今回東京で展示された作品たちは、このまま新潟に移動し、来週からは地元のお店を彩ることになる。
来年はパラリンピックの開催都市。いろんな力がスポーツ以外ででも、発揮されることを祈りつつ。この企画をさらに拡大させていく。

来年はどんなTOKYOになるのだろう。どうせなら、せっかくだから、良かったねの声が広がる、そんな一コマに関われたらいい。

撤収しながら頭は来年のことを考えていた。

おかげさまで、東京MOSごと美術館、いったん終了です。ご支援ありがとうございました。

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真の意味での世界を担う、リーダーたちにエールを送る

今、世界の若者が熱い。とくに北欧の16歳の少女の環境保全に対する運動力は目を見張るものがあり、そのパワーに突き動かされるように、世界各国で10代の若者たちが大人たちに真剣に世界の危機を訴えている。

大人たちは何もしていない。
そのとおりだ。
もっと根本的に世の中を変えなければ、彼ら彼女ら、そしてその次の世代は
地球で生きていけなくなるかもしれない。
本人たちが、自分たちの問題として真剣に世界に問いかけ続けている。
大人たちは、もっとその現実に対して 注意を向け、協力をしていかねばならない。もちろん反省も含めてだ。

未来のための金曜日という活動がなされているそうだ。学校を休んで、温暖化を止めるための活動を続けている。若いのに、なんとしっかりしていることか。
大西洋を飛行機ではなく、ヨットで移動するぐらいだから、その意識と行動は半端ではない。覚悟ができている。

プレミアムフライデーとか、まったく逆方向の思いつきと比較するとなんだか、
日本人はずれている、ぼけていると改めて思わざるを得ない。恥ずかしくもある。
SDGsと声高に言わなくても、こうやって真剣に活動している若者たちに学び、自分ができることを今それぞれがすればよい。

若者たちが自分たちで自分たちの時代を切り開こうとしている。
反省しながら、拍手を送り、そして応援したい。

若者にとって、地球の温暖化は、まさに、自分ごとなのだ。
背筋が伸びる。口先だけでは世のなかは変わらない。

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人間は弱きもの。だから

京都に住んでいた頃。とくに学生時代に、部落や同和問題という話題に接することがあった。また、在日韓国人の仲間のことも・・・。

この話題を思い出すと、ほろにがい中学三年のことも思い出す。
在日韓国人であった友達が勉強がよくできる人であったにも関わらず、日本での将来をあきらめる発言をして、それでおつきあいが終わって・・・というショック。大学時代も、同じゼミの人で在日の人がいて、これまで知らなかった差別というものに触れ、いかに自分の知っている世界が狭いかと恥ずかしく思った。

このたび、部落に住み、しっかり部落で生きる人のことを知ってほしいと活動されている若者の活動のことを知り、胸をうたれた。
とくに、九州で太鼓をつくる職人さんのインタビューを見聞きしたときには涙があふれ、その人に励ましの連絡をしたいと真剣に思ったほどだ。

昔、差別を受けた人の子孫が、先祖たちがやってきた仕事を受け継ぎながら今、生きておられる。人が嫌がる仕事をされ、人の役に立ち・・でも、人目につかない世界で生きてこられた。

たまたま自分がその環境で生まれただけ。ということで、人は差別の対象になる。

男女とあれば、女性は差別されてきた。最近は逆差別かと思うほどに変化してきているように感じるが。

人間は自分より弱い存在をみつけ、上から目線で差別したがる。

みんな同じ人間なのに。自分が偉いと思いたがる。
自分のことを強いとか正義とか思いこんでいる人ほど、本当に弱きものだと
心から思う。

いろんな差別を乗り越えた社会づくりが進んでいる・・・とは正直まだまだ
言えないと思う。

華やかな世界があればあるほど、それを支えた影の存在がある。そこに感謝しなければならない。
最近、京都によく出向いているが、華やかな都の脇に、そういったエリアがまだ
残っている。
そんなことも本当はもっと知らなくてはいけない。

今機会があれば、人に会いに行きたいと思っている。

いい太鼓を作ってくれるから、和太鼓に人気が集まっているのだ。

人間は本当に弱い存在だ。それをもっともっと自覚しよう。

そして違いを理解し、尊重して助け合う。そんな社会がいい。差別という偏見が世の中からなくなることを、心から願って。

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