幸せな修行。

おかげさまで、歩くことが大好きだ。
昔、ニューヨークへよく行っていたころ、
マンハッタンを毎日、歩きまわっていた。
地下鉄は怖く、バスもタクシーも本当に
疲れたら、または時間がないときだけと決めて、
とにかく歩く。一日10時間も歩くと
足が棒になり、足の裏が熱くなるが、
歩くというのは本当に楽しい。
見たいものが見れて、入ってみたければ
すぐ立ち止まったり、中に入ることもでき
駐車の心配もなく・・
ウォッチングやリサーチには、徒歩が最適
だった。

そして、おかげで足が丈夫。外反母趾に
なったことは仕方ないが、それでも
よく歩いてきた。

最近も、毎日1万歩を目指す。
都内や京都で1日活動すると軽く
2万歩ぐらいになる。
小さな達成感が健康のバロメータ
である。
が、そのためだけでなく、
歩くとは、自分との対話の時間にもなる。
ここが自分にとって大変大切だ。

自分と話す。
いろいろ考える。、
悩んでいるならば、歩きながら気分転換、
あるいは、新しいアイデアが出てくる、
曲が生まれるのも実は歩いているときだ。

修行僧の方や巡業の方も、
歩きながら祈り続けておられる。

歩くとは、心の旅の一歩であり、
自分と向き合う時間であり、
本当に貴重なのである。
歩きながらでも仕事ができるのだ。

人間が歩ける生き物でよかった。
これが 犬のように よつんば であると
見える世界も違うだろう。

さあ、人混みを避けて、歩こう。

と、自分の足で地球を踏み、
自由に移動できて、
幸せだ。
歩くとは、この上なき幸せな
修行だ。

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