今こそ、無知の知。

半世紀以上生きてくると、自分は多くの経験をしてきた。
と思いがちであるが、それはどうか?
いやいや、まだまだ、ちっとも。と答えたくなる。
では、ある程度長く生きてきた自分は
多くのことを知っている。と言えるか?
の問いにも、いやいや。全然。と思う今日この頃。

最近、自分はまだまだ世界を知らないと思うことが多い。
目の前のことに熱中し、駆け抜けてきたけれど、
もしかしたら、前だけを見ていたのかもしれない。

21世紀になり、コミュニケーション環境が大きく
変化し、「知る」ことの意味、定義も変わってきて
いるような気がする。
検索すれば何でも出てくる。AIが簡単に答えを導き出す。
これが日常的になれば、知ることがさらに表面的になっていく
のではないかと思う。

「知る」とは新たな情報に出会い、その存在を認め、記憶
するだけでなく、理解し、自ら考える入口。
知ることにより、自分が知らなかった世界を開き、広い視野を
もち、大きな心をもって生きるための第一歩。
であるととらえたい。
そして、知ることは永遠の課題。生きている以上、知的向上を
目指すことが、人間らしい生き方。ではないかと思う。

この10年ほど、自分がそれまで知らなかった世界を垣間見る
勉強を、浅くではあるけれど、続けている。
大学の活用は、本当に楽しい。学生時代よりも楽しい。
単位取得、卒業が目標ではないからだろう。

知ることは楽しいと思うことが多い。
これからも、どんどん学ぼうと思っている。
様々な知見をいただき、また知的世界に生きる人たちの生き様を
見ながら、知ることの歓びをいただいている。

無知の知。
改めて本当にそうだと思う。
自分は何も知らないなあ。
だからこそ、もっと知りたい。知らねばならない。
もちろん、何を知りたいかも優先順位があるが。

出会う、知る、考える、カタチにする、伝える・・・。
改めて、「知ること」から、観覧車的生き方も考えていきたいと思う。

生きる限り、知る歓びを日々増やし、
もっと知的に!そして、心豊かに!を目指し続けたい。

最近、社会人になりたての若い人や学生さんたちとの接点が
あるせいか、これまで以上に、そんなことを考えてしまう。

これから先も、ずっと「まだまだ知らない」自分のまま
探求心を耕し続けたい。








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